2007年09月02日

フレッシュネスバーガー

あの日
俺が注文したハンバーガー&ドリンク
俺の定番だった
いつもそのグラスを傾けながら
バイトするアイツを眺めていた
もちろんアイツも、時々ちらっと笑顔を返す

俺と二人で見つけたバイトだもんな

いずれは店長
なんて笑ってたのになぁ

あの日
いつものメニューを注文したあの日

あれを「押しかけた」と言うなら

客の全ては押しかけだなぁ



その辺はずっと後に本編で詳しく語るさ

久しぶりにフレッシュネスバーガーで食べたぜ
やはり美味い
本物のハンバーガーを味わいたいなら、一度試してみては?

  

Posted by 飛鳥エイジ at 19:48Comments(0)

2007年09月02日

四国遍路はマチの迷いを断ち切るために

伸びた草が
あの日の石畳を覆い隠しても
アイツの声は今もここに刻まれて消えることはない

迷いを、断ち切ってきてぇ!

俺に四国八十八カ所を歩き通す力をくれたアイツの叫び
愛するものに全てを差し出し
それでも報われなかった少女の痛み

俺は
それが本物だと信じたかった

今でも
それは変わらない
  

Posted by 飛鳥エイジ at 19:44Comments(0)

2007年09月02日

密会の思い出

団地外れの陸橋
あいつの言葉が忘れられない

人の舌を「別の生き物みたいだね♪」とさ


平成16年の
夏の思い出

あれ?新聞じゃこの時期、俺はアイツに交際を迫っていたことになってるっけ。
交際迫る?





普通に親しかったけど。
なぁマスコミども






なに証拠?
警察がわざわざ調べてくれた証拠が腐るほどあるが、なにか?
てめぇらと一緒にすんな
俺は、真実しか語らない

さて、次いくか……
んー
早くも吐き気してきたわ
愛と怒りと悲しみで
え?
シャイニングフィンガーソオォード!

(ホントに辛いのか?)

  

Posted by 飛鳥エイジ at 19:41Comments(0)

2007年09月02日

M県R町S台はずれの高台から……

今から続けてアップする記事は、6月にM県R町に戻ったときの記録です。本館目次をご覧になった方は事情も何となくご理解頂いているものと思いますが、この土地は飛鳥エイジにとってあまりにも忌まわしく、激しい怒りを呼び覚ます場所になっています。

このだてブロでも、これからその怨念について語っていきます。
目的は、真実を白日のもとに晒すこと。そして、自身の名誉を回復し、嘘、悪意、陰謀をもって俺の人生を破壊した悪党どもへ相応の報いを与えることです。


さて、久しぶりにここに来ました。念書でS台団地に立ち入りを禁じられた俺は、この東屋であの子……当時中学3年生だった少女、マチと待ち合わせしました。下を見ると、自宅から走ってくる彼女の姿が見えたものです。
彼女は、病気で余命幾ばくもない犬を連れてきたこともありました。

今は
辛いだけの記憶ですが。


さて
今俺は此処にいる。これからもう少し
忌まわしい怨念の噴き出す地を巡ってみよう。

耐えられるか、不安なんだがね
  

Posted by 飛鳥エイジ at 19:36Comments(0)

2007年09月02日

本編第2章  転落の始まり   2-1 腐れ校長 T田

ふー…………語りたくない。が、仕方ない……。 

平成12年度は、俺よりもまずS台小学校自体の転落の年だったかもしれない。


 この年赴任してきた「T田」という校長のアホさ加減は正に言語を絶する。これから俺が語るT田の生態は、すべて間違いのない事実真実である。信じてはもらえないかもしれないが、「学校」という世界にはそんな信じられないレベルの阿呆がフツーに存在するのだ。
 T田と言っても、某大作RPGで、彼女から最後まで「キミ」と呼ばれる不遇の主人公や、外国人社長を迎えて地獄のリストラを断行し、「業績回復ぅ」などと嘯く某メーカーの車の名前でイメージしてはいけない。


 外見は、金○先生をもう少し押しつぶして不健康にしたような体格で、メガネにふくれっツラのチビだ。中身は……これからの展開を読んでもらえれば、すぐ理解できることだろう。とにかく、一人でも多くの人々に、この恐るべき校長の存在を知ってほしいものだ。


 話は、この年の学芸会の頃から始まる。
「君たちは素晴らしい!S台小学校10年の歴史の中でも最高の学芸会でした!」
 おいおい、あんた今年赴任してきたばかりだろ?去年の学芸会、見たんか?(もちろん、見ていない。)まあ確かにS台小学校の子供たちはよく頑張る。できの良い子供たちが多いことも事実だが、平成9年から11年までの学芸会は、また一段と見応えのあるものになったと思っている。
 しかし、今年、平成12年度の学芸会は、6年生が他の大きな行事を抱えてしまったせいもあり、今ひとつぱっとしない中身になってしまった。ホントに自慢話ばかりで悪いが、例年通りのできを維持したのは、俺が担任する5年生くらいなものだった。(演目は「八郎」。ご存じの方も多いのでは?)


 T田の言葉は、学芸会終了後の校長講話で語られたものだ。T田は、とにかく手放しで子供を褒める。なんの根拠も示さずとにかく褒める。まあ、相手が低学年ならそれも通用することもあるのだが、これが5,6年生くらいになるともう通じない。むしろT田の方が体よくあしらわれているのが哀れでならないほどだ。まったく、子供をなめるにもほどがある。余談だが、T田は陰では子供を褒めない。そんなところからして教師の風上にもおけないクソ野郎だと俺は思うのだが、ね。


 この日、教室に戻った俺に子供たちが話しかけてきた。
「校長先生はあんなこと言ってたけど、ホントかなぁ。」
「そうだよな。俺、どうみたって去年の6年生の方がすごかったと思うよ。」
 去年の6年生とは、俺が担任していた学年だ。埴輪の物語をアレンジして脚本を作ったが、子供たちの演技に観客はマジ泣きしたほどだった。ここの読者にもビデオを観てほしいくらいである。なお、誤解の無いように言っておくが、その6年生の子供たちの演技は、大人の趣味で無理矢理つくったものでは決してない。俺や他の担任がやったことと言えば、子供たちの「やる気のベクトル」をきちんとそろえたことくらいだ。後は、小道具から演出から、子供たちがまさに手作りで完成させた演技だった。まったく、T田に見せつけてやりたいくらいだよ。


 さて本筋にもどろう。
 5年生の子供たちは、T田の言葉など信用できないという表情であった。とにかくT田の言葉は美辞麗句が並ぶが、何一つ心が入っていないのだ。




 どこがどうよかったのか一つも示さず、ただ「立派だすばらしい」を連発するT田。レベルの低い選挙演説でも聴かされているかのようである。子供たちは、なぜ褒められるのかわからないまま困惑する。

 確かに、子供を褒めて育てるのは大切なことだ。しかし、子供たちに本当の「褒められる喜び」を感じさせるには、まず子供たちに本当の達成感を感じてもらわなければならない。そしてそれは、子供自身が自らつかみ取ったものでなければならない。日々の学習で、行事で、子供たちが全力で活躍できる場を整え、時には力強く導く。それを繰り返すことで、子供たちは徐々に自らの足で自信をもって歩めるようになっていくのだ。「自分たちは、できる!」と。それ無しには子供たちは真の達成感に至ることはないし、本物の「褒められる喜び」を味わうことはないのだ。


 T田は、とにかくその場で子供たちから良いイメージで見られたがる男だった。子供たちの成長よりも、自分の快感が優先という校長なのだ。
 平成12年度のS台小学校は、このT田が赴任して以来急激にしまりのない状態となっていった。S台小学校の歴史を知っている人間に聞いてみたいものだ。10~12年度の学芸会を続けて観て、「12年度が最高」と答える人間がどのくらいの割合になるものか。俺的にはゼロだと思うがね。


 それにしても、5年生の子供たちの方がアホな校長よりよくわかっている。しかも、子供たちは6年生が忙しくて学芸会に全力で取り組めなかったことまでよくわかっているのだ。
「校長先生もさぁ、『6年生は忙しい中でよく頑張った』とか、そんな風に言えばいいのにな。あんな言い方したら、今日見に来てる卒業生とか気分悪いよな。」


 いやいや、まさにその通りだよ5年生。君が今から校長のイスに座った方が、学校良くなるんじゃないか?


 実際、後日俺の元に遊びに来た卒業生の何人かが、「あの校長、去年とか一昨年の学芸会観てんですか?」と、俺の前でちょいキレ気味だった。
「ま、いいじゃねえか。お前たちの演技がどんなレベルだったかは、学芸会の後、俺が話して聞かせただろ?今の校長の話なんて気にするんじゃないよ。」
「でも飛鳥先生!俺たちどんだけ頑張ってあの演技作ったか……。何が『今年が最高』だよ。何にもしらねえくせにあの校長。」
 全く……T田にこの声を聞かせてやりたいよ。

 ま、これがT田校長という男だ。この校長が、俺の人生をぶち壊した張本人である。

 俺が犯罪者にまで堕ちる、最初の闇を、語ろう。


   2-2 金○の出来損ない・T田  に続く
  

Posted by 飛鳥エイジ at 13:24Comments(0)転落教師本編」