2007年09月04日
コロスケ……て、殺助!
猫です。馬鹿です。
教師時代、子供からもらったイラストでして。
卒業生もずいぶん届けてくれましたねぇ。
なんかファイルに200枚くらいありますが、先生ってのは普通こんなふうに子供たちからイラストとかプレゼントされるものなんでしょうか?他の人のことなんて気にしたことないもんで。
もちろんfighter飛鳥は絵なんて描けません。なのに、卒業生が俺のクラスに絵を描きにやってきたんですよね。何故だったんでしょう?
卒業生は、ほとんど毎日訪ねてきてくれてました。男女問わずです。
昔を思い出すと
教師としてあまりにも楽しく充実した毎日で

悲しくなります
教師時代、子供からもらったイラストでして。
卒業生もずいぶん届けてくれましたねぇ。
なんかファイルに200枚くらいありますが、先生ってのは普通こんなふうに子供たちからイラストとかプレゼントされるものなんでしょうか?他の人のことなんて気にしたことないもんで。
もちろんfighter飛鳥は絵なんて描けません。なのに、卒業生が俺のクラスに絵を描きにやってきたんですよね。何故だったんでしょう?
卒業生は、ほとんど毎日訪ねてきてくれてました。男女問わずです。
昔を思い出すと
教師としてあまりにも楽しく充実した毎日で
悲しくなります
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14:18
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2007年09月04日
本編 2-3 担任編成と職員異動
前段のエピソードから判るように、T田は個人的にも俺を嫌っていた。当然だろう。俺は「校長様」にも堂々と意見する平教師だった。子供のためにならないことであれば、校長の意見であろうと何だろうと容赦なくぶっつぶした。T田は特に無能な校長で、次々と訳のわからないことをぶち挙げて失敗を重ねた。4,5月は静観していた俺だが、さすがにこのままでは子供が気の毒だ。俺は、T田の方針をことごとく修正させ、結果子供たちは確実に成長していった。
T田は自分の点数だけが大切な男だ。俺は点数など興味ないが、自分以外の人間が力を発揮することが許せないT田は、俺が点数を貯めていくことが耐え難い苦痛に思えたのだろう。
T田は前任校ではいろいろと目立つことをやらかして、県教委からの評価は高かったらしい。(その時点で県教委もアホばかりだが)
もっとも、俺に言わせればそれは、大人が趣味でお膳立てを整え、子供たちを無理矢理動かした実にぎこちない活動ばかりだが。
一例を話す。T田は前任のU町立U小学校で子供たちに地元の物語をミュージカルで演じさせていたのだが、これがS市からわざわざ招いたプロの演劇集団に衣装や背景、照明を援助してもらったものだった。もはや、その時点で子供たちの行事ではない。
俺はそのビデオを観たのだが、子供たちの動きはもはやプロの指導による半マスゲームと化していた。しかも、個々の子供たちの動きは決して褒められたものではない。というか、やる気の無さが画面から滲み出ていた。
さらに驚くべきことに、子供たちは毎年同じ脚本を演じ続けているのだ!これではその学年や子供たちの個性や意欲など発揮しようがない。まさに、「猿回しの猿」状態だった。
T田よ、お前はこれが子供たちの望ましい姿だというのか?大人を喜ばせるだけの派手なステージと衣装の陰で、投げやりになっている子供たちの無力感が、なんとも哀れで仕方ない。
読者諸君にもその恐ろしいビデオを鑑賞していただきたいものだ。そして、俺の育てた子供たちの、手作りの学芸会と見比べてもらいたいほどである。子供たちの動きや目の輝きの差が、一目瞭然である。
ま、そんなわけでT田は、なんとか俺を苦しめたい、つぶしたい、あわよくばクビにしたいと日々歯ぎしりしていたことだろう。そんなT田が、俺を自分の自由にできる時が近づいていた。
学校内の担任編成に関しては、校長が全権を有している。各教師は一応希望を述べることができるが、最終的な決定権は校長にあり、基本的には逆らうことはできない。これはごく当たり前のことであり、俺は過去校長の担任編成に異議を申し立てたことなど一度もない。
だが、この年の担任編成計画は、T田の駄々で作られつつあるものだったのだ。
平成12年11月上旬のことだった。
「はぁ!?なんすかそりゃ?」
俺は思わず学年主任のT麻先生に聞き返した。学年主任とは、3クラスある5年生のチーフである教師だ。5年生の学年主任は、2組のT麻先生だった。外見も中身も穏和そのもののT麻先生は、クラスの子供たちからの信頼も厚く、学年主任として十分な力量を備えた立派な教師だった。そのT麻先生が言うには、
「いや、校長さんがもう決めたって聞かないんだよ。この5年生は持ち上がりさせないってね。」
ということだ。持ち上がりとは、現在担任している学年を、新年度も担任し続けることで、5年生から6年生への持ち上がり担任はよくあるものだった。だが、T田は今年の5年生は持ち上がり担任はさせない……つまり、6年生担任は全て別の教師に入れ替えるというのだ。
「それに、私は異動だしね。」
3組担任のS井先生が口を開いた。5年生唯一の女性担任で、T麻先生と俺の間くらいの年齢の方だ。このS井先生も、進級当初問題だらけだった3組をきっちりとまとめ上げた、実力派教師だった。
「ええ!?何でですか?S井さんは担任に戻って1年目じゃないですか。」
S井先生は、去年まで算数専門のチームティーチング要員、いわゆるTTだったのだ。
「うーん、わたしもね、娘が幼稚園をでるまではS台小学校にいたかったのよ。T田校長にはそう言ったんだけど、『なんとか異動を受けてくれ』って話も聞いてくれないのよ。それで、隣のA山小学校なら、今の幼稚園に娘を送ることができるから、A山小学校ならいいですってことでOKしたのよ。」
俺はこの時点で既に腑に落ちないものがあった。校長には、異動先を指定したり、まして決定する権限は一切ない。教員の異動については、県教委の裁量による。まあ、飲み会の席で「ウチの○○をお願いしますよ~」くらいは言えるのだろうが、校長に決定権が無いことだけは間違いない。
聞けばT田は、「その方向で頑張るから」と言ったそうだ。クソ役人の決まり文句だ。「頑張ったけどダメでした。」と言い訳ができる言い回しなのだ。S井先生は大丈夫なのだろうか……。
「飛鳥先生は6年生担任にはしないって、はっきり言ってたねえ。」
T麻先生が顔をしかめながら呟いた。主任もT田の意図を掴みかねているようだった。
「それで、T麻さんはどうなるんです?」
「いや、それがね、オレは持ち上がりなんだって。」
「なんすかそりゃ!全っ然話が一貫してないですよ。校長は何考えてるんですか?」
本当に訳がわからない。持ち上がりはさせないと言いながら、主任のT麻先生はそのまま6年生担任に「持ち上げる」というのだ。恐ろしい男だ、T田T雄。
「うーん、オレもね、どうも納得いかないんだけど、校長がもう決めたことだからって。」
今はまだ11月上旬。この時期に来年度の担任が最終決定しているなど聞いたことがない。そもそも、教員の異動からして校長の思惑通りいくとは限らないのだ。来年度のメンバーも決まらないウチからポジションを決定しているなど、フライングにもほどがある。T田のアホさ加減に俺は本気で頭を抱えてしまった。T田のATフィールドはもはや教育界の常識さえ通用しないほど強固なものらしい。もしかしてゼルエル並か?暴走しなきゃ破れんのか?
俺は基本的に縦関係に忠実だ。これまでも、担任編成に不服を漏らしたことなど一度もない。だが、このT田だけは一体何を考えているのか理解不能だった。
次の日、校長室に乗り込んだ俺は、ますますT田が分からなくなった。
「なぜ自分は持ち上がりできないのか、理由をお聞かせ願います。」
「俺はね、持ち上がりさせない主義なんですよ。子供たちは毎年違う先生に受け持たれるべきです。」
?……主義……?
いや、待てよ……確か昨日の話ではT麻先生は持ち上がりだと……。
「ではT麻先生はどうなるんですか?なぜ一人だけ持ち上がりになるんですか?」
「それは、T麻先生は主任だから。」
はあぁ!?主任は持ち上がると別の教師になるってのか?
この金八かぶれは一体どういう思考回路をもっているのだ。もう俺はT田の眼前で頭を抱えてうなだれてしまった。本当に、こいつとは人間の会話が成立しない。
「…………とりあえず、校長先生、来年3月まで私のクラスをしっかり見てください。それで校長先生がやっぱり飛鳥に6年生は任せられないと判断なさったなら、どうぞ私を6年担任から外してくださって結構です。」
「いや、もう決めてますし。」
~~~~っ!!こいつもう話にならん!
これは、S台小学校の校長室で実際にあったやりとりである。何度か読み返してみてもらいたい。キミは、T田の話が理解できるかな?
ここで、「持ち上がり」について説明しよう。担任編成については興味のある人も多いことだろう。
教員以外の方は、5年生から6年生への持ち上がりはある意味当然のように思っている人が多いようだが、これにはきちんとした意味と目的がある。
当然のことだが、6年生は小学校最高学年である。それだけに、扱いが難しい。中学生の1年前と言えば納得しやすいのではないだろうか?また、6年生は4月から学校のリーダーとして全開運転しなければならない。慣らし運転や暖気などしている暇は一切無い。担任教師は当然、学校全体の動きが把握でき、かつ子供たちを完全に「動かせる」力量が求められる。6年生担任が特別とされるのは、このような理由からなのだ。はっきり言ってしまえば、6年生担任は誰にでも務まるものではない。ましてや、持ち上がりでもなくいきなり初めての子供たちと4月からスタートを切るには、教師としてかなりの能力を必要とする。そのため、5年生から6年生の担任持ち上がりというケースが多いわけだ。
もっとも、俺は教師時代4回の6年生担任のうち、持ち上がりは一度だけだが。
で、持ち上がれないのはどんなときかというと、5年生の担任があまりにもダメダメなときなのだ。
このまま持ち上がったのでは、6年生は大変なことになってしまう!というときに担任が交代するわけだ。
このように、6年生への担任持ち上がりには学校運営上重大な意味があり、たとえ校長といえどそれを変更しようとするからにはそれ相応の説得力ある理由が求められる。
しかるにT田は、「シュミ」でそれをメチャクチャにぶち壊そうというのだ。以前から困った男だと思っていたが、まさかここまで困ったヤツだったとは……。
あきれ果てて校長室を出た俺だったが、このクソ校長・T田に本当にあきれるのは、まだまだこれからだったのだ。
本編 2-4 体罰教師VS知的障害児(仮) に続く
T田は自分の点数だけが大切な男だ。俺は点数など興味ないが、自分以外の人間が力を発揮することが許せないT田は、俺が点数を貯めていくことが耐え難い苦痛に思えたのだろう。
T田は前任校ではいろいろと目立つことをやらかして、県教委からの評価は高かったらしい。(その時点で県教委もアホばかりだが)
もっとも、俺に言わせればそれは、大人が趣味でお膳立てを整え、子供たちを無理矢理動かした実にぎこちない活動ばかりだが。
一例を話す。T田は前任のU町立U小学校で子供たちに地元の物語をミュージカルで演じさせていたのだが、これがS市からわざわざ招いたプロの演劇集団に衣装や背景、照明を援助してもらったものだった。もはや、その時点で子供たちの行事ではない。
俺はそのビデオを観たのだが、子供たちの動きはもはやプロの指導による半マスゲームと化していた。しかも、個々の子供たちの動きは決して褒められたものではない。というか、やる気の無さが画面から滲み出ていた。
さらに驚くべきことに、子供たちは毎年同じ脚本を演じ続けているのだ!これではその学年や子供たちの個性や意欲など発揮しようがない。まさに、「猿回しの猿」状態だった。
T田よ、お前はこれが子供たちの望ましい姿だというのか?大人を喜ばせるだけの派手なステージと衣装の陰で、投げやりになっている子供たちの無力感が、なんとも哀れで仕方ない。
読者諸君にもその恐ろしいビデオを鑑賞していただきたいものだ。そして、俺の育てた子供たちの、手作りの学芸会と見比べてもらいたいほどである。子供たちの動きや目の輝きの差が、一目瞭然である。
ま、そんなわけでT田は、なんとか俺を苦しめたい、つぶしたい、あわよくばクビにしたいと日々歯ぎしりしていたことだろう。そんなT田が、俺を自分の自由にできる時が近づいていた。
学校内の担任編成に関しては、校長が全権を有している。各教師は一応希望を述べることができるが、最終的な決定権は校長にあり、基本的には逆らうことはできない。これはごく当たり前のことであり、俺は過去校長の担任編成に異議を申し立てたことなど一度もない。
だが、この年の担任編成計画は、T田の駄々で作られつつあるものだったのだ。
平成12年11月上旬のことだった。
「はぁ!?なんすかそりゃ?」
俺は思わず学年主任のT麻先生に聞き返した。学年主任とは、3クラスある5年生のチーフである教師だ。5年生の学年主任は、2組のT麻先生だった。外見も中身も穏和そのもののT麻先生は、クラスの子供たちからの信頼も厚く、学年主任として十分な力量を備えた立派な教師だった。そのT麻先生が言うには、
「いや、校長さんがもう決めたって聞かないんだよ。この5年生は持ち上がりさせないってね。」
ということだ。持ち上がりとは、現在担任している学年を、新年度も担任し続けることで、5年生から6年生への持ち上がり担任はよくあるものだった。だが、T田は今年の5年生は持ち上がり担任はさせない……つまり、6年生担任は全て別の教師に入れ替えるというのだ。
「それに、私は異動だしね。」
3組担任のS井先生が口を開いた。5年生唯一の女性担任で、T麻先生と俺の間くらいの年齢の方だ。このS井先生も、進級当初問題だらけだった3組をきっちりとまとめ上げた、実力派教師だった。
「ええ!?何でですか?S井さんは担任に戻って1年目じゃないですか。」
S井先生は、去年まで算数専門のチームティーチング要員、いわゆるTTだったのだ。
「うーん、わたしもね、娘が幼稚園をでるまではS台小学校にいたかったのよ。T田校長にはそう言ったんだけど、『なんとか異動を受けてくれ』って話も聞いてくれないのよ。それで、隣のA山小学校なら、今の幼稚園に娘を送ることができるから、A山小学校ならいいですってことでOKしたのよ。」
俺はこの時点で既に腑に落ちないものがあった。校長には、異動先を指定したり、まして決定する権限は一切ない。教員の異動については、県教委の裁量による。まあ、飲み会の席で「ウチの○○をお願いしますよ~」くらいは言えるのだろうが、校長に決定権が無いことだけは間違いない。
聞けばT田は、「その方向で頑張るから」と言ったそうだ。クソ役人の決まり文句だ。「頑張ったけどダメでした。」と言い訳ができる言い回しなのだ。S井先生は大丈夫なのだろうか……。
「飛鳥先生は6年生担任にはしないって、はっきり言ってたねえ。」
T麻先生が顔をしかめながら呟いた。主任もT田の意図を掴みかねているようだった。
「それで、T麻さんはどうなるんです?」
「いや、それがね、オレは持ち上がりなんだって。」
「なんすかそりゃ!全っ然話が一貫してないですよ。校長は何考えてるんですか?」
本当に訳がわからない。持ち上がりはさせないと言いながら、主任のT麻先生はそのまま6年生担任に「持ち上げる」というのだ。恐ろしい男だ、T田T雄。
「うーん、オレもね、どうも納得いかないんだけど、校長がもう決めたことだからって。」
今はまだ11月上旬。この時期に来年度の担任が最終決定しているなど聞いたことがない。そもそも、教員の異動からして校長の思惑通りいくとは限らないのだ。来年度のメンバーも決まらないウチからポジションを決定しているなど、フライングにもほどがある。T田のアホさ加減に俺は本気で頭を抱えてしまった。T田のATフィールドはもはや教育界の常識さえ通用しないほど強固なものらしい。もしかしてゼルエル並か?暴走しなきゃ破れんのか?
俺は基本的に縦関係に忠実だ。これまでも、担任編成に不服を漏らしたことなど一度もない。だが、このT田だけは一体何を考えているのか理解不能だった。
次の日、校長室に乗り込んだ俺は、ますますT田が分からなくなった。
「なぜ自分は持ち上がりできないのか、理由をお聞かせ願います。」
「俺はね、持ち上がりさせない主義なんですよ。子供たちは毎年違う先生に受け持たれるべきです。」
?……主義……?
いや、待てよ……確か昨日の話ではT麻先生は持ち上がりだと……。
「ではT麻先生はどうなるんですか?なぜ一人だけ持ち上がりになるんですか?」
「それは、T麻先生は主任だから。」
はあぁ!?主任は持ち上がると別の教師になるってのか?
この金八かぶれは一体どういう思考回路をもっているのだ。もう俺はT田の眼前で頭を抱えてうなだれてしまった。本当に、こいつとは人間の会話が成立しない。
「…………とりあえず、校長先生、来年3月まで私のクラスをしっかり見てください。それで校長先生がやっぱり飛鳥に6年生は任せられないと判断なさったなら、どうぞ私を6年担任から外してくださって結構です。」
「いや、もう決めてますし。」
~~~~っ!!こいつもう話にならん!
これは、S台小学校の校長室で実際にあったやりとりである。何度か読み返してみてもらいたい。キミは、T田の話が理解できるかな?
ここで、「持ち上がり」について説明しよう。担任編成については興味のある人も多いことだろう。
教員以外の方は、5年生から6年生への持ち上がりはある意味当然のように思っている人が多いようだが、これにはきちんとした意味と目的がある。
当然のことだが、6年生は小学校最高学年である。それだけに、扱いが難しい。中学生の1年前と言えば納得しやすいのではないだろうか?また、6年生は4月から学校のリーダーとして全開運転しなければならない。慣らし運転や暖気などしている暇は一切無い。担任教師は当然、学校全体の動きが把握でき、かつ子供たちを完全に「動かせる」力量が求められる。6年生担任が特別とされるのは、このような理由からなのだ。はっきり言ってしまえば、6年生担任は誰にでも務まるものではない。ましてや、持ち上がりでもなくいきなり初めての子供たちと4月からスタートを切るには、教師としてかなりの能力を必要とする。そのため、5年生から6年生の担任持ち上がりというケースが多いわけだ。
もっとも、俺は教師時代4回の6年生担任のうち、持ち上がりは一度だけだが。
で、持ち上がれないのはどんなときかというと、5年生の担任があまりにもダメダメなときなのだ。
このまま持ち上がったのでは、6年生は大変なことになってしまう!というときに担任が交代するわけだ。
このように、6年生への担任持ち上がりには学校運営上重大な意味があり、たとえ校長といえどそれを変更しようとするからにはそれ相応の説得力ある理由が求められる。
しかるにT田は、「シュミ」でそれをメチャクチャにぶち壊そうというのだ。以前から困った男だと思っていたが、まさかここまで困ったヤツだったとは……。
あきれ果てて校長室を出た俺だったが、このクソ校長・T田に本当にあきれるのは、まだまだこれからだったのだ。
本編 2-4 体罰教師VS知的障害児(仮) に続く
2007年09月03日
土星ネコ・ニコル ちょっと回復
拾われた時には、「今夜がやまです」と言われたこの子ですが、その後マチの看病により劇的に回復。数日後、R町の「M動物病院」がとても評判がよいと聞いて、受診。
「右目は手術が必要ですね。」
とのことで、一日入院して手術しました。
で、輪っか生活へ☆
おもえば、このころはマチといろんな共同作業をしました。この小さな命を救いたかったマチの心は本物だと信じたいのですがね……・・
その後も、マチと俺とで高校生集団献血を企画してみたりね。
この「だてブログ」には、それを覚えてる人も多いはずなんですが、どうですか?
平成15年の暮れ、高校生たちが集まって献血したんです。16年3月には第2回が行われ、その時は30人も高校生たちが集合しましたね。
河北新報夕刊にもデカデカと載りましたよ。何度もね。
本当に……このニコルや献血のことを、映像付きで紹介する日が来ますから。
それまで、おつきあい頂けるとうれしいですね。
Posted by 飛鳥エイジ at
20:13
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2007年09月03日
夜桜の下にふたり
さて
地雷源巡り最後に一枚
平成16年4月
四国八十八カ所結願の旅に向かおうとする俺は
アイツと二人
夜のT山公園にいた
高校二年生になり、すっかり馴染んだ制服姿のアイツ
俺の腕に掴まりながら暗い山道を登るアイツ
「エイジと一緒ならどんなとこでも平気だね♪」
そりゃそうだ
熊が出てもお前は助かる
あの地震の時のようにな
二人夜桜の下
俺の胸にもたれかかり
言ったよな
「結願だぞ〜。ガンバレよー!」
桜の花びら舞う夜の公園
ベンチで寄り添う二人
だが
その時既に
俺の知らない「真実」は存在した
あの日夜桜を見上げたベンチは、今もそこにある
アイツを真剣に、真摯に愛した俺の心も、そこにある
今日、忌まわしい地を歩いた
気が狂いそうな程の怒りがわいてくる
それでも、俺はあの日のことを忘れはしない
全てを語り尽くすまで
この下らない事件の、真の決着がつくまで
さ、本編がこのあたりに来るまでどんだけかかるだろう?
どれだけの人が読んでくれるだろう?
地雷源巡り最後に一枚
平成16年4月
四国八十八カ所結願の旅に向かおうとする俺は
アイツと二人
夜のT山公園にいた
高校二年生になり、すっかり馴染んだ制服姿のアイツ
俺の腕に掴まりながら暗い山道を登るアイツ
「エイジと一緒ならどんなとこでも平気だね♪」
そりゃそうだ
熊が出てもお前は助かる
あの地震の時のようにな
二人夜桜の下
俺の胸にもたれかかり
言ったよな
「結願だぞ〜。ガンバレよー!」
桜の花びら舞う夜の公園
ベンチで寄り添う二人
だが
その時既に
俺の知らない「真実」は存在した
あの日夜桜を見上げたベンチは、今もそこにある
アイツを真剣に、真摯に愛した俺の心も、そこにある
今日、忌まわしい地を歩いた
気が狂いそうな程の怒りがわいてくる
それでも、俺はあの日のことを忘れはしない
全てを語り尽くすまで
この下らない事件の、真の決着がつくまで
さ、本編がこのあたりに来るまでどんだけかかるだろう?
どれだけの人が読んでくれるだろう?
Posted by 飛鳥エイジ at
12:45
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2007年09月03日
本編 2-2 金○の出来損ない・T田
突然だが、俺は「3年○組金○先生」が大嫌いだ。甘っちょろいお友達意識に染まったあの嘘つき教師が、一部のアホ親どもにまるで教祖のように崇められ、祭り上げられてしまったために、この国の教育は死んだのだ。
そもそも、あんなご都合主義展開など現実にあるはずがないではないか!本物の教師は、一向に味方してくれない運命の無情と格闘しながら、己の力で結果を出すしかないのだ。言うなれば、金○は教育界の異能者、キリコ=キュービィやラッキーマンなのだよ!肩ぁ赤く染めて頭に茶わんくっつけて出勤しやがれ!
あ、いかん。つい興奮してしまったよ。
んで、今俺の前に座っている不細工なチビが、金○……じゃない、T田校長だ。
こいつはみてくれもやることもまるで出来損ないの金○だ。金○そのものが既に出来損ないであることを考えると、もはやこのT田は教師としての力量は皆無であると言ってよい。
その失敗金○が、俺に何か言いたそうにしている。
「あんたは自分のクラスをまとめ切れてると思っているのか?」
おいおい、小学生に呆れられてるお前に言われたくないなぁ。ちなみにT田は、俺を「あんた」と呼ぶ。校長としてそれが適切とは思えないが、教師として適切でない存在の男なので、言っても仕方ないことだろう。
この日、突然校長室に呼び出された俺は、このクソT田からいきなりこのような言葉をかけられたのだ。
ま、どうせまた俺の指導が気に入らない一部のバカ親から突き上げ食らって、俺を指導する約束でもしてしまったのだろう。とにかくこの男は、点数稼ぎしか頭にない小物で、自分の点数になることならなんでもやる校長だった。バカ親にゴマすってる暇があったら、常時全力で子供にあたるのが教師だろうが!子供に対して結果を出してみせれば、どんな親も最後には理解してくれる。俺が毎年実践し、成し遂げてきたことだ。
当座の点数しか計算できないこのT田が、あまりに哀れだった。そして、こんな男でも校長になれてしまうM県の教育界とは、いったいどうなっているのだろう。
俺は、教師でありながら教育界の未来に絶望しつつあった。
俺は、意味不明のT田の言葉に、こう返した。
「では、私がクラスをまとめ切れていないと?それならば、いつでも私のクラスの授業を参観なさってください。事前の連絡も不要です。校長先生のご都合のよいときに、いつでもいらして、好きなだけご覧になっていって下さい。そうすれば、私のクラスの様子がわかっていただけますので。」
同業者(教師ね)たちよ。
同じシチュエーションで同じ台詞を迷わずぶっかませる方はどのくらいいらっしゃるかな?
一般の方々はピンとこないかもしれないが、教師にとって授業を参観されるということは結構な重圧であり、ましてや事前の予告もなく突然やってこられて教室内に陣取られるというのは恐ろしいことなのだ。教師諸君なら、俺の言葉の重さが容易に理解できることだろう。一般人の皆さんも、子供の授業参観の様子を思い出してほしい。365日あんな授業をしてるわけないことは、解るでしょ?
俺は、いつでも来いと校長を挑発したのだ。そして、いつやってこられても、校長が言うような「まとまりのないクラス」を見せることはあり得ないという絶対の自信をもっていた。そもそも、5年以上務めた教師なら、いつ誰に教室に入ってこられても微塵も揺らがない授業ができなければならないのだ。
俺は、T田が教室にやってくる日を心待ちにした。見れば、認めないわけにはいかないだろう。たとえば、クラス全体を叱責しているような場面に現れても、俺の指導により子供たちが後日どう変わっていくかが理解できるはずだ。
しかし、だ。
T田は来なかった。その年度が終わるまで、ただの一度も俺の教室に現れることはなかった。
まったく、言いっぱなしにもほどがある。
そういう男なのだ、T田という校長は。
次回予告 2-3 担任編成と職員異動
多くの人々は、学級担任がどのようにして決定されるのかを知らないだろう。また、教職員の異動(転勤)についても、あまりおおっぴらに語られないものである。次回の本編では、学校内の担任編成でT田が行った常識はずれな暴挙を紹介するが、同時に担任編成の流れやその意味についても触れていく。
S台小学校で起こったことは、あなたのお子さんが通う学校でも起こりうるということを考えてほしい。校長が力量不足(T田はもはやそういうレベルではないが)だと、学校はあっというまに没落していく。親にとって気持ちいい教師が、子供の成長にとっても望ましいかというと全く別問題であることを理解してほしいのだ。
そもそも、あんなご都合主義展開など現実にあるはずがないではないか!本物の教師は、一向に味方してくれない運命の無情と格闘しながら、己の力で結果を出すしかないのだ。言うなれば、金○は教育界の異能者、キリコ=キュービィやラッキーマンなのだよ!肩ぁ赤く染めて頭に茶わんくっつけて出勤しやがれ!
あ、いかん。つい興奮してしまったよ。
んで、今俺の前に座っている不細工なチビが、金○……じゃない、T田校長だ。
こいつはみてくれもやることもまるで出来損ないの金○だ。金○そのものが既に出来損ないであることを考えると、もはやこのT田は教師としての力量は皆無であると言ってよい。
その失敗金○が、俺に何か言いたそうにしている。
「あんたは自分のクラスをまとめ切れてると思っているのか?」
おいおい、小学生に呆れられてるお前に言われたくないなぁ。ちなみにT田は、俺を「あんた」と呼ぶ。校長としてそれが適切とは思えないが、教師として適切でない存在の男なので、言っても仕方ないことだろう。
この日、突然校長室に呼び出された俺は、このクソT田からいきなりこのような言葉をかけられたのだ。
ま、どうせまた俺の指導が気に入らない一部のバカ親から突き上げ食らって、俺を指導する約束でもしてしまったのだろう。とにかくこの男は、点数稼ぎしか頭にない小物で、自分の点数になることならなんでもやる校長だった。バカ親にゴマすってる暇があったら、常時全力で子供にあたるのが教師だろうが!子供に対して結果を出してみせれば、どんな親も最後には理解してくれる。俺が毎年実践し、成し遂げてきたことだ。
当座の点数しか計算できないこのT田が、あまりに哀れだった。そして、こんな男でも校長になれてしまうM県の教育界とは、いったいどうなっているのだろう。
俺は、教師でありながら教育界の未来に絶望しつつあった。
俺は、意味不明のT田の言葉に、こう返した。
「では、私がクラスをまとめ切れていないと?それならば、いつでも私のクラスの授業を参観なさってください。事前の連絡も不要です。校長先生のご都合のよいときに、いつでもいらして、好きなだけご覧になっていって下さい。そうすれば、私のクラスの様子がわかっていただけますので。」
同業者(教師ね)たちよ。
同じシチュエーションで同じ台詞を迷わずぶっかませる方はどのくらいいらっしゃるかな?
一般の方々はピンとこないかもしれないが、教師にとって授業を参観されるということは結構な重圧であり、ましてや事前の予告もなく突然やってこられて教室内に陣取られるというのは恐ろしいことなのだ。教師諸君なら、俺の言葉の重さが容易に理解できることだろう。一般人の皆さんも、子供の授業参観の様子を思い出してほしい。365日あんな授業をしてるわけないことは、解るでしょ?
俺は、いつでも来いと校長を挑発したのだ。そして、いつやってこられても、校長が言うような「まとまりのないクラス」を見せることはあり得ないという絶対の自信をもっていた。そもそも、5年以上務めた教師なら、いつ誰に教室に入ってこられても微塵も揺らがない授業ができなければならないのだ。
俺は、T田が教室にやってくる日を心待ちにした。見れば、認めないわけにはいかないだろう。たとえば、クラス全体を叱責しているような場面に現れても、俺の指導により子供たちが後日どう変わっていくかが理解できるはずだ。
しかし、だ。
T田は来なかった。その年度が終わるまで、ただの一度も俺の教室に現れることはなかった。
まったく、言いっぱなしにもほどがある。
そういう男なのだ、T田という校長は。
次回予告 2-3 担任編成と職員異動
多くの人々は、学級担任がどのようにして決定されるのかを知らないだろう。また、教職員の異動(転勤)についても、あまりおおっぴらに語られないものである。次回の本編では、学校内の担任編成でT田が行った常識はずれな暴挙を紹介するが、同時に担任編成の流れやその意味についても触れていく。
S台小学校で起こったことは、あなたのお子さんが通う学校でも起こりうるということを考えてほしい。校長が力量不足(T田はもはやそういうレベルではないが)だと、学校はあっというまに没落していく。親にとって気持ちいい教師が、子供の成長にとっても望ましいかというと全く別問題であることを理解してほしいのだ。