2007年09月19日
ガン……ダム?
General
Unilateral
Neuro-Link
Dispersive
Autonomic
Maneuver
の頭文字で、GUNDAMというわけです。いやいや、これを咄嗟にガンダムと読むあたり、さすがハイパーコーディネーター・キラ=ヤマト。
オープニングにもそれぞれいろんな思い出がありますな。
「INVOKE」は、遍路でつぶやき続けた曲。
「moment」は、マチとカラオケでよく歌った曲。
「Realise」(だっけ?)は、一時あこがれた、塩釜の女性が好きだったねえ。
SEEDだけでもてんこ盛り飛鳥リンク。ガンダム全体ではどんだけになることやら。
大好きな、というか、人生のベクトル変えるほどのセリフもいパイあるしねえ。
とりあえず今、一番なのは
「命なんてやすいものだ。特に俺のは。」(ヒイロ=ユイ ガンダムウイング)
だね。
「馬鹿弟子があっ!!」
「だからお前は阿呆なのだぁっ!!」(東方先生)も捨てがたい。
どうでもいいけど、いつになったらマスターグレードはVガンダムに手をつけてくれるのだ?ターンA作ってる場合じゃないと思うんだが。あんなむちゃくちゃなシド=ミードガンダムを完全可動させる日本人には感動するけどね。
ただ、何度見ても、このヒゲはどうかと思う……。それに、シドが最初にあげてきた「ガンダム」が、実は「スモー」だったという衝撃的事実は、悲しすぎるぜ。あんな擬人化したズゴックみたいなのが、ガンダム!?
わからん……世界の一流デザイナーというのは、わからん……
2007年09月18日
本編 2-14 国体その2 炬火リレー~やる気無い教師とは?
教師というものは、与えられた仕事だけをこなしていればいいのだ。余計なことをしようとすると、俺のような目に遭う。「子供のために」とか、「たくさんの思い出を」なんてコトを考えてはいけない。ただ学校と自宅を往復し、出来る限り学校にいる時間を短くする、それが教師の「使命」に違いない。だってそうだろう?そんな風に生きている教師が、今も教師として高い給料をもらい、俺はというと、前科者の汚名を着せられ、この世の地獄で安月給に喘いでいる。
教師は、怠けた者勝ちなのだ。
2001年10月。いよいよ国体本番が近づき、「炬火(聖火)」がR町に入ることになった。
当然、炬火リレーには子供たちも駆り出されるわけだが、そのメンバーがおもしろいことになった。
ユナ、マリカの2人が、そろって炬火リレーに参加することになったのだ。しかもさらにおもしろいことに、例の「先生人気ランキング」で、T田の幼稚な駄々によってその努力をぶっつぶされた大仁田も炬火ランナーになっていたのだ。ちなみに、S台小学校の炬火ランナーは子供たちから参加者を募ったのだが、この3人が真っ先に手を挙げたということで決定したものだ。この3人は、S台小学校6学年の中でも中核となる児童だったのである。
炬火がR町を走る日は、体育の日で休日だった。小中学生が参加しやすいようにという配慮もあったのだろう。S台小学校に炬火が到着するのは、正午をやや過ぎた頃の予定であった。
俺は、当然のようにその日学校にいた。予定では用務員が学校を解錠し、ランナーの児童と校長、教頭を待つことになっていたようだが、俺がさっさと学校を開けてしまった。俺は休日でも子供たちの活躍の場には顔を出すことにしていた。ましてや今回は数十年に一度しかチャンスが回ってこない、国体の炬火ランナーを教え子が務めるのだ。その勇姿を目に焼き付けておきたいと思うのが教師というものではないか。
学校を開けてまもなく、用務員よりも早くユナたち2人がやってきた。
「おはよーございます!飛T!来てたんですね。」
マリカの元気な声が玄関に響く。この生き生きした明るさを持ち続けている子供たちが、今この国にどのくらいいるものだろう。
二人とももうランナー用のトレーナーを着ているようだ。だが……。
「?なあ、マリカ、何かお前だけ、周りのメンバーとと服違わね?」
「え?そんなことありませんよ。」
どうもマリカの服だけ、ユナや大仁田たちのそれと微妙に違って見えた。マリカは間違いなく町から届いた服を着てきたという。だが、ユナたちも何か違うことに気づいた。
「マリカ、ホントになんか違うよ。ほら、なんかウチら胸にそんなマークとか無いし。」
国体のシンボル○ヤッキーが、妙にマリカの胸で自己主張している。他のメンバーたちはケ○ッキーを背中に背負っているのに。
「あれ、ホントだ。」
次々に突っ込まれて、マリカも自分の異常な姿に気づき始めた。その時、ユナが決定的な一言を放った。
「マリカ……服、前後ろ逆じゃない?」
「ええっ!?」
見ると、確かに襟首前あたりが不自然に高い。首元を引っ張ってみると、タグがあるじゃないか!
慌ててトイレに駆け込み、着替えて出てきたマリカだったが、ユナたちはずっと爆笑したままだった。マリカは3人組の中で一番しっかり者なのだが、一番天然でもある不思議なやつだった。
そんなワケで、この日の炬火リレーはリラックスしたムードで始まった。
5人のランナーのうち、3人が1組の児童だった。大仁田は以前にも書いたが6年2組の中心的男子。T麻先生のクラスだ。そしてもう1人が3組の大神という男子だった。
この時点で、6年3組は1年前の姿など思い出せないほどに崩壊していた。一部児童ががんばって支えていたが、クラス全体に倦怠感が漂い、覇気であるとか、モチベーションなどは毛ほども存在しない集団となっていたのだ。実際、マスゲームの練習でも3組は、まるでS台小学校のクラスではないかのようなだらけた動きを見せることさえあった。そんな3組男子にあって、この大神は唯一といってよいしっかり者だ。
余談だが、6年3組は卒業式直前に、あまりにも脱力系な事件を起こしてくれる。教師ドラマのネタにもなりうるその苦笑エピソードは、少々後で詳しく語ろう。
さて、子供たちの活動などどうでもいいが、町の偉いさんも見に来る行事となれば親が危篤でもやってくるという糞野郎・T田がやってきた。まさに公務員の鏡である。
そして、校長の指示とあればマッターホルンの頂上だろうがヤクザの事務所だろうが命がけでやってくる教頭・S崎もやってきた。まさに腰巾着の鏡である。
さて、あとは誰がやってくるだろう。
子供たちの名前さえろくに知らないT田&S崎なんぞどうでもいい。俺は、6年生担任たちがやってくることを期待していた。何度も言うが、国体が地元に回ってくるのは数十年に一度しかない。そのときに小学校6年生でなければ炬火ランナーを務めることも出来ないのだ。ユナやマリカは、本当に稀有なチャンスに恵まれ、それを自ら掴んだのだ。もちろん、他のメンバーたちも同じである。そんな教え子たちの晴れ舞台に、関心がない担任などいるはずがない……。
だが、俺の期待とは裏腹に、俺以外の教師は誰もやってこなかった。(T田どもは教師に含めない。含めるはずがない。)
昼過ぎ、一つ前の中継点であるA山小学校から、炬火スタートの連絡が入った。マリカたち5人は、玄関前の広場に整列し、国体炬火の到着を静かに待った。それを見つめる俺は、複雑な思いでいた。この真剣な眼差しの5人は、間違いなくS台小学校を代表する子供たちだ。だが、それを見つめる教師は、俺一人。
T麻さんの自宅はS台小学校から車で30分ほどかかる。3組のT子さんも同程度だ。それほどの距離があるなら、まあ致し方ないと思えないこともない。しかし、1組担任のY田さんは、S台小学校から徒歩で、「徒歩」で3分ほどのところに住んでいるのだ!2ヶ月以上前から、この日この子たちが炬火を手に走ることは決まっていた。それでもこの子たちを見に来ることの出来ない「所用」が、Y田さんにはあったというのか?
マリカたちは、「別にYTに見に来てもらわなくてもいいよ。ウチら嫌われてるし。」と笑った。
今この独り言を読んでくれている人たちよ。
小学6年生の、こんな言葉をどう思う?
俺は、悲しくて仕方なかった。
炬火はやってきた。
A野知事のメンツを保つために無理矢理駆り出された子供たちが、なんとも健気にこうして国体行事に協力してくれている。なあ、知事さんよ。あんた、本来なら今日、この場にいるべきだったんじゃないのか?県民にええカッコしてみせることにばかりシャカリキになるんじゃなくてな、この子供たちに直接礼をするべきじゃないのか?
知事からしてアホなのだ。その下の教育長や校長にまともな人間がいないのも無理はない。あ、いないというのは言い過ぎだな。校長の半分は、立派な方だ。俺が仕えた校長の半分は素晴らしい人物で、今もなお尊敬しているほどである。そしてもう半分は、まあT田は別格馬鹿として、まず使い物にならない糞だ。まったくもって、公務員というのは両極端な人種で構成された異常組織である。鬱になる。
実際にトーチを手にして走るのは大神だった。他の4人は、国体旗を持って大神を追走する。S台小学校玄関をスタートし、1キロほど離れたS台中学校までを走るのだ。
しかしどうでもいいが、なんという煙だ!炬火のトーチは、炎よりも白煙をもうもうと吐き出している。そんなトーチが先頭を走るのだから、後に続くランナーたちはたまったものではない。事実、S台炬火チームは時折煙に巻かれて顔をしかめながら走っている。炬火を持つ大神でさえ、煙のダメージを受けているようだ。いやいや……本当にM県の役人どもときたら、炬火トーチ一つまともなものを準備できないとみえる。仮に、オリンピックの炬火などがこんなザマであったら、担当者はクビものだ。
あ
この日の映像は、この駄文の通りに収録されているので、いずれ無修正で公開したい。前後逆にトレーナーを着たマリカや、白煙に消える炬火隊の姿を実際に見ていただくことができるだろう。
S台小学校に、炬火隊が帰還した。ランナーたちは玄関前でスポーツドリンクを受け取り、一息ついてからめいめいに帰宅していった。
マリカとユナは、笑顔で帰って行った。もちろん、俺も笑って見送った。しかし、俺の心はあまりに虚しかった。
担任は一人もやってこなかった。
なかでも1組は、3人も参加しているのだ。その上担任のY田さんは、S台小学校から徒歩3分のところに住んでいる。それでも、担任は現れなかった。
事情は知らない。しかし、教師とはそれでいいものなのか?学校で授業さえしていればいいものなのか?いや、Y田さんやT子さんは、その授業さえ満足にこなしているとは言い切れない。
一体、教師とは何なのだ?
今、教職を逐われてしまった俺は、誰よりも授業を確実にこなし、子供たちにねらい通りの力を育てることが出来た。
今、教師として高禄を手にする「あいつら」は、時間内に授業を成立させることさえ出来ない無能者。
誰か教えてほしい。教師とは、一体何なのだ?
夜、俺は独りいつまでも考え続けていた。
教師とは?
教師とは?
教師とは?
答えは、出なかった。ただ、マリカたちの笑顔の裏に隠された寂しさが、担任に見放されたからだということだけは解っていた。
いよいよ俺は、教師という仕事が嫌いになっていた。
2-15 獅子座流星群の夜に~奇跡の輝きと、地上の星たち
2007年09月18日
バリアフリーなんて
飛鳥の店が入ってるストアーは、障害者も普通にお買い物。近くに施設が多いからだが、そういうストアーが飛鳥は大好きだ。
さっきも、軽いマヒの方が普通に俺の店で買い物。大変そうなら介助すればいいし、そうでないなら普通に「ありがとうございます!」。
歩くのがちょっと大変そうだが、わざわざ俺のとこから買ってくれて、家で食べてくれるんだろうなぁ。なんか嬉しくなる。
バリアフリーは、まず心から
そんなことを考えると、少し穏やかになれる飛鳥エイジ
今日はケンタッキーで昼飯
マチが、鶏肉大好きでねぇ
どんだけ一緒に食ったか知れん。
穏やかな飛鳥と
復讐鬼飛鳥
同居するにゃキツいわなぁ
毎日ビミョー
2007年09月18日
冤罪ねぇ……
例の富山強姦冤罪や、鹿児島の選挙違反でっちあげとか、なんか警察の強引かつ非常識な取り調べが問題になってますが、ここで私も自分の体験談を語らせてください。
私の場合、警察でムカっとくる取り調べはありませんでした。そりゃそうです。警察にしてみれば、とっつかまえたはいいけど、押収物からとんでもないものがどんどん見つかって、当初のもくろみが実行不可能になったわけですから。
しまいには「すいませんでした」とか「復讐とか考えないでくださいね」と頭を下げられる。これまたそりゃそうだ。俺は取調室で刑事に向かって言ったね。「誰にでも間違いはある。だが、あなた方は取り返しのつかない間違いを犯したんですよ。そもそもこれは事件でも何でもなかった。なぜわざわざ俺の人生をぶち壊し、俺の怒りに火をつけたんですか?」と。刑事は無言だった。
では、俺を苦しめたのは誰か?
警察ではなく、検察だよ!
初めの検事調べの段階ではもう俺を強姦犯扱い。いきなり「お前」呼ばわりだよ!
最後の検事調べでそれが「あなた」になっていたのは笑ったよ。
検察は、あらん限りの権限を使って俺を檻の中に長期間閉じこめ、「こいつ重罪人ですよ!」と世間にマスコミにアピールした。ついでに言うと、裁判官も阿呆だ。俺が真実を語ったら「争点にするんですか?」ときた!争点にするということは、公判を開いて争うということだろうが!こっちは保釈ももらえず、拘置所で自殺防止房に押し込められて、発狂寸前なのだ。自由に証拠提示も出来ず、検察の都合でどんどん裁判を引き延ばされ……ふくれあがるのは殺意のみ。
同じリングで、同じ条件で戦えば、負けるはずのない勝負だった。
俺が自由になれば、とんでもねえ証拠が次々出てくることは確実だった。それを恐れた検察は、通常保釈が認められるケースに対しても、絶対に同意しなかった。
ああ!思い出すだけでも腹が立つ!
……と、少し落ち着きます。
とにかく、警察はむしろ俺をいたわってくれていた。留置場にいる間はなんとか人間でいられたのは、S署刑務課の方々のおかげだ。
糞なのは、検察のほうだったね。当初の訴えに虚偽があったことなどお構いなしに、被害者から調書とり続けた。「死刑にしてほしい。」とか「一生刑務所に入れておいてほしい。」とか、言いたい放題の調書だったね。それは……俺のセリフじゃねえか……?
ああヤバイ、落ち着いてないですね。
冤罪ってのとはちょっと違うんでしょうが、どうかすると俺の件は冤罪以上にレアなケースですよね。ちなみに、「再逮捕」ってありますよね?アレは通常、軽いものでしょっぴいて、重いもの認めさせて再逮捕って流れなんですよ。で、俺の件は脅迫さえ罰金か不起訴になるケースだったんですが、当時S台地検で刑事部長だったオオ#シって糞が、「なんとしても『青少年保護条例違反』で再逮捕かけろ!」って、大騒ぎしたらしいです。書類差し戻しまでしてね。で、俺の再逮捕はなんと拘留期限ギリギリ、夜10時半過ぎに手続きされるという異例中の異例ぶりとなった。しかもその後担当刑事から「すいません、再逮捕なんて考えてませんでした。」と。いやいや、それも俺のセリフですよね。
脅迫逮捕→条例違反再逮捕
あり得ない訳じゃないけど、あり得ない話です。日本語変です。
いずれこのへんも詳しく語ります。それと、何度も言いますが警察、検察のみなさん、「復讐なんて考えないでください」というのなら、裁かれるべき人間をきちんと裁いてからにしてください。
自殺者32000人ってニュースも流れてますね。
俺の最後も自殺になる可能性大ですね。別に明日死んでもいいんですが、一応ポジティブな「目標」も一つだけあるし(「ヘール・ボップ」参照)、もう少しこの腐った人生の様子見てもいいかなと思うので。俺の最後についてはいつか語ります。
写真は、M県内のとある共学高校の文化祭風景です。この垂れ幕の中に、飛鳥が作成に力を貸したモノがあります。なんでも、その一枚が1年生の作でありながら準グランプリに選ばれたとか。どれだと思います?
どうもね……思い出すと、なぜあんなにも「健全」だったのか、アホらしくなります。ま、その辺は本館でまもなく語り始めます。
2007年09月17日
2-13 M県国体1 知事の嘘 ボランティアの意味知ってる?
この国体について、少々語っておかなくてはならない。
前年、2000年のことだった。M県のパフォーマー知事A野は、
「開会式のマスゲーム参加者は全て希望者によるボランティアでいきます。」
とぶっかました。
瞬間、俺は思った。「ああ、来るなコレ」と。
予想は的中した。
当時5年生を担任していた俺は、一学期終了間際のある日、机に置かれたアリエナイ書類に笑うしかなった。
「国体開会式ボランティア参加希望書」
確かそんな名前の紙切れだったと思う。T麻さんもS井さんも、「なんじゃこりゃ?」という顔でいる。
S崎教頭がやってきて、このアホな書類について説明を始めた。
えーと、コレは本当にホントのことです。信じて読んでください。
「この用紙を子供たち全員に配ってください。」
うん、まあそれはかまわないだろう。この手の人集めは決して珍しいことではない。しかし、今回の「ボランティア」集めは、超レアな異常現象だった。
「そして、全員から希望をもらってください。」
は?
「全員から希望をもらう」とは、いったいどういうこと、か?
「あの……指示の意味がよくわからないのですが……。」
T麻さんが3人の思いを代表してS崎教頭に質問してくれた。
「だから、全員に用紙を配って、全員開会式への参加を希望してもらってください。」
『希望してもらう』とはもはや日本語ではない。いったいどこからやってきたのだS崎教頭は?
「つまり、無理矢理ボランティアさせろということですね。A野知事の命令でしょ?」
面倒くさがりの俺がもっともわかりやすい確認をしてしまった。このとき、4000人必要と言われたM県国体開会式ボランティアは、100人も集まっていなかったのだ。となると、会場となる巨大競技場○ランディ21のあるR町の小中学生を「無理矢理希望させて」かき集めるしかない。
A野は、「希望者によるボランティア」と公言した以上、強制動員など出来るはずがない。そうなると、対面を保つため、「無理矢理希望」させるという荒技に出るしかなかったわけだ。これはもう、強姦を和姦にすり替えるようなモンである。しかも、「無理矢理希望させる」というもっとも困難な仕事は全て我々現場のヒラ教師に押しつけているのだ。
恐ろしい男である、M県知事A。さすがは自分の指示に従わない幹部を容赦なく左遷し、自殺に追い込んで平然としているだけのことはある。(あ、コレについてはいずれ詳しく語るのでお楽しみに。)
「いや、無理矢理とかそう言うわけではなくてですね、地元で国体の開会式があるので是非参加してよい思い出作りを……。」
「じゃ、参加しませんという子供たちがいたら?どうするんです?」
「その時は参加するように説得してください。」
そういうのを「無理矢理」と言うのだ。なにが「説得」だ。笑わせるんじゃねえよS崎。
「全員に参加させるというのは無理だと思いますけど……。」
S井さんが冷静に意見を述べる。当然だ。権利意識の塊みたいな親がうようよしているこのS台で、学校行事でも何でもない国体に全員参加させるなど、夜コンビニ前にたむろするガキどもを集めて早朝町内清掃に参加させるより困難だ。
「いえ、それでも全員から希望をとってください。もう決まったことですので。」
S崎得意の「もう決まった」が出たよ。しかし、俺は即座に聞き返した。
「どこで決まったんで?」
S崎は返答に詰まった。まあ、どうせ県のレベルで決定済みなのだろう。せっぱ詰まったA野知事がR町教育長O沢に、「何とかしろよぉ貴様あ!」とか大騒ぎしたに決まっている。あるいは、O沢の方から「あっしがなんとかしやすよ、へへへ」と籾手をしながらすり寄ったのかもしれない。どちらもあまりにリアルに想像できて不気味なことこの上ない。
「と、とにかく、もう決まってますんで、全員から参加の希望をとってください!」
すでに「こんな馬鹿なことがあるはずない」と感じている方も多いだろう。だが、これは真実の記録だ。実際、2001年の国体開会式では、小学生のマスゲームはすべてR町の小学生によって行われている。どこが「ボランティアによる」ものなのか説明してほしいものである。
さて、M県A野知事やR町教育長O沢のやり方に一番怒りを感じていたのは俺だろうが、同時に地元開催の国体に子供が参加するということについては、貴重な経験のチャンスであるともいえる。「ボランティアボランティア!」と、物わかりの良さそうな自分を演出することに必死なA野知事のアホさかげんなどどうでもいい。何より、この当時は俺がこの5年生たちと一緒に持ち上がり、6年生担任となるつもりでいたし、国体への参加についても、俺が指導者の一端に加わればR町全体の動きがよくなることは確実だった。
俺のクラスでは、全員からの「参加希望」が数日で出そろった。噂では、ほかの小学校では学年PTA集会まで開いて、校長自ら必死で拝み倒して参加希望をとったところもあったらしい。そういう苦労を味わわずに済んだことにも感謝してもらいたいものだ、T田校長先生殿。
そんなこんなで、S台小学校5年生の、国体参加に向けての活動がスタートした。
といっても、具体的な練習などが始まったのは6年生になってからであった。その練習が、問題なのである。
2001年春。俺が学級担任を外されてからまもなく、R町の国体開会式会場で、初めての子供を集めての練習が行われた。その練習には俺も引率の一人として同行していたのだが、県の準備した練習計画は、想像を絶するお粗末さであった。
「みなさんちゃんと動いてくださ~い!」
全体指導担当らしいおばさんが、指揮台の上で絶叫を繰り返す。が、一言つっこんでいいだろうか?『動いてください』で子供が思い通りに動くなら、教師はいらない。
指揮台の上から「そこからそこまでの人は何拍子でここまで動いて」とか、小学生相手にとんでもない指示を出しまくっている。しかも、まとめて複数の動きを行わせようとしているのだ。ダンススクールに通うお子様じゃあるまいし、そんな指示でマスゲームを作れるわけがない。なによりも、子供たちは自分が希望もしないのに無理矢理動員されていることをよく知っている。すなわち、「やる気がない」のだ。そういう状態の子供たちを動かし、集団で一つのものを作り上げるなど、我々プロの教師でも相当の技量が要求される。今日初めて子供たちと顔を合わせるダンス教室のおばさんに、そんなマネを期待するのはどだい無理な話なのだ。
もっとも、後ろで見ていた俺が指揮台にたったなら、おばさんが計10時間以上かけてようやくできた子供たちのダンスも、まあ1~2時間で仕上げることが出来ただろう。別に大げさでもはったりでもなく、当時の俺は教師としてそういうレベルにあった。それだけに、何も出来ずに見ているだけの自分が歯痒かった。そして、子供たちのやる気ゼロな、うつろな目を見ていると、こんなくだらないマスゲームに「結局」強制動員をかけたM県A野知事のアホさ加減に心が滅入るのだった。
そして、この練習を通してもう一つはっきりしたことがある。
このとき、S台小学校6年生は崩壊の一途をたどっていたが、それでも心ある子供たちは俺のアドバイスを求め、国体の練習にも意欲的に参加しようとしていた。そのメンバーは決して一人や二人ではなく、何十人という6年生が「いい開会式を作ろう!」と燃えていたのだ。
全く、誰がこんな子供たちを育て、支えていたと思うのだA野知事よ。俺のところにお礼包んで持ってきてもらいたいものだよ。率直に言って、この年の国体開会式マスゲームが、まずまず見られるものに仕上がったのは俺のおかげなのだ。そのあたりは、今から語っていこう。
練習の中で明らかになったこと。それは、各学校の「差」である。
R町には当時6つの小学校があったが、練習においていくらかでも「真剣さ」を感じるのは、わずか2校だけであった。これは、誰がなんと言おうと間違いのない事実である。とにかく、4つの小学校のガキどもはもう手がつけられないほどだらだらで、まるでスライムがブラウン運動でもしているかのようなメチャクチャぶりだった。おそらく学校内でも「指示を聞いて考えて動く」という学習などしたことがないのだろう。指揮台の上のおばさんの叫びなど一つも聞いちゃいない。
さらに、業を煮やした国体関係者が、子供たちの中に担任教師を配置するという荒技に出た。そもそもこのとき、M県はある条件を出して各校に協力を懇願してきたのだ。それは、「学校関係者には一切負担をかけない。指導は全て国体役員で行う。」というものだった。その条件というか約束は、第1回目の練習で早くも破られた。もちろん、俺はそうなることを予見していたが。ぶっちゃけ、子供たちと接したこともない県庁のジジイどもに、何も出来るはずはないのだ。
約束を破られる形で練習への協力を強制された教師たちにやる気があるはずもなく、動かない子供たちが若干名増えるだけという結果になってしまった「荒技」。
とにかく、この練習風景は、M県教育界の未来には絶望しかないことを感じさせるに十分なものであった。ちなみに、俺の手元にはこのときの様子が映像として残っている。まさに百聞は一見にしかず。いずれ何かの形で公開する予定である。見てやってほしい。笑ってしまうから。(黄泉風に)
そんな虚無感漂う○ランディ21の芝の上で、我がS台小学校と、S小学校だけが、人間らしい動きを見せていた。S台小学校の動きがそこそこよいのは当然である。各クラスに俺の指導を受けた子が何人かいるわけで、その子たちが指示通りの動きが出来れば、周りは自然とその動きについていくのだから。そもそも、マスゲームなど集団演技の指導では、「キー」になる児童をきちんと配置できれば、仕事の半分は終わったと言ってよい。その子たちが、指揮者の声となり周りに動きを伝えてくれるのだから。指揮台上のおばさんはそんなこと知るはずもないが。
俺が驚いたのは、S小学校の子供たちだ。一部が確実に引っ張るS台小学校と違い、全員がきちんと指示を理解し、動いているのだ。これは、普段から担任がそのような習慣づけをしていなければ出来るものではない。そして、俺のその思いが確信に変わったのは、先ほどの「荒技」の中でのことだ。S小学校の担任たちは、子供たちに的確な指示を行い、グラウンドに担任が入ったことでS小学校の子供たちの動きはさらにレベルアップしたのだ。
「素晴らしい……。」
俺は、S小学校の担任と子供の姿を見て呟いていた。
そして、嬉しかった。
アホばかりのM県教育界にあって、まだこんな学校が、学年が、学級が存在すること。それは、絶望的ブラウン運動の中にあって、わずかに残された「希望」のように輝いていた。俺は、今でもその時の光景を思い出すと、当時のS小学校の6年生担任たちに拍手を送りたくなる。
余談になるが、俺がS台小学校に赴任した際に、町内の教師対象の研修会があった。その時、バスの中でA山小学校の教師たちが話していた会話の中身を公開しよう。
「やれやれ、やっとあいつら卒業してくれたよ。」
「ああ、ホントとんでもねえ2年間だったよな。でもまあ、卒業させちまえば後は中学校に任せればいいことだし、これからはちょっと楽させてもらおうぜ。」
「そうそう。今年はうるせえ親も少なそうだし、まったりといくべ。」
俺は、どう考えてもこいつらが教師として苦労したとは思えない。というか、能力がないから苦労したように錯覚しているのではないか?
R町にはこんな教師が実在し、毎月とんでもねえ額の給料をぶんどっていく。30前後の教師の手取りは20万少々だが、ボーナスは夏冬それぞれ80~90万出るのだ。それ以外にも各種手当てで年間に数十万の収入がある。それだけの金をとる資格が、こいつらにあるのだろうか?そもそも、このような発言をほかの教師たちがいる中で平然と交わす神経に唖然とする。教師という世界にどっぷりとつかった税金泥棒どもの感覚である。こうなると県庁あたりのお荷物職員と同格の役立たずぶりと言ってよい。
俺は、R町での今後の活動に不安を感じていた。もっとも、それは現実になってしまったが。(笑えねえ)
さて、ほかの4校については、あまり書きたくない。全て悪口になってしまうから。
県から示された「条件」があるとはいえ、子供たちがだらだらとくそ暑い中練習しているのだ。どのみちやらなければならないなら、教師として果たすべき使命を果たせばよいではないか。それなのに、4校の担任どもの体たらくときたら、今すぐ辞表書けとぶん殴りたくなるほどひどいものだった。
そして、俺は動いてしまった。
引率ではあるが担任ではない俺は、グラウンドに出る必要はない。始めは静観を決め込んでいた俺だが、やはりこんなざまを見せられて黙っていられる男ではないようだ。すたすたと指揮台の脇を通り、俺はブラウン運動の中に足を踏み入れた。
おばさんが息も絶え絶えに指示を出す。
「円を作ってくださーい!グラウンドにマーカーがありますからそれを見ながら何拍で歩いて……。」
そして、俺はやってしまった。
「円を作る!聞こえたか!各学校先頭の者!足下を見ろ!後の者は先頭と同じ動きでついて行け!全員、合図を聞き逃すな!集中しろ!」
おばさんのマイクを吹き飛ばす肉声が響く。朝から寝ぼけたままであったろうガキどもの脳みそに強烈な一撃だ。平然としているのは普段から慣れているS台小学校の子供たちだけ。驚くはずもなく、むしろ「やったね」とにこにこしている。そう、これから何が起こるか理解しているのだ、この子たちは。
国体役員のジジイどももあっけにとられている。「あれ、先生か?」と顔を見合わせてる様子が滑稽だ。
グラウンドに、鬼が現れた。
子供たちの表情が変わる。
それでもなおだらだらしている部分には、ピンポイント攻撃をかける。
「そこのお前ら、今日何しにここにきてるか解ってんのか?こんなくだらねえ練習、早く終わりにしてえだろ?だったらやることやってとっとと帰れ。俺が見てるからな、わかったか。」
『くだらねえ練習』って、先に言われちゃったか?R二小学校のくそがきどもははっと立ち上がり、俺の指示をじっと聞いた。
「よーし!たかがマル作るだけだ!いいか一回でやれ!足下のマーカーをもう一度確認しろ。全員!耳の準備はいいか!」
子供への指示は簡潔に、具体的に、わかりやすく、だ。「耳」という単語を出すことで、体のどこに仕事をさせればいいのか子供はつかむことが出来る。「指示を聞きながら動く」ときに、もっとも大切なのは「耳」なのだ。「目」は、足下の印を追えばそれでいい。
おばさんの手拍子が始まった。子供たちは「自分が何をすればいいのか」この日初めて理解したようだ。拍に合わせて子供たちが整然と移動していく。30秒ほどのち、グラウンドに子供たちの「○」が完成した。
これが、プロの指示だ。
できることなら、次回の練習ではいくらかでも「子供の動かし方」を勉強してきてもらいたい。俺は、そんな思いも込めて、出しゃばりは承知の上で「手本」を示したのだ。そして、仕事もせずに子供と一緒にだらだらしている教師どもにも、容赦ないプレッシャーをかけるつもりだった。
A野知事よ、お解りか?
あの国体開会式が、辛うじて形になったのは、俺のおかげだぜ。
T田やO沢からどんな報告が行ったかしらねえが、誰がなんと言おうと、俺がいなければあの日の練習は永遠に終わらなかったし、マスゲームなど完成することはなかっただろう。
夏休みに入り、いよいよ練習が本格化する中で、俺はポイントを見定めて口を出した。6年生はもちろん、すずめ踊りで参加する(これも強制)4年生たちにも指導に付いた。学年が下がればますます指示が難しくなるのは当然だ。4年生という微妙な年齢の子供たちを動かせなくて困り果てる指導者たちに代わり、俺がグラウンドでの動きを次々と完成させた。俺にとっては造作もないことである。
俺のこの行動が、結果的にT田&O沢&A野知事を喜ばせることになるのは不快であるし、本意でもなかったが、やはり俺は子供たちによい思い出をプレゼントしてあげたかった。その「教師」としての大前提の前には、木っ端役人どものことなど些事に過ぎない。
練習を終えて、「今日はコレが出来るようになった」と成果をつかむ子供たちの笑顔が、俺にとって何よりの「報酬」となった。
しかし-
2-14 国体その2 炬火リレーの日に