2007年10月06日

サメの歯御守り!



 



 



 



 



 



 この「鮫の歯御守り」



コレも遠方から届けられたものです。飛鳥の人生には「厄」が付きやすいような気がすると送って頂いたもので、携帯のストラップになっています。



確かに、何かと災厄に見舞われることの多い飛鳥の人生です。でも、そのたびに綱渡りではありますが、なんとかかんとか切り抜けてきたこと、運が悪いのか良いのかさっぱりわかりません。



でも、こうして飛鳥の人生を気にかけて下さる方が何人もいること、幸せですね。
なんだか、この語りの目的の一つは、もう達成できているのかも、と思うんです。後は、自身の名誉回復と、そして「公平なる裁き」ですね……。



あ、そういえば、今この携帯に一緒に付いてるストラップ。落下防止のクリップがついたタイプのヤツなんですが、それもとある教え子から届けられたものです。重宝してます。



あ、それから。
バックに映ってるピンクのマグカップも、H小学校を離任するときに、卒業生の何人かが贈ってくれたものです。今も、こうして使ってるよ、みんな。



ありがとうごさいます。



感謝の言葉が出るというのは、いいものです。



これからも、闘います。遠慮も容赦もなく、しかし、足下には注意を払いつつ。

  

Posted by 飛鳥エイジ at 05:22Comments(0)

2007年10月06日

大高森&連絡事項

おはようございます。転落教師飛鳥エイジです。
キョウコと二人登った大高森は、日本三景松島を一望できる絶好のポイントですが、やや松島とは離れた場所にあるため、ちょっと知名度が低いかもしれません。
飛鳥は何度か登りましたが、何時行ってもイイとこですよ☆オススメです。

それと、メールやコメントに対する返事は、また記事にするなどしてお返事致します。どうも最近、体調を崩してしまって……。結局昨夜は、「これやべえな」と思い、歩いて20秒のセブンから「ゼナ」買ってきて、クスリと一緒に飲んでガッツリ寝ました。今朝は、いくらかいいですね。

とにかく、身体が良くないと思い切り動くことも出来ませんしね。早いとこ回復します。
つか「だったらブログなんか書いてんじゃねえよ!」という意見が当然あると思いますが

飛鳥にとって、真実を伝えるための語りは、命より大切なのです。神とかいう糞野郎どもが、その邪魔をするのなら、別の道を選ぶまでだし、それで死期が早まれば、死後、神をぶん殴りますね。

マーガレット=サッチャーのように神をいじめてやりますよ。←あ、これわかります?

というわけで、殺されない限り、語りはやめませんって。  

Posted by 飛鳥エイジ at 05:04Comments(0)

2007年10月05日

本編 2-24 S台小学校離任式前編

 人生には、何度か大きな転機が訪れる。それは、後になって振り返ってみなければわからないものだが、この日、平成14年3月31日は、俺にとって紛れもなく運命の日であった。

 このくだらなくも長大な物語の、ラストシーンに関係する二人の少女が、ついに登場する。

 石原マチ

 庵野キョウコ
 



これから、俺の人生の終焉まで深く関わることになる最重要人物。この二人が、この日、同時に俺の前に現れるのは、あまりにも出来すぎたドラマだ。




 離任式とは、転勤する教師を送る式である。この年は転任者が異常に多かった。その中には、飛鳥の他にK桐先生、S木先生と、そしてあのゴミ校長T田もいた。
 S台小学校の離任式はあっさり型だ。これまで4回、ここの離任式を見てきたが、転勤する先生がもどもに放してもらえなかったり、持ちきれないほどの花束や贈り物に困るというシーンには出会えなかった。
 また、卒業生を送り出した教師のもとに、中学生がやってくるということも数少なかった。おそらく、今年もそんなものだろう。
 自分だけが特別、とは思えない。前任校H小学校で、涙と感動の嵐のような離任式を経験している俺にとって、S台小学校のそれは、あまりにも「ドライ」に見えた。正直、俺はこの日の離任式がさほど楽しみではなかった。

 式が始まった。

 これで最後になるであろうT田の、くだらない呪文詠唱が始まった。せいぜいメラやブリザド程度の威力しかないT田呪文など、誰もきいちゃいない。
 T田までの距離は数メートル。ついに怒りを抑えきれなくなった俺は、雄叫びと共にT田に襲いかかった。
「くおのぅy5$&’)33R#”!!」
 積年の怨みは俺を心身共に魔獣と変えた。右拳の一閃が、T田の丸太りした醜い顔面を完璧に捉えた。ナチュラルにコークスクリューする俺の拳は、獲物の肉を捩り、骨にまで凄まじい衝撃を与える。T田の前歯は、まるで飴細工のように砕け、血の航跡を引きながら宙に舞う。顎骨は粉々になっているに違いない。
 崩れ落ちる奴に、渾身の力を込めたローキックをたたき込む。いや、俺はローキックのつもりで打ったのだが、相手が短足のチビゆえ、もろに脇腹にヒットする。
「げぇばぁう」
 車に轢かれた蛙のような声を上げ、殆ど死体となって床に転がるT田。「理性ある魔獣」と呼ばれたこともある俺は、獣の力をもって性格に奴の急所を抉った。

 今、あっけなく、ゴミ同然の命が消えた。


 なーんてことになったら、どれほど爽快だろーか。実行するのが容易いだけに、悔しくてたまらん。
 あ、呪文が終わったらしい。スライム一匹倒せない役立たず呪文を、2年間も聞かされ続けた子どもたちの顔には、「これで最後なんだ!」という安堵の表情が浮かんでいた。ごくろうさま、みんな。 さて、体育館から職員室までは、子どもたちが作る花道を歩く。ここでどれだけの子どもたちにつかまるかが、離任する教師の人気のバロメーターとなるのだ。
 花道は、子どもたちが道の両壁を作るようにして立って形作る。1年生から学年順に6年生まで、全ての子どもの顔を見ることができる。
 異動組は、T田を先頭に花道に入っていく。




 見ると、T田はなんと!こどもたち全員と握手していくではないか!!



 醜い……。あまりにも醜い姿だった。離任の花道とは、子どもたちから求められて立ち止まるものなのだ。自分から、居並ぶ子どもたち全員に握手を強いる教師など見たことがない……。最後の最後まで、奴は金八に憧れるだけの哀れな男だった。こんな男が「校長」か。

 さて、T田の醜態は忘れるとして、この年の離任式、そして花道は、明らかに例年に比べて異常だった。

「人気ランキング」の話を思い出してほしい。上位5人の内に、俺、S木さん、K桐さんが入っていたのだが、今年はその3人がそろって異動だったのだ。


 S木さんは全学年の児童からまんべんなく好かれていた。1年生から早速つかまって、なかなか前に進めない。そんな状態が6年生まで続く。本当にもう、S木さんは教師の中の教師である。彼が校長であったなら、どれほどこのS台小学校は素晴らしいところになっていたことだろう。能なしのT田など不要品。給料泥棒以外の何ものでもない。S木さんのように、真に力と心を兼ね備えた人物が責任ある立場に就かなければ、遠からずこの国の教育は死ぬ。あ、もう死んでるか?

 K桐さんも同様、あちこちでつかまっている。常に笑顔のS木さんに対して、K桐さんはぱっと見無愛想だ。だが、子どもを思う心は誰にも負けない、真のプロ意識をもっているのが彼だ。表面だけへらへらしていても、子どもは決してついてこない。逆に、仏頂面をしていても、本当に自分たちのことを愛してくれている教師には、子どもはいつの間にか惹かれていくものだ。

 S木さんとK桐さん。

 二人の間に共通点は少ない。そんな二人が、同じように子どもたちにもみくちゃにされる姿を見て、俺は思った。

「良い教師」の条件など、一つではない。むしろそれは、教師の数だけ存在するに違いない。
 この二人の共通点を敢えて言うのなら、それはたった一つ。それは、俺の中にも存在する。
「子どもたちに対して、常に全力であること、真剣であること。」
 教師など、それだけいいものなのかもしれない。



 で、俺はというと。
 1年生を全身にぶら下げて、二人の感動の花道を見つめていた。
「………………頼むからお前たち、離れなさい…………。」

 ひい、ふう、みい、よお……5人か。
 ってウイグル獄長かよっ!!
 俺は毎年、職員室のすぐ隣の1年生教室で、人間遊具となっていた。両手両足、ひどいときには胴体にも1年生という野獣をくっつけて歩くことがあった。10分間の短時間休憩には、そのせいで職員室にたどり着けないことさえあった。急ぎの用事のとき、俺が1年生教室前を通らず迂回していたのは有名な話である。

 これは、花道ではない。
 加減を知らぬ小さな猛獣の攻撃を振り払い、俺は這うようにして前進した。
 2,3年生は比較的容易に突破できたが、時たま巨大なヒルが背中にボタッと落ちてきた。頼むからてめーら!握手くらいにしておいてくれ!!一応こっちはスーツ姿なんだぞ!反撃も出来やしねえ……。

 4年生は、全員が小さな花を持って迎えてくれた。70本を受け取るのは大変だったが、最後の子がそれをまとめる袋を用意してくれていた。なんと粋な計らいか。TTとして1年間つきあったこの子たちは、思いのほか俺になついてくれた。花の他に、個人で手紙やプレゼントをくれた子も何人かいた。一日一時間ほどしか顔を合わせない俺は、どれだけこの子たちの心をつかめるか不安だったが、教師と子どもをつなぐのは接する時間の長短ではないことを、この4年生たちは教えてくれた。

 5年生にとって、メインイベントはK桐さんとの別れだ。俺はオマケのはずなのだが、意外なことに個人的に捕まることが多かった。3階のクラブ教室は、5年生教室の隣である。そんなこともあって、休み時間には5年生もたくさん俺のところに遊びに来てくれていた。5年生とは、TTとしてのつながり以上に、普段の何気ないつきあいが互いの絆を深めてくれたのだと思う。

 そして、6年生。
 まるで、今年担任していたかのような送られようだった。今日の式に対して、もともとドライなイメージしかなかった俺は、自身の離任式に面食らってしまった。あっさり流してくれたのは1組のボンクラチームだけで、あとは花束やらプレゼントやら握手やらで、前進させてもらえない。

 だが
 アイナ、ユナ、マリカの3人は、その中にはいなかった。
 俺は、歓声と、抱えきれない贈り物に包まれて、淋しかった……。


 校長室には、子どもたちから贈られた品を置くスペースが用意されるが、この年は急遽倍ほどに拡張された。例年から比して、今年俺たちが手にしている花束などは、およそあり得ない量だったのだ。
 俺は、持ちきれない贈り物を何人かの同僚に持ってもらっていた。それを荷物スペースに置くと、改めて尋常でない量だ。それを見つめるT田の顔は、不快感と憎悪に満ちていた。今思い出してもぞっとする。俺も奴に殺意を抱くことはあったが、T田もまた、日常俺に殺意を露わにしていた。

 例年、異動組はその後地域への挨拶回りに出かける。それまでの間は校長室待機なのだが、俺はとてもこの空間にいたくはなかった。T田の怨念渦巻くこの部屋は、まるで蟲が蠢く腐海の様だ。肺が腐る。
 これ以上一秒たりともT田のツラを見ていたくない俺は、鬼の形相で校長室を出た。むろん、誰にも止めることなど出来ない。
 俺はそのまま、3階クラブ教室で一人静かに思いに耽るつもりだった。

 のだが。

「先生!どこ行くんですか!?」
 校長室を出た俺に、2,30人の子どもたちがよってきて声をかけてきた。
「あ?今から上に行くんだ。いろいろと考え事が……」
「一緒に行っていいですか!?」
 お前たち人の話を聞け……。まあ、断る理由もないことだし、「別に構わん」とだけ告げて、俺は3階へ向かった。
 ついてくる子どもたちは6年生が多い。3組の子が目立つ。
 教室に入ると、俺はデスクに座った状態で、360°全方位を子どもたちに囲まれた。
「なんや袋叩きにされそうだな。」
 わっと笑い声があがる。
 もうこれが最後とあって、それぞれ子どもたちは、まるで自然と順番が決まっているかのように次々と俺への思いを語ってくれた。もちろん、みな別れを惜しむ言葉ばかりだ。
 たまらなかった。涙があふれてきた。
 つい3日前、校長室で3人の親たちに謝罪した俺は、実際には何があったのか何一つ確かめることも出来ず、3人の心に傷を残したかもしれないという慚愧の念に囚われていた。
 俺の涙の本当の意味を、この子たちは知らない。

「俺は、ダメな教師なんだ。子どもの心に傷を付けたかもしれない、失格教師なんだよ。」
 俺は、秘めていた思いを口にしてしまった。聞かせるつもりはなかったのだが。しかし、6年生の女の子が即座に返した。
「なにいってんの先生?私たちがなんでここにいるか、わかんないの、先生?」
 他の子がそれに続く。
「そうだよな。俺ら、6年担任じゃないけど、飛鳥先生のこと頼りにしてたんだからさぁ。」
「修学旅行もしらっ子祭りも、飛Tいなかったら大変なことになってたって!」
「獅子座流星群だって、先生いなかったらあんな風に観るなんて無理だったし。」
「だよな!S見小学校の奴らが羨ましいよな。」

 失格教師、セクハラ教師の俺が、教師として最大級の賛辞を浴びる様は、あまりにも滑稽だった。嬉しくはあったが、切なさで俺は引き裂かれそうだった。

 その時だった、6年3組担任のT子さんが、教室に駆け込んできた。

「みんな!もう離任式は終わったんだから帰りなさい!飛鳥先生も、子どもたちをもう帰してあげて下さい!」

 おいおい……まるで俺が子どもたちを無理に引き留めているような口ぶりだなあ。まあ、自分が1年間担任した子どもたちが、俺との別れを惜しんで傍を離れない様は、担任教師として認めたくない現実なのはわかる。
 しかし、子どもたちの「はぁ~い。」という生返事は、T子さんをさらに刺激した。
「みんな帰りなさい!聞こえないの!?」
 いや、聞こえないのではなく、誰も聞いていないのだ。自分の実力と魅力が不足していることを認めず、俺の人気に嫉妬するばかりのこの人は、あまりにも哀れだった。ここに来たのも、どうせT田に「ナントカしてこい!」とでも言われたのだろう。腰巾着らしいわかりやすさだ。ドラマで言えば、典型的な嫌われ役だな。
 やがて俺はゆっくりと立ち上がった。子どもたちの視線が俺を追う。

「さあ、みんな、もう挨拶回りに行かなくちゃならない。ここでお別れだ。ありがとな!」
「はい!」
 



 何人かの子は泣いていた。まるで第2の花道のように、俺は子どもたちに囲まれて1階へと降りた。そして、玄関で帰って行く子を一人一人見送った。本当にこれが最後の別れであるという風に。

 しかし、俺はそこで意外なものを見た。
 玄関前の広場に、中学生がうろうろしているのだが、問題はその数だ。例年、数人の中学生が異動する教師に会いに来ることはあるが、今そこにいるのはどう見ても20人以上だ。
 校長腐海から出てきた異動組と共に、俺は校舎を出た。みな肺が腐ってなければいいが。
 外に出た俺たちのところに、待ちかまえていた中学生がわっと集まってきた。
 半分は俺のところに、半分はK桐さんのところにだ。
「今はダメダメ!挨拶回りに行かなきゃならん!」
 俺とK桐さんは、全く同じセリフで同時に中学生たちに話しかけた。微妙にハモったかもしれんほどだ。
「じゃ、待ってますから!」
 これまた何人かの中学生が同時に口にした。
 今年のS台小学校離任式は、一体どうなっているのか?


2-25 S台小学校離任式~子どもたちとの別れの日、そして、運命の出会いへ 後編

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追記
この離任式で、4年生の女子がくれた贈り物



 





妬みややっかみだけで生きるT田がなんと言おうと
こうして今も残るものが、俺の最後の1年を物語っている。

これでも、伝わらないか?
俺の身に起こった、M県教育界の信じがたい事実が

今もなお、能なし管理職の犠牲者となる教師がいるかも知れないという恐ろしい事実を、M県民に認識してもらいたいのだ。

  

Posted by 飛鳥エイジ at 05:11Comments(1)転落教師本編」

2007年10月04日

転落教師本編2-23  暗転

 
 平成14年3月25日。
 俺は、S台小学校3F教室でアイナたち3人を待っていた。その日、3人に渡すものがあったからだ。
 それは、1年間に俺が3人を撮った写真で作ったアルバムだった。ひとりひとり専用に、60枚ほどの写真をアルバムに入れ、コメントを添えて贈るつもりだったのだ。

 が、いつまで待っても3人は来なかった。
 むしろ、新聞発表で俺の異動を知った子どもたちが、日々ぞくぞくと訪れてくれていた。俺の異動先は、Sヶ浜町S見小学校。ここも、S台小学校とは違った意味で極めて面倒な学校だ。T田&O沢の嫌がらせであることはもはや疑いがない。
 話を戻す。
 3人はこれまで、俺との約束を破ることは一度もなかった。が、この日は俺のケータイにも何一つ連絡はなかった。いったい、何があったのか?俺は不安を感じたまま帰宅した。


 3月27日。
 朝、腰巾着S崎教頭が俺の自宅にやってきた。休暇中の職員宅に教頭がやってくるというのはただ事ではない。しかも教頭は「すぐに学校に来て下さい。」と繰り返すだけだ。俺は何度も理由を尋ねた。顔をしかめるばかりで口をつぐんでいたS崎だったが、しばらくしてようやく事情を明かした。
「3人の子と言えば、わかりますよね?飛鳥先生のことを訴えています。」

 思いもよらぬ言葉だった。一体なぜ、アイナたちが俺を訴えるというのだ?
 話が全く見えない。しかし、これは直接T田に確かめなくてはならない。俺は急ぎ、S台小学校へと向かった。
 校長室では、T田がいつものように、まるで汚物でも見るかのような目で俺を迎えた。
 T田が切り出す。
「話はわかっていますね?」
「いや、わかりません。」
「そうですか、話さなければわかりませんか。」
 人間を殺してやろうかと思う瞬間は時々あるが、こうまで自分を抑えるのに苦労することはさすがに滅多にないことだ。いつになく丁寧な口調のT田だったが、何か楽しげにさえ見える。当然だろう。この時T田は、免職にしたくて仕方ない俺を、追いつめるネタを手にしていたのだから。

 T田の話はこうだった。
 アイナ、ユナ、マリカは、一緒に通っているそろばん塾の主催で東京ディズニーランド旅行に参加した。
 3月23日の夜、3人はホテルの同室に宿泊したという。その晩に、俺の話題になったというのだ。そこで話されたことが、8月にアイナが俺の部屋で抱きしめられたという話や、マリカが視聴覚室で覆い被さられた話、ユナが俺を怖いと言っていたという話などだ。
 その後、25日になってマリカが、養護教諭のA藤さんにその件を相談した。電話での相談だったらしいが、驚いたA藤さんは、「アイナが抱きしめられた」という部分だけに激しく動揺したらしい。後にA藤さん本人がそう語っていたので間違いはなかろう。そしてA藤さんは、俺ではなくT田に直接報告してしまった。

 その時点で、もはや事の真偽などどうでもよくなってしまったのである。
 T田は手段を選ばず俺を追いつめることを至上の目的としている。最強のアイテムを手に入れたクソ野郎T田は、喜々としてフィールドに飛び出したことだろう。その後のT田の行動は常軌を逸している。
 事もあろうにT田は、A藤さんから報告を受けた直後、3人の自宅や親の職場に直行し、何一つ事情を知らぬ親たちに、「ウチの職員が大変なことをしました!申し訳ありません!」と、得意の土下座風詫びを入れて回ったのだ!
 俺に事情を確認することもなく、親たちに謝罪に走るとは一体どういう事か!?
 簡単な理由だ。T田は、この件を「飛鳥の落ち度」として少しでも大ごとにしたくてたまらなかったのだ!




 子どもや親がどうなろうと知ったことではない。ただ、俺を苦しめるネタが入ってきたことが嬉しくて仕方なかったのである。

 そもそも、その3人の話にも事実ではない部分が多々あった。マリカに覆い被さったなどという事実は断じて無い。ユナが俺を怖がっていたと言うが、少なくとも11月の流星群観測の時点で、俺の腕を枕に熟睡する子が、ずっと以前から俺を怖がっていたという話はあり得ない。そして、アイナの件についても、以前語ったように、アイナ自身がその日の事について俺に手紙を送っている。その手紙の内容は、映像で公開したとおりだ。


 3人の話が、T田の語ったとおりだとはとても思えない。いや、ありえない。


 また、3人を苦しめていたのは、断じて俺だけの責ではない。担任の異常な発言や指導、T田の俺に対する執拗な個人攻撃など、学校全体の歪みがアイナたち3人を苦しめていたことも紛れもない事実なのだ。




 T田にとっては、それら自分や学校についての不都合をもみ消すチャンスでもあった。

 俺一人に全ての罪を着せて処断してしまえば、他の不祥事は有耶無耶にできる。T田にとってこの事件は「渡りに船」であり、一石二鳥の出来事だったわけだ。


 俺が3人の少女に負担を与えていたことは認める。だが、3人は俺にクラスの事で毎日のように相談に来ていたのだ。さらに、3人はそれぞれに家族や担任のことでも悩んでいた。その相談にのっていたのも俺なのだ。しかも、それらの事実を証明する資料や映像が、今も俺の手元に大量に残っている。

 そもそも、この事件の数日前に、土星食観測に参加したマリカは終始笑顔だった。俺の肩をもみながら「1年間ありがとう !」と話すマリカの顔に、嘘は無かったはずだ。それがわずかの間に俺を忌み嫌い、敵に回るなど考えられない。その映像も、残っているのだ!

 しかし、T田の行動は、俺が全ての罪を認めたと3人の家族に誤解させるのに十分なものだった。
 親たちは血相を変えてそれぞれの子どもたちに問いかけたことだろう。3人はA藤さんに話したことを反復せざるを得なかったに違いない。また、ことさら話を大げさに伝えたT田のせいで、親たちも平常心を失っていたと思われる。そんな親たちに詰め寄られれば、小学生が「実はこういうことなの」などと説明できるはずがない。「親がT田から聞いた話」の通りになってしまうということだ。そこまで考えていたとしたら、本当にそういうことにだけは頭が回る男だT田。反吐が出る。

 さらに、3人はなぜ親ではなくA藤さんに相談したのか。
 答えは簡単だ。3人は、親に知られたくはなかったのだ。だから、A藤さんに電話でこっそり伝えたのである。


 詳しく話を確認してみると、3人の主な訴えは、セクハラ行為に対するものではなく、俺が今後も3人に関わりを求めるのではないかと心配だったらしい。3人の一番の望みは、小学校でのごたごたをきれいに清算し、中学校に進学したいということだったのだ。
 A藤さんとT田の無思慮な行動は、無意味に事を大きくしただけだった。もちろんそれは偶発的なものではない。T田によって意図的に操作された、いわば「作られた不祥事」である。

 俺は自らの記憶にある真実を話した。しかし、そんなものはT田にとってはまったく無意味なものだ。
 ヤツはからくり人形のようなツラのまま話し続けた。




「明日の夜、ここで謝罪の場を設けましたから。」

 おいおい、警察だって被害者からの訴えを100%鵜呑みにはしねーぞ。(いや、したか)「設けました」って、完了形かい!?本人から話を聞く前に謝罪の場って……いったいこいつの脳みそは何で出来ているのだ?

 だが……今思えばこの時の俺もなんと甘かったのだろう。この時の甘さが、この数年後警察に逮捕され、虚偽の供述書を見せられる瞬間まで俺を貶め続けるのだ。本当に、真摯であったり反省することなど、人間にとってもっとも不要な事であると早く気づくべきだった!
 俺が3人を苦しめたのも事実。ならば、俺がここでT田や親どもと争うより、3人の一番の願いを聞き入れ、おとなしくすれば、安心して中学校生活をスタートさせてやれるではないか。野獣となっていた俺に回復魔法をかけ続けてくれた3人への、せめてもの恩返しにもなる。
 俺は、そんなことを考えてしまったのだ。

 バカだった。

 俺は、T田の言う謝罪の場に出席することを了承し、一刻も早く3人を安心させる道を選んだ。

 それが、誤りだったのだ。

 3月28日夜。
 T田の怨念が染みついたおぞましい校長室に、俺とT田、マリカの両親とアイナの母の5人がいた。
 T田がどんな話をしたかなど一つも覚えていない。ただ、相変わらず点数稼ぎのうまいクソ野郎だと胸くそ悪くなったことだけははっきり覚えている。
 俺は、もう面倒くさいという気もあったのだろう。「申し訳ありませんでした。」と一言、深々と頭を下げた。3人からは、俺の行為を責める言葉もあったが、それ以上にこの1年間のS台小学校の異常さに対する不満が噴出した。当然だ。あの3人が苦しい胸の内を吐露したのなら、俺だけを責めるなどあり得ない。この時のT田の歪んだ顔は、演技ではなく本心からだったことだろう。

 アイナの母が言った。
「飛鳥先生は、新しい学校で、新しい気持ちで頑張って下さい。アイナたちのことは何もかも忘れて、本来の先生に戻って、受け持つ子どもたちのために全力を尽くして下さい。」

 本来の、俺?アイナの母は、俺が異常な状態にあったことをわかっていたのだろう。
 俺は、アイナの姉が6年生のときに担任している。以前登場した、若本マイのことだ。あの時、俺は心身共に充実していた。アイナの母の方が、T田の如きゴミより、よほど「本来の俺」を理解してくれている。
 余談だが、アイナの姉、マイは、このつい10日ほど前に、公立高校合格を俺のところに報告に来てくれている。

 マリカの父が続いて語った。
「本来なら、先生を辞めるということも考えなくてはならないのかもしれませんが、私たちはそこまでのことは全く考えていないんです。ただ先生には、転任先で同じ過ちを犯さず、娘たちが大好きだった先生の良さだけを出して頑張ってほしいんです。わかって頂けますか?」
 マリカの母が言葉を添える。
「マリカたちは、1年間、大人たちの混乱に巻き込まれて苦しんだんです。だから、今あの子たちが望んでいるのは静かに安心して中学校に通うことなんです。飛鳥先生も、校長先生も、わかって下さい。」

 俺も、同じ思いだ。3人を早く安心させたいが故に、俺はここにいるのだ。ただ、T田だけは、そんな親たちの言葉など聞こえていないかのように、口元が不気味に笑っている。こいつだけは、子どもの心など屁とも思っていないのだ。
 「謝罪」の席は一時間ほどで終わった。3人の親が俺に怒りをぶつける場面は一瞬たりともなかった。俺への処分を求める言葉も、微塵もなかった。
 俺の思い
 アイナたちの思い
 親たちの思い

 この三者の心は、願いは、一つだった。


 しかし、「T田校長」だけは、こいつだけは……3人の少女たちの願いなど毛ほども理解していなかった。
 この謝罪の席で、ただ一人思いを異にする男。腹にどす黒い陰謀を抱き、噂好きのババアどもと町教委に必死でしっぽを振るだけが生き甲斐である人外のクズ、T田。

 3人の親が校舎を出た直後、T田が口にしたことを、俺は一生忘れない。
「マリカさんの父親は、あんたは教師を辞めるべきだと言ったよね?」
「は?『辞めろとは言わない。新しい学校で頑張ってほしい』と言ったんですが。」
「いや、あれは辞めろということだよ……。」

 一人言のようにぶつぶつと呟くT田の目は、何かに取り憑かれたように異様に輝いていた。

 我は思う。

 この時殴り殺しておけば良かった。

 そうすれば、アイナも、ユナも、マリカも、そして……後に登場する石原マチやキョウコたちも!無用な苦しみを味わわずにすんだのだ!!

 T田を人間だと思った俺が愚かだった。いや、人間とはここまで薄汚くなれる生き物なのかもしれない。T田の中には、俺への怨念しかなかった。それ故、このあとこいつは、正気の沙汰とは思えない行動に出る。なお、この時T田が、俺を免職にしようとしていたことは、M県議会で証明される。もちろん、それについても俺には独自の情報が入っている。

 全て公開する。


2-24 S台小学校離任式~子どもたちとの別れの日、そして、運命の出会いへ 前編

  

Posted by 飛鳥エイジ at 13:10Comments(0)

2007年10月04日

グランディ21の駐車場

って、まだ砂利の所が多いんでしょうかね?しばらく行ってないので。
ちょうどこの辺で、アイツと二人よく東の方を眺めたりしました。
逮捕直前に、教え子と双子座流星群観たのもここ。地図はこちら

懐かしすぎる。

平成16年5月31日。あの約束を交わしたのもグランディだったな。忘れはしないぜ、テル。

それと……
供述調書で、なんか脅されて無理矢理聞き出されたみたいなこと語ってましたが

最近じゃ、相手が笑いながらべらべらしゃべってくれても、「脅かして聞き出した」ことになるんですかね?

死ぬまで、忘れないよ。
  

Posted by 飛鳥エイジ at 04:09Comments(0)