2007年10月11日
祭りか!?
これは、なんと幼少の頃のマチです!本館では、マチが受験を終えたところですが、受験前に飛鳥にくれた手紙に、3枚の写真を同封してくれたのです。
家族でもなければ入手不可能なモノが飛鳥の元にある事実
ストーカーされて苦しんでいる受験生が、そのストーカーに手紙や自分の写真を贈る?
有り得ないね
それは、M県教育委員会が言う「飛鳥の、マチに対するストーカー行為」など、微塵も存在しなかったということだ!
M県教育委員会のでっち上げの根拠とされた一通の手紙
その全文と、マチの反応を、明日公開予定です。
飛鳥の語り
ここまで来てしまいました
マチから贈られた写真を
それに先立って公開します
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08:13
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2007年10月10日
今日は仙台行き
午後、棚卸しを済ませて仙台に向かいます。月に一度の全店長会議が明日ですので。
さて、また仙台ですか……。ま、ふるさとだから勝手もわかってるし、楽ではあるんですがね……。
本館のお知らせなんですが、金曜日に、とある「手紙」を公開します。数々の証拠と矛盾しながら、全て「あったこと」とされたとてつもない誤解文。
いよいよ、M県教育委員会の悪意が形となって現れてきます。その手紙を皮切りに、もう怒濤のようにでっち上げの波が押し寄せます。
一人でも多くの方に、このあり得ない、そして信じられない事実を知ってほしい。
金曜日、核心、語り開始。
さて、また仙台ですか……。ま、ふるさとだから勝手もわかってるし、楽ではあるんですがね……。
本館のお知らせなんですが、金曜日に、とある「手紙」を公開します。数々の証拠と矛盾しながら、全て「あったこと」とされたとてつもない誤解文。
いよいよ、M県教育委員会の悪意が形となって現れてきます。その手紙を皮切りに、もう怒濤のようにでっち上げの波が押し寄せます。
一人でも多くの方に、このあり得ない、そして信じられない事実を知ってほしい。
金曜日、核心、語り開始。
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11:00
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2007年10月10日
気になる「10週連続掲載!」
いや、先週「HUNTER×HUNTER」が再開したわけですが、タイトル上に「10週連続掲載!」とか書いてるわけですよ。じゃ、その後は!!????
ったくもう、富樫さん…………。
紋露戦苦(モンローウォーク)、すげえ気になるんですけど。それ出す前にまた休載なんてダメですぜ。
さてさて
仙台での会議は月1回。今日はどこに立ち寄ろうか?
初めてマチと二人きりで食事したのはココなんですが。
地図はこちら
パスタ、食べようかね……。
じゃ、行ってきます☆
ったくもう、富樫さん…………。
紋露戦苦(モンローウォーク)、すげえ気になるんですけど。それ出す前にまた休載なんてダメですぜ。
さてさて
仙台での会議は月1回。今日はどこに立ち寄ろうか?
初めてマチと二人きりで食事したのはココなんですが。
パスタ、食べようかね……。
じゃ、行ってきます☆
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05:16
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2007年10月09日
本編 2-27 ちょっとだけS小学校
平成14年4月8日。
俺は、M県Sヶ浜町S小学校体育館にいた。
予想はしていたが、ひどいものだった。始業式からこっち、ガキどものざわめきは一寸もおさまる時がない。驚くべきことに、それを制御できる教師も一人もいないのだ。更に驚いたのは、そのやかましさが担任紹介に入っても、一向変わらないということだった。既に書き記しているS台小学校の担任紹介を思い出してほしい。
S小学校がこれほど無秩序なのには理由がある。古くからの地元住民と、新興住宅地のセレブぶった金持ちとの間に溝があり、学校運営にまで影響が出ていたことがまず一つ。そしてなによりも、数年前までこの学校に勤務していた「T田」というど阿呆教師の存在がある。あの腐れ校長と同じイニシャル名になるが、別人だ。このT田は、何かにつけて町の教育委員会や校長会に噛み付いて、旅費を返還しろだの、情報を開示しろだのとうるさい男なのだ。まあ、それくらいは別にかまわないのだが、この男、授業をそっちのけで裁判や請求の書類を作成していたのだ。しかも、肝心の指導力がゼロの無能教師で、算数などは一切教科書を開かず、子どもたちが自主学習するのに任せていたというのだ。
こんな男が学校内で発言権を持っていたのだから、始末に負えない。アホのくせに口だけは良く回るから、他の教師たちもトラブルを避けて好きかってさせていたという。そもそも学校の先生なんて連中は、ケンカ一つまともにやったこともないおぼっちゃま&おじょうちゃまが多いので、T田のようなバカに対処出来なかったわけだ。
俺がいれば無問題だったのにな。
ちなみにこのT田、その後不適格教師として研修に送られたが、なんだかんだでクビにもならず、今も税金から高給をむしりとっているようだ。こんなアホがのうのうと教師やって、俺はなんだろうね?
T田という名を、あのクソ校長とは別に覚えておいてほしい。後に再び、本編に登場する。
さて、話を戻そう。
もはや、これは私語がどうこういうレベルではない。この学校にはまったく秩序は存在しない。担任名が校長から告げられても、ぎゃあぎゃあという悲鳴とも罵声ともつかぬ声が上がるばかりで、拍手一つない。
俺は、嬉しくて嬉しくてしかたなかった。こんなどうしようもないガキどもと、これから一緒にやっていけるのが楽しくてたまらんのだ。
「さあて、どう料理してやろうかな。」
おれは、こっそりとほくそ笑んだ。
俺が担任する4年生に、担任が発表されていく。大半は聞いてもいない。ガヤガヤとおしゃべりだ。もうワクワクものだ、これは。何人かの児童は、俺の不気味な笑みに気づいていたようだ。
さて、体育館でのおしゃべり集会も終わり、俺は野獣どもを引き連れて教室へ入った。
まずは席に着かせ、起立、礼、着席。当然、子供らには集中力のカケラもない。がやがやと相変わらずおしゃべりモード続行。
で、俺はというとだ。
黒板にもたれかかり、腕を組んで黙ったまま教室内を見つめていた。
1分…………2分…………
子どもたちは、ようやく教室の異様な空気に気づきはじめる。さっき名前を聞かされたばかりの新担任は、自分たちに何一つ注意もせず、ただ見つめているだけだ。よく見ると、笑っているようにさえ見える。
やがて、俺が何も語らずとも、35人の獣たちは人の心を思い出し、静かに俺に注目する。
「なんだ、思ったより早かったな。」
意外な一言に、子どもたちはびくっと肩を振るわせた。
「やればできるんじゃないか。明日からは俺が教室に入ってきたら一瞬で今のようになれ。いいな。あ、それとな、みんなさっきのままべらべらしゃべり続けていたら、夜まで帰れなかったぜ。よかったなあ。そんじゃあらためて自己紹介ね。これから多分1年間一緒にやっていくことになる飛鳥だ。みんな、よろしくね。」
俺は、怖い。だが忘れないでほしいのは、俺がただ怖いだけの恐怖教師ではないということだ。S台小学校で俺がどんな風に送られたかを見れば、それは自ずと理解されるはずだ。
さて、この野獣クラスが、どのようにして数日後には完全に授業が成立するようになったのか、どのようにしてわずか一ヶ月後の授業参観で、保護者が目を疑うようなクラスに生まれ変わったのか。それは各々方の想像に任せることにしよう。今となっては、話しても虚しいだけなので。
ただ、結果だけを記す。
授業参観の後、家庭訪問した家の感想は100%、授業を賞賛するものであった。
「3年生のころは、ノートをとる子なんてほとんどいなかったんですよ。後ろを振り向いて笑う子ばかりで。今年は一人も後ろ向いてる子、いませんでしたね。」
「手を挙げてきちんと答える子どもたちを久しぶりに見ました。算数なんて見向きもしない子どもたちだったのに。」
早くも、「来年もお願いしますね。」なんて親もいた。こんなことを口にしていた親たちが、まもなく一斉に掌返して俺からそっぽ向いていく。おっと、話がそれたな。
俺は別に魔法使いじゃない。子どもなど、きちんと教えればきちんと育つのだ。俺は、2年あればこのS小学校をまともな学校にする自信があった。俺ならば造作もないことだ。他の教師が全面協力してくれれば、1年でも可能だろう。
4月末のある日だった。
6年生を担任する若い男性教師が二人、俺のところにやってきた。
この二人は見所のある若者だ。当時S小学校は、6年生と4年生が特に乱れていた。彼らは前年、その6年担任を自ら申し出て、この腐臭漂うS小学校を立ち直らせたいと考えていたのだ。今時の教師には珍しい、気概ある男たちである。
「飛鳥先生、ちょっとお話があるんですが。」
「あ、いいですよ。なんですか。」
「先日の朝会の様子、見ましたよ。あの4年生の変わりよう。一体先生はどんな魔法を使ったんですか?あんな姿勢で校長の話を聞く子どもたちを、クラスを、このS小学校では見たことがありません。よかったら、いろいろ教えて頂けませんか?」
二人は、自分なりに全力で6年生にぶつかっているという。だが、なかなかに成果は上がらない。わずか2週間ほどで目を疑うような変貌を遂げた4年生の姿に、俺の指導がどんなものだったのか知りたくなり、二人で俺のところにやってきたというのだ。
放課後の暗い廊下の一角での立ち話。俺はちょっと一思案したようにして、こう話した。
「教師にはね、それぞれのやり方ってもんがありますよね。確かに俺が使ったのは魔法でも何でもない、指導です。でもね、それは多分、俺にしかできない「技」だと思うんですよ。だから、今は二人とも、自分だけの「技」で子どもたちにぶつかっていけばいいんじゃないですか?あなた方が本気なら、必ず子どもたちは変わります。ええと、そうですね。一つだけアドバイスさせてもらいます。子どもなんて、ちゃんと叱って、ちゃんと褒めればついてきます。どちらも手加減せず、徹底的にやるんですよ。それだけです。それにしても、S小学校にもあなた達のような教師がいると知って安心しました。これから、よろしくお願いします。
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。」
素直な二人だ。こんな教師ばかりなら、俺もこんなに苦労しなくて済むものを……。
次の日から二人は、自信にあふれた顔で職務にあたっていた。
このやり取りが、「教師飛鳥」の最後の思い出になった。
そして、破滅的な転落の時は、何の前触れもなくやってきた。
第2章 完
第3章 死の淵で
3-1 停職 6ヶ月 に続く
俺は、M県Sヶ浜町S小学校体育館にいた。
予想はしていたが、ひどいものだった。始業式からこっち、ガキどものざわめきは一寸もおさまる時がない。驚くべきことに、それを制御できる教師も一人もいないのだ。更に驚いたのは、そのやかましさが担任紹介に入っても、一向変わらないということだった。既に書き記しているS台小学校の担任紹介を思い出してほしい。
S小学校がこれほど無秩序なのには理由がある。古くからの地元住民と、新興住宅地のセレブぶった金持ちとの間に溝があり、学校運営にまで影響が出ていたことがまず一つ。そしてなによりも、数年前までこの学校に勤務していた「T田」というど阿呆教師の存在がある。あの腐れ校長と同じイニシャル名になるが、別人だ。このT田は、何かにつけて町の教育委員会や校長会に噛み付いて、旅費を返還しろだの、情報を開示しろだのとうるさい男なのだ。まあ、それくらいは別にかまわないのだが、この男、授業をそっちのけで裁判や請求の書類を作成していたのだ。しかも、肝心の指導力がゼロの無能教師で、算数などは一切教科書を開かず、子どもたちが自主学習するのに任せていたというのだ。
こんな男が学校内で発言権を持っていたのだから、始末に負えない。アホのくせに口だけは良く回るから、他の教師たちもトラブルを避けて好きかってさせていたという。そもそも学校の先生なんて連中は、ケンカ一つまともにやったこともないおぼっちゃま&おじょうちゃまが多いので、T田のようなバカに対処出来なかったわけだ。
俺がいれば無問題だったのにな。
ちなみにこのT田、その後不適格教師として研修に送られたが、なんだかんだでクビにもならず、今も税金から高給をむしりとっているようだ。こんなアホがのうのうと教師やって、俺はなんだろうね?
T田という名を、あのクソ校長とは別に覚えておいてほしい。後に再び、本編に登場する。
さて、話を戻そう。
もはや、これは私語がどうこういうレベルではない。この学校にはまったく秩序は存在しない。担任名が校長から告げられても、ぎゃあぎゃあという悲鳴とも罵声ともつかぬ声が上がるばかりで、拍手一つない。
俺は、嬉しくて嬉しくてしかたなかった。こんなどうしようもないガキどもと、これから一緒にやっていけるのが楽しくてたまらんのだ。
「さあて、どう料理してやろうかな。」
おれは、こっそりとほくそ笑んだ。
俺が担任する4年生に、担任が発表されていく。大半は聞いてもいない。ガヤガヤとおしゃべりだ。もうワクワクものだ、これは。何人かの児童は、俺の不気味な笑みに気づいていたようだ。
さて、体育館でのおしゃべり集会も終わり、俺は野獣どもを引き連れて教室へ入った。
まずは席に着かせ、起立、礼、着席。当然、子供らには集中力のカケラもない。がやがやと相変わらずおしゃべりモード続行。
で、俺はというとだ。
黒板にもたれかかり、腕を組んで黙ったまま教室内を見つめていた。
1分…………2分…………
子どもたちは、ようやく教室の異様な空気に気づきはじめる。さっき名前を聞かされたばかりの新担任は、自分たちに何一つ注意もせず、ただ見つめているだけだ。よく見ると、笑っているようにさえ見える。
やがて、俺が何も語らずとも、35人の獣たちは人の心を思い出し、静かに俺に注目する。
「なんだ、思ったより早かったな。」
意外な一言に、子どもたちはびくっと肩を振るわせた。
「やればできるんじゃないか。明日からは俺が教室に入ってきたら一瞬で今のようになれ。いいな。あ、それとな、みんなさっきのままべらべらしゃべり続けていたら、夜まで帰れなかったぜ。よかったなあ。そんじゃあらためて自己紹介ね。これから多分1年間一緒にやっていくことになる飛鳥だ。みんな、よろしくね。」
俺は、怖い。だが忘れないでほしいのは、俺がただ怖いだけの恐怖教師ではないということだ。S台小学校で俺がどんな風に送られたかを見れば、それは自ずと理解されるはずだ。
さて、この野獣クラスが、どのようにして数日後には完全に授業が成立するようになったのか、どのようにしてわずか一ヶ月後の授業参観で、保護者が目を疑うようなクラスに生まれ変わったのか。それは各々方の想像に任せることにしよう。今となっては、話しても虚しいだけなので。
ただ、結果だけを記す。
授業参観の後、家庭訪問した家の感想は100%、授業を賞賛するものであった。
「3年生のころは、ノートをとる子なんてほとんどいなかったんですよ。後ろを振り向いて笑う子ばかりで。今年は一人も後ろ向いてる子、いませんでしたね。」
「手を挙げてきちんと答える子どもたちを久しぶりに見ました。算数なんて見向きもしない子どもたちだったのに。」
早くも、「来年もお願いしますね。」なんて親もいた。こんなことを口にしていた親たちが、まもなく一斉に掌返して俺からそっぽ向いていく。おっと、話がそれたな。
俺は別に魔法使いじゃない。子どもなど、きちんと教えればきちんと育つのだ。俺は、2年あればこのS小学校をまともな学校にする自信があった。俺ならば造作もないことだ。他の教師が全面協力してくれれば、1年でも可能だろう。
4月末のある日だった。
6年生を担任する若い男性教師が二人、俺のところにやってきた。
この二人は見所のある若者だ。当時S小学校は、6年生と4年生が特に乱れていた。彼らは前年、その6年担任を自ら申し出て、この腐臭漂うS小学校を立ち直らせたいと考えていたのだ。今時の教師には珍しい、気概ある男たちである。
「飛鳥先生、ちょっとお話があるんですが。」
「あ、いいですよ。なんですか。」
「先日の朝会の様子、見ましたよ。あの4年生の変わりよう。一体先生はどんな魔法を使ったんですか?あんな姿勢で校長の話を聞く子どもたちを、クラスを、このS小学校では見たことがありません。よかったら、いろいろ教えて頂けませんか?」
二人は、自分なりに全力で6年生にぶつかっているという。だが、なかなかに成果は上がらない。わずか2週間ほどで目を疑うような変貌を遂げた4年生の姿に、俺の指導がどんなものだったのか知りたくなり、二人で俺のところにやってきたというのだ。
放課後の暗い廊下の一角での立ち話。俺はちょっと一思案したようにして、こう話した。
「教師にはね、それぞれのやり方ってもんがありますよね。確かに俺が使ったのは魔法でも何でもない、指導です。でもね、それは多分、俺にしかできない「技」だと思うんですよ。だから、今は二人とも、自分だけの「技」で子どもたちにぶつかっていけばいいんじゃないですか?あなた方が本気なら、必ず子どもたちは変わります。ええと、そうですね。一つだけアドバイスさせてもらいます。子どもなんて、ちゃんと叱って、ちゃんと褒めればついてきます。どちらも手加減せず、徹底的にやるんですよ。それだけです。それにしても、S小学校にもあなた達のような教師がいると知って安心しました。これから、よろしくお願いします。
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。」
素直な二人だ。こんな教師ばかりなら、俺もこんなに苦労しなくて済むものを……。
次の日から二人は、自信にあふれた顔で職務にあたっていた。
このやり取りが、「教師飛鳥」の最後の思い出になった。
そして、破滅的な転落の時は、何の前触れもなくやってきた。
第2章 完
第3章 死の淵で
3-1 停職 6ヶ月 に続く
2007年10月09日
ありがとう・本日二度目☆
三連休に抜けまくった店長から、パートさん方に感謝!です。
大して役に立たないとはいえ、一応店長ですからね。それがいないと店は何かと大変なわけです。そんな中、嫌な顔一つ見せずに休ませて下さって、ホントにありがたいです。
おみやげは、栃木限定のイチゴ菓子。一箱ずつ持って帰っていただきます。
さて、今の時点で既に4時間労働済み。がんばるか!
大して役に立たないとはいえ、一応店長ですからね。それがいないと店は何かと大変なわけです。そんな中、嫌な顔一つ見せずに休ませて下さって、ホントにありがたいです。
おみやげは、栃木限定のイチゴ菓子。一箱ずつ持って帰っていただきます。
さて、今の時点で既に4時間労働済み。がんばるか!
Posted by 飛鳥エイジ at
10:12
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