2007年10月20日
この感謝の気持ちを、どのように伝えればよいでしょう?
とにかく、まずは
ありがとうございます!
と。
昨日、懲戒免職の一日を描きましたが、あまりに過激でバイオレンスな行動に、「そんことだからクビになるんだよ」という声があるかとおもったのですが。(本気で)
本館、別館、メール、ミクシイと様々なところで、沢山の励ましをいただき、読者の皆様には本当に感謝の言葉もないほどです。
今日明日と仕事が殺人的な状況になりますので、本編すら上げられるか微妙なところですが、必ず返信しますのでお待ち下さい。
特に、先週のコメに返答しないままでしたむらなかさま、必ずお返事致します。大変失礼致しました。
では、行ってきます。
2007年10月19日
本編3-3 北公園~集うは我が教え子たち 前編
新聞に「誇張された記事」が掲載されたその日から、俺はS台小学校の教え子たちと連絡を取った。
S台小学校を離れて2ヶ月足らず。この間に俺は、20人ほどのかつての教え子たちからメールや手紙をもらっていた。もちろん、俺が連絡を入れたものではない。以前から俺のアドレスを知っていた数人が、高校入学を機にケータイを手に入れた友人に広めてくれていたものだ。
突如知らないアドレスで、「##です!久しぶりです!」などと届くメールは、教師として実に嬉しいものだった。
そのアドレスに、俺は今回の件の「真実」を伝えた。
反応は素早かった。その日のうちに大半……いや、全員から返信があった。
「新聞記事は読みました。あんなもの信じません。事情を詳しく知りたいです。」
その全てが、こういった内容だった。ありがたいものだ。
俺を知らない人間は、腐れブン屋の偽造記事を鵜呑みするのも無理はない。だが、学校という場で、俺を傍らで見続けた子どもたちは、記事より俺を信じると言ってくれるのだ。
「ありがとう、みんな。今回の記事は全てが嘘というわけではない。俺がある女の子を抱きしめたというのは本当なんだ。それを認めた上で、俺とその子たちの間に何があったのかを直接聞いてほしい。次の日曜日、S台北公園に集合してくれ。来れるメンバーだけでかまわない。俺は、朝8時から現地にいる。じゃあな。」
俺は、メールでこう呼びかけた。
これが「念書」に反する行為だということは理解していた。しかし、T田の策謀のために無理矢理作り出された念書に何の意味があるか?
T田は、「この念書があんたを守る。」とオウムのように繰り返した。さらに、「あの3人に安心してもらうためにも、ことを荒立てず、謝罪しましょう。」などともほざきやがった。
その結果がこれか?
新聞記事よりも、T田の言葉の方が嘘まみれなのはいうまでもない。いや、まみれというか、奴の存在そのものがフェイクのようなものだ。一刻も早くもとの世界に帰ってくれT田。
こんな念書に意味はない。署名時に交わされた約定も無視されているのだ。これ以上T田の好きにされてたまるものか!
メールの他に、俺は数通の手紙もしたためた。ある中学生の二人に宛てた手紙に、俺は「石原マチ」への伝言を頼んだ。俺のケータイアドレスを記し、北公園集合の件を伝えてほしいと頼んだのだ。
できれば、マチにも伝わってほしいと思ったのだ。
その日の夜、あの、庵野キョウコからメールが届いた。
「こんばんは!日曜日は行きたいんですけど、用事があってダメなんです。それで、土曜の午後なら大丈夫なんですけど、会えますか?」
即刻、俺はOKのメールを返した。
キョウコと、その友人の佐川ミヒロが、土曜に会ってくれることになった。キョウコとミヒロは小学校時代からの友人で、ミヒロもまた、ずいぶん俺のところに遊びに来てくれていた子だ。
ミヒロは担任していたわけではないが、なぜか俺になついてくれていた。心当たりといっても思い当たるものははっきりしないが、もしかしたら、小学5年生の頃クラスでいじめられていたことの相談にのっていたことかもしれない。そもそも、俺はいじめやら学級崩壊やら、そんな問題は、まあ世界からはなくなりはしないだろうが、俺のクラス学年には存在させない主義だった。少なくとも俺の網にかかったいじめなど、片っ端から潰して回った。
そんな繋がりの子が、今回も俺に返信を寄せてくれていた。
この頃俺は、殆どメシが食えなくなっていた。それどころか、水さえ飲めない日もあったのだ。まあ、少々は悲観や絶望もあったのだろうが、殆どはT田への怒りが原因であった。もちろん、殺意にまで膨らんでいた。
しかし、自分でも意外なほど俺は自身を制御出来ていた。当時はまだ妻子持ちであったし、両親も健在。親族たちも順調に生活していたわけで、一族から「殺人犯」を出すわけにはいかない。T田を殺すなど、昼下がりのコーヒーブレイクのようにゆったりと、微塵も心乱さず一瞬で終わらせることができる。それを堪えるのは難儀だったが、まだ免職になったわけではない。復帰の可能性を信じることで、辛うじて俺は殺人者にならずにいることが出来た。
だが、T田を殺すこと以上に、俺は自身の死を強く意識するようになっていた。
平成14年5月25日土曜日。
R町のファミレス「ミルキーウェイ」で、キョウコ、ミヒロの二人と会った。二人ともこの春から高校生になっていた。キョウコはS台I学園高校のある女子コースに進学していた。小さな体に小さな顔、大きな瞳、長い黒髪と、本当にこの子はまるで日本人形のようだ。
ミヒロは県立のS女子高校に進学していた。小学校時代はキョウコと全く同じ背丈だったのが、最近どんどん大きくなってきて、二人並ぶとミヒロはお姉さんのようだ。もっとも、それがキョウコは気に入らないらしいが。
いきなりだが、T田の話が始まってしまった。中学生の間でも、奴は悪名高い校長だったという。なんでも、小中学校の合同会合では、S台中の生徒をこき下ろしていたというのだ。さらに、中学生がS台小学校を訪れることにもいちいち渋い顔をするということでも有名だったのは、前述したとおりだ。
ミヒロ曰く。
「飛鳥先生が説明するまでもなく、T田って校長はダメ人間決定ですよ。」
本当に、俺はくどくど説明する必要などなかった。そうだった。俺を見続けていてくれた子たちは、俺のなんたるかを知っている。そんな子たちに、今さら「俺を信じてほしい」なんて言葉は無意味だった。
話を続ける中、ミヒロが泣き出した。「そんなひどい話ないですよ……。」と。
この後、キョウコとミヒロの二人は、何かにつけて俺を支えてくれる存在になる。
俺は二人をS台の自宅まで送った。ミヒロを自宅前に降ろし、キョウコと二人きりになったとき、彼女がもう少し話したいと言ってくれたので、彼女の自宅近くに車を停めた。
運命といっては大げさかもしれないが、キョウコの進学したI学園は、俺の自宅のすぐそばだった。徒歩でも来ることが出来る。
高校生活に入って2ヶ月。キョウコは早くもいろいろ悩んでいるようだ。彼女はまじめながんばり屋だ。自分の歩むべき道を真剣に模索し始めているところなのだろう。
時計をみると、もう9時をまわっていた。
「キョウコ、時間は大丈夫なのか?」
「え?平気ですよ。10時まではヨユーでしょ。高校生なんですから、あんまり心配しないで下さいよ。」
体が小さく、見た目も華奢なキョウコは、一見上品なお嬢様風なのだが、実際はいろんな意味でタフな少女だった。そんな彼女と高校生活について話していると、突然俺の胸のケータイが鳴った。メール着信だ。
「石原マチです、こんばんは!話は二人から聞きました。明日は必ず行きます!」
このタイミングでマチからのメールだ。再び、キョウコとマチはニアミスした。
キョウコと話しているこの場所から、メールをくれたマチの家までわずか200メートル。俺は、直接彼女に会いに行きたい気持ちを抑えて、お礼のメールを返信した。
「誰から?」
キョウコが俺の顔をのぞき込むようにして尋ねる。
「ん?ああ、中学3年生のマチって子だ。ほら、離任式の時キョウコの前に俺が話してた女の子いただろ?あの子だよ。」
「ああ!あの時の!北公園、来てくれるって?」
「ん、そうみたいだ。ありがたいな、ホント。」
その時のキョウコの一言を、俺は忘れない。
「あのさ、飛鳥先生には信じてくれる子がいっぱいついてるんだから、自信もってがんばらなきゃダメだよ。明日集まってくれるみんなも、あたしと同じ考えだと思うんだ。だから、負けないでね。」
嬉しかった。
俺が励ましてもらえたこと以上に、あの弱々しかったキョウコが、こんなにも強く成長していることが、だ。そして、こんな子が教え子の中にたくさんいる俺は、教師としても間違いなく幸せ者だ。
眠れない夜、俺はマチとキョウコのことを考えていた。
離任式と、今夜。
ニアミスを繰り返すこの二人は、これから俺とどう関わっていくのだろう?二人が出会う日は来るのだろうか?そして、俺の運命はいったいどんな展開を見せるのか……?
何一つ答えが見つからないまま、時だけが流れていく。「答え」にたどり着くまでに、一体どれほどの時間が流れるのだろう。
土曜の夜。いつものように息子を連れて実家に帰っている妻は、ここにはいない。妻はもう既に俺の家族ではなかったのかもしれない。離婚という言葉をはっきり出されてから、もう3年になっていた。
本編3-4 北公園~集うは我が教え子たち 後編
さて、本館では今夜、石原家両親が飛鳥宅にやってくるエピソードを語りますが、それに同行してきた人物というのが、なんとマチの通うM県M郡R町立し%%%台中学校校長、H川です。よく事情も確認せず、中学校の校長が言いがかりに荷担するという構図。R町、M県教委ともになりふりかまわぬでっち上げ工作ぶりです。
で、いよいよ明日、処分の日について語ります。
それと、先の記事で語ったアクセス異常ですが、残念ながら全く情報ありませんね。まあなんら実害はないのだから放置しろということなのでしょうが、気持ち悪くありませんか?こちらとしては正体も分からないわけで。
それと……突然ですがニコルの写真を一枚
なぜ、今?
それは、ある男性に感謝の意味も込め、かつ、「彼女」にみせてやろうということで……
ちと、悲しいですよ、俺は。そういう行為も、俺に対する裏切りだろうが……。
いつか、全部語れればいいのですが。
2007年10月18日
本編3-3 北公園~集うは我が教え子たち 前編
新聞に「誇張された記事」が掲載されたその日から、俺はS台小学校の教え子たちと連絡を取った。
S台小学校を離れて2ヶ月足らず。この間に俺は、20人ほどのかつての教え子たちからメールや手紙をもらっていた。もちろん、俺が連絡を入れたものではない。以前から俺のアドレスを知っていた数人が、高校入学を機にケータイを手に入れた友人に広めてくれていたものだ。
突如知らないアドレスで、「##です!久しぶりです!」などと届くメールは、教師として実に嬉しいものだった。
そのアドレスに、俺は今回の件の「真実」を伝えた。
反応は素早かった。その日のうちに大半……いや、全員から返信があった。
「新聞記事は読みました。あんなもの信じません。事情を詳しく知りたいです。」
その全てが、こういった内容だった。ありがたいものだ。
俺を知らない人間は、腐れブン屋の偽造記事を鵜呑みするのも無理はない。だが、学校という場で、俺を傍らで見続けた子どもたちは、記事より俺を信じると言ってくれるのだ。
「ありがとう、みんな。今回の記事は全てが嘘というわけではない。俺がある女の子を抱きしめたというのは本当なんだ。それを認めた上で、俺とその子たちの間に何があったのかを直接聞いてほしい。次の日曜日、S台北公園に集合してくれ。来れるメンバーだけでかまわない。俺は、朝8時から現地にいる。じゃあな。」
俺は、メールでこう呼びかけた。
これが「念書」に反する行為だということは理解していた。しかし、T田の策謀のために無理矢理作り出された念書に何の意味があるか?
T田は、「この念書があんたを守る。」とオウムのように繰り返した。さらに、「あの3人に安心してもらうためにも、ことを荒立てず、謝罪しましょう。」などともほざきやがった。
その結果がこれか?
新聞記事よりも、T田の言葉の方が嘘まみれなのはいうまでもない。いや、まみれというか、奴の存在そのものがフェイクのようなものだ。一刻も早くもとの世界に帰ってくれT田。
こんな念書に意味はない。署名時に交わされた約定も無視されているのだ。これ以上T田の好きにされてたまるものか!
メールの他に、俺は数通の手紙もしたためた。ある中学生の二人に宛てた手紙に、俺は「石原マチ」への伝言を頼んだ。俺のケータイアドレスを記し、北公園集合の件を伝えてほしいと頼んだのだ。
できれば、マチにも伝わってほしいと思ったのだ。
その日の夜、あの、庵野キョウコからメールが届いた。
「こんばんは!日曜日は行きたいんですけど、用事があってダメなんです。それで、土曜の午後なら大丈夫なんですけど、会えますか?」
即刻、俺はOKのメールを返した。
キョウコと、その友人の佐川ミヒロが、土曜に会ってくれることになった。キョウコとミヒロは小学校時代からの友人で、ミヒロもまた、ずいぶん俺のところに遊びに来てくれていた子だ。
ミヒロは担任していたわけではないが、なぜか俺になついてくれていた。心当たりといっても思い当たるものははっきりしないが、もしかしたら、小学5年生の頃クラスでいじめられていたことの相談にのっていたことかもしれない。そもそも、俺はいじめやら学級崩壊やら、そんな問題は、まあ世界からはなくなりはしないだろうが、俺のクラス学年には存在させない主義だった。少なくとも俺の網にかかったいじめなど、片っ端から潰して回った。
そんな繋がりの子が、今回も俺に返信を寄せてくれていた。
この頃俺は、殆どメシが食えなくなっていた。それどころか、水さえ飲めない日もあったのだ。まあ、少々は悲観や絶望もあったのだろうが、殆どはT田への怒りが原因であった。もちろん、殺意にまで膨らんでいた。
しかし、自分でも意外なほど俺は自身を制御出来ていた。当時はまだ妻子持ちであったし、両親も健在。親族たちも順調に生活していたわけで、一族から「殺人犯」を出すわけにはいかない。T田を殺すなど、昼下がりのコーヒーブレイクのようにゆったりと、微塵も心乱さず一瞬で終わらせることができる。それを堪えるのは難儀だったが、まだ免職になったわけではない。復帰の可能性を信じることで、辛うじて俺は殺人者にならずにいることが出来た。
だが、T田を殺すこと以上に、俺は自身の死を強く意識するようになっていた。
平成14年5月25日土曜日。
R町のファミレス「ミルキーウェイ」で、キョウコ、ミヒロの二人と会った。二人ともこの春から高校生になっていた。キョウコはS台I学園高校のある女子コースに進学していた。小さな体に小さな顔、大きな瞳、長い黒髪と、本当にこの子はまるで日本人形のようだ。
ミヒロは県立のS女子高校に進学していた。小学校時代はキョウコと全く同じ背丈だったのが、最近どんどん大きくなってきて、二人並ぶとミヒロはお姉さんのようだ。もっとも、それがキョウコは気に入らないらしいが。
いきなりだが、T田の話が始まってしまった。中学生の間でも、奴は悪名高い校長だったという。なんでも、小中学校の合同会合では、S台中の生徒をこき下ろしていたというのだ。さらに、中学生がS台小学校を訪れることにもいちいち渋い顔をするということでも有名だったのは、前述したとおりだ。
ミヒロ曰く。
「飛鳥先生が説明するまでもなく、T田って校長はダメ人間決定ですよ。」
本当に、俺はくどくど説明する必要などなかった。そうだった。俺を見続けていてくれた子たちは、俺のなんたるかを知っている。そんな子たちに、今さら「俺を信じてほしい」なんて言葉は無意味だった。
話を続ける中、ミヒロが泣き出した。「そんなひどい話ないですよ……。」と。
この後、キョウコとミヒロの二人は、何かにつけて俺を支えてくれる存在になる。
俺は二人をS台の自宅まで送った。ミヒロを自宅前に降ろし、キョウコと二人きりになったとき、彼女がもう少し話したいと言ってくれたので、彼女の自宅近くに車を停めた。
運命といっては大げさかもしれないが、キョウコの進学したI学園は、俺の自宅のすぐそばだった。徒歩でも来ることが出来る。
高校生活に入って2ヶ月。キョウコは早くもいろいろ悩んでいるようだ。彼女はまじめながんばり屋だ。自分の歩むべき道を真剣に模索し始めているところなのだろう。
時計をみると、もう9時をまわっていた。
「キョウコ、時間は大丈夫なのか?」
「え?平気ですよ。10時まではヨユーでしょ。高校生なんですから、あんまり心配しないで下さいよ。」
体が小さく、見た目も華奢なキョウコは、一見上品なお嬢様風なのだが、実際はいろんな意味でタフな少女だった。そんな彼女と高校生活について話していると、突然俺の胸のケータイが鳴った。メール着信だ。
「石原マチです、こんばんは!話は二人から聞きました。明日は必ず行きます!」
このタイミングでマチからのメールだ。再び、キョウコとマチはニアミスした。
キョウコと話しているこの場所から、メールをくれたマチの家までわずか200メートル。俺は、直接彼女に会いに行きたい気持ちを抑えて、お礼のメールを返信した。
「誰から?」
キョウコが俺の顔をのぞき込むようにして尋ねる。
「ん?ああ、中学3年生のマチって子だ。ほら、離任式の時キョウコの前に俺が話してた女の子いただろ?あの子だよ。」
「ああ!あの時の!北公園、来てくれるって?」
「ん、そうみたいだ。ありがたいな、ホント。」
その時のキョウコの一言を、俺は忘れない。
「あのさ、飛鳥先生には信じてくれる子がいっぱいついてるんだから、自信もってがんばらなきゃダメだよ。明日集まってくれるみんなも、あたしと同じ考えだと思うんだ。だから、負けないでね。」
嬉しかった。
俺が励ましてもらえたこと以上に、あの弱々しかったキョウコが、こんなにも強く成長していることが、だ。そして、こんな子が教え子の中にたくさんいる俺は、教師としても間違いなく幸せ者だ。
眠れない夜、俺はマチとキョウコのことを考えていた。
離任式と、今夜。
ニアミスを繰り返すこの二人は、これから俺とどう関わっていくのだろう?二人が出会う日は来るのだろうか?そして、俺の運命はいったいどんな展開を見せるのか……?
何一つ答えが見つからないまま、時だけが流れていく。「答え」にたどり着くまでに、一体どれほどの時間が流れるのだろう。
土曜の夜。いつものように息子を連れて実家に帰っている妻は、ここにはいない。妻はもう既に俺の家族ではなかったのかもしれない。離婚という言葉をはっきり出されてから、もう3年になっていた。
本編3-4 北公園~集うは我が教え子たち 後編
さて、本館では今夜、石原家両親が飛鳥宅にやってくるエピソードを語りますが、それに同行してきた人物というのが、なんとマチの通うM県M郡R町立し%%%台中学校校長、H川です。よく事情も確認せず、中学校の校長が言いがかりに荷担するという構図。R町、M県教委ともになりふりかまわぬでっち上げ工作ぶりです。
で、いよいよ明日、処分の日について語ります。
それと、先の記事で語ったアクセス異常ですが、残念ながら全く情報ありませんね。まあなんら実害はないのだから放置しろということなのでしょうが、気持ち悪くありませんか?こちらとしては正体も分からないわけで。
それと……突然ですがニコルの写真を一枚
なぜ、今?
それは、ある男性に感謝の意味も込め、かつ、「彼女」にみせてやろうということで……
ちと、悲しいですよ、俺は。そういう行為も、俺に対する裏切りだろうが……。
いつか、全部語れればいいのですが。
2007年10月18日
300
わずか300人のスパルタ兵が、100万のペルシア軍を食い止め、自軍の100倍もの損害を与える凄まじい映画ですね。
飛鳥も、喧嘩の際は相手が複数なのが殆ど全てで、多勢に無勢というシチュが大好きでして。
大体、格好いいでしょ?少数の強者が、ごちゃごちゃ五月蠅ぇ烏合の衆を蹴散らすって、ね。
2007年10月18日
ほほう……
まだ本人に確認とれてないのでおおっぴらに出来ないし、勝手に扱うような真似もしませんので詳細は伝えられませんが、この一通は、飛鳥の語りの「意味」となる一通です。
今日、本人に返信し、こちらの意図をきちんと伝えるつもりですが、思った以上に「彼」が大人なのに少々安心しました。
だとすると、飛鳥が聞かされていた「ストーリー」も、大分違ってくる可能性があります。いや、そうでなくても「転落教師の独り言」は、この後大変な展開をみせるわけですが。それさえさらに変わってくるかもしれない出来事ですね……。
コメント下さる「通りすがりさま」が、親の立場からの意見を下さるのですが、今朝はそれとは違った、ある重大な立場からの貴重な話をいただけました。
正直な話、ちょっと嬉しいですね。
連絡できるなら、追ってここでも紹介させていただきます。
うむ
語り始めてよかったですよ。本当に、そう思います。