葛飾北斎の「北斎漫画」13編「魚濫観世音」からモティーフを転用して、大胆に鯉をあしらった花器。鯉の背から観世音を切り離し、のびやかに泳ぐ様のみを取り出して、ガラス花器の絵付けとした。1878年のパリ万博に出品されたものと同一モデルである。
黒いガラスによる「悲しみの花瓶」シリーズの一つで、1889年のパリ万博出品モデル。頸のまわりには、「アモルは黒い蝶を追う」との言葉が彫られている。翼をもった愛の神アモルはローマ神話上の神で(ギリシア神話ではエロスと呼ばれる)、弓矢を携える。その矢は、射られると激しい恋に落ちるという不思議なパワーを秘めていた。
尾形乾山(1663-1743)は光琳の弟で、度々兄とのコラボレーションによって作陶した。その多くは画とともに和歌や漢詩が書き込まれる場合が多く、いわゆる「詩画一致」の世界を展開した。1880年代にはすでに、フランスの美術愛好家たちは日本の工芸品と詩歌とが切り離すことのできない関係にあることを理解していた。
大理石を思わせるマーブル・ガラスに、まるで今にも飛び出しそうな蜻蛉の姿を留めた杯。ガレが最晩年に着想した器のひとつである。写実的に表わされた姿態の背後に、その魂を表しているのか、蜻蛉の影が封じ込められている。蜻蛉とは反対のカップ側面に、筆記体で「Gallé」の文字が彫られている。頭文字「G」は、よく見ると蜻蛉の形を象った飾り文字となっている。ガレが最後に蜻蛉に込めたのは、ガラスの中で永遠に生き続ける自身の魂だったのではないだろうか。