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アフリカ南部のジンバブエはかつてローデシアと呼ばれた。英国の植民地から独立したものの、白人支配の下で人種隔離政策が続いた。その体制を80年に倒し、黒人主体の政権を樹立した指導者のひとりが、今も大統領の座にいるロバート・ムガベ氏だった。
白人の経営する大規模農園を中心に農業が発展し、「アフリカの穀倉」と呼ばれるほど豊かな国だった。ムガベ政権は当初、黒人と白人との融和を掲げ、人種隔離政策を続ける隣の南アフリカが国際的な制裁を科されたのとは対照的に繁栄と安定を享受した。
それが2000年ごろ、白人農園主を追い出し、土地を強制収用する政策を本格化させたことで反転した。
経済面でなお続いていた白人による支配を打破するという名目はあったが、長期独裁政権への批判をかわすための大衆迎合政策の面は否めなかった。農園経営は破綻(はたん)し、農業は壊滅的な状況になってしまった。
今年3月に行われた大統領選でも、政権側による不正や脅迫、野党支持者への暴力が伝えられた。野党候補が接戦で1位になったが、6月末の決選投票が近づくと暴力はさらに激化。弾圧された野党候補はオランダ大使館に逃れ、犠牲の拡大を見かねて立候補を取り下げざるをえなくなった。
ムガベ氏は強引に当選を宣言したが、国連の潘基文事務総長は「国民の真の意思を反映しておらず、合法的でもない」と批判している。G8外相会合も決選投票の正当性は認められないとの声明を出した。当然である。
経済は大混乱に陥っている。すさまじいインフレで、卵一個の値段が朝から夕方の間に何百倍にも跳ね上がる。500億ジンバブエドル札が発行されたという。失業率は80%にも達する。
政治の腐敗と独裁政権は、アフリカの一つの断面だ。旧宗主国の欧州諸国が資源などの利権を狙って、長年、指導者の圧制や腐敗を見逃してきたことも否定できない。日本を含めた他の国々の無関心もそれを助長した。
この傾向に終止符を打ち、アフリカの民主主義や人権保護を支援していこうというのが、いまの国際社会の流れである。洞爺湖でのG8サミットでもアフリカ支援は主要議題のひとつだ。
ムガベ政権の横暴を放ってはおけない。国連安保理は近く制裁決議を討議する。サミットでも明確な非難の意思を示してほしい。
アフリカ諸国には、正面からムガベ氏を批判する動きは少ない。反植民地主義、反白人支配の実績への遠慮があるのだろう。だがいまや、それではアフリカの発展は難しいことを国際社会は説得しなければならない。
日本政府も、アフリカ支援を重視するというなら、もっとはっきりと語る必要がある。
過去の政策がどんな判断に基づいて作られたのかを調べ、今後に役立てようにも、肝心の資料がない。納税者が行政の責任を追及しようとしても、書類が廃棄されていた――。
霞が関では、そんなことが往々にして起きる。薬害エイズ事件では、旧厚生省が「ない」と言っていたファイルが倉庫から見つかった。年金記録をめぐって、社会保険庁のずさんな文書管理も次々に明るみに出ている。
そもそも役所がつくる文書は、国民の財産だ。税金を使ってどのように政策を決め、実施したかの重要な記録である。きちんと保存し、原則として公開されるべきものだろう。いわんや勝手に捨てられていいはずがない。
そんな問題意識から福田首相の肝いりで発足した有識者会議が、公文書管理について中間報告をまとめた。
作成から保存、公開までの統一的なルールを法制化する▽国立公文書館を中心に管理機能を強化する▽電子化を進めて利用しやすくする、といった内容だ。秋の最終報告をへて、来年の国会に法案を出す予定という。
どれも、もっともな提案だ。
公文書の管理には網羅的な法律がなく、情報公開法が大まかな規定や文書の種類によって最長30年の保存期間を定めているだけだ。実際の運用は各省の裁量に任されていて、外部から監査する仕組みもない。
保存期間が過ぎた文書のうち、内閣府が求め、各省が同意したものは公文書館に移されて保存されることにはなっている。だが、その量は期限を迎える年間約100万件の文書の1%にも満たないのが現実だ。ほとんどの文書は廃棄されるか、各役所がそのまま保存し続けている。
米国では公文書の移管権限は、公文書記録管理院の長官が握り、2500人の職員が管理にあたっている。日本の国立公文書館の職員はわずか42人。中国、韓国などに比べても一ケタ少ない。これでは各省庁がきちんと文書を管理しているか、目配りするのは到底無理だ。報告書が求めるように「数百人規模」に増員すべきだ。
日々の仕事の記録が確実に残されるようになれば、公務員の意識は変わらざるを得ない。情報公開の効用も飛躍的に上がるだろう。国民には、行政の監視だけでなく歴史研究や教育への活用というメリットもある。
中間報告では、外交文書や宮内庁書陵部が持つ文書の扱いは、最終報告に向けた検討課題とされた。だが、公開に消極的な政府の姿勢ゆえに、戦後外交史の研究者が米公文書館の資料で多くの成果を上げているという皮肉な現実は、早く改めたい。
一見地味だが、霞が関の透明度を高め、その体質を変えることにつながる改革だ。ぜひ実現させたい。