デザインとは何なのか?

経営学部経営学科 1−B

053089B 安ヶ平 雄輝

デザインという言葉の響きがすごく難しそうなことのように感じるかもしれないが、私が思うには、デザインは誰だってできると思います。 そのセンスが広く一般に受け入れられるかというと別です。それなのでだれにでもできるからこそ、難しいのかもしれません。ただ、いかに多くの物を見て、いかに多くの物を読んだか。この差はとても大きいと思う 中国では「設計」と書いてデザインと読みます。デザイナーとは「言いたいことを伝えるための設計士」のことなんだそうです。だから「かっこいい・かわいいデザイン!」というのは、「独創的である、伝えたい事がわかる」ということだとおもいます。格好だけ良くて機能性もないし壊れやすいなどの商品を、私は「デザインされたもの」とは認めてはいけないのだと思います。 芸術家とデザイナーの境界は、自分にとって満足か相手にとって満足か、の違いだと思っているので、デザインをする以上見る人を満足させられるようなことを考えなければなりません。良いデザインをすることのメリットは、相手の満足度は自分の利益につながることです。相手が何を欲しているのか、どんな風に見せてあげればいいのかを考えるのは、デザインだけでなく、人との交流においても大切なことではないでしょうか?  相手の気持ちを考えることで自分の魅力を何倍にも引き上げることができる方法が人生においてのデザインだと思います。インターネットではなかなか面と向かって交流をするということはできませんが、文章で、写真で、イラストで、声・音で、自分のスタンス、キャラクターなどを表現することは可能だと信じています。 デザインには相反する6つの要素があるといいます。装飾性・機能性・独創性・統一性 個別性・社会性です。これら6つバランスよく統一することが、デザインにとって必要なことなのだそうです。  デザインというと、特に、独創性、個性ばかりが目立ってしまいますが、実際はそれと相反する物を取り入れることの方が難しいといえるのではないでしょうか? 装飾が多くても、機能的でなければ意味がないし、ファッションに限れば、着て歩けない服はデザインとはいえないでしょうか?それはもうアートの世界の話になってしまいます。 そしてたとえ革新的で独創的だとしても、そこに統一感がなければちぐはぐになってしまいます。独創的な服を組み合わせてもお洒落に見えないのと同じように…そして個性的だとしても、一般社会で暮らす以上、一般的なデザインでなければならないのです。 例えば単純に礼儀作法や一般常識もその一つだと思いますが、葬式に花柄スーツで出席するような人がいないのは、「一般的」によって冠婚葬祭のデザインが束縛されているからといえます。ごくごく当たり前のように、「一般的」によって束縛されるデザインは非常に多いのです。  じゃぁデザインとはなんなのか?実はデザインで重要なことは「欲望を売る」行為だということだとのことです。アートなら、自分の感性から満ち溢れた物を自己満足で表現すればいいでしょうが、でもデザインは自己満足では許されないと思います。 そこにはデザインを構成する要素を入れ、きちんとした顧客のニーズを見据える必要があるのです。そういう意味ではデザインは非常に客観的な視点で作られなければならないものなのではないのでしょうか。  売れるデザインが一番いいものだと言うつもりはないが、ただデザインとは売れることを意識した物作りをしないといけないことは確かだ。 ファッションの世界で言えば、芸術的なものばかりが取りざたされがちですが、本当に大切なのは芸術的でありながらも、きちんとデザインの考慮がなされていることではないでしょうか。 服飾デザインには確かにアートの要素が強いけれど、あくまでもデザインだと考えています。だから当然求められる条件や制約もあるだろうし、その中であらゆる可能性を最大限のレベルで合わせることができることが重要なのだと思います。常に理想と現実のギャップの中で、答えの出ない回答を永遠に行う。でも逆に、だからこそその苦悩の中でも、素敵な回答は無限に出てくるんだと思います。だからこそデザインには無限の可能性があると信じています。