平田弘史はいつ平田弘史になったのか?
今日の平田弘史エントリです。今回はむかしの貸本漫画を引っ張り出して、平田絵がいつ完成されたのか探ってみようという企画なんだが、おいらコレクターじゃないので、そんなにたくさん持ってるわけじゃないです。で、とりあえずコレなんだが、
気合い入りまくりの典型的な「平田絵」なんだが、1963年、昭和38年です。平田先生はデビューが1958年なので、デビュー後5年目、メジャーの小学館、講談社では少年マガジン、少年サンデーが創刊されたのが1959年で、後発の少年キングが1963年なので、丁度この年です。少年キングの創刊号はちょっと安い30円だったね。平田弘史は貸本漫画作家だったので、そういう「雑誌」には出てないわけで、こうした書き下ろしの単行本で「貸本屋」に並んでいました。一冊200円なんだが、買うもんじゃなくて、借りて読むものです。週刊マンガ誌が40円の時代に、貸本漫画本は一冊10円で借りられた。同じ40円出すんだったら、貸本漫画で40円使って、週刊マンガ誌の方は友だちに借りるというのが正しいマンガフリークの姿でした。
で、作品は「士魂物語」です。このシリーズは貸本時代の平田作品を代表するものなんだが、1963年とは思えないリアルなタッチです。
この時代、メジャーの少年マンガ誌では、ストーリー物といってもトキワ荘グループが中心で、こういうリアルな絵柄はなかったわけだ。貸本漫画でも、平田弘史ほどのリアルな絵を描く作家は他になかった。今では、こういう絵を描く漫画家はいっぱいいるんだが、この時代には平田弘史ただ1人でした。
もっとも、平田弘史といえども、最初からこんなタッチだったわけじゃない。で、コチラなんだが、
ハイコミック版です。ハイコミックというのは昭和40年代になってB6版で再版されたものなので、表紙絵は後世になって描き直したものだと思われる。問題は中身です。この諸岡三匹の虎という作品は、リストによれば1959年、昭和34年なので、デビューした次の年です。つうか、デビュー後三作目という若描きの作品です。貸本漫画作家というのは下手くそでもデビューできるので、三作目とかいうと全くの素人レベルの人も珍しくないんだが、さすがに上手ですね。片腕の怪剣士。丹下シャゼンみたいです。さすがにまだ「劇画」にはなってない。手塚調というか、単なるストーリー漫画の画調です。もっとも、貸本漫画当時の「劇画」というのは、実際にはこの程度のリアルさが標準でした。「士魂物語」の異常なまでのリアルさというのは、あくまでも別格だったわけです。
弓道士魂―京都三十三間堂通し矢物語 (レジェンドコミックシリーズ―平田弘史作品 (7)) 価格:¥ 2,520(税込) 発売日:2005-12 |
ネットカフェだけのまんががあれば何か新しい文化が生まれるんぢあないだらうか。
投稿 ネットカフェまんがは無いかいな | 2008/07/07 00:39
ス ゴイ。
劇画復活希望。
値段はそこそこでOK。但し、大判で。(ちっこい字は読めない)
因みに、鬼刃の家紋は三島さんと一緒。
金朴(←IME馬鹿丸出し)
魂魄(コンパク)を感じます。
投稿 出版社さーん | 2008/07/07 02:46
鬼刃カッコエー
45年前ほどの古臭さ感じないわ
諸岡三匹の虎の表紙なんか北斎漫画みたいっすね
劇画創成期は
平田先生(侍)は浮世絵をお手本にしたりしてたんですかね
江戸末期の血みどろ絵とか
平田先生(侍)の新連載熱望
投稿 垢 | 2008/07/07 03:28
学 研
「経済学はいかにして作られたにか?」
「銀行はいかにして作られたのか ?」
普通の人はたまげるでしょう。が。
近年の出来事を見ると。
腑に落ちます。
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おらの印象。
1%の真実を伝えるには、99%の好奇心に
埋めて。(チェスタートンのパラドックス?)
投稿 おら、たまげた | 2008/07/07 04:21
素晴らしい。
投稿 ky | 2008/07/07 10:02
当時、
こういうペンで書き込みする系の絵は
小説なんかの挿絵にもあったし子供向けのものにもあったので、ジャンルはちがえど、そんな珍しいものでもないんですけどね。
でもこの方向に進化できたのはやはり上手いからで、しかも最初から密画だと絵の動きがかたまってしまう、漫画から発展したからこの動きがある。やはり平田弘史はすごいです
投稿 inudaisho | 2008/07/07 10:58