2008年01月31日
学生証提出
本館本編にアップした記事に関してです。
M県教育委員会との闘いに証拠として飛鳥が提出したのが、マチ本人の学生証です。
どうも当時、M県教育委員会は、マチが飛鳥側についていることに気付いていなかったようです。
まあその後、飛鳥の不服申し立てに対して、「石原マチを巻き込んだ」とか爆笑なことぬかしやがった連中ですから、どれほど足りないか想像を絶します。
もともと、何も知らないマチを俺の懲戒免職理由に仕立て上げた連中が、なにほざくのかその口で!!
困ったモンです。
で、そろそろこっそり公式ネットワークでアクセスしてるM県の教師らにも、まともな反応してほしいものです。
次回本編では、いよいよ高校生達にメールで献血を呼びかけるという「社会貢献」に関する飛鳥とマチの活動がスタートします。
懲戒免職不祥事の「加害者」と「被害者」がタッグを組んでボランティア。しかも、M県はもちろん、全国的にもほとんど前例の無い献血集会の企画。
当時M県にいた人たちは、覚えていませんか?高校生達がメールで献血を呼びかけ、のべ50人以上の若者が献血したという話題です。
よかったら、本館の方にもおいでくださいな。
それと、「例の企画」ですが、今日の記事は別の人物でしたね。
楽しみに待ちましょう。
では、リンクのクリックもぜひお願いします。
人気ブログランキングへ
Posted by 飛鳥エイジ at
20:43
│Comments(9)
2008年01月31日
だてブロガーのね……
リフピックさんの記事に、利府城趾・館山公園の写真が載ってまして。
いやあ懐かしいなあと思いましてね。
そこで、飛鳥にとっても重大な出来事がありましたから。
本編から探し出してくれると嬉しいんですがね。説明するわけにはいかないと思いますので。
ちなみに、リフピックさんの写真に写ってる桜の木。
アレの下で、飛鳥はある決意をしました。
ホント、懐かしく拝見致しました。
ありがとうございます。

これも、館山公園の桜です。
人気ブログランキングへ
いやあ懐かしいなあと思いましてね。
そこで、飛鳥にとっても重大な出来事がありましたから。
本編から探し出してくれると嬉しいんですがね。説明するわけにはいかないと思いますので。
ちなみに、リフピックさんの写真に写ってる桜の木。
アレの下で、飛鳥はある決意をしました。
ホント、懐かしく拝見致しました。
ありがとうございます。
これも、館山公園の桜です。
人気ブログランキングへ
Posted by 飛鳥エイジ at
03:26
│Comments(2)
2008年01月30日
本編3-19 鬱病(うつ病)~リアル死の淵へ転落教師
停職処分から4ヶ月。俺の体重は70㎏を切っていた。2年前の卒業アルバムに「体重83㎏」とあるのが信じられない。15㎏も落ちたわけだが、これはシングルハンドカールするとけっこうずしりとくる重さだ。こんなダンベル一つ分も、わずか数ヶ月で軽くなってしまったのか……。
処分以来、普通にメシが食えた日など一日も有りはしない。電話に怯え、常にひどいめまいに襲われ続けた。そして、毎日「死にたい」と叫ぶ自分の心との戦いが続いていた。
10月、ついに俺は歩行さえ困難な状態に陥った。激しい衰弱の中、精神もまた平衡を保てなくなっていた。
近所の内科で診察を待つ俺は、待合室で血圧と心拍を計るように言われた。
みると、「心拍数105」とある。これは、平静時の値ではない。通常は60くらいとなるはずなのだが……。待合室で30分以上ゆっくりとした後の計測だったが、何かの間違いだろうと思った俺は、もう一度測定器に腕を突っ込んだ。
「109」
……ありえねえ……。100以上の心拍数と言えば、軽い運動をしている状態の値だ。
診察室に入ると、先生が俺を見るなり言った。
「ずいぶん痩せましたねえ!」
この前ここで診てもらったのは半年ほど前だ。その時から比べると、俺の外見は驚くほど変わってしまったのだろう。そして、さっき計った血圧、心拍の記録用紙を見せた。先生はしきりに首をかしげ、「今ここで計ってみましょう。」と、聴診器で俺の脈を確認した。
「……やっぱり、100超えてますね。異常ですよ、これは。いつ頃からなんですか?」
「いや、わかりません。もう何ヶ月もこうかもしれませんし。」
「まずいですね……体重の減り方も激しすぎるし、何かあったんですか?」
俺は、停職からのいきさつを話した。この医師は、内科ではあったが、精神的な悩みにも相談にのってくれる。その先生が、こう切り出した。
「飛鳥さん、一つ大切なことを聞きます。いいですか、絶対に正直に答えてください。自殺とか、考えたことはありますか?」
「……常に、です。」
先生は机から何か紙を取り出しながら、俺に強い調子で語り始めた。
「今すぐ、厚生年金病院の精神科に行きなさい。ここから直接です。この紹介状で、今日診てもらえますから。」
その紙が、紹介状だった。かりかりと書き込む手からも、緊張感が伝わってくる。
「今、ですか?」
「そうです。症状はあなたが思っているよりはるかに深刻です。手遅れになりますよ。」
確かに、心拍数が常に100を超えているのは普通じゃない。いつからかもわからないし、もしかしたら眠っている時もこうだったかもしれないのだ。
知らぬ間に、俺の体はボロボロになっていた。
厚生年金病院は、俺の自宅近辺では一番大きな総合病院だった。その精神科で、俺はM輪先生という医師に診察を受けた。
「確かに……この症状はまずいですね。心だけでなく、体にもはっきりと影響が出てしまっている。詳しい事情を聞かせてもらえますか?」
精神科はカウンセリングも仕事の一つだ。俺は、停職以来の出来事をつぶさに話した。ただし、マチと尾山の件は決して触れずに。
「電話の音が怖いですか?」
「はい。S小学校やSヶ浜町の教育委員会からのものかと思うと、動悸が激しくなるのがわかります。」
「うーん、それはまずいなあ。学校側に注意してみますか?」
「そんなことが、出来るんですか?」
「できますよ。他にもあなたが負担に感じていることは、やめてくれるよう申し入れできます。」
久しぶりに心が軽くなる思いだった。とりあえず、いろいろな対処が可能というだけで気が楽になる。
「また、来てください。今日は安定剤と睡眠薬を出しておきますね。」
俺は生まれて初めて精神安定剤というものを飲むことになった。追いつめられた俺は、いつ発作的に自殺するかわからない状態になってしまっていた。
病名「心因反応及び自殺念慮」
精神的にも肉体的にも、俺は限界に達しようとしていた。
10月13日。
飯田が、H小学校時代の教え子たちを集めてやってきた。なんと8人も!なんとか部屋に迎え入れたが、もういっぱいいっぱいだ。
昔話で盛り上がる。俺にとって、H小学校最後の年はいろいろな意味で楽しめた一年だった。その時の教え子たちが、今5年ぶりにここにこうして来てくれている。一時、俺は自分の苦しみを忘れることが出来ていた。
だが、ふと自分の置かれている状況を思い起こすと、そのダメージは忘れていた時の分だけ蓄積され、一気に俺の脳に襲いかかる。談笑しながら、時々ビクッと固まる俺を見て、飯田が言った。
「先生、大丈夫ですか?」
「ああ、すまん。正直、あまり大丈夫とは言えん……。」
みな、心配そうな顔で俺を見つめる。その中には、俺にとって特に思い出深い顔があった。
石田友香。この名前を覚えているだろうか。そう、俺がH小学校を離れる際に、泣きながらポケモンの絵を渡してくれたあの子だ。
「先生……元気出してください。ウチらも応援してますから。誰がなんて言ったって、ウチらは先生に担任されてよかったって今でも思ってるんですから。」
友香も、精一杯の言葉で俺を支えてくれる。
この日集まってくれたメンバーとメールアドレスを交換し、解散。飯田は「また近いうちに必ず来ます。」と言って帰って行った。
そして、飯田はその言葉通り、その後度々俺のもとを訪れてくれることになる。
当時の俺は、なんと弱かったのだろうと思う……。しかし、己の正義を信じて突き進めば、「教師」という職業は絶対にやりがいを感じさせてくれると信じていたのが、T田という、およそ教師とは思えない外道校長により教育に絶望を感じるようになっていった頃から、俺の中の最も強固な部分が、まるで骨粗鬆症にでも冒されたかのようにもろくもろくなっていったのだ。
初めての、安定剤&睡眠薬。思いのほか頭にキク……。まるで頭の中を虫が這うような、むずむずする感触。そのうち、意識を失うように眠ってしまう。こんな毒薬のようなもので、俺の心は落ち着くのだろうか……?
目覚めても、まだ夢の中にいるようなふわふわした感覚。これからしばらく、俺はこの薬によって半ば眠ったような日常を送ることになった。
本編3-20 和太鼓の響き~陸前高田市に間違いない…… に続く
処分以来、普通にメシが食えた日など一日も有りはしない。電話に怯え、常にひどいめまいに襲われ続けた。そして、毎日「死にたい」と叫ぶ自分の心との戦いが続いていた。
10月、ついに俺は歩行さえ困難な状態に陥った。激しい衰弱の中、精神もまた平衡を保てなくなっていた。
近所の内科で診察を待つ俺は、待合室で血圧と心拍を計るように言われた。
みると、「心拍数105」とある。これは、平静時の値ではない。通常は60くらいとなるはずなのだが……。待合室で30分以上ゆっくりとした後の計測だったが、何かの間違いだろうと思った俺は、もう一度測定器に腕を突っ込んだ。
「109」
……ありえねえ……。100以上の心拍数と言えば、軽い運動をしている状態の値だ。
診察室に入ると、先生が俺を見るなり言った。
「ずいぶん痩せましたねえ!」
この前ここで診てもらったのは半年ほど前だ。その時から比べると、俺の外見は驚くほど変わってしまったのだろう。そして、さっき計った血圧、心拍の記録用紙を見せた。先生はしきりに首をかしげ、「今ここで計ってみましょう。」と、聴診器で俺の脈を確認した。
「……やっぱり、100超えてますね。異常ですよ、これは。いつ頃からなんですか?」
「いや、わかりません。もう何ヶ月もこうかもしれませんし。」
「まずいですね……体重の減り方も激しすぎるし、何かあったんですか?」
俺は、停職からのいきさつを話した。この医師は、内科ではあったが、精神的な悩みにも相談にのってくれる。その先生が、こう切り出した。
「飛鳥さん、一つ大切なことを聞きます。いいですか、絶対に正直に答えてください。自殺とか、考えたことはありますか?」
「……常に、です。」
先生は机から何か紙を取り出しながら、俺に強い調子で語り始めた。
「今すぐ、厚生年金病院の精神科に行きなさい。ここから直接です。この紹介状で、今日診てもらえますから。」
その紙が、紹介状だった。かりかりと書き込む手からも、緊張感が伝わってくる。
「今、ですか?」
「そうです。症状はあなたが思っているよりはるかに深刻です。手遅れになりますよ。」
確かに、心拍数が常に100を超えているのは普通じゃない。いつからかもわからないし、もしかしたら眠っている時もこうだったかもしれないのだ。
知らぬ間に、俺の体はボロボロになっていた。
厚生年金病院は、俺の自宅近辺では一番大きな総合病院だった。その精神科で、俺はM輪先生という医師に診察を受けた。
「確かに……この症状はまずいですね。心だけでなく、体にもはっきりと影響が出てしまっている。詳しい事情を聞かせてもらえますか?」
精神科はカウンセリングも仕事の一つだ。俺は、停職以来の出来事をつぶさに話した。ただし、マチと尾山の件は決して触れずに。
「電話の音が怖いですか?」
「はい。S小学校やSヶ浜町の教育委員会からのものかと思うと、動悸が激しくなるのがわかります。」
「うーん、それはまずいなあ。学校側に注意してみますか?」
「そんなことが、出来るんですか?」
「できますよ。他にもあなたが負担に感じていることは、やめてくれるよう申し入れできます。」
久しぶりに心が軽くなる思いだった。とりあえず、いろいろな対処が可能というだけで気が楽になる。
「また、来てください。今日は安定剤と睡眠薬を出しておきますね。」
俺は生まれて初めて精神安定剤というものを飲むことになった。追いつめられた俺は、いつ発作的に自殺するかわからない状態になってしまっていた。
病名「心因反応及び自殺念慮」
精神的にも肉体的にも、俺は限界に達しようとしていた。
10月13日。
飯田が、H小学校時代の教え子たちを集めてやってきた。なんと8人も!なんとか部屋に迎え入れたが、もういっぱいいっぱいだ。
昔話で盛り上がる。俺にとって、H小学校最後の年はいろいろな意味で楽しめた一年だった。その時の教え子たちが、今5年ぶりにここにこうして来てくれている。一時、俺は自分の苦しみを忘れることが出来ていた。
だが、ふと自分の置かれている状況を思い起こすと、そのダメージは忘れていた時の分だけ蓄積され、一気に俺の脳に襲いかかる。談笑しながら、時々ビクッと固まる俺を見て、飯田が言った。
「先生、大丈夫ですか?」
「ああ、すまん。正直、あまり大丈夫とは言えん……。」
みな、心配そうな顔で俺を見つめる。その中には、俺にとって特に思い出深い顔があった。
石田友香。この名前を覚えているだろうか。そう、俺がH小学校を離れる際に、泣きながらポケモンの絵を渡してくれたあの子だ。
「先生……元気出してください。ウチらも応援してますから。誰がなんて言ったって、ウチらは先生に担任されてよかったって今でも思ってるんですから。」
友香も、精一杯の言葉で俺を支えてくれる。
この日集まってくれたメンバーとメールアドレスを交換し、解散。飯田は「また近いうちに必ず来ます。」と言って帰って行った。
そして、飯田はその言葉通り、その後度々俺のもとを訪れてくれることになる。
当時の俺は、なんと弱かったのだろうと思う……。しかし、己の正義を信じて突き進めば、「教師」という職業は絶対にやりがいを感じさせてくれると信じていたのが、T田という、およそ教師とは思えない外道校長により教育に絶望を感じるようになっていった頃から、俺の中の最も強固な部分が、まるで骨粗鬆症にでも冒されたかのようにもろくもろくなっていったのだ。
初めての、安定剤&睡眠薬。思いのほか頭にキク……。まるで頭の中を虫が這うような、むずむずする感触。そのうち、意識を失うように眠ってしまう。こんな毒薬のようなもので、俺の心は落ち着くのだろうか……?
目覚めても、まだ夢の中にいるようなふわふわした感覚。これからしばらく、俺はこの薬によって半ば眠ったような日常を送ることになった。
本編3-20 和太鼓の響き~陸前高田市に間違いない…… に続く
2008年01月29日
今夜は静かな飛鳥エイジ
大切な友人と、そのまた大切な友に悲しいことがありました。
飛鳥エイジ。別れというモノに敏感すぎるところがありまして……
四国八十八ヶ寺を歩き、経を唱えた身ですので、素人技ですが、今夜は祈ります。
自身には、昨夜良いこともありました。
もう少し生きてみようと思える「近未来」を作っていかないと、日々生きる力を失いそうで恐ろしい。
では、なぜ生きているのだ?
それは、晴らさなくてはならない怨念が、憤怒があるから。
そんなネガティブなものが原動力の飛鳥エイジ。
最後まで闘うことは、自らの死を引き替えにすることになるだろう。
生きてほしいという飛鳥への願いは、素直に嬉しい。
しかし、自分はそれに応えることができるのだろうか?
どうすれば、このあまりに深く暗い怨念を、かき消すことができるのだろうか?
もうすぐ、公私ともにさらに激しく動く飛鳥エイジの運命。
今年は、正に激闘の一年になるだろう。
けれど
今夜は、静かに。
怒りも哀しみも飲み込んで、静かに。
飛鳥エイジ。別れというモノに敏感すぎるところがありまして……
四国八十八ヶ寺を歩き、経を唱えた身ですので、素人技ですが、今夜は祈ります。
自身には、昨夜良いこともありました。
もう少し生きてみようと思える「近未来」を作っていかないと、日々生きる力を失いそうで恐ろしい。
では、なぜ生きているのだ?
それは、晴らさなくてはならない怨念が、憤怒があるから。
そんなネガティブなものが原動力の飛鳥エイジ。
最後まで闘うことは、自らの死を引き替えにすることになるだろう。
生きてほしいという飛鳥への願いは、素直に嬉しい。
しかし、自分はそれに応えることができるのだろうか?
どうすれば、このあまりに深く暗い怨念を、かき消すことができるのだろうか?
もうすぐ、公私ともにさらに激しく動く飛鳥エイジの運命。
今年は、正に激闘の一年になるだろう。
けれど
今夜は、静かに。
怒りも哀しみも飲み込んで、静かに。
Posted by 飛鳥エイジ at
21:06
│Comments(2)
2008年01月28日
こんなとんでもない教師が野放しになってたんですか!
と、事件報道当初、飛鳥を罵ってくれたのが
今、オジサンズ11に出てる峰竜太。
ま、彼もしゃべるのが仕事だから仕方ないとは思うんですがね。
限られた情報を元に、愚図な大衆に受ける発言をしなければならないんでね。
でも、そろそろ真実を見たらいかがでしょうかね峰竜太。
あの時飛鳥をこき下ろしたのは勘弁してやるから、今度は本当の悪党・M県教育委員会を踏みつけにしてほしいものですね。
ほら、せっかく語ってるんだから、ここ読んでくれよ峰竜太。
ついでに徳光さんやら小倉さんやらも読んでくれよ。
ったく
では、おやすみなさい。
Posted by 飛鳥エイジ at
22:35
│Comments(0)