第2回 CNNは“サリン報道”で検証番組を
(1998.9.11記)
サイゴン(現ホーチミン市)が陥落し、ベトナム戦争が終わって23年になる。ベトナム側の戦死者は300万人、米国側の戦死者は5万8,000人、行方不明者は2,200人といわれる。当時、米国の国防長官として戦争の指揮に当たったロバート・マクナマラ氏(82)は『回顧録−ベトナムの悲劇と教訓』(共同通信社1995)の中で、「われわれは過ちを犯した」と懺悔した。そのマクナマラ氏らと北ベトナム側の戦争指導者だったグエン・コ・タク氏らとが1997年6月2日、ハノイで「我々はなぜ戦争をしたのか」について語り合った(NHKスペシャル98・8・2)。
この番組でもよく表れていたように、双方の戦争責任者はいまもなお大きな犠牲を払った戦争の悪夢から抜け切れていない。そうした状態の中で、CNNと米国の週刊誌『タイム』の“サリン報道”は世界中に大きなセンセイションを巻き起こした。
●“サリン報道”から撤回まで
CNNは、提携関係にある『タイム』との共同制作によるニュース番組「ニュース・スタンド」を創設し、その第一弾として、1998年6月7日に「死の谷」と題する特集を放送した。番組はリポーターに湾岸戦争報道でピュリツァー賞を受賞したピーター・アーネット記者を起用し、『タイム』も放送翌日、番組と同じ内容の記事を掲載した。
それによると、米軍の特殊部隊はベトナム戦争中の1970年9月、米軍から逃亡してラオス国内で共産側に協力していた元米兵を掃討する『追い風作戦』で、国境から約100キロ入ったラオスの村でCBU15と名づけられたサリン入りの神経爆弾を投下し、100人以上の死者を確認した、というものだった。
これが事実だとすれば、狂気の沙汰としかいいようがないだけに、クリントン政権にも影響を与えかねない。しかし、逃亡兵の遺体を目撃した具体的な日時、場所が明らかにされなかったため、米国の退役軍人らから数々の疑問が出たうえ、番組に登場して「サリンの使用を認めた」ように扱われていた当時の統合参謀本部議長の発言も『タイム』のライバル誌『ニューズウィーク』のインタビューでいまひとつ曖昧なことが指摘された。
放送から25日後の7月2日、CNNは「情報源の扱い方に重大な誤りがあった」ことを認め、報道を撤回し、視聴者と作戦に加わった米軍人に謝罪した。それと同時に番組を担当した2人のプロデューサーを解雇処分にし、司会役のアーネット氏を戒告処分にした。
また、『タイム』も同じ日に記事撤回と謝罪を発表し、7月6日号に1ページの謝罪文を掲載した。編集長名の謝罪文は、掲載後の関係者インタビューで、「サリンではなく、催涙ガスを使用し、だれも殺さなかった」という証言を得たとして、「サリンの使用や逃亡兵殺害は確認されなかった」と誤りを認めた。両社の共同制作はその後も続けられているが、映像と活字のそれぞれの限界を互いに補うメディアミックスの意欲的な最初の試みは誤報という不幸な形でつまずいてしまった。
●「軍の圧力」と解雇の2人反論
米国防総省はほぼ1カ月半にわたる内部調査の結果として、「サリン使用」と「逃亡兵殺害計画」の報道について強く否定する最終報告書(7月21日)を発表した。コーエン国防長官は作戦に従事した16人の兵士を「彼らは英雄として知られるべきなのに、報道により傷つけられた」と報道を非難している。
では、CNNの“サリン報道”はまったくの作り話だったのか。創作だったとすれば、かつてピュリツァー賞を受賞したワシントン・ポスト紙の「ジミーの世界〜注射に生きる8歳のヘロイン常用児」(1980・9・28)を思い出す。ワシントン市民に衝撃を与えたこの記事は、その後、入社1年目の野心的な若い女性記者が功名心からねつ造したものだったことが判明した。
取材に行き詰まり、あらまほしき像をつくり上げたジャーナリストは沢山いる。しかし、今度のCNNの場合、どこに瑕疵(かし)があったのだろうか。CNNと『タイム』は共同で関係者200人以上から証言を得たというではないか。解雇された2人のプロデューサーは「報道は正しい。CNNは軍の圧力に屈した」と反論し、国防総省の調査結果に対しても、「軍は秘密作戦を隠ぺいしようとしている」と対決姿勢を見せている。
この種の調査報道には権力の側からの圧力はつきものだ。米国マスコミ界に輝かしい足跡を残した「ペンタゴン秘密文書」(ニューヨーク・タイムズ)や「ウォーターゲート事件」(ワシントン・ポスト)も権力との激しい攻防の中から勝ち取ったものだった。それだけに、CNNと『タイム』は改めて検証番組を作って真相を世界に説明する責任がある。#
(「くらしのレポート」NO149号に掲載されたものを再録した)