札幌工作編
ニャンコ先生
への工作

北海道犬猫救護センター「ニャンコ先生の家」

発足した経過と活動暦




昭和53年4月、北海道本部警備部機動隊の特殊部隊で被爆した。
私は警察官を退職した後、喫茶店資金を母親から借りて治療していた。
売却して当時は北海道特殊調査事務所(昭和60年以降日本特捜探偵社)と北海道警護サービスを創設開業した。
 その探偵業務の一環として道内唯一の「ペット探偵社」として犬猫の探索をしていた。
しかし、探索保護した犬猫が依頼者の犬猫と違った場合に又放す訳にもいかなかった。
昭和48年の動物保護法制定から法律的に違法になり保護を止む無くされた。
それらの犬猫の保護施設や里親探しが止む無くなった。
平成に入ってから業務からボランティア活動に切り替えて活動した。
 それからボランティア協力者が徐々に集まり北海道の犬猫保護団体として認められた。
私が代表者に選任された。
 それから私はボランティア活動での犬猫の世話が大変になった。
探偵警護業務は社長として指示のみで現場は任せるようになった。
 最初の保護施設は、猫の施設で札幌市中央区東屯田地区に設けた。
次々に豊平区南区白石区と数箇所に分散して保護にあたった。
犬に関しては、豊平区の保護施設からで小型犬中心の保護活動であつた。
「ニャンコ先生」としてのテレビ報道や北海道新聞社発行のペット便利帳での紹介された。
益々大型犬や犬猫の保護数が多くなった。

平成11年から札幌市から約30キロ離れた石狩の新篠津村へ保護施設の一部を総括し移転した。
 この頃から保護施設の犬が盗まれたり撲殺されていたり、ボランティア協力者の引き抜きが始まった。
私は、一人での犬猫の世話の作業が多くなり食事もしないで甘い缶コーヒーで済ませた。
その無理が祟って糖尿病になった。
 また豊平区の最初の保護施設へ又移転した。
その後、2000年以降から妹が借家の保証人になって以後次々と様々な出来事が起きた。
それから平成17年には、犬猫の保護施設の全てが崩壊になった。
そして、山形の実家へ残った犬猫を引き連れて来てから・・・初めて、北海道での出来事も
妹夫婦がすべてに関っていた事が解かった。
 
 詳しくは、個々の内容からご覧下さい。

 


平成10年以後、保護施設への
嫌がらせが多発
!!



平成11年ころ、の画像である。
北海道犬猫救護センター「ニャンコ先生の家」
北海道石狩郡新篠津村の犬猫の保護施設だ。
毎日私はボランティアの犬猫の世話をする。
札幌から約1時間掛けて通っていた。
夜間には誰も保護施設に泊まっている者がいない。
何者かが犬猫を撲殺したり預かっていた犬猫。
盗んだりされる事が多くなった。
 インターネットのホームページの掲示板で叩かれた。
嫌がらせの投稿が多くなってきていた。
 30代DOMONと言う男がきてからだった。
犬猫に関して全く経験の無い男であった。
ボランティアに来て居た大半の女性が
いなくなった。
引き連れて別にグループを結成してた。
 
 このDOMONと言う男も親がパチンコ店の清掃業をしている息子で後継者でった。
毎日プラプラしている遊び人で後々の「遠くのご隠居」と名乗る荻谷昭夫と繋がった。
お互いに関係していることが後で判明していた。
 この左の写真は、新篠津村の農家の空家を家賃2万で借りて保護施設にしたものである。
現在は全て畑地になっている。

 


借家の大家へ妹が150万を払って
      建物留守中全損壊させた
!!


  平成14年の春、借家の大家の弟(小林)と言う男から電話が来た。
「そこの借家の建物の土地は、姉の土地で無いので家賃は支払わないで欲しい。」と言う電話だった。
その話を借家の家主にしたところ怒って、「黙って家賃を払っていればいい。」と言われた。
 その後、可笑しいので家賃を分割して支払っていた。
「犬猫の飼養に近隣が迷惑しているから契約違反で明渡して欲しい。」と札幌地裁に訴えられた。
裁判沙汰になった。
結果として犬猫の保護施設が見つけること。
次第速やかに明渡しする事で和解解決した。

  平成14年の春、借家の大家の弟(小林)と言う男から電話が来た。
「そこの借家の建物の土地は、姉の土地で無いので家賃は支払わないで欲しい。」と言う電話だった。
その話を借家の家主にしたところ怒って、「黙って家賃を払っていればいい。」と言われた。
 その後、可笑しいので家賃を分割して支払っていた。
「犬猫の飼養に近隣が迷惑しているから契約違反で明渡して欲しい。」と札幌地裁に訴えられた。
裁判沙汰になった。
結果として犬猫の保護施設が見つけること。
次第速やかに明渡しする事で和解解決した。
 その裁判が始まった時期から、身辺に事故が起きた。
犬猫救護車のマイクロバスのタイヤのパンクが頻繁に起きた。
全く関係無い山形の実家写真などが北方ジャーナルに出された。
嘱託記者が「老人の借家を占拠。」などと掲載した記事が出された。
裁判での無償明渡し和解が成立していた。
その引っ越す前に妹夫婦が勝手に借家家主と話し合いしていると判った。
妹が「150万円支払うから直ぐ、壊して構わない。」と家主に言った。
私がいないのを知っていた。
勝手に建物ごと全ての家財道具から仕事上の機材や機器を壊した。
平成14年12月9日に捨てたことが判った。
  犬猫に関しては、既に別に借りた借家へ移動していた。
丁度、私は出張中の出来事で留守中で居なかった。

 出張から深夜帰ったら、借家の場所には積雪が30センチも積もって平地に変わっていた。
この損壊賠償請求事件が平成18年10月に時効の判決下りた。
その中で家主が、ハッキリ「妹さんから150万支払うことで壊して欲しい。」と頼まれたことを証言した。


  


  販売商品や機材機器を損壊させて
    負債を抱えさせ親との連絡断絶!!




 私は、この借家の全部の建物損壊されたことから違約金が取られた。
販売商品や依頼者への報告書などのデーターのパソコンを損壊での弁済に多額の費用が掛かった。
 それが、この実妹の警察官夫婦の本当の狙いであった。
弁護士費用が掛かることを予測して計画的に職を失うように工作し実行していた。
その事件以前から、妹夫婦が親戚関係者の人達からデマが聞こえて来た。
「兄は、多額の借金して借家から行方不明になっている。」
「ホームレス生活しているから、来ても追い返して欲しい。」と言っていたことが判った。
損壊させたかった理由は、親戚へ私から電話連絡されたら妹夫婦の話が嘘になるからであった。

 


 販売商品や機材機器を損壊させて負債を抱えさせた
親との連絡を絶たせる工作


 


弁護士費用が有っては、妹も1800万円の責任が生じるので考えたのだった。
親から弁護士費用が私に払われたら困るので、平成14年から完全に監禁していた。
 断食させて倒れたので、誰にも親戚関係者に山形大学付属病院へは、来させなかった。
平成16年10月から出入りさせている。


他人を使っての工作は警備の鉄則




 平成14年の借家損壊事件での損害賠償請求の訴訟裁判が平成18年1月から始まった。
その裁判へ水戸市から荻谷昭夫と言う男を妹夫婦は、使った。
インターネツトの掲示板には、ハンドルネームが<遠くのご隠居と名乗っている。
トヨタランドクルザーで水戸市から札幌に乗り付けて来てた。
「川窪を殺せ。」とか「川窪を拉致し逃がすな。」等と叫び、妨害行動を二度も本州から来てしている。
 この男は、平成18年8月に札幌市白石区のアパートに生活していた犬の保護を依頼者に目を着けた
その協力者の●●洋子さんに対して玄関先で殴る蹴るの暴行を働きいた。
この時に、盤珪のそば屋の娘も同乗していた。
近くの不二家のレストランへ●●洋子さんを連れ込んで「俺の女になれ。」と言った。
「俺の言うことを聴かないと川窪もお前も殺すぞ。」と言って脅迫して脅した。
「川窪からの電話内容や仕事状況などの情報を教えれと。」言って写真を撮られた。
聴き出して来て「お前も被害者会の仲間に入れ。」と強与した。
山形の松山実家から妹から入手した写真を見せてた。
何でも妹から聴いていることを話した。
盗聴している事や個人情報を得ていることを明かして帰っている。

その後白石区の白石警察署に暴行傷害で●●洋子さんが訴えたが、身の危険を感じ引越しした。
警察の勧めから山形の私のところのアパートに引っ越した。
 建物明渡し裁判問題に、本州の水戸市から札幌まで態々駆けつけて来ていた。
多額の金を使って妹夫婦が頼んでいたと思われ、誰も依頼がなければダダでは来ない。
この裁判で一番困るのは、その建物を壊させた者だった。

          マスコミ工作


北方ジャーナルの嘱託記者小笠原 淳や
水戸市の荻谷昭夫が
所持していた写真は、実家から妹が渡した!!


北海道の地方新聞社で1999年に北海タイムスが倒産している。
その記者当時の会社名の小笠原 淳 と妹夫婦が逢ったことを認めている。
既に平成11年以前には実家から私の中学や高校時代の写真を提供していることが判明している。
 これらの記者や荻谷昭夫が、多額の金を妹夫婦から受け取って仕事として働いていた。
それらの者も直接「ニャンコ先生を追っ掛け廻していれば当分は、生活に困らない。」と言っていた。
「何しろ身内の力強い金持ちを抱えているからね。」と私に電話や直接の話をしている。

 


札幌簡裁で「豊平の住民」がテレビ局の報道 
       の「やらせ」報道を認め、取り下げ!!


 
この簡裁へ調停を申立たのは、豊平区在住の磯部●●と言う30代の男であった。
自己所有のマンションでペットの飼養で近隣に迷惑を掛けた事から、3匹の猫達の引取り里親探しを頼んだ。
その男は、ニャンコ先生の誹謗中傷の掲示板書き込みを見て取り戻そうとして簡裁へ申し立てた。
 ニャンコ先生の家で引取った猫3匹の中で、2匹は里親が決まり残りの1匹は、ワクチンの効力が出なかった。
「猫風邪」が移り里親へは出せない状態になっていた。
 「猫風邪」は、感染力が強く他の猫達へ感染させない為にも、戻せなかった。
元の飼い主へ戻す訳にはいかないので返還を拒否した。
、ワクチンも打っていない飼い主が、猫風邪に掛かった猫の飼養は難しいから、猫の為にも良かった。
このような形で、引取った犬や猫の飼い主を見つけて問題化し、騒がせた。
被害者を煽って祭り上げて裁判沙汰にした工作の手段であった。
   札幌簡易裁判所  平成17年( ノ) 第 19号
で「猫引渡し等」で調停申立した。
調停日 平成17年3月3日2階 駒込書記官室で調停予定していたが、その前日に申立て人がテレビ放映した。
 その内容が、誹謗中傷したヤラセ番組だったので、私は出席しなかった。
調停委員会から平成17年3月8日、私に書面が届いた。
 調停委員会の申立て人の事情聴取した。
    
   申立人の回答
   原文のとおり
平成17年3月8日

調停期日への出席について(お願い)

相手方
  北海道犬猫救護センター
   「ニャンコ先生の家」こと
     川 窪  亨   殿

                 札幌簡易裁判所
                                調停委員会

  川窪様には、申立人のテレビ放映が原因で、3月3日の調停期日に出席して戴けませんでした。
この点につきまして、出席した申立人に問い質しましたところ、「取材は、放映前日に受けたもので、その際には調停の経過を全部ありのまま話し、先日合意した内容で話し合いがついたこともつたえた。」そうです。
ところが、実際の放映内容は、申立人が話した内容の一部だけを、その意向とは違う趣旨で編集されてしまつたということで、申立人としては、川窪様を攻撃したり、非難したりする意図は全く持っていなかつたと説明しております。
 しかし、結果として、川窪様を非難するようなてれび放映がされてしまい、申立人も取材対応について、反省、後悔をしておりました。

                               平成17年3月24日                  

 相手方
 北海道犬猫救護センター
「ニャンコ先生の家」こと
 川窪  亨  殿

    札幌簡易裁判所調停係
                             裁判所書記官  
駒 込 雄 賢


通   知   書

上記当時者間の平成17年 第 19 号 調停事件について、平成17年3月24日、下記□にレ印を付した事由により、本件調停は終了したので通知します。

     レ□  申立人は、本件申立を取り下げた。

      □  民事調停法 第13条により調停しないものとした。

      □  民事調停法 第14条により調停不成立とした。 
    

札幌簡易裁判所
  調停係
    裁判所書記官 駒込雄賢
からの書面通知書

申立人  磯部○○氏の「豊平の住民の猫事件」に関しては、調停取り下げられて通知書が届いているように「遠くのご隠居」の掲示板の内容は、全て作り話で嘘である。
 ニャンコ先生が信用できない方に関しては、
札幌簡易裁判所
  民事調停委員会
    平成17年(ノ) 第19号  猫引渡し等事件
を調べて下さい。  
 テレビ放映内容が違う趣旨で編集されて・・・
結果として、川窪様を非難するようなテレビ放映がされてしまい、申立人も取材対応について、反省・後悔しておりました。
・・・・・・と謝罪の内容文でテレビ局の「ヤラセ」を申立て人が明確に認めている。
 北方ジャーナルの嘱託記者の小笠原 淳や遠くのご隠居が意図的に日本テレビ系のテレビ局に売り込んだものであった。
 
     


テレビ局も「やらせ」の放映や
動物管理センターまで巻き込み!!

 

 「ニャンコ先生」貴方の言い分をテレビで訴えて下さい等と連絡が来てた。
本当の真実を多くの皆さんへ伝えようと出演したところ、その真実の部分は全てカットされてた。
全く誹謗中傷の内容に荷担した放映でした。
 テレビ局は、視聴率が高くならなくては番組の価値が無い。
ニャンコ先生を悪者にしなければ番組が成り立たないのであった。
  日本テレビ局を相手に裁判沙汰にしても泣き寝入りが多くい。
時間とお金が掛かりますので、されるがままにしておりました。
 北方ジャーナルの小笠原のような記者を利用するのは理由がある。
、テレビ局側が責任を逃れる為にブンヤゴロって嘱託記者などある。
何処にも責任の被らない、テレビ局にネタを売り込んで稼ぐフリー記者を使っている。
訴えても金も無く、泣き寝入りである。
 そこへ就け込んで誹謗中傷した番組を、堂々と放映しているのです。

小笠原 淳 の  http://ch10387.kitaguni.tv/
 http://www.sapporotimes.co.jp/

  小笠原劇場の日記の内容を誹謗中傷やヤラセのプログや記事を閲覧して下さい。
既に、サッポロタイムスなど既に倒産して実態が無いのですが使っているのです。
 色々誹謗中傷した記事を出しての倒産でした。


誹謗中傷から何でも許される
2チャンネルでの誹謗中傷!!


 この水戸市の萩谷昭夫が、2チャンネルを使って「ヤラセ」番組を作る為に施設に勝手に入った。
犬猫達を離し喧嘩させて殺させたり、多くの誹謗中傷から「川窪ほ殺せ・・・。」など書き放題の状態。
これを警察当局は、手も着けない。
 私も元警察官であったが、現在の警察官の質に問題があるように思う。
訴えてもその後の経過報告など一切何も無い。


何年も何故・・・水戸市の荻谷昭夫こと「遠くのご隠居」が
http://www2.ezbbs.net/26/catsos/
誹謗専用掲示板を立ち上げる!!


  札幌地裁まで津軽海峡を渡りはるばる「遠くのご隠居」こと水戸市から荻谷昭夫が押掛け騒ぎ立てた。
私を公判へ出られないように拉致を謀った。
私の知人●●洋子さんのアパートへ直接行って「川窪から頼まれた。」と玄関を開けさせて入り込み
「川窪の情報を全て話せ。」
「俺の女になれ。」
と脅し暴行傷害を負わせた。
脊椎間狭窄症の身体障害者に対して、蹴る叩く繰り返した。
 玄関で倒れて動かれなくなった○○さんを、無理やり妹から札幌へ出向くのに買って貰い手に入れたトヨタ ランドクルーザーに乗せて近くのレストランに連れ込んだ。
 最初の手口は、●●さんのアパート玄関に来て、「川窪さんから頼まれたから開けて。」とチャイムを鳴らしたとの手口は、堂々と慣れている。
 その推測の通りで過去に同じような手口で色々なことをしている事が後で判った。
この傷害を負わせた水戸市から来たヤクザ系の男が、平成16年頃から私の掲示板へ投稿し始めてネットで私を誹謗中傷し始めた。
「殺せ。」とか「死ねは良い。」と叩いている。
その男は、妹夫婦からトヨタのランクルの新車まで買って貰っていると堂々私に直接明かした。
最初は、日テレからの依頼などと言っ誤魔化していたが、それは後で本人も否定して嘘でした。
 妹夫婦は、その「遠くのご隠居」の書き込んだ誹謗中傷の掲示板投稿記事を常にフアィルにコピーして数十枚を持ち歩き徳洲会病院の看護師や介護士に配っていた。
それに親戚関係者から隣近所まで見せびらかして、何かと用事を口実にして走り回って撒き散らしていることが、後で判った。
 私が犬猫の保護団体の代表をしている事から、それを最大限に利用したものであった。
本州の水戸市からは、おかしい妹の夫の警察官が警備関係の工作利用者を金で使っていることもある。
 「妹さんが父母親を世話していたのだから、全部財産を渡して川窪は全て放棄して実家を明渡せ。」
など、妹夫婦が主張している内容と掲示板での書き込み内容は、同じでインターネットの出来ない妹夫婦が「遠くのご隠居」の手を借りて私に対して嫌がらせをしているものであることが判った。
http://www2.ezbbs.net/26/catsos/ 
このサイトをご覧くだされば、全く犬猫と無関係な遺産相続などまで係わった内容からも誰もが解かることでしょう。

 私も、相手の名前を公開するのは個人のプライバシーを侵害している内容です。
山形警察署へ被害届けを平成17年山形へ移住してからも直ぐ出している。
しかし、
未だに何の対処もしないから、相手から名誉毀損で訴えられることを望んであえて公表している。
 この水戸市の荻谷昭夫の名前は、自ら岩尾○○さんへ電話番号と共に紙に書き込み渡したものであって実在する者かは全く不明であって確証も無い。
「遠くのご隠居」こと 荻谷昭夫 として扱い、逆にこちらでは名誉毀損で訴えて欲しいものである。
  皆さん、ご了承して下さい。 

自宅やアパートの権利を主張し仮執行や
山形地裁へ、建物明渡し請求訴訟


  自宅の実家の土地や母親が私の為に、建てたアパートに関しては、既に母親が平成14年の1月に脅されて戻った時に、取り上げた権利書や実印使い仮登記していたのであった。
 それは、母親の後見人弁護士が裁判所の命令で解除している。
その後、妹夫婦によって平成19年の2月9日付けで、実家自宅の方を仮差押手続きをして執行官や妹の雇った弁
護士が来て玄関内の一番目立つ場所に、告示書を張って帰った。
 しかし、山形地方裁判所は、私と二階へ北海道から札幌から警護を頼んで逃げて来た●●洋子さんが住んで
いたが、両者の使用許可が下りた。
 その後、山形地方裁判所から「建物明渡し請求裁判訴訟」の訴状が妹が原告として届いた。
 それから裁判公判が始まり私は、母親のところへ毎日通いながら、夜間は易で街頭へ立ち稼いだ。
当然、弁護士費用も無く自分で書類を提出し戦った。
 しかし」、既に実家の松山の自宅の鍵は、妹夫婦が管理し持っていた事から父親関係の書類の証拠となるものや、母親の関係書類の所有権に関した物は、全て持ち去り無かったので昭和54年ころ扱った建築業者を捜した
り、その建物が母親が全額資金を出していることを証拠となる資料を揃えるのに大変であった。


 


「明渡し裁判」の判決が11月19日決定!!




 妹が「父親が全額出資した実家を明渡せ!!」と山形地裁へ訴えた裁判は、やっと終結し判決が下りることになった。
 最終公判が10月1日開廷されましたが、それに間に合うように、父親と母親が共有していた書箱ロッカーから一部の書類が発見された。
  妹夫婦は、父親が既に認知症であったことから書庫のダイヤル番号が解からないままで鍵が有っても開けられなかったものである。
 この事からも父親がボケていたのか、意図的に妹夫婦から財産を盗られたことで、その証拠を残す為にダイヤルの番号を教えなかったものと思われる。
 突然、札幌から実家に私が帰って来たので業者を頼んでダイヤルを開けさせられなかったものと考えられる。
そのロッカーを私が開けたところ、母親や父親の不動産関係の一部の書類が発見された。
 それに父親の定期預金の山形殖産銀行県庁前支店の計算書が発見された。
この書類から、
●母親が、1300万円相当、実家建物の中で850万円支払った証拠。
●父親が、450万円が、最初に支払っていた証拠。
が、税務署へ提出した書類から解かった。
 ところが、その話を母親にしたところ、「それは、爺ちゃんが釣り掘りで一銭も無くしたので少し貸せと言って、貸
した金を払わしたので、全部婆ちゃんが出しているから、裁判官に言え。」と言い出した。
 従って、その貸借関係の金銭的な事を書面にして提出した。
その関係の父親と母親の書類は無く、口約束だったので証拠が無い状態で判決を向かえた。
 このことから、裁判所の判断で、調査に時間が掛かったらしく、突然判決前日になってから判決延期が告げられ
た。
平成19年12月3日の判決に変更となった。  
             


判決が12月3日へ延期し、下された!!




 判決内容は、実家の建物費用1300万円の中で母親の出資領収書がある。
金額が850万円相当の支払で父親が450万円の支払が450万円とするのが共有名義の届出からも相当の判断と下った。
 しかし、父親の領収書等は全く一切相手方からの提出は無く、こちらから母親が税務署へ提出した書類から出資内容からの判断であった。
 この書類は、当時の建築業者の担当者が書いた下書きで鉛筆で記載されているもので父親と母親の両者の前で、聴いて書き込んだ物であった。
母親の話しでは、「税金の関係で、母親が全額出資していると税金額が大きくなるので、貸した金額をそのままにして提出することにしていた。」と言う。
 その話の内容を提出したが、母親が被告に証言したとする主張は、認められず判決が下され、その割合が母親26に対して、父親が9割の割合での出資として原告と母親とが共有する事で明渡しの判決が下された。
 早速、その連絡を妹から受けた「遠くのご隠居」こと水戸市の荻谷昭夫が毎晩留守電に「早く明渡して出て行け!!」と喚き出した。
妹も実家の周辺を友達の車で駆け回りだした。
 この判決が下っても仮執行をした妹も一切却下されて、実家への立ち入りに関しては、当然母親後見人との合意が無ければ出入りが許されないことになった。
 私が山形へ来た時に、妹が「山形で仕事も無いし又、さっぽへ戻ることになるから帰りな!!」と怒鳴って言ったが、この裁判は、想定しての発言であった事が解かった。


アパートや土地は全て母親の登記所有物件!!
そのアパートへ私は引越したが・・・・、
退去通告が直ぐ後見人弁護士から!!


 
 

 私が放射線被爆して警察官を退職した時から、母親セツが「アパートを建てるのは、お前が家賃で生活できるように建てるのだから、全てお前に遣るから、何時でも名義を変えれ。」と言っていたし、当時母親との内容を交わした手紙もある。
 平成13年12月母親セツが帯広へ逃避した時にも、妹夫婦が勝手に平成2年からアパートの家賃を横領している
事から全額の返還を要求した内容証明の手紙もある。
 更に、平成18年1月に私が山形へ戻ってもアパートの家賃や横領した金を一切返還しないし、引き渡さない事から内容証明を出した証拠がある。
 それでも返答が無く母親セツが怒って「公証人の先生を呼んでくれ・・・・全ての土地やアパート、建物の名義を亨へ変えれ。」と言い出した事から公証人へ聞かせた録音テープもある。
それで、母親所有のアパートへ引越しをしたが、直ぐそれを感知した後見人弁護士が当日に書面で退去通告して来た。
母親が認知症の診断書を出される以前に、既に録音テープで公証人に聴かせているし、何本もの証拠録音テープがあるが、山形家庭裁判所が今後、その退去通告を認めるか問題である。
今の私は、他に引越しする資力金も無いので私は、強制執行まで頑張るより他にありません。

 


 後見人弁護士が事務所一等地へ移転!!



 何故か、妹が引っ越したか確認に来た後、すぐに弁護士から退去通告の書面の送付。
そして、弁護士の山形市松波の山形裁判所から遠い場所からすぐ近くの一等地大手ビルへ移転した。
 母親を深夜特別老人ホームへの指示していることなどからも、妹夫婦から何らかの賄賂工作が執られ多額の金額が入ったものと証拠が無く推測する。




弁護士へも金には弱く後見人の権限で自由に、

正義は勝つと母が・・・・言うが
親から盗んでも金を握った者が勝ち!!


この仕事も無い山形で住の一つが奪い盗れば誰でも生きて行けない。それを期待して妹と元警察官夫婦のアパート追い出し作戦です。
後見人弁護士からの退去通告は、私ばかりではない。
明渡した実家二階からアパートへ引っ越した荻谷昭夫からの危害を恐れて札幌から移住した岩尾さんの友人も、直ぐ妹から追い駆けられてデジカメで撮影され弁護士に報告された。
そして母親の後見人弁護士が山形市役所の保護課へ駆け込み、身体障害者の岩尾さんの保護を打ち切れと怒鳴り即刻退去要請した。
私の係わりから荻谷昭夫に暴行傷害を負い殺されそうになった身体障害者の岩尾さんに対して、私は申し訳けなく思ってます。
これからも荻谷昭夫らから警護すべき私には、責任がある。
こんな暴力的なヤクサ系の男を山形警察署は、脅迫的なサイトを堂々と公開していても放置している。
裁判所も弁護士も警察官も・・・弱い者の見方でも無いし、正義の味方でも無い。
「金、金・・・・」と金の世の中で、全て金を握った者に撒かれる時代なのかも。

父親の盗んだ遺産相続
内容の虚偽報告


相続前、父親のスーパー定期預金
       1.750万円が行方不明金発覚!!   



  実家の建物明渡し裁判に措いて、父親が幾ら出資しているか調べていたところ、父親の書庫から遺産相続に関連した銀行の計算書が発見された。
  平成14年9月6日に父親が妹に公証人役場で口答遺言した内容は、「全財産を渡す。」と言う遺言であったが、その時の金額が手持ちの現金655.604円と郵便局の貯金147.458円に某銀行預金18.987円の合わせた金額の父親申告で、遺産を受けたと申告していた。
  しかし、当時450万円は3年のスーパー定期の預金してあって満期になっていなかったし、その遺言の作成する半年前前後に1.300万円の3本のスーパー定期が次々に卸されて行方不明になっていた。
 父親は、私が平成13年12月30日に帯広で逢った時には、既に認知症で「25万円遣せ。」と同じ事を繰り返して雄叫びを揚げてマトモナ話しの出来ない状態であった。
  この事からも、妹夫婦が認知症の父親に「全財産を遣ると言え。」と母親のように脅したか暴行して強与したことの裏付証拠が確保することが出来た。
 父親の書庫は、ダイヤル番号が判らないと開かないので父親は、既に認知症の発症から教えなかったから、この証拠が妹夫婦にバレて捨てられ処理されないで暴露されたのであった。
この件は、当然既に山形家裁や山形地裁へ報告した。





 またまた父親から引越し整理中に
定期預金が卸され総額2750万円、
更に、追加で総額 3100万円以上が
父親口座から奪い取られていたのだった!!


 

実家の建物明渡し裁判の判決の後で、引越しにあたって再度調べていたところ、母親の隠した別の書庫から遺産相続に関連した銀行の別の決算書が発見された。
  平成14年9月6日に父親が妹に公証人役場で口答遺言した内容は、「全財産を渡す。」と言う遺言であったが、その時の金額が手持ちの現金655.604円と郵便局の貯金147.458円に某銀行預金18.987円の合わせた金額
の父親申告で、遺産を受けたと申告していた。
  しかし、当時450万円は3年のスーパー定期の預金してあって満期になっていなかったし、その遺言の作成す
る半年前前後に1.300万円の3本のスーパー定期が次々に卸されて行
方不明になっていた。
 父親は、私が平成13年12月30日に帯広で逢った時には、既に認知症で「25万円遣せ。」と同じ事を繰り返して雄叫びを揚げてマトモナ話しの出来ない状態であった。
  この事からも、妹夫婦が認知症の父親に「全財産を遣ると言え。」と母親のように脅したか暴行して強与したことの裏付証拠が確保することが出来た。
 父親の書庫は、ダイヤル番号が判らないと開かないので父親は、既に認知症の発症から教えなかったから、この証拠が妹夫婦にバレて捨てられ処理されないで暴露されたのであった。
この件は、山形家裁や山形地裁へ報告した。
 詳しくは、次の特報にて!!

共謀した姉の他界かも?


母に拳骨を食らわせた
帯広の姉が死んだとか?



 平成13年に母親が前夫の子供長女のところへ武田夫婦から逃避した時に、逆に妹夫婦と組んで母親に「亨に余計なことを話した。」と怒って拳骨で叩いたり抓った○子が、C型肝炎で人口透析していたが、母親より先に逝ったらしい。

それは、先日の日曜日の町内会の会議に措いて、父親の兄貴の息子さんが同じ町内の会長をしているので「亨君には一切連絡無かったの?」と驚いていた。
 また妹夫婦が、親戚一同に対して「姉妹の葬儀にも連絡したのに来ない。」と騒いだものだろう推測する。
母親は、山形の娘警察官夫婦に帯広の娘も口車に乗せられて騙されていたのだろうと、一緒に農作業をし
て苦労して働いたので心を痛め涙ぐんでいた。

 

易経鑑定
手相・人相・黒子・指紋

警護メニューへ
戻る

保護活動歴

虐待特殊の次へ

虐待総合メニュー