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昨年平成18年11月15日に看護師か介護士の意図的な暴行によって母親セツの足の甲が真っ青になっていた事件から以降においても、他に私が問詰めた結果私の居ない間に妹夫婦による暴行事実を何度も受けていたことの告白を受けていた。
しかし、
それから以降は、母親の傍で一日中毎日警護をするようになり又、母親の身体も点検していた。
毎日の監視から夫婦による虐待行為の過去の全ての出来事を母親からいろいろ聴いた。
平成14年1月帯広から無理やり山形へ戻されて監禁され一週間の断食から脱水症になり、その原因で脳梗塞になったことから、より詳しく母から細かく聴きだした。
ここ朝昼夜の母親への介護を止めて、夜の介護と警護だけにしていたら妹が直ぐ感知して早朝来て6日間続けて母親セツの病室へ入り込み睨み付けて直ぐ帰って行くことも母親から聞いた。 |
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「母親セツと私は、きっと何かが起きるので気おつけて措いた方が良いね。」と話していたばかりであった。
その何かが又起きた・・・・・7月22日正確には21日の夜から22日の7月22日の日曜日の午後3時過ぎに母親の足の左足親指の爪が剥がれて麻酔の注射を打たれていた。
母親の話では、「朝か・・・食事へ連れて行くのに部屋で車椅子へ乗せられる時に何者か声を出さないので判らないが、何でか頭が登るほど痛みを感じて叫んだ時には、爪が剥がされていた。」とのことであった。
○○看護責任者が「係りの者が介護扱いが悪くて注意して措きましたが・・・申し訳ありません。」と病室へ向かって行くと直ぐ詰所から追い掛けて来て謝りに来た。
以前も、母親の足の甲が真っ青・・・・そして、今度は足の親指の爪が剥がされて・・・・・と不自然な事故であるように思う。 |
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そして、必ず妹が何日か継続して母親の病室へ来ている時の後に暴行虐待が行われている。
今回は、その間にテレビのイヤーホーンが妹○○○が帰った後に無くなっている。
以前は、壊されていたが今度は、持ち去っている・・・・・私が証拠として裁判所へ壊された状態を報告しているから
証拠を残さなくなった。 |
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これで7回目のイヤーホーン事件である。
この事案に対しても後見人の弁護士にも報告しても何ら返答も無い。
それどころか病院に対して、外泊禁止から入れ歯の禁止、補聴器の使用など認められてないとの連絡をしている。
母親セツは、平成14年1月以降に又監禁されて倒れ山形大学医学部付属病院へ緊急入院させられていた。
その後、その○○看護責任者も母と一緒の時期に、この山形徳洲会病院へ転院していることが判った。
当時から事情を知っている患者の家族の話では、山形大学付属病院の中でも問題の看護師や介護士が、皆纏め一緒に転院していると話す。 |
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患者を車椅子に乗せて食堂まで搬送するのに・・・・如何したら足の甲や親指の爪まで剥がれるほどの怪我を負わせれるのか、私が毎日しているので一番判り不思議でならない。
母親の我慢強さには驚かされている。
それは私が小学校5年ころサイロにレントコーンを切り込みする時に、カッターの先頭になって働いていた母親がベ
ルトコンベーヤーに巻かれて親指を根元から切断しているのですが・・・・・その時より痛く感じたと言う。
母親は、23日は痛さでの疲れて食事した後は、直ぐ寝ました。
多くの皆さんへ・・・・・この院内虐待を単なる事故として多くの看護師や介護士によって平然と閉鎖的な場所を利用して行われていることを知って欲しいのです。 |
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この画像は、7月22日から約三週間も経過して包帯を取り去ってからの画像である。
それまでは、母親が痛がってガーゼーの取り替えにも「痛い痛い」と騒いでいた。
それを妹が私の留守を狙って来て、痛い足先を業と触りまくって帰っていたのであった。 |
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