「ホロコースト」詰んでる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

齊に在りては太史の簡 晉に在りては董狐の筆
過去に目を閉ざす者はホロコーストの嘘を見抜けない

2007-06-18

[]日系米兵「ダッハウ解放」の謎

どの師団が実際にダッハウを解放したのか?というサイトの中で、スティーブン・スピルバーグが自身の「ショア財団」の資金で制作した映画「The Last Days」に出演した元日系二世兵士「Miho Katsugo」氏の「証言」が引用されています。氏はダッハウ収容所を「解放」した522野砲兵大隊に所属していたと言っています。

Our reconnaissance squad shot open the locks to one of the sub-camps and allowed thousands of inmates to get out. Starving, looking like the walking dead, they began to roam the snow-covered countryside, just trying to find something to eat. The Germans had been using horses to cart their artillery and supplies, so there were a lot of dead horses lying along the roadsides. Against their better judgment, these inmates were stripping the horses and eating the flesh. Some of them died because they couldn't digest something like that.

[...]

In the meantime, whilst I was in and around Dachau, my Dad was still considered a Prisoner of War and being interned in Santa Fe, New Mexico. Many members of the 442nd RCT throughout the war had parents, brothers and sisters in the so-called Relocation Centers throughout the United States.

矢野徹著『442連隊戦闘団』には次のような記述があります。

さてホノルルの"くにゃくにゃ豆の木通り"933番地に<442クラブ>がある。わざわざホテルまで迎えに来てくださった442連隊戦闘団第百大隊生き残りのカツゴ・ミホ氏にお話を伺うことになった。

「私は訓練基地に丸一年おり、それからイタリーのアンツィオにおける最後の戦闘に加わり、ローマからベルベデーレ、アルノ川……それからボージュ山脈……そう、あの有名な"失われた大隊」救出作戦ですよ……それからドイツ占領でストラスブルグ……」

"Go For Broke National Education Center"という日系二世兵士記念サイトで、記念碑に刻まれた二世兵士の名前を検索できるページがあります。Last Name「Miho」、First Name「Katsugo」で検索してみると結果は一件だけ。所属部隊の欄は「100/442」、442連隊第百大隊と出ます。

ご承知のとおり、ボージュ山脈の戦闘で潰滅的損害を受けた後、442連隊はニースへ移動して後方警備任務にまわされますが、この時522野砲兵大隊だけは分離されて第7軍に従いライン方面の作戦に参加します。ダッハウが「解放」された4月末、カツゴ・ミホ氏が「I was in and around Dachau」と言っていたそのとき、第百大隊を含む442連隊は歩兵92師団に配属されイタリアに居たのです。

カツゴ・ミホ氏はボロボロになって人手不足の第百歩兵大隊から引き抜かれて、兵科の違う522野砲兵大隊へ転属していたのでしょうか?

この「日系米兵ダッハウ解放物語」ですが、矢野徹の『442連隊戦闘団』でも触れられておらず、昔の文献では見た覚えがないのですが、はたしていつごろから出てきた話なのでしょう。ダッハウを解放した黒人部隊のエントリで触れた「黒人部隊がダッハウを解放」したというユダヤ人制作者のデマ宣伝映画『解放者』に関して、IHRのグレッグ・レイヴンによるレビュー記事があります。それによると「黒人部隊のダッハウ解放」デマを最初に流したのはニューヨーク・タイムズの1985年の記事だということです。デンゼル・ワシントンをナレーションに起用した映画『解放者』の公開が1992年。イスラエルのプロダクション制作の「日系米兵ダッハウ解放」「ドキュメンタリー」はその前年1991年の制作です。この番組はNHKが1994年に日本で放映します。1994年になって、日系米兵に「ダッハウについてしゃべるな」と箝口令が敷かれていたという「新事実」が出てきます。しかし、機密文書が公開されたというわけでもなく証言だけのようです。

そして、「典拠不明書きっぱなし事典」として悪名高いウィキペディアの「第442連隊戦闘団」の項目は

ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊・ダッハウの強制収容所の解放を行った。

最終更新 2007年5月31日 (木) 21:14。

とまで話をふくらませて書かれています。