(cache) CARO DIARIO 日記 2005年5月


『ダーウィンの悪夢』/竹塩ハミガキ最高っす/ドロンケンにつき許せ/僕らはまだ金綺泳を知らない/見える鉄道員と見えない鉄道員/苦節3年10万アクセス達成/瀬川問題ひとまず決着/パンルヴェを見逃す/みるめ!/などなど

2005/05/31
 山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」。39歳美術の女教師と、仲良くもないけど別れる気もしない50代の夫。19歳の男の子には理解できないけど、それでも理解するしかない「夫婦」なるつながり。それはいいけど主人公の男の子の名前が「磯貝みるめ」。本気か。みるめ。
 ところで湯布院に掲げられたという科学映画特捜隊のポスター。シミズ隊員、東京までお持ち帰りできますか?
科学映画特捜隊ポスター

2005/05/30
 知人のブログを訪問して知ったのだが、ジャン・パンルヴェによる海の生物を扱った9本の科学映画(ちゃんと35mm上映)にヨ・ラ・テンゴが生演奏をつけるという信じがたい企画が、おとといラフォーレミュージアム六本木で行われていたそうだ。なんで俺のアンテナに引っかからなかったんだろう?(科特隊で気づいてた隊員はいませんか〜)どうせ出勤の日で行けず、仮に休日でもチケット取りの下手な俺に予約ができたかどうかは疑問だが(即完売だったそうだ)、上半期最大の失策ならむ。悔しい!悔しい!悔しい!
 雨天。映画フィルム唯物論講義。本屋めぐり。今期の順位戦予想を作って送信。

2005/05/29
 疲労回復デー。NHK杯、中村修センセイの連続自陣金打ちにシビレる。結構テレビを意識してる指し方かも。「受ける青春」から「受ける中年」へ。原稿を直そうとするがなかなか難航。

2005/05/28
 上野均、文芸評論家の大庭萱朗さんと阿佐ヶ谷「よるのひるね」で話し合う。アルコールを飲むのは僕一人。主な話題は、音楽でも映画でも現代詩でもいい、作者にまつわる影響関係の「ツリー」にこだわる今の30歳代と、あまりにも情報が氾濫しすぎて逆に遠慮もなく過去の遺産と向き合える20歳代との断絶について。若かった僕たちは、勉強すればそうした「世界」はすべて把握できると傲慢にも思っていた。それぞれの表現にまつわる固有名詞が猛烈に好きで、目や耳を鍛えるのに役立つ知識とにらめば徹底的に溜め込んだ。どのアーティストは何を聞いて育ったかなどという事実にこだわり、そのためにCDを漁ったり、映画館に日参するような勉強を愛した(従って自分の怠慢ぶりにも気づかされたが)。「自分」の痕跡を消せるまでに、巨大な網目である「世界」に近づくこと。…そんな話をして十全に理解されるだろうか、不安ながらも具体的に今の学生たちと議論をしたいなあと正直思った夜半。

2005/05/27
 日本映画の英語字幕翻訳で引っ張りだこのリンダ・ホーグランドさんご来訪。初めてお会いするのだが、なぜかお名前だけは前から知っていたような気がする。きっと英語字幕つきの日本映画の末尾でお名前だけ何度も見ていて、頭に刷り込まれたのだろう。来月からジャパン・ソサエティのシニア・プログラマーに就任されるとのこと。
 日仏学院のジャン・ルーシュ特集のチラシに目を見張る。いやあ最近の日仏さんはすごい。どうしちゃったんだろう。森達也「ドキュメンタリーは嘘をつく」読み始める。

2005/05/26
 明日から第8回ゆふいん文化・記録映画祭。遠くから成功を祈る。それにしても科学映画プログラムはかなりneoneo坐企画のリサイクルなので笑える。一瞬デジャヴュかと思った。
 将棋界を思いっきり揺らした瀬川さん問題、棋士総会でついに結論が出た。フリークラス編入試験! それ自体はいいことだが、米長さんの会長就任とセットになっているのが人気取りっぽくて気に食わないなあ。試験っていうけど一体誰と指すんだろうか。米長だったりして。そして草葉の陰の小池重明はどう思っているのだろうか。以下は連盟の公式発表。

アマチュア強豪・瀬川晶司氏(35)より平成17年2月28日付で理事会宛に日本将棋連盟の正会員になることを希望する「嘆願書」が提出されておりました。この件に関しまして、本日の通常総会で討議されました結果、フリークラスへの編入試験を行うこととなりました。編入試験の内容は新理事会に一任となりました。

瀬川晶司氏の談話:一アマチュアの要望を真剣に検討して受け入れて頂いた日本将棋連盟に心から感謝しています。プロ試験ではベストを尽くせるよう頑張りたいと思います。


2005/05/25
 夜、「科学映画特捜隊」の作品選定に向けたミーティング。まだ何かありそうだとの感触を得て、来月に再度会合を持つことに。その後、ロケットなど宇宙関連の映像に造詣の深いカトウ隊員と飲み、もう10年も撮影されてきた内之浦のロケット発射場や、ハワイのすばる望遠鏡の工事について伺う。それで来週また内之浦へ行かねばならんと言うから大変である。

2005/05/24
 黙々と原稿書き。野菜ラーメン。黙々と原稿書き。深夜、ケーブルテレビのジロ・ディタリア(イタリア自転車一周レース)に夢中になる。自動車ほど速くなく、マラソンほど遅くないあのスピードで、小さな町に近づきやがて遠ざかってゆくのが美しい。

2005/05/23
 過日、若い人からかなり唐突に「好きなプロレスラーはいますか?」と尋ねられた。唐突な質問は苦手で、しかも日頃まるで考えない事柄だ。だが毎週テレビのプロレスを楽しみにしていた小学生の頃に思いを馳せると、もやもやした記憶の底から、見慣れない空中技から華麗な固め技へともってゆく小柄な男のアクションが浮かび上がった。だが名前は出なかった。「うううーん」「いますか」「えーとねー、昔の人しか知らなくて。んー、メキシコって感じの」「グラン浜田ですか」。震えるほどのカタルシスが襲った。眠った記憶を覚まされるのがこれほど悦ばしいとは…。ちなみに、彼によればグラン浜田はまだ現役なのだという。それもまた素晴らしい。
 講義の後、河田町方面に用事があったので、山形映画祭の事務局にちょっぴり缶ビールを差し入れる。帰り道、本屋と古本屋を行脚。学生時代以来足を踏み入れていなかった古本屋の品揃えと値段が実によくてどっちゃり買い込んでしまう。モディアノ「1941年パリの尋ね人」、山谷哲夫「沖縄のハルモニ」、松本仁一「カラシニコフ」など。「カラシニコフ」は、ドキュメンタリー『ダーウィンの悪夢』(5月3日日記参照)が見せてくれた、魚肉が兵器と秘密裡に交換されているタンザニアのあまりにドス黒い実情が僕に迫った読書と言っていい。老カラシニコフ氏が、冷戦後にアメリカを旅して米軍のM16の開発者に自分の製品を褒めてもらい、心から喜んでいたのは残酷にも美しい場面だった。瞬時に読んでしまったが、ジャーナリズムかくあれかし、と賞賛しておきたい。
 帰宅したら10万アクセスを過ぎていました。皆さまに深謝申し上げます。これからも、何となく、フラリと、チラリと、ダラリと、あるいはギラリとでも構いませんのでご来訪くださいまし。

2005/05/22
 疲労回復デー。明日あたり10万アクセス達成の見込みです。ピタリ踏んだ方は遠慮なくご報告ください。証拠も一応ください。「ラベイユ」のおいしい蜂蜜をプレゼントします。

2005/05/20
 韓国でシネフィル垂涎の特集上映を続々と企画しているソウル・アート・シネマ(非営利ながら300人の劇場を持っている!)から、映画プログラマーのキム・ソンウクさんらが来日。ソウルでもお会いしたがとてもシャイな方。昨日ジャック・ドゥミー&アニェス・ヴァルダ特集が終わって、次はロバート・アルドリッチ13本とか。凄すぎる。少なくともいま東京では不可能。昔は映画を観にパリ、だったが今は映画を観にソウル、もあるかも知れん。沖縄料理を食べる。彼と企画の相談をしたい人物に引き合わせるため新宿へ。宿へ送り届ける。

2005/05/19
 夜、某所で大学院生たちと飲む。タルコフスキーを専攻したいという方に「じゃあ、どのぐらいタルコフスキーが好きなんですか」と意地悪な質問をしてしまう。やや反省。帰り道、「ジャンボフランク行こうぜ!」と威勢のいい声が上がり、わけもなく同意。しかしローソンにはなく、期待のファミリーマートでも売り切れ。3軒目のセブンイレブンでようやく発見。「ジャンボフランク4本!」。店員さん「ジャンボじゃないすけど…」。そうでした。ちょっとはしゃぎ過ぎたね。
 ウカマウ集団の新作にして初のDV作品『最後の庭の息子たち』ついに日本上映。しかも夏にはユーロスペースでのモーニングショーも。自発的口コミ活動を始めます。

2005/05/17
 この5月はただひたすらに書く月である。職場でも、帰宅しても書いてばかり。そんなことは出張前から分かってはいたが。うう。

2005/05/16
 講義。の前に一件打ち合わせ。『ある機関助士』と『見えない鉄道員』を比較。ヴェネチア・ビエンナーレのチラシ。今年の日本パヴィリオンは石内都の写真展。素晴らしい。あまり馴染みのない古書店に入り、吉岡実「死児という絵」を買う。

2005/05/15
 「neoneo」最新号、土本典昭監督の雲南報告がべらぼうに刺激的。そもそも、3年後にオリンピックを控え、首都では巨大工事によって生活者がそれなりの我慢を強いられようという国で、『ドキュメント路上』を上映しようという映画祭側の感覚が鋭敏ではないか。交通事故の死者数が「大型旅客機が毎日一機、墜落している計算」とされる今の中国こそ、『ドキュメント路上』を地でいっているのだ。それだからこそ、逆に文脈も何もなく、観客からいきなり「中国の車社会を批判しに来たのか」とも言われてしまう。ドキュメンタリーは、いつになっても死なないのである。今はただ、この映画を「歴史」の範疇でしか語ってこなかった自分の不明を恥じる。
 夜、科学映画についての原稿書き、ってより「科学映画と私」っぽいエッセイになってきたので懸命に揺り戻す。まあどうにかなるよ、と編集のトロピカリスト氏への私信。

2005/05/13
 ご家庭で約1万個の星が投影できる本格プラネタリウム「ホームスター」が7月に発売になる。ピンホール式じゃなくてシャープな画像の出る光学式(6.5等級まで!)なのに、たった20790円。どこに投射したらいいか分からないけど、ほしーい。
 9月からニューヨーク近代美術館で行う日本映画特集の準備に入る。当分はこれの執筆に没頭の日々。こないだ某所で聴いてなぜだか涙が出そうになった「DOWN TOWN」が頭から離れず、昼休みにHMVに駆け込んでシュガー・ベイブ「ソングス」を購う。疲れたので、夜は下北沢で七里圭監督『眠り姫』の上映会へ。人物はほとんど登場せず、無人のショットとオフの声だけで進行する驚くべきスタイル。眠っても眠っても眠り足りずに顔がむくれるばかり(もちろん見えない)の主人公の女性教師と、睡眠薬の飲み過ぎでやせるばかり(もちろん見えない)の男性教師。互いの感触を確かめようとまさぐり合う二つの手に、そこはかとないリリシズムが結晶していた。

2005/05/12
 何人かの方々からの情報を吟味すると、「猥褻映画」として国家検閲からさんざん苛められたという兪賢穆の『春夢』(1965年)は、やはり武智鉄二『白日夢』(1964年)の事実上のリメイクのようである。そのくせ街並が斜めに傾くセットは『カリガリ博士』(「カリガリパクサ」と読んでほしい)ばりの表現主義、しかもアングラどころか紛れもない当時の代表的二枚目青春スター、申星一(シン・ソンイル)が主演しているときた。さらに、サディスト歯医者役の朴岩(パク・アム)は本当に大学の歯学部を出ているそうだ。うははは、なんだか楽しくなってきた。ま、いつ会ってもおめでたい奴、とは長年言われてるけど…。

2005/05/11
 やたらと仕事が降ってきて一日が短い。それでも夜が更ければわが心のオアシス、neoneo坐「短篇調査団」へ足を運ぶ。1本目は、桜映画社=中外製薬のゴールデン・タッグが蚊とハエの駆除を粘り強く訴える『百人の陽気な女房たち』(1955年、青山通春)。この映画にご出演の亘幸子さんは野田真吉監督のご夫人と思われるが、どのお母さんなんでしょう。お分かりの方はご一報を。次が東映教育映画『勉強を見つめる母親』(1961年、津田不二夫)。小学校低学年、高学年、中学生、それぞれの世代の学習態度に向けるべき親の視線とはどのようなものか、それは確かに悩ましいテーマ。だが、マイルドな口調で語られる頭ごなしのナレーションには、戦後教育映画の本質的な姿勢である「過剰な啓蒙主義」がうっとうしくも雄弁に横たわる。3本目は日動映画の『子うさぎものがたり』(1954年)。あの天才キャラクター・デザイナー森康二にも若い頃があったのだなあ、と納得させられる発展途上アニメーション。そして最後が再び桜映画社製作の『ふるさとに生きる母たち』(1975年)。冬は老人と子どもを残して父も母も出稼ぎをせざるを得ない秋田県南部の農村で、家族の絆を取り戻そうと地元に「母親農場」を設立して家庭の荒廃を避けようとする村人たち。主題はなかなか感動的なのだが、金子精吾という監督はドキュメンタリーの顔をしていつも平気で被写体に芝居をさせるのがひっかかるなあ。
 それでも、今日も充実のラインアップ。小さなカンパだけで、他では絶対観られない映画を4本も観られて、しかもオーナー一家のご好意でいつも満足のゆく一皿が供される。「メシを食いに来た」と豪語する人がいるほどだ。うまい話はないと言うけれど、ここだけは真実のうまい話。

2005/05/10
 ニホンのビール普及史を綴る、キリンビール創立75周年の記念出版「ビールと日本人」(1983年)を入手。始まりは幕末。留学先のオランダから姉へ送った手紙の末尾に「少々ドロンケンに付乱筆御海容可被下候」と記した酔っぱらい榎本武揚、たいへん微笑ましい。僕もこれから使おうか、ドロンケン。
 あと戦前の日本映画によく出てくる軽食喫茶「ミルクホール」ってのはヘンな和製英語だなと思っていたのだが、要するに「ビアホール」の転用だったわけだ。言われてみりゃそうだね。

2005/05/09
 講義。『ある機関助士』を見せる。尼崎の鉄道事故が起きた今こそ、「3分の遅れ」を取り戻すことが具体的にいかなる労働であるかを示したこの映画の意義がはっきりする。思えば「総資本対総労働」と呼ばれた三池炭鉱争議でさえ、運動の記録行為を超えた「労働」の映像表現を生み出し得ていない。それほどまでに、この映画は「資本」に「労働」を対置させることに成功した稀有な作品ではないか。
 全州で一緒だった大学院生の山本くんから、その後ソウルの映像資料院で金綺泳(キム・ギヨン)の『高麗葬』を観たという話を伺う。残念ながら映像の欠けた(つまり音のみが延々と続く)巻があるそうだが、ラストのグロテスクな表現にはただ圧倒されたという。どうやら金綺泳はいまだ“発見”の余地が大幅にありそうだ。韓国でお土産にもらった『陽山道』のDVDを早く観よう。

2005/05/08
 午後、定例句会。参加者少なし。その後仲間を家に招いて夕食。気づくと10人ほどになる。この道60年を自称するベテラン助産婦さんを呼んで、自宅で出産されたAさんの話にみんな聞き入る。
 上野均によれば、僕は作家の大崎善生氏(「聖の青春」「将棋の子」「パイロットフィッシュ」)にそっくりらしい。風貌も早口も。で、これまでは単に「ふーん」と思っていたのだが、最近知ったところでは、とある将棋関係者もどこかの将棋イベントで僕を見かけた時、大崎氏と勘違いして声をかけようとしたという。そんなに似てますか。一度お会いしてみたいです。
 唐突ですが、良い猫の写真を拾ったので載せます。他意はありません。
微笑む猫

2005/05/06
 久しぶりの出勤。どうやって仕事したらいいか忘れたよ。とキメる間もなく「ご相談」がびゅんびゅん吹き荒れる。おかげで一瞬たりともボケる芝居ができず無事復帰できました。みんなありがとう! お土産は韓国名物「竹塩」ハミガキだ! 食後のブラッシングも爽快!

2005/05/05
 NHK「こども将棋名人戦」。準決勝に残った4人は揃いも揃って攻め120%ボーイズ。名古屋の6年生くんが優勝。4人とも、30秒将棋でこれだけ指せるようではたまらん。全員がプロ入り希望だが、それがいちばん幸せとは限らんぞ、と独り言。

2005/05/04
 疲労回復の日。夕方、荻窪の杉並アニメーションミュージアムへ。区の建造物の一部を利用したという点でも必ずしもお金が潤沢にかけられた施設ではないが、それでも目を見張らされたのが、プリ・シネマの装置が4種類、ボタンを押せばきちんと動くようになっていたこと。プラクシノスコープ、ゾートロープ、フェナキスティスコープ、ソーマトロープ。これが、よくあるようで日本にはなかなかない。個人的にも、ベルギーのシネマテーク訪問以来の体験である。これで、映画の原理をニホンで体験できる場所がどこかありますか?てな質問にも答えられるわけで、ちょっと胸をなで下ろした次第。
 夜、西荻窪「梁の家」(大久保にある有名店の支店)で懲りずに韓国料理。サムギョプサル。ソルロンタン。ネンミョン。なんというか、惰性ってあるんだよね。

2005/05/03
 本日帰国いたしました。
 ソウルではこの冬の兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督特集の調査、後半は第6回全州国際映画祭へのゲスト参加。全州(チョンジュ)にたどり着くまではギリギリのスケジュール組み。夜になれば韓国映像資料院の若い人たちとしこたま飲んだりもしたけれど、毎朝地下鉄で映像資料院へ通勤、通訳のユン・ヨンスンさんとともにステーンベックと格闘する日々。2年前と違ってここの職員さんも残業が増加、結局僕も一緒に残業できてしまう。そして帰る前に東京からのメールをチェック、お返事大会。スゴハセヨー(お疲れさまー)。これでは東京の生活と変わらんではないか。おかげさまでハングルが前よりは速く読めるようになり(漢語起源の言葉なら日本人にも分かりやすい)、アルファベットなしの街並もある程度平気に。
 土曜日の夕方になって映像資料院から直接高速バスターミナルへ赴き、全州へ向かう。ホテルのチェックインを済ませて大雨の街へ出ると、東京フィルメックスの森宗厚子さんがいらっしゃる。森宗さんのおかげでスピーディにIDカードもいただけて一安心。やがて相米慎二特集のコーディネーター&カタログ執筆者ご一行にも合流。
 この短い滞在で、韓国映画ばかり観るとキリがなくなるので、あえてそれ以外の国の作品に集中。特記すべきは次の通り。北朝鮮による竹島領有主張映画『血塗られた道程図』(ピョ・グワン)。初めて35mmで観る『悲しみは空の彼方に』(ダグラス・サーク)にはやはり激泣き。ドキュメンタリー『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー)。ラウル・ルイスが30年ぶりにチリに帰国して撮った『田舎の日々』。あと相米慎二特集は、自分もほんのちょっとだけお手伝いしたので意図的に足を運ぶようにした。『ラブホテル』の、最終ショットの花吹雪を観て拍手をした韓国の女性とは、思わず握手をしたくなったよ。
 なんと『血塗られた道程図』(2002年)は前・後篇2部作の時代劇アクションだった。1990年代は北朝鮮アクション映画の低迷期とされているそうで、その意味でこのジャンルの復活を告げる作品とのこと。明らかに最近の香港アクションを勉強している作り。于山島(ウサンド。独島=竹島のこと)で生まれた少年が、島にあるという伝説の仏像のありかを示す地図を父から分け与えられるが、その父は土地の支配者の手で殺されてしまう。半島に渡った少年はやがて武術を学び、日本とつるんで仏像を横取りしようとする支配者の妨害をはねのけて、仲間となった僧侶とともに荒れた海を渡って島にたどり着くが、実はこの僧が日本人。「私の名は、ムラヤマケンジだ!」。時代劇のしかも坊さんにしちゃ今風な名前だが、とにかく崖の上でムラヤマとの最後の死闘を繰り広げてエンドとなる。彼を助ける女性ファイターもなかなかセクシーだ。で、一箇所だけ苦笑してしまった所があった。この映画では日本人もすべて朝鮮語でしゃべるのだが、たった一度、島に到着した瞬間にムラヤマから一言だけ日本語が出てくる。「ミズニオボレテ、シニソウダッタ」。物語の進行にまるで関係ない台詞なんだけどなあ? ここだけ字幕がなくて、ゲラゲラ笑うのは日本人だけ。きっと「イルボンサラム(日本人)が独島の映画を観に来てやがる」と思われたであろう。
 あと、韓国EBSで映画批評番組を製作しているディレクターさんお勧めの『ダーウィンの悪夢』(2004年)が凄かった。養殖のために放流されたナイルパーチという巨大な魚が他の魚を死滅させ、生態系を破壊してしまったアフリカのヴィクトリア湖。水産加工会社の社長は、地元に雇用を生んだ素晴らしい産業だというが、旧来の職業を奪われた人々は漁民キャンプに縛り付けられ、極端な低賃金による飢え、伝染病、日常的な殺人の横行という世界の絶望をすべて集約したかのような生活を送らされる。魚のフィレはロシアから来た飛行機が買ってゆき、食べるのはヨーロッパ人や日本人。漁民たちは(絶対に腐っているはずの)魚の頭をフライにして飢えをしのぎ、ストリート・チルドレンは少ない食事を殴り合って奪おうとする(その喧嘩の中央にキャメラがいる!)。誰もがロシアの飛行機は「来る時は空っぽで、帰りは魚を積んでゆく」というが、実は対価として大量の武器が送り込まれているらしく、そのことには地元の人もロシア人パイロットも全員が口を閉ざす。反グロ(反グローバリズム)系ドキュメンタリーはいま世界で広がりを見せていると聞くが、この映画の衝撃には参ってしまう。少なくとも、これを観てすぐにコンビニ弁当の魚フライや、ハンバーガー屋のフィ○○○○○○○を食える奴は友だちにはなれないな。フランスではかなりのヒットになったそうだが、レイトショーでもいいから即時ニホン公開を! 韓国でハングルならぬ反グロを学んだ次第。
 全州のナイトライフで楽しかったのは、映画祭のゲスト・パーティの会場としても使われた酒場「星たちの故郷」。この店名は、1974年に空前の大ヒットとなったイ・チャンホのデビュー作の題だが、日本未公開でもあり残念ながら未見。壁に貼られた1970年代韓国映画のポスターに囲まれて、客はヤカンに入った朝鮮人参マッコルリ(とにかくうまい。誰かニホンに輸入してください)をトポトポと茶碗に注ぎ、小学校の給食皿みたいな容器に入ったシンプルなつまみを喰らう。ここではいろいろな出会いがあったが、「カイエ・デュ・シネマ」から派遣された若い批評家の方もいた。アジア映画を担当する割にはあまりに日本映画の知識が断片的だったので(長年ジャン=ミシェル・フロドン氏が日本担当だったためかな)、まずは相米慎二を見ろと力説してしまった。そして翌朝のご飯はいつもコンナムルクッパ(もやしクッパ)。いい目覚めになりました。
 ではまた、本サイトご訪問をよろしくお願いいたします。

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