いろんなものと対峙した
July 06 [Sun], 2008, 23:27
素敵な知識も素敵な人も素敵な音楽も絵もいっぱいありすぎて
その素敵なものを前に 一体どうすれば良いかわからない
素敵だ!好きだ!!!と叫べばいいのかい はあはあすればいいのかい
そのひとたちにわたしはどう対峙すればいいのだろうか
越境の同期も後輩も先輩も
教授も 授業のクラスメイトも
セツのひとたちも音楽関連の繋がりも も も
まったくもって素敵だよ 一体なんなんだよまったく
正しい受容のしかたがわからないよ
感じ尽くせている気がしない
もっともっと感じて生きてゆきたい
素敵なものたちをもっと貪るんだ
写真に残る幸せは
一つ残らず彼女のもの
空は紫 残された人の窓辺に 命吹く頃
Web設計の先生とマイミクになるという不思議な状況なんだが
先生の写真が予想以上に素敵で痺れた
日本の情景、のはずなんだが異国に見えるんだなぜか 神田川の古本屋市がロンドンの街頭にみえるる
引き出しも多くて趣味が良くて 素敵なひとです いったい何者なんだろうかあのお人は
もうすぐウェブのプレゼンです 先生が好きになるとちょいとやる気が出る がんばりまっす
一年ぐらい時系列にクソ忠実に日記を書いてるが
一定の切り口から一日を俯瞰→再構成して日記かけるひといいなあと思う
要約する力があるのだから
一日の体験、という具体的なものから何かを抽出して概念化できたら楽しいだろうな
私はどれだけ注意深く物事を見れてるんだろう
言葉をうまく使えない 言葉をうまく使いたい
さとうくんが言うことには
俺は言葉を知らなかったけど 考える時って結局言葉を使っているんだから言葉を知らないと話せないばかりか思考することもできない
本から 人から シャワーのように言葉を浴びた時期を経て今の彼が形成されたようだよ笑
Base ball bearのPVによく女子高生が登場しているんだが
そのたびに彼女らのなんともいえない魅力に心がわさわさします GIRL FRIENDのPVまじやべえっす
ああ女子高生ってなんて萌える生き物なんだろう
みんな同じ服を着て みんな同じ知識を吸収して 文部科学省が設定した問題の答えに素直に服従していて
プログラミング的な毎日を楽しく消化して行って
ああ だめだ 萌える なんて不思議ないきものなんだろう
土曜日
バイト10時からなのに起きたら8時40分でオワタと思った 諦めずに準備したらなんとか間に合った
バイト二時間をこなす
先日ちょいと衝撃的なことを聞いたがなんのその 逆に居心地が良くなったぞ
フォントを頂きほくほくとして職場をでる
そして楽しみで楽しみで楽しみでしょうがなかった表象文化論学会いってきた
ごはんたべて一緒に行かないかとさとうくんからメールきとったので文キャンで合流
整理券をもらいにいく 知り合い多い方ではないと思うんだがあの場は知人だらけでわろた なんか大好きな人たちが集まっていた 自分が仲良くなる人の傾向というか嗜好が少しわかった気がする笑
レトロでお昼ごはんくったのだが気がつけば結構お時間がやばいことになっていて
小野梓講堂に戻った時には既に時遅し シンポジウム会場に入れないので受付スペースにあるモニタでディスカッションを観覧してました笑 でも意外と居心地良かったぜ(負け惜しみですが何か)
高橋透さんとか千葉先生とか表メと文ジャの教授陣が受付にいっぱいいて ああやっぱりこれはもろに文構生のためのシンポジウムなんだなあとにやにやしていた あと越境の谷先生もいたなにやにや
文学と表象のクリティカルポイント という表題でのシンポジウム
東浩紀・堀江敏幸・古井吉吉という豪華なパネリスト
なんだかいろいろとジュネレーションギャップを感じた笑
東さんの「とても平板」な語り口は私たちにとって耳馴染みの良いものだった 私たちにとって「リアルさ」を感じられるものだった、と言ってもいいかもしれない
内容をメモメモ
日本語は最も「ブログが書かれている言語」らしい。つまり、コンピュータを介して編み出されたエクリチュール(=書かれた言葉)が溢れている言語、というわけだ。
PC変換によって編み出されたエクリチュールには限りなく身体性が少ない。語り手の声、というアーカイブの中での日本語ではなく、歴史性や身体性の解体されたその場限りの日本語だといえる。
日本人が現在触れている文章の中において、この身体性のない、変換されたエクリチールの占める割合が急速に増えてきている。ケータイ小説然り、ブログやミクシィ然り・
初音ミクなどの、「人格を背後に持たない声」がアメリカやヨーロッパではあまり受け入れられなかったのに対して日本ではそれが爆発的に普及している。
その背景として、日本人の「身体性のないものへの慣れ、親和性」があるのではないか。
文学に関する知識はもう壊滅的なんだが、今回のシンポジウムは(部分的に)(東さんの発言だけ)すごく面白かった。私たちは、平板で、身体性のないもの、リアリティのないものにある種のリアルさ、親和性を感じているのかもしれない。
第二部では川上未映子・坂本弘道・清水一登の演奏
みえこさんの圧倒的な可愛さ存在感奇人ぷりにぽかんとしてしまった
このひとは表現をするために 突然変異的に生まれてきたんだろうな、と感じる
舞台の上には常に「壊れ」が駐在していた
時代を象徴する表現者が 理性や栄光ではなく 壊れ を体現している これはかなり興味深い事態だ
「壊れ」はもはやアンダーグラウンドなものではなくなった 時代の表側に躍り出てきたんだ
彼女らの音楽を聴いていると直観的に もうすぐ世界は終るのかもしれない壊れてしまうのかもしれない、と思った なぜか
わたくしの受容の仕方といったら どこまでも浅はかでウエットで しかも小さな劣等感の芽が顔をだして ちっとも格好良くない
でもそれでも 素敵だったんだ本当に素敵だったんだ
おわったあとはかなりハイテンションであった
あんなちゃんに「川上未映子まじ今まで見たことのないかわいさだったわ!!」って漏らしていたら
隣にいた男が「思ったよりかわいくなかったよなー」って大声で言っていた おっ喧嘩をうってるのかい^^^^
はらへったね、ということで佐藤氏とそのままのらくらへ流れ込む
みんな学会帰りだったんだろうか、店内にいた客がみんな知人のグループだという異様な事態が起こっていた
みくしー批判から始まり、不安を取り除いていく代わりに薄っぺらで去勢されてリアリティのなくなった世界についてふたりで議論していたのだが
どういう話の流れか いつのまにか極度に重い方向に行った さとうくんがぐちゃぐちゃだった時期について話しだしていた 自白するように懺悔するように
え?え?なんかの冗談じゃなくって???って思ったんだが 眉をしかめて額に手を当てて話す様子は本当に苦しそうでいつもの冗談ではなさそうであった 驚いて息をするのを忘れそうになった
初めの方こそ色々と切り返していたんだが いつのまにか本当に胸が重くなって苦しくなって泣きそうで あいずちを打つことしかできなくなった
「なんでこんなこと話しちゃったんだろう、聞いたからにはあと10年はえっちゃんにつきまとうわ」とか気持ちの悪いことを言っていたが
望む所だ 本当に私もお前が心配で仕方ねえ
この平和で 牧歌的に快楽的に生きるために極度なまでに不安を取り除こうとするこの時代にそぐわないほど
妙な必死さや眼光の鋭さがあるなあと前々から不思議に思っていたが
その理由がわかった 一部だけれど
いつもさとう氏にきめえとかお前だまれとか言いまくっていたんだが
だめだ もうそう簡単に言えそうにないかもしれない
トラウマは増えたけど いまだに苦しさが残るけど
それでも言ってくれてよかった 嬉しかった うむ
その素敵なものを前に 一体どうすれば良いかわからない
素敵だ!好きだ!!!と叫べばいいのかい はあはあすればいいのかい
そのひとたちにわたしはどう対峙すればいいのだろうか
越境の同期も後輩も先輩も
教授も 授業のクラスメイトも
セツのひとたちも音楽関連の繋がりも も も
まったくもって素敵だよ 一体なんなんだよまったく
正しい受容のしかたがわからないよ
感じ尽くせている気がしない
もっともっと感じて生きてゆきたい
素敵なものたちをもっと貪るんだ
写真に残る幸せは
一つ残らず彼女のもの
空は紫 残された人の窓辺に 命吹く頃
Web設計の先生とマイミクになるという不思議な状況なんだが
先生の写真が予想以上に素敵で痺れた
日本の情景、のはずなんだが異国に見えるんだなぜか 神田川の古本屋市がロンドンの街頭にみえるる
引き出しも多くて趣味が良くて 素敵なひとです いったい何者なんだろうかあのお人は
もうすぐウェブのプレゼンです 先生が好きになるとちょいとやる気が出る がんばりまっす
一年ぐらい時系列にクソ忠実に日記を書いてるが
一定の切り口から一日を俯瞰→再構成して日記かけるひといいなあと思う
要約する力があるのだから
一日の体験、という具体的なものから何かを抽出して概念化できたら楽しいだろうな
私はどれだけ注意深く物事を見れてるんだろう
言葉をうまく使えない 言葉をうまく使いたい
さとうくんが言うことには
俺は言葉を知らなかったけど 考える時って結局言葉を使っているんだから言葉を知らないと話せないばかりか思考することもできない
本から 人から シャワーのように言葉を浴びた時期を経て今の彼が形成されたようだよ笑
Base ball bearのPVによく女子高生が登場しているんだが
そのたびに彼女らのなんともいえない魅力に心がわさわさします GIRL FRIENDのPVまじやべえっす
ああ女子高生ってなんて萌える生き物なんだろう
みんな同じ服を着て みんな同じ知識を吸収して 文部科学省が設定した問題の答えに素直に服従していて
プログラミング的な毎日を楽しく消化して行って
ああ だめだ 萌える なんて不思議ないきものなんだろう
土曜日
バイト10時からなのに起きたら8時40分でオワタと思った 諦めずに準備したらなんとか間に合った
バイト二時間をこなす
先日ちょいと衝撃的なことを聞いたがなんのその 逆に居心地が良くなったぞ
フォントを頂きほくほくとして職場をでる
そして楽しみで楽しみで楽しみでしょうがなかった表象文化論学会いってきた
ごはんたべて一緒に行かないかとさとうくんからメールきとったので文キャンで合流
整理券をもらいにいく 知り合い多い方ではないと思うんだがあの場は知人だらけでわろた なんか大好きな人たちが集まっていた 自分が仲良くなる人の傾向というか嗜好が少しわかった気がする笑
レトロでお昼ごはんくったのだが気がつけば結構お時間がやばいことになっていて
小野梓講堂に戻った時には既に時遅し シンポジウム会場に入れないので受付スペースにあるモニタでディスカッションを観覧してました笑 でも意外と居心地良かったぜ(負け惜しみですが何か)
高橋透さんとか千葉先生とか表メと文ジャの教授陣が受付にいっぱいいて ああやっぱりこれはもろに文構生のためのシンポジウムなんだなあとにやにやしていた あと越境の谷先生もいたなにやにや
文学と表象のクリティカルポイント という表題でのシンポジウム
東浩紀・堀江敏幸・古井吉吉という豪華なパネリスト
なんだかいろいろとジュネレーションギャップを感じた笑
東さんの「とても平板」な語り口は私たちにとって耳馴染みの良いものだった 私たちにとって「リアルさ」を感じられるものだった、と言ってもいいかもしれない
内容をメモメモ
日本語は最も「ブログが書かれている言語」らしい。つまり、コンピュータを介して編み出されたエクリチュール(=書かれた言葉)が溢れている言語、というわけだ。
PC変換によって編み出されたエクリチュールには限りなく身体性が少ない。語り手の声、というアーカイブの中での日本語ではなく、歴史性や身体性の解体されたその場限りの日本語だといえる。
日本人が現在触れている文章の中において、この身体性のない、変換されたエクリチールの占める割合が急速に増えてきている。ケータイ小説然り、ブログやミクシィ然り・
初音ミクなどの、「人格を背後に持たない声」がアメリカやヨーロッパではあまり受け入れられなかったのに対して日本ではそれが爆発的に普及している。
その背景として、日本人の「身体性のないものへの慣れ、親和性」があるのではないか。
文学に関する知識はもう壊滅的なんだが、今回のシンポジウムは(部分的に)(東さんの発言だけ)すごく面白かった。私たちは、平板で、身体性のないもの、リアリティのないものにある種のリアルさ、親和性を感じているのかもしれない。
第二部では川上未映子・坂本弘道・清水一登の演奏
みえこさんの圧倒的な可愛さ存在感奇人ぷりにぽかんとしてしまった
このひとは表現をするために 突然変異的に生まれてきたんだろうな、と感じる
舞台の上には常に「壊れ」が駐在していた
時代を象徴する表現者が 理性や栄光ではなく 壊れ を体現している これはかなり興味深い事態だ
「壊れ」はもはやアンダーグラウンドなものではなくなった 時代の表側に躍り出てきたんだ
彼女らの音楽を聴いていると直観的に もうすぐ世界は終るのかもしれない壊れてしまうのかもしれない、と思った なぜか
わたくしの受容の仕方といったら どこまでも浅はかでウエットで しかも小さな劣等感の芽が顔をだして ちっとも格好良くない
でもそれでも 素敵だったんだ本当に素敵だったんだ
おわったあとはかなりハイテンションであった
あんなちゃんに「川上未映子まじ今まで見たことのないかわいさだったわ!!」って漏らしていたら
隣にいた男が「思ったよりかわいくなかったよなー」って大声で言っていた おっ喧嘩をうってるのかい^^^^
はらへったね、ということで佐藤氏とそのままのらくらへ流れ込む
みんな学会帰りだったんだろうか、店内にいた客がみんな知人のグループだという異様な事態が起こっていた
みくしー批判から始まり、不安を取り除いていく代わりに薄っぺらで去勢されてリアリティのなくなった世界についてふたりで議論していたのだが
どういう話の流れか いつのまにか極度に重い方向に行った さとうくんがぐちゃぐちゃだった時期について話しだしていた 自白するように懺悔するように
え?え?なんかの冗談じゃなくって???って思ったんだが 眉をしかめて額に手を当てて話す様子は本当に苦しそうでいつもの冗談ではなさそうであった 驚いて息をするのを忘れそうになった
初めの方こそ色々と切り返していたんだが いつのまにか本当に胸が重くなって苦しくなって泣きそうで あいずちを打つことしかできなくなった
「なんでこんなこと話しちゃったんだろう、聞いたからにはあと10年はえっちゃんにつきまとうわ」とか気持ちの悪いことを言っていたが
望む所だ 本当に私もお前が心配で仕方ねえ
この平和で 牧歌的に快楽的に生きるために極度なまでに不安を取り除こうとするこの時代にそぐわないほど
妙な必死さや眼光の鋭さがあるなあと前々から不思議に思っていたが
その理由がわかった 一部だけれど
いつもさとう氏にきめえとかお前だまれとか言いまくっていたんだが
だめだ もうそう簡単に言えそうにないかもしれない
トラウマは増えたけど いまだに苦しさが残るけど
それでも言ってくれてよかった 嬉しかった うむ
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