東海北陸自動車道の全線開通で、「陸の孤島」といわれた岐阜県白川村では喜びの声が広がる。高校がなく、通学にも時間がかかるため、やむなく高山市に下宿していた高校生が自宅から通えるようになる。災害時や救急時にも高速道路は村民にとって心強い味方だ。ただ、観光地では宿泊客が減るのではという不安の声も。また、当面は多くが片側1車線の対面通行のため時間短縮効果は限定的。事故防止や渋滞対策にも課題が残る。【奈良正臣、米川直己】
同村は白川郷インターチェンジ(IC)-飛騨清見IC間の開通を見越し、今春から通学用マイクロバスを国道156号経由で高山へ走らせていた。孫が高山市内の高校へ通う太田利展さん(65)は「バスは7日から高速道を利用するようになり、今までより約40分短縮される。生徒たちの時間的な余裕も生まれるし、子どもを下宿させていた親の経済的負担も軽くなる」と歓迎している。
一方で高速化によって通過地点となるのではと心配する声もある。旅館を営む白川郷観光協会会長の山腰博文さん(53)は「白川郷への観光客は増えるでしょう。でもあまりにも便利になって白川郷で泊まってくれる人が逆に減るのでは」と危惧(きぐ)する。
全長185キロの東海北陸自動車道は現在、約7割が片側1車線の対面通行区間だ。一宮ジャンクション(JCT、愛知県)-小矢部砺波JCT(富山県)間は北陸道経由より約65キロ短いが、対面区間の速度は時速70キロ、トンネル内などは同50キロに規制されている。このため北陸道使用に比べ15分しか短縮できない。
近く一部が4車線化されるが、全体の6割を占める白鳥IC(岐阜県郡上市)以北は白紙の状態だ。
対面区間は中央に高さ65センチの硬質ウレタンゴム製のポールが立てられているだけ。対向車線へのはみ出しを防ぐ役割はない。04年7月には、トラックが対向車線にはみだし、乗用車と正面衝突。一家5人を含む7人が死亡する惨事もあった。また積雪期間は渋滞率が高く、運輸会社などにとって利用しやすいとは言えない。
中日本高速の矢野弘典会長は「必要性は常に訴えている。交通量が重要な判断材料になる」と述べるにとどまっている。
午前10時過ぎから行われた開通式典には、冬柴鉄三国土交通相や東海北陸自動車道建設促進議員連盟名誉会長の森喜朗元首相、沿線自治体の首長ら約750人が出席した。冬柴国交相は「さらなる観光振興と都市間の連携が期待される。真に必要な道路の整備は進めるようにしたい」とあいさつ。
また、中日本高速道路の矢野弘典会長は白鳥インターチェンジ(IC)以北の4車線化について「国民のコンセンサスを得て、安全の観点からも実現したい」と語った。
式典の後、地元の岐阜県高山市や同県白川村の生徒、児童らがブラスバンドや太鼓を演奏。テープカットが行われた後、冬柴国交相を乗せた車を先頭に、飛騨清見IC付近から飛騨トンネルをくぐる富山方面へ向けての走り初めが行われた。【米川直己】
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◆東海北陸自動車道全線開通までの歩み◆
63年 6月 「中部横断高速自動車道路」のルート案(愛知県一宮市-富山県高岡市間)を公表
64年 6月 議員立法で提出された東海北陸自動車道建設法案が成立
7月 東海北陸自動車道建設法公布
66年 7月 国土開発幹線自動車道建設法改正で予定路線に
72年 6月 東海北陸自動車道工事着手(一宮JCT-美濃IC施行命令)
86年 3月 岐阜各務原IC-美濃IC開通
92年 3月 福光IC-小矢部砺波JCT開通(北陸自動車道と接続)
96年 3月 小矢部砺波JCTで能越自動車道と直結
97年 7月 飛騨トンネル先進坑掘削開始
98年12月 一宮JCT-尾西IC開通(名神高速と接続)
04年11月 飛騨清見ICで中部縦貫自動車道(高山清見道路)と接続
05年 3月 美濃関JCT開通(東海環状道と接続)
10月 日本道路公団分割民営化、中日本高速道路株式会社設立
06年 3月 飛騨トンネル先進坑貫通
07年 1月 飛騨トンネル本坑貫通
08年 7月 飛騨清見IC-白川郷IC開通により全線開通
毎日新聞 2008年7月5日 中部夕刊