ロースクールに1年間通って,法曹養成制度や司法制度について,入学前の認識とはだいぶ違っていて,思っていた以上に酷いことが分かりました。私が感じた問題点と,私が考える解決策を示します。

しかし,その前に20年ぶり近くで学生生活を送ったことと,ロースクールでの勉学自体についての感想を述べておきたいと思います。

1.法律の勉強自体は楽しむことができました。まだ,未修コースの1年目で司法試験まで時間があることや,私の場合,年齢的な要因もあり今更公務員になる気もありませんし,大手の法律事務所に就職する気もありませんので,ロースクールは修了さえできれば成績は気にしていないという気楽さのせいもあったかも知れません。

2.法律の勉強は全くの初めてであり,覚えることも多く,その点での苦労はありましたが,読む本はすべて日本語で書いてあり(随所に,法律特有の日本語の使い方や文語的な言い回しがあり,最初は戸惑いましたが慣れれば何ということはありません。それにしても,法曹関係者は何故にあんな持って回った言い方をするのでしょうか。おそらくは知的劣等感の現れなのでしょうが,判決文などは学者相手に書いているとしか思われないものも多いような気がします),哲学書や外国語の専門書を読むような苦労はありませんでした。もともと,法律は普通の人々の人間関係を律するものなのですから,難解である必要はなく,普通の人が特別な苦労もなく学ぶことができて当然なのですが。特殊の知識がなければ理解できないような,偏狭な解釈論に終始することは異常なことです。

3.ひとつ意外だったことは,理系の出身者や社会人(在職者)が少なかった(というか,いずれも自分以外には発見できなかった)ことです。法学の学者を目指すのではなく,実務としての法律を学ぶのには本来特定の能力を要しないはずですから,ロースクールには様々なバックグラウンドをもつ多様な人々が集っていると思っていましたし,在職のまま学ぶ方も多いと思っていました。それは,新しい法曹養成制度の理念でもあったはずです。ただ,現状はその理念が実践できているとはいうことができないと思いますが(この点は,後に論じます)。

4.私が自分の在学する法科大学院を選んだ理由の一つは,他の大学院が在職者には在学中の就職を求めていた(入試要項などに明記してあった)のに対して,そのような要求の明示がなかったことです。勿論,実際上は時間的に在職のまま通学することは通常は困難で,私の仕事が特殊であったために可能であったのですが。ただ,補習の時間が時間割に組み込まれていて,単位数と比較して拘束時間が異常に長かったことは予想外でした。小・中学生ではなく,いちおうは大学院生であるのだからこの点は不満でしたが,概ね,いまの学校を選んで良かったと思っています。司法試験の問題漏洩疑惑など不愉快な事件もありましたが,以前にも書いたように,慶應だから起きた問題ではなく,制度固有の問題だと考えます(問題の発生を容認するわけではありません)。同級生(という言い方が適切なのかは違和感もありますが)にも恵まれて充実した1年間を送ることができました。無事に進級することもできたので,更に,充実した学生生活(余談ですが,この年で学生定期を使っていると,少し後ろめたいけど得をした気持ちです)を送りたいと思います。

 

さて,本題ですが,ロースクールに通い法律を学ぶことで,今までは知ることのなかった司法制度や法曹養成制度の問題点が見えてきました。

問題点1. まず,これが根本的な問題であるが,司法改革の理念がまったく実践されていない。

立派な理念を掲げて始まったはずの司法制度改革であるが,中身は全くない,というか以前よりも悪化しているのではないだろうか。市民に身近な司法制度を構築するために様々な変革が為されたはずであるが,司法試験の合格者数を増加,法曹の質を維持するためにロースクール制度の導入,刑事裁判への裁判員制度の導入など,一見理念に沿った制度の変更を行っているように見せかけているが,その新しい制度を支える周辺の制度の整備がまったく行われていない。まったくの詐欺(刑法上の詐欺罪は構成しないことは理解している。日常用語としての詐欺)と言っても差し支えないと思う。

問題点2. 今に始まった問題ではない(といことは最近になって初めて認識した)が,裁判所は司法機関としての役割を果たしていない。

ロースクールに入学し初めて裁判所の判決文を多数読むことになったが,ともかく酷い。非難されにくいように狡猾に文章を練ってあるが,まったく非論理的で,かつ,非民主的な判決が多い。しかも,政府を相手とする国民の人権に関わる裁判ほど,その傾向が強い。結局は,裁判所も行政機関の一つに過ぎず,政府の政策に適合した結論を導くことで政府の擁護をしているのみである。法律の教科書に出てくる「理論」とか「法理」という表現は,科学的な理論や法則とはまったく異なり,「詭弁」や「言い訳」,「屁理屈」などと同義である。

 

問題点2.に関しては,上の記述だけでは客観的な根拠に欠き,私の感想文に過ぎないので,機会を改めて具体的な判決文を研究しながら論究したい。ここでは,問題点1.の個別の問題について,更に論じておきたい。

司法試験の合格者数の増加について:

    司法制度を市民に身近で利用しやすいものとするために,社会に広く門戸を開き多様な人材を法曹とするために合格者数を増加させ,それに伴ってロースクール制度を導入したはずである。しかし,現在の制度では,社会人が法曹を目指すことは極めて困難であり,多様な人材を集めることは不可能である。日本のロースクールに在職のまま通うことはほぼ不可能であるから,法曹を目指す社会人は職を辞する必要がある。しかも,そのようなリスクを負っても,合格する割合は3割程度である。こんな危険な賭をできるのは,よほど恵まれた環境にある者だけである。順調にいっても,4年ないし5年(ロースクール卒業までが2年から3年,司法試験の合格発表が修了した年の11月で,その後1年間の司法修習がある)近くかかるのに,職にも就かず,どうやって生活をしろというのか。社会人が入学した場合には学費を免除するなどの公的な制度があれば別であるが,そんな制度はなく,しかも,司法修正への給費制度の廃止される。こんな状況でまともな社会人が法曹への転身を考えるはずがない。したがって,多様で優秀な人材は集まりにくく,理念の目標は達成されない。更に,いまになって合格者数の増加の見直しが論じられている。理念と逆行することしか行われていない。見直し論には,弁護士会などの意見の影響もあるようだが,改革を求められていた現存する法曹の収入を確保する目的で法曹人口の増加を止めるなど,まったく非合理であるし,そんな理由で職業選択を制限することは憲法に違反することは明白である。志をもつ者が安心して法曹を目指せるような制度を構築し,本当に市民が利用しやすい司法制度を作るべきである。既に法曹である人たちは,自分たちが選ばれた特別な階層の人間だと思っているのかも知れないが,それが諸悪の根源である。これからは,弁護士もサービス業の一つに過ぎずないのであり,そのようになるべきである。そのためにも,修習制度などは廃止して3000人どころではなく,少なくとも医者程度には増やしていくべきである。そうなると,質の低下を懸念する見解もあるが,これまでの修習制度が法曹の質を向上させていたのであろうか。また,裁判官や検察官は任官後に国が責任を持って能力を向上させれば良く(現在のように,修習が終わってすぐに判事補になれる制度の方がよほど危険である),弁護士はサービス業なのであるから市場原理に委せて淘汰させればよい。確かに,刑事事件の被告人などに国選弁護人をつける場合には,被告人の権利を守るためにある程度の質の担保が要求されるが,そのような特別な場合については制限を設ければ足りる。民事裁判であれば,当事者が自分の責任で選んだ弁護士が仮に能力不足であっても,医者の場合よりは危険が少ない。

ロースクール制度について:

    法科大学院そのものというよりは,日本のロースクール制度(あるいは,司法試験制度)には重大な問題がある。

    一つは,ロースクールを修了しないと司法試験が受けられなくなった点である(予備試験も実施されるようになるが,その意義は無視してよいだろう)。旧司法試験は,特別な受験資格はなく誰でも(理論的には幼稚園生でも)受験できた。これは,国民主権・民主主義を担保するために重要であった。三権の一つである司法の主体となる裁判官は,直接の国民の選挙を経ずに採用される。これは,国民主権に反する虞もあるが,誰にでも,裁判官(法曹)になる資格が与えられていたことで,その虞を免れていたはずである。しかし,新しい制度では司法政権の受験資格を得るための前提となるロースクールへの入学資格に,原則として大学卒業資格が必要であり,いくら大学進学率が高くなったといっても,すべての国民に門戸が開かれているとは言うことができない。現在のロースクール制度が,憲法上も甚大な問題を抱える制度であることは明らかである。(司法試験の合格率が高くなったことを,法曹の質の低下に結びつける見解があるが,これはまったく的外れである。受験資格を得る段階でかなりの絞りがかかっている点を考慮すれば,合格率の上昇は誤差の範囲内ではないだろうか。)

    ロースクールで行われている教育内容(これは,司法試験の出題内容と連関するが)にも問題がある。もし,新制度になって法曹の質が上昇しなければ,こちらに要因がある。旧制度では,法曹への門戸が狭すぎるために,そのための単調で長い試験勉強で疲弊してしまい,また,勉強も所謂論点の記憶に重点が置かれ法曹として期待される能力をもたない法曹が生まれることが指摘されていたが,新制度になって,これらの問題点は果たして解決され得るのであろうか。ロースクールで行われている教育も,判例の解釈や理解に重点が置かれているように思う。日本では,刑法は勿論,憲法も民法も法典として存在するのであるから,判例自体を学習する価値はないように思う。法曹に要求される能力は,実定法に則しつつクライアント(検察官の場合は,それが国であるが)の希望に応える交渉をする力である。判例の議論を分析して,それを論駁する技術を養成するような教育が行われているならば別であるが,とてもそのようなことが行われているとは思えないし,おそらく,そんなことをやっていては現在の司法試験には合格しないのではないだろうか。結局は判例の考え方に沿った議論が要求され,しかし,前述したように判例は論理的ではないので記憶に頼るしかなく,旧制度の下での勉強と変わらないように思う(ただし,私は旧制度を実体験はしていないので偏見があるかも知れない)。強制的に2年以上のロースクールへの通学が要求される分,悪化するかも知れない。

    司法試験は,実定法についての基本的な理解を問うような簡単な資格試験にするべきである。勿論,そんな試験に合格したからといって法曹としての能力があるとは言えないが,その能力を法科大学院で鍛錬すればよいし,それが司法改革の理念であったのではないだろうか。法科大学院において,そのような健全な教育が為されるためにも,社会から多様な人材が法曹界へ参入するためにも,当初の政府の宣伝通りに司法試験の合格率が8割程度になるような(つまり,医師国家試験のようにある程度まじめに学べば必ず合格するような)制度に改革し直すべきである。

 

 

 平成20年4月6日追記  上記,感想4に関連して

 3月末に新年度の事務的な準備があり,来週から新年度の講義が始まる。3月に配布された新年度の時間割を見ると,補習の時間がなくなっていた。その部分が空き時間になっていたのは気になっていたが,対外的な事情などにより講義時間数を適正化し補習を取り止めたものと思っていた。ところが,web上から履修登録結果を確認できるシステムを使い見たところ,その空き時間も講義時間に組み込まれていた。外部から見ることができる資料の上では補習を止めたように見せかけて(外部性も大学のHPから時間割を見ることができる),結局は従前通りということなのであろうか。正に虚偽表示である。やはりと感じるとともに,馬鹿らしくて笑ってしまったが,来週からの講義ではどう対処すべきか思案している。空き時間の受講は拒否するのがスジのように思うが,大学と敵対するつもりもない。事前に(月曜は入学式のため講義はなく,私が受講するのは火曜からなので)大学当局に事の経緯について問い合わせるべきであろうか。

 

平成20年4月22日追記 上記時間割の虚偽表示に関して

 実際の講義の進行状況をみてから対応しようと思っていたところ,規定の時間で講義が終了する科目もあったが,大抵は当然のように2コマ目も講義が行われている。そこで,法務研究科の委員長に対して,2コマ目は出席の必要がないことを確認する以下のような内容のメイルを送付した。返信があったら報告する。

          ところで,今年度は,形式的には(時間割上は)補習の時間がなくなって,必修科目も単位に見合った拘束時間となっているところ,学務webシステムにおいて履修申告状況を確認  すると,従前通りに拘束時間が2コマとなっている科目があり,実際上もそのように講義が行われている科目があります。2コマ目は講義に参加しなくとも,当然,単位認定や成績評  価において何ら不利益な待遇はないものと思いますが,念のため,確認させていただきたいと存じます。慶應義塾の法科大学院においては,必修科目の単位認定および成績評価が  進級・修了の可否に直接に影響する重要な要因となっておりますので,確実なご回答をお願いいたします。

 

 平成20年4月23日追記

    法務研究科の委員長より返信を戴いた。

              今年度に関しては、2コマ授業については移行期にあり、90分+α(最大30分以内)で行うこととし、それ以降については拘束しないということとしています。そして来年以降については正規の授業時間自体を110分程度迄延長することを含め、再構築することを今検討中です。ですから2コマ目の始め、30分までは教員により拘束を指示できることとなります。

とのことであるが,ルールは徹底されていないように思うし,解決されない疑問もあるので,さらに次のようなメイルを送付した。

           様々な事情がある中,研究科として我々学生のために工夫をしていただいていることは承知していますが,以下の3点について疑問があります。

              1.実質的には昨年度と相違がないように思いますが,何故,時間割の表示を変更した のでしょうか。
  2.時間割上の空き時間にも最大30分の補習があるということは,事前に学生に周知されていたのでしょうか。(単に,私が見落としていたのでしょうか。)
  3.最大30分というルールは徹底されているのでしょうか。実際,私が受講する講義のうち,ルールが遵守されているのは一部の先生の講義のみで,そのようなことはまったく気に意に介されていない    ように見受けられる先生もあります。

  30分の補習があること自体は,学生の不利益になることではありませんので,理解しますが,苟も法曹を養成する機関としては,定まったルールは遵守されるように徹底していただきたいと存じます。

 

平成20年4月28日追記

 その後,研究科委員長より返信を頂けないが,前回のメイルに対する委員長からの説明の内容が実践されるのか注視していきたい。

 ところで,私は,大学側が教育的な効果を考慮して補習を行うのであれば,そのこと自体には何の問題もないと考えるが,昨年より拘束時間が長いことには不満(これは極めて個人的な感想である)を感じていたところ,今回は補習が行われる手続に問題を感じ委員長宛にメイルを送った次第である。私の感じた問題点(疑問点)は以下の通りである。

    1.対外的な公表内容と実体に齟齬がある。

    2.学生に対して事前の説明がない。

            補習を期待して入学した学生もあるだろうし,私の場合は,今年度の時間割を見て補習がなくなり拘束時間が適正化されたものと思っていたところが,その期待を裏切られた。

    3.そもそも拘束時間が長すぎる。

            これは,どこのロースクールでも同じ状況なのかも知れないが,出席を単位認定や成績評価に反映させるなど無意味ではないだろうか。アメリカのように実務家としての素養を身に付けるためのロースクールであれば講義に参加することは必須であろうが,現行の日本の制度ではロースクールは司法試験合格のための予備校に過ぎない。それにも拘わらず,今年度は「シラバス集補足」と称して,授業への出席が不足していれば期末試験の成績によらず当該科目は不合格である,との警告文が配布されていたため余計に不当な拘束は納得できない。こんなことでは勉強する時間がとれない。

    4.結局延長90分以内のルールが守られていない。

            委員長からのメイルを受け取る前から今年度の制度については講義の中で説明を受けていたが,その新しい制度の規定も遵守されていない。

 

平成20年5月1日追記

 本日,法務研究科委員長より4月23日付けの私のメイルに対する返信のメイルを戴いた。

       1につき、もし表示すると無制限に2限まで出来ると誤解するおそれがあったからです。また90分+αは前回の教授会でも強く要求してますので、多くは遵守していると考えます。なお、30分については、それすら不要とする人もいると考え、各自が授業冒頭に学生に伝えることとしています。

とのことである。誰が「無制限に2限まで出来ると誤解」するのか疑問であるし,教授会でいくら強く要求していても徹底されていなければ意味がないように思う。しかし,こんなことに拘っているのも大人げないので,状況が改善されることを期待しながら成り行きを見守ることとしたい。