無料ブログを簡単作成!『Ameba by CyberAgent アメブロ』
9条世界会議@2008.5 幕張メッセ





小野寺愛


波乗りで、船乗りです。

国際交流NGOピースボートで働いています。

地球一周の船旅で、洋上企画のプログラム作りをするのが仕事です。


そろそろ地球を6周目!!

・・・と思っていたら、なんと赤ちゃんが生まれちゃいました。


残念ながら、しばらく「船乗り」は返上。

(それに「波乗り」も若干は自粛。)


職場の仲間に支えられながら東京でできる仕事をしつつ、

初めての我が娘・モモの幸せのために生きてます。


しばらくは、このブログもただの親バカ日記になりそうです。



■長い!とツッコミが入りそうな自己紹介
http://ameblo.jp/sunday0106/entry-10006458921.html


■親バカ写真集

http://www.flickr.com/photos/momo0506/sets/72157600347261864/






1 | 2 | 3 | 4 | 5 次のページ > >>
June 24, 2008

クジラが教えてくれる

テーマ:お仕事のはなし


しつもん。


にほんは、国のお金5億円で捕鯨をしているので、

国営だそうですが、5億円で船の維持費やガソリン代、

乗組員のお給料を払って、何匹のくじらをとって、いくらで売っていて、

採算がとれているのですか。


どういう内訳なのか、水産庁のくじらがかりの人、教えてください。


                                 マエキタミヤコさんのブログ「サステナ日記 」より





先月、グリーンピースジャパンのスタッフは

調査捕鯨船「日新丸」の乗組員が「調査捕鯨」のために捕獲したはずのクジラの肉を

自宅に宅急便で送っていたことを告発した。


その量、ひとりあたり市場価格10万円~35万円×4箱。

乗組員12人分が各自受け取っているから、合計47箱。


税金で調査のために捕獲したクジラを個人的に「業務上横領」したという大スキャンダルだった。





それが一転、担当者の佐藤さんが、先週、窃盗と建造物侵入容疑で逮捕された。

そのうちの段ボール箱1箱を「盗んだ」疑いということで。


私も何度か会ってお世話になったことがある、

若くて、聡明で、素敵な佐藤さんが「逮捕」されたことにまずショックを受けたのだけど、

この映像を見て、さらにめまいがするくらいの怖さを感じた。






●TBSニュースi - 「グリーンピース」メンバー2人を逮捕

http://news.tbs.co.jp/20080620/newseye/tbs_newseye3881673.html







日本、やばくない?

論点、ズレすぎじゃない?



怖いのは、この報道が「リーク」で演出されていたこと。


6月20日の午後1時の段階では、担当者たちですら不起訴確定を知らされていなかったのに、

この日の朝のリーク情報で日本のあらゆるマスコミが集まって、その情報を根拠に動いて、

結果としてはっきりと「グリーンピースが悪い」というような世論操作を行ってしまったこと。


私も何度も訪れたことがある平和的で、非暴力的で、

楽しい人たちがたくさんいる環境NGOの入り口を囲むすごいカメラの砲列。




これじゃあ、なにがそもそも問題だったのか、完全にわからなくなっちゃってるじゃん。

日本のジャーナリズム、大丈夫???





もちろん、直接的に捕鯨に反対する実力行使派のNGOもある。

でもグリーンピースはそういう行動とはつねに一線を画し、

完全非暴力でこの活動に携わってきたというのに

一緒くたにされちゃってる。


6月20日の産経新聞の報道 なんかもうひどくて、記事の最後に

なぜかグリーンピースとはまったく関係のない実力行使派の反捕鯨団体を取り上げ、

さらになぜか7月のG8にむけたNGO政策提言の取り組みである「NGOフォーラム 」に触れ、

「去年のドイツ・ハイリンゲンダムサミットでも一部NGOは暴徒化したから、

今年も政府はこうした動きに注視している」的なノリでしめくくっている。



って、コラー!!!

なんでもかんでも一緒にするなー!!!







グリーンピースジャパン事務局長の星川さんは作家であり、翻訳家でもある。

私に「ホクレア」や北米・イロコイ連邦の素敵な物語を紹介してくださった憧れの文化人の1人だ。

以前は屋久島で半自給的な暮らしをしていて、今は鎌倉に住んでいる。

チャーミングで、スローで、とてもあったかい人。


その星川さんの自宅も家宅捜索を受けたって。


星川さんは、どう考えても「穏健派」の「環境活動家」だ。

ピースボートで平和と環境の「活動家」のはしくれとして生きている私としては、

「活動家」=「過激派」的な旧来型の報道には本当に悲しくなる。


星川さんや佐藤さんを含めてグリーンピース全体を過激派呼ばわりできるなんて、

いのちを守るために仕事をしている人たちをこんな風に批判できるなんて、

日本社会はちょっとおかしくなっちゃってるんじゃない?


すごく怖くなった。




そうはいっても、

「正義のためならなんでもしていいの?目的が何であれ、盗みはよくないでしょう!」

という人はきっといる。


でも、運送会社には多大な迷惑をかけたこと、

段ボール箱を持ち出したことについては佐藤さんたちも当初からオープンに認めていて、

証拠として拝借した箱は東京地検に任意提出していたんです。

だから、証拠隠滅や逃亡の可能性はもちろんゼロ。


星川さんたちは、スタッフが逮捕された今だって、

家宅捜索を受けてパソコン数台とたくさんの資料を没収された今だって、

東京地検や関係各所に不正究明のための事実提供を続けている。



一方、「業務上横領」容疑で告発された乗組員は不起訴処分。

鯨肉は船会社が慰労の意味で「おみやげ」として乗組員に配っていたもので、横領には当たらないんだって。

持ち出された箱(ひとつ)に入っていた23kgの鯨肉は市場価格で10万円~35万円相当。

12人の乗組員が発送した荷物は全部で47個。


23kg×47個×10万円~35万円相当?

「おみやげ」にしては量が多いし、高すぎない?





・・・こういうドロドロを追求していたらキリがないし、

私は調査捕鯨の専門家でも探偵でもないから、もうやめます。



でも、私だって

日本がこれまで20年間で100億円の「税金」を投入して

調査捕鯨の名目で1000頭の鯨を殺していることは知っている。



「調査」が行われているのは国際的に鯨を保護しようと約束した海域に近かったりして、

それなのに「調査」の結果として国際的に評価されるような科学的実績を残していなかったりするから、

日本の「捕鯨」がたくさんの海外メディアや環境団体から批判され続けてきたことも、肌で感じている。






だから、論点をそらさないでください。


ほんとうの泥棒は誰なのか、みんなに見えるようにしてください。


星川さんや佐藤さんのような素敵な人たちを「過激派」みたいに言わないでください。


なにより、


ただ「いのち」を守るために活動してきた佐藤さんを、早く釈放してください。



お願いします。





●ぜひ見てください


サステナのマエキタさんをはじめとするたくさんの人たちが、

「で、ホントのところはどーなのよ、調査捕鯨」というサイトを立ち上げました。

http://kujiragp.jugem.jp/



●協力してください


佐藤潤一さんと鈴木徹さんの即時釈放をもとめる福田首相と高村外相に宛てた手紙への

世界のひとびとからの署名は、開始後72時間で10万通近くにのぼり、

世界28カ国の日本大使館に送られています。 


署名はココカラ: 

http://www.greenpeace.org/international/news/activists-arrested-200608




June 19, 2008

自己主張モモと芝生を歩く

テーマ:家族のはなし





夏っぽくなってきた。



地下にあるオフィスの外に出たときに、日差しが強ければ強いほど

嬉しくなってしまう。


気候変動がこれだけ進行している今、

カンカン照りのお日様を単純に喜んでもいられないのだけど、

自分の中の「夏好き」虫だけはどうにもしょうがない。




夏だから、とにかく外に遊びにいきたくなる。






先週末は久しぶりに大悟も私も仕事が完全にオフ!!


とってもいいお天気だったので、世田谷のきぬた公園と吉祥寺の井の頭公園をハシゴした。




靴を履いていれば、どこにでもトットコ、トットコ勝手に歩いて行くモモは、

実は足の裏がチクチクするのが大嫌いという「都会派」だということが発覚した。


八ヶ岳に遊びにいったときにそれを発見して、本当にびっくりした。


海と山がなによりも大好きなパパ・大悟は、

そんな都会派モモを見て、まったく気にせずに爆笑していた。



でも、私はやっぱり山も海も家族みんなで楽しみたいんだよなあ。


モノゴゴロついたときに


「海とかまじでメンドクサイし」

「芝生って虫とかいるからヤダ」


とか言われないためにも、

今回のきぬた公園では「脱・都会派モモ」をテーマに

しばらく裸足で芝生を歩くようにうながしてみたのだけど…



 




えらそうに安全な位置に座って、ご満悦。


普段なら、こんなところに座らされたら 「おととー!(お外)」 と言って自由に歩きたがるのに、

なにそれ。 椅子の上ですましてる!!




そして、信じがたいことに、

椅子からおろしても、しばらくピクニックマットの上でおとなしく遊んでいたモモ。



しかたがないから、私も裸足になってマットの外へ呼び込みをすることにした。




「モモ、モモ~。こっち楽しいよ~。おいでおいで~。」








外から呼ばれてようやくパッと立ち上がって、歩き出した。









ピタッ。



でも、すぐ止まる。


「だって、チクチクなんだもんー」



そういう感じのうらめしい顔で立ち止まり、遠くにいる私を見つめる。





困ったなあ。


好きとキライがはっきりしてきたのはいいとして、

自然は好きでいてほしいんだけどなあ。



東京を脱出するしか、ないのかなあ。




チクチクやだし、戻ってパパと遊ぼっと。


パパの帽子、もらったー。





最近の私の課題ふたつ。


「都会派モモ」を、いかに「自然好きモモ」にしていくかということ。

これはもう、親のエゴといわれようとなんだろうと、一緒に山と海を楽しめるようになりたいんだからしょうがない!



それと、もうひとつは

「ダメ!」と言わずに、ポジティブな意思疎通をすること。





1歳になった頃から、さすがにちょっとわかるかなと思って、

ご飯をポイっと床に投げたりするたびに 「ダメっ!」 と言うようにしてみた。


すると、困ったことに早速これを真似しはじめた。

これまでは泣いていないときなら何があっても周りに笑顔ばかり振りまいていたはずのモモが

なにか気に入らないときには 「バメっ!」「マメっ!」 と言うようになってしまった。


「あいうえお絵本」よりも「うたえほん」が読みたいのに

私が「あいうえお絵本」を取り出すと、絵本にバシッと平手をくらわせながら 「バメ!」。


自分ひとりで勝手に遊んでいたいのに

あれこれ世話をやきたがる戸塚のひいおばあちゃんが近くに来ると、ふりむきざまに 「マメっ!」。


自分だってフォークで食べたいのに

ぐちゃぐちゃになるから思うようにさせてもらえない食卓では、お皿に思いっきり手を突っ込んで 「メーっ!!」。



・・・びっくりするなあ。


自己主張とか、ネガティブな考えかたって、後天的なものなんだということを知った。

完全に、私が、モモに、「ダメ!」を刷り込んでしまった。

こうやって、完全ポジティブ、無垢で平和な心を持って生まれてきた赤ちゃんに、

世の中の大人たちがコンフリクトを埋め込むんだなあ。


そう思って、

命に関わるような事態じゃない限りはただ 「ダメ!」 というのはやめた。

何かをやめさせたいときは、しれーっと、それより面白い何かをオルタナティブとして提示してみることにした。


だって、大人だって、理由が提示されることなく

「ダメといったらダメ!」 なんて言われたら納得いかないもんね。


どうしてダメなのかがもう少しちゃんとわかるようになる頃まで、「ダメ!」は封印していいかなと思った。




そう思ってまた1、2週間すごすうちに、今度はいつの間にかモモが 「マメッ!」 を言わなくなった。



(口を一文字に結んで、「メッ!」というその顔はとっても面白かったから、

 写真にとる間もなく過ぎ去ってしまったのがちょっと悔やまれるのだけど!!)





親は、本当に子の鏡なんだなあと思った。


「勉強しなさい」

「ちゃんと片付けなさい」

「こんな風な大人になりなさい」なんて言ってるだけじゃ実はあんまり効果がなくて、


大切なのは

自分自身が楽しそうに学び、

自分自身が気持ちよくこざっぱり整理した家のありかたを工夫し、

自分自身が人に優しく、生きることを楽しんでいる大人でなくちゃいけないんだということ。




大切なことはなんでも、

説教ではなく、体現することで伝えていかなくちゃいけないんだ。


そんなこと、むかーしから言われてることなんだけど、いやあ、本当にそうなんだなあ。




けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる


とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる


「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる


子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる


親が他人を羨んでばかりいると、子どもは人を羨むようになる


叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう


励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる


広い心で接すれば、キレる子どもにはならない


誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ


愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ


認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる


見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる


分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ


親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る


子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ


やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ


守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ


和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる


 子は親の鏡  1954/ドロシー・ロー・ノルト



そう。


子どもにはもともとスゴイ力が備わっている。

たっぷりの好奇心と、周りを愛して求める社交性と、素直に見て聞いて遊んで吸収する力がある。


だからまわりに素敵な大人がたくさんいれば、

自然とこどもは自分で育つんだ。


大人の仕事は、こどもがノビノビと安心して育つことができる世の中をつくること。

ただそれだけ。



そんなことを思った週末でした。







そして、

世の中のお父さんっていうのは、公園で寝るものなんだよなあということを

身近に感じた週末でもありました…。







June 18, 2008

わんぱくモモは、雨がお好き

テーマ:家族のはなし



梅雨ですね。




2007年5月6日、

静かな雨が降る日に生まれた桃は、現在1歳と1ヶ月。


あれから1年たって、雨の大好きな子になった。

そして、そのワンパクぶりは日に日にエスカレートしている模様。




                           ひいおばあちゃんと、戸塚の公園で。これは日傘だけど、傘ならなんでも大好き。






雨の日はベビーカーというわけにもいかず、傘をさしてスリングで保育園にお迎えに行く。



右手に傘を持って、右肩に自分のバッグをかけて、

左手に夕飯の買い物袋をさげて、左肩からスリング。


私としてはとーっても大変で、

夕方のお迎え時間にパッと雨がやんでたりすると

飛び上がりたいくらい嬉しいのだけど、

桃は抱っこで家に帰れるのが楽しくてしかたがないみたい。



「あめあめふれふれ母さんが~

  ジャノメでお迎え、うれしいな~

    ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、ランランラン♪」



歌いながらの帰り道、

「ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ~」のところで毎回嬉しさが感極まるらしい。

「あった、あーった!」と掛け声をかけながら、スリングの中でもう10キロもある巨体を上下に揺らす。 

小さな右手でつかんだ傘を、信じられないような怪力でふりまわそうとする。





お休みの日も、

雨だからって家の中でおとなしくしているなんて、とてもじゃないけどできません。



何度も窓の外を指差して 「おととー!(お外)」 と言い、

玄関まで歩いていって自分の靴を持ってくる。



雨の日くらいはノンビリしたいのだけど、

桃の熱意に負けて、レインコートを着せる。

どんな水溜りも意に介さず歩いていくだろうから、靴はビニール袋と輪ゴムでしっかりカバー。






いただきもののおさがりレインコート。

まだずいぶん大きいけど、大好きなアンパンマンを胸と背中にくっつけて、ニコニコでおうちを出発。






自分ではまださせないのに傘が好き。

わざわざ傘立てから黄色い傘を引っ張り出す。

ベンがどこかからかもらってきた子供用の傘が、自分のだってわかるみたい。不思議だなあ。





トットコ、トットコ。


このあと、どれだけ母に止められようとも、

正面にあるゴミ収集所の残り香タップリの水溜りで遊びはじめたことは、言うまでもありません…。






桃のワンパクは雨の日にとどまらない。





晴れた日に公園に遊びに行けば、




すべり台が楽しすぎて、勢いあまって落ちそうになる。



                                               スゴイ瞬間!スゴイ顔! 大悟笑ってるし。





先月は、ヒラヒラのカーテンに自らかくれて

「いないいない、ばあー」で出てくるのがツボにはまったらしく、

「かは、かは、かははははは!」と1人で大爆笑しながら何度も何度もカーテンに突っ込んでいた。










軽く20回は繰り返したあとで、

「ばあー!」のタイミングで勢いあまって床に顔から激突。


あまりのショックに数秒間息をすることもわすれて唇を真っ青にしたあとで、


「ふぎゃあああああああーーーーーーーー!」


と泣き出した。



「大丈夫でしょ、モモ~。ちょっとビックリしただけでしょ~。」


と抱き上げてみると、なんと!!!








モモ、人生初の鼻血!!!!!




かなりしっかり、タラーリと鼻血を出してしまい、

大口をあけてワンワン泣くものだから、その鼻血が口に流れ込んで歯を赤く染めて、もうたいへん。


(さすがにちょっと笑えないし、

  嫁入り前の娘のそんな姿を写真に収めることもできず、

   上の写真は鼻血が止まったあとの軽めの1コマです。ざんねん。)





「三つ子の魂、百まで」って、本当かなあ。

1歳の今でこれだけ激しかったら、どれだけアグレッシブな大人になるんだろう。


末恐ろしい…







まあ、そんなモモですが、やっぱり女の子です。

最近はしゃれっ気もついてきて、毎朝毎晩自分で髪をとかそうとします。



引き出しからヘアブラシを取り出し、







ほらね。  


桃、キレイキレイ。





さらに、

「モモ、かっこい~!」とか、

「モモ、かわいい~!」とか、

「モモ、すっごーい」というような「褒め言葉」がわかるようになったみたい。



棚の上からネックレスを引っ張っておろして自分で首にかけてみたり、





引き出しからサングラスを見つけて自分でかけてみたりして、





「かっわいー、モモ、すっごーい!」と褒め称えるとものすごく嬉しそうにはにかむ。

そんなときの嬉しさがピークに達すると、もういてもたってもいられなくなって走り出す。





髪の毛を両サイドで結わいてバッグを持ってポーズしていたので、「かっわいー!」と褒め称えたところ、

いてもたってもいられなくなった様子。「あーっ!」と叫びながら部屋を脱出してました。






遊びの種類も増えてきた。

窓やガラスの向こう側に誰かをみつけると・・・



あ、パパだ。




パパ、ブッブッブー。





頼んでもいないのに、何度でもファニーフェイスの大サービスをする。



この写真はレベル2くらい。


桃がもう少しおねえさんになってこんなを顔しなくなっちゃう前に

完全ブタ鼻でMAXファニーな瞬間をカメラに収めなければと思っているけれど、

いちばんの傑作顔のときって、笑いすぎちゃってもう、カメラどころじゃないんだよなあ。



覚えておきたい最高の瞬間が日常にゴロゴロ転がっていて、

こどもの成長を脳裏にだけ焼きつけておくのって、とっても難しい。


でも、忘れっぽい私なりに母親感性をキーンと研ぎ澄ませて、

ひとつでもたくさんの表情を心に刻んでおきたいなあと思う今日この頃です。



子どもって、おもしろい!!





おまけ:


先月参加した「Run For Africa」では、桃を抱えて一緒に1周!

イベント賛同人の有森裕子さんが「がんばれ、がんばれ~!」とコーチっぽく声をかけてくれながら、

かなり長い距離を並走してくれました。 現役引退しても若くてエナジェティックで、キレイな人だった~。



左から、ほっとけない世界のまずしさ事務局長の黒田さん、有森裕子さん、同じく「ほ」のキャンペーンマネージャーの山名さん、

桃、私、大悟。





TICADがあったこともあるのか、今年は日本でアフリカイベントが目白押し、どれも盛り上がっています。


今、渋谷のUPLINKで「おいしいコーヒーの真実 」という映画が大ヒット上映中ですが、

毎週一度ゲストを呼んで、開発や貧困、フェアトレードのトークを行っているそうです。

私も来週、6月27日金曜日の映画上映後にお邪魔して、南アフリカの話をします。




もしまだ映画を見ていない人がいたら、遊びにきてくださーい。




予告編:







映画「おいしいコーヒーの真実」


6月は毎週木曜・金曜の最終回(20:15)終了後にトークショーを開催!


■時間: 映画上映 20:15~/トーク 21:40~ (22:30終了予定)
■会場: 渋谷UPLINKX

■当日料金: 一般¥1,500 / 学生¥1,300 / 小・中・シニア¥1,000 / トークのみ¥500

★予約不要、特別鑑賞券もご利用いただけます。


★ミレニアム開発目標ってなんだっけ、という人、

 洞爺湖サミットにむけて首相にメッセージを送る「サインアップ」キャンペーンにまだ参加していない人、

 コチラ でどうぞ!     ( ほっとけない世界のまずしさ http://www.hottokenai.jp/pub/  )





June 04, 2008

パシフィック魂

テーマ:太平洋のはなし



帆のついた船で、遠洋に出たい。



最近、むくむくとそういう気持ちが沸いてきて、少し困っている。








学生時代は毎日のように海に通った。

授業に出る支度をして家を出ても、駅のホームで気持ちのいい風を感じたら

ほぼ迷わず鎌倉行きの下り電車に乗った。 ウィンドサーフィンに夢中だった。



波と海のうねりを見ながら、両腕をぐっとのばす。

からだ全体を大きく前傾させて、セイルに最大限に風を受けるようにして走る。


エンジンもなにもない。

あるのは、自分のからだと、ボードとセイル。 

風と波の力で、ぐいぐい進んでいく。


いい具合に吹いている風が自分のセイルにピタッとはまれば、ボードは前半分が宙に浮く。

摩擦面が最大限に減る「プレーニング」状態で、飛ぶように水面を走る。

そのままグングン沖を目指す。





daigowind
Ai in Saiko Camp - Summer 1999



wind03
Daigo in Maui Trip - Spring 2001





人の生活の匂いと音がだんだん遠く離れていって、
視界の先には江ノ島と入道雲。

自分のボードの少し前をトビウオが1匹、スーイと並走したりして。
晴れた日には、いいお天気を喜ぶように、ピョンと魚が跳ねたりして。
夕暮れ時には沈みかけた太陽が、海面全体をとけるような金色に染めたりして。

その金色が空の上のほうからだんだんに濃い紺色に染められていくのを

大好きな仲間たちと一緒にただぼーっと眺めたりして。




ウィンドサーフィンと、海のまわりのそういう時間が、私は本当に好きだった。





wind01
                               Daigo in Zaimokuza, Freshmen's Cup - Autumn 1997





私がやっていたのは海上にブイを打って競争する、コースレーシング。

沖縄でやる全国大会を目指して、ウィンド日記をつけたりなんかもして、ずいぶん練習に励んだ。



大学時代のウィンドは、今も私の心の大切な一部分を占領している、大事な青春時代。





wind02
                             Seven Seas, Sun Set time in Zaimokuza - Summer 1998




でもねえ。

ウィンドサーフィンって基本、ひとりで走るもの。

友達と並んで遠出することがあっても、

距離的にはまあ、材木座から江ノ島くらいまでがいいところ。


せっかく風と帆のしくみがわかるんだし、

旅と海なら3度のご飯より好きだし。


いつからか、

みんなで大きなヨットに乗って、

遠く外洋に出たいなあと思うようになっていった。






人生に悩みまくっていた会社勤め時代、

自分で作ったヨットで家族と一緒に地球一周をした長江裕明さんという ステキな人に出会った。


長江さんは、近所の空き地で数年間かけて自分で「エリカ号」という船をつくり、

勤めていた外務省をスパッと辞めてヨットで地球一周の旅に出た人だ。

エリカという名前のお嬢さんも一緒に。


帰国後、彼は「地球冒険塾」をひらき、

「中国の黄河に植林に行きたいんですけど」というような若者を応援するかたわら、

日本のこどもたちを船に乗せて太平洋航路を行く「こどもセイリング」の構想を練っていた。


やりたいことがほかにいくつもありながら、

会社を辞めるかどうか迷いまくっていた私に、長江さんはこう言った。




「できたらいいな、なんてないんだよ。

 絶対に実現しようと思って本気を出したら、できないことなんてないんだから」




長江さんは、当時計画中だった航海のプロジェクトに私を誘ってくださった。

ヨットで行く太平洋航海を拠点に、こどもの環境教育プログラムをつくらないかという、

夢のようなオファー。



まだ若干24歳で、

会社社会に身をおいて相当なキャパ狭だった私は、せまーいキャパシティの中で、私なりに考えた。


そんな夢のようなプログラムで子どもたちを太平洋に連れ出しておいて、

思いっきり視野が広がったあとの彼らが帰国後にきっと直面するだろう悩みに

果たして自分はきちんと向き合うことができるのだろうか、と。


東京から頻繁に長江さんの住む名古屋に通うこと、半年。

会社の昼休みも、通勤の電車の中も、週末にサーフィンしている間にも考え抜いて、

出した答えは「NO」だった。



自分で自分の人生の方向性すら見えていない私が、

子どもたちの水先案内役なんか引き受けていいわけがない。


子どもの視野を広げて、かっこいい大人へと育つお手伝いをしたいんだったら、

まずは自分の視野を広げて、自分がかっこいい大人でなくちゃいけない。


そう思って、「こどもと一緒に太平洋をセイリング」計画をあきらめた。

その半年後には、ピースボートに就職した。






あれから5年。


長江さんは、愛知万博の公式プロジェクトとして、少年達で太平洋を横断するプロジェクトを実現した。



私は、海を大好きな気持ちは変わらないままピースボートで何度か地球一周をして、

こどもの教育に関わりたい気持ちも変わらないまま、桃のお母さんになった。

その間に太平洋に大切な友人がたくさんできて、

長江さんのほかにも何人かのお師匠さんに出会って、

数えきれないくらいの「自ら行動する人たち」と友達になった。




ピースボート同僚のケンは中学生のとき、

ヨットに家族で乗ってニュージーランドを出発して、お母さんの国・日本まで旅をした。

お父さんはヨットの設計士、ケンもヨットの操縦とメンテナンスなら自由自在。

この夏はツバル独立15周年をお祝いしに、家族のヨットで太平洋航海をすると言う。


グレートジャーニーを達成した関野吉晴さんは

今度はすべて昔の人のように、自然素材から自分で作った道具で旅をしたいんだと言って

今、カヌーをつくるのに必要なノコギリを蹉跌から作る方法を房総半島にいる匠に教わっている最中だという。


自称冒険家の女優、高樹沙耶さんは

「冒険家が飛行機で旅するのもちょっとかっこわるいよねえ」と言って、ヨットを練習しはじめた。

すでに1級船舶免許も持っていて、千葉のエコハウスのそばに自分のヨット用の港もGET。

「近い将来、女の子だけで太平洋横断しようよ!」と言う。


14歳のときにたった一人で(世界最年少!)太平洋をヨットで横断した高橋素晴くんは

来年春に薩摩半島にオープンする予定の環境学校に、ヨットのプログラムも取り入れたいと言っていた。




…なんか、ヨット、流行ってない??




と思ってムズムズしだした私に火をつけた極めつけは、

内野加奈子ちゃんに 出会ったこと。


普段はハワイイに住んでいる加奈子ちゃんは、珊瑚の博士であり、海洋写真家であると同時に、

去年のホクレア日本航海 に同行した星の航海術士。


大学時代にホクレアを知って卒業後にハワイイに移住し、

ナイノア・トンプソンが師事したミクロネシアの航海術士、マウ・ピアイルグに星の読み方と航海術を学び、

去年の日本航海以外にも何度となくホクレアの航海に参加している超ツワモノ。


そんなことをやってのけてしまうのはどんなスゴイ人なのかと想像していたら、

思っていたより若い!普通にピザも食べるし、普通に恋もする同世代!

地に足のついた、とっても穏やかで素敵な女性だった。


そうなんです。

フツウの女の子にも、できるんです。太平洋横断。




そんなふうに、周りからじわじわ攻められるようにして機が熟してきた。


私も、セイリングで、旅に出たーーーーーーーーーい!!!!!!




今なら、子どもたちと一緒にセイリングすることを前向きにとらえることができる。

今なら、私もある程度胸をはって太平洋での環境プログラム作りに挑戦することができる。


なにより、今なら、それを一緒に実現していく仲間がたくさんいる。





内野加奈子ちゃんと出会うことができたのは、

前に一度インタビューをしてもらったフリーペーパー「makana」の編集長、

坂本小夜ちゃんの 粋なはからいだった。


7月に、加奈子ちゃんのホクレア写真とステイシーのピースボート写真で、

南太平洋の写真展&トークをすることになったのだ。



その打ち合わせで集まったはずの夜に、ヨットネタで盛り上がってしまった。


「女の子だけで太平洋横断かあ」

「やろうと思ったらできるでしょ」

「その旅には、環境のメッセージを携えて」

「そんなことしたら、さすがにみんな注目するね」

「っていうか、それってもしかして世界初?」

「そのヨットには、いずれこどもたちも乗せて」

「すごくいいサマーキャンプになるよね」

「共働き夫婦が増えてるから、そういうのこれから流行るんじゃない?」

「それじゃ、1回かぎりじゃなくて毎年のプロジェクトにしないとね」

「日本にもサマーキャンプ文化を根付かせよう」

「山のサマーキャンプはじわじわ増えてるけど、海のはまだないもんね」


「じゃあ、"海のこどもサマーキャンプ"の拠点は、ぜひとも鎌倉とハワイイに」



妄想はどんどん膨らんでいく。


自分達のセイリングで外洋に出たら、子どもはどんな顔をするんだろう。

タヒチのガビ のところでタロイモ掘りをしたら、なんて言うかな。

ハワイイのジジの農園 に泊まって地元の子どもと遊んだら、楽しいだろうな。





…ストーップ!!!



「機が熟しつつある」なんて言うけど、娘の桃はまだ1歳。

桃のほかに、これからまだもう1人生まれることだってあるかもしれない。


ピースボートの仕事もどんどん面白くなっているし、

いますぐすべてを飛び出して、太平洋に出て行くわけじゃない。



でもこれから10年かけてでも、

海の仲間達と一緒に、こどもたちを連れて外洋に出られたらいいな。

ピースボートの仲間とも一緒にそれを実現できるように丁寧につながりをつむいでいけたら、なおいいな。




いつか自分が描いた夢が、

一巡して、とてもいい形でふんわり戻ってきつつある。


1人で飛び込むことに尻込みしていた夢が、

経験を積んで、仲間を得たことで鮮やかな色あいを帯びつつある。


前は漠然と 「こどもたち」 と一緒にセイリングがしたかったけれど、今の私にはモモもいる。

小学生になって真っ黒に日焼けしたモモが、ガビの膝に座っているところを想像して、ニヤニヤしてしまう。





もう、がむしゃらにただそこに向かう「目標」と、

哲学と大志のある「夢」をはきちがえるほど子どもではいられない。


ゆっくりでいいから、10年かかってもいいから、一歩ずつ確実に、夢を形にしていきたい。






でもね。


えらそうに夢を語る前に、まずはヨットの猛練習が必要です。

この夏、セイリングに復活します。


誰かヨット、貸してくださーーーーーーい。






おまけ:


夢へと近づく第1歩目にあたるかもしれない、内野加奈子ちゃんとの対談を、7月に横浜でやります。

ピースボートの入出港する大さん橋のすぐ近く、しっぶーい石造りのカフェ・ZAIM で写真展&トークです。


お時間のある人は、ぜひぜひ遊びにきてください。 以下、詳細。





PACIFIC 
makana presents Photo Exhibition

http://www.jp-hanalei.com/News.html






太平洋。
世界でもっとも広い海。
海が穏やかなことから名づけられた「pacific」は「peace」が語源。
数多くの島々が浮かび、そこにはそれぞれの暮らしと文化がある。

写し出される太平洋の島々と海と人びと。
その写真の一枚一枚が、
ポリネシア~ミクロネシア~アジアと繋がる民族のクロニクルを描き、
文化と歴史、自然環境の問題を照らし出す。

海と自分の住む土地を愛するすべてのひとへ、
希望に満ちた未来をつくる、ひとつのきっかけとなれることを願って。





伝統航海術を学び、昨年のホクレア号の日本への航海で、
大きな夢と希望を運んでくれたクルーのひとり、内野加奈子さんと、

世界中の人びとや風景を写真に収めているピースボートスタッフのステイシー・ヒューズさんによる、
太平洋をテーマにした写真を展示。


それぞれの写真には内野さん自身の、

ステイシーの写真には同じくピースボートの小野寺愛さんの文章を添えて。

そして、展示会開催中の最終日にスライドショーとトークイベントを開催。
スピーカーは、内野加奈子さんと小野寺愛さん。
海を舞台に活躍するふたりはもちろんサーファーガール。

彼女たちを導く偉大な師(マスター)の話や、自然に寄り添って暮らす
小さな島々へ訪れたときの貴重な体験秘話など、
ここニッポンに暮らす私たちを、同じ太平洋を囲む太平洋民族としての目覚めへと誘います。
イベント終了後のクロージングパーティではフラやライブを予定。







Photographer/Speaker
内野加奈子 (写真・トーク)

海洋写真家。
海と人のかかわりをテーマに、写真・執筆を中心に活動中。
伝統航海術式のカヌー、ホクレア号のクルーとして数多くの航海に参加。
6月に小学館より『ホクレア 星が教えてくれる道』が刊行される。ハワイ・オアフ島在住。
http://kanaphotography.com/





Photographer
ステイシー・ヒューズ (写真)

国際交流NGO「ピースボート」スタッフ。
ピースボートで訪れた200以上の土地で出会った人々や風景を写真に収めている写真家。
現在地球10周目中!
http://adriftwood.net/

http://www.peaceboat.org/





Speaker
小野寺愛 (トーク)

国際交流NGO「ピースボート」共同代表、ほっとけない世界のまずしさ理事。
サーファー、一児の母。共著に『世界から貧しさをなくす30の方法』(合同出版)など。
http://ameblo.jp/sunday0106/

http://www.peaceboat.org






「PACIFIC」Exhibition



期間:2008年7月5日(土)~7月13日(日)
AM11:00~21:00
入場料:無料

Talk
日時:2008年7月13日(日) open 15:00 start 15:30~
入場料:2,500円(1ドリンクつき)

場所:ZAIM room #307 (Talkは#401)
〒231-0021 神奈川県横浜市中区日本大通34 TEL: 045-222-7030
日本大通り駅徒歩3分 http://za-im.jp/php
申し込み:pacific@jp-hanalei.comへメールにて申し込み
予約受付開始:6/20(金)~ 定員になり次第締め切り

主催:HANALEI (フリーペーパーmakana編集室)
http://www.jp-hanalei.com
後援:国際交流NGO「ピースボート」
問い合わせ:aloha@jp-hanalei.com


http://www.jp-hanalei.com/News.html









May 28, 2008

マータイさん、Pセン来訪!

テーマ:お仕事のはなし


じゃーん、速報!!




maathai04(c)MOTTAINAI campaign






2004年度ノーベル平和賞受賞者であり、

ケニア緑の党の代表であり、

元ケニア環境副大臣であり、

ケニア・グリーンベルト運動創設者であり、

ナイロビ大学初の女性教授であり、

MOTTAINAIキャンペーン提唱者であり、

9条世界会議国際呼びかけ人、


…の、ワンガリ・マータイ さんが、昨日、なんとピースボートセンターとうきょうに来てくれました!!





今日から横浜ではじまるアフリカ開発会議(TICAD)に参加するために来日したマータイさん。


農林大臣、水産大臣、環境大臣、たくさんの政府要人との超多忙なミーティングの合間をぬって、

わざわざ高田馬場の3丁目まで足を運んでくださいました。




maathai01

いつも素敵なアフリカン衣装。 お肌もツヤッツヤの超きれいな人ですが、もう68歳だって。信じがたーい。






マータイさんとピースボートが出会ったのは、2005年のソトコトNPOサミットのときだった。


日本で元気のあるNGO代表者を何人か集めてマータイさんと語ろう、という企画。

当時ソトコトの敏腕編集者、今はgreenz.jp の編集長となった鈴木菜央くんのはからいで、

ピースボート創設者のひとりである吉岡達也も、パネリストとして同席した。



ワンガリ・マータイさんは環境と平和をつなぐ女性としては世界の中のカリスマ中のカリスマ、

しかもこの素敵なルックス! 超憧れの人!


自分的「世界の中で仲良くなりたい人ランキング」のトップに確実にランクインする

マータイさんに会えるということで、当時まだNGO勤務2年目のヒヨッコの分際で吉岡さんに同行した私は、

久しぶりに手に汗で握手をしたのを覚えている。



「ピースボート。

 国境のない海を行く、旅する大学!すばらしいコンセプトね。

 

 環境と平和って、表裏一体なんですよ。

 紛争の原因は、どんどん劣化する自然環境に残された資源を、少数の人たちが争っていること。

 地球に住むすべての人が平等にわけあえば十分にある資源を、公正に分配できていないこと。

 

 それは、経済的には着実にグローバル化する世界の中で、

 人々の想像力が追いついていないから起きている問題でしょう。

 

 市場も、政治も、とめられないくらいの勢いで、勝手に拡大している今、

 ふつうの人同士が自分とは違う環境に暮らす人々と出会い、つながり、想像し、行動することこそが、

 いちばんの平和作りですよ。


 ピースボートは、まさにそれを25年間かけて実践しているのね。」



そんな感じのことばをもらって、すごーく誇りに思ったのを覚えている。





あれから3年。


その間に、

ピースボートは地球大学のスタディープログラムでケニア・グリーンベルト運動を訪れ、

お嬢さんのワンジラ・マータイさんとその夫ラーズさんと仲良くなり、


「今度日本にいったら、母(ワンガリさん)のレセプションをピースボートのオフィスで行いたいわ」

なんて言ってもらったりして(ちょっと冗談だと思っていた)、


9条世界会議の国際呼びかけ人としてお世話になり、

少しずつ親交を深めながら、いつかマータイさんにも船に乗ってもらえるのを心待ちにしているところだった。




それが昨日突然、マータイさんと一緒に来日したお嬢さんのワンジラさんから電話が!


「火曜日、ピースボートセンターにお邪魔してもいいかしら?」




…もちろんですとも!




ということで、昨日からみんなで大掃除。


床掃除、机の配置換え、換気(!)、歓迎ボード作り、装飾、スライドショー作り、撮影、

お土産とお花選びまで担当を決めて、全員体制で大騒ぎ!!


ケニア国旗を描いて、ケニアで買い込んだ木彫りのキリンやカンガ(布)で飾り付けをして、

なんとか歓迎ムードができあがった。



予定より30分遅れだったマータイさんのおかげで

「ようこそ!」をスワヒリ語で一緒に言う練習までバッチリできて、

フルタイムスタッフもボランティアスタッフも全員で囲んで大歓迎。




maathai02

日英通訳が天才的に上手なメリと、ニコニコの吉岡さん。暗かったから、写真がブレちゃった。






「カリブ・サナ!(ようこそ!)」



狭苦しい、いやいや、「手作り感あふれる」空間とみんなの興奮に

ニコニコになったマータイさんは、開口一番、こう言った。




「どうもありがとう! ありがとう! ありがとう!

 日本に来て初めて、ここで、ホンモノの人に会った気がしています。

 

 人と人のつながりを作るために出張しているはずなのに、

 会うのはスーツを着た政治家ばかりだったから!」




いいこと言うなあ!




マータイさんは、環境運動で有名だけど、

もちろん最近の日本で流行っている「ちょいエコ」な感じからは程遠い。


独裁政権下にあったケニアにおいて、

公然と政権を批判したことで数度の逮捕と投獄を経験した、筋金入りの運動家だ。


しかも、

「妻が女であるにもかかわらず意志が強すぎ、

コントロール不可能であると夫が国に訴え離婚させられた」(wikipedia) 、なんていう経験もあるんだって。




ブレない芯の強さは、昔からなんだなあ。


それでいて、とってもあったかくて、しなやか。

きっとそこが、ステキの秘密なんだろうな。




maathai03
ワクワクにあふれた、大騒ぎのピースボートセンターとうきょう。





えーっと、実は、


超残念ながら、

私はモモの保育園お迎えがあって、

話がはじまってまもなくピースボートセンターを出なくてはいけなかったので

肝心のトーク部部分がしっかりレポートできないのです。 ごめんなさい。 あとでみんなに聞こうっと。



世界のカリスマよりも、うちのモモなんです。





今朝の朝刊では、朝日新聞のインタビューに対して、マータイさんはこう話してました。




「会議は何度も開き、すべきことはわかっている。

 環境問題を話し合って帰った直後に、森林が伐採されるような状況なら意味がない。

 日本政府も現地でもっと行動してほしい。」



…いやほんと、いいこと言うなあ!

会議に参加するために来日しながら堂々とこうして核心をつくあたり、かっこいい。





こういうカッコイイ大人に会うと、本当に元気になる。私もがんばろう。


マータイさん、ありがとう!!





May 21, 2008

イカの哲学

テーマ:おすすめ



         ikaphilosophy
 





『イカの哲学』、おもしろかった!!!




「イカの哲学」は、今から約40年前のお話。

波多野一郎さんという人が書いた、400字詰原稿用紙が40枚程度の読み物だ。


古~い文体がイキなこの文章に学生時代から注目していた思想家の中沢新一さんが、

「現在の世の中にこそ、この本で書かれた内容が再び問われなければならない」

と掘り起こし、自らの解説を加えて新書にした。 

          



ここに展開されるのは、環境と平和の融合した、生きた思想。

パックス・エコロジカ時代を生きるクール・ピープルへの考えかた指南。

 

思想そのものも目からウロコだったんだけど、

半世紀前を生きた波多野さんがメチャクチャに素敵な人なので、

私みたいな読者が(たぶん中澤さん自身も)その思想に魅了されるのかもしれない。





太平洋戦争中、波多野さんは特攻隊を志願した。


「どうせ死ぬなら最新鋭の科学力を投入した戦闘機を操縦し、

 願わくばかなわぬことのないであろうヒマラヤ登山の代わりに空の上から眺めてやろう」 という理由で。


ところが出撃直前に戦争が終結。その後、シベリヤに抑留され強制労働を強いられる。

波多野さんは、共産主義のめざましい発展に目をみはりつつも、

資本主義の側を見るまではどちらも認めん、思っていた。

抑留中の共産教育を強いられながら、

「帰国後はアメリカに留学する!」と決めていた強靭な精神の持ち主だ。


シベリヤから帰還後、アメリカ・スタンフォード大学院に留学し、

プラグマティズム哲学を専攻しながら共産主義とアメリカ文明との違いを見極めようとする。


そこで見えてきたのは、

共産主義にせよ、資本主義にせよ、いずれの文明でも中心となっていたのは、

あらゆる生命の中で人間こそが特権的な存在であるという「ヒューマニズム(人間主義)」であることだった。

そして、そのヒューマニズムにこそ、現代の戦争の根本的な原因があるのでないかと考えるようになる。 




何故大助君は彼の哲学的探求において、

在来のヒューマニズムを世界平和のための鍵として取り上げなかったのでしょうか?


その訳は斯うなのであります。

乃ち、人間以外の生物に対しても敬意を持つことに関心のない在来の人間尊敬主義は理論的に弱く、そして、動物達と人間を区別しようとする境界線がとかく曖昧になり勝ちであります。それ故、在来の単なるヒューマニズムは、われわれの社会で、しばし叫ばれるものであるけれども、それ自体には、戦争を食い止めるだけの力が無い。と、大助は結論したのであります。




そんな中、

学費を稼ぐアルバイトのために、波多野さんは夏休みをカリフォルニアの漁港ですごした。

そして、水揚げされた何万匹ものイカの箱詰め作業の最中に、突然閃光のようにひらめいた。



もし彼等、イカ達が人間共にしゃべることができたら、何というだろう?

そうしたら、斯ういい出すんじゃないかナー。


「おい!大助君!どうして俺達を不注意にも床に落としたりなんかして、俺達を差別待遇するのかね?

俺達が死んだのも立派な商品となるためなんだ。そして、俺達は人間様の食卓の立派なお皿の上にのっかって、立派なステーキになるために死んだのだ。俺達の存在を無視しないでくれよ、俺達を忘れないでくれ!」 大助の空想の中で、イカ達は大助に向ってしゃべりはじめました。



(中略)



大助君は更に、空想を逞しくして、これら、イカ達が捕獲される前に大洋で棲息しているときの状況を、思い浮かべてみるのでした。彼はイカという魚は、海の中で生きているときは大きな集団をなして遊弋しているということを知っていました。その時、彼等は彼等なりの社会生活をしているにちがいないのだ。乃ち、彼等なりの喜びも悲しみもあろう。好いた、惚れた、だの、喧嘩だの、たとえそれらは全く下等なたぐいにせよ。


「もし、イカの言葉が人間に理解できて、それらの話が聞けたらどんなに面白いだろうに」

などと空想は更に進展して、これら、生きているイカ達が漁師の網にかかって獲られるその瞬間にまで及んだのでした。


大助君は漁師達の網が、丁度、うまくイカの群れに出会ったら、ひと網で数トンのイカがとれるという話を、ある漁師から聞いたことがありました。大助君はこれらのイカ達に同情いたしました。と、申しますのも一回の投網によって、数万のイカに死をもたらすとあっては、漁師達の網はこれらのイカ達にとっては、全く一つの原子爆弾のようなものであります。


(中略)


そして空想を続け、イカ達の実存に触れた大助君は、こう言う。


「そうだよ!大切なことは実存を知り、且つ、感じるということだ。たとえ、それがイカの如くつまらぬ存在であろうとも、その小さな生あるものの実存を感知するということが大事なことなのだ。この事を発展させると、遠い距離にある異国に住む人の実存を知覚するという道に達するに相違ないのだ。」

(後略)




圧倒的に明るい文体で、淡々と続くこのお話。

イカの気持ちになりきって考えを進める波多野さんの思考に、思わずプッと噴き出す人もいるかもしれない。


でも、よく考えてみると、ここにはとんでもなく深い知恵が隠されている。



人間が生きていくためには、他の生物の命を奪わなければならない。

それでも、自分は今仲間の命を奪っているのだという自覚をもって、人類は狩猟や漁労や採集を行ってきた。

大洋を行くイカたちを一網打尽にして、引き上げられたイカたちをただのモノとして扱うようなことは、

つい最近までけっして行わなかった。


「実存しているものたちをただのモノとして扱う物象化の思考が一般的になってきたのは、

人類史でいえばごく最近のことにすぎない。

20万年のホモサピエンスの歴史から考えたら、

ここ1万2~3千年前まで、人間がおこなっていたのは、

「心」を持った生命を実存としてとらえようとする思考だった。」


と中澤さんも言う。




「心を持った生命を実存としてとらえようとする思考」

ということばで思い出したことがある。


3年前に南極に行ったとき、

ホモサピエンスの歴史よりもずっと長い5000万年という時間、

今のかたちのままで存続している種がいることに驚いた。



ペンギン。



ペンギンの生態と、ペンギンコミュニティーの中にある平和主義的なものに感動して、

頭が完全にハイ状態になった私は 「ペンギンってすごい」 という気持ちを遥かに超えてしまった。


ペンギンってすごい、を超えてどうなったかというと、

腹の底から、 「ペンギンになりたい 」 と思ったのだった。



ははは。おかしい。



そうなんです。

どれだけ控えめに、丁寧にその感動を話しても、

「ペンギンになりたいって… さすが面白いこというね」と大体バカにされた。


でも、今世の中に決定的に欠けているのは、

「私はイカだ」「私はペンギンだ」くらいの強烈な共感を感じえる現体験だと思う。

その共感の蓄積こそが、地球を住みやすい場所にする。それは間違いないと思う。



ちょっと不安だったけど、そこらへんも、この本に肯定してもらったような気がした。






生きとし生けるものすべてに宿る「生命直感」を鍵に、

「超戦争時代」である現代の平和を提案していく『イカの哲学』。 面白かった!




無意識の知性を回復していくこと、

時と種を超えた連続性を大切にすること、

すべての生き物の中に心と実存を認める想像力を持つこと。




それは、思想というより、すでに生きかただ。

まさに新しい「マインドセット」を提供されたような感じで、ワクワクする。


このマインドセットの深さと新しさは、今の私じゃボキャブラリーが足りなくて、とても紹介しきれないけど。




…もう1回読もうっと。





squid

                                                             アオリイカ



イカは信じられないほどに複雑な眼球を持っているけれど、その目に比して脳の構造があまりに単純にできているので、

とてもそれだけの情報量を処理できる能力はない。イカの群れは悠然と大洋を泳ぎながら、

すばらしく高性能なカメラで地球の光景の観察を続けている。

その様子を見ていると、イカという生物は自分のためにでなく、

自分を包み込んでいる自分より大きな存在のために地球の観察を続けるバイオカメラなのだ、と考えたくなるほどである。

人間のような知的生物も含めて、この地球上にある生物はすべて、地球が生み出した。

私達の知性も、その意味では地球が生み出した果実である。

そう考えると、イカの生命活動も、私達がまだよく知らない生命ネットワークによって、

知性を生み出す能力を持った地球そのものの活動につながっているのかもしれない。

                                                        (中澤新一、『イカの哲学』より)



宇宙の砂漠に浮遊するオアシスのような、孤立した地球の写真をはじめて見たとき、変わらざるをえなかった。

「ひとつの地球(Whole Earth)」の概念は、運命共同体という考え方を受け入れやすいものにしてくれた。

われわれも、青い目のホタテ貝も、ウシも、地上を這うものすべても、いずれの種も最終的にはひとつの種に帰する。

このすばらしいシステムの中で真に魅惑的で衝撃的なことは、

われわれひとりひとりの中に「イカ的なるもの」がある、ということである。

われわれは地球の目であり、耳であり、われわれの考えることは地球的思考である。

                                                      (ライアル・ワトソン、『未来への贈り物』)


May 20, 2008

都会派モモ、八ヶ岳へ

テーマ:家族のはなし



9条世界会議と新しい船の引越し、

それにオフィスの引越しのカオスも落ち着いて、ひと段落。



週末、大悟が野辺山マラソンに出るというので、モモと私もついていった。




hillsidewalk04





初夏の野辺山。八ヶ岳。

中学2年生のときの自然学習以来に訪れる場所で、出発前からワクワクしていた。



だって、日本一おいしいソフトクリームという噂の滝沢牧場のソフトクリームを、

15年たってから家族3人で食べにこようとは!




その私のワクワクを察してか、

小ぢんまりして素敵なペンションにするやいなや、モモはもう、大はしゃぎ。



0521_03
                                              我が家かのように、一人で入っていきました。



階段をのぼったりおりたり、

廊下を行ったりきたり、

他の宿泊客にも律義に挨拶してまわり、

丁寧に準備されたおいしい夕飯も、私のぶん分がなくなるんじゃないか心配になるくらいの食べっぷり。



部屋に戻っても探検は続き、

ベッドに乗ってみたり、おりてみたり、

バスルームに入ってみたり、出てみたり、

便器のフタを開けては閉じて(それはうちでもやる)…。


ひととおりの探検に飽きると自分の靴を2足、

自分で玄関から持ってきて、両腕を伸ばして私に差し出す。


「ウックプー!(もう一回、外に行こ!)」





ところが、

絶対に喜ぶだろうと思っていた滝沢牧場に遊びに行ってみると、意外に静か。



field01

                              見て、この怪訝な顔。どこのおっさんだ。




見渡す限り緑の草原が広がる場所は、そういえば初めてだったかもしれない。

公園の芝生ではない自然の緑に、どう見ても躊躇していた。


少しモシャモシャの緑が怖くてひとりでは一歩も進めず、

「抱っこ」を要求。




field02

                                       なにここ。なんかこわい。



公園の芝生なら大好きだし、

アスファルトの道も恐れ知らずで歩いて転んでも泣かないのに、ビックリ。 


ちょっと悲しい。






ウケたのは、ロバが怖くてしょうがなかったこと。

絶対喜ぶと思って連れて行ったのに、お化けでも見たかのような大騒ぎ、大泣き。






「ふぎやあああああああーーーー!」


と大声を出して嫌がり、早々に退散してきました。




大悟の実家の柴犬タロくんや猫のジジとタマのことは大好きなのに、

自分の3倍もありそうなラブラドールリトリバーの鼻ヅラを両手でつかんだりするのに、

牧場のロバや馬、アヒルやカモはみんな怖くて怖くて、触るどころか、近づくこともできないモモ。



duck

                         興味はメチャクチャあるのに、これ以上近づけない。




donkey

                                      「こわ。なにコイツ。」 微妙な距離をキープしたまま、凝視。




ちなみに、

「モモにお手本を見せてあげよう!」

と思いたった私は、山羊さんに近づいてみた。


悠然と干草を食べているおとなしい山羊の隣にしゃがんで


「よーしよし、いいこいいこ」

と首から肩のあたりをポンポンすると突然、


「フン!」

とかいって猛烈に怒って、

頭を思いっきり後ろに反らし、立派なツノで私を攻撃!




大悟、爆笑。

モモ、どん引き。




そうだよね。

山羊さん、お食事中、失礼しました。








でもとにかく、マズイです。

知らない間に我が家の長女は都会のヒヨッコになりつつある様子。


山や海にばっかり遊びに行く両親(私たち)にウンザリする子になったりして。




小学生くらいになったモモに


「え~。また山~?」

「キャンプとか、めんどくさいし」

「海は塩がつくし、焼けるから無理~」


とか言われたらどうしよう!!!




物心がつきはじめた今のうちに、もう少し頻繁に山や海で楽しい週末を過ごさないと。

週末に仕事なんかしてる場合じゃないです。本当に。





parkwalk01


parkwalk02

普段は、公園につくと「あったー!!あった、あった!!」と大声で叫んで喜んで、一人でどこまでも行っちゃうタイプなんだけど。







さて、

ロバには大泣きしたモモも、

宿の裏にあった森の静かな小道は大好きだった。 ほっ。



落ち葉が降り積もってふかふかの小道を、

立ちどまって葉っぱを拾ったりしながらゆっくり長~く散歩した。





hillsidewalk01



hillsidewalk03



hillsidewalk02





しばらくひとりで歩いていたあとで、

小さな手をのばして、

自分の両側を歩く大悟と私の小指をつかんだ。




そのまま、とっても嬉しそうに、私たちをひっぱるようにして前へ前へと進む。




静かに降る雨の中、ふかふかの道を3人で歩く。

遠くから川の流れる音、鳥が雨宿りに入るために移動する音が聴こえる。


しとしとしと、ぱたぱたぱた、ふかっ、ふかっ、ふかっ。




ああ、なんだか、幸せだなあ と思っていると、

モモが左右を交互に見上げて 「ぐふふ」「くふふ」 と笑った。






一緒に手をつないで歩けるなんて、

もっと先に描いていた夢があっというまにひとつ叶ってしまった。






0521_02

                            いたずらがばれると、いつもこの顔。「あーっ!」って、それ、私のせりふ。



0521_01

                                      うれしいときは、大きく手をたたいて 「くふふふふふ」。






桃が生まれて嬉しいのは、

こういう毎日にある、あたりまえの瞬間を本当に幸せに思えること。




たまに食べる豪華なディナーとか結構好きだし、

サーフィンでスーッと波に乗る感じは何にもたとえようがないほど快感だし、

ピースボートも心から大好きなライフワークだと思っている。



でも、豪華な食事よりも地球一周よりも

桃と大悟と手をつないで歩く散歩が幸せだと思えること、

それはカミサマからの最高の贈り物だと思う。



カミサマ…、いや、私たちに命をくれた両親サマからの贈り物なのかもしれない。





大悟も私も、両親からのあたたかいサポートを得て、今の自分になった。

そして今、モモには私たちがいて、さらにどちらの祖父母にも愛されて、本当にすくすくと育っている。


(今のところちょっと都会派に育っているようだけど)








カミサマ・両親サマ・そして、周りで見守ってくれる皆々さまには感謝してもしきれない。



優しさの連鎖を次の世代になんとかつなげていくことで必死に恩返ししようと思う、今日この頃です。











ちなみに風邪をひいてだるそうだった大悟は、山道のフルマラソンをしっかり完走! ありえん!!


0521_03


おまけ:

少し前までサーフィン一辺倒だったくせに、

仕事柄、突然山を走り始めた大悟に実はすっかり影響を受けはじめている私。


トレイル・ランニングをやってみたくて、

でもなんとなく敷居が高くてムズムズしていたのですが、

まずは今週末、 「ラン・フォー・アフリカ / Run For Africa」  に出てみます。




これは、山を走る(トレイル・ランニング)んじゃなくて、普通のマラソン。


ほっとけない世界のまずしさ 」とTICAD市民社会フォーラム主催のイベントで、

会場内の配布物やスクリーンの映像に世界の貧困をなくすためのキャンペーン 仕掛けも盛りだくさんです。




42.195kmを走るのではなく、

マラソン世界記録の2時間4分以内にチームでどれだけ走れるか、というレース。

20人1チームで全員が全力疾走するチームもあれば、我が家のように子連れで参加するチームも。


有森裕子さんや、世界記録保持者のハイレ・ゲブラ・セラシエさんも走るみたい。

ウェブ締め切りは先週だったけど、当日受付も大丈夫とのこと。



週末だし、ちょっと走ってみようかな、という人はぜひ行ってみてくださーい。




babycarpush02


babycarpush01
最近、ベビーカーは「乗るもの」ではなく、自分で「押すもの」になっているよう。卒業も近いかな?







May 16, 2008

南米のガンジー、または21世紀のチェ・ゲバラ

テーマ:お仕事のはなし




最近、ワクワクすることが多い毎日を過ごしている。


全部は書ききれないけれど、とくにすごかったのは「南米のガンジー」と出会えたこと。




南米のガンジー、または、「エクアドルのチェ・ゲバラ」。


彼の名は、アウキ・カナイマ・ティトゥアニャ。

エクアドル、コタカチ郡の先住民知事!





auki01

アウキさんとパートナーのアルカマリさん。戸塚の善良寺にて。






日本の憲法9条を世界の人たちと語る国際会議

この規模でそれを開催するのは、たぶん史上初めてのことだったと思う。



その歴史的なシンポジウムの中で、

唯一「環境」がテーマのシンポジウムを辻信一さんと一緒にコーディネートする…


そんな恐れ多い大役を引き受けることになったとき、まずいちばんに考えたのは

「ラテンアメリカからゲストを呼ぼう!」ということだった。




かつてローマ帝国支配下の平和のことを「パックス・ロマーナ」と呼んだ。


それを受けて、辻さんは、

現代の平和は「パックス・アメリカーナ」(アメリカ覇権のもとでの平和)であり、

「パックス・エコノミカ」(経済覇権のもとでの平和)だと言っている。



アメリカの傘の下にいれば、平和。

資本主義経済市場に参加している限りは、平和。


…でも、その外には何がある??


貧困は減らないし、戦争はなくならない。

テロと社会不安は増える一方のようにも見える。



そろそろ、

際限のない経済成長や「パックス・エコノミカ」というマインドセットを抜け出して

それに変わる新しい社会システムを作らないと、みんな幸せになれないんじゃない?




そう考えたとき、

「脱・アメリカ的世の中」を掲げて次々に左派の政権が誕生しているラテンアメリカ地域ほど

学びの多い場所はないと思った。


そして日本にお招きしたのが、「南米のガンジー」、

次期エクアドル大統領候補のひとりでもあるアウキさんだった。




auki06
        二人でおそろいのみつ編みが超素敵!




以下、アウキさんのトークのメモを共有します。





南米の先住民は500年以上差別されてきました。

民主主義から排除されてきました。


みなさんにお尋ねしたい。

今、世界に民主主義は存在しますか?


私は、今の世界に民主主義はないと考えています。


デモクラシーのデモは「民衆」、クラシアは「力」という意味です。

人民に力がないのだから、民主主義は存在していないも同然。


力を持っているのは、政治的グループであったり、経済界であり、人々ではありません。

民主主義はありませんが、石油の力、ドルの力、テレビの力がある。そんな世の中です。 




これを変えるのにはどうしたらいいか。私は真剣に考えました。


先住民の諺に、「川を渡ろうと思ったら、水の中に入らないといけない」というものがあります。

まず、みんなで参加しなくてはと思いました。


我々先住民には、国家もなければ、法的な枠組みもないし、経験も本もありませんでした。

しかし、先住民の知恵の中から、「参加型の民主主義」という新しい社会の形を見つけたのです。 




変革は参加によって生まれます。

504年の大変な時代を超えて、新しい参加型民主主義を作り出すにいたって、

私たちは3つだけ原則をつくりました。


3つの原則とは、「怠け者にならない、嘘をつかない、盗まない」。

なぜなら、私たち先住民は、怠け者で、嘘つきで、泥棒だと言われてきたからです。 





(※「ナマケモノにならない」という部分で、みんな辻さんを見る。会場、爆笑。)





auki05

                                  (c)ナマケモノ倶楽部





私たちは毎年、大きな民衆集会を開いています。

子どもからお年寄り、もちろん女性も含めて、毎年たくさんの人々が集まっています。


雨林に住む人々には、郡政府がバスを出します。

外国人もみな歓迎です。


そして、医療、教育、環境、税、予算についてみんなで話し合うのです。

地域における開発が、透明性を持ち、腐敗を追い出せるように政府とも話し合っています。




民衆集会では、一緒に働こう、成功も失敗もみんなで担い合おうとやってきました。

そしてその結果、12年間いつも勝利してきました。


コタカチでは投資案件はすべて住民が参加して決めています。

予算も参加型で準備しています。


成功の鍵?

対話と多様な文化を尊重し理解することです。 





auki04

                            (c)ナマケモノ倶楽部





私が知事をやってきた12年間というのはエクアドルの危機と重なっています。

憲法を変えて米ドルをエクアドルの通貨にし、政権が9回交代し、

貧困率が35%から80%まで拡大した危機の時代です。


私たちはそんな中で、対話によって平和文化を作ることを目指しました。

そんな私たちに、ユネスコは、「平和都市賞」を与えました。




2000年にはエコロジーコタカチ宣言をしました。

森林農法を行うことで、木材の伐採や鉱山開発にブレーキをかけてきました。

15年闘って、腐敗した政治家や経済の権力者が、コタカチを食い物にするのを食い止めてきました。

多国籍企業による採掘権の無効化さえも可能にしました。 




2005年にコタカチは100%の識字率を達成しました。

伝統的先住民医療を見直し、医療費の無料化も実現しました。

その結果、妊産婦の死亡率が2%にまで低下し、

現在はエクアドル内で91の自治体がコタカチをモデルに新しい発展をしようとしています。




エクアドルでは石油の開発が始まってから、貧困も対外債務も増大しました。

銅山の開発が発展につながるとは思えません。


エクアドル政府は最近、国家予算の25%を使って、戦闘機20機を購入することに決めました。

エクアドルにも憲法9条があったら、と思います。

憲法9条があったら、国の予算を文化や社会のために使えるのに。





私たちは、西欧式の「代表民主主義」にあまりに慣れてしまって、

まさか「直接民主主義」が可能だなんて思えないくらい、思考停止している。

そんな現代にあって、まったく新しい「参加型民主主義」を通して

確実に新しいモデルを築いている敏腕政治家のアウキさん。


キューバで経済学を勉強して帰国、

知事に初めて就任したのが31歳(今の私よりたった1つ上!)のときだったというから、

もう本当にびっくりする。




しかも、政治家として圧倒的支持を得ているアウキさんには

3人のお嬢さんがいて、家では炊事・洗濯・掃除なんでもこなすお父さん。

奥さんのアルカマリさんのことも本当に大切にしていて、ふたりはいつも手をつないで歩く。


アウキさん、そのうえ、実は詩人でもあったりして。

辻さんが言っていた。





忙しい中でいったいいつ詩を書くのだろうと思ったんだよ。

でもそう聞くと、アウキさんはゆっくりと言った。


Hay tiempo para todos.

全てのことをするための時間はある」 と。





軍拡するエクアドルの中にあって、コタカチは非武装で闘っている。

環境教育者や森を作る人を養成することで、鉱山で働かなくても雇用が守れるようにしている。


そんな偉大な「命のため」の仕事をしているアウキさんはまた、詩人でもある。



…カッコイイ!!





いまやSEIYUでも採用されて

日本でもちょっとしたブームになっている「ハチドリ」の話も、

もとはといえば詩人であるアウキさんのパートナー、アルカマリさんが辻さんに教えたもの。




アウキさんが、こんな話もしてくれた。





500年間で7000万人の南米の先住民の命が犠牲になりました。

これは2つの大戦での犠牲者数を上回る数です。



私たちは命を愛し、平和を愛する民族です。


政治家としての私がやっていることは、今のところコタカチにとどまっています。

エクアドル全体が変わっているわけではありません。

でも、コタカチは確実に変わっている。それは大きな第一歩です。




ハチドリの話をさせてください。


山に火事がおきました。

森に住む動物たちは、我先にと逃げていきます。

そんな中、ハチドリのクリキンディだけが湖からくちばしで水を運んで、

1滴ずつ山火事にかけていきます。

ライオンが「そんなことをして何になる」と言うと、クリキンディはこう答えました。

「私は、私にできることをしているだけ」。 



世界の民主主義のありようを、山火事にたとえてみましょう。


コタカチはその火事を消そうとハチドリのような働きをしているだけかもしれません。

でも、みんなが、それぞれの場でハチドリのように小さな行動をすれば、

そしてそれをつなげることができれば、やがて火を消すこともできるでしょう。




私は、平和を作るという取り組みもまた同じだと思っています。

日本のみなさんが憲法9条を選びなおす作業にしても、同じです。





auki02

                   シンポジウムのあと。辻さん、中村隆一さんも一緒に。モモは面白い人たちと一緒にいるねえ。






そうなんだよねえ!




アフリカの貧困の話。

ビルマのサイクロンや、中国・四川の大地震の話。

いつまでたっても終わらない、世界中で今も続いている戦争の話。


どれもあまりに問題が大きくて、いっそのこと無関心を決め込みたくなる。




「戦争はいやだ」

「あたりまえの毎日を、世界中のみんなが送れるように」


そういうシンプルな本音は、本当はみんな持っている。

でも、そんなシンプルな想いのひとつひとつはあまりに小さくて、

それだけじゃ何も変えられないように思っていたけど…




ゴールデンウィーク、幕張メッセですごした数日間で、自分の気持ちが音をたてて動いた。



だって、




a9conf01




世界中から集まった人たち。





a9conf02





飛行機や、夜行バスや、電車で世界中から幕張に集まった人たち。





a9conf03




広島から71日間、幕張の会議を目指して歩いてきた人たち。


そのウォークに参加するために、東アフリカから日本に来た人たち。


赤ちゃんをスリングで抱えて歩いたお母さんとお父さんたち。






a9conf04




音楽で想いを表現する人たち。


イラクから来た人、

ガーナから来た人、

パレスチナから来た人、

スイスから、アメリカから、バヌアツから来た人。




たっくさんの、人。





2日間の集客人数は、2万人以上。

会場に入れない人も、3000人以上いた。




ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイアさんからミュージシャンのUA、

お隣の佐藤さんまで、世界中・日本中から集まったあまりにたくさんの人たちの


「そろそろ本当に平和がほしいんですけど!」 という想い。





ビシバシ感じました。





シンプルなハチドリのひとしずくも、これだけ集まれば、

さらに大きなウネリになるまで近いんじゃないか。



そんな風にワクワクした。






いわゆる「護憲派」、平和運動の先輩たちは、ずっと「9条を守ろう」と言ってきた。

その努力には、心から感謝しなくちゃいけないと思っている。


私の世代の日本人は、

たぶん「戦争」といえばみんな第2次世界大戦を連想する。

今の時代は「戦後」ということになっている。


でも、第2次世界大戦「以降」に戦争で亡くなった人が、実は世界に2300万人もいる。

今も毎日続いている戦争とその死に、日本が直接関わっていないのは、ひとえに憲法9条が守られたからだ。


そうでなければ、

日米安全保障条約のもと、

日本は第2次世界大戦後にアメリカが関わってきたすべての戦争に若者を送っていたかもしれない。


ベトナム、朝鮮半島、パナマ、グラナダ、アフガニスタン、イラク… そのすべてに。


だから、「9条を守る」運動には心からの敬意と感謝を抱きたい。



でも、たぶん、

9条を「守る」という言い方の中にある防衛的で現状維持的なニュアンスは

今のご時勢ではウケない。 だから、最近9条が危機に瀕していたんじゃないか。


閉塞感のある今の日本では、

「改憲」「改革」「革新」をうたうマニフェストのほうが、

どこか斬新で素敵な響きに聞こえてしまうところがあるというか。




でも、

ケニアからきたフローレンス・ンパイエイさんは、「私の国にも9条があったら」と言っていた。

アメリカのアリス・スレーターさんは、「9条を拡大解釈して、世界の軍縮に使おう」と言っていた。


そう。 9条は、ただ「守ってる」だけじゃもったいない。そういう時代にきているのかもしれない。




60年前に書かれた9条には、

今私たちが日々むきあっているエコロジーの視点は盛り込まれなかった。

動物、植物、すべての命に対する暴力、自然界に対する戦争という視点もなかった。





今、地球がたいへんな時代を迎えていることは、みんなで共有していると思う。

戦争なんかしてる場合じゃないんだよね、本当に。




すべてがグローバル化している今の時代に本気で平和をつくりたいとき、

「日本の非戦」だけ守り抜くんじゃこと足りない。



「人間の安全保障」だけ考えているのでも、まだ足りない。





地球に住む「すべての生命の安全保障」を、

地球にあるすべての知力を駆使して考えなくちゃいけないんだ。







bubble02




そして、平和と環境は、同じ文脈で語らなきゃいけない。


平和運動家がタバコを吸いながらマックでミーティングしたり、

自称エコ派の人が「憲法9条とか、そういう政治的な問題は、ちょっと」とか言うのって

カッコワルイし、時代錯誤。


これからは、「パックス・アメリカーナ」も「パックス・エコノミカ」も超えて、

「パックス・エコロジカ」の時代を拓かなくちゃいけないんだ。





bubble01





コーラ・ワイズさんが言ってた、心に響くことば。



「私たちの娘が、孫が、いつかこう言う日がくるのを目指したい。


 ねえお母さん、戦争って、なあに?」







auki03





長文、しかも支離滅裂ですが、

興奮さめやらぬままの9条世界会議レポートでした。





Be the change you wish to see in the world.     Gandhi

あなたが見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなればいい   ガンジー









●アウキ・カナイマ・ティトゥアニャ

 AUki Kanaima Tituana


以下、スローウォーター・カフェ ウェブサイトより転載:


キチュア語で、”自由の闘士”という意味の名を持つ。

1492年以降、スペイン人の南米への侵略から始まる500年の歴史の中で、エクアドル先住民の社会は崩壊し、多くの命が奪われ、その政治制度、経済制度、宗教、言語は、全て変えられてきた。これに対して先住民族は、非暴力の平和的な抵抗のなかで、土地を求めて闘い、先住民族自らを再生させるための作業を黙々と続けてきた。その結果、この20年で先住民族の政治参加と権利回復は急速に進み、エクアドルの人口1,200万人のうち42%を占める先住民族の中から議員や自治体の首長が出始めるようになっていた。

「盗んではいけない。嘘をついてはいけない。誠意を持って生きよ」というキチュアの教えを大切にするこの31歳の若き知事の仕事ぶりは迅速で、彼の存在がインタグの森にとって重要な意味を持つようになるまで、そう多くの時間はかからなかった。

キューバのハバナ大学に留学した後、エクアドルの大学で経済学を教えていたアウキは、経済の仕組みや政治制度を、西洋の社会や文化に統合される形ではなく、自分たちのアイデンティティを失わずに構築することが重要だと考え、より人間的で、環境に配慮した社会を作りたいという情熱を抱いていた。
1996年に先住民族キチュア出身としてはじめて群知事に選ばれる。社会、経済、文化、環境のあらゆる面での持続可能な発展および他民族、多文化の市民としてアイデンティティーの強化を目指し、リーダーシップを発揮する。

■アウキプロジェクト:民衆議会 - すべて世代、人種に平等な権利
知事に就任したアウキは、他に例がない徹底した参加型民主主義を実践する。草の根民主主義とも称されるその取組において、アウキは誰もが参加できる政治を目指し、皆にこう呼びかけた。「民衆議会に来てください。直接、話をしましょう。あなたたちは、どんな開発、発展、町づくり、郡づくりを望んでいるのですか。皆の意見で、それをつくっていきましょう」と。
年に1回、選挙で選ばれる議員の議会とは別に、1年に1回、誰もが自由に参加できる民衆議会を開催した。最初の年は250人の住民が集まり、環境、衛生、健康、教育など、様々なテーマの委員会が設けられ、年ごとに参加者は増えていく。
これにより民衆の発想はガラリと変わる。これまでは、知事のまわりに議員がいて、その議員たちが考え、決めたことに、民衆は受動的についていくという状況だった。
しかし、アウキは明言した。「決めるのはあなたたちだ」と。「自分たち(知事、議員)は、市民が手に入れにくい専門的な情報を提供する責任を負う。しかし、最終的に決定するのは、あなたたちだ」。

もう一つの民衆議会の際だった特徴は、年令に制限が無く若者や子どもたちも参加できるということ。「子どもであっても、考えは持っている。どんな未来に暮らしたいのかというビジョンを持っている。しかし、ただ要求するだけでなく、青年、子どもたち自身がそれに向けて実際に活動するということが大事だ。民衆議会というのは、ただ要求を言うだけではなく、1年間に自分たちが何を行ってきたのか、その活動を自分たちで評価し、これから何をしていくのかということを考える場である。今までは、議員らに全てを任せてきたが、これからはそうではない。民衆が主人公で、自分たちが決めたら、それを自分たちで実行していかなければならない。」
さらに、アウキは「私は、君たちに約束(公約)をしている。もし、私がそれを守れない場合には、君たちには私をリコールする権利がある」と語り、自らの決意を伝えたのだった。


■アウキプロジェクト:「生態系保全都市宣言」
アウキ知事は、農業・牧畜業・手工業・エコツーリズムといった事業に重点をおく。その最大の理由はそれらが持続可能な産業だからである。長期的に続けることができ、エクアドルの他の地方で推進されている石油開発や鉱山開発で見られるような環境破壊を引き起こす心配がない。「生態系保全自治体宣言」に基づく改革は、経済発展と環境保全の両立を可能にし、住民の経済基盤の成長につながる。
現在、エクアドルコーヒーの生産地、インタグ地方では重大な鉱山開発の問題が起きている。
今の鉱山開発問題に関して

■趣味:詩を読む、歌を歌う、サッカー・・・



May 11, 2008

風の谷のジジ

テーマ:太平洋のはなし



5月10日発売の『Blue.』、要チェックです。

女の子サーファーのためのフリーペーパー、「HONEY」が入ってますよ。



大好きなハワイイの記事をひとつ書いたので、紹介します。

雑誌を手にとってもらえれば、おなじみステイシーの写真も満載です。




hawaiiflower
(C)Stacy Hughes, PEACE BOAT






ホノルルからフリーウェイを西へ向けて最後まで走る。


オアフ島の西側の端、高速道路が普通の道になってもさらに走りつづけた先の先に、

ワイアナエ・コミュニティがある。


ハワイイの伝説的なシーマンであるバッファロー・ケアウラナが

「バッファロー・ビッグ・ボード・サーフィン・クラシック」を開催するマカハビーチは、ここワイアナエの一部だ。





ワイアナエには、観光地でない、地に足のついたハワイの生活がある。


いかにも南太平洋風の大きな身体をした女性が、紙おむつ一丁の赤ちゃんを脇に抱えて歩いている。

フィリピン系の子どもたちが路地の奥から走り出てくる。


ここでは、観光客も白人も日系人も見かけない。

ポリネシア系や東南アジア系のきれいな褐色の肌をした人々が多い。

昼間から家の前で酒を飲むおじさんや、

ビーチにブルーシートの簡易な住宅を建てて生活している人も、

ワイキキでは見かけない種類の人たちだ。





そんなワイアナエにある「マカハ農園」で、とても素敵なおじさんに出会った。


彼の名はジジ。

ハワイイ人のこどもたちに農業を通してポリネシアのルーツと誇りを教えている。




「大学の先生と、農民と、どっちが賢いと思う?」


やさしいまなざしでこどもたちを見つめ、ジジが聞く。


「それは農民。人間は日々土をいじり、大地に触れることで多くを学ぶ。

大切なことは、みんな大地が教えてくれるんだよ。

土から遠ざかった生活をすると、人間はおかしくなるんだ」




ジジがワイアナエで農園を営む理由は、

「子供たちが心から安心できる場所が必要だと思ったから」。


ここに住む先住民の半数以上は、生活補助金をもらって生活している。家庭内暴力もある。


「そもそもハワイイの先住民が経済的に貧しくなったのは、どうしてだと思う?

80年代のバブル期に日本企業が入ってきた。ハワイイの土地を次々に開発した。

土地の値段が高騰し、インフレについていけなくなった先住民の中には、

土地を手放してホームレスになった者もある。

今、ハワイイ先住民の40%はアメリカ本土に出稼ぎに行っているんだよ」


旅行雑誌では知りえなかったハワイイの「今」だ。




先住民族が多く住み、失業率が高く、そのため家庭環境も荒廃していることが多いというワイアナエ。

しかし今ここに、子どもたちの聖域ができつつある。


マカハ農園の学校「ナ・ケイキ・オ・カ・アイナ(大地の子どもたち)」には、

ワイキキの喧騒とはかけ離れた、地に足のついた時間が流れていた。


グアバの木の下に腰掛けて眺めた風景は、ナウシカの住む風の谷を連想させる。



私にできることは、なんだろう。



答えが見つからないまま、

「変化をつくるのは、子どもたちだ」というジジのことばを、まぶしい緑色とともに心に焼きつけた。






● マカハ農園(HOA'AINA O MAKAHA )

オアフ島西岸のワイアナエ、マカハ・バレーにある農園。

土とともにある生活の中で、ワイアナエの大人と子どもへの教育を通してハワイイ的な平和を模索している。

モットーは「お互いへの敬意を持って多様性を受け入れ、皆で自由と独立を共有し、差別のない未来を目指す」こと。

ハワイイ先住民カナカ・マオリのマラマ・アイナ(=土地を愛す)の伝統に基づき、

地域の人々の土地と家、仕事の権利を守る運動を続けている。

http://www.aloha.com/~hoa-aina/  



● ジジ・コキーオ (Luigi "Gigi" Cocquio)

北イタリアに生まれ、25歳でカトリック神父になると同時にフィリピンに移住。

マルコス政権下のマニラ・スラムに5年間暮らし、経済的に貧しい人々とともに民主化運動に参加したことで逮捕され、

国外退去を命じられた。

1977年、フィリピンになるべく近い場所で活動できるようにとハワイイに移住。

ワイアナエ地区の教会で働くうちに、マカハ・バレーの若者リハビリ施設に関わるようになる。

1982年に結婚して教会の仕事を辞めて家族を持ち、

マカハ農園の学校「ナ・ケイキ・オ・カ・アイナ(大地の子どもたち)」の教育者として、

子どもたちに農業を通してポリネシアのルーツと誇りを教えている。





May 11, 2008

1歳になりました

テーマ:家族のはなし



2008年5月6日、我が家の怪獣ちゃんが1歳になりました!




cake





あれ から1年がたったのか。



思い返せば、 …なんて言ってるヒマはない。

とにかく今を生きるしかない感じの1年だったし、これからもしばらくそうかも!





cakedraft

ケーキの原案は私の似顔絵。

9条世界会議準備で台風のさなかのようなオフィスでパパパっと描いて、こっそりFAXした …はずが、

同僚のさっちゃんに「愛ちゃん、何してるん」とバレてました。






シワシワのおさるさんのような顔をしてこの世に生まれて、

寝たままミーミー泣いていたのがたった1年前。



momo0506
                                                 去年の5月6日、みやした助産院にて。






それが今じゃ、自分で隠れて、いないいない「バア!」と出てくる。



baa





キラキラ星のうたが聴こえると両手を顔の横にあげて「ひらひら」ゆらしてみる。



hirahira





大悟の腕にかみついてでも食べたいアイスをあきらめない。



icecreambite






一人でお絵かきをするようになった。



drawing

(得意なのはもっぱら「髪の毛」の絵ですが)





段差もへっちゃらでひとりでスタスタ歩くようになった。



kaidan

sutasuta





ギターが大好きで、隙あらば触りたい。

ベンの練習がはじまると必ずトットットットッと歩いて近づき、邪魔せずにはいられない。


benguitar






「マンマンマンマー!」

と私にしがみついて大泣きして怖がっていた新しい保育園も1ヶ月たった今は大好き。

かなり元気に 「バッバッバーイ」 と言いながら、ヒラヒラ手を振ってうちを出る。



5月生まれだけあって、0歳児クラスの中で飛びぬけて巨大なモモは

勝手にお姉さんぶっていて、ほかの子のあたまを「よしよし」したり、

泣いている子におもちゃを差し出したりするらしい。




nappy
オムツについてるアンパンマンも「ンパンパン」とか言って、しっかり認識。






その一方、

この1年間の私はといえば、日々成長するモモについていくのがやっとやっとで、

とにかく必死で仕事と育児の両立をしているうちに時間が過ぎてしまった感じ。


モモを育てるというより、モモに教えてもらってばっかり。

育児は、とにかく「育自」だった。




1年たってみてようやく少し慣れて、少し余裕ができてきた。



どれだけ仕事が忙しいときでも、「モモがいるから~ができない」なんて無意味に焦る機会はなくなった。

その一方で、「モモがいてくれるから~が楽しい」とカミサマに感謝する機会は日に日に増えていく。


自分で歩けるようになったモモが、私の小指を握って誇らしげに前に進む。

道端の菜の花を指差して、「あいおー、うむー、あいよー」といろいろ教えてくれる。




アインシュタインが言ったことばが、ものすごい真実味をおびて心に響く。



「人生には2通りの生きかたしかない。

  奇跡など何もないとして生きる人生と、

    すべてが奇跡だと信じて生きる人生。

                   私は後者を信じる。」



私も、後者を信じている。

そして、その「奇跡」というのは突拍子もないマジックのようなものじゃないことを確信している。


江戸時代に三浦梅園が言ったように、

枯れ木に花が咲くのを驚くよりも、

生きている木に花が咲いている、そのあたりまえの営みこそが奇跡だと思うわけです。





娘が生まれ、無事に1歳になってくれた。

それはなによりもすごい奇跡であり、幸せだ。






で、

私たちのささやかな奇跡をお祝いするために、

小さなおもちゃ屋さんでささやかな誕生日プレゼントを買っちゃいました。 



じゃーん。




momopresent





超クールな四駆!!!!




・・・なんだけど、

モモが気に入ってるのはバイクそのものではなく、バイクの右手についた銀色のベル。


小さな人差し指で何度も「チーン!」「チン!」と鳴らしては、こちらを見上げて得意気な表情です。



momobike2


いやいや、ぜんぜん進んでないんですけど…






誕生日には、大悟の実家に私の両親も呼んだ。

モモは大好きなおじいちゃんおばあちゃん4人に囲まれて、盛大にお祝いをしてもらった。


ちらし寿司にローストビーフ、盛りだくさんのご馳走にデザートまで並び、

モモの一挙手一投足に大人全員で歓声をあげる。

海までの短いお散歩に大人全員でついていく。


愛情があふれて、あったかい色が心に広がる。

本当にありがたいことだ。



みんなに愛してもらった分、周りを愛す子になりますように。

自分が受けた優しさを倍にして、周りに幸せと喜びを広げられる子になりますように。





今週末の雨が過ぎれば5月も半ば。

これからモモの人生2度目の夏がくる。


この夏は親子3人で海に出て、みんなで同じ波に乗れるかな。



人生は、奇跡だ!!







1 | 2 | 3 | 4 | 5 次のページ > >>