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医師が危ない
第5部 難局の向こうに

 (7)幹部去り誤算次々

高知医療センターの門出を祝った病院記念式典(高知市池、平成17年2月13日) 島根県同様、瀬戸山元一氏の手腕に新病院開設の大役を委ねたのが高知県だった。

 平成十二年四月、高知県立中央病院(四百床)と高知市民病院(四百十床)を統合する新病院の病院長予定者として着任した彼は五年後、全国初の大型統合に成功。高知医療センターを開院に導いた。

 最大の難問は、病院に医師を送り込んでいる大学医局の壁だった。高知県立中央病院は岡山大、高知市民病院は徳島大主体の関連病院。性格の異なる病院の垣根をどう取り払うか。一つ間違うと、片方の大学の医師が総引き揚げになりかねないだけに、カリスマ性のある瀬戸山氏の招請は重要だった。

 ある高知県内病院経営者は絶賛する。「国内で彼に勝るリーダーの素質を持つ人物はそういないと思った。夢を語れるし、学閥を封じる力も持っていた。素晴らしさを認めざるを得なかった」

 行政関係者も「講演を高知で聴いた時は、本当にすごいと思った。厚労省に人脈もあって、国策の流れ、情報も早かった。うってつけの人物だった、あの時は」と。

 わずか三年前、自信満々で船出した高知医療センター。それが今、想定以上の赤字と、これまで紹介してきた脳外科の残業月二百時間に象徴される医師の疲弊にあえいでいる。

 つまずきの発端は、開院の前年にスタートした新臨床研修医制度による全国的な医師不足だ。

 瀬戸山氏は自著の中で、医学生定員の削減、医師国家試験合格率の抑制、保険医定年制などが検討されていることを挙げ、医師過剰時代の継続を予測。〈良い医療をするのに、出身大学は関係ない。もし適切な医師がいないと判断すれば、全国公募も辞さない〉と強気の弁を展開している。大きな読み違えだった。

 そして最大の誤算。それは開院わずか一年で、自らが退陣したことだ。表向きは「健康上の理由」だが…。

 巨大司令塔退任の激震と揺り戻しの中で、開院にかかわった主要人物は短期間のうちに次々と去った。島根から一緒に来た企業統括官や医療技術局長、経営を担う企業長らに続いて、副院長、大看板「救命救急センター」のトップも去った。さらに言えば、瀬戸山氏を招いた当時の知事と高知市長も退いた。

 残った主要人物は、現在の堀見忠司院長(開院時の副院長兼がんセンター長)一人。オーケストラに例えると、指揮者と各楽器の主力奏者が開演直後に大挙離脱した格好だ。

 もっと言えば、堀見病院長は高知県内の腎移植パイオニア。難しい消化器がん手術のチーム医療にも果敢に挑んで高い評価を得ていたが、病院経営への精通を求めるのは酷であろう。瀬戸山氏は自著の中でこう書いている。

 〈医療の質、医療管理、あるいは医療経済などについても、全く無縁の環境で仕事をしてきた医師が、「年高序列」で病院長に就任するということが日常的に行われている〉〈アメリカでは病院経営の大学院を終えなければ、病院長への道はない〉〈現状の病院長人事のあり方では、就任した病院長も不幸ではあるが、病院も悲劇である〉

 自ら指摘しておきながら、運命は皮肉である。

 前高知県医師会長で、高知医療センター経営改善検討委員だった村山博良医師(77)は、「堀見先生が一人で、両肩に重荷を背負わされているようなものです」と気の毒がる。

 救命センターにしても、当初は三次救急中心の対応のはずだったが、現実は異なる。高知医療センターは誤算の連続なのだ。

 色あせたばら色の瀬戸山ビジョン。そろそろ現実に沿ってリセットすべき時ではないのか。溝渕医師から届いた本は、そんなことを考えさせた。

 さて、その彼は“新天地”でどんな生活をしているのか。電話を入れると、弾んだ声が聞こえた。「こっちはメリハリのある生活ですよ」

 【写真】高知医療センターの門出を祝った病院記念式典(高知市池、平成17年2月13日)

(2008年07月01日付・夕刊)

 
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