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(6)壮大な理念の下にその本には、今見るとちょっと面はゆい、ばら色の未来をうたう見出しがあふれていた。 「高知発病院改革」 「世界標準に対応」 「患者さんが主人公の病院を実現」 「瀬戸山イズムを浸透」 三年前、東京の医療出版社が出した高知医療センターの開院記念特別号。日本初の民間活力を導入したPFI運営方式の公立病院。その意義と魅力を一冊丸ごと八十数ページにわたり組んでいた。 送ってくれた溝渕雅之医師(48)は高知医療センターを今年三月末で辞め、岡山市内の民間病院にいた。高知に来る前の勤務先だ。そこの図書室で見つけたという。ちなみに高知医療センターの図書室にはなかった。 その中で瀬戸山元一・前高知医療センター病院長(昨年九月に収賄容疑で逮捕、公判中)は壮大な抱負を語っている。 〈高知医療センターはオピニオンリーダーになると言ったら言い過ぎかもしれないが、そうならざるを得ないのではないか〉 〈患者さんの家庭環境や悩みまで把握し、本来は医療に役立てなければならない。本来の医療とは何かということを常に問いかけるような病院として〉 病院経営のカリスマと言われた人物の信念があふれていた。しかし、なぜ、そこまで自信たっぷりに言えるのか。その理由を彼の自著の中に見つけた。 「ホントに患者さん中心にしたら病院はこうなった」(医療タイムス社刊)。それは高知に来る直前、平成十二年春までの自分史。彼が語った輝かしい経歴と理念を紹介しておこう。 ◇ ◇ 京都大医学部を卒業した彼は外科医になる。学生時代、ノーベル賞の湯川秀樹博士から直接励まされ、大先輩の日野原重明・聖路加国際病院理事長からも指導を受け、三十七歳の若さで京都・舞鶴市民病院の病院長に就任。十年連続の黒字経営で累積赤字を一掃する。その手腕を買われて平成四年、島根県立中央病院(島根県中)病院長に。七年後の病院新築移転計画を任された。 そこで彼は日本初の病院統合情報システム(電子カルテシステム)を立ち上げ、従来のしきたりを破る病院づくりに打ち込んだ。 例えば、周囲との風通しを良くするため独立した病院長室を廃止。同時に医局も大部屋化した。 〈医師は大学医局に慣れ親しんできたからか、専門性からの派閥をつくりやすい。診療科ごとの医局はタコつぼ化して派閥主義が横行する。患者サイドに立った全病院的な取り組みがスムーズでない〉という理由だ。 その一方で看護師を「病院の顔」と位置付け、雑用から救うため、診察室での診療介助から解放した。また、病棟看護師に対する医師の電話指示も原則的に禁じた。 〈医師も現場に出向いて看護師と一緒に対応することで、看護師が患者の病態を勉強。その繰り返しを徹底することで、看護師からの電話は減るはず〉だった。 電子カルテもまた、看護師の雑務を軽減させる一つの手段と位置付けている。しかし、それは皮肉にも「医療従事者全体の仕事量を増やしてしまった」と不評だが…。 その一方で、外向けにアピールしたのが「患者さんが主人公」。新病院のコンセプトを「癒やしの森」とし、ホテルのようなもてなしを目指した。 病棟は「ほのぼの病棟」「すこやか病棟」といった平仮名に。各階には、窓外の景色が一望できる明るい病棟レストラン。患者の早期離床を促す狙いもあるという。そして、顧客満足増進のため、患者の声を聞く投書箱も設置した。 十一年八月にオープンした島根県中の新病院。それは瀬戸山氏の病院長歴十八年の結晶でもあった。そしてそれはそっくりそのまま、高知医療センターのお手本となった。 【写真】熱い言葉が並ぶ高知医療センターの開院記念特別号(医療タイムス社刊) (2008年06月28日付・夕刊)
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