原稿依頼があって、ある歌謡曲の作詞家について、いろいろ資料を読んだり考えたりしていました。昭和から平成の大作詞家。
いくつか、個人的、と言えなくもないエピソードもあるので、与えられた文字数なら、書けるかも、と見切り発車で引き受けたのですが、あれこれと考えているうちにすこし悩みました。どうしてかと言えばやっぱり、その作詞家の作品リストの中に、あまり自分の思い入れのある曲がなかったのですよね。もちろん大好きな曲もあったのですが。
ここで誰の話をしているか先に明かしてしまえば、廻りくどい説明もなく書けるのですけれど。まだその原稿が掲載されたわけでもないので、いちおう明かさないのがスジ、なのかな、と思いながら書いております。
その人は、たとえばバンドマンだったとか、シンガー・ソングライターだったわけではなくて、言うなれば他業種から音楽業界に入ってきて、アッという間に流行作家になった人。たくさんの名曲も、たくさんのタレントも育ててきた人。
当然のことながら、例えば自分のために、あるいは自分のバンドのために詞や曲を書いてきた人とは何かが違う。さすが職業作家、仕事の出来がプロだなあ、と思う反面、どうもその人の体温が感じられない、というか、クール過ぎる、と感じることもしばしば。
この辺りのことが、長いことずっと自分の好きな音楽・そうでもない音楽の分かれ目になっている気がして、けれども、その境界線はまったく曖昧で。
技術なんて関係ねえ、と開き直っているパンクスは嫌い。芸術家気取りの音楽もダメ。誰のためでもない、自分のために音楽を作っている、という音楽家も苦手。もちろんプロフェッショナルが作る音楽は好き。でも音楽を心から愛している、という気持ちが伝わらないと、やっぱりピンと来ない。アマチュアの精神を抱いたプロの音楽。なんて言うと、ますます遠ざかるような。
たとえばムッシュ。芸能人としては、ベテランであり、プロ中のプロ、なのですが、音楽家としてはアマチュアに近い立ち位置。まずはミュージック・ラヴァーなんだ、と誰もがムッシュのことを考えていると思います。
たとえばユーミン。日本を代表する女性シンガー・ソングライターですけれど、もともと彼女は自分で歌うつもりじゃなかった人。職業作家を目指していた人。時代が彼女をシンガー・ソングライターにしたのだ、と思う。
たとえばアニタ・カー。元ナッシュヴィルのRCAスタジオを代表する制作者・編曲家・ヴォーカリスト。どこをどう見ても職業音楽家。プロ中のプロ。これほどアマチュアから遠くにいるミュージシャンもいないのですが、彼女の音楽はいつも暖かい。じつは彼女のデビュー初期作品は敬虔なセイクリッド・ミュージック。神様、という存在を彼女の頭上に置くと、彼女もまたアマチュアの立場の音楽家なのかもしれない。
たとえば松山猛。あの「帰ってきたヨッパライ」を書いた作詞家。でも、やはりこの人は作詞家としては、たぶん永遠のアマチュア。
たとえば安井かずみ。あんなにたくさん作詞したのに、プロになることを回避出来た、という点では稀有の才能の持ち主。
たとえば山上路夫。この人はつまり作詞家ではなくて、詩人だった、と考えると、その作風の全てが理解出来る。
たとえばエルヴィス。たとえばポール・マッカートニー。たとえば吉田拓郎さん。たとえば桑田圭祐さん。やっぱりアマチュアかも。アマチュアの、スゴイところまで行ってしまった人たち。
こういう取り留めのないことをいつもあーだこーだ、と考えております。何でアニタ・カーなの。とか、訊いてはいけない。たまたま頭に浮かんだだけです。
たとえば小西康陽。オマエはどうなんだ、と尋ねられたら、あ、もちろんアマチュアでーす、と答えたいですが、うーむ、お金を戴いている以上、一生懸命やっております、という仕事もあるからにゃー。
そういや、ビーチェはどうなんだろう。カワイイ顔してあの娘わりとやるもんだね、と。ウソです。彼女こそプロフェッショナルの音楽家。誰にでも作れそうに聴こえる、そんな優しい音楽なのに、誰も彼女のようには作れない。天才、みたいな。ただ恋しくて会いたい、みたいな。
きょうの「レコード手帖。」は、毎月のお待ちかね、スーさんことDJ鈴木雅尭さんの月例コラム。この連載がぼくは大好き。いつも皆さんよりひと足先に、レコードのほうはチェックさせていただいております。インサイダー疑惑? いえいえ、耳寄りな情報をゲットしたからといって、カンタンに手に入れることが出来るわけではなく。今月はむしろ持ってるレコードで、あちゃー、というモノばかりでした。
「レコード手帖。」いつも原稿のストックに追われながら、まあ、ココまで来ていますが。そろそろまたペンネームを使って原稿をでっち上げなくてはならない季節かしら。では、とりあえず、きょうも。
(小西康陽)