7日に開幕する北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)に、反対姿勢を鮮明にしている極左暴力集団(過激派)。昭和32年の誕生以来、街頭武装闘争や爆弾闘争、内ゲバなどを繰り返した過激派も、組織は高齢化し、若年層を獲得できないところは縮小傾向にある。だが、活動家らは「過激」とは別の“顔”を掲げることで、新たな活動を展開していることも確認されており、警察当局はなおも警戒を強めている。
【写真】「G8 No!」のプラカードを掲げるデモ隊
■反体制運動の高まり受け 分裂繰り返しながら増殖した過激派
過激派は、労働組合などへの浸透を重視してきた「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)と、武装闘争を展開した「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)、「革労協」(革命的労働者協会)が3大セクト。
「当時は本気で参加すれば世の中を変えられるという雰囲気があった」
都内の私立大学生で中核派活動家だった男性(59)はそう振り返る。
昭和34〜35年の“60年安保闘争”には延べ約464万人が参加。ベトナム戦争や学園紛争により反米、反体制ムードが国内でも高まった。その流れが、成田闘争や“70年安保闘争”につながった。
「昭和30〜40年代、闘争課題はいくらでもあった」(男性)。街や大学構内には角材を持ちヘルメットにマスク姿の学生があふれていた。
44年には共産主義者同盟(ブント=共産同)が分裂し、最過激派の「赤軍派」が誕生する。「日本革命の達成の手段として、海外に国際根拠地を建設し、活動家を送り込んで軍事訓練を受けさせる。再び日本に上陸して武装蜂起を決行する」。この方針に基づいた赤軍派のメンバーは45年、日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った。
49〜50年には、反日思想を持った「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破が起きるなど過激な事件が続いた。
警察当局は極左集団を「社会主義、共産主義革命を目指し暴力的な闘争を展開する集団」と定義。32年1月、元日本共産党員らによって結成された「日本トロツキスト連盟」が源流とされる。
現在も主要セクトとして運動を展開する革マル派と中核派は38年2月、日本トロツキスト連盟の流れをくむ「革共同全国委員会」から分裂し誕生。革労協は44年10月、日本社会党の青年組織である「社会主義青年同盟」を母体として結成され、平成11年5月に明治大学で発生した傷害事件の対応などをめぐり主流派と反主流派に分裂した。
■活動家は軒並み減少 内ゲバも一因
ところが、全盛を極めた過激派も、今はその勢いはない。
「団結、勝利! サミット粉砕!」
東京・渋谷のJR渋谷駅近くの繁華街で6月29日、サミット開催に反対する中核派系の抗議デモが行われた。1500人が参加するとの事前申請だったが、雨の影響もあったのか実際に集まったのは1000人足らず。警察当局によると、各セクトの活動家は軒並み減少傾向にある。最盛期の46年当時、中核派は8000人以上、革労協は5000人を擁していたが、現在はそれぞれ4000〜5000人と700人程度だという。
原因の一つは、対立する組織同士でメンバーを襲撃する「内ゲバ」。「その凄惨さに支持が得られず脱落者が増えた」(警察幹部)。極左は45年以降、「自派の革命理論こそが絶対で、他派は革命を妨げる」という「革命党唯一論」などを背景にして内ゲバを激化させた。これまでに100人以上の死者が出たとされる。
また、「学生や若い労働者の社会への参画意識が薄くなった」(同)との指摘もある。冷戦構造はすでに崩壊。大学新入生に加入を促すオルグは低調で、組織の年齢構成は「40〜50代が多く20代が少ない先細り状態」(同)だという。
資金面にも影響は出ている。新規獲得ができず、運動に関心のある労働者も高齢化して退職が進んだことで、会費や賛同者からのカンパが集まりにくくなった。資金源の一つだった大学の自治会費も受け取れなくなっている。早稲田大学と革マル派のケースのように、平成7年ごろから、極左系の自治会やサークルが各大学当局から公認を外されるなどして締め出された。明治大学では年間自治会費約6500万円のうち約3000万円が革労協系の自治会などに流れていたというから、打撃は大きい。
■武装闘争から労働・大衆運動にシフト 環境問題への取り組みも
近年、極左の中には社会の理解を得られない武装闘争から労働・大衆運動にシフトする動きがある。「セクト色を薄め、組織の維持、拡大を図るためだ」(同)。
中核派は40年代には学園紛争や安保闘争を、50年代後半からは対権力に重点を移しテロ、ゲリラを実行。特に即位の礼、大嘗祭(だいじょうさい)があった平成2年は124件ものテロ、ゲリラを行った。しかし、3年の「5月テーゼ」を機に路線を変更。「4大産別」(自治体、郵政、教育、JR)の労組への働きかけを強め、「改憲阻止」や「日の丸・君が代不起立」などを闘争課題に据え、過激な活動はなりを潜めている。
かつては学園紛争の中心的な存在だったブントも分裂を繰り返し、組織はどんどん縮小していった。最後に残ったメンバーらは今年1月、組織名を「アクティオ・ネットワーク」に変更し、環境問題などへの取り組みを見せている。
既存の過激派の枠にとらわれない小人数の「黒ヘルグループ」は海外の野宿者支援団体と連携するなど反グローバリズム勢力とのかかわりを強めている。
元ブント活動家の男性は「格差社会が進む中、いわゆるネットカフェ難民、ワーキングプアと呼ばれる層などの鬱屈(うっくつ)した気持ちの受け皿になる新しい運動が必要だ」と語る。
■唯一勢力伸ばす革マル派 警察当局の警戒続く
こうした中、革マル派だけは勢力を拡大している。
47年に4700人だった活動家は現在、最大規模の約5300人に。革マル派は故黒田寛一前議長を中心に理論学習を重視。当初から労組への浸透などで組織拡大を図ってきた。神戸市の連続児童殺傷事件で逮捕された少年の供述調書を病院に侵入して盗んだり、早稲田大学法学部教授宅の電話を盗聴したとして逮捕者を出すなど、豊富な資金を背景に非公然、非合法活動を続けてきた。
警察当局は「極左は外見が変わり脅威が見えにくくなっているが、革命を起こそうとする本質は変わらない」と警戒を強めている。
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