資源と戦略地政学
一九九九年十月、米国防総省(ペンタゴン)は中央アジアに関する米軍の指揮統制権限を、太平洋軍から中央作戦室(CC)へ移すという、非常に珍しい動きに出た。この動きが新聞のヘッドラインを飾ったわけではないし、大きな関心が寄せられたわけでもない。だが、この決定はアメリカの戦略思考が大きく変化していることを物語っている。中央アジアといえば、かつてはそう大きな関心が寄せられず、太平洋軍が担当する(中国、日本、朝鮮半島という)中核地域に比べれば、周辺的な地域と見なされていた。だが、いまやウラル山脈から中国の西部国境にいたるこの地域は大きな戦略利益を持つと判断されている。カスピ海およびカスピ海周辺地域には膨大な石油資源、天然ガス資源が存在すると考えられている。かねてよりペルシャ湾岸地域の指揮権を直接とってきたCCが、中央アジアの指揮権も手がけるようになったこと自体、アメリカや同盟諸国への石油の供給ラインの安全確保を任務とする人々が中央アジア地域に大きな関心を寄せていることの反映である。
ただし、中央アジア地域とその潜在的石油資源が注目されているといっても、それはアメリカの戦略思考のより大きな変化の一部であるにすぎない。冷戦期、政策決定者たちが大きな関心を寄せていたのは、東西両陣営が対立する中央・東ヨーロッパと極東だった。だが、冷戦の終結以来、おそらくは朝鮮半島における非武装地帯を挟んだ南北対立を別とすれば、これらの地域の戦略的重要性は大きく低下し、ペンタゴンはむしろペルシャ湾岸、カスピ海周辺地域、南シナ海その他の地域を重視しつつある。
こうした戦略地政学上の認識変化は、石油や天然ガスなど、死活的に重要な資源の新たな供給ラインが注目されだしていることの証左である。冷戦期の分断線や同盟関係は対立するイデオロギーに沿って形成されたが、いまや国際政治を突き動かしているのは経済競争であり、当然、重要な経済資産や資源へのアクセスをめぐる競争も激化している。天然資源の供給遮断が甚大な経済的ダメージとなるために、資源の輸入大国はアクセスライン、供給ラインを確保することをこれまで以上に重視している。加えて、世界のエネルギー消費は年間二%の比率で増大し続けており、今後、大規模なエネルギー資源へのアクセスを求める競争はますます激化していくだろう。
こうして政策決定者たちは、大切な資源へのアクセスをめぐる競争の激化によって引き起こされる問題に、より多くの関心を振り向けるようになり、特にライバル諸国が抗争を繰り広げるか、政治的に不安定な地域に埋蔵されていることの多い石油資源への関心は高まっている。このことは、一九九九年に国家安全保障会議が、アメリカの安全保障に関するホワイトハウス・リポートとしてまとめた分析からも明らかである。同リポートは、「アメリカにとって、海外からの石油資源の供給を確保することが、今後も死活的な利益である」とし、「主要な資源産出国へのアクセスと供給を確保できるように、これらの地域の安定と安全の必要性に大きな関心を寄せるべきである」と結論している。 新たな紛争地図
世界資源へのアクセスをいかに確保するかは、アメリカの安全保障政策の伝統的な大テーマである。例えば、一八九〇年代、アメリカの著名な海洋戦略家アルフレッド・マハンは、グローバルな貿易国家としての地位を強化するには、大規模で能力の高い海軍を持つ必要があると主張し、大きな支持を集めた。そして、この見解がセオドア・ルーズベルト大統領やフランクリン・ルーズベルト大統領の地政学的思考の基盤とされることになる。しかし冷戦期、資源への関心は、政治とイデオロギーをめぐる米ソのライバル関係に隠れる形で二の次とされた。死活的に重要な資源へのアクセス確保が、アメリカの安全保障計画の中核に位置づけられるようになったのは、冷戦が無事終結した昨今になってからである。
資源への関心が再び高まっていることの証拠は、二〇〇〇年に起きた世界的な石油・天然ガス不足を前になされた論争からも明らかだろう。二〇〇〇年八月にクリントン大統領がアフリカを訪問したのも、一つには、アメリカにとっての現在の主要な石油調達国の一つであるナイジェリアからの石油輸入を増やし、カスピ海周辺諸国からヨーロッパや地中海周辺地域への石油パイプラインの建設の促進を強く促すことにあった。一方、ジョージ・W・ブッシュは大統領選挙中、アメリカ国内での石油や天然ガスの開発を強化して、輸入への依存を軽減することを訴えた。とはいえ、大統領に選出されたブッシュの最初の外交行動は、メキシコからアメリカへの資源の流れを強化することを目的とするメキシコのビンセンテ・フォックス大統領との会見だった。
世界のその他の諸国も、エネルギー供給ラインの獲得や保護へ大きな関心を寄せている。中国、日本、ヨーロッパ諸国のようなエネルギー資源の多くを輸入に依存する諸国は、供給ラインの安定化を政策上の優先課題としている。ロシアも、中央アジアの石油産出国への外交政策に高い優先順位を与えている。モスクワは北大西洋条約機構(NATO)諸国と国境を接する西方での事態を憂慮しているが、南部、(チェチェンやダゲスタン共和国を含む)コーカサス、そして旧ソビエトの中央アジア諸国での軍事プレゼンスの強化にも大いに力を入れている。
同様に中国軍はロシアと国境を接する北部から、西部の(石油資源の潜在的埋蔵地域である)新疆ウイグル自治区、東シナ海、南シナ海の沿岸地域へと戦力をシフトさせつつある。日本も中国と同じ動きを見せており、こうした海洋資源に注目し、新型の戦艦やミサイルを装備したP3Cオリオン偵察機の調達・配備など、この地域での作戦能力の強化に努めている。今後二十年のうちにエネルギー消費が二倍から三倍程度増大することが見込まれるブラジル、イスラエル、マレーシア、タイ、トルコなど途上世界の新興工業諸国も、石油やガスの十分な安定供給の確保を重視している。
このように、多くの諸国が十分なエネルギー供給の確保を重視しだしているのに対して、一方で水資源の確保を重視している諸国もある。事実、中東や東南アジアの多くの地域が十分な水資源を確保できずにいる。今後も人口増大が続き、地球温暖化による干ばつが起きる見込みが高いために、同様の水不足が他の地域でも起きるかもしれない。問題をさらに複雑にしているのが、水資源の供給ラインが政治的境界線と一致せず、中東や東南アジアでは限られた水資源を数多くの諸国が共有しなければならないということだ。こうした諸国のすべてが確保する資源を増やしたいと考えているために、これら共有資源の獲得競争に端を発する紛争の危険はますます高まっていくだろう。
森林資源や鉱物資源の管理権をめぐって現地で紛争が起きている地域もある。これらの地域では、原材料輸出の管理をめぐってエリート間、部族間の抗争が起きている。例えば、アンゴラやシエラレオネでは、ライバル集団がダイヤモンド鉱床をめぐって抗争を展開し、コンゴでは銅とダイヤモンドをめぐって、そして東南アジアの一部では森林資源をめぐって数多くの集団が戦っている。カリマンタン(ボルネオ)島でも、この地域の森林資源で長い間生活してきたダヤク族とインドネシア政府の奨励策を受けて、これらの森林資源を伐採するためにジャワ島やマドゥラ島からやってきた入植者の間で紛争が起きている。こうした紛争は、主要国にとっての直接的な安全保障上の脅威ではないが、シエラレオネのケース同様に、国連の平和維持部隊の投入が必要になるかもしれず、結果的には、民族紛争を管理するための世界の能力を逼迫させるかもしれない。
石油や天然ガス資源へのアクセス、共有する水資源への分配をめぐる摩擦の激化、貴重な輸出用原材料などの管理をめぐる内戦など、こうした現象のすべてが新たな紛争地図を浮き上がらせつつある。そこで大きな紛争の断層ラインを作り出しているのは、政治やイデオロギー上の分断線というよりも、むしろ資源の流れをめぐる対立である。世界の地殻上の断層ラインをなぞって地図を描けば、地震多発地域が浮かび上がるように、石油や天然ガス、共有水資源、戦いのさなかにあるダイヤモンド鉱床など、問題を抱えている資源地帯をなぞっていけば、二十一世紀の紛争地図が浮かび上がってくる。 資源搬出ルートに注目せよ
政治分析者は、冷戦後のグローバルなパワーダイナミクスをうまくとらえられるような適切なモデルをまだ考案できていない。このダイナミクスを包括的に説明でき、ある程度将来を予見できるようなモデルとするには、権力政治や紛争地域に関する様々な変化をそこに組み込んでいく必要がある。冷戦期の二極対立は終わり、いまや世界にはアメリカという一つの超大国しか残されていない。一九九〇年代初め、世界コミュニティーは、旧ユーゴスラビア、カシミール、中央アフリカでの紛争を前に、民族紛争や内乱の発生の予防に力を注いだが、民族問題に注目するだけでは、アフリカでのダイヤモンドや銅の鉱床、農耕地をめぐる暴力ざたを予見することも、それに対応することもできない。
経済的グローバリゼーションによって、貧困から抜けだし、繁栄や成長を手にした地域もあれば、一方で、貧困のなかに取り残され、ナショナリズムよりもむしろ資源争いに端を発する紛争が誘発された地域もある。端的に言って、現在の国際関係は、政治・安全保障問題や経済問題だけで割り切れるものではない。
新国際システムの力点がどこにあるかの優れた分析枠組み、そして潜在的紛争を推し量る優れた指針は、国際関係を世界の資源獲得競争という側面からとらえ、資源へのアクセス、あるいは死活的に重要な原材料の確保をめぐって紛争が起きそうな地域に焦点を絞り込んだものでなければならない。そうした分析は、石油・天然ガス資源を保有し、しかもライバル関係が存在するか、不安定な状態にある地域にまず注目しなければならない。潜在的問題地域には、アルジェリア、アンゴラ、チャド、コロンビア、インドネシア、ナイジェリア、スーダン、ベネズエラならびにペルシャ湾岸、カスピ海周辺地域、南シナ海が含まれる。実際、これらの地域や諸国には、現在確認されている世界の石油資源の五分の四が存在する。
次にこの紛争地図に、これらの地域から欧米の市場へと石油や天然ガス資源を供給するパイプラインやタンカーのルート(シーレーン)を書き込む必要がある。これらのパイプラインやタンカーのルートは、定期的に紛争が起きる地域を横切っていることが多い。例えば、カスピ海周辺地域からのエネルギー供給の場合、安全な海への搬出路へといたるまでに、(アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、ロシア南部を取り囲む)とかく不安定なコーカサス地方を横切らなければならない。
資源争奪による紛争地図には、乾燥地における主要な水資源を二カ国、あるいはそれ以上の諸国で共有している地域も含まれる。この分類には、ナイル川(を共有するエジプト、エチオピア、スーダン、その他)、チグリス・ユーフラテス川(を共有するイラン、イラク、シリア、トルコ)、インダス川(を共有するアフガニスタン、インド、パキスタン)、アムダリア川(を共有するタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)などの地域が含まれる。また水資源をめぐる紛争地図には、西岸やイスラエルなどのように、国境をまたいでいる地下の帯水層の共有地域も付け加えなければならない。
最後に、(ダイヤモンドなどの)宝石、鉱物資源、第三世界における森林の巨木などの資源を有する地域にも紛争が多発している。こうした貴重な資源を持つ地域には、アンゴラ、コンゴ、シエラレオネのダイヤモンド鉱床、コロンビアのエメラルド鉱床、コンゴ、インドネシア、パプアニューギニアの銅および金鉱床、ブラジル、コロンビア、コンゴ、フィジー、リベリア、メキシコ、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、カリマンタン島(インドネシア)の森林資源などがある。
これらの潜在的紛争地図をうまく描き出せば、今後紛争が最も起きやすい地域を予測できるようになる。もちろん、特定の地域に貴重な資源が存在するからといって、それだけで紛争が起きる可能性が高いわけではない。その国の相対的安定度、どの地域に位置しているか、近隣諸国との関係がどのような歴史をたどってきたか、現地での軍事バランスといったその他の要因も検討しなければならない。例えば、イスラエルとシリアがゴラン高原をめぐって抗争を繰り広げたのは、この地域の主権をめぐる論争が一九六七年にまでさかのぼることに加えて、ヨルダン川の水域の一部がこの地域に存在したからである。イスラエルとシリアの紛争、あるいはその他の紛争においても、貴重な資源の存在が発端となっていることが多く、それだけに、資源をめぐる争奪戦地域の地図は、その他の要因以上に潜在的紛争に関する信頼できる指標となる。 紛争の予兆
天然資源をめぐる潜在的紛争地域を見極めることは、いまや、紛争の断層ラインにかかる圧力が大きくなってきているだけに重要である。そうした圧力は、基本的な需給バランスに始まり多種多様なものがある。世界各地で人口が増え続け、経済活動が拡大していくにつれて、死活的重要性を持つ資源への欲望は、自然や世界の原材料輸出入企業が満たす以上のスピードで肥大化していく。その結果、主要な物資不足が何度も起こるようになり、慢性的な不足に陥る場合もあろう。代替資源の活用を促す新技術の開発や新たな生産技術の発明によって、こうした不足の一部を埋め合わせられるかもしれないが、それ自体が問題を作り出すことも考えられる。シリコンバレーやその他のデジタルテクノロジーの拠点での電力需要の飛躍的増大などはその具体例である。死活的に重要な資源の不足が深刻化していけば、こうした原材料の供給をめぐる競争はますます激化していくだろう。
原油供給をめぐる世界的な争奪戦は、今後ますます激しくなっていく可能性が高い。アメリカのエネルギー省が、二〇〇〇年に一日七千七百万バレルだった世界の石油消費量は、二〇二〇年には一億一千万バレルへと、四三%の上昇を見せると推定している。この予測が現実となれば、世界は現在から二〇二〇年までに六千七百億バレルの石油を消費することになり、これは、現在確認されている世界の原油埋蔵量の三分の二に相当する。もちろん、この間に新たな油田が発見されるだろうし、新技術の発見によってこれまでは採掘不能と考えられていた資源、例えば北シベリアの原油や大西洋の深海油田などを採掘できるようになるかもしれない。しかし、原油製品の生産が、飛躍的な上昇をたどるであろう需要を満たせるとは考えにくい。
世界的な水資源の問題もかなり深刻だ。定期的に雨や雪による恩恵を手にできるので、水資源は再生可能だと一般には考えられている。だが、短期的に見れば、人間が利用できる再生可能な水資源の量は限られている。現在のところ、われわれは水資源の半分を、飲料水、風呂、食物や工業製品の生産、水路・運河、そして廃棄物処理に用いており、需要は常に増大している。すでに、中東やアジアの多くの地域は水資源の不足に悩んでおり、こうした状況に置かれている諸国の数は、今後二十五年の間に倍増すると考えられている。世界の人口が増大し、より多くの人々が都市で居住するようになると思われるからだ。二〇五〇年までに、水資源需要はおそらく供給をすべて消費し尽くすようになり、この地球上にある数少ない良質な水資源の争奪戦が起きるだろう。
地球温暖化のような環境トレンドも、水資源や耕作可能地域を含む、数多くの資源の世界的入手状況に影響を与えるだろう。気温が上昇すれば、海洋、そして(湖など)大規模な水資源近くの陸地での降雨量を増大させるかもしれないが、内陸部の気候はより乾燥したものになり、長期的な干ばつに幾度となく見舞われることになろう。気温の上昇は川、湖、貯水池からの水の蒸発率を引き上げると思われる。したがって、干ばつや内陸の砂漠地の広がりによって、重要な農耕地が失われたり、沿岸地域が洪水に見舞われ、沿岸地域での海洋水位が上昇し、陸地が水没する危険もある。
市場原理によって、世界の重要な鉱物資源への需要増の一部は緩和されるかもしれない。需要増が高価格へと転じれば、新物質の開発や資源開発企業が新たな鉱床を探すための環境もできるわけで、かつてはアクセス不可能と思われていたものが開発できるようになるかもしれないからだ。しかし、人口動態や環境問題の圧力を技術で相殺できるわけではないし、代替技術の高いコストを負担できない国もあるだろう。こうした環境では、グローバルな需給バランスは次第に崩れていくだろう。 資源の領有権と所有権
このトレンドをさらに厄介なものにしているのは、重要な資源の多くが、ライバルたちが競い合っている地域、あるいは恒常的に不安定な地域に存在することだ。実際、潜在的に見込みの高い石油や天然ガス資源を有する地域は、最も激しい領有権論争が起きている海洋の沖合地域である。例えば、カスピ海周辺の五カ国は、海洋資源の管理権分割案にまだ合意ができていない。南シナ海における状況はもっと混乱している。七カ国が潜在的資源地域のすべて、あるいはその一部をめぐって領有権論争を展開している有り様だ。ペルシャ湾、紅海、ティモール海、ギニア湾などでも、石油を埋蔵する国境地帯や沖合油田の領有権論争が起きている。
コロンビア、イラン、イラク、サウジアラビア、ベネズエラの沖合油田のように領有権・所有権が問題になっていない大油田の場合も、今後間違いなく供給が確保されるとは限らない。資源問題とはまったく関係のない政治・社会不安が供給ラインを脅かす危険もある。サウジ政府は現在のところは反政府運動のすべてを抑え込むことに成功しているが、(テロ攻撃の頻発からも明らかなように)君主制に対する国内での反発は高まりつつあり、反政府運動を未来永劫封じ込め続けられる保証はどこにもない。
イランやイラクの内的な緊張はさらに自明であり、両国において社会的緊張が緩和していく気配もない。コロンビアは内戦のさなかにあり、ベネズエラの政治状況も極めて不安定化している。大規模な石油や天然ガスを提供できる立場にあるアルジェリア、アンゴラ、インドネシア、ナイジェリア、スーダンもまた、政治・社会の不安定化トレンドのなかにある。
水資源の供給にしても似たような状況だ。中東やアジアの重要な水資源は二カ国、あるいはそれ以上の諸国によって共有されているために、供給の分配をめぐって相互に受け入れ可能な合意を関係諸国間で取りまとめる必要がある。しかし、こうした方向への動きを見せている国はほとんどない。エジプトとスーダンはナイル川の水資源を分有することに一九五九年に合意したが、同様にこの川の水資源に依存しているエチオピアやその他の諸国に対しては、水資源を供給することを拒否した。イラクとシリアもユーフラテス川の水資源の分配をめぐって合意したが、この川の源流を国内に持つトルコは水資源の分有合意への調印を拒絶している。イスラエルもヨルダン川の源流をめぐってシリアと合意に達していないし、ヨルダン川峡谷をめぐる協調水利プロジェクトをめぐってヨルダンと交わした約束を果たしていない。ある程度の耐用性を示している水資源の共有合意は、インダス川の水資源をめぐってインドとパキスタンが交わした一九六〇年の協定だけであり、しかもこのパイオニア的合意も、この二カ国の関係が将来において安定するかどうかに大きく左右される。ここに指摘した例にとどまらず、既存の供給ラインの分有をめぐる国際的論争は、今後人口が増大し、温室効果によって地球温暖化が進展していくにつれて、ますます深刻になっていくだろう。 資源安全保障
多くの諸国が特定の資源を管理下に置くことを国家安全保障上の必要性と見なし始め、そのためであれば戦いも辞さないと考えている。当然、天然資源をめぐる争奪競争の激化が引き起こす問題を平和的に解決する方法を見つけることがますます切実な問題となってきている。例えば、一九八〇年にジミー・カーターは、「ペルシャ湾からの石油の供給を遮断しようとする敵対諸国の試みは、アメリカの死活的利益に対する攻撃と見なし、軍事力を含むいかなる方法を用いてもその攻撃を押し返す」と宣言している。その後の歴代大統領も同様の発言をしており、この路線を維持するために相当規模のアメリカの前方展開軍がほぼ永続的にペルシャ湾岸地域に配備されている。
他の諸国は、資源安全保障政策についてアメリカほど明快な立場はとっていないものの、同様の考えを持っているのは間違いない。例えば、中国は南シナ海の一部を自国の海域であると宣言し、それを守るために軍事力を行使する権利を持つと主張している。また、南シナ海を横切るシーレーンを航行するタンカーに輸入石油の八〇%を依存している日本も、中国という具体的な名前こそ出さないものの、死活的に重要な貿易ルートに対する脅威に警告を発し、安全保障措置をとると言明している。中国の果敢な姿勢は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムを含む近隣諸国を空海軍能力の強化へと走らせている。
石油や天然ガス同様に、水資源も国家安全保障の一部ととらえだされている。「イスラエルにとって水資源はどうにでも扱える代物ではない」と語ったイスラエルの元副首相モシェ・シャレットは、「水資源を手にするのは、われわれにとって単に望ましいとか、助かるというレベルのものではなく、それはわれわれの生命線そのものである」と指摘した。これと同じ文脈で、当時エジプト外交担当国務相だったブトロス・ガリは、一九八八年に「われわれの地域における次なる戦争は政治ではなく、ナイル川の水資源をめぐるものになるだろう」と語っている。
ほかにも、水資源を管理するためなら強制力に訴えることも辞さないという立場をとる国はある。例えば、トルコのオザル大統領は一九八九年にシリアに対して、シリア国内の拠点から攻勢をかけているクルドのテロリストを取り締まらない限り、ユーフラテス川へと流れ込む源流を遮断すると警告した。一九六七年の第三次中東戦争は、一つにはアラブ諸国が、イスラエルからヨルダンにかけてのヨルダン川の源流を二つに分ける計画を持っていたことがその原因だったが、水資源そのものをめぐって実際に軍事力が行使されることはまれである。とはいえ、死活的に重要な資源を求める各国の圧力が高まり、そこに力強い水資源分有の合意がなければ、今後、軍事衝突の頻度は高まっていく。
他に見るべき資源を持たない貧困諸国にとって、貴重な鉱床、漁場、森林資源を守ることは死活的に重要な問題となってきている。アンゴラ政府とシエラレオネ政府は、現在反乱勢力の支配下にあるダイヤモンド鉱床の管理権を再確立しようと試みている。同様にパプアニューギニア政府は、世界最大の銅鉱床が存在し、現在中央政府に敵対的なブーゲンビリアを征服しようと何度も試みている。これらの諸国の軍閥やその他の国内派閥が、貴重な資源の大規模な鉱床を管理下に置けば、そこからうまみを引き出せると考える限り、この類の資源獲得競争は今後もなくならない。 紛争回避の国際協調を
膨大な数のアジェンダに取り組まなければならない外交政策の決定者にとって、資源不足や資源争奪紛争は頭の片隅にあるだけの小さな課題かもしれない。しかし、資源問題は環境の悪化、経済秩序の不安定化、人口増大、国境線を問わぬトランスナショナルな犯罪と密接に結びついている。民族問題や政治的ライバル意識が原因だったと考えられている紛争にしても、実際には、それが資源問題に端を発していることも多い。つまり、世界の資源動向とそれに関連する政治・地政学的現象は、政策決定者が世界の大枠での安全保障問題を検証する際の優れた枠組みとなろう。
資源紛争分析は、指導者が広範な政策上の処方箋を書く際の助けとなるだろう。政府は、研究開発のための助成金の増額であれ、この領域への民間投資促進のための(税制など)誘因導入であれ、代替燃料の開発や新交通システムの整備のために大いに努力すべきである。さらに、適切な水資源の供給を確保するには、海水の飲料水化(非塩化)をめぐる新技術開発や穀物栽培のための効率的な灌漑施設の整備に、より多くの資金を投入すべきである。熱帯雨林の森林保護のための新たな国際レジーム設立に向けた努力への支援も必要であろう。
しかしこうした試みを行うと同時に、重要な資源の共有や資源争奪戦が紛争へとエスカレートするのを回避するための多国間構想を打ち出さなければならない。
例えば、世界コミュニティーはカスピ海、南シナ海の周辺諸国に対して、領有権や沖合資源の開発をめぐる問題を平和的に解決するように働きかけるべきだろう。ペルシャ湾、紅海、ギニア湾における問題も平和的に解決されるように、国際機関が働きかける必要がある。さらに世界コミュニティーは、ナイル川、ヨルダン川、チグリス・ユーフラテス川を国内に持つ諸国に対して、共有する水資源の分配をめぐる協調的なレジームを立ち上げるように説得しなければならない。ダイヤモンドに関しても、アンゴラやシエラレオネにおける反乱勢力が管理する地域からの輸出を排除できるように、国際コミュニティーは協調してアフリカからのダイヤモンドに関する認証システムを導入すべきだろう。
ここで示した提案が、最も精度の高い政策上の処方箋だと言うつもりはないが、この提案を通じて筆者は、今後の危機や紛争を回避するために政策決定者が取りえるステップを示そうと試みた。だがこれらの点での進展があるとすれば、それは政策決定者たちが世界の資源問題に大きな関心を寄せ、この問題に協調的かつ包括的に対処した場合だけである。そのためには、最低でも、資源をめぐる世界のトレンドを把握し、国際的な対応が必要な問題地域を見極めなければならない。さらに今後、資源をめぐって不測の事態が起きるのを回避し、死活的に重要な資源がうまく供給されるようにするためのプランを権力の最高レベルで考案すべきだろう。この惑星が、二〇五〇年には九十億から百億に達していると思われる人口をうまく包み込むことができると自信を持って言うには、この類の施策が不可欠となる。● |