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ふしぎなメルモ

1971年の6月に手塚治虫が樺祉vロダクションの社長を辞任する。虫プロの社長室で島方社長とともに働いていた下崎さんが,アンデルセン物語の途中かで虫プロを辞め、手塚プロに来てくれボランティアでアポロの歌の準備に入るが、その間に、ヤマハのPR映画 南へ行ったミースケの制作もする。
  アポロの歌
アポロの歌
週刊少年キング出連載 手塚 治虫の原画を利用して、簡単なパイロットフィルムを制作する。
虫プロ商事 営業の 西崎 弘文(西崎 義展)さんが大阪朝日放送(ABC)で2クールの放送を決めてくる。
アポロの歌は対象年齢が高いので漫画映画用に年齢層を下げることにして昨年の9月から小学一年生に連載中のママァちゃんを対象年齢を引き上げて制作する事とした。
ママァちゃんは、版権問題で、ママァちゃんの商標が登録されていて使えず、マネージャーの手塚卓さんや平田のポンさんが調べたが、良い名前はすべて登録されていた。苦肉の策として、横文字を検討する事になる。
  メルモ
手塚 治虫自宅昔の社長室で
手塚プロ社長 島方 道年 手塚 卓  平田昭吾 虫プロ商事 西崎 弘文   虫プロ商事COM編集長 石井 文男   
 下崎 闊 小学館の編集者などで名前をどうするか相談した、後日 おのおのが考えてきた題名を出して検討、変身のメタモルフォーゼからメルモが候補に挙がる。メルモが登録できる事を確認して、題名が ふしぎなメルモに決定する。 
手塚治虫は螺旋階段を背にして立つっていたみなはソファーに腰掛けていた。先生の甥の卓さんが「どうもダメですね日本語の名前は思いつくものはほとんど商標登録されています、とうぜんママァちゃんは使えません」と昨日調べてきた事を言う。昭吾さんが新しい名前を作るしかないのでは、という島方社長はいつもそうであったが、静かにみなの意見を聞いていた、めったに自分から意見を言わず、聞き役に回って、みんなの意見をまとめるのが常であった。下やんは机のイスに座ってメモ帳を眺めていた、昨日のミースケのリテークが気になっていたし、はなっから名前など思いつくわけが無いと思っていた。メモ帳にいたずら書きをしていたがRと書いてそれをまるで囲んで書いていたMEMOの丁度真ん中にRの字を書き込んでいたずら書きをしていた、そして声を出して読んだメルモと、それをきいた手塚治虫もメルモと聞き返した、そして卓さんがメタモウフォーゼ、昭吾さんが進化変身、いいかもしれない、考えてきていた、候補の中にも偶然有ったらしいが、思わぬところで、名前を決めるのにかなりの時間を使ったが、あっけなく主人公の名前は、決まってしまった。





18 山火事の巻 (「よいこ」版) よいこ 1971/10
トトオとワレガラス先生が山でたき火をしていたら、火が木に燃えうつって山火事になってしまった。あわてたメルモは、赤いキャンデーを溶かした水を木にかけて、木を小さくし、うまく山火事をおさめたのだが……。 19 白鳥の巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/11
メルモと弟のトトオは、空き地で仲間とはぐれた瀕死のひな鳥を見つけた。メルモはそのひな鳥にエサを与え、キャンデーを食べさせて大人にしてみると、それは白鳥の赤ちゃんだった。ふたりは白鳥を群れへ戻してあげようと、さまざまな努力をすることになる。

20 ブラ子ちゃんのまき (「てづかマガジンれお」版) てづかマガジンれお 1971/11
雪国育ちのゾウのブラ子ちゃん。最近元気がないブラ子を見て、メルモはブラ子に赤いキャンデーを食べさせ、
小さくして生まれ故郷のインドへ連れていってあげる。ブラ子は、さっそくそこですてきなボーイフレンドに出会い、元気を取りもどした。

21 第7話 (「よいこ」版) よいこ 1971/11

22 やってきたおばさんの巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/12
ある日メルモの家へ、突然、しんせきのおばさんと名のる人物が押しかけてきて、メルモたちをコキ使う。実はおばさんは、メルモがミラクル・キャンデーを持っていることを聞きつけて、それを手に入れて若返ろうと思ってやってきたのだ。キャンデーを守り、おばさんを追い出すために、メルモとトトオはさまざまな作戦を考える。

23 第8話 (「よいこ」版) よいこ 1971/12

24 カエル天使の巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1972/01
子どもだけで過ごすお正月。メルモのことが心配な天国のママは、神様にお願いしてカエルの天使とネズミの天使を下界へ派遣してもらった。ところが、ネズミの天使が、メルモの目の前でノラネコにさらわれてしまった。メルモは、キャンデーを食べて大人に変身し、ネコを追いかける。

25 (無題) (「てづかマガジンれお」版) てづかマガジンれお 1972/01
メルモは、道に捨てられた赤ちゃんを見つけた。赤ちゃんにキャンデーを食べさせて大きくし、事情を聞くと、パパが会社をクビになって、この子を捨ててどこかへ行ってしまったのだという。メルモは、その子のパパの会社へ乗りこみ、社長からパパをクビにした理由を問い詰める。しかしそのころ、赤ちゃんの両親は、心中をしようとして雪山へやってきていた。

26 第9話 (「よいこ」版) よいこ 1972/01

27 第18話 (「小学一年生」版) 小学一年生 1972/02

28 メチャ子のほんとうのこころ (「てづかマガジンれお」版) てづかマガジンれお 1972/02
男まさりの女の子メチャ子は、男の子とケンカばかりしている。とくに、クラスメートのゆきおくんとは犬猿の仲だ。しかしメルモは、ゆきおくんが、ほんとうはメチャ子のことが好きだということを知って、ふたりを仲直りさせようとする。
(原作・手塚治虫、まんが・手塚プロ)

29 第10話 (「よいこ」版) よいこ 1972/02

30 第19話 (「小学一年生」版) 小学一年生 1972/03

31 ちっちゃな春みーつけた (「てづかマガジンれお」版) てづかマガジンれお 1972/03
メルモの弟のトトオは、間違ってキャンデーを食べたため、カエルになったまま戻れないでいる。寒い冬のある日。本来ならばカエルは冬眠するのだが、トトオは遊びたくてしょうがない。ワレガラス先生が作ってくれた電気服でポカポカと体が暖まったトトオは、冬眠している動物たちをむりやり起こして遊びにさそう。しかし、木の穴の中でたき火をしたために木が火事になってしまった。

(原作・手塚治虫、え・池原成利)
32 第11話 (「よいこ」版) よいこ
1972年 3月

33 第12話 (「よいこ」版) よいこ
1972年 4月
  雑誌掲載の履歴
やけっぱちのマリア
 1970年 4月15日-1970年11月16日 「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)連載
8月27日には福岡県児童福祉審議会が「やけっぱちのマリア」掲載の 『週刊少年チャンピオン』8月24日号を有害図書に指定

この「やけっぱちのマリア」は性教育をテーマにして書いた青春ものであります。
 性教育マンガと聞くと、一般に大人のかたたちは、渋い顔をなさいますが、現代の子供の感覚において、決していかがわしいものではないと思います。
 先ごろ、この作品「やけっぱちのマリア」が、子供に対して行き過ぎではないかと言う事で、問題になりましたが、いまの読者は、もっと性の問題について、率直でおおらかですから、安心して書き続けました。
             手塚 治虫
 
アポロの歌
1970年 4月26日から 11月22日まで 週刊少年キング 少年画報社 で連載された
ママァちゃんとふしぎなメルモ
ママァちゃん
1970年 9月から1971年 3月
小学一年生 小学館 連載
ママァちゃん
1971年 4月から 1971年 9月
小学一年生 小学館 連載
ふしぎなメルモ
1971年10月から 1972年 3月
小学一年生 小学館 連載
ママァちゃん
1971/年 5月から 1971年 9月
よいこ 小学館 連載
ふしぎなメルモ
1971年10月から 1972年 3月
よいこ 小学館 連載
1970年 9月  ママァちゃん第1話 小学一年生

1970年10月  ママァちゃん第2話 小学一年生

1970年11月  ママァちゃん花嫁さんの巻  小学一年生
悪質な暴走運転手をこらしめようと、ママァちゃんは大人の女性に変身し、運転手の男をひっぱたいた。ところがその男は強い女性が好きだったため、ママァちゃんにひと目ぼれをして、結婚してくれとしつこく迫る。困ったママァちゃんは一計を案じ、結婚をする代わりにと言って、男にひとつの条件を出した。

1970年12月   ママァちゃん運動会の巻   小学一年生
運動会で、ママァちゃんの応援に来てくれるはずだった隣のおばさんが、かぜをひいて来られなくなってしまった。そこでママァちゃんは、キャンデーを食べて、自分がママァちゃんのおばさんということにして、自分自身を応援することにした。

1971年 1月    ママァちゃん雪国のぶら子ちゃんの巻   小学一年生
雪国育ちのゾウのぶら子ちゃんの元気がない。そこでママァちゃんは、ぶら子に赤いキャンデーを食べさせ、小さくして生まれ故郷のインドへ帰してあげることにした。ママァちゃんはスチュワーデスに変身し、ぶら子と一緒にインドへやってきたママァちゃん。しかしぶら子はインドになじめず、雪国を恋しがるのだった。

1971年 2月 ママァちゃん学芸会の巻  小学一年生
ママァちゃんは、学芸会の劇で白雪姫の役をやることになった。しかし女王の役をやることになった女の子が、それをねたんで、練習と称してママァちゃんにいじわるをする。そこでママァちゃんは、女王が飲むことになっている水に青いキャンデーを溶かし、女の子をおばあさんにしてしまう。

7 ママァちゃん婦人警官の巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/03
どうしても泣きやまない赤ちゃんが、なぜ泣いているのか知りたいと思ったママァちゃんは、赤ちゃんに青いキャンデーを食べさせて大人にした。鼻に虫が入って泣いていたことがわかって、すぐに元にもどそうとするが、その子は、赤ちゃんに戻りたくないといって逃げ出してしまう。このままでは迷子になってしまうと心配したママァちゃんは、婦人警官に変身して後を追う。

8 ママァちゃんミラクル・キャンデーの巻 (「小学一年生」小学一年生 1971/04
「よいこ」版) よいこ 1971/05
小学校へ入学した新一年生の読者のために、あらためて描かれたプロローグ。交通事故にあい天国へ来てしまったママァちゃんのママは、残された幼いママァちゃんとトトオのために、神様にたのんでミラクル・キャンデーをつくってもらった。ところが、ママァちゃんがそれをうっかり学校で落とし、クラスメートや先生が食べてしまったために、大騒動となる。

9 ママァちゃん潮干狩りの巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/05
潮干狩りにやってきたママァちゃんたち。しかしママァちゃんと数人の生徒がカメを追いかけているうちに、潮が満ちてきて帰れなくなってしまった。ママァちゃんはキャンデーでカメを大人にし、それに乗って帰ろうとするのだが、カメはますます沖へ出てしまう。そこでママァちゃんは、こんどは自分でキャンデーを食べ、水泳選手になって助けを呼びにいく。

10 ママァちゃんバレリーナの巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/06
クラスメートに、バレエの発表会に出ることを自慢されたママァちゃん。しかしママのいないママァちゃんは出る
ことができない。そこでママァちゃんはキャンデーを使ってバレリーナに変身し、発表会に出て審査員を驚かす。

11 ママァちゃんおでかけの巻 (「小学一年生」版) よいこ 1971/06
メルモは、隣の家のおばあちゃんにキャンデーを食べさせ、若返ったおばあちゃんと一緒に遊園地で遊ぶ。
ところが、もとのおばあちゃんに戻ってからも、まだ遊びたりないおばあちゃんは……。

12ママァちゃん 赤ん坊になったメルモちゃんの巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/07
ママァちゃんの家の近くに、子どもを亡くして寂しがっているおばさんがいると聞いたママァちゃんは、おばさんをなぐさめようと、キャンデーを食べて赤ちゃんになり、そのおばさんに拾われる。ところが、おばさんはママァちゃんにミルクを飲ませようとして鼻に入れてしまったり、熱湯風呂に入れたりと、大変な騒ぎになってしまう。

13 ママァちゃん捨てネコの巻 (「よいこ」版) よいこ 1971/07
捨てネコの赤ちゃんたちを見つけたママァちゃんは、その中の一匹にキャンデーを食べさせて大人にし、おかあさんの代わりをさせる。ところが、これで安心と家へ帰ったところ、その大人にしたネコがやってきて、キャンデーをうばって逃げてしまった!ママァちゃんがそのネコのあとを追いかけていくと、そこには捨てネコたちの、ほんとうのお母さんがいた。

14 ママァちゃん林の妖精の巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/08
小鳥たちの住む林の木が、宅地造成のために切り倒されてしまった。それを見たママァちゃんは、キャンデーを水にとかして木にかけ、何度切られても、木を再生させる。けれども、なおも木を切ろうとする地主に、ママァちゃんは林の妖精となって、林を半分残してくれるように頼むのだった。

15 ママァちゃんテレビのディレクターの巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/09
幼稚園児の弟をいじめてばかりいるお姉ちゃん。その様子を見ていたママァちゃんは、その弟をお姉ちゃんより大きい子どもに変身させて、お姉ちゃんの後を追う。するとお姉ちゃんは、子役タレントのオーディションのために、テレビ局に入っていった。そこでママァちゃんは、テレビのディレクターに変身し、いたずらをしかけることにした。

16 ママァちゃんブルドックの巻 (「よいこ」版) よいこ 1971/09
いじめられてばかりの弱虫なブルドックの子どもを見たママァちゃんは、その小犬を、キャンデーで大人にしてあげる。ところがブルドックは、いい気になって弱いものいじめをしていたところを、野犬狩りにつかまってしまう。ママァちゃんがブルドックを追って、野犬収容所を訪れると、そこには同じように収容されている、
かわいそうな野犬たちがたくさんいた。
17 箱の中の毛虫の巻 (「小学一年生」版) 小学一年生 1971/10
乱暴な男子に対して女子が宣戦布告し、戦争をすることになった。メルモは、仲間と一緒に男子に変装し、敵陣の偵察に向かう。すると男子は、女子の陣地に、女子の大きらいな毛虫を投げ入れる作戦であることがわかった。そこでメルモは、キャンデーを使ったある名案を思いつく。
  思い出

ふしぎなメルモ
手塚プロで秘書などをなさっていた斉藤ひろみさんが社長となって平田昭吾 手塚 卓 金田 啓治 さんなどで手塚 治虫のアシスタントの人たちで子供のための絵本や 映画の企画などをする、会社 ひろみプロを立ち上げていた。場所は手塚プロの真向かい電気屋さんの 2階にあった。そこで絵本の仕上げ(トレス、彩色)をしていた池田 径子(現片山)さんが、すぐ駆けつけて、仕上げ部門を全面的に手伝ってくれた。オープニングの花が開く作画を手塚 治虫が仕上げてきた時すぐにトレス彩色を仕上げたのも、彼女であった、同じく絵本の背景で、ひろみプロに出入りしていた、明石 貞一さんも、駆けつけてくれて、美術として参加してくれた、そして徹夜が続いた。
制作画始まると片山 秀男君と 彼の親友であった業務部の 井出 康道君が虫プロに辞表を提出して制作を手伝わせろと、駆けつけてくれた。池田さんがサイケと呼んでいた吉岡君、そしていまだに、本名を思い出せない、とてもおとなしいが、車のハンドルを握るとまるっきり性格が変わってしまい、付いたあだ名が、ヤーさんも進行として来てくれた。
制作進行
       片山 秀男君
業務部の 井出 康道君
       サイケ 吉岡君
       ヤーさん
この4人が地獄のようなスケジュールの中で、ふしぎなメルモを命を削って睡眠時間平均3時間以下の状態で制作していくのであった。
 やさしいライオンで一緒に仕事をした、中村 和子さん 赤堀さん  上口さん 渡辺さん   などが手塚 先生の実験映画のために中村橋の何とか高校の近く千川通り材木屋の隣のビルにいた、中村スタジオなどと呼ばれていたようだが、前の漫画部の中村橋スタジオとはまったく別の場所で、うらの高校の体育館で、東映動画や、タツノコなど漫画映画会社の文化祭が開かれて私たちのエレキーバンドも虫プロ代表として、参加した思い出がある場所であった。まだ制作は必要としていなかったが、制作が決まればすぐ入れるようにちょくちょく遊びに行っていた。
手塚プロダクション映画制作部長 鈴木 紀男をプロデューサーとして迎え、虫プロの社長室時代から何かと面倒を見ていただいた、手塚プロ社長の島方 道年氏に助けられて、スタジオ探しから始まった。不動産屋を島方社長と一緒に回って近くで撮影出しが出来る広さの物件を探し回った。
虫プロの第5スタジオの少し先の道から少し入った所に,縫製工場として使っていた2階建ての物権を探す事が出来て、そこを借りる事に決めた。
富士見台2丁目18番の2号お肉屋さんの2階の映画制作部からの引越しが始まったが、虫プロ時代と同じでリヤカーまで利用した、ガード側の入り口は狭くて、お肉屋さんが閉まっている時間を利用して、窓から、搬出した。撮影出し用の準備棚は、虫プロのそれを参考にして設計して、新たに動画机など専門の鎌田家具店に足りない動画机などと一緒に注文した。新しく借りたスタジオに電気が来ていなくて、近くの公衆電話から東京電力に電話して、ブレーカーの黒と白、赤の線から100ボルトをとる方法を聞いて、自分で配線した。天井には、縫製用の機械につなぐための配線が天井に取り付けてあり、それを利用して、100ボルトを取った。
一階のトイレは押入れと同じ2枚のふすまをあけるとあって、2畳の広さがあり、皆がびっくりした。1階は大きなレールつきのガラス戸8枚で広く、入ると土間になっていて、板の間が高くなっていて仕事場となっていたのでそこを撮影出しの部屋とした、 2階には畳の部屋が2部屋あり1つを編集用の部屋とし西出さんにはそこを仕事場としてもらった、もう1つを仮眠室としたが、仮眠室を使う暇は無かった。その編集室でまさか私が手塚治虫と徹夜で編集する羽目になるとは、まだ夢にも思わなかった。
 
メルモの絵コンテ
手塚治虫のアイディアで上のような絵コンテとなった。1つのカットが1枚となり動画用紙の大きさであった。
何百枚にもなってしまうため、コピー代がかかってしまい、今まで以上に各パートへの使い回しをうまくやらねばならなかった。
2話の絵コンテだが、ママァと書いてあるが、先生が勘違いしていたのではなく、2話の頃はまだメルモという題名は決まっていなかった。
 始めはすべての絵コンテを手塚 治虫が書くつもりであったので、作画の絵が統一できて作画の人たちが喜ぶと、このアイディアーが採用されたが、手塚治虫の校閲などで時間がなくなってしまい、メリットよりもデメリットのほうが大きくなってしまった。演出家が書いた絵コンテの清書も手塚治虫がすることが不可能になってしまった。
  
オープニング と エンディング
ある日いつものように30分前にスタジオへ出社すると階段の入り口のところで、手塚 治虫が悪戯っぽい目を輝かせて、私を待っていた。手には分厚い そうオーバーではなくかなりの枚数となる動画用紙を持っていた。見て見てと、パラパラと私に見せた。
昨夜雑誌を上げてから、徹夜で書き上げて、私を驚かせようと階段のところで今来るか今 来るかと私を待っていたらしい。手塚 治虫にはそんな子供じみたところも有った。オープニングの花が咲いていくところの動画は手塚 治虫が一夜にして書き上げてしまった。その後中村 和子さんが手塚先生とスケッチなどの指示によって書き上げて出来た。
エンディングは1話で手塚 治虫が書いた動画を中心に手塚 治虫と作ったが、局側からのエンディングの秒数が違っていたために、エンディングの曲が終わってからも赤ちゃんが延々とハイハイしている,間の抜けた物となってしまったが、秒数を曲に合わせ短くする事は、簡単に出来たのだが、その分、本編が長くなると、制作費が痛いので、手塚 治虫の指示でそのままとしたが直したかった。
1話
ミラクルキャンデーをどうぞ!!
  1971年10月 3日  
演出 手塚治虫
メルモとふたりの弟はお母さんが大好き。けれどそのお母さんが突然の交通事故で死んでしまった。お母さんは天国でひとつだけ願いを叶えてやると言われ、子どものままで生きていくのは大変だから、子どもたちを大人にして欲しいと頼んだ。神様はお母さんに二色のキャンディーを与えた。青いキャンディーを食べると十歳年を取り、赤いキャンディーを食べると十歳若返るという。母の死を悲しむメルモの前に幽霊となったお母さんが現れ、キャンディーを与えた。そのキャンディーとやさしく強い心があれば、きっと大丈夫。お母さんは弟たちの面倒をメルモに託して去っていった--。
久しぶりのテレビアニメということで 手塚 治虫は乗りに乗っていた。いろいろなアイディアを出したりこの一話では作画の非常に多く手がけている。
 特におばさんのしゃべりのシーンは手塚 治虫ならではの表情の表し方で、これがやりたかったのでは、と思えるひとつである。アフレコでも表情の面白さに、乗りに乗ってアフレコをした。         地獄の前の良い思い出
 2話 ブラ子どこへ行く
1971年10月10日
演出:本田元雄
  3話 男の子をやっつけろ
1971年10月17日地
演出:上田耕介
 4話 チッチャイナ国のとりこ
1971年10月27日
演出:西谷克和
  5話 もえる無人島
1971年10月31日
演出:富野善幸
 6話 白雪姫をいじめよう
1971年11月 7日
演出:西谷克和
 7話 とかげ館の一夜
1971年11月14日
演出:正延宏三
 8話 ママがかえって来た!
1971年11月21日
演出:永樹凡人
9話 ビリケンまかり通る
1971年11月28日
演出:大貫信夫
10話 ヘソガエルのひみつ 1971年12月 5日
監督:大貫信夫
 11話 あの子をにがすな!
1971年12月12日
演出:手塚治虫
12話(前半)ひん死の白鳥
1971年12月19日
演出:池原成利
12話(後半)学園広場を守れ
演出:永樹凡人
13話 クリスマス・メルモ
1971年12月26日
演出:北川一美
14話 身代りにされちゃった!
1972年 1月 2日
 脚本:松本守正
 演出:富野喜幸
15話 メルモと魔術師
1972年 1月 9日
 脚本:松本守正
 演出:大貫信夫
16話 ぼくは人間だ!
1972年 1月16日
 脚本:松本守正
 演出:富野喜幸
17話 ひとりぼっちの
         ジャングル
1972年 1月23日
 脚本:松本守正
 演出:大貫信夫
18話 3650日の恐怖
1972年 1月30日
 脚本:松本守正
 演出:本田元雄
19話 メルモの初恋
1972年 2月 6日
 脚本:せき・らん
 演出:古沢日出夫
20話 すて猫トラちゃん
1972年 2月13日
 脚本:松本守正
 演出:正延宏三
21話 姉ちゃんなんて大嫌い
1972年 2月20日
 脚本:柴山達雄
 演出:大貫信夫
22話 わたし
    求婚されちゃったァ!!
1972年 2月27日
 演出:富野喜幸
23話 光と闇と愛
1972年 3月 5日
 脚本:松本守正
 演出:西谷克和
24話 恋人がいっぱい
1972年 3月12日
 脚本:松本守正
 演出:池原成利
25話 豪傑赤ちゃんに泣く!
1972年 3月19日
 脚本:柴山達雄
 演出:本田元雄
26話 さよならメルモ
1972年 3月26日
 脚本:せき・らん
 演出:大貫信夫
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