「ドストエフスキーが注目されているのも、登場人物が互いに分かり合えない他者であることが現代に通じるからでは」と語る平野啓一郎氏=東京都新宿区矢来町、林正樹撮影
作家デビューから10年を迎えた平野啓一郎氏が連続殺人事件を扱う長編『決壊』(新潮社)を発表した。ネット社会の危うさやコミュニケーションの新たなパラダイムをあぶり出し、現代における罪と罰の問題をも射程に入れた力作だ。
ネットが事件の発端となる。山口県に住む会社員がブログ日記に胸の内を記し、それを発見した妻が偽名で書き込みを始める。一方、同級生の裸の写真をネット上にばらまいた鳥取の少年は報復を受けて不登校となり、「孤独な殺人者の夢想」という自分のブログに書き込みを続ける。「悪魔」と名乗る男が二人を結びつけ、少年と共に会社員を京都で殺害……。人間の多面性や認識のズレ、悪意を、ネットが劇的に増幅する。
平野氏は「ネットには悪も便利さもあり、複雑化している。身の回りでは言いにくいことを自分にはね返ってこない場所で発言できるようになったのは大きな変化。検索機能が遠くの人の内面までも結びつけるようになった。あらゆる情報に貫かれ、どこで足をすくわれるかわからない時代。悪を考える上でネットという環境を使った」と語る。
やがて犯行声明と共にバラバラ遺体が広域で発見され事件は爆弾テロへと連鎖する。
「対人間から国家間まで暴力の問題を摘発したいとの思いがあり、その究極として殺人を考えた」という。「暴力と認識されていないものまで正確に描きたかった。『お前は何者か』を問うことも暴力だと思う。人間に対する理解は多様なはずなのに、社会はひと言の発言で人格を特定しようとする」「人間の耐える力には限界があり、ギリギリまで頑張って壊れるのが『決壊』。耐えていたものが、事件によって壊れ出すさまを追求した」
被害者の妻は、夫のブログに夫の兄がしばしばアクセスしていたと誤解、犯人と疑われた兄は警察に逮捕される。真犯人がわかったのち、死刑反対論者である兄は心理的に引き裂かれる。ドストエフスキーのような議論を織り込み、思考が繰り広げられる。
「あの世が信じられた時代には赦(ゆる)しができたが、この世で完結するとなれば、殺人者は死刑にすればいいのかとの深刻な矛盾にぶつかる。冷戦構造が終わって、融和の機運の中で9・11事件が起き、他者を排除する方向へと揺り戻した。分かり合えない、遠くにいる他者とぶつかりあった時、どう向き合うべきかを考えた」
小説は秋葉原の無差別殺傷事件に通じるところもある。
「事件は、犯人が格差社会の底辺に位置づけられていると考え、ロジックを持って社会を壊してやろうとした点で一種のテロ。また殺人に付随して、自分の存在がメディアに露出することを目的としている点も重なる。ただ、私は暴力を振るう側を批判する立場から、人が壊れてしまうプロセスを示し、現代の人間が直面する危機に焦点を当てた。社会がなすすべがあるのか、問いかけてみたんです」(小山内伸)