2006-11-03
■「銀河パトロール部隊」はオーマイニュースに必要か
Theme: オーマイニュース
http://www.ohmynews.co.jp/omn/News.aspx?news_id=000000002687
元原稿はこちら…
「銀河パトロール部隊」はオーマイニュースに必要か
コメント500件突破に思うこと
【ご意見募集】「この記事にひと言」欄について の「この記事にひと言」が先日、ついに500件を超えました。この論題に対する市民記者およびオピニオン会員の意識また関心の高さもさることながら、件の「銀河パトロール部隊 」は、ここオーマイニュースに必要なのか、ということを再び考えざるを得ません。
しかし、あるいはもはや考える必要はないのかもしれません。ある意味、既に答えは出ているようにも思えます。その答えとは、一体どのようなものでしょうか?
普通に考えれば、オーマイニュースにおける「銀河パトロール部隊」は編集局内の一部所となるのでしょうが、今回、編集局は【ご意見募集】「この記事にひと言」欄について という記事を出すことにより、数々の興味深い発言への扉を開きました。
これは今から見れば、結果的にこの件に対する非常に効果的かつ合理的な施策となった言わねばならないでしょう。なぜなら後述するように、編集部はこのたった1つの記事により、より相応しい仕方で再びイニシアチブを委ねられると共に、荒れているとみなされていたコメントをかなりの程度吸収して沈静化することになったからです。
たとえば、「削除や退会に関して、読者有志からなる監査委員会を設けるのは必須」という意見がありました。ボランティアを買って出てまでオーマイニュースを良くしたい、「皆で考え、問題に取り組み、じっくり話し合っていくことが必要」だというその熱意ある発言は、突き詰めれば、いわばオーマイニュース版「銀河パトロール部隊」を有志で作りましょう、という提議を意味します。オーマイニュースは「大学の自治会や地域の町内会」のようになるべきなのでしょうか?
そうした意見に対し、「編集部サイドでこれ(誹謗中傷等)に当たるものは削除されている(はず)で、残ってるものに関して「悪質極まりない誹謗中傷や揶揄、中傷」って考えるのは(オマニー基準でいうと)間違って」いる、「もし、「間違ってるはず無い」と思うなら、ひと言内で応戦せず…編集部へ連絡するといい」という指摘がありました。また、「まだ委員会だの言い出す以前の地点にしかない」と苦笑する向きもあり、結局こうした意見は多数の支持が得られなかった模様です。
一方で、「記事の内容とは関係のない書き込みを何とかしてほしい」「誹謗中傷がひどすぎる。これでは議論にならない」「ほかのサイトのURLを貼るのはいかがなものか」といった、一部の市民記者からのクレームはどのようにみなされたのでしょうか?
「そんなに批判されるのがイヤなら余所に行けばいい」「自分の思想をメディアの記事として披露して、批判が一切でてこないとでも思ってたの!」という歯に衣着せぬ意見から、「記事だけ書いて後は知らんぷりの書き逃げ記者が大勢を占める現状(を憂う)」「批判を批判として受け止められず、誹謗中傷だなどといって逃げる人間に、質の向上など望めません」「記者の敷居を低くするのもよろしいですが、記事の質を低くするのだけはやめていただきたい」という批判が続き、そうなったら「ネットの楽園が実現(しますね)」という揶揄までなされました。
結果として、健全な仕方であれ多少言葉遣いが雑であれ、ネット上の議論は「ある意味で自然な事」、だから「いままでどおりの運用で行くのがいい」「このままの運営で問題ない」とされ、必要であれば「記事を書く際、もしくは市民記者の登録時に大きく赤字で「書いた記事が知らない人から批判にさらされることがありえます。」と表記」すればいいという意見まで出ています。
この件でわたしたちは、このコメント欄を設けたのはほかならぬオーマイニュースであって、その場は「オーマイニュースに掲載されている記事に対する感想や意見交換、質問などを行っていただき、建設的なコミュニケーションのために活用」するためのものである、という点をいま一度思い起こす必要があるのかもしれません。
確かにそこでは「建設的なコミュニケーション」が行なわれるべきでしょう。しかし先の記事 でも書かせていただきましたが、「記事に対する感想や意見交換、質問」は何であれ認めない答えたくないでは、短期的に見れば「楽園」かもしれませんが、長期的に見れば、わたしたちは市民記者なのかそれともただの市民ブロガーなのかと揶揄されるばかりなのです。
コメント欄の閉鎖を求める意見はある意味同情をもって受け止められるべきものではあるものの、「ひと言欄は必ず残すこととし、読みたくないという記者はひと言欄を読まなければ良い」、そして「記事に対する質問をしても無視する記者が現れるでしょうが、それはすなわち記者がその程度の質しかなかったという良い証明」と考える人も現にいて、「「この記事にひと言」目当てで来てる」というコメントさえあり、コメント欄の閉鎖は「やってもいいけどPVが減るだけ」と観測されています。もしそうなれば、それは確かにオーマイニュースにとって現実の損失 でしょう。
もっとも、そうしたコメントが白熱して、実際に憶測による名誉毀損、誹謗中傷、信用毀損、偽計業務妨害等があると判断される場合はどうでしょうか?
この件については、「「まっとうな批判」と「誹謗中傷」を峻別するための客観的な判断基準が必要」「記事は批判するが、記者に対する批判はおこなわない」というルールの確立が重要」「オーマイニュースには、ネットで誹謗中傷合戦が横行するのをくいとめる事例になってほしいと期待(している)」との声がありました。
さらに踏み込んで、「記事の内容を批判する事と、記者を誹謗中傷する事とは区別したほうがいい。今、記者は実名(と思われる?)を表示しているわけだから、根拠を提示しないで「まるで・・・ですね。」といって記者を侮辱すれば「侮辱罪」、根拠を提示して記者を侮辱すれば、根拠の真偽にかかわらず「名誉棄損罪」が成立すると思う。犯罪者は警察に任せておけばいい。立件するかどうかは警察が決める事で、なにも編集部が気をもむ必要はないのだ。どちらも申告罪なので、記者がさっさと通報すればいい。大量の逮捕者が出たとしても、それによって大量の記者が安堵し、新規記者登録も増え、また世間の話題にもなると思うのでPVも増える(一時的に)。「責任ある参加」の具体例としても、むしろ歓迎すべきではないか?」とまで述べる意見もあり、警察というある意味究極のパトロール部隊発動の要請が実は個々の記者の判断に任されていることが指摘されました。
この短い一つの記事をもって500以上のコメントすべてを精査し4000字以内にまとめることは残念ながらできませんでしたが、コメント欄の存続と検閲、というこの一事に絞ってこうして幾つかのコメントを抜き出してみると、この件に関しては既に事ははっきりしているように思われます。
それは簡単に言えば、排除されるべきなのは法的な観点から警察沙汰になるようなコメントだけであり、それを排除することになるのは、恐らくは通報を受けたオーマイニュース編集局であろうということです。
始まったばかりの揺籃期にあるオーマイニュースは、こうしてとりあえずは一つの嵐を乗り切ったようにも見受けられます。
というのも、「編集部の方針がいまだにはっきりしない」「方向性すら他人任せに見え(る)」といういぶかりをよそに、編集局が「悩んで」「市民記者とオピニオン会員のみなさんにご意見を伺おう」としたこのことは、いわば「銀河パトロール部隊」の実際の発動を誘発したように感じられるからです。
その発動は実に、問題の元凶ともみなされかねなかったコメント欄という場で、市民記者とオピニオン会員の忌憚のないやり取りにより実現しました。しかも「みなニックネームで真面目に議論が進」んだように見受けられます。これは結果的には良い話であり、わたしたちは皆、このことをこれからも記憶にとどめていくことになるのでしょう。
もちろん、その同じコメント欄で言及された他の問題もあり、ある場合オーマイニュース自身のあり方が問われているのも事実です。そうした点は、きっと他の市民記者の手により、このような記事という形で今後もさらに議論されていくことになるに違いありません。
しかし、コメント欄の存続と検閲に関しては、既に「監視カメラだけで犯罪が防げるはずない」という結論があります。わたしたちはお互い、市民記者またオピニオン会員として、良識と道義のうちに「お互いがどう考えているのかを「建設的に」意見交換」することができ、仮にもし本当に必要であれば編集局の「出動」を「要請」できるということです。
そのような最低限のラインが守られているパブリックなニュースサイトの中にあっては、市民記者が「プチ・カリスマ」「プチ・ヒーロー」になるような空間が実現するための「元祖・銀河パトロール部隊 」の発動は、確かに誰にとっても不要でしょう。
【長文】オーマイ石川記者「アメーバは大人げない」
本日をもってオーマイニュースについて書くのはやめるが、オーマイニュースの石川達夫記者が、アメーバニュース10月21日の記事を題材に記事を寄稿しているので、それについて報告する..........≪続きを読む≫
元原稿はこちら…
「銀河パトロール部隊」はオーマイニュースに必要か
コメント500件突破に思うこと
【ご意見募集】「この記事にひと言」欄について の「この記事にひと言」が先日、ついに500件を超えました。この論題に対する市民記者およびオピニオン会員の意識また関心の高さもさることながら、件の「銀河パトロール部隊 」は、ここオーマイニュースに必要なのか、ということを再び考えざるを得ません。
しかし、あるいはもはや考える必要はないのかもしれません。ある意味、既に答えは出ているようにも思えます。その答えとは、一体どのようなものでしょうか?
普通に考えれば、オーマイニュースにおける「銀河パトロール部隊」は編集局内の一部所となるのでしょうが、今回、編集局は【ご意見募集】「この記事にひと言」欄について という記事を出すことにより、数々の興味深い発言への扉を開きました。
これは今から見れば、結果的にこの件に対する非常に効果的かつ合理的な施策となった言わねばならないでしょう。なぜなら後述するように、編集部はこのたった1つの記事により、より相応しい仕方で再びイニシアチブを委ねられると共に、荒れているとみなされていたコメントをかなりの程度吸収して沈静化することになったからです。
たとえば、「削除や退会に関して、読者有志からなる監査委員会を設けるのは必須」という意見がありました。ボランティアを買って出てまでオーマイニュースを良くしたい、「皆で考え、問題に取り組み、じっくり話し合っていくことが必要」だというその熱意ある発言は、突き詰めれば、いわばオーマイニュース版「銀河パトロール部隊」を有志で作りましょう、という提議を意味します。オーマイニュースは「大学の自治会や地域の町内会」のようになるべきなのでしょうか?
そうした意見に対し、「編集部サイドでこれ(誹謗中傷等)に当たるものは削除されている(はず)で、残ってるものに関して「悪質極まりない誹謗中傷や揶揄、中傷」って考えるのは(オマニー基準でいうと)間違って」いる、「もし、「間違ってるはず無い」と思うなら、ひと言内で応戦せず…編集部へ連絡するといい」という指摘がありました。また、「まだ委員会だの言い出す以前の地点にしかない」と苦笑する向きもあり、結局こうした意見は多数の支持が得られなかった模様です。
一方で、「記事の内容とは関係のない書き込みを何とかしてほしい」「誹謗中傷がひどすぎる。これでは議論にならない」「ほかのサイトのURLを貼るのはいかがなものか」といった、一部の市民記者からのクレームはどのようにみなされたのでしょうか?
「そんなに批判されるのがイヤなら余所に行けばいい」「自分の思想をメディアの記事として披露して、批判が一切でてこないとでも思ってたの!」という歯に衣着せぬ意見から、「記事だけ書いて後は知らんぷりの書き逃げ記者が大勢を占める現状(を憂う)」「批判を批判として受け止められず、誹謗中傷だなどといって逃げる人間に、質の向上など望めません」「記者の敷居を低くするのもよろしいですが、記事の質を低くするのだけはやめていただきたい」という批判が続き、そうなったら「ネットの楽園が実現(しますね)」という揶揄までなされました。
結果として、健全な仕方であれ多少言葉遣いが雑であれ、ネット上の議論は「ある意味で自然な事」、だから「いままでどおりの運用で行くのがいい」「このままの運営で問題ない」とされ、必要であれば「記事を書く際、もしくは市民記者の登録時に大きく赤字で「書いた記事が知らない人から批判にさらされることがありえます。」と表記」すればいいという意見まで出ています。
この件でわたしたちは、このコメント欄を設けたのはほかならぬオーマイニュースであって、その場は「オーマイニュースに掲載されている記事に対する感想や意見交換、質問などを行っていただき、建設的なコミュニケーションのために活用」するためのものである、という点をいま一度思い起こす必要があるのかもしれません。
確かにそこでは「建設的なコミュニケーション」が行なわれるべきでしょう。しかし先の記事 でも書かせていただきましたが、「記事に対する感想や意見交換、質問」は何であれ認めない答えたくないでは、短期的に見れば「楽園」かもしれませんが、長期的に見れば、わたしたちは市民記者なのかそれともただの市民ブロガーなのかと揶揄されるばかりなのです。
コメント欄の閉鎖を求める意見はある意味同情をもって受け止められるべきものではあるものの、「ひと言欄は必ず残すこととし、読みたくないという記者はひと言欄を読まなければ良い」、そして「記事に対する質問をしても無視する記者が現れるでしょうが、それはすなわち記者がその程度の質しかなかったという良い証明」と考える人も現にいて、「「この記事にひと言」目当てで来てる」というコメントさえあり、コメント欄の閉鎖は「やってもいいけどPVが減るだけ」と観測されています。もしそうなれば、それは確かにオーマイニュースにとって現実の損失 でしょう。
もっとも、そうしたコメントが白熱して、実際に憶測による名誉毀損、誹謗中傷、信用毀損、偽計業務妨害等があると判断される場合はどうでしょうか?
この件については、「「まっとうな批判」と「誹謗中傷」を峻別するための客観的な判断基準が必要」「記事は批判するが、記者に対する批判はおこなわない」というルールの確立が重要」「オーマイニュースには、ネットで誹謗中傷合戦が横行するのをくいとめる事例になってほしいと期待(している)」との声がありました。
さらに踏み込んで、「記事の内容を批判する事と、記者を誹謗中傷する事とは区別したほうがいい。今、記者は実名(と思われる?)を表示しているわけだから、根拠を提示しないで「まるで・・・ですね。」といって記者を侮辱すれば「侮辱罪」、根拠を提示して記者を侮辱すれば、根拠の真偽にかかわらず「名誉棄損罪」が成立すると思う。犯罪者は警察に任せておけばいい。立件するかどうかは警察が決める事で、なにも編集部が気をもむ必要はないのだ。どちらも申告罪なので、記者がさっさと通報すればいい。大量の逮捕者が出たとしても、それによって大量の記者が安堵し、新規記者登録も増え、また世間の話題にもなると思うのでPVも増える(一時的に)。「責任ある参加」の具体例としても、むしろ歓迎すべきではないか?」とまで述べる意見もあり、警察というある意味究極のパトロール部隊発動の要請が実は個々の記者の判断に任されていることが指摘されました。
この短い一つの記事をもって500以上のコメントすべてを精査し4000字以内にまとめることは残念ながらできませんでしたが、コメント欄の存続と検閲、というこの一事に絞ってこうして幾つかのコメントを抜き出してみると、この件に関しては既に事ははっきりしているように思われます。
それは簡単に言えば、排除されるべきなのは法的な観点から警察沙汰になるようなコメントだけであり、それを排除することになるのは、恐らくは通報を受けたオーマイニュース編集局であろうということです。
始まったばかりの揺籃期にあるオーマイニュースは、こうしてとりあえずは一つの嵐を乗り切ったようにも見受けられます。
というのも、「編集部の方針がいまだにはっきりしない」「方向性すら他人任せに見え(る)」といういぶかりをよそに、編集局が「悩んで」「市民記者とオピニオン会員のみなさんにご意見を伺おう」としたこのことは、いわば「銀河パトロール部隊」の実際の発動を誘発したように感じられるからです。
その発動は実に、問題の元凶ともみなされかねなかったコメント欄という場で、市民記者とオピニオン会員の忌憚のないやり取りにより実現しました。しかも「みなニックネームで真面目に議論が進」んだように見受けられます。これは結果的には良い話であり、わたしたちは皆、このことをこれからも記憶にとどめていくことになるのでしょう。
もちろん、その同じコメント欄で言及された他の問題もあり、ある場合オーマイニュース自身のあり方が問われているのも事実です。そうした点は、きっと他の市民記者の手により、このような記事という形で今後もさらに議論されていくことになるに違いありません。
しかし、コメント欄の存続と検閲に関しては、既に「監視カメラだけで犯罪が防げるはずない」という結論があります。わたしたちはお互い、市民記者またオピニオン会員として、良識と道義のうちに「お互いがどう考えているのかを「建設的に」意見交換」することができ、仮にもし本当に必要であれば編集局の「出動」を「要請」できるということです。
そのような最低限のラインが守られているパブリックなニュースサイトの中にあっては、市民記者が「プチ・カリスマ」「プチ・ヒーロー」になるような空間が実現するための「元祖・銀河パトロール部隊 」の発動は、確かに誰にとっても不要でしょう。
【長文】オーマイ石川記者「アメーバは大人げない」
本日をもってオーマイニュースについて書くのはやめるが、オーマイニュースの石川達夫記者が、アメーバニュース10月21日の記事を題材に記事を寄稿しているので、それについて報告する..........≪続きを読む≫