2007年01月31日 更新
ハンカチ王子は野茂2世!早大・応武監督「ズドーンとくる」
斎藤は野茂2世!? 早大・応武監督が投球練習を行った斎藤をベタ褒め(撮影・寺河内美奈)
88年ソウル五輪日本代表の中心選手として銀メダル獲得に貢献した野茂
ハンカチ王子は野茂2世だ!! 早実・斎藤佑樹投手(18)は30日、東京・西東京市の早大グラウンドで早大野球部の練習に参加。投球練習を見守った早大・応武篤良監督(48)が、88年ソウル五輪の同僚・野茂英雄投手(38)に例えて絶賛した。2月2日から捕手を座らせる予定の斎藤は、徐々にその右腕を仕上げていく。
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メガネの奥の鋭い視線が、ずっと斎藤に向けられていた。東伏見の早大グラウンドのブルペン。『捕手を立たせたまま50球』を見守った応武監督の声が、興奮で思わず上ずった。
「捕手に近いところで(斎藤のボールを)見ていたんですけど、野茂の球に近いですね。ズドーンと重そうな球が来る。フォークもビシビシきてましたよ」
アマ野球の世界レベルを知る指揮官が、最大級の評価だ。新日鉄広畑時代、捕手として88年のソウル五輪に出場。当時の日本代表エースで、実際に自分がボールを受けた20歳のときの野茂と、現在の斎藤とをダブらせたのだ。
もともと低めのコントロールは抜群の斎藤。その上で球威と変化球のキレが“野茂並み”なのだから、怖いものはない。応武監督は今春のリーグ戦で登板させることをにらみ、捕手を座らせての投球練習開始を決断した。「寒かったら変更するかもしれませんが(2月)2日に投げさせます。本人とも『先週よりペースを上げよう』と話をしました」。その口ぶりからすれば、春のベンチ入りは“当確”だ。
銀メダルを掲げる新日鉄広畑時代の応武監督(右、左は元西武の渡辺智男)
それでも本人はいたってクール。いま何をすべきかを自覚して、この日は「監督からボールを抜くことを教わった」カーブを中心に、フォームを確かめた。さらには「下半身を鍛えたいですね。時間があったら(早大の)室内練習場で自主練習したり、ジムにも通いたい」と今後の課題をあげてみせた。
「下半身」といえば、やはり野茂を思い出す。このスーパー右腕がトルネード投法を駆使して日米通算201勝(155敗)を挙げられたのも、大きくて強じんな下半身を持っていたからこそ。斎藤が肉体改造に成功すれば、神宮球場のマウンドだけではなく、4年後のプロ、究極の目標とするメジャーでも活躍できることだろう。
「多少の疲れはたまっていますが問題ありません。自分の体は自分が一番わかっています。調子がよければ多く投げたりすると思います」。徐々に感覚を取り戻してきた斎藤はフリー打撃登板など、実戦的な練習も行っていく予定。高騰する『ハンカチ王子』株の今後が、ますます楽しみになってきた。
(吉村大佑)
■応武 篤良
(おうたけ・あつよし) 1958(昭和33)年5月12日、広島県生まれ、48歳。崇徳高の正捕手として76年、3年時にセンバツで優勝。ドラフトで近鉄に3位指名されるも77年早大入学。東京六大学リーグでは78年秋、79年春の優勝に貢献。81年新日鉄に入社して、同広畑野球部に入部。83年には日本選手権優秀選手に選ばれた。88年のソウル五輪では日本代表として銀メダルを獲得。現役引退後は新日鉄君津野球部監督を経て、04年8月に早大野球部コーチに就任。同年11月に監督に昇格した。
■野茂はいま
メジャー復帰を目指す野茂は、昨年6月に手術した右ひじを完治させるため、米ロサンゼルス市内でリハビリとトレーニングを続けている。昨季はホワイトソックス傘下3Aシャーロットに所属していたが、現時点ではどの球団とも契約せず。今後リハビリを続けながら、各球団からのオファーを待つ。
■88年ソウル五輪の野球VTR
日本はプエルトリコ、台湾、オランダを倒し、3連勝で予選リーグ突破。準決勝で開催国・韓国と対戦し、1点リードされた七回に4番・中島が同点本塁打を放ち、八回に2点を追加して逆転勝ちした。決勝の米国戦では二回に日本が先制、しかし四回に3点を奪われ逆転を許す。日本は石井−渡辺−吉田−潮崎−野茂と投手陣をフル稼働させたが、米国の2本塁打を含む11安打の“パワー野球”の前に3−5で敗戦。84年ロス五輪に続く2大会連続の金メダル獲得は果たせなかった。
★早大検討“ベッカムカプセル”導入
早大が“ベッカムカプセル”と呼ばれる『酸素カプセル』の導入に前向きであることが分かった。「自然治癒が一番ですが、必要とあれば考えます。1台500万円くらいしますけど、他の選手も使う頻度を考えれば安いもの」と応武監督。斎藤は初優勝した昨夏の甲子園期間中、疲労回復のためにこのカプセルを使っていたことから「大学でもあったらいいなと思います。自分の口からほしいとはいえませんが…」と話しており、その願いがかなう可能性が出てきた。