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著作権は財産権ではない
私は法律の専門家ではないが、著作権の延長問題やWinnyに関する議論をみていると、賛否いずれの立場にしても、著作権に関する基本的な知識(素人でも持っておくべき知識)が共有されていないように見受けられる。そこで「法と経済学」の立場から、実定法にはこだわらず著作権の基本的な考え方について簡単にメモしておく。
まず確認しておかなければならないのは、著作権法は憲法に定める表現の自由を制限する法律だということである。これはもともと著作権法が検閲のために設けられた法律であることに起因するが、複製を禁止することは出版の自由(freedom of the press)の侵害であり、自然権としては認められないという見解もある。著作権の根拠として創作のインセンティヴという自然権として自明ではない理由があげられるが、これを認めるとしても保護の範囲は最小限にとどめるべきである(森村進『財産権の理論』弘文堂)。
第2に、著作権は財産権ではないということである。「知的財産権」という言葉がよく使われるが、これは特許権など雑多な権利の総称であり、著作権が憲法第29条に定める不可侵の財産権として守られるわけではない。著作権は、譲渡とともに消尽する財産権とは違い、譲渡された人の行為も契約なしで拘束する無制限の複製禁止権である(私のDP参照)。さらに権利を譲渡された人も複製禁止権をもつので、権利者が際限なく増え、一つの対象を多くの所有者がコントロールする「アンチコモンズの悲劇」が生じる。
表現にとって第一義的ではない複製という行為に着目したのは、かつては本を印刷・複製するにはコストがかかり、それを禁止することで著作物の利用をコントロールできたからだが、だれでも容易にデジタル情報を複製できる現在では、これは国民全員の行動を監視しなければ執行不可能であり、制度として効率が悪い。それよりも複製は自由にし、著者には報酬請求権だけを与えることが制度設計としては望ましい(田村善之『著作権法概説』有斐閣)。経済学的にいえば、コントロール権なしでキャッシュフロー権を確保する方法はいくらでもある(Shavell-Ypersele)ので、両者をアンバンドルすることが効率的である。
著作物が以前の著作を引用・編集することで成立する累積的効果も大きいので、複製を禁止するネットの社会的便益は負だという見解もある。この立場からは、狭義の財産権(著作者が情報を1回だけ譲渡する権利)のみを認め、複製禁止権は廃止すべきだということになる(Boldrin-Levine)。現在の無方式主義(権利の登録を必要としない)では、複製を広範に禁止することによる外部不経済を著作者が内部化しないので、登録制度によって著作者にもコストを負担させるべきだという意見もある。また前にも紹介したように、包括ライセンスを導入せよという意見は著作者の側から出始めている。
いずれにせよ、現在の著作権制度が抜本的な見直しを必要としているという意見は専門家に多いが、ベルヌ条約などで国際的に決められているため、「よその国も権利を強化したのだから、横並びで強化することが『文化先進国』の証しだ」といった幼稚な議論が横行しているのが現実だ。三田誠広氏や松本零士氏のいう「遺族の生活」がどうとかいう話は論外である。著作権法は著作者のインセンティヴのための法律であって、遺族の生活保障のためのものではない。そもそも彼らは、どういう資格があって著者の代表のような顔をしているのか。Time誌もいうように、文芸家協会に所属する小説家だけが特権的な著作者であるような時代はとっくに終わったのである。
追記:このほど改正された著作権法について解説するホームページが、文化庁のサイトにできた。IP放送を放送とみなす当たり前の改正に2年もかかり、しかもローカル局の電波利権を守るために「放送対象地域」に限ってIP再送信を認める及び腰の内容だ。文化庁は「ベルヌ条約を踏み出す思い切った改正だ」と自画自賛しているが、そもそも「IP放送は放送ではない」などというバカげた定義をしていたのは日本だけだ。これは文化庁が「自動公衆送信」なる概念で通信と放送を差別した結果である。
追記2:「著作権は財産権である」というTBがついているが、ここで論じているのはこういう解釈論ではなく、著作権の経済的な性格が有体物の財産権とは違うということである。Richard Stallmanも指摘するように、知的財産権という言葉は、自然権として疑わしい特権(privilege)を不可侵の財産権と混同させるために捏造された幻想である。
まず確認しておかなければならないのは、著作権法は憲法に定める表現の自由を制限する法律だということである。これはもともと著作権法が検閲のために設けられた法律であることに起因するが、複製を禁止することは出版の自由(freedom of the press)の侵害であり、自然権としては認められないという見解もある。著作権の根拠として創作のインセンティヴという自然権として自明ではない理由があげられるが、これを認めるとしても保護の範囲は最小限にとどめるべきである(森村進『財産権の理論』弘文堂)。
第2に、著作権は財産権ではないということである。「知的財産権」という言葉がよく使われるが、これは特許権など雑多な権利の総称であり、著作権が憲法第29条に定める不可侵の財産権として守られるわけではない。著作権は、譲渡とともに消尽する財産権とは違い、譲渡された人の行為も契約なしで拘束する無制限の複製禁止権である(私のDP参照)。さらに権利を譲渡された人も複製禁止権をもつので、権利者が際限なく増え、一つの対象を多くの所有者がコントロールする「アンチコモンズの悲劇」が生じる。
表現にとって第一義的ではない複製という行為に着目したのは、かつては本を印刷・複製するにはコストがかかり、それを禁止することで著作物の利用をコントロールできたからだが、だれでも容易にデジタル情報を複製できる現在では、これは国民全員の行動を監視しなければ執行不可能であり、制度として効率が悪い。それよりも複製は自由にし、著者には報酬請求権だけを与えることが制度設計としては望ましい(田村善之『著作権法概説』有斐閣)。経済学的にいえば、コントロール権なしでキャッシュフロー権を確保する方法はいくらでもある(Shavell-Ypersele)ので、両者をアンバンドルすることが効率的である。
著作物が以前の著作を引用・編集することで成立する累積的効果も大きいので、複製を禁止するネットの社会的便益は負だという見解もある。この立場からは、狭義の財産権(著作者が情報を1回だけ譲渡する権利)のみを認め、複製禁止権は廃止すべきだということになる(Boldrin-Levine)。現在の無方式主義(権利の登録を必要としない)では、複製を広範に禁止することによる外部不経済を著作者が内部化しないので、登録制度によって著作者にもコストを負担させるべきだという意見もある。また前にも紹介したように、包括ライセンスを導入せよという意見は著作者の側から出始めている。
いずれにせよ、現在の著作権制度が抜本的な見直しを必要としているという意見は専門家に多いが、ベルヌ条約などで国際的に決められているため、「よその国も権利を強化したのだから、横並びで強化することが『文化先進国』の証しだ」といった幼稚な議論が横行しているのが現実だ。三田誠広氏や松本零士氏のいう「遺族の生活」がどうとかいう話は論外である。著作権法は著作者のインセンティヴのための法律であって、遺族の生活保障のためのものではない。そもそも彼らは、どういう資格があって著者の代表のような顔をしているのか。Time誌もいうように、文芸家協会に所属する小説家だけが特権的な著作者であるような時代はとっくに終わったのである。
追記:このほど改正された著作権法について解説するホームページが、文化庁のサイトにできた。IP放送を放送とみなす当たり前の改正に2年もかかり、しかもローカル局の電波利権を守るために「放送対象地域」に限ってIP再送信を認める及び腰の内容だ。文化庁は「ベルヌ条約を踏み出す思い切った改正だ」と自画自賛しているが、そもそも「IP放送は放送ではない」などというバカげた定義をしていたのは日本だけだ。これは文化庁が「自動公衆送信」なる概念で通信と放送を差別した結果である。
追記2:「著作権は財産権である」というTBがついているが、ここで論じているのはこういう解釈論ではなく、著作権の経済的な性格が有体物の財産権とは違うということである。Richard Stallmanも指摘するように、知的財産権という言葉は、自然権として疑わしい特権(privilege)を不可侵の財産権と混同させるために捏造された幻想である。
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確認ですけれど、この場合の譲渡とは著作権(copyright)そのものの譲渡ではなく、本など(copy)の金銭を介した譲渡という意味、つまり本などを買った人のことですよね。普通にざああと読むと著作権そのものの譲渡と読めてしまいます。
> コントロール権なしでキャッシュフロー権を確保する方法
これができれば問題ないと思うのですが(※2)、インターネット上でコントロール権を持たないということは世界を相手にキャッシュフロー権の確保が必要な気がします。つまり、“よその国も横並びで”仕組みを変えないといけない=アメリカも中国も含めた多くの国が批准するような国際条約を作らないといけない気がするのですが、いかがでしょうか(※2)。これは、かなりハードルが高いのではないかというのが“個人的な感想”です。
※1 著作者が、作品の質や人気に比例した報酬を得られるなら。
※2「Shavell-Ypersele」の斜め読みではわかりませんでしたので、「ちゃんと読めばわかる」ということであれば、そのことだけご指摘くださればけっこうです(弱腰)。
http://www.economist.com/opinion/displayStory.cfm?story_id=1547223
って何だろうと思って、めずらしく読んで見ると、別の記事にさしかわっているのか、登録制度と関係ないみたい?
「デジタルで簡単につくれるようになり、インセンティブも少なくてよくなったので、より少ないコピーライトで十分だ。しかし、インセンティブを与えるために、より制限されたコピーライトは法的強制力のあるものであるべきだろう。多くのサイバー活動家はいやがるだろうが、消費者の利益のためだ」とか書いている。
--
著作権延長派の構成
はじめまして。日頃からこのブログを愛読させてもらっております。
著作権延長派は二種類の人間で構成されているように思えます。
一つには著作権ビジネスの権益を維持・拡大したい人達。
もう一つは「われわれの仕事は他の仕事より格別に価値ある
ものである」と考える幼稚な自尊心を持っている人達です。
以下、ITmedia の記事からの引用です。
--------------------------------------------------------------------
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/12/news063_2.html
作家の遺族は著作権法で保護されるが、そば屋・うどん屋の遺族を
守ってくれる『そば屋法』や『うどん屋法』はない(中村さん)
零士さんはこの意見に対して「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。
作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」と反論した。
--------------------------------------------------------------------
上の記事から松本零士氏は、品質の向上に励む心あるそば屋さんや
うどん屋さんに不愉快な思いをさせる可能性を考慮しながら意見を
述べることのできない幼稚な人間だということが、はっきり分かります。
著作権ビジネスの権益者は、こういう心の幼稚な著作者の
歪んだ自尊心に付け込んで権益を拡大させるための運動を
させているのでしょう。
松本先生は初心を忘れてしまったのだろうなぁと寂しく思います。
>普通にざああと読むと著作権そのものの譲渡と読めてしまいます
それでいいんじゃないですか?作者が出版社なり、レコード会社に著作権を譲渡しても複製の禁止や人格権の保護を訴える事ができる。っていうアンチコモンズの悲劇の引き金になるシステムのことをおっしゃってるのではないですか。
著作物なんて二次利用されてこそ活きるものなのに、彼は自分のすべての作品が過去の著作物を二次利用していない自分自身のオリジナルであると強弁し、未来永劫不変のまま残すように強制しているかのようです。愚かなことです。
本論と関係無いですが、腹に据えかねるところがあるので、書かせていただきました。
大家扱いされていますが、ずいぶん前から人気作家とは言い難く、過去の遺産で商売している状態です。
著作権の強化を主張しているのは現役のクリエイターではなく、こういう人たちなのでしょう。
以前このブログでも議論・コメントがあり、財産権や人格権の話まで出ていましたが、法律というものは、基本的には生存する人間を対象として考えることが大原則であるべきではないでしょうか?
(例外もあるでしょうが・・・)
著作権は著作者自身が本来所有する権利であり、遺族は著作者ではないのだから、議論のスタートがそもそも間違っていると思います。過去に、遺族に対して権利を認めてしまっているから、後戻りはできなジレンマがあります。
著作権者の死後について、私は権利フリーで良いと思います。むしろ著作者の死後に最も大切にしなければならないのは、著作者のidentityとその著作物の関係を明確にし尊重し継承していく精神だと思っています。
池田さんにお聞きしたいのですが、
巷では、「(v4)IPマルチキャストによる地上波同時再放送」とよく言っていますが、「(v4)IPマルチキャスト」という根拠はどこにあるのでしょうか。
確かに、今行うのであれば、結局はそれが技術的に最も合理的、となるのでしょうが、そのような現場レベルの仕様まで法令で規定してしまうのは、技術の進歩を妨げる行為であります。
ここで聞く内容ではないかもしれませんが、ほかに適切な場所が見つからなかったので、できれば、法令上の根拠を教えていただけると。
個人的には、ある一定の条件(県境を越えない、など)を満たせば、どんな方式でもOK、とすべきだと思いますし、それも、法律ではなく政令等で定め、柔軟に条件を変更していくべきだと思いますし、さらに言えば、実は、世間が勘違いしているだけで、今回の法改正はそのような内容なのではないでしょうか。「IPマルチキャスト」との文言が法律の条文には見つからないのですが。
「だって、条文に書いてあるだもん!」
って言う主張は小学生が「先生がダメって言ってたんだもん!」というのとレベルが変わらない。
ここでが言うのは、学校のルールにたとえると「校則で決まってたら、こんなアホなことにも従う必要があるわけ?」っていう提案なのに。
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