長野聖火リレー乱入のあのチベット人を独占直撃
「中国の人たちのダライ・ラマ法王への悪口だけは我慢できなかった」
2008年6月20日(金)0時0分配信 SAPIO
掲載: SAPIO 2008年6月11日号
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――北京オリンピックについてはどう思いますか。
地震の被災者を1人でも多く救う方がオリンピックより大事なのではないでしょうか。中国政府はチベットに害を与えていますが、中国の人々には同じ人間として幸せになってほしいと思います。
――家族について教えてください。
1959年のチベット動乱の際、私の兄3人が殺されました。捕虜になった父親も死刑宣告を受けていましたが、その前日に脱走しました。父と母はお寺に入っていた幼い兄を連れ、昼間はどこかに隠れ、夜になると走ってというふうにしてネパールに逃げました。その後、インドに渡ったのです。私はインドで生まれましたが、両親は現地の言葉もわからない状態で私たちを育ててくれました。
父は5年ほど前に亡くなりましたが、いまは姉が1人、妹が2人います。アメリカ、ドイツ、インドにいます。ドイツに行ったときには、妹と久々に会うことができました。また、台湾には妻がいます。妻もチベット人ですが、私の活動についてはよく理解し、信頼してくれています。
――チベットについてはどう教わりましたか。
チベット語も仏教も両親から学びました。父からは、「チベットは宗教のある国で、宗教のある国には慈悲がある。その慈悲は公平に分かち合われるものだから、平和で幸せだった」と聞きました。父の世代は「必ずチベットに戻ろう」「チベットを取り戻そう」と思っていたんです。「自分たちの夢をつないでいってほしい」と言っていました。その言葉を思い出すと、私は自分を制御できなくなってしまうんです。
――今後の活動はいかがですか。
チベット独立は私ひとりの力ではできません。でも私が頑張ることによって、また次の世代が頑張ってくれることでしょう。私は私ができることをやるしかないんです。
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