システィーナ礼拝堂 祭壇画「最後の審判」抜け殻 at ローマバチカン 070328
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今日は、システィーナ礼拝堂 祭壇画「最後の審判」に描かれた
ミケランジェロの抜け殻にスポットを当ててみたいと思います。
画面左側には天国へ導かれる者、右側には地獄へ堕ちる者が描かれています。
地獄に堕ちる者の中には、
イタリア戦争での許すまじ戦犯(実在人物)に見立てて描かれた者もいるといいます。
そしてまた、この絵の中にはミケランジェロの自画像が描かれていまする。
画面中部やや右にある、皮だけの抜け殻となった男がミケランジェロである。
抜け殻の自画像については諸説あるようで、今日はそれに触れてみたいと思います。
戦争に敗れフィレンツェから亡命してきた自分を恥じ自らを悪魔に皮を剥がれた人間に描いているとも、自らの波乱の人生に対する万感の思いが込められているとも言われています。
「なぜ自らを抜け殻に描いたのか」はとても大事なことの様に思えます。
ここで当時のミケランジェロに思いを馳せてみましょう。
ミケランジェロの苦悩は深いだろう。
教会のあり方を批判しつつも、これまで多くの仕事を教会によって与えられ、
その仕事によって名声や富を得てきたのだ。
ミケランジェロのこれまでの出世と名声はメディチ家やローマ教会によってこそ成り立つのだ。
天井画制作以後のミケランジェロの23年はこうだ。
フィレンツェの戦い(フィレンツェ共和国vsメディチ家・神聖ローマ連合侵攻軍)では
フィレンツェ共和国指揮官として
かつて恩のあるメディチ家に弓を引いたもののろくに何も出来ず、そして破れた。
同士が罪を問われ処刑される中、
ミケランジェロはメディチ家礼拝堂の彫刻を制作することで罪を許されてきた。
この戦いによりフィレンツェはメディチ家の専制君主状態となった。
そしてその後祖国フィレンツェを逃れるようにローマにやってきている。
そんな自分を恥じるミケランジェロ・・・その苦悩は計り知れない。
そんな思いからミケランジェロは
自らを悪魔に皮を剥がれた抜け殻として描いているというのがおよそ一般的な定説です。
明日は僕の勝手な想像の自説を書いてみようかと思います。
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システィーナ礼拝堂 祭壇画「最後の審判」続き at ローマバチカン
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昨日に引き続き、システィーナ礼拝堂の祭壇画
ミケランジェロ作「最後の審判」のご紹介をいたします。
今日の写真は、イエス近辺の重要人物エリアに焦点を当てた写真です。
イエスの左隣にたたずむ女性が、聖母マリア。
右側へ5人目がイエスの一番弟子のペトロ(=ピエトロ)、サンピエトロ大聖堂の初代教皇です。
鍵を持っています。
右下へ2人目の生皮がミケランジェロ自らを描いたものだと言われています。
今日はこの絵の制作背景についてご紹介してみます。
システィーナ礼拝堂天井画制作から23年後。
ミケランジェロのもとに今度はシスティーナ礼拝堂内最重要である
祭壇側壁画の制作依頼が舞い込みました。
時代は宗教改革の嵐が吹き荒れるまっただなか。
かねてからミケランジェロの才能に敬服していたパウロ3世が、
人々に神の偉大さ、感銘を与えるような祭壇画を作ってもらいたいと
ミケランジェロをフィレンツェから呼び出したのです。
ミケランジェロはカトリック権威復活の悲願をこめて、
新約聖書の「人類終焉」の物語を題材にとりました。
「最後の審判」とは、地上最後のときにイエスが再臨し行う裁きのこと。
天使のラッパで全ての生者と生者がイエスの前に集められ、
それまでの行いにより天国に行くか地獄に堕ちるかが裁かれる。
これでシスティーナ礼拝堂には、
天井には「旧約聖書」、祭壇には「新約聖書」が
ミケランジェロによって描かれることになる。
天井画「創世記」 =この世の始まり
祭壇画「最後の審判」=この世の終わり
つまり、システィーナ礼拝堂は、この世の始まりと終わりの部屋なのです。
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システィーナ礼拝堂 最後の審判 at ローマバチカン 070323
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ミケランジェロが33才〜37才にかけて作成した
天井画「創世記」についてご紹介をしてきましたが、
今日からは
60才〜64才にかけて作成した
祭壇画「最後の審判」についてご紹介をします。
この絵には391もの人物が描かれ、そのほとんどが裸体です。
「人間は神の姿に似せて作られたものであり、
この世界で真に美しくまた真実を語るものは裸体である」
というミケランジェロの言葉がここに込められています。
(キリスト教では肉体は汚れたものと考えられていた当時、
ミケランジェロのこの考えは非常に革新的なものなのです。
神だけでなく人間にも美を見出すというルネサンス精神に満ちた考え方であったのです。)
古代彫刻の世界にも通じるダイナミックな肉体美の結集。
神への救いを求める人間の真実をとらえた異様なまでの表現。
筋肉の塊のような体が、ねじ曲がり絡み合うドラマ。
感情むき出しの表情。
ミケランジェロは人体解剖により人体のメカニズムを知っていたため、
描き出す肉体に迫力と美を宿らせることが出来たのである。
そしてこの感情むき出しの表情は中世絵画にはなかったもので、
これこそまさにルネサンスなのです。
画面左側には天国へ導かれる者、右側には地獄へ堕ちる者が描かれています。
地獄に堕ちる者の中には、イタリア戦争での許すまじ戦犯(実在人物)
に見立てて描かれた者もいるという。
また、この絵の中にはミケランジェロの自画像が描かれています。
画面中部やや右にある、皮だけの抜け殻となった男がミケランジェロである。
妙に印象的でした。
抜け殻の自画像については諸説あるようですが、今日はこの辺で。
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システィーナ礼拝堂 天井画周辺の絵 at ローマバチカン
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天井画の9つの創世記の物語の周りにもミケランジェロにより
いくつもの絵が描かれています。
それらの絵を紹介します。
天井画の中でも最も若い女性の絵が、「デルフィの巫女」(7枚目の写真)です。
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システィーナ礼拝堂 天井画 続き at ローマバチカン 070311


本日も引き続き、システィーナ礼拝堂の天井画「創世記」
のミケランジェロ制作秘話の数々をご紹介していきます。
この天井画の制作はミケランジェロにとって苦難の連続となった。
高さ18mに大きな足場を組み、
天井すれすれで体をねじ曲げ仰向けに寝るという不自由な姿勢で、
したたり落ちる顔料(絵の具)にまみれながら天井に絵を描いたのだ。
この体勢がいかにきついかを13年かけてこの天井画の修復作業を行った男が語っている。
それがいかにきついか、
腕を頭上に数分かざし続けるだけでも、ちょっとマネすればすぐわかる。
そのことからミケランジェロは人並みはずれた肉体の持ち主だったに違いない、と彼は言う。
「天井画を描くミケランジェロ」という彫刻が作られてもいいくらいだ。
さらにはミケランジェロはフィレンツェから連れてきた助手5人をすぐにも解雇してしまったため、
ミケランジェロ1人での作業となってしまったのである。
芸術に命を賭けるミケランジェロは助手の駄作に妥協するくらいならと、
苦悩の独力作業5年間を選んだのである。
たった1人でテニスコート3面分という広さの天井に、
壮大な旧約聖書の物語を描いたのである。
文字通り自らの命を削りながら、
システィーナ礼拝堂天井に永遠の命を吹き込み続けたのである。
ユリウス2世は毎日のようにミケランジェロの脇につき、
なだめすかし、叱り、脅し、くじけそうになるミケランジェロを励まし、
ときには杖で殴るようなことまでしながら仕事の進行具合をチェックしていたという。
仕上げを急がせるユリウス2世は「出来上がるのはいつになるのだ」と問いつめる。
それに対する巨匠の答えは「私自身が作品に満足したときです」
「出来るときには出来上がりますってば」
・・・前者は苦難続きの作業の中とは思えない妥協を許さないミケランジェロらしい答えで、
後者の教皇を教皇とも思わないその答えはユリウス2世の怒りに火を注いだらしいが。
そんなこんなでミケランジェロとユリウス二世の間には常に火花が絶えなかったのである。
さて、ミケランジェロがユリウス2世をどのように思っていたのか。
それはこの天井画を見るとわかる。
天井画の登場人物の1人はユリウス2世がモチーフと言われるが、
その絵から明らかにユリウス2世への敬意が見て取れるのである。
結果4年半(休みはほぼなかったという)の年月を経て天井画は完成した。
37才になっていたミケランジェロは、
無理な姿勢を続けたため体はよじれ、精根尽き果て老人のようだったという。
苦心の末に完成した仕事は、得意の彫刻に値するほど完璧な出来であった。
天井画「創世記」は500年後の今なお輝く永遠の命となった。
躍動感溢れる人物像に触れた当時の人々は呆然となり言葉を失ったという。
そしてユリウス2世は天井画完成の偉業達成からからわずか4ヶ月ほどで世を去った。
言うなら、このシスティーナ礼拝堂の天井画がユリウス2世の墓碑だったのである。
さて、ミケランジェロがイヤイヤながらも教皇から
システィーナ礼拝堂の天井画の制作依頼を受けたのは、
絵画でのNo.1の称号を受けたも同然である。
絵画No.1を自負していたレオナルド・ダ・ビンチにはショックだったらしい。
後に詳しく述べますが、
フィレンツェでは大富豪にして大権力者のメディチ家、
ローマでは教皇の庇護を受けたミケランジェロと違い、
レオナルドは、メディチ家にも教皇にも嫌われ、
フィレンツェ・ローマでの活躍の場を失っていたのです。
なので、晩年のレオナルドはフランスへと亡命してしまい、
あの名画「モナリザ」はイタリアではなくフランスパリの
ルーブル美術館所蔵となっているのです。
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