2008-02-14
小論文試験を受けるみんなに、確実な情報をプレゼント。バレンタインだから。
入試問題というのは漏洩するものです。
これは実話なんですが、さる国立大学の教授は、センター試験作成に関わっていました。そういうことは大っぴらにしちゃいけないことになってるんですが、問題制作にあたっての苦労話をしてました。なんでも、理想とすべき平均点があって、ちょうどいいくらいの難易度の問題を高校の教科書に準拠して作らなきゃいけない。だからたいへんだそうです。これ、「ここだけの話なんですが」ということでした。その話を、僕はある大手通信社記者の方から「これはここだけの話ですが」ということで聞きました。というわけでこれはこのブログだけの話です。
これは漏洩事件じゃないです。でも、システムっていうのはどういうものかということを物語るエピソードではあると思います。原発は絶対に安全だけど危険です。それと同じで、入試問題は極秘だけど漏れることもあるんです。
前振りが長くなりました。これから大学入試を受ける人に伝えたいことがあってこのエントリーを書いています。小論文の試験がある人向けです。ぜひ下の記事を読んでください。
「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。 (赤木智弘)
入試問題はもう完成しています。で、ズバリ今年はこれが出ると思います。
小論文試験で大切なことって何でしょうか?
問いに答えること? 論理的な構成を組むこと? 誤字脱字をなるべく少なくすること? 適切な具体例を入れること? キラリと光る個性を出すこと?
答えは、大学によって違います。それは出題傾向や予備校講師の分析を参考にしてください。
でも、どの大学を受けても一番大事なことは決まっています。
時間内に字数を埋めるということです。
でもこれが結構たいへんですよね? 特に長い課題文がある場合、読んでるだけで「終了!」と言われることがあります。
だから、課題文を試験場で初めて見るのと自宅でコーヒーを飲みながら落ち着いて読んでおくのでは、天と地の違いがあります。
というわけで、上のリンク先をプリントアウトしておいて損はないと思います。
どんなことを書くべきなのか?
これは当日になってみないとわかりません。ただ文章が良いかどうかじゃなくて、問いに答えているかどうかということが評価されるからです。たぶん。そういうケースが多いと思います。
ただしいくつか覚えておいて損はないキーワードがあります。
まず、<承認>です。<尊厳>でもOKです。
ああ、この人は承認を必要としているんだな、承認してあげようよ。
って、普通の人間関係で言ったとしたら最大の侮辱になります。けれども不思議なもので、こういう特定の層を対象にする場合は、言ってもいいことになってます。
承認のスゴイところは、無限だということです。たとえばこの課題文の筆者にバレンタインのプレゼントで何かあげるとしたら、お金です。で、他人にお金をあげると自分のお金が減ります。でも、承認の場合はそんな心配はいりません。タダです。無尽蔵かつ平等に分配することができます。全く自己変革なくして、善人の気分を味わい、正義を語ることができます。
次に覚えておいてもらいたいキーワードは、<機会の平等>です。まず、字数が限られている小論文では、<平等>がいいものだ、ってくらいは前提にしちゃって全然OKです。ただし、論文試験では異論への配慮が評価されます。そこで、たとえば平等というのは実現するのが困難であるかもしれない、ということを認めてしまうのです。で、<機会の平等>を提示する。これも<承認>と同じくらいお手軽です。現在の不平等をそのまま温存しつつ、なんだか公正な社会になったかのような演出が可能になります。
最後に、もっと内面的なポイントをテーマにするという手もあります。どのような状況にあるのであれ、戦争を選ぶのは人間の<自由>です。たとえば最近、レイプの被害者の行動や服装を非難するというスゴイ言説が出てますね。こういう感情の前提になっているのが、「男性神話」と呼ばれているものです。つまり、男性は性的な対象に本能的・動物的に行動してしまうのであって、それは理性のコントロールがきかない。だからたとえばレイプという悲劇の責任は、むしろそれを招いた被害者の側にあるのだ、というわけです。
赤木さんは最後にこう書いてますね。
社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。
しかし、それでも、と思う。
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
つまり、やさしさをもつ理性的な赤木と、暴走しだしたら止まらない赤木ジュニアがいるわけです。では最終的に戦争が選ばれるとして、その責任は誰にあるのか? ジュニアを誘惑した「格差社会」にあるのか? それともそれは「理性的な赤木」が選択したことであるのか? つまりこの文章の筆者は自由であるのか、どうか?
そういう切り口もありうると思います(ちなみにこういうテーマについて考えるためにサルトルの入門書とかを読むと最適なんですが、小論文では絶対に「サルトル」という言葉は出さないでください。サルトル独自の用語も厳禁です。これを「人文系KY第一条」と言います。小論文試験は思想調査ではありませんが、超えてはいけない一線があるのです)。
ただし、これはブログでは書かないでください。赤木さんの「真意」がわかっていない冷酷なインテリと言われてしまいます。
え? 何が「確実な情報」なのかって? この赤木智弘の文章が小論文試験で課題文になりそうな気がする。なんとなく。そう僕が思ってます。それは確実です。
ところで実はまだ読んでないんですが、「男性神話」についてはたぶん↓の本が詳しいと思います。
でもこういうのはマンガの方がわかりやすいです。レイプ魔の自己欺瞞を描いた作品として、↓をお薦めします。