ここから本文エリア たった1人、選手待つ2008年07月03日
>1< 栗橋 マネージャー伝統守る 声と笑顔を絶やさない栗橋の選手の後ろで、マネジャーの中島亜砂美さん(3年)はスコアをつけていた。6月21日、栗橋にとって2回目の練習試合があった。上尾沼南・上尾鷹の台の合同チームに1―9で敗れたが「勝ったみたいな気分」と笑顔を見せた。 というのも、4月まで選手は0人だったからだ。マネジャー1人で守り抜き、試合ができるまでになった。「中島がいなければ、今はない」と増田圭司監督は振り返る。 ◇ ◇ ◇ 昨夏の大会は12人の選手がいた。しかし、3年生5人が引退すると、1人、また1人と去っていった。経済的理由でアルバイトをしないといけない者、退学した者――、理由は様々だった。9月には現在2年生で主将の杉山廉人君と中島さんの2人だけに。 練習では中島さんがノックを打ち、増田監督が一塁手。「野球が好きだったし、春には新入生が来ると信じていた」と杉山君は言う。11月、折原和也君(現・2年)と巻島裕君(同)が「もう一度野球がしたい」と戻ってきた。 しかし、春を前に、杉山君に迷いが生まれた。小学1年からピアノを習い、将来は音楽の道を考えていたからだ。戻ってきた2人はアルバイトなどで休みがちで「進学に全力を注いだ方がいいのではないか」と、退部を決めた。杉山君が練習に来なくなると、2人も退部を希望した。 中島さん、増田監督と選手3人が教室に集まって何度も話し合ったが、3人の気持ちは変えられなかった。 中島さんは1人になった。 教室からの帰り、廊下を歩きながら、監督に言った。「1人になっても、私のことをよろしくお願いします」。先輩たちがつくってきた部の伝統を守りたい。その一心だった。 小学生のとき、ソフトボール選手だった。野球が大好きで、栗橋に入ると迷わず野球部へ。でも、グラウンドにはもう、練習する選手はいない。中島さんと増田監督は毎日、学校から駅までの道のごみ拾いを繰り返した。聖望学園が準優勝した春の選抜大会は、職員室のテレビでスコアをつける練習をした。 「この先試合ができるようになるのかな」。家に帰っても、不安になって泣いた。「桜が咲く頃には、新入生がくる」という監督の言葉を信じるしかなかった。 ◇ ◇ ◇ 新年度になった。新入生へのクラブ紹介で、中島さんは1人で体育館の舞台に立った。「私しかいません。ぜひ、お願いします」と頭を下げた。 1年生の副担任になった増田監督も、経験者を中心に声をかけて回り、5人の1年生が入部した。マネジャーも2人増えた。軟式野球の経験がある2年生の石渡啓太君も、カヌー部から転部してきた。 杉山君は、ずっと悩んでいた。ふと、下校前にグラウンドへ立ち寄ると、一生懸命練習する1年生たちがいた。「やっぱり野球が好きだ」。戻りたいと、監督に伝えた。 折原君と巻島君も、遊んでも気持ちが中ぶらりんだった。2人は「今度こそちゃんとやります」と中島さんに頼んだ。中島さんは「信じるしかない」と受け入れた。選手は9人になった。夏前には、さらに1人増えた。 先月14日、念願の初試合では白岡に44点を取られて大敗。しかし、選手たちは練習の後も、暗くなるまで残って素振りをしたり、杉山君に頼んでノックを打ってもらったりするようになった。今では道具の片づけ、グラウンド整備も、率先して行っている。 「やっとチームになってきたかな」。中島さんは選手を見ながら話した。「自分だけ引退したくない。もっとこのチームでやりたい」。あと1年遅く生まれていたら、とさえ思う。 一塁を守る杉山君は、肩に痛みを感じるが、夏の大会には出ると決めている。「マネジャーの最後の夏だから。支えてくれた感謝の気持ちをプレーで見せたい」 <部員不足> 朝日新聞社が5月に加盟校を対象に行ったアンケートによると、部員数が選手資格登録が可能な20人に満たない学校は35校にのぼった。一方、70人以上の学校は26校あり、うち7校は100人を超える。 ◇ マイタウン埼玉
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