ったく、詩人とは付き合いにくい
テーマ:ブログわたしのブログとの関わりあいは、ウヨコメントをからかうところから始まったのは再三書いたとおり。
ハムニダ薫さんのところなどで、延々、kyusedaiさんなどという人とやり取りをするので、他人のコメント欄でわーわーやる機会が多い。
考えてみれば、人様のコメント欄で他の人のコメントをどんどん奥に押しやるのだからお邪魔なことです。
ネットウヨコメントばかりでなく、言い出して何か言われるとと言い返したくなるのは、自分本位だと反省。
最近では dr.stoneflyさんのエントリー で、ごんさんとバトル。
お邪魔なので、こっちで戦闘継続。
詳細は、もとのエントリーを見ていただくとして、
>でも自分のブログをきれいさっぱり消し去ってしまえるほどの絶望の深さを誰も言及しないのな。たかがブログだからか。
何回も削除ボタンを押すことを躊躇った自分のことを言っただけです。あたしはこうだよと。
(ごん)
というところまでで、こっちへ移ることにしました。
では口喧嘩の続き。
>自分のことを言っただけです。
そうかい。そんなら、そうわかるように書けばいいのに。
世の中の人は、誰もがごんさんの自分語りを前提にしてものを読んだりしません。
わたしならこう書きます。
このエントリーと、前のエントリー についたコメントを読んでも、誰もブログをやめようとする時に、どんな思いがするのかには言及しないんだな。
自分がブログをやめようと思ったとき、何回も削除ボタンを押すことを躊躇いながら、でも自分のブログをきれいさっぱり消し去ったほうがいいとも思った。その時、それほどに自分の絶望は深かった。
自分の経験から言えば、ブログをやめるには重い決断がいる。仕事が忙しくて、もうブログどころではない境遇になっても、放置すればすむことだけど、今まで自分の書いたエントリーを消し、つけてくれたコメントを消すのは、ボタン一つ押す動作ではあっても一つの世界を閉じる行為だ。
こう書けばいいでしょ。やたら散文的だけどあたしは詩人じゃない。
だいたい、絶望なんて言葉を気やすく使うというのが、言葉に対して不誠実な態度なんだ。
使ったからには意の通じるように書くこと。
「自分のブログをきれいさっぱり消し去ってしまえるほどの絶望の深さ」を誰も言及しないって、ごんさんの絶望に誰かは言及するかと思っていたというのは、ちょっと自己陶酔なんじゃない?
これだから芸術家は困るよ。
■言葉もございません
あたしの気持ち、言及してくれて、あんがと。教授どのに救われるの、これで何回目かな。
似非詩人とは付き合いにくいし、自己陶酔芸術家は困る。
あたし自身が一番それを感じているのかもね。ちょっと、重くなってたから、それを脱ぎたかった。そのこととあわせて重ね重ねありがと。
それから、ひどい言葉を投げかけてごめんなさい。