この裁判を通じて在日がどういう存在であるか? その本当の姿が白日の下に晒らされる事を願っております。
※ 画像では分かりづらいのですが、この名刺では名前の読みが「ソ・ムンビョン」になっています。これに関して、東亜細亜問題研究会の小池氏より「ムンビョン」ではなく「ムンピョン」が正しい読みではないか?
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ここまでがこの記事の引用じゃ。
この桜井誠のブログは「Doronpaの独り言
」は俺と同じアメブロで、
政治・経済ランクで、トップ5以内を長年維持しているようじゃのう。
これから、桜井は怒論破かドロンパと呼ぼう。
ま、それはさておき、「上の画像をご覧の通り一体これは何処の国の名刺か? と一瞬考えてしまうハングル名刺など渡されたら疑念を抱くのは当然のことです。まして朝鮮半島と緊張感が高まっている現在、朝鮮名が大きく書かれた名刺などをいきなり渡されて不愉快になることも当たり前であると考えます。」とあるが、
この事件そのものは著しく名誉を毀損しているかどうか、「日本人」の顧客が「在日社員」に2時間も説教して、「在日社員」の名誉や心を傷つけたか、どうか法廷で争われなきゃならないのう。
そこでは訴えられた「日本人」の顧客の言い分も反映され、それこそ「法のもとで公平」に裁かれなきゃならんのぅ。
しかし、ドロンパは「一体これは何処の国の名刺か? と一瞬考えてしまうハングル名刺など渡されたら疑念を抱くのは当然のこと」と言っているが、じゃ英語の名刺なら問題なかったのかのぅ?
一応、日本の経済は国際化しているなかで、社員が外国人であることはしばしばよくあることじゃ。
まして、終戦間もないころの日本には「在日朝鮮人や台湾人」が多く住んでおったそうじゃ。そして、アメリカ兵も多くいたのだろうよ。
戦後日本において純粋な日本人だけで戦後日本が建て直され、「純粋な日本人」だけで経済活動をして、復興を成し遂げたと思っているんじゃないかのう。
とにかく、ぐろーばるな経済時代にそんなに怒るとは・・・
たぶん名刺を出した社員が青い目で金髪の欧米人だったら、どうなったのだろうぁのぅ。おそらく、そう2時間も説教しなかっただろうし、ドロンパもニュースになっても気にも留めなかっただろうのぅ。
それは欧米人に対するコンプレックスだけでなく、勝手なだぶるすたんだーどの<寛容>の基準があるようじゃ。
それはまさしく、「ナショナル・アイデンテイテイ」の現われじゃのぅ。
つまり、「日本」という「空間」において「日本人」だけが、「主体的な管理者」として、ヘゲモニーを握れるという考えは国際社会の一員である日本ではもはや妄想でしかないんじゃ。
「まして朝鮮半島と緊張感が高まっている現在、朝鮮名が大きく書かれた名刺などをいきなり渡されて不愉快になることも当たり前であると考えます。」
このドロンパの「当たり前」という言い分は欲望の主体としての「日本人」は排他的であり、差別的であるということを見せつけているようじゃのう。
また、ガッサン・ハージという社会学者が「ホワイト・ネーション」においてオーストラリアのネオリベの多文化主義を批判する文脈で「ナショナル・アイデンテイテイ」についてこんなことを言っているようじゃ。
「<寛容の閾>を措定するナショナルな空間の管理人の<寛容の閾>とは他者(移民とか)を空間的に統治することを目的にした統治カテゴリーであり、その閾を越えた場合、不寛容(差別、排除)になることが許容された」と、
つまり「ナショナル・愛デンテイテイ」の傲慢さを指摘しているようじゃのぅ。
そして、ハージは「ナショナリストの<寛容>の実践をする人々とは依然として<排除>の実践を行う人々でもあり、<排除>と<包摂>の実践の差異は<寛容の閾>の差異でしかない」と、つまり、ナショナリストの<排除>の実践は、ナショナルな空間から他者を排除する能力を強調し、ナショナリストの寛容の実践とは他者に価値付与をして、寛容が可能な特定の場所に他者を押し込め、位置づけ可能な能力を強調するものでしかなく、
日本人が今まで「在日」について<寛容>さも、「在特会」のような堪忍袋の緒が切れたような、ヒステリックなバッシングも最初から「在日」など管理・監視の対象でしかなく、北朝鮮、共和国の「拉致問題」「核」「ミサイル演習」など日本の「ナショナル・アイデンテイテイ」の<寛容>さを超えると徹底して<排除>の実践を行っているしかないようじゃ。
恐ろしいのぅ。なしょなるあいでんていていというやつは。
俺ら「在日」もそれぞれ「国籍」があるし、へたしたら「なしょなるな空間の管理者」としてのなしょなる・アイデンテイテイを自ら、積極的に獲得することは考えものだのぅ。あー「朝鮮籍」つーのは日本と国交がないから、無国籍みたいじゃの。
困ったもんじゃ。ただ「在日」は「移民・半難民」だからこそ、民族性を強調できるかもしれない。まだ、なしょなるな空間が国家の圧倒的な暴力の上で成立してないからのぅ。
難しいのぅ。ただ、ナショナル・アイデンテイテイが知らず知らず他者を傷つけていることだけは、覚えてねーと、
人の道に反れるよのぅ。そんなことはあっちゃいかんからのぅ。
俺が人の道に反れるようなことがあれば、義理人情もねーただの
「不逞な輩」になってしまうからよ。きぃつけネーとよ。
これに対してこの在日社員は「一個人に国家の責任を負わせるとは・・・」という趣旨の発言をしていますが、在日は朝鮮半島の人間であり、究極的に朝鮮半島の国家が行う悪行に対して責任を求められるのは当然であり嫌なら日本から出て行けば宜しいのです。日本は在日に頼んで日本にいてもらっている訳ではなく、在日は自分の都合で勝手に日本に棲みついているだけである事を認識するべきです。
この裁判を通じて在日がどういう存在であるか? その本当の姿が白日の下に晒らされる事を願っております。
この部分に対しては、この社員が、「在日」でもどこの国籍かという問題もあるおのぅ。もし韓国だったら拉致を話題にしたらなんかズレてるかも知れんし、あと国家的犯罪に対しての「責任」とはやはり国家が責任を取るべきで、その国の籍を持つということは国家に責任を果たすよう求める責任であって、直接、日本人に謝るのもいいけど、
その前になんとか日本人に示して欲しい態度つーもんも「在日」の胸のうちにはあるわけで、まーここらへんの議論は東大の高橋哲哉せんせいの「戦後責任論」つーのがいいのぅ。
国家犯罪・戦争に対する、「国民」の責任とはなにか。それは脱主体的な形としてあらわれるべきと議論するんじゃが、
その責任を果たすこともその国にいかに守られて、いかに助けられたかという「立場」っちゅうのも重要になるんじゃよ。
しかし、ドロンパは論理が飛んでるのぅ。(責任)を果たしたくないなら、日本から出て行けばよろしいって、ただ嫌いだから出ていけという意見表明でしかないのぅ。
まぁそれくらい言える、「在日」が嫌いになる理由があるんだろうよのぅ。
これからも分析していかないといけんのぅ。
最後にどーでもいいけど、俺からしてみればこの事件の「在日」の
社員えらいのぅ。2時間もドロンパみたいなやつに説教されてのかのぅ。俺だったら、「おんどりゃ表に出ろや!!」とタイマン申し込んで、ボッコボコのぶっころするとこだってのによぅ。
やはり、男は拳と背中で語らなければならないときもあんじゃよ。
お前らにはまだ早いかも知れんがのぅ。
時代遅れと言われても、しかたないんじゃよ。そういう生き方しかできねー不器用な人間なもんでぇ・・・