武力行使を伴う国際協力と憲法の関係
(財)DRC研究参事
長 谷 川 孝 一
まえがき
2001.9.11の米国大規模テロ発生に伴う対テロ特別措置法の成立(同年11月)により、日本は武力行使を目的とする外国軍隊への協力(武力行使を除く)を実施することとなった。この法律は今回のテロに限定して適用されるものではあるが、これから先日本が国際の平和維持・回復に、武力の行使を含めて積極的に協力しないわけにはいかなくなることは目に見えている。その場合武力の行使と憲法の関係が最大の問題であるので、これまでの論議を復習しつつ、いろいろな考え方について検討を加えてみたい。
1.
序論
(1)集団的自衛権と武力行使
「集団的自衛権の行使」には武力を伴わない諸活動が含まれる場合もあるが、本論文はその定義を論ずるのではなく、日本国憲法が武力の行使を許さないとする政府の解釈との関連を取り上げるものであるので、以下「集団的自衛権の行使」と言う場合は武力の行使又は威嚇を指すことを先ず確認しておきたい。
(2)報道「日本は集団的自衛権を行使した」
2002年2月初旬、一部のテレビ及び新聞が「日本は、実際上は対テロ特措法の下で、集団的自衛権を行使した」との見解が生まれたことを伝えた。その一つである産経新聞(02.2.5朝刊)は「後方支援は集団的自衛権行使」の見出しの下、次のように報じている。
財団法人「平和/安全保障研究所」と米大西洋評議会は四日、都内で開かれた公開フォーラムで21世紀の日米同盟のあり方に関する政策提言を発表し、この中で自衛隊の米軍への後方支援について日本は集団的自衛権を行使したとの見解を示した。 / 具体的には「日本が集団的自衛権をいつ行使するかを明らかにする必要はなく、ただ日本が集団的自衛権を行使しうるかどうかを明らかにしさえすればよい」と論じている。 / 更に説明部分では「日本の作戦の範囲は極東以遠の兵站支援を含み、米国だけでなく、英国などの他の提携国にまで拡大した」と総括したうえで「兵站支援はすでに集団的自衛権の不可分の一部をなしていると議論することもでき、日本は、実際上は対テロ特措法の下で、集団的自衛権を行使した」とした。( / は段落を示す)
このフォーラムの主題は「日米安全保障関係の新たなフロンティア」であり、集団的自衛権に焦点を当てたものではないので上の記事をこまかな議論の対象とするにはいささか問題がないわけではないが、集団的自衛権と憲法の関係を正確に理解する上では良い材料であるので取り上げる。
先ずこのフォーラムが、武力行使を伴わない兵站支援を初めから集団的自衛権の行使に含めるという認識で出発しているのであれば、行使はそのとおりで何のニュース性もない。
次に対テロ特措法に基づく自衛隊のインド洋における活動が、アメリカやイギリスの武力行使と一体となっていて日本による武力の行使同然であったという認識を示すのであれば、その事実について立法時の国会論議に立ち返って議論する余地はあろう。しかし武力行使を行ったとの事実の指摘なしに、集団的自衛権の行使が既成事実化したかのような報道は的が外れている。
(3)「集団的自衛権」という用語
日本国憲法には個別的自衛権とか集団的自衛権という用語は用いられていない。国際平和を維持若しくは回復するために、日本の国際的協力を議論する場合、必ず憲法との関係が問題になるが、それは「武力の行使」についてであって「集団的自衛権」という言葉ではない。国連憲章に出現したこの用語にこだわり過ぎた結果が、前項のような焦点の定まらないいびつな報道若しくは認識を生むこととなっている。武力の行使を伴う国際協力について議論する際、集団的自衛権という用語にとらわれ過ぎて、互いに微妙な意味の違いを放置したまま混乱に陥ることが多いので、以下の論はつとめて集団的自衛権という用語を介しないで憲法との関わりをダイレクトに見ながら進めて行き、最後で集団的自衛権という用語から解き放たれた立論の健全さにも触れることとしたい。誤解を招かないために断っておくが、本論はあくまで武力行使を伴う国際協力に関するものである。
2.政府の考え方について
(1)政府の統一見解
日本国憲法は自衛権(集団的自衛権を含む)の行使を、国際紛争を解決する手段としての戦争以外では禁じていないとする解釈から、国連軍又は多国籍軍への参加は可能とする意見が有力となって来つつあるが、政府はその考え方に同意していない。
国際協力と武力行使についての政府の考え方は1990年10月26日、衆議院国連特別委員会における中山外務大臣が示した次の答弁によく表れている。
[いわゆる国連軍への平和協力隊の参加と協力についての政府統一見解]
a.いわゆる「国連軍」に対する関与のあり方としては、「参加」と「協力」とが考えられる。
b. 1980年10月28日付政府答弁書にいう「参加」とは、当該「国連軍」司令官の指揮下に入り、その一員として行動することを意味し、平和協力隊が当該「国連軍」に参加することは、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うのであれば、自衛隊が当該「国連軍」に参加する場合と同様、自衛のための必用最小限度の範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。
c. これに対し、「協力」とは、「国連軍」に対する右の参加を含む広い意味での関与形態を示すものであり、当該「国連軍」の組織の外にあって行う「参加」に至らない各種の支援を含むと解される。
d. 右の参加に至らない「協力」については、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであっても、それがすべて許されないわけではなく、当該「国連軍」の武力行使と一体となるようなものは憲法上許されないが、当該「国連軍」の武力行使と一体とならないようなものは憲法上許されると解される。
(2)国際協力に関する立法の状況
湾岸戦争がきっかけで、政府は90.10.16、臨時国会において、国連が行う決議を受けて行われる国連平和維持活動やその他の活動(多国籍軍を含む)への人的な協力を行うことを可能とすべく、「国際連合平和協力法案」(国連平和協力法案)を提出したが、審議は紛糾し、野党から武力行使を目的・任務とする多国籍軍に対する協力は、たとえ後方支援であっても武力行使と一体となる可能性がある等の反対論が展開され、結局、有効な反論がなされないまま同法案は廃案となった。ここでの最大の争点は、当該活動が憲法9条に抵触する武力行使であるかどうかであった。
そこで政府は、人的協力の範囲を武力行使と関係ない国連平和維持活動(PKO)に限定することとし、92年に「国際平和協力法」(PKO法)を成立させた。同法はその第2条の2で「国際平和協力業務の実施等は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」としている。
01.9.11の米国大規模テロ発生に伴い、政府はその対応策として「テロ対策特別措置法」を国会に提出し、同年11月にこれが成立した。同法が憲法との関連で「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」(第2条の2)と規定しているのはPKO法と同じであるが、この法律が、国連安保理が脅威と認定した今回のテロに限定して適用されるものであるとは言え、武力の行使を任務とする外国軍隊への協力を否定していないところにその特徴がある。国際連合平和協力法案の審議過程での、武力行使を任務とする軍隊への後方支援協力は、武力行使と一体となる可能性があるから問題だとする疑問は、本法案の成立により、一体でないものも存在すると公式に認められたことにより払拭されたと見てよい。これは前項に示した政府見解d項と軌を一にするものである。
(3)武力行使を伴う国際協力は憲法違反
政府は、憲法9条は基本的には武力の行使を禁じていると解し、許されるのは自衛権の発動としての武力の行使のみであり、それは、@わが国に対する急迫不正の侵害があること、Aこれを排除するために他の適当な手段がないこと、B必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という三要件に該当する場合に限られる(60.9.27衆議院における答弁書)としている。
国際間の協力においてもこれが政府の考え方の基本となっており、自衛権の発動に該当しない武力行使を伴う活動をことごとく否定する一方、武力行使に当たらない活動は是認している。
3.小沢氏の考え方について
(1)自民党小沢調査会の提言
91年6月に、自民党総裁の諮問に基づき小沢一郎幹事長(当時)を長として発足した「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」(通称小沢調査会)は日本の国際貢献のあり方、責任分担のあり方等に関し、92年2月に調査会としての答申案を取りまとめた。そのポイントはおおむね次のとおりである。
第1に日本国憲法は、前文において国際協調主義を明確に規定しており、将来憲章第42、43条に基づく国連軍が創設された場合には、現行の日本国憲法の枠内においても自衛隊等による人的な協力は可能である。その場合、国連の集団安全保障は集団的自衛権と混同されやすいため、国連を中心とする安全保障の考え方を「国際的安全保障」と呼び、その下での実力の行使は、国際紛争解決の手段としての戦争・武力行使ではないので、憲法に違反しない。第2に、湾岸の多国籍軍等の国連憲章に規定のない安保理決議に基づく武力行使については、憲法の許す範囲を超えるものであるため、差し当たり資金面、物資面での協力に加え、実力行使を伴わない人的な協力を進める。第3に、PKOについては、PKF(平和維持隊)も含め積極的に参加する。
第1の点をいま少し詳述すると次のようになっている。
国際的安全保障のうち、そもそも実力行使を目的としている国連軍に対し参加することや、多国籍軍・正規国連軍に対して協力することは、日本国憲法第9条に抵触するのではないか、とする意見がある。
しかし国際的安全保障は、日本国憲法前文に掲げられた積極的・能動的平和主義の理念をまさに具現化したものと考えられる。
これまでの政府解釈においては、憲法第9条では自衛の為の必要最小限度の実力行使は許しているが、それ以外の実力行使は憲法の禁止する武力の行使に当り、許されないと解されている。こうしたこれまでの解釈と、憲法前文に示された積極的・能動的平和主義の理念との関係を如何に考えるべきであろうか。
憲法前文に示された積極的・能動的平和主義の理念に照らしてみると、国際協調の下で行われる国際平和の維持・回復のための実力行使は否定すべきものとは考えられない。憲法第9条の条文解釈としても、国際協調の下で行われる国際平和の維持・回復のための実力行使が禁止されているとは考えられない。
すなわち憲法第9条においては、まず憲法前文の精神に沿って「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すると宣言しており、その宣言を受けて、わが国として、自己の利益のために世界の平和秩序を破壊するような戦争・武力行使を放棄している。
国際平和の維持・回復のために国連が行う実力行使に日本が参加・協力することは「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」する日本国民にとって当然のことであり、まさに憲法第9条の精神に沿ったものである。
そして、そのような国連の実力行使に対し日本が参加したとしても、それは国連の行動の一環であって、もはや日本国の主権発動の性格を有しないものであり、憲法第9条の放棄した戦争・武力行使とは全く異質のものと考えられる。
これまでの政府解釈は、国際平和をどのように維持・回復するかについて国際的に十分な合意がなく、それへの日本の協力が求められておらず、日本自身そうした協力を行う力がなかった時代の産物であり、もはや妥当性を失っていると考えられる。
(2)有事法制関連法案における自由党提案
小沢調査会での考え方は自民党から分裂した新生党、更には新進党、自由党へと繋がったと考えられるが、この間小沢氏は「日本改造計画」(講談社1993)において、憲法第9条に新たな第3項を加え、国連の指揮下で活動するための国連待機軍を保有することを提案し、この待機軍は完全に日本政府の指揮権を離れ、国連事務総長の指揮下に置かれるため、万が一戦闘に巻き込まれた場合であっても、日本の国権の発動としての武力行使に当たらないため合憲としている。
小泉内閣になって危機管理問題が取り上げられ、政府提案の有事関連法案が初めて国会で審議されるなか、自由党は02.5.23、対案として安全保障基本法案と非常事態対処基本法案を衆議院に提出した。同党は安全保障基本法案において、自衛権の発動としての武力行使を明記したうえで、防衛庁に「国連平和協力隊」を設置し、国連平和維持軍(PKF)本隊業務への参加など、国連の要請に基づく平和維持活動への積極的な参加を規定するとともに日米安全保障条約に基づく米国との緊密な防衛協力を行うことを明確にしている。
小沢氏は日本改造計画における主張の全部を今回の提案に載せてはいないが、国連平和協力隊構想にその特徴を示している。要するに、現憲法下で国連に対し武力行使を伴う軍事協力ができるとしているところが、政府の考え方と著しく異なっている。
4.山崎拓氏の考え方について
自民党幹事長山崎拓氏はかねてから国連軍または多国籍軍への参加は憲法を改正した上で実施すべしと主張しているが、氏は「憲法改正」(生産性出版01.5.3)の中で次のように述べている。(以下「 」内に部分抜粋、 / は段落)
2001年1月第3週に米国訪問の際リチャード・アーミテージ氏に、日本は集団的自衛権の行使が必要と思うがそれが可能かと問われた。「私は即答できなかった。今の日本で、これを可能と即答できる政治家はいない。この問いかけに真摯に答えようとすると、これまでの日本の安保・防衛政策を変えなければならない。その前提として憲法を改正し、自衛権があることを明記するしかない。集団的自衛権は、当然のことながら自衛権に含まれている。」一方、「国連は発足にあたり、憲章上は自前の国連軍を使って紛争に対処することを表明した。国連自身による国際警察的な活動である。しかし、現実には今もって自前の国連軍を持つことができていないし、将来も難しいと予測される。 / そうなると、国連決議に基づくものとはいえ、湾岸戦争の際の多国籍軍が行ったような平和回復のための集団的行動は、国連自前の集団的措置とは言いがたい。こうした行動は、むしろ国連加盟国全体の集団的自衛権の発動と考えたほうがわかりやすいのではないか。 / つまり、日本も憲法上、集団的自衛権の行使を認めれば、国連加盟国の自衛のために派遣される限り、国連安保理事会の決議に基づく多国籍軍への参加が容認されることになる。」/ これらを可能とするため憲法を改正する必要があるが、その具体案としては「まず、憲法第9条第2項の条文は削除すべきだ。そして第一に…(省略)…、第二に、自衛のため、及び国際平和の実現に協力するため、日本は軍事力を持つことを明記する。第三に…(省略)…」 / 「第2項においては、国際平和の実現に協力するためという目的を明記する。日本が何もしなければ戦争に巻き込まれることはなく、平和が確保されるはずだという無自覚な国際認識を脱却して、一国平和主義に安住することなく、平和を創造するために、国際社会の中で日本が積極的に貢献することを明らかにしたい。」
要するに山崎氏の考えは、日本は憲法を改正しない限り武力行使を伴う国際協力はできないということである。
5.武力行使を伴う国際協力と憲法の関係
集団的自衛権に焦点を当てた議論は昨年の年報に取り上げたので、武力行使を伴う国際協力と憲法の関係に絞り、上記3つの考え方を中心に野党各党の考え方等を交えて検討する。
(1)
憲法の解釈
現行憲法は集団的自衛権の行使を禁じていない、政府解釈の方がおかしいので、それを改めれば武力行使を伴う国際協力は可能、後は個々の政策判断の問題だ、とする意見は学者、政治家、評論家等の間でかなり有力である。その代表格である佐瀬教授は最近の著書「集団的自衛権」(PHP新書2001.5.29)で政府見解(法制局の考え方)に対しいろいろな方向から検討を加え、それが如何に間違いであるかを指摘している。しかしながら政府の考え方が、憲法は基本的には戦力の保持を認めていないと言う立場に立っていることへの理解が深刻でないため、これを論破するまでに至っていない。佐瀬氏をはじめ集団的自衛権合憲論の立場に立つ人々は、政府が憲法上集団的自衛権の行使は否認するが個別的自衛権の行使は認めていると解しているようだが、それは間違いだ。政府は諸外国で認められているのと同じ個別的自衛権を全部認めているわけではない。その行使については制限付でしか認めていないのだ[本稿2-(3)及び昨年の年報参照]。そのことは佐瀬氏の著書144ページにある次の引用例(衆議院法務委員会1981.6.3角田礼次郎法制局長官答弁の引用)にも現われている。
「……個別的自衛権は持っているけれども、しかし、実際にそれを行使するに当たっては、非常に幅が狭いと言うことをご了解願えると思います。 / ところが、集団的自衛権につきましては、全然行使できないわけでございますから、ゼロでございます。……したがって……持っていようと持っていまいと同じだということを申し上げたつもりでございます。(斜線は改行個所)」(アンダーラインは長谷川、以下同じ)
これは、集団的自衛権は持っていようと持っていまいと同じだとの角田長官の発言を問題視して引用されたものであるが、たまたまここには政府が個別的自衛権でさえ制限されていると認識していることが如実に示されている。佐瀬氏は同144ページで、集団的自衛権に関する政府見解(衆議院稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書)を指して、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲」を「超える」から行使不可なのだといった、持って回った表現を駆使するのではなく、単刀直入に「自国防衛」でさえ制約下にあり、「他国防衛」はまったく不可なのだと「答弁書」そのもので明言してほしかった、と述べているのだから、このことをこそもっと重視して論破を試みて欲しかった。これは現行憲法下での戦力保有の可否を問う基本論なのだ。集団的自衛権合憲論者の多くが、武力の行使を、国連憲章に言う個別的自衛権と集団的自衛権の二つの固定した型に嵌め込んで議論しようとするために起きる重大な誤謬と言える。
政治の世界ではこれまでに集団的自衛権合憲論者が幾度か入閣した事例があるが、憲法が集団的自衛権の行使を認めないとする内閣法制局の考え方を修正させた人は一人もいない。そして閣外に出てからはむしろその声を小さくしているのが実態だ。それは責任ある立場に立ってみて法制局の論理を論破する自信を失ったせいではないかと疑いたくなる。只一人、中曽根元総理だけは別で、マスコミに現われる機会が多いせいかその声をますます大きくしているように見受けられる。しかし、在任中に法制局に対し再検討ぐらい指示できた筈だが、それがなぜ成果を上げられなかったかの説明もなしに、ただ「法制局は法匪だ」(雑誌「正論」2002年6月号)などと発言する姿には感心できない。
小沢氏の考え方は、正規国連軍への参加は国権の発動ではないから憲法に抵触しないとするもので、多国籍軍への武力行使を伴う協力については明言を避けている。氏の考え方は集団的自衛権合憲論者同様、憲法解釈の一つの立場ではあるが、政府の武力行使を伴う国連軍参加は「必要最小限を超える」から違憲とする考え方を、理論的に排除し得ていない。
山崎氏の考え方は、現行憲法の解釈については政府と同じであり、将来武力行使を伴う国際協力が必用との立場から憲法9条の改正を主張するのは、理路整然としていて理解しやすい。
(2)野党の考え方について
民主党は、その安全保障基本政策(1991.6.24)において、憲章第42、43条による国連軍の活動を積極的に評価し、将来日本も参加すべきである。但し現行憲法で可能かどうかについては今後十分に検討されるべきであるとしている。また多国籍軍についても積極的に参加すべきであるとの意見があるとし、参加する場合憲法9条がこれを許容していないこと及び集団的自衛権の行使(武力行使)を憲法の解釈変更により行うべきではないという立場から、憲法の改正を視野に入れている。
公明党は第3回全国大会(2000.11.4)において集団的自衛権の行使に関する解釈改憲に反対、国連容認の多国籍軍でも、それへの参加は慎重であるべきとしている。
共産党は第22回党大会決議(2001.11.4)で、自衛隊の存在は憲法9条違反であることを明言して、武力行使を伴う国際協力などもってのほかという姿勢である。
自由党の考え方については先に小沢氏の考え方として述べたとおりであり、現実性に乏しい国連軍についての態度は明瞭だが、多国籍軍についてはあいまいである。
社民党は2001年11月の党大会において、「土井たか子」名による平和・安全保障構想の中で、村山政権下での自衛隊・安保容認を再転換し、平和憲法の実行、国際紛争の平和的解決、非軍事による国際間の協力等を打ち出し、武力行使を伴う国際協力は絶対に阻止するとしている。
以上を総合すると、武力行使を伴う国際協力を肯定する又は否定しない可能性を有する党は、自民、保守の2与党の他に民主、自由の2党がある(公明党は与党ながら否定派)。
(3)結論
以上を総合すると現行憲法の下では武力行使を伴う国際協力は不可とする政府見解は極めてガードが固く、これを理論的に崩すと言うのは至難の業と見受けられる。一方現実問題として、武力行使を伴う国際協力が必用だとする考え方は主要政党の間では受け入れられる方向にある。とすれば答えは憲法改正にしか求められないのではないか。日米間の軍事協力と集団的自衛権の問題の解決が喫緊の課題だと主張する向きもあるが、これについては昨年の年報に述べたとおり、当分の間米国の誤解を解いて理解を得られる具体的な方法がある。現憲法調査会の審議を活発化させ、時間を掛けても自衛権の行使に疑問の湧かない憲法に改めることが最も賢明な方法だと思われる。
あとがき
昨年の年報で、集団的自衛権に関する憲法解釈を変更しないと日米関係にひびが入るという巷間の意見に対し反論したが、今回は、21世紀、日本は国際協力において武力行使を伴う協力からも逃れるわけにはいかないという立場から、最大の問題である憲法との関係を復習しつつ検討を加えてみた。集団的自衛権という用語を介さず、憲法の条文と武力の行使との関係をダイレクトにみていけば、この問題は比較的単純に理解でき、やはり憲法改正なくしては片付きそうにないことが分る。憲法の条文に、日本が国際的に認められた自衛権(もちろん集団的自衛権をふくむ)を行使できることを明確に示すことが必要だ。
参考文献
1.「憲法改正の争点」渡辺治編著 旬報社 2002.3.25
2.「憲法改正」山崎拓 生産性出版 2001.5.3
3.「戦後政治にゆれた憲法9条」中村明 中央経済社 1996.3.1
4.「新国連論」神余隆博 大阪大学出版会 1995.8.1
5.「集団的自衛権」佐瀬昌盛 PHP新書 2001.5.29