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観音寺イベント その4 [2007-11-30 20:03 by azch]
観音寺イベント その3 [2007-11-29 21:49 by azch] 観音寺イベント その2 [2007-11-28 21:27 by azch] 2007観音寺城イベント その1 [2007-11-27 21:15 by azch] 安土ブランド特産品 [2007-11-18 21:52 by azch] 循環リサイクル・菜の花プロジェクト [2007-11-13 16:31 by azch] 西の湖しゅんせつ工事見学会 [2007-11-12 20:50 by azch] ふれあい秋まつり その2 [2007-11-07 13:44 by azch] ふるさとふれあい秋まつり その1 [2007-11-05 23:30 by azch] 安土城跡発掘調査現地説明会 [2007-11-03 16:55 by azch]
第17回観音寺城イベント 07年11月25日
創刊号 安土・ 城下町あれこれ <タイトル:江南洋 文化財専門委員> 編集・発行 安土町教育委員会 1 1 月2 5 日(日)に観音寺城イベントの一環として第2回観音寺城フォーラムが石寺楽座会館で開催されます。これをきっかけにこれから「安土の城下町あれこれ」を紹介していきます。 観音寺城への道 第1回観音寺城フォーラムの「パネルディスカッション」 <「観音寺城フォ-ラム」のねらい> 来るべき観音寺城跡とその城下町石寺の整備に向けた考え方や方策を、地元住民の方々と共に検討しようと昨年平成18年度から始めました。 今回も前回と同様に5名のパネラ-(講師)に出席をいただき、「文化財の保存と活用」という視点から「国を含めての財政逼迫の中、行政の支援に頼らないで石寺がさらに元気になるような方法」を参加者も含めて意見交換をします。「石寺はこうありたい」「石寺がこうあって欲しい」というような考えに、「こうすれば」という具体的な方策を加えた議論が期待されます。 <「石寺楽市」(楽市会館)> イベント当日の楽市[昨年] 我国で最初に開かれた「石寺新市」にちなんで催されます。新鮮な地元野菜や石寺の梅干をはじめ、地域特有のレンコンなど数々の石寺特産品が販売されます。 安土町商工会も加わって、ポップコ-ンやみたらし団子、西の湖に生えた葭の新芽を使ったヨシ餅などの安土の特産も味わえます。また新米の餅ごめを使った「つきたて餅」の即売も行われます。こちらは飛び入り参加が自由ですので、臼と杵での餅つき体験ができます。 -ワンポイント歴史検定- <石寺の「イノバンバ」ってなに?> 観音正寺参道(本坂)を少し山手へたどると、家並みに囲まれて割に広い水田と畑が見渡すことができる。よく見れば段差の部分には石垣が築かれている。 ここは地元で「イノバンバ」と称され、佐々木六角氏の下御用屋敷と「犬の馬場」であったことが判ってきた。中世の武家にあっては放たれた犬を敵に見立て、これを馬に乗った武士が弓で射るという「犬追物」が武芸鍛錬として盛んに催されていた。イノバンバは犬追物のために設けられた練習場である。佐々木六角氏は「佐々木流馬術」と「犬追物」の作法を伝授してきた家であった。 イノバンバの石垣 <悲哀伝説の「お茶子地蔵」> 繖山(観音寺山)の南斜面に、観音正寺への参道(本谷)をはじめ8つの谷を石寺は持っている。その一つにお茶小谷があるが、これには悲しい伝説が地元に伝えられている。観音寺山の麓に住む豪族の娘であったお茶子は美しく才智に長けた娘であった。観音寺城の城主に側室として召され寵愛を受けたが、正室達の嫉妬から、とある小さな谷の牢に閉じこめられてしまった。食事も与えられず、無数のヘビを投げ込まれるなどお茶子は非業の最期を遂げた。以後、その谷には夜 な夜なお茶子の忍び泣きが聞こえ、山中を亡霊がさまよったという。人々はいつしかこの小さな谷を「お茶子谷」と呼び、この谷の頂上に地蔵尊を祀ってお茶子の霊を慰めたという。 <観音寺城下町石寺と楽市楽座> 戦国時代の佐々木六角氏は繖山の頂きに観音寺城を築き、麓の石寺に城下町を設けた。城下町石寺は「御屋形」(今の天満宮)を頂点としてその南側斜面下に開かれていたようで、ここには領主佐々木六角氏の家臣達が居住していた。この頃の武士は一部の者を除いて大部分が商人(職人)であり農民であり職人でもあったことから、戦時には欠かせない食料、武器、弾薬などの調達のため城山の麓に集めておく必要があった。 つまりこれが城下町石寺である。「石寺新市」は自由な物の売り買いが佐々木六角氏のもとに行えた全国で初めての楽市楽座であった。また、この石寺新市からあがる税は佐々木六角氏の重要な収入源でもあったことが推測される。 最新ニュース<楽市会館の「壁絵」と「お茶席」> 石寺の名所を描いた「壁絵」が楽市会館の外壁に新しくお目見えしました。これは区民をはじめ来訪者に石寺の良さを知ってもらおうと前石寺区長木瀬和男さんが発案され、「安土絵画クラブ」の女性3名が地元のためにと6ヶ月の期間をかけて描いたものです。 また、当日は、楽座会館内では遠州流の皆さんの協力の下でお茶席が設けられます。遠州流は小堀遠州に端をもつ流派で、石寺に所在する教林坊の庭園が小堀遠州作と地元に伝えられています。併せて錦城流の詩吟も披露されます。お茶席と詩吟のコラボレ-ションを楽しみながら、ゆったりとしたひとときを過ごすのもいいかも知れません。
観音寺城イベントの関係事業として、25日当日に
◆安土町産業振興課主催の「じゃがいもオーナー制度」 ◆安土町観光ボランティアガイド協会主催のJRハイキング「紅葉の観音寺城跡と隠里教林坊」 1週間前の11月17日(日)には、滋賀県城郭調査研究所主催にて史跡案内「史跡観音寺城跡を縦断する」が実施されました。 当日は快晴にめぐまれ、県内外から90名の参加者があり、繖山を縦断するというハードな行程でしたが、秋の観音寺城跡を十分堪能されていました。 詳しくは、「淡海の城」友の会(滋賀県安土城郭調査研究所)HPをご覧ください。 http://ouminoshiro.hp.infoseek.co.jp/
11月25日(日)観音寺城イベント 開催
本年も従来とおり地元石寺自治会主催にて、安土町教育委員会・商工会・観光ネットワーク会議・観光協会等の参加にて開催されました。 観音寺城フォーラム 「観音寺城跡の保存や活用探るフォーラム」として、第2回開催 滋賀県安土城郭調査研究所の見解 「石寺は近江守護六角氏の城下町で、史上初めて楽市が実施された場所として知られ、守護支配の拠点として中世近江の中核となった。安土は織田信長が天下統一の拠点として大城郭を築いた場所。安土といえば城のことばかりクローズアップされるが、城下町もまた日本の都市史の画期となった都市として有名。八幡は羽柴秀吉の甥羽柴秀次が居城を築いた場所。信長の後を継いで天下統一事業を成し遂げた秀吉が、近江支配の拠点とした」と各城下町を紹介し、「整然と区画された町の景観は、日本の中世から近世への移行期を考える上で、欠くことのできない、後の近世城下町につながる都市の原型」と称している。 京都新聞記事 滋賀県安土町石寺の楽座会館で25日、地元に残る国の史跡観音寺城跡の保存、活用を探る「観音寺城フォーラム」が開かれた。 各団体にて ◆観音正寺日吉山王採燈大護摩供養(楽市横・観音正寺駐車場)10:00~12:00 ◆遠州流お茶席(楽市会館内・生け花展)10:00~15:00 ◆史跡・探訪 (教林坊~景清道) 10:00~13:00 ◆詩吟錦城流 13:30~ ◆フォーラム 観音寺城と石寺の町づくり 楽座会館2階 13:00~16:00 ◆商工会もミニ楽市を設営、石寺楽市として参加しました(地元特産品・野菜・蓮根・つきたておもち販売)10:00~16:00 関連イベントとして ◆じゃがいも収穫祭(東老蘇じゃがいもオーナーの集い) ◆JRふれあいハイキング(紅葉のきぬがさ山から隠里、教林坊)ボランティアガイド協会 例年以上の新しい企画もあり、懸案の「秋の老蘇観音寺イベント」に向け、今後各種団体との検討をしていきます。
2007年 佐々木六角氏 観音寺城イベント 11月23日&25日開催
23日午前 町教育委員会と石寺前区長等にて石寺地区の名所を集めた「壁絵ふる里八景」の除幕式が実施されました。 観光協会HPより 安土町石寺の風景を描いた壁画、縦180センチ、横450センチが完成しました。 完成の間近の壁画、蓮根の産地でもあることから中央右に蓮池も描かれている 京都新聞記事 「石寺八景」を壁絵に 安土で除幕式、地元女性3人が描く
安土ブランドの特産品登場
「ヨシベーめん」と「南蛮カステラ」 西の湖ヨシ田産コシヒカリで =豊葦原会が商品化し販売開始= 滋賀報知新聞 記事 安土町にまた新しい特産品が誕生した。その名も「安土西の湖 ヨシベーめん」と「安土信長南蛮カステラ」。先日文芸の郷で開催されたふるさとふれあい秋まつりの会場で発表試食販売が行われ、町民や参加者の高い関心を集めた。
安土城跡大手口前 菜の花栽培植付
菜の花プロジェクトスタート 11月11日 観光協会HPより 町と住民が一体となって安土のまちづくりを進める「安土町まちづくり協議会」では資源循環型社会と癒しの景観を形成することを目的に組織化された菜の花プロジェクトでは9月29日に安土城大手前の農地、5アールに種まきからスタートしましたが 、11月11日には隣接する13アールにボランティアの方々をはじめ協賛各団体により苗を植え付けました。 滋賀報知新聞 記事 安土山から景観とまちづくり 菜の花プロジェクト発進 安土城大手口(発掘で発見された西虎口1及び西虎口2付近の農地) 来春にはこの付近、黄色一色に(安土城大手口) 駐車場周囲は竹のプランターに管理者を記載して設置 今年も大人気の安土城お堀めぐりのスタート地点、安土城大手橋周辺
西の湖しゅんせつ工事2007年度見学会
11月10日滋賀県が策定した「マザーレイク21計画(琵琶湖総合保全整備計画)」に基づき、ヨシ群落など豊かな自然に恵まれた「西の湖」の水質改善、および良好な水環境創出のために、湖底に堆積した泥を除去する「しゅんせつ工事」の見学会が開催されました。 9時30分に西の湖畔の会場に集合、県東近江地域振興局より西の湖しゅんせつの説明と、水環境自治協議会丹波専務並びに西の湖観光奥田氏より西の湖の水質保全の説明の後、豊浦港のしゅんせつ場所を見学しました。
2007ふるさとふれあい秋まつり 安土楽市
恒例の商工会「安土楽市」は、例年同様40店舗以上の多くが参加され、安土の特産品を中心に大賑わいでした。 女性部恒例の「信長うどん」予約販売1,000食と当日分あわせ、1,200食以上を完売。 商工会商業・工業部会による「唐揚げ・フライドポテト・たこ焼き・フランクフルト・焼き鳥」の模擬店定番シリーズも、役員30名を超える参加で賑わい、昼すぎには完売しました。
ふるさとふれあい秋まつり 文化・収穫・味覚楽しみ
安土町の秋の祭典「ふるさとふれあい秋まつり」(同まつり実行委主催)が、4日文芸の郷周辺で開催されました。 あづち信長出陣太鼓の勇壮な演奏で秋まつりが開幕。ステージではマルチパフォーマンス、緑海舞遊会による沖縄民謡などのほか、当日参加者によるあづち信長出陣太鼓体験、農産物品評会出展品即売会、もちまきなどがにぎやかに繰り広げられました。 子ども広場ではちびっ子たちに人気のふわふわコーナーやバルーンプレゼント、町観光ネットワークコーナーでは安土町ならではの「信長検定」や観光ネットワーク団体による町内観光のPRブースも設置しました。 安土町商工会の「安土楽市」では町内のキラリと光る特産品がずらりと並び販売される。農産物品評会では、地元農家が丹精込めて育てた自慢の農産物や工芸品が勢ぞろい。 3日から4日までは、町文化祭も同時開催され、文芸セミナリヨでは舞台発表や菊花展、あづちマリエートでは各種作品展や体験教室・囲碁将棋大会・お茶会が開かれました。 当日は天候に恵まれ、過去最高の参加者(8,000人)で大いに賑わい、秋の安土収穫イベントとして盛り上がりました。
平成19年度特別史跡安土城跡発掘調査 現地説明会
11月3日午前10時30分より開催されました。 主催者の滋賀県城郭調査研究所の予想をはるかに上回る、300名近い方が参加され、準備した資料が足りなくなるくらいの盛況でした。 毎年は120名ぐらいの参加が普通であり、今回は新たな参加者もあわせ、今回調査中の新しい虎口を中心に熱心に説明会に参加されていました。 滋賀報知新聞記事(11月3日) あるはずのない虎口出現 安土城跡に新たな謎 安土城を防御するための堅固な石垣と城壁が続くと考えられていた場所から、城壁に沿って通るこれまで城外路と考えられていた道とあまり段差のない、出入りしやすい入り口「虎口(こぐち)」が発見された。 安土城郭調査研究所の近藤滋所長は、「そこに入り口があってはこまる所から虎口が出てきた。どこまでが城の内か外かを考え直さなければならない必要を生じる大きな発見」とするとともに、「防御的にもこの虎口を含む石垣が城の南限とは考えにくい。これまで城外路と考えられていた道は城内路の可能性が高く、城の外郭はさらに南側にあったと考えられる」と話している。 新たな虎口は、大手広場から百々橋までの石垣整備工事の実施設計を行い、城下町域からの観光ルート整備に向けて、平成14年度に行った基本調査から調査区域を広げて行っている再調査の過程で、大手門から西に約180メートルの百々橋口との中間地点で発見された。 虎口は幅約4.5メートル。入り口は道からあまり段差がなく、東西の石垣に高低差があることや礎石の規模などから簡単な造りの門があったとみられる。奥に入ったところで一段高くなった踊り場があり、そこから西へ5段分(当初は七段)の階段(幅1.8メートル、奥行き2.7メートル)と北側に並行する同じ勾配のスロープ(幅1.2メートル)も見つかった。階段と門の横には側溝(0.2メートル)をもつ。城下町から百々橋口を通過して城に入る時の再チェック機能をもった施設ではないかと考えられている。 近藤所長は、「堀の内側に城外路をもつ特殊な城ではなく、城の構えとして、大阪城や江戸城などに続く本来的な近世城郭の出発点としての位置づけが確認された」と、今回の発見のもつ意義を強調した。 現地説明会が3日に開催される。午前10時から大手前駐車場で受け付け開始。参加無料。配付資料持参者は当日、県立安土城考古博物館と安土城天主信長の館の入館料が団体割引となる。問い合せは、県安土城郭調査研究所(TEL0748-46-6144)へ。 また、県立安土城考古博物館が、阪大名誉教授で大阪歴史博物館館長の脇田修氏による開館15周年記念講演会「織田信長の時代」を午後1時半から安土町文芸セミナリヨで開催する。定員は、当日先着380人。参加無料。問い合せは、県立安土城考古博物館(TEL0748-46-2424)へ。 滋賀報知新聞 記事 安土城に久々の活気 現地説明会に見学者殺到
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