漢字教育とその将来

石川 忠久

 戦後の漢字教育は、教える漢字の数をなるべく少なくする、と言う方針の下に推移してきたと言ってよい。

その根底には、漢字は非能率的なものであり、前近代的存在である、こんなものを学ぶのに、多くのエネルギーと時間を費やすのは愚の骨頂である、という思想があった。それは世の風潮でもあった。

 その風潮の中から、漢字は一切やめて仮名にしてしまえという「仮名文字論者」、漢字も仮名もやめてローマ字に、という「ローマ字論者」が、雨後の竹の子のごとく現れもした。中国では、毛沢東が「漢字はなくすべきだ」と叫び、日本でもこれを受けて、「漢字は滅びるべき運命にある」と主張する学者が出たりした。

 しかし、漢字はなくならない。大脳生理学の研究などにより、視覚に訴える要素を持つ漢字と、仮名との併用は、世界で最も優れた表記法であることが証明されたり、ワープロやパソコンの普及により、非能率性が解消されたりして、漢字は復権を遂げたのである。仮名文字論者やローマ字論者は、いつの間にか姿を消してしまった。

 さて、復権を遂げてみて改めて振り返ると、戦後の漢字教育のつけが、重くついて廻っていることに気づく。

 一般的に、若い人は字を識らない、表現力に乏しい、といわれる状況が引き起こされ、その波及の結果、古典文化への関心の低下が顕著になっている。例えば、大学の国文科では、漱石や文字鏡番号47268(@47268)外ですら難しいと敬遠され、卒業論文で扱われることが稀になった。戦後生まれの代議士が述懐して言う、「演説の時、戦前派の先輩方は、四字の成句が口を衝いて出てくるが、われわれはそうはいかない、演説の迫力が違う」と。

 このような現象は、当然、人々の読書の量と質にも密接に関わってくる。基礎的な知識の欠如、文献の読解力の衰えは、私の専門とする中国古典文学の分野でも、若手の研究者に蔽い難く現れている。

これは、日本文化の根幹を揺るがす由々しい問題である。決してこのまま手を拱いていてよいことではない。ではどうするのか。半世紀の間に生じた歪みは、半世紀かけて修復するぐらいの心組みで、出来るところから取りかかるしかないであろう。

 ワープロの普及は、漢字を書かなくなるというマイナスを生ずる反面、漢字に親しみ易くなるプラス効果を生じた。
これを活用して、「読む」ことに重点を置いて学ぶべき字の数を増やすようにする。
中国では小学児童に約三千字を教えていることに鑑み、これに近い数まで増やすようにする。
現在は千字弱であるから、約三倍になるが、補助手段として、ルビを活用すればよい。
以前は新聞が総ルビつきであったので、小学児童でも読み親しむことができた。
今日では、技術的な問題はないであろうから、ルビの復活も考慮すべきである。

 漢字に親しみ、漢字の知識を増やし、漢字を学ぶことは大切だという観念を広く植えつけることが肝要である。
そのために、漢字に関する講演会、討論会、漢字教育の研修会などをできるだけ多く開いて、人々に訴えるようにする。
昨今、漢字の能力の検定試験を受ける人が年々激増していると聞く。
パソコンなどの機器の発達、普及も大きな力となる。今こそ、真の「漢字の復権」を成すべき秋である。
衆知を集めてこの問題に取り組み、良き伝統を次代に伝えていかなければならない。

文学博士
日本学術会議会員
斯文会理事長
全国漢文教育学会会長
二松学舎大学大学院教授
文字鏡研究会会長


漢字の重要性とその学習について

石井 勲

 昨年の十一月五日、六日の両日にわたり、新宿の京王プラザホテルで、日・中・韓の三国によつて構成され運営されてゐる国際漢字振興協議會が主催する第三回国際漢字會議が開催された。

 第一回の会は韓国の呼び掛けで、平成三年十一月、ソウルで開催されたが、この会開催の真の狙ひは漢字の重要性を自国民に認識させる事にあつたと聞いた。
共に日本から独立し、同じやうな歩みで発展してゐた韓国と台湾であつたが、最近の十年に、依然と発展を続けてゐる台湾に対して、韓国は逆に低下の傾向にあり、一人当りGNPは台湾の五分の一と大きく差を広げられた。
これは、台湾が漢字を大事にして来たのに対し、韓国が漢字を廃止した事に原因があるのではないか、と考へた事にあるやうである。

 一九八二年、イギリスのリチャード・リン博士が中心になり、日・英・米・仏・西独の先進五か国の学者が協力して子供のIQを調査したところ、日本の子供のIQだけが飛び抜けて高いといふ結果が出た。
以来、欧米の学者たちがその原因の探求に努めた結果、原因は漢字に在ると推定した。

 従来欧米の学者たちは、漢字は原始文字で現代の用を為さぬ文字であると考へ、研究の対象にしなかつた。
所が、この事があつて以来、漢字を研究し、漢字が論理的体系的に構成された文字である事が解り、漢字を学習する事が知能を高めるものと推定するに至つたものである。

 また、世界各国の表記法について効率の調査をしてゐたマサチューセッツ工科大学の報告によれば、「世界で最も効率の好い表記法は日本の漢字かな表記であつた」といふ。
これらの情報が、韓国の漢字見直しに強く働いたものと思はれる。

 所で「文字の学習は就学前の幼児には適しない」といふのが、今の世界の常識である。
だから、公教育で就学前に文字教育を行つてゐる国は一つも無い。然し、これはとんでもない誤つた認識である。

 漢字は「目で視る言葉」である。だから、耳で聴く言葉と全く同じやうに、幼児期に習得させるべきものである、といふのが私の意見である。
私は、昭和四十三年から三十年間にわたり、既に数十万人の幼児にこれを実践して、それが真実である事は証明済みである。然し、誤った先入的固定観念が余りにも強いので、世界中の人々がこの真実に目を背けてゐるのである。

 台湾と断交の直後、日本と台湾の教師の有志が研究と親睦を深める目的で、毎年日華教育研究会を開催し、現在に及んでゐるが、私が日本側の会長を勤めてゐた昭和五十三年から五年間、「漢字教育は幼児期から始めるべきものである」と主張し続けたので、今では日本よりも台湾の方が幼児の漢字教育が盛んである。

「幼児はみんな天才」といふ拙著が「石井博士幼児開発法」といふ書名になつて刊行されたが、これを入手した「北京国際漢字研究會」がこの書を手掛りに北京及びその近在の幼稚園で漢字教育を始めた。

その事は第一回の会で、中国代表の徐徳江氏から聞いたが、その翌年の五月、北京国際漢字研究会の招待で北京に行き、一週間滞在して講演を行ひ、幼稚園を見学した。

そんな事があつて私は北京国際漢字研究会の名誉会長を委嘱されたが、今では約一千の幼稚園で二十万人の幼児が漢字を学習してゐるといふ。

いづれ、「漢字は幼児期に学習させるべきもの」と誰からも認められる日が来る事は間違ひないが、うつかりすると日本がその最後の国になる恐れがある。

 今回の国際漢字会議の基調講演で、私は漢字文化圏諸国における漢字共通化に関する意見として、「康煕字典所載の漢字を以て基準とする事」を提案した。中国や韓国の代表からも概ね賛意が表明され、次回には各国ごとに漢字を具体的に選定して持ち寄ることが決議された。

 かうして、三国間の漢字共通化が成功したら、次には「漢字の国際化」に向けて努力したいと思ふ。
アメリカで、「英語の学習に漢字を使つた方が、アルファベット綴りの今の学習よりも容易であり、効果的である」といふ研究報告が既にある。

日本人は漢字を日本語で読んでゐるのであるが、欧米人も漢字をそれぞれの国語で読めば好いのである。
言語の性質から観て、英米人が漢字を英語で読むことは、日本人が日本語で読むよりも自然であり、且容易に出来ることである。漢字は世界の共通文字として使ふ事の出来る世界で唯一の文字である事は疑ふ余地が無い。

教育学博士、日本漢字教育振興協会会長
国際漢字振興協議会日本代表


漢字の起源を知る意味

水上 静夫

 人類が文字を持つということは、生活経験の知識を記録、蓄積し、過去を反省し、前途への進歩や展開・発展をかちうる、最高最上のパートナー獲得である。
そこでかの有名なアメリカの人類学者・社会学者のモルガンは、その名著『古代社会』の中で、「人類は文字を創作した時点で、すでに文明社会へ突入している」と喝破している。
つまり文字をもつ人間生活こそ、知性人の社会生活なのである。

 ところが現在の世界史の上で、自己の生活経験から記録や保存・活用に供する、「文字」という言語表現技術を考案したという栄誉を担う民族は、僅かに四種の種族に限られている。つまりエジプト人のヒェログリフ、中近東のシュメール人の楔形文字、中央アメリカ・メキシコのインディアンの古族の作った摩耶(マヤ)文字と、さらに中国河北地帯の黄河周辺に起こった、漢民族の「漢字」とである。
そして他の三語が現在すべて死語・廃語という絶滅語になったことに対し、独り漢字のみは同一大地の上で同一民族の手によって、その書体は幾多の変遷があったとしても、あたかも不死鳥のごとく現在も継続使用されている。
そればかりかこの漢字は、将来仮りに言語としての機能を失うとも、書法(道)とか篆刻芸術の分野においては、永遠にその生命を持続するであろうという、真に不思議な生命力を持つ言語であることに注目すべきである。

 この輝かしい功労者は、中国に最初に王朝を樹立した殷民族である。
彼等は大麦や羊などを携えて、恐らく中央アジアから渭河(水)沿いに洛陽平原に東遷した人々の集団である。
その多難の旅路や定住後の生活から、各種の知恵を体得した所産の一つと思える。
彼等はまずそこで漢字構成の先行知識の刻符・文様などを認識した。
洛陽・鄭州から安陽小屯へ遷都、亡国の紀元前一〇六六年より以前、二七三年間に漢字を完全に製作したのである。それは殷金文と甲骨文字とである。

 この時点ですでに文字類は六〜七千字は創作され、字形・字音・字義は整然と確立した。
まず字形は勿論絵画からの発展であるが、扁・旁・冠(頭)・脚や、構・垂・繞の基本形もその形を整え、後の所謂部首法「五四〇部」以上のものをもっている。
次いで字音は音符のあるもの無いものの差はあっても、完全に具備されていて、それによって今日の中国語の基礎語彙が窺える。
それは先行する「無言の歴史時代」の中国人の思考形式まで窺える。
更に字義の成立を理解していくと、実に、中国人のもつ叡智と合理性を深く知ることができる。

 そして通常言う「文字」も本来別種のもので、

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の活用もすでに行われていた。

 これらのものをエジプト文字と比べても、毫も劣っていない。
文字構成で重大ポイントとなるところは形声文字であり、もと絵画から生まれた「文」はそのものの形→象形、あるものを指示する→指事、「字」は二つのものを会わせる→会意で単純であるが、形声は複雑である。

 絵画は本来有限のものであるが、社会事象は無限であり、有限のもので無限のものは表出しきれない。
そこで同音のものを全くもとの意味には無関係で、他の意味に転用することで、これが所謂仮借である。
形声文字の意味は正にこの仮借の利用によって完成し、これが漢字の中の八〜九〇%以上を占めているのである。
エジプト文字中には形声文字の「形」に当る決定詞はあるが、漢字の意符には及ばないと思われる。
また両国語ともに完全に「仮借の原理」を活用しているが、決して漢字のそれは劣ったものではないと固く信じられる。

 この外、その造字や文章表記に当たっては、まことに近代的センスとでも言うべき躍(踊)り字の手法などを用い、それは驚くべき技法で字形を完成させている。
とにかく漢字全般を解明してゆくときは、まことにその勝れた技法とセンスとアイディアには驚かされるのである。

 そこで最後にまことにユニークな造字例を挙げてみよう。
「風」とは気圧の差によって生ずる大気中の空気の流れである。
その自然現象を彼等はいかにして文字化したか。
漢字における「カゼ」の最初の字形は、実は「鳳」字であった。
鳳はもとより想像の瑞鳥で実在するわけはない。
実はあの台風をまず文字化した。
鳥は大空を飛ぶもの、風(@70617)=凡(ハン)は台風の風音の擬声音である。
「ホウ」という大声を発して大空を飛び去る鳥である。
この場合鳥は有害のもの・怪奇のものなどの意をもつ。
ところがこの字を書くに画数が多く繁雑である。
そこでハブとかまむしなど有害・怪奇なものを表わす「虫」字に変えたのである。

 このようにして漢字の発生時の意味を知るとき、われわれは中国人のきわめて勝れた知性や合理性、才気煥発・創造の英知に富む民族性の特色を強く感じるのである。

文学博士、元群馬大学教授
『甲骨金文辞典』(雄山閣)編者


漢字の正確な理解のために― 「JIS漢字」検証結果が訴える、「漢字ブーム」に欠けていたもの―

笹原 宏之

 「漢字ブーム」ということばを最近よく耳にする。
これが指しているものの一つは、古代中国の甲骨文字や篆書体などから考えられた漢字の成り立ちについての説、つまり「字源説」を享受する者の増加である。
ある漢字がなぜその字体をもち、特定の音義を有しているのかは、ほとんどのばあい謎であり、それを考えることは、漢字の本源を知る上では重要である。
もう一つは、漢字の読み書き、たとえば「憂鬱」(ゆううつ)が書ける、「五月蠅い」(うるさい)が読める、といった「漢字表記」を暗記することの流行である。
たしかに、頻度の低い漢字表記を覚えておけば、読書や筆記をする際に役立つこともある。
このように「漢字ブーム」の内容は、ほとんどが漢和辞典や国語辞典の類(以下、総称するときには辞典とよぶ)をめくれば出ていることがらなのである。

 しかし、漢字を正確に理解するためには、「字源説」の享受と「漢字表記」の暗記だけでは不十分である。
その享受と暗記をいくら続けても、漢字を用いて日本語を表記するために、日本人がいかなる行為をしてきたのかという疑問に対して、正確な回答は得られないのである。
私たちは、「漢字の使用の歴史」ということを軽視してはならない。漢字使用の歴史を無視してきたために、たとえば次のような誤解が起こっている。

 ワープロやパソコンで標準装備されている「JIS漢字」の中にある「妛」という字を取り上げてみよう。
これがいかなる音義(発音と意味)の字なのか、以前から詮索されてきたが、見慣れない字なので、辞典を探すという方法がつねにとられた。
そのため、人々は、「妛」の「山」の部分を「屮」に作る、形の似ている「シ」・「あなどる」という音義の漢字を漢和辞典に見つけ出し、それと同一視した。
しかし、筆者がJIS漢字改正委員として、「JIS漢字」を作る際に引用した資料を検証していったところ、調べはじめて半分の2万ページ目あたりで、「山女」(あけび)の2字が縦に組み合わさって1字となった字が、滋賀県の通称地名に見つかった。
この資料では、「山女」の合字の間に、作字した際の紙の影があたかも「一」であるかのように写ってしまっていたのである。
そのために、「JIS漢字」に「妛」という字が入っていたという事実が、「JIS漢字」制定から20年を経て、初めて明らかになった。
むろん「あけび」を表す「山女」の合字は、日本製漢字つまり「国字」であり、室町時代以降、日本の書物に見られるものであるにもかかわらず、小地名に使われていたこととともに、漢和辞典に載せられることもなく、まったく世に知られていなかった。

 このように漢字使用の歴史を省みなかったばかりに、誤解されてきた字がある。ことに、「国字」は、その最たるものであり、漢字の一種でありながら、「漢字ブーム」とは縁遠いものである。
国字は、日本で中国の漢字を元に独自に創作されたものであり、推古朝時代から生み出され続け、時代ごとに消長を繰り返し、その一部が現在まで使われ続けている。
したがって、個々の国字に関する、訓義、作製の由来、定着の原因、国字の作製された総数などについての疑問は、古代中国の漢字の知識だけでは、解明できない。
これは、中国・朝鮮(韓国)の歴代の文献資料に加えて、日本の膨大な文献資料を検討していくことにより、初めてその歴史と全体像とが明らかになるものなのである。

 「妛」と同様のことは、数限りなく指摘できる。「JIS漢字」に限っても、たとえば「軅」は、最初に、それと似ている「軈」(やがて)の異体字と解釈した文献があったので、後の辞典のほとんど(約40冊)がそれを継承した。そのために、ついにそれが定説のようになってしまった。
しかし、今回の調査で、実はそうではなく、「鷹」(たか)が変形したものとして秋田県の字(あざ)に使われており、それが採用されたものであったことが判明した。
また、「椪」に至っては、宮崎県の「三椪」(みはえ)という小・中学校が存在し、そこから「JIS漢字」に採用されたものであったということさえも、今まで明らかになっていなかった。
世にいう「漢字ブーム」が、辞典的な世界、いいかえれば「字源説」の享受と「漢字表記」の暗記とにとどまっていては、日本において漢字が変容してきた歴史について、正しい理解を得ることはできない。
国語学においては、「漢字使用の歴史」の研究が進展しつつあり、その成果を反映させていく必要があろう。

 漢字は、古代中国で命脈の尽きたものではなく、楷書体が誕生してからも、中国・日本・韓国・ベトナムなどの漢字圏で、それぞれ使われてきたものである。
その中で、「国字」を含めてさまざまな工夫と転化が発生してきたのであり、それらは、古代中国を基準とすれば「誤字」・「俗字」と見なされることもあった。そうした漢字のすべてが辞典に収まっているはずはない。
たとえば、「JIS漢字」の中の音義未詳字「墸」も、偶然に同じ字体が宋代の韻書『集韻』の流布本に載っていることさえ、辞典に転載されていなかったので、今まで指摘されたことがなかった。
現行の漢和辞典には、日本の古典である『古事記』、『万葉集』、『平家物語』、西鶴の「浮世草子」などの作品の使用漢字でも、載せられていないものがいくつもあることは、やはり不思議な状態であろう。

 以上のように、漢和辞典や、「常用漢字」・「JIS漢字」などの「漢字表」の閉じた枠の外には、過去から続いてきた莫大な漢字の世界が広がっている。
漢字を正確に理解するためには、それを視野に入れることが必要である。このたび刊行されるCD−ROM『今昔文字鏡』には、従来の大型の漢和辞典や漢字表を大幅に超えた8万以上という数の漢字字形が含まれているという。
さらに、このCD−ROMは、「「椛」(かば・もみじ)「埖」(ごみ)のように「花」を含む漢字は、どのくらいあるのか?」というような、構成要素に関する、素朴だが意味のある疑問にも即座に答えてくれるなど、さまざまな分析を可能にしてくれる。

 むろん、世界で使われてきた漢字の総数から見れば、『今昔文字鏡』がその何割をカバーしているのか確証はない。
しかし、今後、バージョンアップがなされていくとのことであり、未採録の漢字や漢字にまつわる情報をさらに吸収していくことが可能であるという。
当CD−ROMが、特定の辞典や漢字表を絶対視する「漢字ブーム」を超えて、各人が生きた漢字を探究するための漢字検索に際して、欠くことのできない「字典」となっていくことを期待してやまない。

国立国語研究所言語体系研究部研究員


戦後の漢字への対応

土屋 道雄

 一頃漢字は機械化には不向きであり、いづれなくなるだらうと言ってゐた学者が、この頃はワープロの宣伝に一役買ったりしてゐる。パソコンやワープロの普及に伴ひ、文書の作成が容易になった半面、効率よく正確な文書を作成するために、今まで以上に漢字を自在に使ひこなす能力が求められてゐる。

 漢字についてのアンケートを見ると、大半の人が漢字の重要性や必要性は認めながらも漢字はむづかしい、面白くない、苦手だと答へてゐる。その原因は今日までの、殊に戦後の国語改革、国語教育にあると言へよう。

 常用漢字1945字を音と訓の数によって分類すると、音のない漢字が40字、訓のない漢字が何と738字もある。その中には「胃、腸、肉、線」のやうに、音がそのまま訓の働きをしてゐるものもあるが、訓なし漢字がこれほど多いのは、戦後音訓整理と称して訓を制限したからである。
しかし、訓なしだからと言って、その漢字を使ふ以上、その漢字の意味を知らなければ正しく使ふことができないのであるから、要らざる制限をしたものと言はざるを得ない。

 意味のない漢字はなく、その意味が訓であることが多い。
訓のない漢字で、どうしても短い和語で意味を表せないものは別として、例へば復の「かへる」、視の「みる」、容の「いれる」、圧の「おさへる」のやうに短い和語で意味を表すことのできるものは訓として採り入れる方がどれほど教へやすく、学びやすいか知れない。
この意味を教へないで「往復、復旧、復帰、視力、正視、監視、容器、収容、容認、圧力、圧迫、制圧」等の熟語を理解させることはむづかしい。

 また訓があっても、その訓だけでは不十分なものがある。
例へば原は「はら」の訓しか認められてゐないが、「もと」といふ意味があることを教へないで「原形、原科、原文、原案」等の熱語の意味を理解させることはできない。
それなら、初めから訓として教へればよい。
それが道理といふものである。

 戦後教育を受けた若い人達が、江戸以前の古典はもとより、明治以降の夏目漱石、森文字鏡番号47268(@47268)外、島崎藤村の作品すら読みにくいと感ずる主な原因が戦後の字体改革にあることは疑ひない。
新字体が公布されてから五十余年になるがれ一刻も早く新字体を廃棄して正字体に統一すべきであらう。
画数が多いと記憶するのがむづかしく、書くのに手間取るといふ主張は、ワープロの普及によって根拠を失ってをり、読む側にとっては画数の多寡は問題ではない。

 正字体から一点を省いたり、一棒を省いたり、全く無意味な変革としか言ひやうのないものがかなりあるが、それよりも何よりも気に入らないのは部首を破壊したものが少なくないことである。
「賣」は「販、貯、買、賦」などと同じ貝部にあったが、「売」としたため所属不明になった。
他にも酉部の醫を医、火部の榮を栄、口部の單を単、入部の兩を両、臼部の舊を旧、皿部の盡を尽、士部の壽を寿、田部の當を当、骨部の體を体、止部の歸を帰にしたため所属する部首が分らない。

 その上、例へば「廣拂、學單榮」など、本来別の漢字の構成要素であるものを「広払、学単栄」などにしたために、体系的な学習を困難にしてゐる。
更に、もともと別字でそれぞれ用途のあった藝と芸、缺と欠、豫と予、餘と余などを後の字に統一したことも無神経に過ぎる。

 新字体がつくられたことによって、正漢字は不当な圧迫を受けてゐるが、決して正字としての権成を失墜したわけではない。
今なほ正字体の本が出版されてをり、正字体による過去の文献がすべて無価値になったり、不要になったりするとも考へられない。
結局、新字体を放擲しない限り、国民は二重の負担に耐へて行かなければならないことになる。

 数へ方により多少の違ひはあらうが、常用漢字1945字の中に、新字体は545字ある。そのうち正字体と新字体で見た目にそれほどの違ひがなく、即刻正字体に復しても読むのに差し支へないと思はれる漢字が450字ほどある。
従って、残りの100字足らずの漢字を改めて学習すれば、全面的に正字体になっても困らないことになる。
そのl00字にしても、少なくとも高校を卒業した者であれば、漢文でほとんど目に触れてゐる筈であり、読むのにさして困難はないと思ふので、日本文化の継承といふ面から考へても、早急に正字体に復するやう願って止まない。

横浜創英短期大助教授
『ワープロ時代の漢字常識』(三一書房)編者


和漢薬と漢字

難波 恒雄

 和漢薬を研究していると、否応なしに中国の医籍や本草の古文献を読まされることになる。
我々昭和一桁生れの年代は、中学校で漢文を習っていたから、比較的こうした医古文には取っつき易いが、現代の学生達にとっては、まるでチンプンカンプンである。
中国の若い留学生も同じである。特に現代中国では簡体字で教育しているから、古い正式な漢字が殆ど読めない。
また日本では当用漢字なるものができ、同じ漢字でも3通リの文字のあるものがある。
時代は刻々と変化してきているから、古いものが良いとは決して言えないが、同じ文字を用いる民族として、統一化が必要ではなかろうか。
私の姓の一部である「難」は、正式には「文字鏡番号42145(@42145)」であリ、中国の簡体字では「文字鏡番号50893(@50893)」である。「くすり」という字も「薬」、「藥」、「文字鏡番号51641(@51641)」と3通りある。「塩」も「鹽」と「文字鏡番号51863(@51863)」で、古文を読む場合には常に3種の同義漢字を覚えておかねばならない。
私の研究室には、日本人学生の他、中国、韓国、台湾などの留学生が多いが、いつも漢字の書き方で侃々諤々(カンカンガクガク)、賑やかなことである。

 漢方医学(中国医学)や、そこで用いられている漢薬類の古文献は、その内容もさることながら、そこで用いられている文字に難解で複雑なものが実に多い。
かって『和漢薬百科図鑑(旧・原色和漢薬図鑑)』を出版したことがある。
単純な漢薬名すら活字がなく、作字をせねばならず、出版社泣かせの本だと嫌昧を言われたことがある。
幸い当時は類書がなかったので、結構販売実績も上がり出版社は満足したようであるが、漢薬名の場合、仮名書きにしたリ、同義の当て字を用いたのでは、どうもしっくりしない。
これは活字からパソコン、ワープロに代っても同じである。
漢薬の名前を打ち込む際、作字をしなければならない文字が実に多い。
婦人病の聖薬とされる「四物湯(シモツトウ)」という漢方処方(方剤)がある。宋代の処方集である『太平恵民和剤(タイヘイエミンワザイ)局方」(1148年)に収載されている処方で、当帰(セリ科のトウキ及びカラトウキの根)、川文字鏡番号30678(@30678)(セリ科のセンキュウ及びカラセンキュウの塊茎)、芍薬(ボ-タン科のシャクヤクの根)、地黄(ゴマノハグサ科のカイケイジオウの肥大根)の4味を配合した処方である。
婦人の諸疾患に用いる処方で、皮膚がかさかさし、肌の色つやが悪い体質、胃腸障害のない人の疲労回復、冷え性、しもやけ、しみ、そばかすなどの治療に用いる。
特に産後あるいは流産後の疲労回復や体力増強によく用いている。
この処方中の川文字鏡番号30678(@30678)の「文字鏡番号30678(@30678)」の字は簡単な字であるがパソコンのJIS漢字にはない。
文字鏡番号30678(@30678)は、元来『神農本草経(ジンノウホンゾウキョウ)』という中国最古の薬物書に、「文字鏡番号30678(@30678)文字鏡番号32352(@32352)」の正名で収載されておリ、蜀、川(四川省)に産するものが品質的に勝れていたので、「川文字鏡番号30678(@30678)」と呼ぶようになった。
この名称は明代の李時珍の『本草綱目』(1596年)から通用するようになったものである。四川省産の「川文字鏡番号30678(@30678)」の原植物は、カラセンキュウ Ligusticum chuanxiong Hort.で、既に宋代頃から四川省で栽培されていたようである。
ところが、現在日本の北海道で栽培されている「川文字鏡番号30678(@30678)」は、江戸時代に中国から生まの塊茎が移植栽培化されたもので、その原植物は、四川省産のものと異なっている。このものは、センキュウ Cnidium officinale Makino という学名が充てられているが、栄養繁殖のため結実せず、植物分類学的帰属に疑問がもたれている。香港市場では、日本産のものを「日文字鏡番号30678(@30678)」といい、本物の「川文字鏡番号30678(@30678)」と区別している。「川文字鏡番号30678(@30678)」の薬効に関しては、金元医学の四大家の一人、李東垣は「頭痛には必ず川文字鏡番号30678(@30678)を用いる」といい、また張元素も「川文字鏡番号30678(@30678)は、血虚頭痛を治す聖薬である」といっている。女性の貧血症、冷え性、月経痛、偏頭痛などに用いられる薬物である。

 腰痛、性欲減退、糖尿病など老人性疾患に用いられる「八味丸(ハチミガン)」あるいは「八味地黄丸」という処方がある。
これは張仲景の『金匱要略(キンキヨウリャク)』に収載されている処方であるが、この処方中に「山薬(サンヤク)」という漢薬が配合されている。
「山薬」はヤマノイモ科のナガイモDioscorea batatas Decaisne およびヤマノイモ D. japonica Thunb.などの坦根体である。
古く『神農本草経』では「薯蕷(ショヨ)」の名で収載されている。
この「薯蕷」が「山薬」という名に代るには、中国の皇帝の名が関与してくる。
唐代の代宗の名が預であったので、その諱(イミナ)をさけて「薯薬」となリ、後宋代の英宗の諱である薯を改めて「山薬」としたと言われている。
それゆえ「山薬」という名は、宋の文字鏡番号31741(@31741)宗文字鏡番号06002(@06002)(コウソウセキ)の『本草衍義(ホンゾウエンギ)』(1119年)で正名として収載されてから通用するようになった。
薯蕷、文字鏡番号31741(@31741)、文字鏡番号06002(@06002)もまた難字である。

 中国語と同じ文字で、日本では全く意昧の違う文字も多い。漢薬類では、「海帯」と「昆布」がある。中国で「昆布」というとワカメやそれに類したもので、日本のコンブは中国で「海帯」という。確かにこの方が実感がある。更にもっと大変なのが化学の用語である。アルカロイドは生物文字鏡番号52317(@52317)文字鏡番号24361(@24361)、ニコチンは姻文字鏡番号24361(@24361)または尼古丁、クロロフォルムは文字鏡番号17072(@17072)文字鏡番号00420(@00420)または三文字鏡番号17072(@17072)甲文字鏡番号19047(@19047)、クマリンは香豆文字鏡番号51069(@51069)(霊)、カルシウムは文字鏡番号51708(@51708)等々、これらは辞典がないと全くお手上げである。

富山医科薬科大教授
和漢薬研究所所長


本居宣長と漢字・漢文エクリチュール

子安 宣邦

 本居宣長は『古事記伝』一之巻、すなわち「古記典等総論(いにしへぶみどものすべてのさだ)」と表題のついた序論的文章をこう書き出している。
「前御代(さきつみよ)の故事(ふること)しるせる記(ふみ)は、何(いづ)れの御代のころより有(あり)そめけむ」と。
最古の記録への問いとともにこう書き出している。
ところで私は引用にあたって宣長が付しているルビを、括弧内にややうるさい形でここに記している。
原本にルビで記されたこの訓(ヨ)みは、実は宣長の漢字観を示すものであって、きわめて重要な意味をもっているのである。
それは決して便宜的な、あるいは補助的なものではない。
補助的なのはむしろ漢字表記の方だと宣長ならいうであろう。
すなわち訓みこそ〈やまとことば〉であり、漢字はその補助的表記手段なのだと。
だから『古事記』は「ふることぶみ」でなければならないのである。
すでにこれは『古事記伝』で宣長が直面し、方法的に対応した問題である。

 ところでさきの宣長の問いは日本における最古の記録を問うものであった。
この問いは、国学者宣長にとってはつらく堪え難いが、しかし余儀ない問いといえるものなのだ。
というのは日本における最古の記録を問う視線のさきに見出されるのは決して〈やまとことば〉で記された記録ではなく、〈漢字・漢文〉で記された記録しかないからである。
表記手段としての〈漢字・漢文〉の導入によってはじめて記録はありうるのだ。
しかしここで「導入」といったりしてしまっては、私の使用する言葉がすでに国学的文化観に染められているといわれるだろう。
「導入」とは〈異〉なる土地から、〈異〉なるもののを、〈わが国土〉に導き入れることだから。
国学者は〈漢字・漢文〉をその〈異〉なるものとみなしたのである。
しかし私はここでは国学者の見方にしたがって問題を構成しよう。
わが最古の記録として〈異〉なる国から導入された表記手段、〈漢字・漢文〉で記された記録しか見出しえないとするならば、国学者たるものはこの事態にどう対応したらよいのか。
宣長が『古事記伝』で直面したのはこうした事態であった。

 『古事記』テクストは周知のように漢字・漢文エクリチュールからなっている。
たとえば『古事記』冒頭の一節はこうなっている。

「天地初発之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並独神成坐而。隠身也。」

太安万侶の苦心の結果といわれるこの漢字・漢文表記のテクストを前にして国学者宣長はどう対応したのだろうか。
宣長はこの漢字・漢文表記のテクストの背後に口誦の伝承を見るのである。
『古事記』の「序」によれば稗田阿礼の暗記する神代以来の故事を、その口に唱えられる言葉にしたがって忠実に記述されたのが『古事記』テクストだということになる。
このテクストの背後には口誦の伝承があるのだ。
そして口誦のうちなる言語、それこそわが〈やまとことば〉である。
その〈やまとことば〉を太安万侶は〈漢字・漢文〉を表記手段として記述したのである。
だから〈漢字〉は基本的に〈仮字〉と考えるべきである。
宣長は『古事記』テクストを前にしてこう考えたのである。
こうして『古事記』を読解するとは、あの漢字・漢文エクリチュールからなるテクストから口誦の〈やまとことば〉を訓み出すことになるのである。
この〈やまとことば〉の訓み出しとはまことに壮大な仮説に立った作業である。

 「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)、此の三柱(みばしら)の神は、並(みな)独神(ひとりがみ)成りまして、身(みみ)を隠したまひき。」

 宣長は『古事記』冒頭の一節をこう訓んだ。
括弧内に記した訓みの重大さはすでに理解されるだろう。
これが〈漢字〉を〈仮字〉とした〈やまとことば〉の訓み出しなのだ。
はたしてこれが口誦の〈やまとことぱ〉の訓み出しであるのか。
むしろ〈やまとことば〉は『古事記伝』のあの壮大な仮説とともに創り出されたというべきではないだろうか。
その仮説とは、神話的起源をもつわが〈しきしまのやまとのくに〉に〈やまとことば〉を話す民がそもそも存在し、そこに〈異〉なる国から〈漢字・漢文〉が導入され、それを表記手段として〈やまとことぱ〉は記述されたという仮説である。
文化の自己同一性とはこうした仮説にしたがって言説上に創り出されていくのではないのか。

 〈漢字〉の「導入」をめぐる事態の如上の問題構成とその解答が国学者の視角からするものであるとするならば、ではわれわれは〈漢字〉をめぐる原初の事態に、国学者とは別にどう対応し、どう問題構成したらよいのか。

元大阪大学文学部教授
『本居宣長』(岩波書店)著者


『国字の字典』の成り立ち

菅原 義三

 木へんに「並」と書いた字を「はえ」と読むのだと帯広営林署から、糸へんに「稟(リン)」と書いた字を「はなずな」と読むのだと川上蓁先生から教えていただかなかったら、私の「国字の字典」は無かったかも知れません。

 五万字あると言われる漢字の中に、いみじくも、日本人の作った「国字」の花が、現実に咲いて居るのを知った時、私はそれならば「国字」は一体何字あるものか、調べて見ようと一念発起の原因となったからです。

 辞典らしい辞典も持って居ない私は、帯広市の図書館に通って、「同文通考」「国字考」「新字源」とその付表「国字一覧」から、帯広大谷短大の村山出先生が、ご好意で図書室から貸出して下さった「新撰字鏡」の「小学篇」から、合せて五百五十五字の「国字」を拾い出し、我が事成れりと「小学国字考」として自費出版して、それを東京都の十ほどの大学へお送りしたのです。

 酒井憲二先生から、「国語学研究事典」のこと、「これからは、実際に生の文献から具体的な用例を拾い上げ、集成し分析することが大事だと思う」と仰せられて、「歌舞伎評判記」「西鶴本」「仮名草子」「俳書」などを指摘されました。

 酒井先生からは、その後も「西鶴本」や「古俳諧」の影印本などの、私の読めない字を何百となく判読をお願いしたり、「皇朝造字攷」をわざわざ図書館の蔵本からコピーして下さったり、一方ならぬご指導をいただきました。

 これらを調べて居た時に、北上市のモノグラム社の社長、小原三次さんから「康煕字典」を恵与していただきました。
「国字」の研究にどれほど役に立ったか、申し上げる迄もありません。

 峰岸明先生からは、「節用集」を調べたかとご忠告を受けました。
奥村紀一先生からは、「質問するばかりでなく、自分で研究するのが、勉強というものだ」と仰せられて、「新撰字鏡国語索引」をコピーして送って下さいました。

 東京都の笹原宏之さんからは、「法華三大難字記」という事典には、「国字」が沢山あると思うからと、お便りをいただきました。

 音更郵便局から、「速達便覧」の使用済みのものを、払い下げていただいて、全国の「国字」の付いた地名を選び出して、百十余の市区町村、教育委員会、図書館、地元の古老、NHKの放送局などから、地名の由緒などについての貴重な資料の提供を受けました。

 なお、奈良市の加納智先生、鎌倉市の杉本つとむ先生、東京都の見坊豪紀先生、エツコ・オバタ・ライマン先生、青森市の盛田稔先生、福山市の青野春水先生から、いろいろご教示をいただきました。又、全国五十名に上る先輩の方から、典拠を添えて「国字」の資料の提供を受けました。

 学歴も無い素人ですから、「字典」という書名は差控えて、誰にでも親しめる「国字手帳」として、「よみ」「典拠」資料の提供を受けたものはその人の「住所、氏名」説明は「広辞苑」「大字典」から、これを引用し、私の〔解説〕(参考)を付けて、平成元年十月、自費出版しました。

 ソーゴー印刷の社長、高原広さんは、これを東京堂出版の今泉弘勝部長に推薦され、その快諾を得て、飛田良文先生の監修の下に「国字の字典」として、平成二年九月三十日、世に出ることになったのです。

 偏に、ご指導を下さった諸先生、全国の先輩諸氏のご協力の結晶です。

『国字の字典』(東京堂出版)編者


伝統表記に電子の光明

市川 浩

 一國の國語表記を一貫した傳統として守るべきか、言葉の變遷に隨つて、改革すべきか、本論文で假に前者を保守派、後者を改革派とそれぞれ呼ぶと、この兩者の論爭は眞つ向から對立するのであるが、大抵の國では保守派が優勢であり、その國民の支持も受けてゐる。

 我が國でも明治初年、前島密の「漢字御廢止之儀」以來各種の改革が提案せられたが、少なくとも戰前まではいづれも大方の支持を得ることはできなかつた。

 戰後昭和二十一年占領軍の方針を背に「当用漢字」、「現代かなづかい」を中心とした改革派の政策が政府レベルで施行されると、殆どの知識人が雪崩をうつて改革派に參じ、形勢は一擧に傾いた。

 これに對抗して、その十三年後の昭和三十四年、國語問題協議會が結成され、以後惡戰苦鬪の二十數年を經て、昭和五十六年及び六十一年、やうやく「常用漢字」、「現代仮名遣い」として改訂を見、その前書きに、これらは「目安」或いは「よりどころ」であり「科學、技術、藝術その他の各種專門分野や個々人の表記にまで及ぼさうとするものではない」と明記されるに至つた。

 しかしこれも、例へば、高橋進博士によれば、「前文の調子は比較的ゆるやかな感じであるが、社會のこれだけの分野と教育等でこれが實施-に移されると、この改革に反對・批判を述べてゐた人たちも、孤立していくやうになつた」(第三囘國際漢字會議)結果となり、折角の前書きも十有餘年を經た今日、殆ど捗々しい進展も見られないままに有名無實化してゐるのが實情である。

 理論鬪爭ではむしろ改革派を壓倒し、事實、パソコンの普及や石井式漢字教育の成果等によつて、「歐文のやうにキーボ-ードで處理ができない」、「漢字の學習で兒童の能力開發が沮害されてゐる」といふ改革派の主張は根據を失つたにも拘らず、保守派は傳統表記ではジャーナリズムから寄稿を排除される謂はゆるソフト面の壓迫とともに、印刷業のコンピュータ化を中心とした構造變化によつて、孔版印刷や活版印刷が姿を消し、「常用漢字」字形以外の印刷表現が殆ど不可能となり、ワープロに於ける假名漢字變換といふ劃期的な發明も歴史的假名遣には對應しないといつた謂はゆるハード面からも屈伏を強ひられて、謂はば兵糧攻めで敗北したのである。

 ところが保守派を追ひ詰めたかに見えるコンピュータ化は、實は保守派の大きな味方であることが次第に明らかになつてきた。

 歴史的假名遣に對應できる假名漢字變換辭書「契冲」の開發を通じて私が感じたのは、文法と正確に連動するこの假名遣がコンピュータシステムと見事に論理的な整合性を持つことであつた。

 一例を擧げれば、用言の變換は語幹と活用語尾の組合せを判斷する論理處理を利用するのが效率的であり、歴史的假名遣にはこれが完全に適用できるのに反して、「現代仮名遣い」では「有難う」「お早う」「お目出たう」といつた最も基本的な語彙が例外處理を必要とし、それだけシステムが複雜になる。

 更に同音異義の多い國語に於ては、例へば「あおい」と入力すると變換候補が「青い」、「青井」、「葵」と三つあるが、これを「あをい」、「あをゐ」、「あふひ」と區別して入力すれば變換は一囘で確定できるなど「同音多表記」はむしろ變換候補の分散、從つて變換の效率化を可能にしたのである。

 一方漢字の方はどうか。

 先づ、コンピュータの記憶能力の増大で處理漢字の字數に制限が無くなり、JIS漢字で第一・第二水準合はせて約六千、現在檢討中の第三・第四水準約五千字を加へれば約一萬一千字が全國共通で使用できる。

 これは「常用漢字」の五倍-を超える。またアウトラインフォントの普及で畫數の多い字も容易に印字でき、「契冲」の正漢字版を利用すれば傳統表記の文書制作が可能となつた。

 ただ一つ問題として殘るのは、「社、者、状」などの康煕字典體を出力できないことである。

 實はこれ等は同じJISコード番號に「包攝」されてゐるために、專用のフォントが無い限り、パソコンからの出力は不可能である。

 このやうなフォントは、現状ではさしたる需要が見込めないこともあつて、制作するメーカーもなく、結局更に上位機種のシステム、例へばワークステーションを利用した當社開發の「宣長」など、に據らざるを得ない。

 ここで「今昔文字鏡」の登場である。古家時雄さんの漢字竝びにコンピュータに對する深い造詣と情熱が十年の歳月を通して、古今の漢字八萬字を輯録した漢字ソフトとして結晶した。

 その「基準體」は甲骨・金文にまで遡つた嚴密な檢證に基く字形であり、これぞ傳統表記に用ゐるに最適の字形である。この「基準體」によるJIS漢字のフォントがアウトライン化され、トルータイプに擴張されれば、簡單にウインドウズに登録して使用できる日も間近い。

 このやうにコンピュータは傳統表記を標榜する保守派にとつて、洵に頼もしい味方なのであるが、肝腎の保守派にこの認識が乏しいのではないかと懼れる。

 「ごかんせい(互換性)」と入力して「御官製」といつた初期のワープロで多く見られた的外れの變換や、「鴎外」の「鴎」の字が氣に入らぬなど、まだ解決を要する問題は殘されてゐるとはいへ、これを目の敵にするばかりで活用しなければ、折角點つた電子の光明を自ら踏み消してしまふことになりかねない。

 近代の歴史に徴しても、例へば、常に親日的であつた蒋介石總統を戰中は「相手にせず」と聲明して敵に囘し、戰後は「暴に報ゆるに徳を以てす」との對日賠償抛棄の大恩を忘れ、國交を斷絶するなど、不信の限りを盡くした裏目が現在出てゐる氣がしてならない。

 國語表記の問題も、眞に傳統の復活を目指すのであれば、コンピュータが微笑みかけてゐる今こそ、保守派、特にその指導的な立場の人々の、この分野への積極的な關與・參畫が求められるのではあるまいか。

(引用の表記は固有名詞を除き傳統表記に統一)

歴史的假名遣ソフト「契冲」開發者


同形異字の問題点 −「日ニチ」 と 「曰エツ」 は同じ文字ではない−

古家 時雄

 全く同じ形をしているか、ほとんどその違いが判然としないまま、異なる別の文字が、一種類の文字であるように見えてしまう場合があります。

よく知られている例としては、阜(フ、おか・ゆた_か、@41534)と邑(ユウ、くに・むら、@39269)のように、それぞれ偏または旁となって筆画が省略された形になると、全く同形になるので、その位置が文字の左右いずれかの部分にあるかで判別することになります。

偏として左部分にあれば「こざとへん」であり旁として右部分にあれば「おおざと」と認識します。(阜→文字鏡番号41536@41536、邑→文字鏡番号54780@54780)ISO規格とほぼ同じ内容を持つJISX0221規格では、「こざとへん」の文字が収録されていますが、「おおざと」は収録されていません。同形ですが画数表記は、中国(大陸)2画、日本3画と異なります。(ISO規格表の961Dを参照して下さい)

 また、日(ニチ、ひ、@13733)と曰(エツ、いわ_く・ひらび、@14278)のように教育漢字に日(ニチ)を含み、JIS規格では両方の文字に別のコードが与えられている文字もあります。(ISO規格表の65E5・66F0を参照して下さい)

 この文字の組み合わせの場合には、見た目には同じ形をしているようでも、異なる文字として扱われています。
その字形の差違を区別するために、真ん中にある横線が両脇の縦線に接するように表記してあれば日(@13733)であり、横線の右が接していなければ曰(@14278)として認識することができます。
しかし、この二つの文字が他の文字の部分を構成すると、その差異は判然としません。
そのため、本来「ひらび」の部首になくてはいけない文字が「日」の部首に含まれているような錯誤がおこります。

 もちろん、所属する部首がどこであろうとも、それが別の違う文字になるわけではありませんが、文字の成立ちから字義を引き出す場合には、とても重要な要素なので、文字字形にその区別ができるような配慮が必要だと思います。

 その代表的な例としては人名用漢字表284字に含まれている「智@14010」「晋@13899」があげられます。「晋」は「晉@13898」の筆法を変えた同字です。
これらは、ほとんどの漢和辞典で「日ニチ」の部首に記載されていますが、実は「曰エツ」に所属しなくてはなりません。
「智・晋晉」の古文籀文を調べると、明らかに「曰エツ」の字形を確認することができます。

 「曰エツ」は、神と交信するための箱である「口」に祝詞を入れてある状態を文字にしたもので、真ん中の横線はその祝詞を表わします。
もともと「口」という文字は顔の中にある「くち」を指すものではなく、祝詞の箱を表現したもので、音符も「サイ」でした。

 少し前になりますが、「インディジョーンズ『失われた聖櫃 アーク』」という映画が封切りとなり話題になったことがありました。
モーゼの十戒をいれたといわれる「聖櫃 アーク」と呼ぶ箱を中心に、ストーリーがどんどん展開するという波乱万丈の内容です。

 神との交信するための箱が「聖櫃 アーク」ということですから、これは東洋でいう祝詞箱のことで、「口」の文字の意味するところです。
またアークに十戒をいれた状態は、呪文を書いた祝詞を祝詞箱に入れた「曰エツ」の意味する状態と同じです。
大きな隔たりのある中国文明とオリエント文明の間で、旧約聖書の「聖櫃」と、古代宗教を表現した漢字の「口・曰」の機能と意味が、同一の性質を持っていたことは非常に興味深いことです。

 「智」の古い字形は、矢と盾と祝詞箱に祝詞の入っている箱を加えた字形です。
祝詞の箱に武具の矢と盾を添えて神に祈請(ウケイ) することを表現し、さらに「曰エツ」を加えて、その祈請を強めている形です。

 「晋晉」は、祝詞の入った箱に二本の矢を立てている様子を文字にしたものです。
最近これをNHK放送で見ることがありました。
古い時代の方法に則った古式相撲で、力士が取り組みの前に、互いに持っている矢を箱に差し立てる様子が放送されました。

 古代においては、その矢を差し立てた箱に、占卜しなくてはならない事柄を記した祝詞が入れてあり、占いに対する神の託宣を相撲の勝敗によって判断していました。
相撲というスポーツを通して、今に伝わる古代の神事が、「晋晉」の意味するところです。
この他にも「曰エツ」を使っている文字は「旨・曹・昌」などたくさんあります。

 「日ニチ」は太陽の他にいろいろな物や様子の意味を持ちますが、おおむね円い物を表現するために使われているようです。

1,太陽
    旦 ひる
    昏 よる
    昂 太陽を仰ぐ
    昊 太陽の人格化
    昔 天日で乾肉をつくる様子

2,玉
    昜 祭壇上の玉
    晏 玉と巫女
    昭 玉と祝詞箱と浄めの枝
    旬 玉を持つ龍
    昌 曰に入れた玉(上部分)

3,目
    昆 昆虫の目
    易 蜥蜴の目

4,渦
    亘 渦状に廻る様子

5,窓
    明 月光が差し込む窓

6,星
    晶 三つ星(参星オリオン)

7,果実
    早 十字に割れて芽を出す木または草の実
    是 匙スプーンで掬った木または草の実

 このほかにも、的・鬼・篆・豆・倉・良などの古い文字にも、同形のものがあります。

(今昔文字鏡解字字典より抜粋)

 「日ニチ」も「曰エツ」も様々な字義を持った文字です。部分的に使われている「日ニチ曰エツ」の差違を字形で判別できるならば、見ることで字義の区別ができます。

 真ん中の横線が右に接する接しないという、日常的な使用では気にもならない程度の表現が、漢字のルーツや、字義を知るための勉強に役立ちます。

 もちろん、筆書のうえではこのような差違を字形細部にこだわる必要はありません。
「日ニチ曰エツ」どちらの文字を使用しているかを識別できる字体は、印刷やコンピュータ上での活字体表現に限定すればよいでしょう。

 このほかにも、いくつかの同形異字が存在しますので、そのような文字についても、このような字形表現上の気配りをするならば、漢字学習の効果をより高めるものと思います。

『今昔文字鏡』開発者
文字鏡研究会副会長


表意文字をめぐって

谷田貝 常夫

<横文字のなかの漢字>

 二〇年ほど前、一冊の本を目にして奇異の感をいだいたことがある。
フランスの小説の訳本に手書きの漢字がところどころ散りばめられてゐたのである。
解説には、原本に漢字が書きこまれてゐるとある。
横にならんだローマ字のなかに漢字がうかびあがつてゐる原本を想像すると心楽しかつた。
われわれは、日本語のなかにローマ字のまじる文章には馴らされてゐる。
縦書きの本ですらさういふことがある。
漢文および漢字を基とする日本語は縦にも横にも表示でき、右書き左書きもする。
象形文字に起因するためか、エジプトのヒエルグリフのやうに表記は融通無碍なのである。
ところが、欧米の本に表意文字である漢字をまじへることはまづない。
唯一、俳句やフランス象徴詩の影響を受けてイマジズムを標榜し、自由詩を提唱したエズラ・パウンドが、『詩篇』のなかで漢字を挿入したといふ話は聞いてゐた。

 その『数 ノンブル』といふ本は、題名からも予想されるように、およそ小説とはかけはなれたテクストで、訳者も訳すのに手を焼いたという難解な一〇一の断章からなりたつてゐた。
作者はフィリップ・ソレルス、当時はやりのアンチロマン、「新小説」だつたのである。
滅法むつかしい文章であることはともかくとして、フランス語の中へ漢字をまぜこんだ意図には無関心ではゐられなかつた。「あとがき」にある本人のことばを引用しよう。

パウンドによる[漢字の]利用は、とりわけ歴史的な価値を持っています。というのもそれは、意味作用上の計算よりは、装飾的な、異国趣味的な、アルカイックな、封建的な意図のほうにより多く対応するものだからです。
『数』の場合は逆に、表意文字が語りの一部となっているのです。
それらは基盤にある図形的な力として作用し、表音文字がその力によって破砕される。
表意文字はそれがもつ終結効果のなかでその力を発揮する。

 エズラ・パウンドは、「馬」といふ漢字を目にしただけでその字が馬であることを理解したといはれるほどイメージ力が豊かだつたからか、イメージの連鎖による詩を作つた。
漢字もそのイメージの一つとして用ゐたにすぎないのだらうが、中国かぶれの傾向があつたソレルスは、中におかしな使ひ方を散見するにしても、漢字の音とともに意味や字源までもある程度わきまへてゐたことは次の本文の引用からもうががへる。(異)を漢字にしてゐるのだ。

長くひきのばされた最後の音―(I)(異)(イ、異なる、《自己防衛のために、あるいは敬意を表すために両腕をあげている男の姿を、線を用いて正面から描いたもの》)

 伝統小説の解体を目指し、西欧文化を批判し、返す刀で表音文字にも斬りつけた感のあるソレルスではあるが、内実は西洋の復活を願つてのことのように受け取れる。
それにしても、表意文字のイメージ喚起力に着目したことは評価できる。
ゲシュタルト心理学が「語の形」に注目し、ローマ字で綴られた語の意味を、スペースとスペースにはさまれた一語の形そのもので、すなはち図形イメージでとらへようとしたといふ発想と共通するところがある。
ローマ字綴りの形では似たやうなものが多くなり、象形に起源する漢字ほどの内包の豊かさはないにしても、西欧語のとらへ方としては、画期的なこころみだつたといへるだらう。

<各国共通語としての漢字>

 西欧人の漢字への対応について今一つ思い出すことがある。
以前、春遍雀来氏に見せてもらつた "Semantography (Blissymbolics)" といふ本のことだ。
C.K.Blissといふ人が書いたもので、『表意語(ブリス式表音文字)』とでも訳したらよいのであらうか。
ブリスは、自分で100字の絵文字を創案し、それをことばとして使ふことで世界中の人が互ひの意志を伝へ合へると信じたのである。
古いことで、○や△にちかい絵文字の形はよくは覚えてゐないが、たとへば△が「山」を意味するとすると、日本語ならヤマ、英語なら mountain、中国語ならシャンなどといふやうに、そのブリス式文字を各国のことばで発音し、読めばよく、文法もそれなりに整えてあるといふものだつた。
漢字の影響を受けた上での、国際的な「表意文字」を提示したのである。

 ユダヤ人のブリスは、ナチスの迫害をうけてオーストラリアに逃れたが、あのやうな世界の紛争を起すにいたつた主たる原因は、言葉の違ひから各国人がお互ひの意志を伝へ合へないところにあると考へたようだ。
エスペラント語を創案したザメンホフとおなじ発想だが、エスペラントがローマ字表記の表音主義であり、ヨーロッパ語を基本にしてゐたことの欠点をあらためようとしたのだ。
情報理論からすると、情報の発信者と受信者の間ではコード(ことば)が共通でなければならない。
その点で表意文字は、絵に由来してゐるだけに、共通理解が成り立ちやすいと考へられる。

 ジュリアン・ハックスレイやバートランド・ラッセルに誉めことばをもらつたブリスの表意文字体系だが、残念ながらその後の影響について聞くことはない。
やはり、歴史をもつた自然言語には太刀打ちできないのであらう。
しかし、発想の理想主義はじふぶんに評価できるので、われわれの立場からすれば、漢字を使つてそのやうな国際語を目指してゆくのが最善なのではないだらうか。

普連土学園講師、文字鏡研究会主事
『日本への遺言−福田恒存語録』(文藝春秋社)編者