日記風気まぐれエッセイ |
BACK NUMBER ACT_24 |
“記憶は常に弱者にある。”
足を踏まれた人に記憶が残り、踏んだ人は忘れてしまう、という意味だ。
在日韓国人二世として差別の中で生きてきたマルセ太郎さんの言葉だから重みがある。
“世話になった”と感謝されているのだが、ボクには“世話をした”記憶がない人物がいる。
その人物は幡ヶ谷でラーメン屋をやっていて、以前から“餃子とたれ”がクール宅急便で自宅に届いたりしていた。
電話も時々来た。
「元気ですか?たまには食べに来て下さいよ」
“分かりました”とか“その内”とか答えていたのだが、何とも珍妙な会話だった。
ボクは以前、愛川欽也さんが司会する『探険レストラン』という番組をやっていた。
当時はラーメンが大流行で、“屋台ラーメン大賞”とか言って、味やアイディアを競う企画があった。
優勝者は世界一お洒落な街・パリのサンジェリゼ通りでチャルメラを吹き、屋台を引きながらラーメンを売る、なんてバカな事をやっていた記憶がある。
彼は、多分そこに登場したのだろうと想像はつくのだが、はっきりした記憶がないのだ。
1ヶ月前、ラーメン屋の開店を知らせる葉書が来た。
“ばんちゃんラーメン赤坂に進出!!”とあった。
電話も来た。
「赤坂に店を出したよ!来てよ!赤坂だからといってクラブじゃないよ。ラーメン屋だよ」
恩義を感じてくれている人にシカトは出来ない。奮発して開店祝いの花輪を送った。
その後ボクはコソボの取材に出かけたりしたから、赤坂に出かける機会がなかった。
先週やっと、編集中の夕食にスタッフ3人で出かけた。
ごご7時だった。
「いやぁ、来てくれたの!」
「遅くなってゴメン。景気はどう?」
「絶好調!一日10万円売り上げるよ。二日で家賃が払えるね」
言葉に張りがあった。
14席の小さな店だったが、朝11時から午前4時までやっていると言った。
「なに食べようかな?」
「梅ラーメンはどう?」
「それにしよう」
スープが素晴らしかった。鰹のスープらしかった。
「いいねぇ、スープ」
「今の時間が一番いいね。これから先はどんどん味が落ちるよ。水を加えて薄めるわけじゃないけどね」
注文した“梅ラーメン”も最高だった。梅の果肉がネギと一緒にたっぷり乗っている。
「この“梅ラーメン”最高!ばんちゃんが考えたの?」
「何言ってるの!番組で作った、そのままじゃないの」
ボクは、早く食べ終わって帰りたかった。これ以上、会話を続けるとボロがどんどん出てきそうな雰囲気なのだ。
自分に記憶がないのに、相手の記憶に合わせて付き合うのも、しんどいものだ。
それを相手に言うチャンスは既に逸しているから、このまま付き合いを続けていくことになるだろう。
なるべく、昔話が出ないことを祈りながら。
マルセ太郎さんの言葉をもう一度借用。
ボクの場合はこうだ。
“記憶は番組の出演者にだけ残り、制作者は忘れてしまう”。
場所は、赤坂郵便局に近く、みすじ通りと一ツ木通りを結ぶ路地にある。
『ばんちゃんラーメン』店主を竹林伴七という。
電話:3583-8119
宮内真理子さんというバレリーナをボクは知りませんでした。
『Shall We ダンス?』で有名になった草刈民代さんは知っていましたが。
国内より海外で、数々の賞に輝き、その名は草刈民代さんを凌ぐそうです。
週末の夕刻、友人の紹介で六本木の喫茶店で会いました。
“コソボで踊ってみたい。それが可能だろうか。”
これが来訪の趣旨でした。
ボクはコソボ取材の編集中で、時間がなかったので、会ったのは短時間でしたが、若きバレリーナの心は読みとれたような気がしました。
“名声も勝ち得、地位も確立した。しかし、いつまでも、今まで通りに、用意された舞台で踊り続けているだけで、いいのだろうか。自分の人生は、それでいいのだろうか?”
自分自身に対する懐疑心です。
“いいなあ”
ボクは爽やかな気分なりました。
“極めたらそれでいい、ではない人生、次に何をするかを悩む人生、出来れば、人のためになりたい人生、喜んでくれる人の笑顔が見たい人生。”
そんな思いが、彼女との会話の中に滲んでいました。
ボクは次のように話しました。
コソボへは、世界中の有名人が来たがっている、という話を聞きました。
8月にはエルトン・ジョンが公演をやる、というので評判になっていました。
アメリカの、名前を忘れましたが、歌手は、自分のピアノをもって来たそうです。
そのピアノは空港に放置されていて、誰がどうして運ぶのだ、と批判を受けていました。援助活動が忙しいのに、ピアノどころではない、というわけです。ピアノならコソボには百台も二百台あるだろうにと、知識や情報不足をなじる声も聞きました。
このように、十分な知識と注意力をもって実行しないと、善意が簡単に批判になってしまいます。
コソボにバレリーナやオーケストラがあって、共演できるかどうかなどの情報は持っていません。
コソボでは小中学校の60%以上が破壊されました。
レンガ作りですから、その痕は、まるで遺跡のようでした。
そんな廃墟でバレエを踊るのはどうでしょうか。素敵だと思いませんか?そして、学校が再開出来るように寄付をお願いするのです。
ボクらの今回の番組も、これらの学校を復活させ、子供たちが早く勉強を始められるように、募金を呼びかけます。
やるからには、心を決めて下さい。売名行為だと批判する人も出てきます。そんな批判にも耐える心が必要です。
ただ1回だけで終わりでは意味がありません。
これからの人生でボランティアを続ける心を決めて下さい。
応援します。
一生懸命話を聞いてくれました。
「今日は時間がなくて、ごめんなさい。次はゆっくり食事でもしましょう」
「私は大食いです。何でもたべます」
彼女はそう言って笑った。
バレリーナは運動量が多いから、食べないと身体が持たないのだそうです。
“何に打ち込んで満足して人生を終えるか”
考えているその姿勢が気持ちいい、編集中の、つかの間の涼風でした。
彼女は一生懸命覚えようとするのだが、人の区別がつかない。
今回も、カメラ助手の辺見君を何回も現地のアルバニア人と間違えた。
ある時など、彼女の荷物を車に積んでいるとき、アルバニア人のボーイだと思って、「Thank you」と言ってチップを出しかけ、「辺見君ですよ」と注意されると、「あらイヤだ、辺見君って少年隊の植草カッチャンそっくりね」と誤魔化して、一向に反省の色がない。
可笑しかったのは、コソボで家を焼き払われた所へ行ったとき、5台の四輪駆動車が行ったのだが、彼女が、取材が終わって車にも戻ったとき、シートに彼女のリュックサックが置いてあり、車のドアもロックされていなかった。彼女は座席に座り、窓の外を通りかかった人を見て、「アルバニアの人ってみんな正直なんだわ。ドアがロックしてないのに、今のアルバニア人の男の子だって、ドアを開けて盗ろうと思えばすぐ盗れるのにね」と感心しながら同乗のU女史に言った。
その時、窓の外を通りかかったのは、アルバニア人ではなく辺見君だったのだが、彼女はあくまで彼をアルバニアの男の子だと思っていたのだ。
飛行機に乗って飛び上がってすぐ、トイレに長い行列が出来た。
その列は、座っている彼女の近くまで来ていた。
彼女は一番後ろに並んだ男性を見て言った。
「どーしてこんなに飛び立ってからすぐアルバニアの人はトイレに行くのかしら?飛行場でして来ればいいのにねえ、立って並んで揺れたら危ないじゃない!」
憤慨した口振りだった。
もちろん、列の後ろに立って並んでいたのは辺見君だった。
アシスタントのU女史の“糞づまり”は前回のウガンダの時と同じで、黒柳さんと同じものを食べてロンドンまで帰って来た。
ロンドンの飛行場で黒柳さんが彼女に聞いた。
「あなた、まだ糞づまり?」
「そのままです。でも一回は出ました」
「どこで!」
尋ねる口調は鋭かった。なぜなら、ユニセフの旅はいつも状況が悪く、公衆トイレなどないし、今回は何処に地雷があるかわからないので、一切、車の外に出ないように厳命されていた。だからトイレに行くことは、かなり色々な意味で神経を使う。
黒柳さんは、“どこで、何の時、どうやってトイレを探したのか”不思議に思ったのだ。
U 女史は「ホテルですよ、ホテル」と答えたが、黒柳さんは「ふーん」と言ったが、疑わしそうだった。
コソボのホテルは、いろいろと問題があり、黒柳さんとU女史は、一部屋に二人でいたからだった。
コソボのホテルでは水が出なかった。
翌朝ボクは尋ねた。
「水が出なくてどうしました?」
「大丈夫、私、ウエットティッシュで拭いたから。お風呂と同じ!」
「え?」
「日本でだって、入るには入りますよ毎日、お風呂。でも長くて一分よ」
「え?一分では身体、洗えないでしょう」
「充分。教えて上げるわよ。一分でどう洗って、どう入るか」
それから彼女は、サァーっと、どうやって洗うかをジェスチャーで見せてくれ、
「髪の毛だって滅多に洗わないけど、かゆくなるとか、臭うとかしないの。ニューヨークで一番有名だったヘアードレッサーの須賀勇介さんに、よく言われたわ、“テツコさんとベラちゃん(小沢征爾夫人)は、髪の毛を洗わない双璧。それでいて、二人とも、いつも綺麗そうに見えてるのね、不思議!”って」
ボクも、砂漠の生活を経験してから、風呂に入らなくても死なない、という思いが強くなり、風呂に入るのが面倒になっていたから、“同じような人がいるもんだ”と思い、二人で大笑いした。
「このこと書くでしょう!」
「書きますよ、こんな面白い話」
というわけで、公表の許可を得たと信じている。
取材を続けている山口県田布施町の『ハゼの実ロウ復活委員会』の取材に行きました。
ボクの故郷ですから“行きました”というより“帰りました”と言った方が気分がピッタリします。
皆さんの活動は進化を続け、新しい挑戦が始まっていました。
ハゼの実を絞っただけのロウは深緑色ですが、これを夏の日光に晒すと白くなります。
紫外線が色素を破壊するのだそうです。
紫外線を沢山吸収するためには表面積を多くしなければ効率が悪いので、融けたロウをかき混ぜながら水に流し込み“ロウ花”を作ります。
水に浮いたロウは花のように見えました。名前の由来でしょう。
これを数週間、天日干しにします。
この間、気温が上がると融けるので、30分毎に水をかけなければなりません。
大変な苦労ですが、その“白いロウ”は出来上がっていました。
今回のメーンイベントは、“ポマード”を作る事でした。
作り方は簡単です。
ヒマシ油に白いロウを混ぜて溶かし、急冷すればいいのでした。
1キロのポマードが出来ました。
勇気ある会員は、早速これを使って奇抜な髪型を作り、みんなの笑いを誘っていました。
撮影用に即席ヘーアーショウも始まりました。
「私、スーパーモデル」
そう言いながら、撮影用に歩いてくれた櫨本葉子(はぜもとようこ)さんの長い髪は束ねられ天に向かって30センチも突き立っていました。
崩れないのが、ロウを使ったポマードの特徴です。
艶が出て固まるのです。
お相撲さんの“まげ”には“ロウの鬢付け油”が絶対の必要条件だそうです。
夜、世話人の岡部正彦さんの所へ櫨本さんから電話があったそうです。
「大変です。洗っても落ちません。シャンプーの回数を6回までは覚えていますが、もう、しつこくて!」
この人は、自分の名前に“櫨(はぜ)”が付くのが縁でこの会に入ったそうです。
翌日、町長(寺田幹生さん)の頭にポマードを塗りに行く、という我々の悪い企みを彼女は知っていましたから、注意を喚起してくれたのでした。
われわれは、ひるみませんでした。
岡部正彦さんが町長室へ向かいます。
ボクはカメラを回しながらその後をついて行きます。
「町長、できました。何か分かりますか?」
「何ですか、これは、分かりませんなぁ」
「頭をお借りします。プロの理容師を連れてきました。これはポマードです」
「そーですか。僕もポマードは少し使っています」
有無を言わせぬ早業に町長も観念され、ジタバタしても仕方ない、といった様子で、自分の頭の変わり様を楽しんでおられたようでした。
“町に名産品を作りたい”が町長の強い希望ですから、逃げ出すわけにも行かなかったのでしょう。
役場の職員にも会員がいます。
落合祥二さん(企画財政課)は町長の頭を整髪するという企みを初めて知ったようで、たいそう面白がって喜んでいました。
彼に依頼しました。
「町長室のドアに“ただ今、整髪中”という張り紙をして欲しい」
「そんなことをしたら僕は首になる」
そう言いながら、喜んでやってくれました。
権威のある人を“手玉に取る”(町長、失礼)ことは、洋の東西を問わず、楽しい事なのです。
前日のヘアーショウといい、今日といい、笑いを堪えながらの撮影でした。
カメラには“手ぶれ防止装置”が付いていますが、その能力を遙かに超えて、ボクの手は、笑いで震え続けていました。
ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんに同行してコソボへ行って来ました。
コソボ難民が流入したアルバニアとマケドニアも取材しました。
援助ワーカーの話です。
「難民は一気にやって来てアッという間にいなくなりました。こんな経験は初めてです」
セルビア警察に追い出され、あるいは自ら危険を感じて国外に出たアルバニア難民は数十万になりました。しかも、1週間くらいの短期間にです。
これだけの急激な難民に水と食料とテントを提供して死者を出さなかった国際援助機関の素早い対応に“これは凄い事だった”と感心しました。
空爆が終わって彼等は一斉に我が家を目指しました。
キャンプ跡地はきれいに整備され元の草原に戻っていました。
日本政府は神戸の地震被災者用の仮設住宅をコソボに送る事を決めました。
“それはいい考えだ”とボクは感心していました。
現地で援助ワーカーにこの事を聞いてみました。
「何処に建てて誰が住むんでしょう」
迷惑だ、といった口振りに驚きました。
「今回のコソボ難民は家がない人たちではありません。焼き討ちされて壊されているかも知れませんが家はあります。家が心配で早く帰ったのです。彼等の家はレンガ作りです。土台は残っていますからレンガを積んで修理するのです。畳の家に住む人はいません」
仮設住宅が処分できて相手にも感謝されるだろうというアイディアは無惨な結果に終わりそうです。
コソボは、まだ危険がいっぱいです。
ボクらの取材をサポートしてくれたアルバニア人たちは言いました。
「もうあの人達とは絶対に一緒にやっていけません」
憎しみが渦巻いています。
“14人のセルビア人が殺された”というニュースを聞いたのはボクらがコソボにいるときでした。
復讐が始まっているのです。
学校の60%が破壊されています。
ある破壊された学校に取材のために向かいました。
途中で車は止まり、みんなが何かの相談を始めました。
地雷があるかも知れないので怖くてこれ以上進めない、という事でした。
ボクらはその取材を断念しました。
特に子供たちは地雷の怖さを知りませんから、ユニセフはポスターを作ったり、知識を教えたり、勉強よりも安全に生きる事が一番のテーマとなっています。
泊まったホテルでは水が出ませんでした。
電力が5%から10%しか回復していないからだそうです。
民族間の争いにボクらが軽々に口は挟めませんが、日本人として、日本の援助の仕方は、そのスピードといい、的確さといい、量といい、“少し間が抜けている”感じがします。
研究の必要があるように思いました。
『狭山のホウレンソウ農家がテレビ朝日に対して損害賠償を求める訴えを準備している』という報道。(16日夕刊)
ボクは思い続けてきた。
“表現に不備があり、迷惑をかけたのだから、いさぎよく、補償すればいい”と。
あの報道がキッカケでダイオキシンが本格的に国民の関心事になり、行政も動き始めたのだから、その事に誇りをもって、農家には“いさぎよく”謝ると格好いいのに。
視聴者の拍手が聞こえ、好感がもてるテレビ局という評価を得るだろう。
テレビ局は国民の幸せのためには存在している。
ダイオキシンを告発し、国民の福祉に寄与したのだから、あなた達は我慢してくれ
、という論理はおかしい。
郵政省の指摘には“今後このような事がないように”と言い、明らかに放送によって減収をもたらした農民には知らん顔でいていいのか。
前例がない、このケースに補償金を払えば、今後同じようなケースが出てきて大変だ、などの心配があるのだろう。しかし、メーカーには製造者責任が明確化されるようになった。
ニュースはテレビ局の製造物だ。欠陥があって損害を与えたら補償するのが社会のルールだ。
裁判になったらテレビ局はどんな論理を展開するのだろうか。
補償の必要はない、と論理で勝っても、印象で大負けする。
イメージは人間や企業にとって、重要な要素だ。
“いさぎよさ”は印象で勝ってイメージを良くする最も有効な手段だ。
そして、怯まず堂々とダイオキシン問題を引き続き放送すること、これが格好いいテレビ局だ。
“いさぎよさ”も、ここまでくると首をひねる。
広末涼子が早稲田大学に初めて登校した日、朝日新聞(夕刊)はカラー写真を一面に掲載した。
“どーなっちゃってるんだ?”
正直な感想だった。
メディア評論家の正木鞆彦さんの感想だ。
「若いデスクは重要なニュースだと思い込んでいるんですよ。忸怩(じくじ)たる思いなんて、彼等にはないと思いますね」
春先に西武ライオンズの松坂大輔君も何回か一面をカラー写真で飾った。
野村沙知代さんの話題はもう100日を越える。
“忸怩たる思い”はボクだけか?
梶原守昭さん7/18
例の東芝VTR問題のAKKY氏のホームページhttp://member.nifty.ne.jp/AKKY/が、本18日付けで500万アクセスを越しています。
コトのシロクロとは関係ないところで、東芝は、あきらかに負けました。
デジタル・コミュニケーションで商売していながら、インターネットの持つ可能性をこれほど甘く見ていたというのは、たんなる顧客対応の失策というよりも、東芝という企業の戦略性すら疑わせました。
インターネットは、電話やファックスにプラスされる新たな通信手段でもなく、BSやCATVのようなニューメディアのひとつでもなく、人類にパラダイム転換をもたらす、何かとてつもないシロモノだと思っています。
全国紙はもちろん、在京キー局ですら、メディアの覇者であった時代は、もう終わるのではないでしょうか。
それを予見しての広末涼子や松坂大輔一面トップなのではないでしょうか。
大新聞だからといって、一面は政治ネタでなければならないというのは、可哀想じゃないですか。
大テレ朝さんだからといって、”いさぎよく”なくてもいいんじゃないですか。
正しい報道とは何か、というシカメ面からも開放されましょう。真実はひとつではないことは、ジャーナリストの方々が良くご存知のところ。
どんなに完璧を期した報道でも、軸を変えれば訴訟の対象になり得るのではないでしょうか。
米国トヨタの7兆円罰金も、GMの6000億円賠償(ここでも激しいHP合戦が繰り広げられたそうですね)も、真実がどうか、で決まったわけではないようです。
今年、PCの世帯普及率が28%を超え、2003年には米国と同じ50%台に達するそうです。そのころにはテレビ、ラジオとも、デジタル本放送も始まってるし…。
朝日新聞は、テレビ朝日は、「かくあるべし」ということは、もう望むべくもないんじゃないですか。大兄。
前から申し上げているように、少なくとも新聞は、すでにお終いですからね。
先週に引き続き、論旨、かなりピンぼけながら、敢えて反響しました。行ってらっしゃい。お気を付けて。
田川追記7/20
東芝を告発するページがあることは知ってはいましたが、見たことはありませんでした。
梶原守昭さんからアドレスをいただいたので、覗きました。
“これは凄い”と思いました。
“僕らはインターネットという凄いメディアを手にしたんだなあ”と実感しました。
ヒット数は600万を越えています。あの音声ファイルは衝撃的です。消費者を、まるで虫けら扱いですね。
東芝の完敗です。論理的に正しくても印象で大負けです。
東芝は、あのホームページの削除要求を裁判所に請求しました。
弁護士を初め、大衆が猛反発しました。表現の自由をなんと心得るか、という怒りです。
仕方なく取り下げました。
対応した社員はもちろん、裁判所に訴えた東芝も、消費者をなんと心得ているのか、頭を捻りますね。
もともと商品に欠陥があった、という話が発端です。東芝が悪いのに、消費者を強圧的に黙らせようとする態度は噴飯ものです。
東芝製品の売り上げに影響が出るでしょう。
聞いた人は一生忘れないほどの強いインパクトでしたから。
今後ボクは、東芝の製品を買わないでしょう。
ユニセフは国連の一つの機関で『国連児童基金』といい、世界の子供達が健全に育ち、教育が受けられるように彼等をサポートしています。
本部はニューヨークにあり、日本にはその支所にあたる駐日事務所があります。
日本政府との交渉や物資の調達、広報などの仕事をしています。
女優の黒柳徹子さんは、親善大使として、ニューヨークの本部と契約を交わし、駐日事務所がマネジメントをしています。
『日本ユニセフ協会』という財団法人があります。
募金活動が主な仕事です。
カードの販売もしていますから、利用された方もあるでしょう。
募金協力のダイレクトメールを受け取られた方もあるでしょう。
7/9の東京新聞です。
【ユニセフが流用】
「地球の歩き方」読者37万人の個人情報
寄付集めのダイレクトメール用の住所氏名を「地球の歩き方」の出版社から提供してもらったという記事です。
本に挟み込んであるアンケート用紙を書いた人の住所氏名が渡されたようです。
この本の読者は意識が高く、寄付の確率が極めて高い、と聞きました。
この新聞記事はファックスで黒柳徹子さんからボクの職場に届きました。
メモがありました。
「“私とは違う”と言いたい所です」
黒柳徹子さんは自分の口座を第一勧業銀行六本木支店に開いて独自に募金活動をしています。
日本ユニセフ協会の募金活動と混同される事が度々あります。
“黒柳徹子さんに寄付したのに、また募金協力の手紙が来ました。何故ですか?”
このような混乱です。
黒柳徹子さんはダイレクトメールは出していませんから、『日本ユニセフ協会』から来たものです。
最近、『日本ユニセフ協会』はアグネス・チャンを『日本ユニセフ協会大使』に任命しました。
二人とも肩書に“ユニセフ”と“大使”が付き、両名とも募金活動をするわけですから、どう違うのだ、という混乱があります。
日本ユニセフ協会では“黒柳徹子さんは、地球規模で、アグネス・チャンは国内中心に活動してもらう”と説明しています。
黒柳徹子さんがユニセフ親善大使になってから16年目になりますが、これまでにも
募金を『日本ユニセフ協会』を通してユニセフ本部に納めて欲しい、という話はあったようです。
黒柳徹子さんの意向は“頂いた募金は一円も無駄にしないで現地に届けたい”というものでした。
『日本ユニセフ協会』が集める募金は経費(事務所経費、人件費、広告費、ダイレクトメール発送費など)として25%(ボクの推定)くらいを使いますから、募金金額が全部そっくり現地に届きません。
経費が掛かるのは当然ですし、それを非難しているわけではありませんが、“いいことをしているんだから、いいじゃないか”という思い上がりは、個人情報をもらう方も提供する方も謹んでもらいたいものです。
新聞に載った両者の言い分は、そんな気分に満ちていました。
高い意識を持って意義ある仕事をしている人ほど守ってもらわなければならない社会のルールです。
自分の情報を使われて不快に思っている人もいるのですから。
今年の親善大使の訪問国はユーゴのコソボに決まりました。
取材班は7月21日に出かけ、8月2日に帰国します。
まず、8月20日(金)に『ニュースステーション』に黒柳徹子さんが出演して報告します。
90分のドキュメンタリー番組は10月3日(日)の午後2時からです。
少し遅くなりますが、是非ご覧下さい。
梶原守昭さん7/12
今朝のメールで「事実関係」と申し上げたのは、「アンケート・データは、ケースによっては、当事者が自由に使用、譲渡できる場合がある」からです。
「ケース」とは、なんらかのカタチで「あなたのアンケートを利用しますよ」という但し書きがある場合です。
今回の場合は、全員分がそのような形で集められたものではなく、定期購読者リストなども提供していると思われるのですが、一概に違法または倫理に反する行為であるとは決め付けられない可能性があります。
とくに今回の場合は、リスト譲渡に関して金銭の授受がないため、問題は、微妙です。
ご存知の通り、さまざまなDM用のリストが、巷間出回っています。
1名あたり数十銭から数万円までで、ごく日常的に取引されています。
中には、どうやって入手したのだろうと思われる怪しいリストもありますが、ほとんどが日の当たるところでのビジネスとして成り立っています。
オウム以前は(たぶん今でも)、TV局では、番組に届いた意見・感想やクイズ回答のハガキを、ごく日常的に番組提供スポンサーに渡してきました。
その行為のひとつひとつの違法性や倫理性を問い糾弾していくことは重要です。
しかし、DMの世界にも長らく関与してきた小生としては、「どんなカタチでも、個人データを露出したら、それはどう使われるか分からないよ」ということを申し上げたい。
阪神大震災の義捐金名簿が、リストとして出回っているというハナシもあります。
小生の友人は、自分が開発した巡回ソフトによって、すでに600万のメールアドレスを入手したと豪語しています。
自衛してもし切れないぐらいですから、アンケートなどで、自らデータを提供したら、何をか言わんやです。
まして、駅前でのアンケートや、雑誌に掲載されているワケの分からない懸賞に応募するなど論外です。
恐くて悲しいことですが、我々の個人情報は垂れ流しであるという前提認識に立っていただきたいのです。
もちろん、日本ユニセフ協会、ダイアモンド・ビッグ社の行為を、そのまま是とするものではありません
が、読者リストを譲渡したこと自体が、マスコミ(東京新聞からもずいぶん読者リストをいただきましたが)で指弾されるべきことか、どうか…。
敢えて異説を呈しました。
阿部尚美さん7/13
田川さん、今晩は。
ご無沙汰致しております。
HPを拝見して、あ、やっぱり、と思ってしまいました。
少し前に私のところにもその[ユニセフ]の募金のメールが届いたのです。
中には振り込み用紙と[ユニセフ]からと[地球の歩き方]の偉い方らしき人物の直筆サインのようなレターが1枚づつ、それと今後このようなDMを受け取りたくない人は宛名のシールをはがきにはって[MPS登録希望]とかいて[ユニセフ]に出せば今後は来ないらしき紙が1枚入っていたように思います。
実はそのDMを見たとき、何故このようなものがきたのか不思議に思い、あちこちひっくり返してながめました。
どこにも黒柳さんのお名前が無く、以前見た何かのユニセフの広告には、確か黒柳さんのお名前の口座だったのに、もしかして、偽物かも、などと、(ユニセフがふたつ?あることを知りませんでしたので)振り込み用紙を怪しんだ私はDMお断りの手紙の他は、捨ててしまいました。
しかし、迷いましたが、また届いても困るので、そのMPS希望というものだけは、はがきに貼って出しました。
今手元にあるのはそのときの紙だけですが、改めて読んでみると、"ユニセフ本部及び(財)日本ユニセフ協会では、今回のようなご寄付のお願いを個人の機密保持に配慮しながら実施"とか"ユニセフ本部が企画し、最高責任者であるキャロル・ベラミー事務局長より送付"などと書かれています。これでは、一般人には分かりませんよね。
いつも募金もせずに申し訳ないのですが、この手のDMに随分昔の旅行の資料取り寄せのデータが"機密保持に配慮しつつ"使われたとは驚きでした。
昔友達がアルバイトで懸賞の応募はがきの住所などのデータインプットをしたことがあり、それらが他目的のデータに使われるのを知った彼女はもう懸賞に応募するのはやめる、と言っていたのを思い出しました。
インターネットのデータもそんな方向にどんどん勝手に使われるようになるのかと思うとぞっとしますね。