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紙面にねつ造記事が載っているかもしれない。そんな危惧を読者に抱かれた新聞は、メディアとして「失格」である。総選挙の最中、明らかになった朝日新聞長野総局の西山卓記者(28)による取材メモ偽造問題。不祥事続きの「天下の朝日」にとって、デッチあげは「伝統」とのそしりを払拭できるのか。
「功名心だったかもしれない」
西山記者は、朝日新聞の社内調査に対して、こう述べたという。実はデッチあげをした記者がその動機を「功名心」と説明したことは、半世紀前にもあった。
伊藤律単独会見のヤスクープユである。
1950年9月27日、『朝日新聞』の3面に7段抜きの記事が掲載された。警察から追われていた共産党幹部、伊藤律氏と兵庫県宝塚の山中で面会したとされる神戸支局の記者が、そのインタビュー内容を書き綴っている。
無精ひげ、鋭い眼光などと伊藤氏の表情が書かれ、ご丁寧にも、記者との一問一答まで紹介されていた。しかし、3日後には1面で「会見記取り消し」の社告が出る。
記者は逮捕(後に起訴猶予)され、朝日は彼の供述内容を次のように報道した。
〈あの会見記は全然ねつ造記事だ。宝塚山中には全然行っていない。その動機は世間をアッといわせるような特種を書こうというニュース取材に対する競争心と功名心からで……〉
特ダネを求め、功名心にはやった結果を、身をもって体験しているはずだった。
しかし、今回また過ちは繰り返された。それも、とても「特ダネ」とは言いがたい、社内での取材メモをめぐってのことだ。西山記者をかき立てた功名心とは何だったのか。
8月29日午後9時過ぎ、朝日から社内調査の結果と処分を知らせるA4判の2枚と、編集担当役員の話を記した1枚の「広報文」がファクスで報道各社に送られてきた。
田中康夫・長野県知事と、亀井静香・元自民党政調会長が長野県内で会った、などという8月21日と22日の記事が、虚偽のメモを基にした・という内容である。メモは、西山記者が政治部の依頼でつくった。
その動機としてファクスには、こう記されていた。
〈社内調査に対し、この記者は「書いたこと自体悔やまれる」と話しています。その一方で、「田中知事からこれぐらい聞けるんだというのを総局長に見せたかったのかもしれない。あとから考えれば功名心だったかもしれない」とも話しています〉
立教大の服部孝章教授(メディア法)は、
「一番ひっかかるのはこの部分なんです。(田中知事は)功名心をかき立てられるような相手だったのか。スクープでもないし、(政治部が)素材を送ってこいというだけ。合点がいかない」
と首をひねる。
朝日はこうした部分にきちんと答えるため、記者会見を開くべきだったというのが服部氏の主張である。ところが、朝日は会見しなかったばかりか、8月30日の朝刊で問題を詳細に伝えながらも、西山記者の言葉としては、
〈「取り返しのつかないことをした」と話している〉
という一文を紹介するのみだった。31日の社説で「功名心」という言葉が登場するが、読者への説明責任を十分に果たしたとは言いがたい。
■本社手配の「行政」が重圧に
テレビのコメンテーターを務めるジャーナリスト、岩上安身氏も、朝日の調査には「なぜ」が抜けていると指摘する。
「記者の行動は、それが発覚したときのリスクと比べて不釣り合いで、理解しがたい。社内の人間だけで調査するのではなく、第三者を入れてきちんと検証すべきではないのか」
朝日新聞広報部によると、西山記者は01年に入社し、静岡支局(現静岡総局)に勤務。昨年4月に長野総局に異動し、今年4月から県政の取材を担当していた。
本誌は、これまで西山記者から取材された経験のある人たちに話を聞いた。
長野県内の大学教授は今年1月、地震の防災対策について取材を受けた。この際、教授は、記事内容の誤りを避けるために、紙面化する前に確認させてほしいと要望した。西山記者は、ファクスを送るなど、真摯な取材姿勢だったという。
「事前に基礎知識を整理してきたとみえて、書かれた原稿の内容も正確で、ほとんど手直しの必要はありませんでした」
と、振り返ったうえで、今回の事件の感想を、
「良い記者になると思っていただけに非常に残念です」
と述べた。
また、昨年6月に西山記者が訪れた小学校の校長も、その仕事ぶりを評価する。
「取材を1度で済ませず、2回か3回は来ていました。教師や子どもたちに話を聞くときも、自分の意見を押し付けず、考えがまとまるのを待つ場面もありました。出来上がった記事も、私たちの考えを正確に伝えていただいたと思います」
それだけに、今回の事件について「意外だ」と言う。
他社の記者からは、
「周りとあまり積極的に付き合おうとするタイプではなかった。公私をはっきりと分ける人だった」
との声もあった。
ただ、彼の普段の仕事ぶりは、今回の「デッチあげ」に結びつく要素は浮かばない。
元朝日新聞記者でジャーナリスト、稲垣武氏によると、朝日本社から支局(総局)への取材依頼は「行政」と呼ばれている。このなんとも官僚的な響きのある「行政」が、若い支局員にとって、重圧となることがあるという。
「支局時代に本社からの『行政』で、ある公害の有無を確認したことがあった。いくら調べてもないので、そう報告したら、支局長から『ないということは取材力が足らない。そんなことならば本社へ上がる芽はないぞ』と叱責された」
別の朝日OBは、西山記者が入社5年目だった点に着目する。
「そろそろ本社に上がってくる年代です。支局の記者にとって、本社からの『行政』に応えられるかどうかで評価が決まることもある。西山記者は政治部志望だったと聞きます。もし、そうであれば必死にアピールしたかったのかもしれません」
ヤ成果ユにはやる若手記者の振る舞いを、上司なり政治部の社員なりがチェックすることはできなかった。
■根強く残る不祥事の隠蔽体質
稲垣氏は、朝日の体質にも苦言を呈する。
「朝日の記者は社内権力にめっぽう弱く、上の方だけ見て、にらまれないようにしている。ヒラメ記者なんです」
加えて不祥事が語り継がれていないとも指摘する。
「私が神戸支局に赴任したのは、伊藤律の会見ねつ造の約10年後。古くからいる先輩に聞いても、ねつ造事件のことはしゃべってくれない。知らないはずはないんですが……」
朝日新聞社では89年に写真部員がサンゴを傷つけて撮影し、社長が引責辞任する出来事が起きている。最近でも、他紙の記事盗用(00年6月)▽取材録音を第三者に渡す(04年8月)▽『週刊朝日』が武富士から5000万円の資金提供(05年4月)▽NHK番組改編問題の資料が社外流出(05年8月)など、トラブルが続出している。
そのたびに「反省」をし、「再発防止」を誓ったはずだ。が、会見を拒む姿勢といい、稲垣氏の指摘する「不祥事の隠蔽体質」が今も根強く残っているのではないか。
朝日の関係者は、
「社内では『まだ爆弾が二つある』と噂されている。社員の処分をこれほど急いだのも、この先に新たな不祥事が露見する可能性を見越したからではないか」
と、不気味な予言をする。
問題発覚後の4日間で、朝日には電話やメールで約1300件の苦情が寄せられた。こうした声に真正面から応えないと、組織の根っこは本当に腐りかねない。
前出の服部氏は、
「西山記者をすぐに首にしたが、トカゲのしっぽ切りのように見える。会見を開いて他社からも疑問を指摘してもらい、時間をかけて調査をして、それからでも遅くはない。それなのに朝日は、世間向けのポーズを優先してしまった」
と指摘する。
現場の記者は今後、政治家や役所に会見を求められるのか。なにより、朝日のスキャンダルを一番喜んでいるのは「権力者たち」であるということを忘れてはならない。
本誌・坂巻士朗
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