館長私的記録(Chief Librarian's Personal Log)04年09月08日〜月末
このページの内容は、館長の私的な生活の記録です。だから自閉の話題は私が自閉のことを改めて考えた日にしか出てこないし、いかにも自閉らしいエピソードは、いかにも自閉らしいネタが降ってきたときにしか出てきません。アスペルガーとはどんな障害なのかを一から知ることが目的なら、それ用のサイト(簡単にすませたい方はこちら、じっくり見たい方はこちら)へ行った方がいいです。他方、一人の生身の自閉者が日々、どんなことに・どんなふうに関心を持ち、どんな周期で何かに熱中したり飽きたりをくり返しているのか、雰囲気をつかむ上では参考になるかもしれません。ついでに、生身の私たちがいかに教科書どおりではないかを感じとってくだされば幸いです。

前の館長私的記録へ 次の館長私的記録へ インデックスページへ 仕事一覧へ 実用リンクと参考図書

30
北海道へ来て良かったと思うことの一つは、道が広いことです。道路をひいたときに土地があまっていたせいなのか、雪を捨てる場所が必要だから広くしてあるのか知りませんが、裏通りも広い。そして、塀があんまりないんですね。これも雪かきの都合かもしれませんが。

のへーーとした平板な街路風景は私の目とキモチに優しくて、「ああ、遠くへ来たんだな」という気分になります。大阪の薬屋街や繊維卸街の建物のくっつきぶりも、あれはあれで懐かしくて好きなんですが。

もう一つ、お家賃が安めの学生さん向けのアパートであっても外階段じゃなく内階段が主流なのと、バルコニーのない部屋が比較的多いのとで、外観に凹凸の少ない建物が多いんですよ。つるんとした箱のような真四角なので、クリスマスツリーにぶらさげる紙製の家みたいに見えるのです。

小さいとき、石けんや写真フィルムやチーズの空き箱を敷居や畳のへりに沿って一直線に並べては、這いつくばって「下から」ながめようとしたのを思い出します。

そして、プラタナスのにおい。たしかに札幌は街路樹が多いですが、ナナカマドだったりニセアカシアだったりイチョウだったりいろいろで、そんなにプラタナスが多いわけじゃありません。でも、プラタナスだけは遠くからでもにおいがするので目立ちます。においにひかれてくんくんと鼻をうごめかしながら探してみると、あの特徴あるアップリケみたいな模様の樹皮が目に入ります。いつ見てもへんな模様だよな。

ピンカーが届きましたが、今の仕事が終わるまでは読めません。じっと我慢の子。

補足
毎日の連載ですが、大阪の友人が問い合わせてくれたところ、関西では載らないことがわかりました。残念ー。故郷にワタを飾りたかったのにな。

私は、担当者が送ってくれた東京版が今日届いたので、現物を見ることができました。小暮満寿雄さんの描いてくださったイラストの中では、私は地球外生物ですので、怪しいネコミミのネズミの姿で登場しております。で、これがまた似てるったら!

というわけで、載る地方と乗らない地方があることがわかったわけですが、テキストだけならネットでも読めるようです。第1回はこちら

現在、脳みそのコンディションがイマイチで、あんまり長い文や難しい話は体力的に書けないんですが(日記は別です、起承転結も考えず、同ネタのループも前後の矛盾もかまわず、書き流してるだけなので)、こういう短くてやさしい文からゆっくりと慣らしていこうかなと思います。まだまだ休業できるのはだいぶ先の話ですしね。

29
チケットとりのために早起きしました。みごとに安い券はとれたし、前回とちがって希望の便でとれたので達成感も満足感もあるんですが、そのあとがいけません。券はもうとり終えてしまったのに、まだ「やるぞ〜やるぞ〜がんばるぞ〜」の気分が抜けません。警報が解除されないんですね。おかげで、興奮をもてあましてフトンに蹴りを入れてみたり、部屋を散らかしてみたり。さすがにフスマとか窓ガラスとかにぶつけたりはしませんけどね。

昼を食べたら、そのまま融けるように眠ってしまいました。うわあん。銀行とか行きたかったのにー。なんでだー。昨夜、今朝のチケット発売に間に合うように目覚ましを2つかけて早々と寝たのはいいけど、夜中に2、3回、寝過ごして切符を買い逃した夢を見て起きたのがいけなかったのでしょうか。でも、私の夢魔さんの名誉のためにつけ加えておきますと、ずっとそういう縁起でもない夢ばかり見てたわけじゃないんですよ。夕べの夢の中では、カルピスを使ったカクテルのレシピも開発して試飲したし、よもぎ団子も作っていたんですが。いや、夢だから肝腎なところは覚えてないです。カクテルも試飲したときの味は覚えてるけどレシピはサッパリ%&#$%*???ですし、よもぎ団子もこねた感触は覚えてるんだけど、結局、きな粉つけたのか餡をつけたのか覚えていません。

ただ、舞台になってたキッチンは、小学校1年から3年まで同じクラスだったKちゃんの住んでた公団のキッチンでした。よく考えてみたら、あれって70年代前半の内装だったんだ……。初めてピザを食べたのはあの家でだったな。P君っていうぶちのコッカースパニエルがいたっけ。コッカースパニエルって『わんわん物語』のアニメで見たほかは横顔の写真しか知らなかったから、「正面から見たらこんなに唇が垂れているものなのか〜」と驚いたのを覚えてます。

昼寝のときにも夢は見てたような気はしますが、忘れました。

何だか寝てばかりで、銀行も買い物も行けず、かといって仕事も少ししか進まず、生産性の面ではいまいちの日でした。まあ、飛行機のチケットがとれたし、押し入れの中に置く洋服かけを受け取ったんだし、洗い物もしたからまだいいのかも。サバ缶の残りは食べたし、あとは梨を食べるだけ。

さて、遅れをとり戻すために、仕事に戻ります。今日はがんばるぞー。そして明日こそティッシュを買いに行きます。

28
本日は動悸と震顫と不安と寒気でどうも何をやってもロクでもない感じ。こういうときは「(汚れていなくても)歯を磨きたい」「デンプンが多めに食べたい」「塩気がほしい」という感じになります。この中で、ボンヤリした気分のままでもまっ先に気づくのは歯茎の不快感です。歯磨きへのモチベーションがあまりに高い日は、どうも要注意のようですね。もう一つ、ここで調子に乗って電動歯ブラシを使いすぎると、歯茎を傷だらけにしてしまい、それが口内炎のタネ火になるのであとが面倒。だから、こういう気分のときの歯磨きには自制心が必要です。

札幌へ来てからこれはほとんどなかったので久しぶりの感じ。ふう。しかたがないのでパスタをゆでて、ツナの代わりにサバ缶をほぐして、サバ缶スパゲティにして食べて、布団にくるまってとろとろ昼寝。せっかくだから体力も回復させたいところ。

せっかくの昼寝だったけど、なぜか悪夢で目覚める。汗びっしょり。その悪夢ってのがまた、堺三保氏の蔵書処分が元ネタで、「なんで私がよそんちの蔵書の処分で」という気になってきます。でも、この件が引きがねになってるとは思いませんけどね。もともとパニッキィな身体の状態があって、だからこそ睡眠中の脳がそれに似合う映像をライブラリから取り出してきただけでしょう。

明日はまた朝起きして飛行機の切符とりです。決戦は9時半。しっかり私〜。昼寝したから眠くならないんじゃないかと思ったけど、どうもそれはだいじょうぶみたい。

自分用メモ。赤梨を傷まないうちに消費すること。サバ缶の残り、使ってしまうこと。麺類用乾物ミックスを作ること。

買い物:ティッシュ、玉ねぎ。

27
朝の9時半にパソコンに張りついて、エアドゥーの割引き切符をとりました。2か月先の千歳発羽田行きです。いや〜、スリリングでした、空席争奪戦。えらいぞ私。あさってまたがんばります。

何か最近ずっと涙もろい私ですが、堺三保さんの蔵書処分話を読んで以来、ときどき思い出しもらい泣きのような状態になります。自閉スペクトラムの人間に共感能力がないってのはちょっとちがいますよ。どっちかというと、共感できる場面・できない場面、あるいは、共感できる表現・できない表現を区切る境界線が、非自閉のみなさんとちがう所を走ってる、っていうのが当たりじゃないでしょうか。

今日は北大の近くで(って、この辺はどこも北大の近くなんですが)お好み焼き食べました。青のりも削り節も乗ってなかったし、チクワも糸イカも山芋も入ってなかったけどおいしかった。

またしても『もったいないのココロ』(→bk1 amazon)を人にあげてしまった。夫にも貸してないのに(笑)。何でまた私は人に自分の読み終わった中古本を差し上げるんだろうな。新しいの買ってプレゼントするという手だってあるだろうに、なぜか気がついたら手元にある中古を送って、自分が次のを買ってしまってるんだなー。あ、もちろん拙訳の贈呈は新品ですのでご心配なく>もらったことのある方々

泣いたら疲れたんで今日はもう寝ます。

26
自閉さん・自閉くんに「思い出しパニック」(フラッシュバックとかいうらしい)が少なくないことは一部では有名になってきましたが、近ごろの私は「こうなっていたかもしれないパニック」の小さいのをいくつか経験してしまいました。現実の過去では運良く避けられた「ワースト・ケース・シナリオ」を自分で想像したやつがありありと浮かんじゃってですねー、まさに今、それを体験してるかのようにカンチガイするんですよ。気分はすっかりそのときの年齢。

もちろん、想像の内容(というか、使われる動画)は、前もってアタマの中で準備してあったものです。まさか、リアルタイムでいちいちイメージしながら同時進行でパニクるなんて、そんな器用なワザは(無理とはいわないまでも)忙しすぎます。昔の自分の行動のあぶなっかしさに今さらながら気がついて、「わー、運が悪かったらこうなってたかもしれないんだよな〜!」などとゾーっとしたときに思い浮かべた映像が使いまわされている模様でした。

まあ、これなんかも、休憩したくなった理由の一つです。とりあえず全身をネジ回しで分解して、部品の一つ一つまで布でみがいて、また組み立てたらさっぱりしそうな気がするんですよね。いっぱい病院行って、健康診断なんかも受けたりして、睡眠リズムも整えて、荷物も出して、運動する習慣もつけて、あと何だろうな。そうか、運動だ。

休憩に入ったら、整形外科、歯科だけじゃなくて婦人科なんかにも行ってみたいなと思ってるので、まずは今のうちから体温の記録でも始めようかな。体温を記録するだけなら休まなくてもできそうですし。今ある仕事をやりながら、その間に記録をためといたら、それなりの資料になりそうですよね。体力過信組の私ではありますが、やっぱり一度は年貢を納めた方がいいんじゃないかと。でも私のことだから、1か月半か2か月やったら絶対飽きると思います。仕事したい! ネットしたい! スタトレの再放送見たい! と騒ぎ出すはず。だいいち、お金が入らないと生活に困りますし、病院がきらいですしね(いや、いろいろ珍しい器具が見られるのはいいんですが)。

ただ、病院行ったら何かちょっとした病気が見つかったりする可能性がないともいえないので(ボディイメージのへっぽこさ、痛覚の鈍さなどを考えると特に)、それを考えたら、病院ツアーするならスケジュールは空けといた方が安心できます。なにしろ臨機応変に対応、ってやつがヘタクソですので。

25
毎日新聞の連載ですが、全国一斉ではないようです。少なくとも北海道版には載ってなかったし、大阪の友だちからも「ない〜」という報告があったので。誤報を信じて買いに行かれた方、すみませんでした。ただ、以前、毎日の担当者(東京の方です)に「買いに行きますねー」と言ったら、「いや、そんな、買わなくても、少し待ってくだされば郵便でお送りしますから」とのお返事だったので、北海道版に載らないという認識を担当者は持っていないことがわかります。北海道ではいつかは載るんだけど曜日がちがうか、載る範囲を東京の担当者は把握していないか、どちらかなのでしょう。載っていなくてもあまり気にせずに、しばらく買い続けてみようと思います。新聞にせよ雑誌にせよ、やはり、お金を出して買うことが、また企画しようというモチベーションを支えると思うので。

ほかの地方の方はともかく、東京圏の方は、駅やコンビニに買いに行ってくださるととてもうれしいです(ところで、私のいただく原稿料は、売れた部数とは関係がありませんので、これは自分の収入のためにお願いしているわけじゃありません。「発達障害を取り上げると好評らしい」というフィードバックが伝わると、何回か後に別の発達障害当事者に――おそらくは私とは毛色のちがう当事者に――依頼がいく可能性が高くなると思うのです。その方が、多様性を知ってもらえることにもつながるでしょうし)。

夕方、路面電車とロープウェイとリフトを乗り継いで藻岩山へ夜景を見に。路面電車好き、ロープウェイ好き、リフト好き、高いとこ好き、夜景好き、藻岩山好き。景色があまりきれいだったので、逆に何か悲しくなってしまいました。リフトは、のぼりは上についてるビニールの屋根が黄色の、くだりは緑のに乗りました。

降りてきてからは、すすきのでビールを飲みました。カスベの煮こごりを食べました。焼きなすも食べました。なすはヘタの部分(焦げたガクはもちろんむきますよ)が一番なすの味が濃いことがわかりました。焼きなすに乗っていたカツオの削り節が軟口蓋にぺたんと張りついて、気になるので舌先ではがそうと努力していたら、舌の根元が攣りそうになりました。舌先ではとれませんでしたが、アスパラを食べたらとれました。あの努力は何だったんだと思うと少しムッとなりましたが、なら、とれない方が良かったのかと言われるとやはりとれた方が良かったので、文句は言わないことにしました。言わなくても字で書いていたら同じですが。

24
仕事情報。25日から毎日新聞土曜朝刊の生活家庭面「みんな一緒」というコーナーで、『自閉姫の見聞記』という短文を連載させていただくことになりました。しかし、「私は地球外由来のエキゾチックペットなんだから、地球イヌや地球ネコの飼育環境を押しつけるな!」なんて公言している書き手を、「みんな一緒」というタイトルのコラムによく採用してくれたもんだと思います。関係者の英断に拍手。

まあ、もともとシマリのない性格ですんで、必然的にシマリのない内容かつシマリのない文体になると思います。せっかくだからシマリのないオチをつけて、龍頭蛇尾(アンチクライマックス)の女王を目指したいところですが、オチ、まだ考えてません。考えたところで思いつくかどうかはなはだ不安です。大阪で生まれたからといってだれでも商売の才能があるわけじゃないように、大阪に育ったからといってだれにでもお笑いの才能が身につくわけじゃありません。ちなみに私は(自閉っ子の例にもれず)大阪に育っても大阪弁が身につかなかったくらいですから、商才もお笑いもあんまり過剰な期待を持たないようにしようと思います。

――などと、くだくだしく言い訳しているのは、「オチに持ち込めなかったので、あと2、3回、延長させてくださーい!」とか何とか言って連載を引き延ばしてもらい、収入を増やさんとする壮大な計画の下準備……というわけではありません。ただ、あんまり楽しんでもらえなかったときに備えて逃げ道を残そうとしているだけです。

さて、2日前の日記でいきなり休業予告してしまったとはいえ、だからって毎日が急に変わるわけがありません。「今やってる仕事と、お約束してる仕事がすんだら」ですから、これが本当に有効になるのはかなり先の話です。だから相変わらず仕事をして、仕事したらぐったり疲れた。あたりまえだけど。

こんなあたりまえのことさえ、つい2、3年前の私は知らなかったんですから、今はわかっているだけ進歩です。

それにしても、この「あたりまえの気づき」はけっこう高くつきました。今じゃ、少し働いただけで、前よりずっと疲れるようになりました。単に、疲れを検知するセンサーがインストールされただけじゃなさそうです。たいした量は処理してないのに、何でこんなに疲れるようになったんでしょう? 何か原因があるはずです。ちょっと分解してみましょうか。あれ、ネジ回しどこどこ。

追加
ダメだやっぱり私。これじゃ続かんですよマジで。

地球で生活してるかぎり、私はエキゾチックペットなのです。配合飼料は市販されてないし、温度、湿度、重力、照度、運動頻度の最適値もわかってない。それを手探りで飼育するってことは、日々の飼育業務と観察・実験・研究を自転車操業で同時進行してるってことです。飼育係と研究者の兼任はしょうがないとして、飼育係兼研究者はは飼育対象も兼任してるんですよ。そして飼育対象はケージの中でフリーランスやって、地球土着の地球人と同じ条件で仕事を取り合わなくてはならないんだから。

既製のライフスタイルを拒否するなんて言うとかっこいいけど、私は拒否した覚えはないぞ。既製のライフスタイルほしいぞ。だけどほしくても売ってないじゃないかー。馬場の靴、KONISHIKIの服、めだかの服が売ってないのと同じですよ。

今やっている仕事と、お約束してる仕事とがすんだら、しばらく新規の仕事を入れるのは休もうと思います。休んで、その間に自分というイキモノの体調を観察し、飼い方を研究し、飼育に必要な資材の種類と量、補給の頻度を測定しますよ。そうじゃないと、翻訳家の中の人(宇宙人だけどさ)に地球カビが生えます。

もちろん、悪いことばかりじゃありません。

このあいだまでご近所さんだった関西の知人から「まだあついよー」と聞くたび、札幌へ来てよかったと思います。ただ、これが冬にも同じ感想を持てるのかどうかは冬を越してみなきゃわかりませんが。ぐおー、自分の意見が確定するまでの間って落ちつかないから早く確かめたい。早く確かめたいから早く冬になれ。私はせっかちなんだ(←と言ってしまってから、自分は秋が大好きであったことを思い出してあわてる私)。

そういえば! 唐澤俊一氏の「裏モノ日記」の13日に「二十世紀梨」が出ていたっけ。いいなーいいなー。秋だからね。私はまだ一度も見かけていないんだけど、そのうち出回るだろうからお利口に待とう。

「未来少年コナン」再放送決定、11月4日(木)〜とのこと。

補足
これはたいした根拠もない思いつき、というか、勘にすぎないんですが(前にも何度かループしてるかも。そうだったら、何度も読まされてる人、ゴメンナサイ)。

私は楽観的でホガラカで鷹揚な気質ですが、若いころの遠回り・失敗・挫折の多くは、自信過剰・学習効率の低さ・懲りにくさから来てたと思うのです。どうもこの、「楽観的でホガラカで鷹揚」と「自信過剰・学習効率の低さ・懲りにくさ」の間には、生理的に(もしかしたら解剖学的に?)共通の基盤があるような気がしてしょうがないのです。

それに加えて不思議なのは、「臆病」と「懲りにくい」「横着」がしっかり両立しうることです。「普通、臆病なら懲りるだろー」と思うんだがなあ。

9/22
このごろ、必要があって若いときのことを思い出したりしているんですが、そこらじゅうにむかって謝りたい気分になってしまいます。20年前の自分の、何と何もわかっていなかったことか! 頭かきむしって走りだしたいよもう。

私がこうやって何とか仕事してやっていけてるのも、数限りない偶然の組み合わせ、プラス、この20年でたまたますれ違った何十人、何百人という人たちのフォローの積み重ねがあったからだと思うのです。でも私にはもはや、何が何だかさっぱりわからん。だってその当時にしてからが、フォローされてる当の本人には、何が原因で自分が失敗してるのか、どう失敗してるのか、見えてなかったことも多かっただろうし。転びかけて手を掴まれて止まったのに、知らなかったこともあっただろうし。いや、きっちり転んでいてさえ、転んでること自体、気づいてなかったこともあっただろうし。当然ながら、お礼だって言ってない。

「どうして現在、うまく行っているのですか?」と私にきかれても、私には役に立つお答えはできませんよたぶん。きっと「運です」としか返事しませんよ私。それか、「全部合わさって」とか。

夫がよかったのはもちろんだろうけど、18年前にたまたま乗ったタクシーの運転手さんも、17年前に検札に来た車掌さんも、15年前の宅配便の配達員も、13年前に銭湯で隣り合わせた人も(あくまで例ですのでテキトウです、何てったって覚えてませんので)、たまたまそれなりにいい人だった(あるいは、そう悪い人じゃなかった)とか。想像ですけど。

でも、「うまく行ってる」って、何とくらべてでしょう?「自閉の重さの割に」ですか? でも、何を規準にして言ってます? 私、本当にうまくいってるの? よくわからんです。気温に合わせて重ね着とか、転倒せずに靴下をはくとか、睡眠リズムを守るとか、適度に水を飲むとか、耳や腕を下敷きにしないように寝返りをうつとか、その辺もまだまだ課題がいっぱいです。

でも、「無事故で何とかここまで生き延びてこられた」と思うと、それは確かに「うまくいってる」と思うのです。恵まれすぎてるくらいに恵まれてるって。自分だけずるくて申し訳ないくらい恵まれてると思うけど、理由をきかれても「運」としか答えられない。まわりがたまたまいい人だったんだろうくらいにしか考えられない。でもそれをそのまんま口にしても、聞いた人は応用できない、参考にできないから役に立たない。その一方、世間を恨んでない、たまたま今まですれ違った人たちの善意に感謝してたりする、ってところで、「健常者を立てる発言」「多数派にとって口当たりのいい発言」、アンクル・トム的発言だと感じる人もいるんだろうな。

健常者には抗議してみせる、世の中は告発してみせる方が誠実そうに見えるんだろうなってところまでは、頭では知ってるけど、じゃあ具体的には何を抗議したらいいのか、何を告発したらいいのか、それがわかってるわけじゃない。ポーズのための告発に体力や気力を費やす余裕はないし、仮想敵を作るのだって偶然選ばれた相手にとっちゃあ迷惑だろうしねぇ。

9/21
たったこれだけで不眠ですか。

(現在午前4時。)ただ、昼に宅配便を受け取って、午後に楽しく映画を観て、早めの夕食をとって帰ってきただけなのに、ぴりぴりと目が冴えて眠れません。後味の悪い映画だとか、怖い映画だとか、考えさせられる映画、余韻のある映画なんかで眠れなくなるならわかります。でも『スパイダーマン2』ですよ〜? 子どもが昼間に海水浴に行ったからとか、親戚の人が来たからとかで眠れなくなるのとおんなじやつですが、たったこれだけのために睡眠リズムが崩れてしまうのかと思うと……。

睡眠のパターンって、作るには日数がかかるのに、崩れるのって1回ですからね。踏みはずすのがイヤなら、変わったことは何もしないで暮らせってかー? 作動する環境条件の幅が狭すぎる脳みそって不便。手間ひまも金もかかるし、チャンスも逃す。ヘビーデューティーな脳みそはお得そうだと憧れるよ〜。

(午後4時に付記。)結局、5時ごろ寝て、11時ごろ起きました。うー。あと2時間くらい寝たかった。

(もうちょっとあと、さらに追記。)パリの地下社会。デマじゃないのか? とも思うけど、もしホントなら、何か秘密基地みたいで楽しいー。NYの廃トンネルホームレスみたいな生活かかってるのとはまた違って(あれはあれで事情が大変そうだけど、外部の手を借りずに生活を築いている自負もあるだろうことを思うと、一方的に哀れむのも何か「違うだろ」と思う)。

9/20
実家から救援物資(乾物の詰め合わせ)。私の母はどういうわけだか何回教えても私の好物や禁忌品を覚えられず、何度となく謎のおやつを送ってくれるのがどうにももったいなく、母にも気の毒だし私にとっては切なく胸苦しかったものですから、とうとう先日、はっきり品名を指定したウィッシュリストを送ったのでした。ついでに、自閉方式(?)ということで、好きなおやつは空き袋・空き箱の現物をアルバムにして送ったところ、これがよかったようです。

本当に私たち夫婦の食べられる物ばかり(それどころか、好きな物や現在不足している物ばかり)が送られてきたこともさることながら、「何が入っていそうか?」をあらかじめ予測できることが私にとっては大きな安心材料でした。

私にとって不運なことに、母は遊び心の豊富なタイプでして、「お楽しみ」が大好きなのです。その上、記憶はおおざっぱでテキトウ。一方の私は、耳で聞いた内容を理解するのがヘタクソです。そんな組み合わせの母娘ですから、「荷物送ったからね」という連絡をもらって「で、何が入ってるの?」ときいても、母の返事は何だか要領を得ないし、たとえ要領を得た返事でも今度は私が聞き取れない。聞きとれてもイメージできない。それが、この方式だと、私も「リストの中のどれかだろう」と思えるから、未知の物に対する恐怖がかなり薄れることがわかりました。

まあ、たぶん母も見本を見ながらの方が買い物が楽だったと思うし、喜んでもらえるかどうかを心配しなくていいんだし、「目で伝える」は、私だけが一方的に得をするものではなく、双方に対して有用んじゃないかなと思いました。

私は親元を離れてもうじき20年になるのですが、何でもっと早く思いつかなかったかなー。

午後、本当は運動のための散歩としては近すぎるけど、夫とさっぽろ駅ステラプレイスへ。遅ればせながら、ようやくようやくようやく、『スパイダーマン2』を観ることができました。今日行かなかったらもう終わってしまうんだから、腰が痛かろうがお腹が痛かろうが人が多かろうが仕事があろうが街がうるさかろうが行くしかない、というわけで、夫に叱咤激励してもらって行きました。私、ほんとはバットマン派ではあるんですけども、スパイダーマンの映画ってそれとは全然別の世界で、基本的に性善説の話だから見てて気が楽で、気持ちの弱ってるときでも何とか見られるんです。それに、見終わったら、よーしまじめに仕事するぞお勉強するぞお洗濯するぞ家族を大事にするぞーって気持ちになれるから、今みたいなときこそ行かなきゃなーと思って。

映画なんて『マスターアンドコマンダー』以来です。今年は引っ越しやら体調不良やらいろいろで、『トロイ』も『キング・アーサー』も行けませんでしたし。

あーーもーー、びよーんびよーんと遊園地みたいで気持ちよかった。自分は動かないで、座ったままで、サルみたいに遊べるので得だと思いました。私は飛ぶ話が好きで、ニューヨークのご当地映画も好きなので、両方合わせたスパイダーマンは二倍好きです。観ている最中、ずっと腰が痛かったのと、だんだん首が凝ってきたのがつらかったけど、それでも最後まで楽しく観ました。

以下、しばらくネタバレにつき反転(しょうもない感想ですみません)。ピーターは「2」でこそ車を買えるのかなと思って楽しみにしていたんですが、やっぱり車を買う場面は出てきませんでした。「1」のときも、いつ車を買うんだろうと待っていたら、待っているうちに終わってしまったので、今度こそ車を買うんだと思っていたのに、まだそんなお金はないようでした。それどころか、原付まで壊れてしまったみたいですし。

――と夫に言ったら、「車の件はストーリーの中心じゃない」と言われてしまいました。いや、それもわからないわけじゃないんだけど、本人がとてもほしそうにしていたんだから、気になりませんか? まあ、マンハッタンなら公共交通があるし、タクシーもたくさん走っているから、車を持っていなくても困らないとは思うんですが。

あと、跳べなくなったスパイディーがしかたなくエレベーターで降りるとき、乗り合わせた犬連れのお兄さん(ハル・スパークス)がとてもハンサムでセクシーで、胸がときめいたのに、やはり顔を覚えることはできませんでした。帰ってきてすぐ、勇んで検索したのですが、ネットで顔写真を見ても、同じ人なのかどうか、さっぱりわかりません。カナシイ。もっとも、トビー・マグワイアの顔さえ未だに見分けられるようになっていないのだから、それ以前の問題ですけどね。ええ、もちろん、オクタビアス先生の奥さんが『叛乱』のアニージ(ドナ・マーフィー)だったことも、お医者さん(いい先生でした)がジョン・ランディス監督だったことも、帰ってきて調べるまで気がつきませんでしたとも。

今日は街に出たし、人がおおぜいいたので疲れました。それと、セブンイレブンのおでんのにおいって、もはや暴力だと思います。倒れるかと思った。代わりにレジに並んでくれた夫よありがとう。あしたからまたピーターのように地道に働きます。

同日補足。
17日も書いたとおり、スー・ハベル『猫が小さくなった理由(わけ)』(amazon, bk1, 楽天)(矢沢聖子訳、東京書籍)を友だちがくれると言ったのに、持っているから要らないと言ってしまったのはいいけれど、私の持っている本は関西のマンションに置いて来てしまっていて、手元にはないのでありました。

すぐに読み返すこともあるまいと思ったからこそ、札幌に持っていく本に加えなかったのだけれど、そうやって「当面は必要なさそうな持ち物」を置いてきたことが、この根なし草感というか、頼りなさというか、自分の手足から切り離された感覚を生んでいる気がする。その一方で、本当に必要な物しか身近に置かないで、コンパクトな生活ができるのは新鮮でもあったのだけれど。シオシオ。

「自閉圏の人々は過去に生きる」ってのは誰が言いだしたことだろう? 本当にそのとおりだと思うのだけれど、それだからこそ、「想い出草」の選定基準にせよ、収納の方式にせよ、定型発達の人々(純粋の多動性障害の人々や、純粋の知的障害の人々も含めて)とは全く別の方針が必要なのかもしれない(そして、その方針に合ったハコが)。

まあ、とにかく、今すぐどうしようもないことはどうしようもないから、何か別の方法で元気を出すことにします。せっかく冷涼で湿気の少ない憧れの地へ来たというのに、こんなことで突然悲しくなったり涙目になったりしていては仕事にもさしつかえますから。

その一方、自分に向いた「想い出草」とのつき合い方についてはこれからゆっくり考えていくことにします。記憶や時間感覚の部分に私と同じ処理方式の部品が使われている人たちにとっては、シェアすれば参考になるかもしれないことでもあるし。

「想い出草」はただ捨てずにとっておけばそれでよいというものでもなく、あまり頻回に目に入っては、そのとき時間的に余裕がなかろうと強制的に没入させられてしまったりして、我に返ったときにクラクラすることもあるものだから。「部屋の片づけをしていたら昔の愛読マンガを読みふけってしまう」なんてのは定型発達の人たちの体験談としてもよく聞くことではあるけれど、それによってこうむる疲労というかダメージの重さに決定的な差がある気がしているので。私の場合、読み終えて現在の時間に戻ってきた直後の状態は、ごくごく軽いながらも、見当識が障害されているのと近い気がする。「必要もないのにうっかり懐かしいお気に入りグッズを愛でてしまってその後に恐慌発作起こす」なんて、勤労したり子どもや老人の世話をしたりして(私は現在、子どもも老人も世話してませんが)社会生活を営んでいるおとなとしては、そうしょっちゅうやってる余裕はありませんし、労働市場の中で定型発達の方々と職を奪い合う上でも不利になり、第一、身体に負担がかかります。

そんなわけで、「想い出草とのつき合い方」についての考察は無期限で先送りと決め、とりあえずは少しでも気分を上げるため、今できることをやろうと気力をふるい起こして、本日の達成。玄関と洗面所の間の空間に洋服を吊るため、室内用ツッパリ物干し竿を固定。途中で竿が落ちてきて頭に当たったらごんとゆったー。えいめんせんせえにおこられそおだー。

それから、「そういえばこっち来てから部屋に花も活けてないなー」と反省してみたり。花を買わなくなったのは主として経済的な理由からだったのだけれど、なに、買えないならタダで調達するまで。腰痛対策の散歩にハサミを持って行きました。北大でアザミ、セイタカアワダチソウ、アカツメクサなどを切ってきて活けました。でも、あんまり早い段階で切ると、花の水揚げが気になって距離が稼げなくなるので、運動目的としてはどうかなと思いました。花を切るのはなるべく最後にするか、水を持って行くかですよね。

え? ゴミで床の見えない部屋で、どこに花活けるんだって? 壁から吊るしてるんですよ、花瓶は。蹴り倒す心配もありませんしね。

夕食はタレに漬け込んで備蓄してあった鶏の胸肉を解凍して。「おお、こうすれば良かったのか! これでこれから楽しみが増えた」と思えるできだったにもかかわらず、あまり気分の向上には役だたず。まあそういうときもあるよね。「安い・旨い・早い」の三拍子そろったこの漬け込みレシピは公表に値すると思うのでいつか時間に余裕のあるときに書きますね。

9/19
石井政之中村うさぎ対談『自分の顔が許せない!』(amazon, bk1, 楽天)(平凡社新書)関連イベント、「なぜ顔や身体にこだわるのか」午後5時30分から池袋西武 コミカレ8F 3・4番教室で。といってもそう簡単に仕事ほっぽり出して飛んで行けるわけもなく、私は札幌の自宅で地味に地道に仕事。

世間では連休らしい。起きてみたらまだ夫がいたので気づく。

私は相変わらず原稿、夫は掃除、片づけ物など。私も少し探し物。いくら何でも今の帽子は夏向きすぎるのでそろそろ黒いフリースのベレーを発掘しなくてはと思ったのだけれど、いっこうに見つからなくてほかの物ばかり出てきます。電子ブック版リーダーズプラスプラスのディスクとか、麦茶とか、使いやすいヘアブラシとか、ポストイットとか。

「騒音が増えていく一方の世界」にどう対抗するか(Lewis Wallace 2003年2月15日 2:00am PT)

『軍用レベル』の携帯電話用ノイズキャンセリング・ヘッドセット」(Elisa Batista Hot Wired JAPAN 2004年9月9日 2:00am PT)

丸の内の丸善、行ってみたいなー(田舎モン丸出し)。

なんか今日はやたらと陽ざしがキツく、暑い日です。日陰から出たくない。

同日補足。
考えようによっては、バランスとってくれるほかの役者が世の中に出そろってくれてる今は、気楽だともいえます。無理なことを一人で考えなくていいんですもん。

6年半前とくらべたら、診断のついてるおとなの方はずっと増えていますから、いろんなキャラが出そろってくれることを当てにしていいんだから。私はこのキャラしかできそうにないので、このキャラのまんまで行きます。

先日、うっかりうつ伏せで漫画を読んでしまって以来、ずっと腰痛に泣いている私ですが、腰痛のおかげで腰の形が空中に「見えて」きてすごいすごい。立体的なんですね腰って。いや、脳内画像の元ネタは通販カタログに載っているサポーターの写真だったりするんですが。私のはモデルさんみたいに形よくないんだろうな。

それでなくても、痛覚はありがたいものです。でも、やっぱり痛いと何をやっても集中できません。本を読んでも目がすべるし、仕事もはかどらないし、おいしいもの食べてもいまいち味がよくわからない気がします。

痛いといっても骨がどうかなってる痛さじゃなくて、筋肉のアレっぽい(何なんだよ)感じなので、とにかく筋肉つけなきゃなあと思って、まあそれ以外にも全般的に体力つけなきゃいけないし、切られた倒木を見ながらてくてくと歩いております。散歩をしていると、ほんとに札幌へ来てよかったよなあと思います。この先、寒くなったら散歩どころじゃなくなるでしょうから、今のうちに景色を吸収しておかなきゃね。

それより、さっさとヨソモノ気分を卒業して、根を下ろさないとさー。

ところで、昨日、黒いポメラニアンを見ました。ブラックアンドタン(目の上に黄土色の麿眉があるやつね)じゃなく、純黒です。冷房完備の室内で飼われているのかサマーカットもされてなかったので、狐の襟巻きみたいでした。

9月18日
バランスなんて、一人一人がとらなくていいんだよ!/全体で取れればいいんだよ!」ですか。ふむ。あ、いえ、引用元はIMDbでの『華氏911』のユーザー投票についての話(「町山智浩アメリカ日記」2004-06-24)だったんですが、文脈とは関係なくこのフレーズだけを取り出して、今の自分に必要なフレーズだなと思ったものですから。

それでなくても二人羽織でしじゅうオットットしてる身です。自分の内部でさえバランスとれないのに、その上さらに外とのバランスまでとってられませぬ。

臆病で、気弱で、楽観的で、せっかちで、横着なキャラのままでできることしか、私にはできませんしね。

あなたの町から世界を見ると」。選んだ都市を中心に、正距方位図法で世界地図を描いてくれる。札幌もちゃんとあるんですが、東京中心と札幌中心というだけで、ずいぶん変わるんですね。特に遠くのほう。

うー。いいかげんにここはだれ私はどこ状態を脱して、自分の手足の中に復帰せんとねぇ……。

9月17日
スタトレ友達の一人が引っ越しの準備で本を減らしているらしく、何冊かもらいました。岬兄悟の古いのを数冊のほか、嵯峨井勝『これでわかるディーゼル排ガス汚染 いま、解き明かされる自動車排ガスの人体影響・その対策』(amazon, bk1, 楽天)、ジョー・シュワルツ『チョコレートを食べても太らないってホント?』(amazon, bk1, 楽天)(栗木さつき訳、主婦の友社)など。ありがと〜。

そのほか、スー・ハベル『猫が小さくなった理由(わけ)』(, bk1, )もくれると言ってくれたんですが、持ってるからいらないと言ったのでほかの人にあげるそうです。一方、本田武司『病原菌はヒトより勤勉で賢い』(amazon, bk1, 楽天)が「面白いよお〜」と聞かされてたので「くれ」と言ってあったんですが、どっかにまぎれて見つからないとか。ザンネン……。また見つけたら送ってね>Oさん

本日の貧乏自慢。昨日の店よりは近い店(徒歩5分)で、木綿豆腐を28円で手に入れました。賞味期限は明後日。

いや、私の場合、ちゃんともらうものはもらってるんですから客観的には貧乏とはいわないはずなんですが。ただ、それ以上に使いすぎたので、反省して切りつめてるのでした。

9月16日
しかしこの筐体、これのどこがネコ型なの?? どっちかというと臼歯の形っぽい……。

なんかこのごろ、認知特性と性格特性(気質)のことをよく考えます。

ダニエル・エイメン医師は定型発達の健常者ですが、気質は不安が強いタイプ(ご本人の言い方では「基底核が活動過多」)だそうです。非常の場面に居合わせてもオロオロしてるだけでさっぱり役に立たなかったり、講演やテレビ出演でアガりまくったりというエピソードはそのためでしょう。また、対人面では対立回避の戦略に傾きがちになり、その結果、交渉ごとで弱腰になって損をしたり、管理職や雇用主の立場になったときに部下・従業員に指導すべきときにできなかったりという問題を経験してきたとのことです。

定型発達の健常者であっても、気質が不安過多タイプなら、対人戦略だって対立回避に傾くわけで、「なだめ」や「媚び」といった戦術を採用することが多くなるでしょう。

私の場合も、かなり「なだめ」や「媚び」の姿勢が見られると思います。

ただし、やはり自閉人だけに対人操作がそううまくできるはずもなく、能力の低さはいくつかの形をとって表れます。

一つは、そもそも「なだめ」も「媚び」も形(オウム返し)から入ってるから、どの部分が「なだめ」なり「媚び」なりを構成しているか必ずしもわかっているとは限らないらしいこと。まあ、これは私自身には「らしい」としか言いようがないのですが。だから、たとえば知らずに型をなぞってる場面があるとしたら、自分では抗議したい、強気で交渉したいと思っているときにも、相手から見たらそうは見えてないことになり、抗議のメッセージは伝わりにくいことになります。

二つめに、「なだめ」「媚び」が露骨すぎる場面があるだろうこと。定型発達の人なら、同じ対立回避の好きな不安過剰タイプでも、「なだめ」も「媚び」ももっとスマートにやれるはず。ところが、残念ながら自閉人にはそんなテクニックはないから、「バレバレ」になるしかない。

そして三つめに、効率の悪い「なだめ」や「媚び」は重労働だからそうしょっちゅうはやってられず、営業日数が少ないこと。月・水・金のランチタイムしかやらない手打ち蕎麦屋みたいなものですね。その日の麺が売り切れたら閉店だとか態度だけは偉そうで、それでおいしいならともかく、二でも述べたとおりヘタなんだからどうしようもない。

今日の貧乏自慢(?)。腰痛対策と基礎体力作りのため、一駅遠いスーパー(うちから徒歩12分)まで行ってみたら、なぜかチクワ35本入りの袋を売っていました。315円。確かに小ぶりですけど、35本て。まるで業務用。買って帰って量ってみたら、1.7kgありましたよ。別に賞味期限が迫っているわけでもなく、いったい何があったんでしょう?

9月15日
私はいろんな石が大好き。特に、メノウやクジャク石、針水晶、虎目石なんかの模様が好きだし、電気石や蛍石のいろんな色も好き好き大好き。方解石も好き。

けど、いつの間に電気石って、開運グッズにされていたんですか(99年ごろからのようです)。それも、マイナスイオンだとか怪しい健康商売の種になってるし。だいたいマイナスイオンって何なんですか。石は石としてかわいく愛でようよぉー。

お中元のローストビーフを何日も食いのばす計画が頓挫したため、デパートのギフト券で野菜を買いました。500円をほんの少しだけ上回るように足し算するのも楽しいものです。これだってタンス預金を食いつぶしているだけで、節約じゃないんですけどね。かつて、遠くまで行かないとデパートがない町に住んでたころにもらった物が、今ごろ役に立っている次第。裏面のスタンプを見たら、何だかすごい年代物も。今日つかった券なんかシミだらけでしたよ。

デパ地下の食料品といえば高いイメージがありますが、「高級品も比較的確実に手に入る」というだけであって、決して何でも高いわけではありません。品数が非常に限られるものの、ざる盛りの地物野菜コーナーにかぎっては大手チェーンの大型スーパーより少し安め、地域密着型の安売りスーパーや青果店くらいのライン。それ以外の青果コーナーは一気に高くなりますし、牛乳やヨーグルト、豆腐、ジュースは正価販売なのでスーパーに負けますが。

しかし、贅沢者の私が日記で貧乏自慢(?)って珍しい路線ですね。そういえば若いときから、体力自慢と貧乏自慢と無鉄砲自慢で大きい顔できたためしがありません。小心も軟弱も昔からだったのね。

9月14日
今日は「選べるギフト」の配達指定日だったんですが、12時から16時に指定していたのに11時に来た! 家にいて受け取れたんだからいいだろうってものじゃないんですけど〜。「え? どうして?」というショックが強く、しばらくは何も手につかない状態に。いやいやいやいや、こんなことでその日を一日ムダにするわけにはいきません。

あのー、12時から16時までと指定したら、その時間以外は家にいてはいけないって意味だったの? ちがうよねえ? 自分の借りた家なんだし、自分で家賃を払っているんだから、追い出されるイワレはないはずだし……。うん、そーだそーだ(←と、原則に立ち返って考えることで自分を納得させたらしい)。

しかし、届いたローストビーフは赤身のカタマリではなく、ハムみたいに薄切りにしたやつの真空パックでした。うわーん。先週のローストビーフはパウンドケーキみたいなカタマリで、ちまちまと切っては幾晩もメインにできたのに、これだと前菜扱いですね。確かに脂身たっぷりでやわらかそうで、高級っぽいんですが。何かもっとボリュームのあるものを選べばよかったかな。「魚開き詰め合わせ」とか「魚切り身味噌漬・粕漬セット」とか。

実は、今月は半月しかたってないのになぜか生活費の目標額をほとんど使い果たしてしまったのです。「日常買い物用予算袋」の残金、1021円也。理由は謎。記録つけていないから。ところが、ここにきて風呂場の電球が切れました。最後の千円札を崩して100均で買うべきか、デパートのギフト券を使って電球型蛍光燈を買うべきか、迷っております。

こんなことで迷っておきながら、笛吹きヤカンや急速吸水バスローブを買い、本は読める量以上に買って積ん読にしている私であります。

ところで、気弱な人に弱気戦略が多いのは、単に、弱気な行動様式をとるにあたって心理的投資が少なくてすむせいにすぎないんじゃないのか? そして、弱気戦略が上手になる(人もいる)のも、単に回数が多くて慣れるせいじゃないのか? というようなことをこのごろ気がついたらよく考えているのだけれど(って、3年前にも同じようなことを書いていたから、ループしてるだけですね。進歩のないやっちゃ)、あんまりハマってる時間はないのでまたいつか。

自分用メモ。12日の「64樹種の薬箪笥」で貼ったアドレスからリンクをたどって、想い出の家具のリフォーム。別に自分が今すぐ利用するわけじゃないですが、過去に生きる連邦市民にはときとして必要となるサービスのような。

9月13日
台風で方々の木が倒れて以来、夜になると、窓の外からぷーんと「山のにおい」がします。破砕された材や葉のにおい、木が根こそぎ倒れて露出した土のにおいなどが混ざったものだと思うんですが。幼い頃、私はこのにおいを、蛾のにおいかと思っていました。夏、祖父の家に泊まると、夜になると蛾が常夜燈に寄ってきて、山からはこのにおいがしてきたから。

自分用メモ。「米飯には何割まで大麦(押し麦)を混入してもおにぎりにできるか?」の答えのヒントらしきもの。クックパッドに、何と押し麦2:米1というレシピあり。

家具の博物館は昭島市へ移転するそうです。

昨日の続き。分類スキーとしては、「資質の受容と現状の受容を過失であれ故意であれ混同するのはヤメレー」と思うのでした。現状を打破したい場合に、資質の受容は、効率的な戦術の選択に役だつことさえあるんだから。

しばらく前に読んでいた本のどれかに、随意運動がうまく行なえないはずのパーキンソン患者が、物を投げられる等のキューを与えられればサッと手が出てキャッチしたりできる話が載っていたのだけれど、どれで読んだのだのか思い出せない。横書きの本だったし、ページの下の方、それもたぶん左ページで読んだことは覚えているんだけどな。むきー。

9月12日
ひきつづき、童顔と気弱について(昨日の石井政之中村うさぎ『自分の顔が許せない!』(amazon, bk1, 楽天)の整形話から)。

私も中村氏同様、童顔タイプなのだけれども、氏とは逆に中身が気弱で温厚でノロマ。氏は外見から導き出されるステレオタイプと中身のギャップゆえに反発し、私は両者が一致しすぎることで二倍になる「勢い」から安全な距離を確保したかったという経緯の差はあれ、童顔から逃げたいという発想は共通だったらしい。まあ、私は現在、虚弱、気弱と共に童顔も受容もしくは居直りにむかいつつありますが。

あー。いま気がついたけど、「受容」って曖昧な使われ方をしている語ですね。つーか、受容する対象が「資質」であるか「現状」であるかで意味が全然違ってくるどころか正反対にさえなりうるではありませんか。

脳卒中で夢を見る力が弱くなった女性の話。損傷を受けたのは、顔や街並みの認知にかかわる部分だったとのこと。

64樹種の薬箪笥。壁紙標本や床材標本の大好きな自閉っ子に見せたら大喜びする子がいそう。ていうか私がほしい。

標本として売られている製品は高価だけど、東急ハンズで売っている木のハガキを標本代わりにすると安く上がるらしい。木口を見るには厚みがある方が見やすそうですが。

9月11日
ハエ食いロボット、こんな子らしい。

自分用メモ。『見えないものと見えるもの──社交とアシストの障害学』(amazon, bk1, 楽天)の紹介文によれば、石川准さんは「強気にして気弱な著者」ということになっているらしい。「強気にして気弱」という表現が成り立つんだということに目を開かれた感じ。「気弱」は資質の部分を、「強気」「弱気」は実際に行動するときの戦略の部分を指すんじゃないかしら。

私はたぶん気弱で弱気だけれども、せっかく二つも単語があるんだから使い分けたっていいはずだ。もっとも、気弱と弱気は同一人に観察されることが多く、区別した上で重ねて言ったところで新鮮味に乏しかろうけれど。

ところで「弱気」の対義語は「強気」だが、「気弱」の対義語は?

石井政之中村うさぎの対談、『自分の顔が許せない!』(amazon, bk1, 楽天)で、中村うさぎが整形の動機を「童顔から逃れたかった」と語っていたのが刺激となって、「強気」「弱気」について考えることが多くて。

腰痛対策、睡眠リズム対策、その他もろもろ一石八鳥くらいを狙って夫婦で散歩。かなり歩いたつもりでいたのに、地図で調べたら思ったほどの距離ではなかった。そういえば時間もあまり経っていなかった。夫婦そろって軟弱を証明してしまいましたか。ちぇ。いや、散歩自体は楽しんだからいいっていえばいいんですが。

9月10日補足。
何で私はこう要領が悪いのだろうと(比喩的に)泣きながら原稿を書いていたら、わー、地震。揺れてますね(13時23分)。

必要があって3年半前の自分の日記を読み返してみたら、今とちっとも変わらないこと書いてました。首尾一貫しているというのか進歩してないというのか……。変わってる部分も少しだけありましたが。やはり36と39では体力の衰え方がちがいますわ。

化学物質「落ち着き」奪う 産総研などラットで確認 ラットの実験としてはおもしろいし、コメントしている産総研の増尾好則研究員という方は「実験結果を直接人には当てはめられないが」と一応、留保をつけているんだから、この人にあんまりつっ込むのはカワイソウというものですが、まとめる記者にもう少し基礎知識があればなあという気はします。

「自閉症や注意欠陥多動性障害(ADHD)の特徴で、落ち着きなく動き回る『多動』」とまとめている段階で、記者は発達障害を勉強してませんって白状してるようなものですものね。

そもそも自閉症の多動とADHDの多動は発生機序が全然違うし、自閉症の多動にも最低二種類があります。さらに、ADHDにも自閉症にも、多動のない症例はわんさか。ADHD、自閉症以外にも、多動を引き起こしそうな条件はいろいろありそうです。記憶の衰えた高齢者も混乱のために動きが多くなることがあるし、強迫で確認行動が増えることもありますし、体力がありあまっている人が退屈しても、背中にオガクズ入れられてイライラしても動きは多くなるかもしれません。

なぜこんなことが起きるかというと、「多動」というのは、一次的な性質じゃないからですね。

ADHDであれば、現在、何かの情報を処理中、あるいは何かを出力中であっても、新しい情報が入力されればそれを「一時置いとく」ができず、現在処理中の案件を放置してまで新しい情報の応対に向かってしまうため、結果的に多動が観測されることになります。だから、1次的な指標は、たとえば「課題遂行中に別の刺激を無視する力」なのかもしれません。あるいは、課題遂行中に誤答に気づいた、あるいは条件が変わった場合に、まちがった反応にストップをかける「抑制力」なのかもしれません。「時間はかかるが報酬の大きな課題と手っ取り早いが報酬はしょぼい課題を比較する力が育つまでにかかる試行回数(または日数)」なのかもしれません。

ラットでADHD的傾向を測定するとしたら、何かの課題を教えこんで、しっかり習得したころにヒッカケ問題を出し、「お手つき」率を測定するとか、どうでしょうね? 素人考えですので実現可能性については無視していますが。

自閉であれば、一つは、「非常に興味を引く対象」が目についた場合、とにかく他を置いてでもそれ一点に引きつけられる力が強く、突進していくのが一見、多動に見えるということがあります。これなどは、スピードが速いとか、制止を振り切る力が強いとか、制止されたときのあきらめが悪いとか、運動量の多さとは別の要素が「多動」な印象を与えるのみで、もしかしたら定量的に測定したら運動量自体は、対象への没入中の寡動によって相殺されるかもしれませんね。

自閉の多動のもう一つは、新奇な環境に出されたときに「ここはまあざっくりとこういう感じの場所か」というファジーな納得に至るのが遅いため、すみずみまで自分の目で確認しようとすることから生じます。

この場合の1次的な特徴は(これ自体、1次的かどうか怪しいですが)、「過去に見た室内風景や街並み風景と細部はちがっているけれども、パターンとしては類似だな」というパターン抽出の弱さじゃないでしょうか。近所のマクドナルド2、3店に連れて行かれて既に慣れている状態で初めての支店に連れて行かれ、「ほー、支店によって間取りは違うけど、従業員の制服もロゴも同じだから、要するにこれもマクドナルドなんだな」と納得する力が弱ければ、すみずみまで一人で調べて回ろうとするでしょう。

これをラットで客観的に観測し、定量的に測定できる実験を設計しようと思ったら、ケージの中に配置された小物の置き場所だけをランダムに移動する、しかし、ケージの安全度、生活機能は一切変化させない「模様替え」を定期的に行い、何回めで模様替えに慣れるか、なんてのが考えられるかもしれません。ただし、のんきな個体と恐怖心の強い個体、記憶力の高い個体と低い個体では外見上の反応の出方に差が生じますから、ラットの気質(臆病・大胆)と知能はそろえておく必要があるでしょう。模様替えに慣れないのがパターン認識の特異的な弱さによるものか、記憶力の悪さによるものか、臆病さによるものか、わからなくならないように。

まあ、以上のようなことを、新聞記者の全員に知っといてもらおうというのはあまり現実的ではないことかもしれません。記者っていろんなことを広く浅く大急ぎで勉強しなきゃいけないし、どんどん忘れていかなきゃいけないでしょうしね(そうじゃないと、流行遅れの技術や、ボツになった発明案などについての情報がアタマにたまってしまいます)。

ということは、私たちの側では何をしたらいいんでしょうねぇ。

飛行機の乗り継ぎの4時間半の間に、すばやく空港近くを観光したい! という忙しい観光客に、地元の観光業者はどうしたらいい? というのに似てるかも。

まず、「すばやく学べる、わかりやすいモデル」を提示すること、というのがまっ先に思い浮かびます。この場合、多少の乱暴なくくりは承知の上で、キャッチーじゃないと。

それから、記者さんは新開発の繊維から二足歩行ロボットから抗がん作用のある食品から都市の屋上緑化までいろいろ勉強しなきゃいけないんだろうから、せめてADHDや自閉について勉強しようと思ったときに、わかりやすい説明のありかにたどり着くまでの時間を短縮するってのもあります。

あとは何だろうな。トンデモな仮説や、トンデモではなかったけど後になって「これはダメでした」とわかって放棄された仮説など、ノイズになる情報も並列に並んで目に入ると検索の効率が悪くなるだろうから、ノイズをノイズとすばやく評価し、排除できるようなお手伝いはできないものでしょうか。

と、今日は考えるのはここまででオシマイ。ただ、産総研のラットの実験そのものに関しては、ラットの脳でドーパミン神経の発達阻害が出ているそうですので、それなりにおもしろいなとは思ってるんですよ。ただ、不器用で多動なのか、イライラで多動なのか、健忘で多動なのか、皮膚が痒くて多動なのか、活発かつ外向的かつ好奇心旺盛で多動なのか、衝動抑制が弱くて非適応的な行動をストップできないから多動なのか、という区別に興味を持ってくれたらいいなあ、次回はそれを区別できる実験をデザインしてくれたらいいなあと思うだけです。

ま、同じ研究者、同じ研究機関がやる必要はないので、これを受けて別の方がやってくださってもこちらはいっこうにかまわないのですが。

さて、言うべきことは言ったから、今日の真打ち。これにはウケました。自分のサイト、自分の日記なんですから、自分の好きな話も書かなきゃねえ。

悪臭ロボット……。いったいハエ一匹で、どれくらい動けるのでしょうか? よほどの軽作業にしか使えないというか、ハエのいる場所(つまりハエが生存可能な環境)でなくてはならないのね。つまり、ハエも死滅するほど生体に有害な環境では、せっかくのエネルギー補給ユニットも、自重を増やし、移動のために必要なエネルギー量を押し上げるだけにしかならないというわけ。かなり使う場所を選びますね。いい就職先が見つかるといいね!

もっとも、現段階では、まだ、手でハエを与えているんだそうですが。

9月10日
珍しく午前7時に自然覚醒。二度寝の誘惑と闘いつつ、コーヒー入れたりウイルスメールを削除したりストレッチしたり。

日記も書きかけたものの、なぜか保存に失敗、まるごと消える。ふんっ。いいよ、もう。9/19(日)に池袋で『自分の顔が許せない!』(amazon, bk1, 楽天)刊行記念として、石井政之中村うさぎのトークショー、「なぜ顔や身体にこだわるのか」が開かれるらしい(詳細は「石井ニュース」へ)ので行きたいけど行けないよーという話を書いて、同じ石井さん編著の『文筆生活の現場』(amazon, bk1, 楽天)の読後感などをを書きかけたところだったのですが。ま、また時間と気力のあるときに書きます。8月7日と22日の話もいつか改めて書く約束になってることですし。

がくーとなっているところで、そういえば石井氏の日記で『見つめられる顔 ユニークフェイスの体験』(amazon, bk1, 楽天)が残部僅少になっており、発刊から3年たって会を離れた当事者も多いことから増刷も未定と書いてあったなと思い出し、注文。どうせなら注文はまとめて、送料を安く上げようと思い、bk1をしばしうろつく。頼藤和寛の著書や水谷修の外国人向け日本語参考書(若者問題の方ではありません)に味をしめて(?)「汎用品、一般用商品をアシスティブテクノロジーとして転用しよう」ということで、石原壮一郎『大人的〈ビジネス言葉〉活用講座』(amazon, bk1, 楽天)を注文してみました。あと、自分の仕事についてもちょっとは勉強するぞと、長岡義幸『出版をめぐる冒険』(amazon, bk1, 楽天)と、『なぜ通販で買うのですか』(amazon, bk1, 楽天)がおもしろかったことから、同じ斎藤駿の『通信販売は小売を変える』(amazon, bk1, 楽天)を。しかし、いつ読むね? 積ん読の悪化は必定。大阪であったような地震が北海道を襲ったら……。

最近の昼休み読書は、H.ポイズナー、E.S.クリマ、U.ベルギ『手は脳について何を語るか』(amazon, bk1, 楽天)の再読、いや再々読です。この本は、訳者が手話言語学の知識のない人なのだそうで、手話に詳しい方々から見れば、日本語の訳語に少々違和感があるそうですが、内容的にはとても刺激的で。でも今日は日記書き直しのせいで昼休み返上になりそう。

9月9日補足。
時間は作るものだ! とか言って、結局、行ってきました北大散歩。ビニール手袋の在庫が切れたことだし、お店まで行くのに遠回りしようということで。

北大構内では、片づけがかなり進んでいました。すごい作業効率だ! とても翌日とは思えないほどの片づきぶり。カッコイイ! だれか有能な監督がいて、巧みな指示をした結果ならそれはそれでカッコイイし、そこらじゅうでみんなが自主的に判断したにもかかわらずぶつかり合わずに効率的に動けたのであれば、それもそれでカッコイイ。

「見えない物を見る力」の育ちは通常よりかなり発達が遅れていた私ですが、力が育ってくると、人生の楽しみが増えることもあるんですよ。力を育てるというのはなにも、社会への適応度を高めるためとか、介助の手間が軽くなるようにとかだけじゃないんです。だから、「適応ばかり求めるな」とか「効率ばかり考えるな」という主張は確かに全く正しいんですが、一律に反対するのも偏狭だと思うのでした。

もっといろいろ見たかったんですが、チェーンソーの音がするから近寄るのはやめにして退散しました。チェーンソーは見たいが、チェーンソーの音は不快。あちら立てればこちらが立たず。興味・関心も感覚過敏もモジュールというか、パーツの寄せ集めですので、順列組合わせのラッキー・アンラッキーがどうしても生じることはあるのです。

家の建て替えや道路の拡張が計画的じゃなかったとか、経費節減のためとかで、切らずにすんだ庭木や街路樹が伐られるとなると痛みを強く感じる私ですが、台風で折れたとなると「まあ、自然災害だしなぁ」とあんまりセンチメンタルになったりはしません。ただ、倒れている中に、記念植樹なのか、贈呈○○氏ってプレートの立ってるカエデがあって、それはさすがに胸が比喩的に痛みました。

ところであれ、何カエデだったっけ。おもしろい名前で、そのときは「ふーん」と思ったのに、メモしなかったからあっという間に忘れました。

自閉の人が一律に記憶力抜群かなんて思ったら間違います。私も、「わかるもの」「すぐ腑に落ちるもの」の記憶の悪さはたぶん定型発達の人とそんなに変わりません。子どものときのことでも、鮮明に覚えているのは「腑に落ちなかったこと」「摩訶不思議だったこと」ばかり多い気がします。つまり、解釈がつかない以上、パターン化して覚えられない、圧縮がかけられないから、そのまま保存するしかなかったってところでしょうか。

今回のカエデなど、「ほおーおもしろい語感だなあ」とは思ったものの、「なるほどカエデの和名ね」とすぐ分類できたので、摩訶不思議さが足りなくて覚えられなかったというわけ。家族やネットの読者に雑学を披露する上では覚えられた方がお得でしょうが、おいしいネタを逃してでも、「ああ、カエデの和名なのね」と即、処理済みになる方が、人間一人の生活体験としてははるかに低負担です。それに、本気でネタを集める必要に迫られたなら、メモ帳なりデジカメなり持ち歩けばいいわけですし。

自分の認知特性を知らなかったころは、「日常に追われて余裕を失い、細かい楽しみを忘れてしまうのは残念なことである」みたいな論調のエッセイ等を真に受けてたものですが、そういうのは、分類も理解も通常のレベルでできてから、プラスαの話だったんですね。現実にホテルにチェックインして、案内された客室で「有料放送無料」の掲示を見て頻脈を起こし、腰を抜かしているよりは、「何か知らんが広告だな」ですませられる方が適応的なのです。適応した上で、余裕の範囲で「有料放送無料」を話の種として覚えていたかったら覚えていられた方が楽しいでしょうけど、そこのレベルを混ぜてはいけません。(ところでこの「無料」の後には、実は「キャンペーン中」という文字が隠れていました。出前のメニューかマッサージの頼み方の説明だかのプレートの陰になって、見えてなかっただけでした)。

さて、折れた木やら、根っこから抜けた木やら、枝がいくらか減った木やらを見ながら、チェンーンソーの音からはなるべく逃げるように心がけて、短時間の散歩を楽しみました。

それにしても、木が折れたことよりも、その木が可燃ゴミになってしまうとしたら、その悲しさの方が大きく、痛く、つらく、重いっていうのは何なんだろう。「モッタイナイ」が私のコダワリのキーワードなのかもしれませんね。で、こういうコダワリの出かたによっては、定型発達の皆さんが考える「人情」のパターンに違反したりして、「心がない」とか言われることもあるのかもしれませんね。

9月9日
今日も今日とて、はかどらぬ原稿書き。

昨日、帰ってきた夫によれば、北大の木があちこち折れたり倒れたりしていたそうです。昼休みに散歩と称して強風の中、台風見物でもしていたのでしょうか。飛んできた物が当たったらどうするのよ。

テレビ報道によるとポプラ並木のポプラも倒れたそうですが、これはまあ、ポプラだしなあ、という気がしないでもありません。もともとポプラって、材はやわらかい代わりものすごい勢いで大きくなる、更新の速い木です。関西で空き家にしてるマンションの壁と天井はカナダ産のOSB合板(こんな模様ね。リンク先のページで紹介してる板はEU製らしいですが)で張ってもらったんですが、あの原料もポプラでした。産地では、成長が速いのでどんどん伐採して次を植えているそうです。そうそう、ポプラのチップといえば、ハムスターなどのケージの敷物としてもポピュラーですよね。

あー、もちろん、ポプラ以外の木もたくさん倒れたり折れたりしているのですから、一昨日から昨日にかけての風が強くなかったと言いたいわけじゃありません。ただ、「どんどん伐って次を植える」木なのに、その古木が観光名物になってしまったのは不運だったなあと。ポプラもそうだしニセアカシアもそうですが、すぐに大きくなる木って、新興の地にぴったりなんですね。だから北海道に植えられ、そのシンボルになったのでしょう。でも、危険のため立入禁止で遠くからながめる並木ってー。そんなのもう並木じゃないやい。

ところで、ポプラはキノコ栽培に使えるんですよねぇ。大学のポプラ、どうするんだろう。もったいないなー。学内でだれか物好きがいて利用しないかしら。細工物でもキノコ原木でもチップでもいいからさ。

「あちこち木が倒れてておもしろいから、明日(今日のことです)でも散歩して見ておいでー」と言われましたが、原稿が〜。

9月8日
午前中から昼にかけて、ものすごい風(らしい。見てないので)。特に、トイレに入ると換気扇を通して外の音が響いてくるのでヤカマシイ。

昼過ぎには嘘のように静かになりました。

前の館長私的記録へ 次の館長私的記録へ インデックスページへ 仕事一覧へ 実用リンクと参考図書