航星日誌・北陸家族旅行
この日誌は、発達障害に興味のない人が読んでも、おもしろくないかもしれません。全面、身辺雑記と愚痴の羅列であり、書いた当人さえ、公開するのが恥ずかしいほどです。その愚痴の部分も、社会性の障害や、聴覚過敏について予備知識がなければ、被害妄想と混同されても致し方ない内容です。それをあえて公開するのは、ごく一部の人たちにとっては、資料的価値があると考えるからです。
日誌を書いている「私」は、高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群)当事者で、成人・結婚後に診断を受けました。実家の両親にも、夫の両親にも、診断を受けたことは話していません(夫と、数人の仕事関係者には話してあります)。
「私」は日ごろから聴覚と触覚に過敏性を持っていますが、この旅行のときは、ちょうど疲れと睡眠不足、それに風邪が重なって非常に体調が悪く、ふだん以上に聴覚過敏が悪化していました。そのため、この日記全体を通して、聴覚過敏の記述が多いものとなっています(いつもここまで悪いわけではありません)。
この航星日誌が想定している対象読者層は、
★成人後に診断を受けたが、周囲に明かしていない当事者、
★聴覚過敏のある人(特に、子どもたちや、言語に不自由のある人)の保護者や関係者、
★その他、発達障害についてよく知り、当事者たちと楽しく遊びたいと思っている人たち
です。通常の「日記読み」や「メタ日記の筆者」のみなさんが読んで楽しめなかったとしても、上の「対象読者層」に該当する人たちの中の、ひとりかふたりにでも実用的価値があるなら、公開する価値があったと筆者は判断します。
筆者も、通常、他の媒体にものを書くときは、もっと読みやすさや娯楽性に気を配っています。でもここでは、資料的価値を優先するため、意図的にその努力を休んでいます。PDDらしい発想の飛びかた、想像力の障害に起因する説明のまずさを、忠実に保存するためです。
上記の想定読者層にに該当する方、あるいは、該当しなくても、じゅうぶんな好奇心と柔軟性があってそれでも読んでみようという方は、どうぞ先へ進んでください。そして、つまらなかったら、さっさと戻るボタンをクリックするか、[Alt]+[←]か[BackSpace]を押してください。退屈な時間をすごしたり、イヤ〜ぁな気分になったりしても、それは、読者の自己責任とします。では、納得されたかたは、大阪駅からサンダーバードに乗りましょう。
10月28日朝。
うー、昨日の報告と、荷造りと、仕事とでほとんど寝ていないぞ。いまから、2泊3日の家族旅行(というか、夫の両親に親孝行旅行)です。温泉でごちそう食べながら、「健常のヨメ」してきます。昨夜、帰ってきて、メールに返信できなかったみなさん、ごめんなさい。
10月28日昼〜午後。
大阪駅で、お弁当を買うのに一苦労。だって、駅弁を売ってる場所って、何か所もあるでしょう?「どこで買うか」を決断するのって、難しくありません? いま買っても、もっと先の売店で、もっとおいしそうなのを売ってるかもしれないし、ぎりぎりまで買わなかったら最後まで買えないかもしれない。つまり、乗り場までの間に何か所お弁当売り場があって、どこで何を売っているかを知らないと、いつ何を買えばいいかわからないのよね。ホームまでの道すがら、「あ、これもほしくない」「これもまずそう」と言ってるうちにどんどん時間が減っていく。
結局、ホームまで上がってしまったのだけれど、行けども行けども売店がない。やっと現れた売店には、昼食になりそうなものは、「おにぎり」と「ポテトチップ」くらいしかない。しかたがないからおにぎりを2個買う。
なおも歩いて行くと、ちゃんと「お弁当売り場」があるではないか! そりゃそうだよね、長距離の特急ばかりが発着する乗り場で、おにぎりしか売ってないってのはいくらなんでも変だよね。売店がショボいんじゃなくて、お弁当売り場があるから売店にお弁当を置いてなかったんだ! どうしてそういうことにあたまがまわらないかなー。
駅でも空港でもそうなんだけど、「お土産屋やお弁当屋は全部で何軒あり、これはそのうちの何軒目である」ってのが、先に全部わかっていると楽なんだよね。「ナントカ弁当は、こことここ」とか。それでも、売り切れまでは知りようがないけれど。
飛行機でも、同じ空港から同じ路線にばかり乗りたがるのは、そのせいもあるんだ。ロチェスターに行くのに、初めて行ったときにたまたま空きがあったのと同じ、デトロイト乗りかえの便ばかりを毎回なんとしてでも利用しようとするから、割高になったりするんだけど……。こういうのも、障害をカバーするコストに含まれると思うんですが。
夫の実家の方が目的地に少し近いので、とちゅうで夫の両親が乗ってくる。お弁当を食べ終わったころにふたりが乗ってきた。向かい合わせの席が空いてなかったとのことで、横一列に四席とってもらってあったので、あまり世間話をせずにすみ、楽だった。会話は通路側に座った夫に任せて、本を読んだりコーヒーを頼んだり。先は長いので、対人折衝プログラムの電池は節約していかなくてはならない。夫に頼んで買ってもらったコーヒーを一口すすったところで、あれ、飲めないぞと気づく。まずいわけでもないのにコーヒーが飲めなくなったら要注意だ。困ったなあ。
10月28日夕方〜夜。
加賀温泉駅に着くと、他の客と一緒に送迎車に詰めこまれて旅館へ。かなり古い旅館らしく、廊下の美術品なども、すすけているけど本物らしい。部屋は広くて、書院もついていた。
乗り物ではずっと人と一緒だったし、部屋に着いてからくらいは一人になってみたくて、みんながお風呂に行くときや、近所を散歩するというときに、なんとか一人で留守番をしようとしてみるが、ことごとく失敗。「まあせっかくやのに遠慮せんと」の一言の前に玉砕。
風呂も悪くなかったし、料理も極上だったけど、一人部屋が恋しい。一人になる時間と空間ってのは、地球人にとっては基本的なニーズとは考えられていないのだろう。昨年、同じメンバーで西海岸に行ったとき、私はありがたいことにとちゅうでひどい風邪をひいて、みんなを観光に送り出して、部屋で留守番する口実を勝ちとったことがあったけど、そのときも、「やれ助かった」と喜んでいる私に、みんなは「寂しいでしょうにねえ、かわいそうに。置いていってごめんね」と言っていたものなあ。
それにしても、和風旅館の仲居さんって、食事を持って来ても布団を敷きに来ても、どうしてあんなにご挨拶やら世間話やらをしようとするのだろう。ルームサービスみたいに、黙って引っ込むってことはできないんだろうか? こちらはお金を払っているのに、なぜ、天気の話につき合わされたり、観光情報を承ってあげたり、身元を調べられたりすることに耐えなくてはならないのだろう? お金を払った側がサービスするなんて変だ。義母も義母で、相手になって旅館の人たちを甘やかすので、よけいになかなか帰らない。
夜、前夜の寝不足もあって、早々と眠ったけど、耳栓をしていたにもかかわらず、とちゅうで義父のイビキで目が覚めて、それっきり寝つかれなくなる。
10月29日朝〜昼。
朝方、少しイビキがやんだ気がして、とろとろと眠っていたら、耳栓をとおして人の話し声が聞こえてくる。しばらくして、急に静かになった(後で聞くと、両親が朝風呂に行ったらしい)。そこから本格的に眠ることができた。
と思ったら、いくらもしないうちに起こされる。布団を上げに来たらしい。ぼーっとしているうちに布団がなくなり、お膳が現れ、かちゃかちゃ、がちゃがちゃと陶器のぶつかる音が部屋中に響き渡る。何かよくわからないうちに朝食が始まり、終る。何を食べたのかあまりよく覚えていない。ただ、お魚の味が気に入らなかったことは覚えている(後で夫に聞くと、私の嫌いなカレイだったらしい。どうりで気に入らないはずだ)。
出がけに、夫にお湯を頼んでもらい、部屋に備えつけのレギュラーコーヒーを入れてもらった。どうにか目が覚める。ああ、朝になったんだなあとわかる。でも、とにかく眠くてだるくて辛い。日ごろは、眠りたいときにはいつでも勝手に眠り、食欲がないときには食べない生活をしているので、眠い体に鞭打って歩き回ることに慣れていないのだろう。チェックアウトして、加賀温泉駅まで送迎車で運ばれる。
加賀温泉駅の自動販売機で、抹茶アイスを買う。これが本当の朝ごはんだぞ〜と自分に言い聞かせることにする。その後、普通列車で金沢まで。幸い、混んでいて、別々の座席になったので、仕事の本を読んで、自分がばらばらになるのを防ぐことができた。金沢は雨。雨の中、兼六園観光。私も夫も兼六園はリピーターさんなので、両親の希望に合わせることにするが、日曜日だけあって園内は大変な混雑。私も夫もついつい、「どうせ園内はどこも綺麗なんだから」と、人のいない方、いない方へとふらふら引っぱられていくが、両親は入口で渡された園内地図と首っ引きで、有名な木だとか名前のついた石だとかを見に、あちらこちら行こうとする。
しかし、その体力には脱帽。若夫婦の方がよっぽど先に疲れている。特に私は、息も上がり、ヒザもガクガクで、老夫婦が次はあっち、次はこっちと歩き回る後ろを、置いて行かれないようについて行くのがやっとだった。ときどき、夫に支えられて歩く。
昼どきになり、両親がお寿司を食べたいというので、やっと兼六園死の行軍から解放される。カウンターに横一列に座ったので、端に座れば、話を聞いてなくてもそんなに変じゃなくてすんだ。お寿司はおいしかったけど、とちゅうで、「あ、もう入らないかも」という信号があったのに、それが何だったのか、解釈できなかった(気分も落ちついていて、一人だったらわかっただろうけど)。結局、せっかく信号があったのに役にたたず、食べすぎになってしまった。
10月29日午後〜夜。
その後、武家屋敷など観光。蛍の里とかいう所の庭で、八角形の灯篭を発見。名物加賀麩の店もあったので、麩まんじゅうを注文。冷凍で火曜日に自宅に着くよう送ってもらう。しかし、消化不良で苦しみながらお菓子を品定めしたり注文したりできるとは、いったいどういう神経だろう(笑)。それだけ生麩に対する期待感と「予定意識」が強かったのだろう。八角形の灯篭と、麩まんじゅうで自分を支えて、残りの時間を乗り切る。
筋肉痛と食べすぎ(というより消化不良)は苦しいけれど、関節痛と悪寒はかえって気持ち良いくらいだった。関節痛に意識を集中していれば、筋肉痛や消化不良のつらさをごまかせる。
特急の自由席で芦原温泉まで。幸い、他の三人が眠りはじめ、話しかけられる心配がなくなったので、急いで少しでも体力の回復を図る。ところが、しばらくたつと、義母が目をさましてしまった。続いて、近くの座席の(私から見れば斜め後ろ、かなり上体をひねらなくては見えない)女性が化粧落としを始め、ふき取り剤の強烈なニオイに襲われる。
そのうちに夫も義父も目をさまし、有意味音声言語による会話が始まった。義母によると、斜め後ろの女性の連れの男性は、女性の使用済みのティッシュだかコットンだかで自分も顔を拭いていたとのことで、義母はしきりにその男性の行動を実況中継してくれる。必死であいづちを打ち続けるが、どういう反応をするのが正しいのか、よくわからなくて、自信がもてない。ふたり連れは斜め後ろに座っているのだから、後ろを向かないと見られないし、そうまでして見れば、見ているのがミエミエで、失礼じゃないかと思うし。そうするうちに、男性がティッシュだかコットンだかを捨てに行き、ニオイは少し薄らいだのだけれど。
芦原温泉駅からは、旅館の送迎車。ところが、どういうわけか送迎車の車内でラジオ番組が流れている。これには(泣きたく/吐きたく/死にたく/降りたく/暴れたく)なってしまった。元気なときならともかくとして、この状態のときに、しかも音楽ならまだいいけど人の人生の打ち明け話だとか、人の噂話だとか、いやでもあたまに侵入してくる。ほとんどタム・エルブラン状態(笑)。耳をふさぐには両手がいるのだけれど、身体のしんどさに耐えるのと、耳をふさぐ手の力を抜かないのと、耳をふさぐ前に聞こえてしまった分の脳内録音が再生されてしまうのをかき消したくて、ついついハミングしたり喉の奥で唸ったりしたくなるところを、両親にあやしまれないよう我慢するのと、みっつ一度にこなすのは難しくて、もうダメなんじゃないかと何度も思った。バンの後部座席に座っていたので、前の席の乗客にどいてもらわないと降りられない位置だったから、走行中の車から道路に飛び降りることはなくてすんだけど。うなり声を上げないようにというのは、ときどき失敗してたかもしれない。そのうち、うなる代わりに咳払いをすれば大丈夫と気がつき、ときどき咳払いをすることにしたけど、両親のどちらかに、風邪の咳と聞きまちがえられたら、何か言われるんじゃないかと思うと、あんまり多用するわけにもいかないと思えるのだった。この状態のときに、何が一番つらいかって、意味のある言葉で話しかけられて、聞きとって理解して返事をしなければならない状況に追い込まれることだから。それも、障害のことを話していない以上、なにかしら嘘を言って言い訳をしなければならないわけで、その計算もあるから、なおさら負担が大きい。
結局、夫が運転手さんに頼んでラジオを消してもらってくれたのだが、何しろこちらは耳をふさいでいるので、夫が「もう大丈夫だよ」とせっかく言ってくれてるのが聞こえない。何か言ってるみたいだと思って、自殺覚悟で手を離して夫の言葉を聞いても、しばらくはただの音列にしか聞こえなくて、言葉として聞こえなかった。いきなりアイスランド語かチェコ語で話しかけられたようなもので、音声のカタマリのまま、思わずオウム返ししてしまった(笑)。
まあとにかく、夫のおかげで、最悪の事態だけは免れることができたけど、このダメージはそう簡単に回復できそうにない。
部屋に通されてからも、仲居さんが来て、お茶を入れてくれたり義母と仲居さんが挨拶をしていたり世間話をしていたり夫が何かを質問していたりという、有意味音声言語攻撃が続く。幸い、部屋は次の間のあるスイートタイプ(和室でもスイートって言うかな?)だったので、次の間の縁側に引っ込んで隠れていることができたのだけれど。
もう歩ける状態ではなかったので、風呂は当然パス。着いたのが遅かったので、食事は、みんなが風呂に行っている間に運び込まれるとのことだった。でも、ということは、ひとりで残っているときにお運びの人たちが次々と来ることになるのか……。困ったなとは思ったが、歩けないものは歩けないし、お運びの人が来る前と帰った後は少しでもひとりきりになれるチャンスを逃す気にはなれなかった。1分でも、30秒でも、ひとりきりで、有意味音声言語を聞かずにすむ時間があるなら、その間にできるだけ心身機能の回復を図らなければ! みんなが風呂に出かけて行ったので、高速充電機能のスイッチが入る。いつお運びさんが来るかわからないので、三倍速モードに合わせる。
無事、お運びさんもやりすごし、みんなも帰ってきた。一応、席には着けるけれど、食べるのは無理かなという感じ。本当は、食事はパスして隣の部屋でじっとしていたいところだけれど、そういうわけにもいかないので、食べられそうなものだけを小鳥のようにつつく。「かわいそうにねえ」と両親は言ってくれるけど、受け答えをするのがしんどいので、本当は無視してくれた方が体は楽なのだけれど、そういうわけにもいかないので、適当な応答用音列を記憶の中から検索しておき、心身に鞭打って自動パイロットで発音する。でも、幸い、風邪を引いているのも本当なので、両親が勝手にすべての原因を風邪に帰して納得してくれるのを、ありがたく訂正しないでおく。
ほとんど食べられなかったが、それでも体裁を繕うために無理して食べたので、身体はよけいにつらくなってしまう。食べないでいれば、その分だけ回復に近づけそうな気がしたのだけれど、全然食べないと、心配していろいろ言われる(それも音声で)のではないかと思うと、聞きとり理解や受け答えが大変そうだという気がしたので、苦しいのをがまんして食べることにしたのだ。まあ、食べたら食べたで、「良かったね、ちょっとでも食べられて」と言われることになってしまったけれど(それでも、これは「はい」だけで片づけられるので、比較的、簡単だった)。
それでも、食後に出た抹茶プリンはおいしかった。金箔は余計だと思ったが。抹茶味のアイスクリームなら食べたいという気がして、売店に買いに行く。ハーゲンダッツのグリーンティー、300円。最初、グリーンティーが見つからず、置いてないのかと思ったが、ふたつだけすみっこに隠れていた。そのうち一個を買う。おいしかった。
昨日の寝不足のせいもあって、早く休む。風邪ということになっているし、実際に風邪でもあるので、周囲からも受け入れられやすくてちょうどよかった。
10月30日朝。
熟睡できたので、比較的すっきり目が覚める。体の調子はまだ良くないけれども、一応、移動には耐えられそうな感じ。朝食はたくさん残したが、朝食後、ロビーの喫茶コーナーへコーヒーを飲みに。ロビーからは大きな一枚ガラスを通して日本庭園が見えて、喫茶コーナーから庭に出られるようにドアがついていた。ロビーにスリッパで来ているひとのために、外用の履物も何足か置いてあった。
夫と義母と3人で庭に出て、のんびり鑑賞しようとしていたところに、仲居さんが来る。私は一瞬、この庭は立ち入り禁止だったのかと思い、反射的に「ごめんなさい、すぐ出ます」と口走ってしまう(残念ながら、義母の前だったので、自傷はできないようにルーチンをブロックしてあった)。ところが、その後のやりとりから、仲居さんは追加料金(飲みもの代や電話代)を徴収に来たのだとわかった。しかし、日本庭園に出たところに集金しに来るか? 普通。庭園って、くつろいでもらうためにあるんじゃないのか? だいたい、艦内館内に戻る出入り口はひとつしかないんだから、出口で張っていれば逃げられっこないのに。さて、夫は義母の相手をしていたので、私が払うことにしたが、現金の残りがかなり心細くなってきていたので、カードで払おうとしたら、「でも、たった1700円ですよ」と抗議されてしまった。「たった1700円だから、何?」と大慌てで考えるが、先ほど、「お庭を眺めてくつろぎモード」に入っているところを襲われたショックがまだ鎮まっていないため、それが「カードはイヤだ」という意味だと気づくのに、数秒の間が空いてしまった。遅れても気がつくだけ、まだ私の症状は軽いと言えるのかもしれないが、気がついても気がついただけでオシマイで、対応できないところが困ったもんだ。カードは使えるとパンフにも書いてるし、フロント周辺にもそこここにカード会社のマークが貼ってあったので、すっかりカードで払う気になっていたから、急に予定の行動をブロックされると、心身のシステム全体を攻撃されたような感じになるのである(自閉っ子の保護者や研究者や療育・教育者の中には、「変更に対応できない」っていうのがイコール「予定の行動を押し通そうとする」だと簡単に考えているひともいるかもしれないが、それだけが「変更に対応できない」ではないんですよ。ショックのあまり、自分の心身を立て直すのに忙しくて、自分の都合を口に出す余裕がない、要求を通す余力がない、そのために必要以上に相手のいいようにされる、なすがままにされるっていうパターンもあるんですからね! 驚いている間に流されてしまうのも、対世間的に「悶着を起こさない」って意味では対応できてるかのように見えるだろうけど、本人が自分の身を守るのには役に立ってないんですから)。と、まあ、そういうわけで、ショックに耐えている間に、いつの間にか、現金は8000円しか持ってないのに1700円をとられてしまっていた。
お土産屋さんで、買いたい一輪ざしを見つけたのだが、やはりカードは断られるだろうと思うと、買う気になれなかった。カード会社のステッカーの貼ってあるレジでカードを出して断られるのは、私にとっては大変な負担なのだ。身体のバランス機能とか歩行機能とか、満腹感や喉の渇きやトイレに行きたい感覚や上着を一枚着たほうがいいかどうか判断する機能などにそのまんま響くのだ。今は移動中だし、両親と一緒だし、風邪を引いているので、避けて通った方が無難だと判断して、一輪ざしは諦める。おい、○○旅館、商売の機会をひとつ逸したね。それでも、自分に必要なものはやはり必要なので、抹茶アイスの最後の1個はやはり買う。どうだ、柔軟だろう! いや、昨夜のうちから、「もう1個は明日の朝の分だな」と心に決めていたのから離れられなかっただけかもしれないが。
10月30日午前〜昼〜午後。
抹茶アイスをつかんだまま、旅館の送迎車で京福芦原湯町駅まで。東尋坊ゆきのバスはここを通るので。夫も手持ちの現金が乏しいというので、5000円札を1枚渡す。これでお札は1000円札1枚に(笑)。
東尋坊まで、普通の路線バスに揺られていく。とちゅうで、車窓から妙な八角形の洋館が見えた。郷土資料館だという。東尋坊の後は、水族館なんかより、絶対あっちがいいなー。
終点でバスを降りると、そこから岬までは両側に土産物屋と食事処が並び、商店街のような状態。どこもかしこも呼び込みのテープと呼び込みの人声と有線のBGMでうるさいったらない。そこに、団体さんを引率する添乗員さんたちが拡声器を使ってたりする。
うるさいだけならいいのだが、呼び込みの人に「声をかけられる」のが、私には何よりも苦痛だ。たとえ音量は小さくても、有意味音声言語が「私の方を向いている」というのが耐え難い。向こうは誰にでも同じ定型文を自動的に発音しているだけだろうから簡単だろうが、私にとっては初めて聞く音列なので、新規発言として処理しなくてはならない。それだけで十分にこっちが不利だと思いませんか?
岬に着くと、今度は遊覧船のきっぷ売場の放送がすごい。ちょっとは静かにできんのか?
海や岩そのものは悪くなかった。こちらが楽しめる状態になかったのが残念。
その後、「商店街」の中の1軒で昼食。私は何もほしくないのでパス。4人で、丼物ふたつ、焼き貝一人前(4つ)、汁物ひとつをとって分けあう。お運びの人の声と、食器のぶつかり合う音で、全身が前後左右上下に揺すられるような感じ。乗り物に弱い人で言えば、船酔いに似た感じだと思う。それでもどうにか、手も噛まず、耳ふさぎもせずに耐え抜いて(両親には聴覚過敏だけは話してあるから耳栓はしていたけど)生きのびた。
店を出て歩いていると、お土産屋さんの中の1軒に、どういうわけかユンボのおもちゃがあった。両親に怪しまれないよう、「すみません、ちょっとだけいいですか? 変かもしれませんが、小さいとき、ユンボ大好きだったんですよねー」とにこやかに断って店に入り、1、2分ほど遊び、大急ぎでバランス機能と歩行機能と表情合成機能に充電する。これで少しは盛り返した。ところが、それもわずか数分のこと。私の真後ろ1m以内のところで、どこかの添乗員さんが拡声器で何か発音したので、また歩けなくなってしまった。でも、ここで凍りついていたらめちゃくちゃ怪しい嫁になってしまう。幸い、両親は私が遅れていることに気づかず、どんどん前を歩いているので、気づかれる前に動きだせば大丈夫だと思えた。振り向いたときに止まらず歩いてさえいれば、「お土産物に見入っていて遅れた」で通用しそうだから。とにかくどこからか借金をかき集めて歩きだし、追いついてからはかねて練習していたとおり、お土産物に見入っていたという言い訳を発音する。
その後、東尋坊タワーへ。私は高いところが大好きなので、どこへ行っても展望台にのぼりたがる。360度の眺望はすばらしかったし、展望台が(正八角形ではないけれど)八角形なのも最高だった。空いていて、私たち4人で貸しきり状態だった。ところが、有線放送の歌謡曲がものすごい音量。最初はなんとか無視していられたが、とうとう歩けなくなってきた。高いところが怖くなくて、子どものときにも事故を起こしたほどの私なのに、この音楽にさらされていると、本気で高いところの景色が怖いのだ。生まれて初めて、高所恐怖症のバーチャル体験ができて、おかげさまで勉強になりました。なんて言ってる場合じゃない。ヒザの力が抜けたり、転んであたまを打ったり、壁に正面衝突したりすることになったらケガをするから、とにかく、目をつぶり、耳をふさいで壁にもたれているしかなかった。
曲と曲の切れ目を利用して、壁づたいに大急ぎでエレベーターにむかって移動(曲が鳴っている間は手は耳を塞いでいるから手のひらが使えないので)。曲間2回でエレベーターにたどり着き、ボタンを押すことができた(なぜボタンを押すのを夫に頼まなかったかというと、伝い歩きしなくては歩けない状態になっているのを両親に見られたくないので、声を出して振り向かれる危険を冒したくなかったのと、先に降りることを両親に伝えるのに声やイントネーションがあまりせっぱ詰まった感じにならないためには、発話能力に余裕を残しておく必要があったから)。「申し訳ないですけど、音楽がうるさいので先に下りていますが、私は大丈夫ですからご心配しないでゆっくり見ていてくださいね」とにこやかに発音してエレベーターにすべり込む。
エレベータの中で、エレベータガールがこっちを見ている。私の顔が、気分悪そうに見えるんだろうか。病気とまちがわれて心配されてしまっては、何を言われるかわからない。言われてから応対を作文するのは大変なので、それよりはこちらから話しかけた方が自分で作文できるだけマシだと思い、「景色はすばらしいんですが、音楽のボリュームが大きすぎて気分が悪くなってしまったので、先に下りていることにしました」「せっかくの景色なのに、あれでは何も見られませんねえ、もったいないことです」と立て続けにしゃべる。幸い、エレベータ係は返事に困っているようで、ちょうど良かった。相手が返事をしたら、それに合わせた応対を考えなくてはならなくなってしまうだろうから。
外に出てみて気がついたが、同じ放送は外に向けても流されていた。あわー。
とにかく、3人が出てきたときに私を見つけやすい場所で、少しでも音の小さい場所、人の少ない場所はないかとあちこちウロウロして、比較的マシな場所にじっと座っていた。
ところが、そんな私に何やら話しかけてくるオバサンがいる。「バスとちがうんですか?」「……」(??? バスとちがうって? 私は異星人だが、バスではないぞ) 「バスで来たのとちがうんですか?」「……」(バスって、観光バスのことだろうか。観光バスならちがう。でも、公共の乗り合いバスになら、乗ったぞ……) 「バスとちがうの?」(えーい、ちがうと言ったほうが簡単そうだ)「ちがいます」(ああ、どうしよう、また嘘をついてしまった! 私はダメだ!) 「ひとりですか?」「……(前後左右を見回す)」(今はひとりに決まってるだろー! あれ? それとも、ひとりで来たかって意味なんだろうか?)「えっと、だれかと一緒に来たかっていう意味ですか?」 「だれかと一緒に来たの?」「はい」(こんなにあれこれ調べられるなんて、なぜこんな目にあうんだろう。でも、こっちから事情を話した方が、早く解放してもらえるかもしれない)「家族はいま展望台にいるので、私はここで待っているんです」 「そんなら、中で待ってたらいいのに(どこかを指差す)」 「あの、どこも音楽とかかかってるし。展望台で、放送が大きすぎるので、気分が悪くなって私だけ先に下りてきたんです。それで、少しでも静かそうな場所を探して、ここが少し静かだったからここで休んでいるんです」 「そんなもん、どっこも放送かかってるのは当たり前よ」 「……」(そうですか、どうせ私は異常ですよ) 「どこから来られたんですか?」「???」(いつのことだろう? 昨夜泊まった旅館を答えたらいいのか? ふだんの居住地を答えるべきなのか? それに、なぜ調べられなければならないんだろう? 何か悪いことをしたのと見間違えられたんだろうか?)「ごめんなさい、もうしません。私、何もしてません」 「いや、あのね、東京とか、北海道とか、あるでしょ。みなさん、どこから来られたのかなって」 「……」(そうか、ふだんの居住地で、範囲は都道府県なんだ。でも、どうしよう、私たち夫婦と両親では、都道府県がちがう! 同居してないから、都道府県がちがう! どちらを答えるべきなんだろう? 両方答えたら、必要ないのに詳しすぎたことになって、よけいに怪しまれるんだろうか? だいたい、目的は何なんだろう? 先方の目的によって、適正な答えは変わってくるはずだ。でもここで、「何を調べるために知りたいのですか?」と聞き返すと、失礼にあたると思う。なぜなら、「何のために必要なの?」という表現を、「そんなこと必要ないだろう」という意味で用いる人たちがいるから、それと混同される心配があるから。私はどうしたらいいのだろう。どうして、こんな難しい判断を迫られるような立場に追い込まれるのだろう。そして、私たちの住んでいる都道府県と、両親の住んでいる都道府県と、どちらを答えるのが正しいのだろう。そして、気分が悪くなって休んでいると言っているのに、どうしてこの人は音声言語での返答を要求するのだろう……) 困っていたら、返事を聞かずにおばさんはどこかへ行ってしまった。でも私には、おばさんが戻ってくるつもりなのか、もう戻ってこないつもりなのか、それとももっとおおぜい、味方を引き連れて戻ってくるつもりなのかがわからない。逃げたら、もっとあやしまれることになるんだろうか。逃げるだけじゃなくて、どこかに隠れるべきだろうか。でも、隠れているところだけを、全然事情を知らない人が見たら、そのほうがなおさら怪しいぞ。それに第一、隠れてしまっては、夫と両親が出てきたときに私を見つけられないだろう。そう思うと、動くわけにはいかないと思えた。とにかく、じっとしていることだ……。まあ、どっちにしても、まっすぐ歩く余裕は残ってなかったのだが。コンクリート舗装の場所で転ぶと危ないし、ケガをしたところを両親に見られたら、また会話の必要な用事が増えてしまう。話題を作らないためにも、ケガをしないようにしなくてはならない。だからなおさら、じっとしているしかなかったのだ。
それから何分くらいだっただろうか、とにかく3人が出てくるまで、「おばさんは戻ってくるだろうかこないだろうか」とびくびくしながら待つことになった。
ところが、夫と再会したとたん、ハタとひらめいた。そういえばおばさんはさっき、「中で待ってたらいいのに」と言ったっけ。そして、言いながらどっかの方角を指差したっけ。その前、私に声をかけて来る前は、観光バスに乗りこむお客ひとりずつに頭を下げて別れの挨拶をしていたっけ。バスの扉が閉まると、バスにむかっておじぎをしていたが、バスが出て行ったときに私の方へ向かってきたのだった。ということは、このおばさんは、飲食店and/or土産物店の従業員or経営者にちがいない。おばさんが頭を下げていたのは、食事and/or買い物をした団体客だったのだ。ということは、あのオバサンが私に近づいてきた目的は、私を店に入れることであり、その行為は「呼び込み」として分類されるのだろう。そして、その後に住所をきかれたのは、取り調べではなく、世間話だったのだろう。行ってしまったのは、私が言葉に障害を持っていることを理解したからではなく、店に入りそうにないとわかったからだろう。
それだけのことが、夫に再会するとすぐにつながった。これを女性自身みたいに「安らぎ」と解釈する向きもあるかもしれないが、私の感覚としては、夫の脳とリンクして、プログラムをちょっとお借りしたような気分なんだが。
「ねえ、待ってたら、呼び込みが寄ってきた。せっかく休んでたのに」
「ありゃりゃー」
完璧な説明ができてるじゃない。我ながら、見事なもんだ。
10月30日夕方〜夜。
その後、乗り合いバスでJR芦原温泉駅まで。とちゅうで、ふたたび八角形の建物の横を通る。夫が「写ルんです」で狙ってくれたが、撮れているかどうかは現像してみるまでわからない。八角形の郷土資料館を過ぎてしまってからは、心の支えがなくなったため、体調の悪さだけが残ってしまった。
私は乗り物には強い方だが、こういうときに乗り物に乗るのは、本当にシンドイ。どうも、私の聴覚過敏のシンドサや、音声言語処理能力が飽和になったときのシンドサは、乗物酔いや二日酔いの感じに似ているんじゃないかという気がする。聴覚過敏がひどいときや、音声言語の聞きすぎのときは、珍しく、乗り物に揺られるのがつらくなるし、嗅覚にも過敏になってしまう。「食べられない(食欲がない)」と、「聴覚過敏」「音声言語聞きとりによる疲れ」と、「嗅覚過敏」「乗り物の振動による疲れ」との間にはどうも相乗効果があるみたいだし。
感情の昂ぶりは、また別の系統らしく、色彩が鮮やかになったり、手足がしびれたり、奥行き知覚が困難になったりという変化と連動しているが、嗅覚の過敏にはならないし、乗り物の振動が苦痛に思えるようにもならない。
まあ、バランス感覚や運動機能がおかしくなるのは、質的な変化ではなく、単純に「そこまで手が回らなくなったので、その分能力が下がっただけ」という感じがするのだが。
いや、まあ、とにかく、そんなわけで、いくら乗り物に強い私でも、40分もバスに揺られるのは結構つらかった。乗り物に弱い夫と、老人ふたりとが平然としている中、私だけが固まって耐えていた。がまんできなくなったら、とちゅうで飛び降りてもいいや、とも思った。けっこう、路線バスは本数があるみたいだし。それでも、「もう、ひとりで降りちゃおうかな」と思いはじめたころに、駅に着く。
雷鳥の時間まで50分も待たないといけないので、3人は「ついてない」と言い合っていたが、私は、しっかりした地面の上にいられるのがありがたかった。
売店では、食べ物に目が行かないせいか、写真の多い女性雑誌が気になる。きれいな写真を眺めたら、ずいぶんなぐさめになるだろうという気がして、2冊買った。ファッションよりも家事の方に比重のあるタイプの2誌。最後の1000円札、使ってしまったよ。
汽車に乗ってからは、雑誌にしがみついて帰った。おもしろいというほどではなかったが、写真の色彩だけでもずいぶん救いになった。それに、雑誌を読んでいる人に、人はあまり話しかけないものだ。グループ旅行で乗り物に雑誌を持って乗るのは失礼なことだとされているのは、そのためなのだろうが、ほかの3人もこれだけ疲れていれば、寝るかもしれないのだし、これ以上無理をするのは危ないという気もしたので、緊急避難。それに、単行本だったらナマイキそうに見えてしまうかもしれないが、雑誌なら庶民的そうに見えるので、比較的安全そうな気がした。とにかく、雑誌のおかげで、途中下車を考えることもなく、無事に自分の身体を車内に置いておくことができたのだから、結果オーライってことで。ただ一回だけ、完全に記事に入り込んでいるときに、突然義母が話しかけてきたので、急なことに驚いたのと、話を聞きとりそこなったのとで慌ててしまって、軽いパニックを起こしかけたのだが、それも、「すみません、あんまりおもしろい話だったので、思わず夢中になっていたものですから、つい、びっくりしてしまって」とひたすら謝ってごまかすことができた。まあ、先方がおとなだから、ことを荒立てない方を選んでくれたおかげだとは思うけれど。
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