館長私的記録 Chief Librarian's Personal Log
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9月17日。
出発ぎりぎりまで仕事。夫に途中まで送ってもらい、電車で指定のホテルへ。空港周辺ではなく、旧市街のホテルだった。窓を開けたけど海も空港も飛行機も見えないし、飛行機の爆音も聞こえない場所だとわかってしょんぼり。客も空港利用者ばかりではなく、地場産業関係のビジネス客も多いようだった。外国語の掲示も見当たらない。救いは、ハーゲンダッツの自販機があり、抹茶アイスクリームが買えることである。

夜もかなり遅くなって、NHKのスタッフが到着。食事に行く。店がなかなかみつからないのには参った。小さな町で、店自体が少ないんだもの。

9月18日。
朝からずっと、インタビューの撮影。夜、ホテルの人にコンビニの場所を教わって、片道15分歩く。夕食、ポテトサラダ、焼き鳥、おにぎり。

9月19日。
朝から前日の続き。昼少し前にインタビュー場面の収録は終わり、野外での撮影のため、海岸へ移動。昼ごろ、風景を撮るスタッフを置いて、私は一足先に帰る。昼食は蒸しパン。風呂に入って、そのまま昼寝。

夜、目が覚める。撮影小物としてNHKに貸す約束をしていたANIのパーカを、車から降りるときにまちがって持って降りてしまったことに気づく。まあいいや、あしたにでも送ろう。夕食、Spa王焼きタラコ風味。あした家に送る荷物をまとめて、しばらく仕事。ふたたび寝る。

9月20日。
まちがって持って帰ってしまったパーカをNHKに送らないといけない。フロントがほかの泊まり客の連絡先なんて教えてくれるだろうかと疑問だったが、きいてみたら、あっさり教えてくれた。まあ、私の支払いはNHKが負担していることを、従業員一同がよく知っていたのかもしれない。ここのフロントでは、ペリカンの着払いしか扱ってないとわかった(しかしなぜ着払い限定?)。紙袋をもらって、無事に発送。自宅に送る荷物は普通に送りたいとも思ったが、宅配便を扱っている最寄りの店まで運ぶのがめんどうで、同じ着払いで送ることにした。

ほとんど空のかばんに、ノートと原稿ホルダーをつめ込んで、電車で空港へと急ぐ。航空券を受けとり、チェックイン。やっぱり飛行機はいいな。空港も飛行機も大好き。

空港には、両親と犬が迎えに来てくれていた。犬は見知らぬ人の人気者だった。両親の車で、市中心部へ。観光客向けの飲食・小売り複合施設で、食事とお茶。

引き続き両親の車で実家へ。夜、両親は9時半には寝てしまう。私はそれから2時半ごろまで仕事してから寝る。

9月21日〜22日。
両親の家でだらだらと仕事、散歩、犬と遊ぶ、昼寝、など。

9月23日。
朝、起きて荷造り。空港まで父に送ってもらう。空港でお土産にチーズ、ソーセージ、チョコレートなど買う。飛行機の中でもいじきたなく仕事。それでも遅れているんだからしかたがない。大阪に着いて夫に電話したら、風邪ぎみなので迎えに来てくれないというので、あきらめておとなしく帰る。母が作ってくれたおにぎりの残りと、カップめん食べて、一週間ぶりのネット。

9月24日昼〜夜。
女性自身の取材で、夫と電気街へ。先方はどういうわけか夫にも話を聞きたいというし(そんなもの聞いてどうするんだろう?)、夫と私のツーショット写真を撮りたいというので(そんなもの撮ってどうするんだろう?)、私たち夫婦のつながりを象徴するのに最適の場所として、こっちから電気街を指定したのだった。しかし、夫が他人に私のことをしゃべってるのをハタで聞くというのは、どうも妙な経験である。写真撮影にかこつけて、電気屋でジョルダノやらペルソナやら触ってきたぞ。それからまた電気街近くの和風喫茶でみつまめを食べながら話の続き。取材班は次に竹田先生に会う約束があるとかで、夕方に別れることになり、夫と難波で飲んで(といっても私は烏龍茶だが)帰る。

帰ってみたら、なぜかネットに入れない。どこにもつながらないので、先方ではなく、こちらの問題としか思えない。夫が遅くまでがんばって解決してくれた。

9月25日朝〜夜。
引き続き、女性自身の取材。私は空港が大好きなので、近くの空港の展望台へ飛行機を見に行く。シンガポール航空の飛行機がきれいで、ちょっと気に入った。夕方は対岸に戻り、観覧車を眺めながら話の続き。さらに、小料理屋でアナゴをつつきながらまたまた話の続き。10時間にわたって話しどおし。あしたはもう休みということにしてしまった。

9月25日深夜。
3日かけるはずだったインタビューを2日で終わらせて帰ってきた。さすがにぐったり。NHKの担当者より、今後の予定などが届く。

9月26日朝。
今日から日常に復帰だ。昨日までのわけわかんない毎日は終わり。静かに仕事するぞ。規則正しく地道に働いていればいい生活に戻れるんだと思うと嬉しい。

久しぶりの生協。ドキドキ、緊張したけど、思い切って行ってみたらどうってことなかった。しかし毎回、おみやげ渡す瞬間は苦手だ。私は皆よりも遠出(つまり海外)の回数が多いので、「いいな〜」とか言われたときにリアクションに困る。あと、「英語しゃべれてすごーい」とか「外国に友だちいるなんてすごーい」とか言われたときに、どう答えるのが正しいのかよくわからないので、びくびくしていなくてはならない。私は他の人がフランス語しゃべれようがリンガラ語しゃべれようが、「ああ、話せるんだな」としか思わないし、友だちがウクライナにいようがウルグアイにいようが、「友だちがいるんだな」としか思わない。だから、いったい先方が何に反応しているのか想像がつかないので、正しい反応を割り出す根拠も持てずにいるのである。

9月25日深夜から26日早朝にかけて。
ひどく疲れているのに、神経がたかぶって寝られない。こういう、疲れ切ってるときこそ、早寝早起きのパターンに持ちこんでしまうチャンスだと思ったのに、残念。

一週間ぶりにネット見てたら、「サイコドクターあばれ旅」の「読冊日記」に岸本佐知子の「気になる部分」(→bk1 amazonという本が紹介されてた。ちらっとだけ紹介されてた内容といい、タイトルといい、これはどう考えてもアレだ! そうか、単行本になっていたのか!

その昔、私がまだ翻訳家になれるかどうかわからずにいたころ、月刊誌「翻訳の世界」にやたら連邦市民好みのエッセイが連載されてた。砂糖と塩を混ぜて無味無臭になるはずだと思ってせっかく実験したのに「あまくて塩辛い」というつまらん結果しか出なかったとか、工場見学に行った後、「見たものを描け」と言われて天井を走る肌色のパイプを描いたら「そんなものはなかった」と言われたとか、私とそっくりそのまま同じ経験が書かれていた。

でも別の回の記述によると、この人はちゃんと会社勤めをしていたらしい。それに、慰安旅行や、宴会なんかもこなしているのだ。私なんかとは出来がちがう。翻訳だって、私も大好きなニコルソン・ベイカー(→bk1 amazon)みたいなのだけじゃなく、私には理解不能な「普通の文学」も訳せる人なのである。

まあ、世の中には、自分よりもスイートスポットの広い人ってのはいるもんだ。そんな人の存在を知ってしまうと、これまでは「障害と抱き合わせの特権」だとばかり思ってた自分の感覚世界の楽しさが、ちっとも特権なんかじゃないと思い知らされてしまう。

と、いうわけで、たぶん紹介されている本は、このときのエッセイをまとめたものにちがいない。この次に町へ出ることがあったら買ってこよう。

9月26日昼。
昼ごろ、遅れている仕事の版元から電話。スケジュール計算の甘さをお詫びして、今後の予定を伝え、ついでに今回の騒動の愚痴まで聞いてもらってしまった(いいのか?)。

まあ、今回のNHKの件は、物理的に時間を食ったとか、対人折衝の分量が多かったとか、そういうしんどさもあったけど、先方の方針変更、予定変更に頭がついて行かなかったせいもあるんだと思う。もともと予定変更に耐える力が弱いのは連邦市民の証ともいえるけれども、今回の場合、こっちが方針の変更を予測していればここまで疲れなかっただろうな、という気がする。つまり、「私も、無知だったなー」という感じ。ってことは、「これからは応用が効くぞ」ともいえる。

最初に聞いた方針なり予定なりを、「これは仮なのかもしれないなー」と思って聞いていたのと、「なるほどこのとおりになるんだろう」と思いこんで聞いていたのとでは、実際に変更があったときのショックがちがうでしょ。アスペルガーっていう障害を持って生まれた以上、変更に弱いっていう素因は変えられないけれど、「これはまだ、仮なのかもしれないなーと思っておく」という準備はできる。

マスコミとか、イベントとか、広告とか、「水もの」っぽい業種の場合、人に会ったり、現場を見たり、素材の現物を見たり、雰囲気を見たりしてみて新しいことがわかったら、それに合わせて刻々と発想を変えていかないと、せっかくの情報が無駄になってしまう。ようすを見て方針をころころ変えられるくらいでないと、いい仕事はできないんでしょう。私にはできない仕事だ。そこで融通のきかない、イモな人々が相手だと、私個人としては非常に楽だし、気持ちよくつきあえて、仕事もやりやすいんだが、できてくる仕事はイモになる。臨機応変に対応できる人々が相手だと、私自身は非常に苦しいんだけど、できてくる仕事はそのほうがいいのかもしれない。難しいもんである。もちろん、私が苦しみすぎて、体調崩したりパニック起こしたりしたんじゃ、相手にも迷惑かけちゃうことになるから、そのへんのバランスは必要なんだが。

「障害をもつ人間」としての自分の身を守ることと、「仕事する人間」として、良い結果を追求していくこととのバランスって、本当に難しい。障害のある身体(脳)を守るためには必要な配慮を求めた方がいいけど、求めない方が自分の思いどおりの仕事ができるなんて場合、力のバランスは先方と自分の間ではなく、自分の内部で考えないといけなくなる。周囲に理解があったって、差別や偏見がなくたって、それどころか、ひとりで作業をしていたって、障害はつきまとうんですよ。私から身体(脳)を差し引くことはできないんだ。

予定変更は苦手な私ではあるけれど、状況を見てころころと方針が変わる、そんな世界を知らないわけではない。一応、若いころにあちこちで見てきましたよ。ただ、私は働いていなかったから、仕事の世界、会社の世界では見たことがなかった。だから私はついつい、こういうのはヤクザな世界(ヤクザ「の」世界じゃないよ)だけに特有のものかと誤解してた。カタギの会社の人たちは、もっと堅い計画立てて、その計画通りに作業をこなしてるのかと想像してた。背広着てるサラリーマンは先の読めない作業なんてしてるはずがないと思いこんでた。

これは障害のせいじゃない。単なる無知。会社って世界を知らないから、勝手に想像してただけ。留年も中退もせずに普通に学校を卒業できて、普通に就職活動ができて、普通に就職ができた人たちは、きっと「きちんと」やってるにちがいないと想像してた。自分が入れなかった世界だから、過大なイメージを持ってただけみたい。そうか、カタギの会社も、案外、ヤクザな仕事のこなしかたをしてたのか、って発見した気分です。ま、イメージの修正ってやつですね。

9月26日夜。
明日は、粗大ゴミの日。明後日は、夫が長年恋い焦がれていたマッサージ椅子が配達される。というわけで、椅子を置く場所を空けるためには、今夜のうちに、捨てられるものを捨てられるだけ捨てておかなければならない。

場所を空ける目的が夫のほしがっていた物であるだけに、片づけには夫がいつも以上に積極的である(夫の方が片づけや掃除に積極的なのはいつものことだが)。ありがたいことである。

いくつか物を捨てたけれども、まだ椅子は運び込まれていないので、束の間、部屋が広くなった。一日の命だけど、広い部屋はいいもんだ。

9月27日早朝。
NHKの担当者からいろいろと変更の連絡。昼間、「これからは、方針や予定を聞いても、なるべく『これはまだ、仮なのかもしれないなー』と考えよう」と心に決めたばかりだというのに、えらいタイミングである。さっそく役に立ったらしく、あんまり動揺しなかった(適応のストレスは相変わらずだが)。私、ちょっとは進歩してるのかも?

9月27日。
まじめに仕事(本名名義の)。最近、リンコ艦長、じゃなかった館長の取材等で、本名名義の仕事や、個人的人間関係にしわよせがくる(主に、時間的な意味で)ことが多かったので、いろいろと申しわけなく思うことも多い。私が現地採用の連邦公務員として在地球市民の地位向上のために働いてるなんてのは、地球人としての私を知っている人にとっては何の関係もないことであり、要するに〈余技〉なんだからな。きょうはひたすら、仕事中毒モードである。

9月28日朝。
私が寝ている間にマッサージ椅子が運ばれてきた。

夫は上機嫌である。当然だ。この椅子は、夫が電気街でいろいろ乗りくらべて気に入ったやつを選んだんだもの。

私も乗ってみた。なにしろ文筆業。仕事中毒。姿勢が悪い。バランス感覚が悪い。肩こり首こり背中こり腰こりはいつものこと。機械で少しでも楽になれるもんならありがたいことだし、夫がよろこんで使っている以上、気に入らなくたって「もったいない」と思う必要がない。ダメもとで試してみられるのは嬉しい。

ところが。

たしかに気持ちいい。なのに、なのに、気持ちいいのに飽きるんだよ! とにかくじっとしてないといけないのが許せないんだよ! 気持ちいいなら、いつまでも続けられるってのは、ウソだ。ウソに決まってる。少なくとも私には当てはまらない。

いや、まあ、温泉でもリゾートでもいつもそうなんだけどね。私はあっという間に飽きて、「することがないっ!」とわめきだすのだ。汽車を乗り継いで温泉まで行っても、からすの行水で出てきてしまう。

私は豪華なホテルが大好きなんだが、広くてぴかぴかの部屋を見て、片づいた机を見ると、「こんな片づいた机が使えるんなら、仕事持ってきたらよかった」と言って泣きだす。そんなやつなんだ。

壁の電気のスイッチだとか、マンホールのフタだとか、水たまりの泥水なんかをしみじみとながめて何十分も遊んでいられるくせに、この飽きっぽさ。「やっぱり私はADHDだ」と思い知らされた気分である。広汎性発達障害が注意欠陥多動性障害の除外基準になってるDSM-IVの分類法は、やっぱり直観的・経験的・日常感覚的にすっきりしないと思うよ。

9月28日通してずっと。
NHKは現在、収録したビデオを編集している。その中で、映像につけられるコメント、紹介される私の経歴などについて、どうも話し合いがうまく行かない。

向こうは仕事なので、あまり世の中の予備知識や先入観とかけ離れたことをやるわけにもいかないんだろうな。だけど、生身の人間の生の人生ってのは、そうそうステレオタイプ通りには動いていかないのだ。リアルにすればするほど、わかりづらく、つまんなくなっていくってことなんだろう。

だけど、生身の障害者を苦しめているのは、まさにその「わかりやすいステレオタイプ」だったりするんだけどね。

9月28日夜。
またしても、片づけられない女たちを笑い物にした番組が放送されたそうだ。

9月29日朝。
どうやら私は負けたらしい。でも、言うことはきちんと言ったので、そう悪い感じは残っていない。私の意見が負けただけであって、私が負けたわけではないのだ。

それに私は、タダでは起きない。勉強になりました(これは皮肉ではない)。

9月29日昼。
仲間たちは「仲間を裏切るからバチが当たるんだ」と言うかもしれない。それはそれでしかたない。同じ連邦の市民でも、利害はそれぞれちがう。だれかにとって役に立つことが、べつのだれかには迷惑になる。だから私は、なにをしようと、かならずだれかに迷惑をかけることになるんだから。

「同じ障害を持つ人には、わかってほしい」なんてことは言わない。みんなには、わかってくれる義務なんてないもの。そしてみんなには、苦情を言う権利もある。

9月29日午後。
関係ないけど、きょうは朝から、頭の中で「オクラホマミクサー」が鳴っている。特に、後半のマイナーに転調した部分ね。きっと運動会の季節だからだろう。

運動会の季節は、障害児の親のウェブサイトや、親の集まる掲示板に行くのが嫌になる。「うちの子の障害のおかげで、親はこんなにつらかった」系の書き込みが多くなるからだ。わかってはいるんだけどね。そして、運動会の書き込みとなると、食べ物の話をレスしてごまかす私。そうだよ。そうやって話題を逸らそうとしているんだよ。悪かったな。でももう、今年はやらない。

いま住んでいるマンションは、海が見えないのだけが難だけれど、夕陽も見えるし公園も見えるし桜も見える。そして何より、近くに学校がない。運動会の練習を聞かずにすむ。ふだんは意識していないし、家を探すときに特に気をつけていたわけじゃないが、この季節には、これほどありがたいものはない。この次引っ越すときには、同じように学校が近くにない所を選ぼう。

やっぱり秋は、サンマに梨(私は青梨派なのだ)ですね。と言いつつ、今日は鮭なんだけどさ。

9月29日夜。
また変なサブタイトルのドラマを発見。

フジ系20時10分、金曜エンタテイメント
「腕まくり看護婦物語・(10)婦長旋風編」
婦長旋風編・元鬼婦長に末期がん宣告・・・自閉症の息子の心は開かれるのか?感動人情奮戦記

フジの公式ウェブサイトから一部抜粋

自閉症で三浦半島の施設にいる息子春樹の面会日だった。貞子に代わって三浦半島の施設へ出かけた妙子は、外へ出たがらない春樹をやっと連れ出すことに成功する。

きちんと抗議を積み重ねていくためには、見るべきだろうかと迷ったが、自分の精神衛生もあるし、だいいち仕事する時間が惜しいのでパス。私が忙しいときにやるな!

なんかこう、昔いろんな運動していたころから思ってたんだが、相手が出てくるたんびに、アリバイ的に抗議を積み重ねないといけないっていうのは、どうも不利な立場である。こっちのペースでしかけることができないわけで、いつもいつも対応するばかり。つまり、時期を設定する力を先方だけに握られているからですな。そのあげくに、「なんでも反対」とか「反対運動専業」とか揶揄されたんじゃ踏んだり蹴ったりってもんである(そういうのを一言でかわすキーワードがあると、使えるのにな)。

9月29日深夜。
ずっと仕事。それはいいけど、サーバーの不調か、メールが回収できなくて困った。なまじ、1通来てることはわかったり、それが2通になったりするので、よけい気になって精神衛生に悪かった。送る方は送れるんだからなおさらわからん。

でもまあ、メールを受けとらなければ、腹が立つこともなければ返事を書こうと思うこともないわけで、それに気づいてからは逆に歓迎ムード。人の心ののどけからまし、ってな感じで、仕事するには得だったかも。

9月30日朝。
相変わらず仕事。メールは受け取れた。古くなっていたせいか、こっちも熱くならずに読むことができて得だったかも。ところで、昨日は「オクラホマミクサー」だったのが、今日は「きょうの健康」のテーマである。<脳内BGM

9月30日昼。
相変わらず仕事。疲れがたまって体調悪し。関係ないけど、「ホームページ」の略で「HP」と書かれているのを見かけるたび、アタマの中で「ひゅーれっとぱっかーど」と読んでしまうのは私だけですかね。

ジョルダノはよくできてると思うけど、やっぱりミスタッチ連発で、ストレスなしにタイピングできそうにありません。

小型のパソコンを筆談用アシスティブテクノロジーとして使うなら、置き場所の問題が出てくるね。画板とか、駅弁売りとか、いろいろ考えてしまう。車椅子ユーザーだと、車椅子のトレーが使えるので、重さの問題と共に一挙解決なんだけど(そう考えれば、私が最近、旅行用のキャスターつきかばんを引きずってるのは、あれもアシスティブ・テクノロジーなのか?)。

あと、むりやり液晶画面を見せつけられる人にとって、液晶の映り込みとか、そういう問題は大きいよなあ。渡してしまわずに、こちらが持ったまま見せたいもの(受け渡しで落とされることや、手が触れあうことを心配するくらいなら、音声でしゃべった方がマシだい!)。

手書き文字にストレスのある私にはタカラの「せんせい」は使えないし、ひらがな文字列が読めなくて漢字かなまじりに頼っている私には、漢字変換は必須である。アシスティブテクノロジーって、お仕着せじゃダメなんだよ。

9月30日夕方。
相変わらず仕事。もう少しだ! でも関係なく体調悪し。

いろいろ言ってましたが、10月10日にNHK教育テレビの「にんげんゆうゆう」で私の映像を映したビデオが流れます(再放送もあるらしい)。尺は10分かそこらなのに、交渉に1ヶ月、撮影に1日半、事後処理に10日もかけた労作(?)でございます。

私は両親を始め、親戚一同に診断のことを話していないので、顔は映りません、悪いけど。私の顔が見られないのを単純に残念がっている人、卑怯だと批判する人、理由はわからないが怒っている人、後ろ姿やモザイクで出ることによって障害は恥ずかしいものだというイメージが広まってしまうと案ずる人、いろいろいるみたいだ。そして、本名を明かさないことについても。

私は、「障害は恥ずかしいものではない」という意識と、「必要以上の差別や攻撃は避けて通る」という行動とが、矛盾するものだとは考えてないの。差別も攻撃も、現実にあるんだからね。告発のために、わざわざ差別に身をさらして、ひとつずつ報告するなんて非効率的だと思う。私にそんな体力はないし、体力があったってほかにやりたいことがある。差別の告発なんてのは、そんなつもりもないのにたまたまやられちゃった人が、やむにやまれずやることじゃないのか?

また、私の身元を徹底的に調べ上げて攻撃しようとする人が現れたら、この程度の方策では確かに無力なのも知っています。でも、「そこまでするのは面倒だけど、簡単にできるんなら嫌がらせしてみよう」という程度の、デキゴコロ組がフィルターできるだけでも無駄ではないはず。「原理的に無理」だからって「統計的に減らすのが無意味」ってことにはなりません。

その昔、私の書いた文章の内容が気に入らないという理由で(注 決してだれかを攻撃した文章ではない)、物理的に危険な目にあったこともあったっけ。幸い、ケガはせずにすんだけど、あれはやっぱりかなりのストレスだった。それに、芦浜のことを少しでも覗いたことのある人なら、あるいは、宇検村久志で何があったか知ってる人なら、「それなりの用心をする」ってのが卑怯な行いではないことは分かってもらえると思う。世の中には、攻撃しなくてもされるってことはあるんだからね。

「恥ずかしくないけど隠す」。それもひとつの選択肢だと思う。「隠すってことは、恥ずかしいんだろう」というカングリのほうが、単純すぎる。

9月30日夜。
相変わらず仕事。最終チェックに入っている。でもそれとは関係なく身体は、あ、いややめておこう。ここ何日も、ずっと微熱がとれない。

そういやオートリートから帰ってからまだ1ヶ月ですか。なんか3ヶ月くらい経った気がするんですけど。あーでも、時差ボケがまだ直ってないんでした。っていうより、昼も夜もあまり関係ないか。気がついたら寝てなかったりするから。

とにかく、ここ2ヶ月の生活は異常だったと思う。ドナ・ウィリアムズの講演会、雑誌の取材と今回のTVの取材(どちらも準備、交渉から本番まで)、明石書店の本の執筆(1章だけです。アンソロジーだからね)、オートリート、教育大での講義。それにマッサージ椅子の配達(笑)に実家行き。その間、普通の書籍はたった1冊訳しただけ。

こんなにごじゃごじゃしたスケジュール、普通のADHDの人には天国だろうけど、私には無理だ。いや、私の中のADHDゴコロは幸せそうだし、だいたいこれを全部OKしたのは私の中のADHDゴコロにちがいない。純血アスペだったら、こんな無謀なまねはしなかったはずだよ。

早く静かな生活に戻ろう。私的記録のねたにも困るほどの、単調な生活に。朝から晩まで、ぼけーっと仕事中毒するだけの生活に。私はもっとたくさん翻訳したいんだ。でもその前に、明日からは2、3日、ひたすら横になって身体を治したい。夜に寝て、朝に起きることを覚えなきゃ。もちろん日本時間でね。

10月1日朝。
仕事がひとつ終わった。

それはともかく、毎日こうしていてだんだんわかってきたのだけれど、私にとって、姿勢保持の問題は、非常に大きな障害になっているらしい。具体的に言うと、「座る」「立つ」「歩く」「物を運ぶ」の四分野である。

考えるのも、会話をするのも(音声・筆談両方)、メールを書くのも、メシを食うのも、結局は「姿勢保持」という大仕事をやりながら、その片手間にやらないといけないんだから。

社会性の問題だとか協調性がないだとかコミュニケーションの問題だとかいろいろ言われたところで、それは結局のところ、相手のいる場面でしか問題にならないじゃないか。一人で座っていたって「背中をどうにかする」という問題は常について回るんだよ。そして、相手のいる場面になったって、やはり背中の問題はついて回って、それでなくても難しいコミュニケーションを、片手間の仕事にしてくれるんだ!

私は、一年ほど前に今の事務椅子を使うようになってから、以前よりかなり背中の問題が楽になったと思っていた。格段の差だーと喜んでいた。でも、やっぱり足りない。この程度じゃ足りない。やっぱり、どう考えても腰が痛いぞ。そして、子どものときからずっと痛かったらしいことに気がついた。一年前に少しマシになるまでは、どうも相当痛かったみたいだ。でもこのごろは、「なんとなく気分がすぐれない」の束の中から、どれが「腰が痛い」なのかをより分けられるようになったのだ。ついこないだまで、腰が痛いのだとは気づかずに、水を飲んでみたり、トイレに行ってみたり、顔を洗ってみたりしていたのとは、えらい違いだ。

ところで、筆談キーボードをどこで打てばいいのか(テーブルのない場所で)とずっと考えていて、そこから、車椅子や三輪カートの人はトレーに置いてるよなあというようなことを考えていて、そういえば、打ちやすいサイズのキーボードはどれも重いなあと考えていて、ふと、私に必要なのは、よくお婆さんが押してるような買い物カートなんじゃないかと思い至った。

そういえば、スーパーのカートも、空港のカートも、私大好きだもの。キャスターつきのバッグをがらごろと引きずっていながら、そのバッグ一個だけをカートに乗せて押して回るくらい、カートの方が楽だもの。聴覚過敏を持ちながら、あのすさまじい騒音に耐えてもいいと思えるくらい、カート好きなんだよ、私(キャスターつきバッグだって十分うるさいですけどね)。荷物の重さがかからないだけじゃなく、上半身前かがみになれるから、前方にもたれられるから、背中の皮を伸ばせるからなんだ。

でも、買い物カートって、台が低すぎなかったっけ。あれのハンドルのとこにトレーがついてればいいのか? キーボードを打つ台ってことを考えると、イメージは歩行器みたいなものになってくる。いや、単に、高さだけの問題だけどね。

なんかだんだん、普通に普通学級に通っていた子どものころのイメージとかけ離れていくなあ、私。

ついでながら、BGMは一昨日の「オクラホマミクサー」が復活だ。

10月1日夕方。
私はいったい、何をしてるんだろう。

何をしようと必ず、だれかに迷惑をかけるか、だれかを傷つけるか、どちらかと決まっているのだ。仕事がなんとかできていると、子どもが将来仕事に就けるかどうか心配している人たちが喜んでくれて、仕事に就けずに困っている人たちや、子どもが将来仕事に就けないだろうとあきらめている人たちを傷つけてしまうんだそうだ。

私にはわからない規則が多すぎる。せっかく暗記したと思ったら、すぐに例外697が発生して、失敗してしまうんだ。

それはともかく。大勢の人たちを相手にしている以上、そして、受け手の状態や需要や嗜好が不均衡である以上、ある人にとって有用な情報が別の人にとっては有害だったりショッキングだったり噴飯物だったりってことがあるのは当然なわけで、なんの不思議もない。それを、ちょうど必要としてる人のところに届け、害を受けそうな人の元には届かないように計算するのがマーケティングってもんなんだろうけど。

靴にも紙おむつにも生理用ナプキンにも犬の首輪にも、いろんなサイズがある。あなたに合わないサイズのものも、別の人は必要としているかもしれないんだ。まちがって買ったなら、表示に文句を言ってくれ。サイズ表示が読みにくいという苦情は受けつけるから。でも、自分のサイズに合わない製品を、廃番にしろという要求は無理なの。汚れてるとか、壊れてるとかいうのと、自分にサイズが合わないっていうのとは、区別してください。

とりあえず、サイズのちがうお客さんの多い所には、まちがってまぎれ込まないようにするくらいしか、私にできることはなさそう。だって私、まだ廃番になりたくないんです。

10月1日夜。
それにつけても腰の痛さよ。

私は言葉が話せる。普通学級に行けた。そして、仕事を持っている。仕事は楽しくて、不満はない。収入は少ないが、納得の上なのでそれは構わない。つまり、私はどうしようもなく恵まれている。

でも私は腰が痛い。いや、何の話かというと、恵まれている者は愚痴を言ってはいけないらしきことを教わって、いま、混乱してるんだ。

これまでの知識では、「恵まれている者は積極的に愚痴を言わなくてはならない」だったはずなのに。「恵まれている人にも、意外な悩みがあるんですよ、だから、うらやましがってもしかたがないですよ」と言うことによって、相手のうらやましさを解消したり、あるいは、嫉妬の攻撃を避けたりする機能があるのかもしれない、と思ってきた。

でも今日、新たに、「恵まれている者に愚痴を言われたら、恵まれていないものはよけいにうらやましいらしい」という情報に接してしまった。どっちが本当なんだ! 結局、仕事に恵まれている私は、「腰が痛い」と言うべきなのか、言ってはいけないのか、どっちなんだ?

そして、「自分の不運に関する情報」と「愚痴」の区別もよくわからない。愚痴の定義さえわかっていない。ただ知っているのは、何か自分の不運に関する情報を述べるときに、「ただの愚痴です」というフレーズを添加すると、聞いた(読んだ)人が、私の問題の解決方法を探すべく奔走しなくてすむということ、それに、自分の人格を少し低めることで謙遜になるらしい(愚痴を言うのは潔くないことだとされているからだろう)ということだけ。つまり私にとっては、「あなたに助けてくれと言ってるのではありませんよ」という意味、プラス謙遜機能でしかないのだけれど。

もうひとつ話を複雑にしているのは、私が「恵まれた立場かどうか」が、相手によって変動するってことだ。大卒で企業就労できている健常者の集団と比較したら、私は「恵まれない人々」なんだろう(私はけっこう幸せなんだが)。そして、就労できないでいる障害者仲間から見たら、「恵まれてる人」なんだろう。でもそれは、いちいち覚えるしかない。暗記物のように。そして、せっかく正しく暗記できたところで、相手の集団が均質でなかったら、たちまち、どちらに合わせればいいのかがわからなくなって破綻すると決まっているのだ。

さて、筆談キーボードの支えかた。あるところで質問したら、こんなものを教えてくれたかたがいた。おもしろーい! ありがとう。


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