館長私的記録(Chief Librarian's Personal Log)
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12月8〜10日。
「創」のコラムでたまったストレスを発散しに岡山へ行って買物しまくってきた話を、日誌に書くと約束したのだが、書いてみると、これがさっぱりおもしろくない。食べ、買い、遊園地で乗り物に乗り、その合間に仕事をしていた、ただそれだけ。

こういう、なんてことのない身辺雑記を、関係のないひとにまで楽しく読ませるには芸の力というものがいる。そして私にはそれがない。だからやめた。一応、文章は未完成のまま、削除はせずに、リンクも貼らずに、空中に浮いたページになっている。

このサイトはアクセス数が1日に150〜180ヒットというところなので、一応、「友だちが見るだけ」という範疇に入るのだろうから、さほど気にする必要はないのだろうけれども。

とりあえず、買ったものだけリストアップしておこう。

紫色の、ナイロン製の布かばん。ノートパソコンが小さくなったので、一回り小さいのが欲しくなった。なぜ紫かというと、シラキュースのジムが紫をよく着ている人で、私の印象の中ではジムとトラックボールは分かちがたく結びついているから。トラックボールのレッツノートを持ち運ぶには、ジムを思い出させる紫のかばんに入れたかったのだ。

八角形の、めのうのペーパーウェイト2つ。

白いテディベア。服も、帽子も白。帽子のあごヒモと、服の袖口の金モール、それに金ボタンだけが金色。実は私、白地に金色の組み合わせにヨワイのだった。

八角形のブリキ缶ふたつ。ライトグリーン地に、ティーカップの柄というところから推測するに、袋で買った紅茶を入れておく、詰替用の缶ではないだろうか。

入浴剤。グレープフルーツ、バラ、ぶどう、ベリーの4種類(1回分)。各100円。

化繊のワタで作った、白のクリスマスリース。クリスマスの飾りつけでは、よくワタは雪の代わりとして副材料に使われるが、ワタそのものが主材料になっているのは珍しかったので。さっそく寝室の壁にかけたのはいいけど、白い壁紙がバックでは、あるのかないのかわかりゃしない。

銀色のワイヤメッシュ製の、円錐形のクリスマスツリー(というか、オブジェ)をふたつ。メッシュの上からラメがついてて、チカチカしてきれいです。

円錐をタテにふたつ割りにした形の、金色のワイヤで作ったクリスマスツリー(というより、やはりオブジェ)。こちらもふたつ。これはメッシュではなく、もっとスキ間の大きい、そうですねー、ツル植物のあんどん仕立てみたいな感じでしょうか。タテのワイヤを柱に、横ワイヤが螺旋状にまきついていくみたいな。そうやってできた、目の粗いカゴの中に、金色に塗ったボールがいっぱい詰まっています。いかにも「薄め方が足りなくて、粘っこい絵の具で塗りました〜」風の、刷毛の目が残ったようなマットな金色が好き。銀の方は、ぎらぎらチカチカですが、こっちはぼーっとした感じ。円錐の半分という形で、平たいので、壁ぎわぎりぎりにも置けるし、軽いから壁に貼ることだってできちゃいます。何よりも、飾りものをつけなくていいのがありがたいよー。私、不器用だから。

パンツ。単に、持って行くのを忘れたから。

ゴムひも。既製品のパンツは、そのままではゴムの圧迫に耐えられないので。

ゴム通し。同じく。

夫におみやげ、はらまき。前々から頼まれていたのが、パンツを買いに行ったら目についたから。しかし大阪に帰って夫に試着するように言うと、いきなり頭からかぶってる。肩を通すのがしんどそうだった。ふつう足からはかないか?

ふつうの形のミニクリスマスツリー。白いツリーにピンクの飾り物が最初からついている。やはり自分で飾りつけをしなくてすむやつ。点滅する電球(電球色のみ)が最初からついている。スイッチはないので、プラグを抜いたり差したりしなくてはならない。

スタンプ台。虹の色の寒色系だけのグラデーション。年賀状の季節なので、スタンプグッズが出回っている。スタンプ好きの私には嬉しいかぎり。

あとなんだろう。忘れていたものを思い出したら、また書きます。

12月11日。
出版社との間に立ってくださっている方から電話。なんでも先方の都合で、いま進めている仕事を、少し予定より早く上げてもらえないだろうかという話だった。私の前の月に出版予定だった作家さんのスケジュールの都合がつかなくなったのだが、その月の出版点数は減らさずにやりくりしたいらしい。「わかりました、急ぎます」とお返事する。また忙しくなるけれど、先方も助かって、その見知らぬ作家さんも助かって、しかも私だって次の仕事に早く入れて、次の仕事も早く終わるはずだから、悪い話じゃないよね。しんどくなるとわかっていながら嬉しい(単純?)。

きいんと寒い夜。電車道からずっと離れた、歩いて30分近くかかるスーパーへ。ブタの薄切りがほしかったのだが、売り切れだった。あまり薄くない薄切り(しょうが焼き用と思われる)と、鶏のぶつ切りを買って帰る。閉店まぎわにつき、半額。

とにかくハクサイとダイコンはいやっていうほどあるので、毎日鍋している。

12月12日。
一昨日、昨日に引き続いて、きいんと寒い。

私はほどほどに寒い晩のお出かけは大好き。ただし、湿っぽいのはダメ。乾燥した、星のきれいな晴れた夜で、服と靴は暖かく、家も暖かくないと楽しめないけど。

出不精の私が一年で一番出歩くのは、冬の夜じゃないだろうか。今日は一駅だけ電車に乗って、隣町のスーパーまで牛肉の薄切りとコーヒー豆を買いに行ったのだ。でも、マスカルポーネチーズはなかった。残念。


12月13日。
おーい。がんばれ>自分 こんなことで何ですか。しかし、どうしてくれよう、まったく。

さて。関係ないけど、私ちょっと痩せたんだよ。別に痩せようと思ってたわけではないんだけども。そう、そして、今回の件で痩せたわけでもない。先月、岡山で「許す勇気、生きる力」をすごい勢いで訳してたときに、ご飯やパスタ、パンを食べると眠くなって仕事に差し支えるものだから、「デンプンは寝る前だけ」にしていたら、知らないうちに痩せていたらしい。

最近、ウェスト73のズボンがきつくなってきてて、困ったなあと思っていたのだが(通販をよく利用する方ならご存じかもしれないが、ウェスト76になると、股下の短いのが手に入りにくくなるのだ)、73はずるずる下がって困るくらいになった。そこで試しに、5年ほど前にはいていた66のジーパンを出してきてはいてみたら、おお! 入るではないか! きついけど。

というわけで、3年ほど前にはいていた、ウェスト69のズボンを出してきた。家ではパジャマみたいなものばかり着ているので、出番はそうめったにないのだけれどね。

それにしても、ご飯やパスタ、甘いものを寝しなしか食べられなかったというだけで、けっこうカロリーの高いものは食べてたはずなんだけど。だって、机を離れる時間が惜しいので、片手で食べられるスナックが有り難かったから、やたらとナッツ(主にアーモンドとマカダミア)とチーズを食べていたのに。身体に悪いのは承知で、背に腹は代えられず、蛋白質過多と脂肪過多が心配になるような食生活をしていたのに、不思議なもんである。

ただし、家には当てになる体重計がないので、体重がどう変化したかは謎のままなんだが。

もともと眠気対策であって、痩せようという気があってやったことではないので(NHKや女性自身をご覧になった方はご記憶と思うが、私は別に太ってるわけではない)、この状態に大して執着はない。どうせもうすぐお正月。毎年、お正月には、お餅と里芋とレンコンで太ることになっているので、さて、ウェスト69のズボンはあと何回はけるんでしょうね。

ああ、でもまた締め切り前には痩せるのかな。

12月13日夜。
みなさん、心配かけてすみません。激励してくださった方々、一緒に怒ってくださった方々、ありがとう。なかなか元気になるとまではいかないけれど、少しずつ立ち直るしかないですよね。

何か私、ヤケ酒ならぬ、ヤケ仕事してるみたいな感じ。

12月14日。
ときどき私的記録を休んでるのは、仕事してると書くことがない(「書けることがない」ともいう)のが主な理由。だってさあ。私の一日は実に単調なのだもの。というより、単調な毎日を送っていると安全だから単調な仕事を選んだんだもの。仕事がらみで単調ではないこともあるのですが、それはそれで、書かないほうが良かったり。人の悪口だからじゃなく、競争があるから。でも、そんな話もめったにあるわけじゃありません。記録に書くことも思いつかない、それどころか、サイトの存在さえ思い出さないというのは、実は、良い状態なのです。

まあ、書くべきことは他人の掲示板に書いてしまったとか、外出している間は書けないとか、外出中のできごとは、帰ってきたらもう書けなくなっていたとか、そういう理由もあるのだけれど。

12月15日夜〜18日夕方。
17日は、アスペの会のクリスマス会だった。場所は岡崎だったけど、名古屋市内に3泊して、前日と翌日は本屋回りをしていたのだった。昼は(というより、ホテルを掃除のために追い出される時間になると)地下鉄で本屋を回り、掃除がすむと帰ってきて翻訳。

本屋回りをして何をしていたかというと、新しく出た本を柱の陰から飛雄馬の姉ちゃんしてたのだった。クリスティン・デンテマロ、レイチェル・クランツ共著、『キレないための上手な「怒り方」』(花風社)という本が出たのです。同じ花風社のヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント共著、飯塚真奈美訳『「人を殺してはいけない」と子どもに教えるには』と、ベヴ・コバーン著、品川裕香訳『ティーンエイジ・ブルー』と三部作みたいな感じになってるので(って、私が勝手にそう思ってるだけかも)、どうかよろしく。

12月19日。
ところで、「おでかけ情報」のページに載せているのは、決して「私のお出かけ情報」ではないぞー。自分は行くか行かないか関係なく、誰かが興味を持ってくれるかもしれないものを転載しているだけ。自分が行くつもりの集まりでも、明らかに身内だけのこぢんまりした集まりだと思えば書かないし、申し込み方法がわかりづらいから書かなかったこともある。それよりも、転載の許可を求めるのに、電話で連絡をとるしかない所は最初から断念している。

絶対に行く見込みのないイベントでも、その「存在を知らせるだけでも意義がある」と思って載せることもある。その意味では、「お出かけ情報」は、「外人倶楽部」の延長でもあるのだ。

12月20日。
午前中、午後から出かけると思うと落ちつかず、ときどき他人のウェブサイトなど見る。

ひとりで仕事をしていると、時間の感覚がわからなくなってくるので、たまに、自分と同様にフリーの人の日記を見るのはいい刺激になる。翻訳家のページを見るのってなんとなくイヤなので(比べちゃったら立ち直れないと困るしな)、普通のライターやイラストレーター、デザイナー、漫画家など、別業種の人のページの方がいい。

だけど、今日は読んだのが悪かった。とてもパワーのあるライターさんの日記だったので、別業種であるにもかかわらず、ワシなんかダメだわーという気分になってしまう。あうあうあう。まあいいや。この人は二人も要らない。だから私は私をやるのだ、と自分をなぐさめる。

編集者やライターで翻訳「も」できる人はいっぱいいるのに、ライターにも編集者にもなれない私は、翻訳「しか」できない。翻訳に特化するしかないわけだから、それなりの覚悟でがんばらなくては、と自分に言い聞かせる。いくらユルい人間とはいえ、ユルいなりに生きのびなくてはならないのだ。少しでも要らぬパニックは起こさぬよう、フラッシュバックの材料をこれ以上増やさぬよう、本格的な鬱に入る回数はなるべく減らすよう、計算してヌルい生活をキープして、この脳と末長くつき合っていこうというのは、むしろ責任ある態度ではないだろうか、と考え直す。

午後、教育大へ。日々の生活がいかに破綻しまくっているか、先生にメンメンと訴える。ま、そんだけのことなんだけど。私の身辺自立のレベルでは、結婚していなかったら施設に入らなければ暮らせなかっただろう。でも、今の日本に、私のように言葉が話せてIQが標準の者を入れてくれる施設があるのか? 

帰り道、途中で、牛のコマギレ(薄切りより安かったので)、冷凍エビなど買って帰る。

12月21日。
昼、久しぶりにポテトサラダを作ったら、やはり、というか、またしても食べすぎてしまう。なんでこう、デンプン相手だと(特に、ジャガイモとパスタ相手だと)抑えがきかないのか、まったく。

仕事をしたり、片づけをしたり、作ったり、食べたり。

青山出版社から、デイヴ・ペルザー著「許す勇気・生きる力」の見本が届く。想像していたより分厚かったので、何だか意外。同じ著者の自伝三部作と、装丁の雰囲気を揃えたのかな。

ウェブサイトの情報によれば、大都市圏の大手の書店には、明日、並ぶようですね。

12月21日深夜。
冬の夜は、きいいんと寒いのがいい。うすら寒いとか、肌寒いとか、暖かいとかいうのはだめ。湿っぽいってことだからかな。空は晴れていて、月は青く冴え、犬の遠吠えが聞こえて、「これで街の灯さえなかったら星ももっと見えるだろうに」っていうのがいいんだよ。もちろん、自分が暖かく着込んでないと、楽しいどころじゃなくなってしまうし、家はしっかり断熱されていて、暖房が行き届いていないと困るんだけど(身体の感覚が当てにならない私は、家の中でまで厚着をしていたのでは、散らかったモノをよけて歩くことができないのだ)。

そんなわけで、冬は何かと出かけてしまって、あんまり「仕事に専念」という感じにはならない。それでも、体調が良いので、生産性は悪くはないんだけどね。

そして、冬はまた、お金を使う時期でもある。私は冬になると、やたら買物をする。まあ、それはクリスマスのせいでもあるのだけれど。

実は、クリスマスとは何の関係もなく、私は「長靴」のオモチャ、「長靴」の形のグッズが大好き(だいたい、クリスマスに関係あるのは、長靴ではなく、靴下のはずだろう)。そして、クリスマスとは特に何の関係もなく、ミニチュアの家が好き。特に、オランダの家なんかの置き物が好きだし、西洋のクラシックな街並みを描いたナイーブアート調の絵、中でも雪景色の絵が好き。そして、クリスマスとは特に関係なく、鈴が大好き。さらに、クリスマスとは別に関係なく、きんきらきらきらしたものは好き。特に、鈍い金色は好き。それに、白地に金色の組み合わせも好き。ろうそくも大好き。電飾も大好き。

クリスマス前といえば、私に何の相談もなく長靴形のオモチャやグッズが出回る時期であり、オモチャの家が出回る時期でもあり、西洋の街並みの雪景色の絵なんかが出回る時期でもあり、鈴のついた飾り物が出回る時期でもあり、金色の飾り物が出回る時期でもあり、さまざまなろうそくが出回る時期でもあり、そこらじゅうに電飾が見られる時期でもある。

私の苦手な夏にも、迎え火送り火があり、花火と風鈴と抹茶アイスはあるけれど、長靴の形と家のミニチュアと鈴と金色とろうそくと電飾とが一度に揃い、その上に体調も良い冬にはやはりかなわない。

キリストは春の生まれだったのに、寒いヨーロッパに布教する過程で、定着を図るためには、現地の祭りをとりこまざるを得なかった。そこでクリスマスを、もともと「冬至の祭り」のあった12月下旬に移動することになったという。だからクリスマスは農閑期にある。労働でカロリーを消費するのに備えて食べる夏の食事とはちがい、身体を暖め、寒さに耐えるためのごちそう。

クリスマスツリーってのは、常盤木信仰じゃないだろうか。広葉樹は葉を落とし、多年草は地上部を枯らしてしまう冬だからこそ、針葉樹の緑を愛でたくなるんだと思えば、松竹梅と発想は同じで、日本の門松と変わらない。

そして、年で一番日照の不足する冬だからこそ、光が恋しく、キンキラの飾りをとりつけ、現代では電飾をつけるのだろう。

パーティーは嫌いだけれど、もともと忘年会が嫌いなのだから、これはクリスマスのせいではない気もする。酔客は嫌いだが、これも年中嫌いなので同じこと。予告もなくいきなりプレゼントをもらったり、中身がわからなかったりというのは苦痛だが、うちではもう何年も、プレゼントのやりとりはしていない。実家の母が宅急便を送ってくるので、その苦痛にだけは耐えなくてはならないが。友だちはいないので、プレゼントをもらうことはないのがありがたいが、プレゼントのラッピング資材は好きなので、その意味では惜しいなと思う。つややかな紙。金ラメの入ったリボン。作り物の、布の小さなひいらぎ。ラッピングは外から見えるから怖くない。それに、気に入らなければ、気に入っても堪能した後なら、捨てても申し訳ないと思わなくていい。まあ、夫のもらってくるのに期待しよう。今年は大手の会社の仕事をしなかったし、当時の編集者は独立したから、お歳暮は来ない。「何だろう?」とドキドキする必要がなく、比較的のどかだ。

結局私は、クリスマスのうちの、キリスト教部分をすっとばして、ゲルマン的な「冬至祭り」の部分、常盤木信仰や、光への憧れの部分、それに、身体を暖める食事や飲みものといった、「冬のすごし方」だけを切りとって楽しんでいるってことなのだろう。

ある人々はクリスマスを祝い、ある人々はハヌカーを祝い、ある人々はクワンザーを祝う。日本のクリスマスは、もしかしたら、クリスマスの中にとり込まれたソルスタス(冬至祭り)の部分と、「正月準備」と「忘年会」が融合したものではないだろうか。私は正月準備と忘年会をやらないので、ソルスタスだけが残ったというわけ。植物を育てることは、私には無理なので、枯らす心配のない、作り物のモミの木で(それも、緑色でさえない、白や、金や、銀のモミの木で)常盤木信仰欲求を満たすことにしよう。

12月22日
青山出版社のウェブサイトの予告どおりに運んだなら、今日は「許す勇気・生きる力」が出るはずの日。

この本は、自分で企画を持ち込んだ本ではない。私にしては珍しく、先方から依頼があった仕事だった。だから何だか、普通の同業者になったような気分(?)を味わってみることができた。

ところで、著者のデイヴ・ペルザーの前著三作は、どれも今回と同じ青山出版社から別の訳者の訳で出ている。今回はもしかしたら、その方のスケジュールが詰まっていて、別の人を探していたのかもしれない。三作ともばらばらならともかく、同じ人が三作を通して訳している。そこで四作目だけを別人の、しかも新人の私が訳すんだから、えらいプレッシャーだった。著者の固定ファンは、前の訳者の文章に慣れてるでしょうし、さらには、それを期待している人もいるかもしれませんからね。比べられたらツライよなあ〜というわけ。

さて、この本は、仕事で渡されなかったら、きっと読んでなかった本だと思う。手にもとらなかっただろう。嫌いなのではなく、最初から違う世界の人だから接点がなかったという意味で。この仕事のお話があったときは、さすがに内容を知らずにお返事するのは不安だから、一部を見本としてFAXしていただいた。どうしても許せない本だったら訳がへたくそになると思うし、そうでなくても、しょっちゅう猛反発していたのでは、終るまでの間、自分が不幸せになってしまうと思ったから。

著者は、実母の手で壮絶な虐待を受けて育ち、警察に保護されてからは里親の元を転々として育った人だという。それが今は、著作はベストセラーになり、講演のために忙しく全米をかけめぐる毎日らしい。

送ってもらった内容見本を見ると、何とこの本は、虐待の本ではなかった。「事業に成功したオヤジ」として、成功するための「努力」や「忍耐」を語る自己啓発書、ビジネス書、もっと言っちゃえばオヤジ本なのだ。自分が会社を始めたときの思い出話をはじめ、芸能人やスポーツ選手の下積み時代のエピソードを散りばめて、「希望」と「努力」を語る、きわめてスタンダードなオヤジ本なのだ。

児童虐待の被害者が、ビジネス書を出しちゃった! それも、とってもクサくてアブラギッシュな、由緒正しいオヤジ本を出しちゃった。そう思うとうれしくて、とにかくやってみたくなった。私はこの手の自己啓発書なんて、ちっとも読まなくなって久しい。社会のメインストリームに生きる、ちょっと保守派のオヤジのメンタリティって、さっぱりわからない。私の守備範囲じゃない。そういう意味では自信はない。でも、応援はしたい。

私はこの著者の意見や姿勢に必ずしも何でも賛同しているわけではない。現状のありがたさを実感するために、もっと恵まれない人たちのことを考えろ(つまり、「下を見て考えろ」ってこと)という発想には、「恵まれない人々は、道具ではないんだがなあ」とも思ったし(この著者の場合は、過去の自分を思えばいいのだから、他人を「使う」危険を冒すことなく、「天然」でこの手が使えちゃう。だから、普通の人に安易にこれを勧めたら危険な発想にも結びつきかねないことに気づくきっかけがないのだ)、こんなふうに「スーパー障害者」を持ち上げられたのでは、「凡人の」障害者としてはたまんないぜ、とも思った。そう、死ぬほどの虐待を受けたとはいっても、この人は結局、すんごい基礎体力のある人なのだ。環境には恵まれていても、何らかの内因性の問題で、本当に基礎体力のない人の立場を想像するのは苦手そうだ、とも思った。

それでも、この著者の置かれている「立場」には、共感せずにはいられなかった。この著者は、児童虐待問題についての啓蒙のため、講演を重ねるうちに、講演の才能が開花し、それを本業とするようになったという。また、自分の虐待経験を書いた手記が売れたので、書き手としても有名になった。でもおかげで、なんの話をしようと思っても、「あの児童虐待の人」と決めつけられることにもなったという。そして、たまたま虐待の被害者だったというだけで、哀れっぽい少年のイメージを貼りつけられてきた。一人の大人としても、事業に成功した社長としても、それは耐え難いことだっただろう(特に、こんなに「元気なオヤジ」にとっては、なおさらのことだろう)。この本は、この著者にとって初めての「自伝ではない本」、初めての「一般書」だ。虐待の分野ではなく、「ただの」書き手として、普通の土俵で勝負しようとしているのだ。

私だって、そりゃこの人に比べたら小粒だけどさ、『ずっと「普通」になりたかった。』の仕事をとれたのは、著者と同じ障害を持っているからにすぎないと言われたこともある。つまり、実力じゃなくて、診断名で仕事がとれたんだろう、障害を利用して世の中に出たんだろうと言われたわけさ。でも、そんなイメージ持って見られてたんじゃ、障害と特に関係のない、普通の本の仕事をしていくのに、困るじゃないっすか〜。私は(「就職」は無理でも、せめて)「就労」したいんだからさ!

私としては、この本は、虐待に傷ついてきた人たちよりも、むしろ、虐待問題とか、障害とか、被差別体験とかに縁がない人たちにこそ読んでほしいと思った。実態に基づかずに自分で勝手に「被害者とはこういうもの」「障害者とはこういうもの」「被差別者とはこういうもの」という枠組みを作り上げて、自分のイメージの中の対象を批判して、批判したつもりになっている人たちに突きつけてみたいと思う。被害者は必ずしも弱者扱いを望んではいないぞ、というサンプルとしてね。

弱者扱いを望んではいないからといって、みんながみんな、こんな上昇志向の激しいオヤジになる必要はないとは思う。そして、誰もがこれだけの基礎体力に恵まれているはずはないだろ、とも思う(その意味では、こんな元気なオヤジを基準にされて、「ホラ、あの人を見ろ」とやられたんじゃタマラン)。しかし、弱者扱いを望まない元・被害者の例の一つとしては有効だろうと思う。ことに、被害者を弱者と決めつけた上で的外れな弱者批判を展開しそうな人たちの中には、自分より稼いでいる人、自分より実力がある人、自分より有名な人の言うことでなければ本気で聞かない人たちもいるものだろうから。

この本のはらむ問題点の多くは(全部がとはいわない)、この種のモデルが少なくて、著者のようなやり方が唯一のパターンと思われてしまった場合に生じるものだと思う。つまり、著者と同様に「回復した元・被害者」たちで、しかもこの著者とは芸風の違う人たちが十分にたくさん現れて、この著者が「ワン・オブ・ゼム」になってくれさえすれば解消できるものなのだろう(私は、誰であろうと、たまたまその分野で最初に有名人になったからというだけの理由で、その個人に、「中立公正な代表」としての役割意識と責任を要求するのには反対なのだ)。

と、そういうわけで、いろんな意味で面白い本だと思います。とにかく癖の強い本、人によって向き不向きの大きい、決して万人むきではない本だけれども。あるいは、「自分の好みではないが、武器としては使えそうだ」という判断をする人がいたっていいと思うしね。興味の湧いたかたは、チェックしてみてください。

はー。『キレないための上手な「怒り方」』にくらべて、ずっと長い紹介文になってしまった(笑)。「怒り方」は自分で発掘してきた本だし、現場で働くスクールカウンセラーが中高生むけに易しく書いた本だから、良くも悪くもバランスが良くて、癖もなければ漏れもない、誤解の余地もない、王道! どまん中! 薄いけど決定版! スタンダード! ヘタしたら味もない! という本なので、かえって何を言っていいかわかんないのだ。

スタンダードな本って、勧めるの難しいよね。これまで誤解にまみれて苦労してきた人にとっては、目からウロコが落ちまくるかもしれないが、誤解に苦しむでもなくまっすぐ来た人には、ヘタしたら「それがどうした。くだらない。何をいまさら、あったりまえのことばっかり。何がおもしろいの?!」ってことになりかねないしね。

だから本当のことを言うと、『キレないための上手な「怒り方」』を読んで、「何をいまさら。くだらない」と言えちゃう人がいっぱいいてくれたら、それはとてもとてもすてきなことだとも思うのだ。

12月23日。
ADD、ADHD関係の集まりで、いきなり札幌へ。私にしては早起きしなければならなかったので、眠かった。それもあるけど、行くと決めたのが急だったので、予定に気持ちがなじんでいなくて、身体が追いつくかどうか、不安だった。9時台のヒコーキで行き、6時台のヒコーキで帰ってきた。何が悲しくて私はこんな無理をするのか。いや、時期的にいって、今はミクロ的にもマクロ的にも、しんどくても無理のしどころだという気がするのだ。

そうはいっても、あまりに無茶な無理はするもんじゃないね。帰り道、予定の飛行機に遅れたことがわかると、地下鉄の中で近来まれに見るパニックを起こしてしまった。全くもってお恥ずかしい。目撃させられたおふた方、驚かしてしまったかしら。フォローしてくださったおふた方には感謝しております。

そして、夜の9時半、天王寺の某所で、障害学の勉強会(と、その後のお食事会)を終えた皆さんと合流。こんな無理をしてまでむりやり合流したのは、いろんな人に話してみたいこと、きいてみたいこと、教わりたいことがあったからだったのだが、まだとても話などできる状態ではなかったので、ただシーフードグラタンを食うだけになってしまった。

あれだけのパニックの後なのだから、本当は空港からまっすぐ自宅に帰るのが一番楽だったはずなのだが、それでなくても急に思いついた計画に耐えた上、搭乗機の変更にまで耐えなければならなかったのに、この上さらに「行く」と決めてあった予定を変更するのは無理だと判断したのだ。これ以上の変更をなるべく少なくするためには、身体は疲れていても、予定をなぞるしか方法がなかった。

そんなわけで、こんな無意味な参加のために手を貸してくださったKさんとKさん、ありがとう。

まだまだ電車はいっぱいある時間だったが、混んだ電車に乗るのは自殺行為だと思えたので、天王寺からタクシーで帰る。札幌でホテルに泊まることを考えたら安い、というより、電車には乗れない状態だったのだから、「金持ちですねえ」とか「豪勢ですねえ」とかいったご感想はつつしんで却下させていただきます。

12月24日あさ。
昨日の地下鉄内のパニックのときの自傷のおかげで、顎やら歯茎やらがそこらじゅう腫れていて、モノが食べにくいことこの上ない。

それでも、眼鏡のツルのある部分を叩かないようになったのは大したものだと思う。以前は、しょっちゅう側頭部を叩いていたので、眼鏡がよく犠牲になっていたのだ。眼鏡は高価なのも困るが、通販で売っていないのがもっと困る。眼鏡を作りにいけば、必ず店の人とのコミュニケーションが必要になる。私には、そのコストを払う気がないのだ。今使っている眼鏡は、ツルが折れたのを夫が糸でしばったりノリで貼ったりしてしのいでくれている。これを少しでも長く保たせたいのだ。

さて、自傷のときに眼鏡を壊さなくなった私だが、決して、パニック時にまで、眼鏡のことを思い出せるようになったわけではない。これは、自分で教えこんだのだ。大してひどくない状態のときに、こめかみ付近の代わりに、顎や頬を叩いて。こういうものは、クセみたいなもんで、はやりすたりがあるんだから、別の部位にはやりを移せばいいというわけだ。

でも、歯茎が腫れて食事に差し支えるのは、やはりちと困る。

12月24日ひる。
豊川の事件の少年がアスペルガーと診断されたことをBBS等の書き込みで知る。しかし、それにしても、何となく、わが身を案じる本人たちの、あるいは、わが子を案じる親たちの話の立てかたがなんかしっくりこない。

「分裂病の人たちと同じように誤解されるのだろうか」という心配。気持ちはわからないでもないけれども。

たしかに、発達障害と精神障害は、いろんな面でかなり違う。情報としては正しい。けれども、精神障害の人たちがひどく誤解されている現状の中で、単純に「発達障害は精神障害とは違う」と言ってしまうことで、その単なる「情報」に、思いもよらぬニュアンスがくっついてしまうのは怖い。

私は、外見的に行動の異常が目立つ方だから、外で知らない人に精神障害者や聴覚障害者や知的障害者や外国人などと見間違えられることが多い。昨日も航空会社の職員にたぶん精神障害者と間違えられていたと思う。外見がまぎらわしいなら、間違えられるのは自然だと思うので、気にならない。間違われた結果、対応が違ってくると不便だが、屈辱とは思わない。つまり私は、精神障害というレッテル自体には悪いイメージを持っていないのだ(障害自体は、きっとつらいと思う。だから、自分がなるのは怖いと思っている)。

悪いイメージを持っていない分、私のような者はつい、事実のレベルだけを考えて平然と「発達障害と精神障害は別のもの」と言ってしまいがちな危険人物だとも思う。精神障害だとか、精神疾患だとか、分裂病だとかいう名称に、悪いイメージを持っている人たちがいることを頭では知っていても、実感していないからだ。あたまの中で、知的に操作しなくてはならないからだ。それは、「自閉」という言葉にちっとも悪いイメージを持っていないために、自分が無邪気に(むしろ誇らしげに)「自閉」という言葉を連発することが周囲にどんな印象を与えるか、直観ではわかりようがないので、知的な計算に頼るしかないのと、まったくパラレル。

私が、事実のレベルだけで「発達障害と精神障害は別のもの」と言ってしまう文脈は大きくいってふたつかなあ。ひとつは、正しい診断の必要性を訴える話の中で。もうひとつは、先天障害と中途障害というテーマでものを考えたり、論じたりしているとき。

「正確な診断を!」という文脈で話をするときは、「AとBはちがうもの」という言い方を避けて通るわけにはいかない。これは無理ってもんだ。そして、自閉の人たちで、「精神分裂病」という誤診を受けている人は比較的多いんじゃないかと私は思っている。私が個人的に知っている範囲でだけでも、かつては精神分裂病ということになっていて、後に高機能自閉症と診断を変更された人は3人いるし、直接知らない人でも、2人は聞いたことがある。

ただし、正確な診断が必要なのは、精神分裂病という名前が屈辱的だからではない。精神分裂病の治療が、自閉には効かないからであり、自閉が診断されないことで、自閉に向いた対応ができなかったり、自閉仲間と出会い、つながる機会も逸したりするからだ。

もうひとつの、先天障害・中途障害の話は、「精神障害は中途障害」ということ。発達障害は先天性だから、私は受傷や発症による「喪失」を経験していないし、進行にまつわる恐怖を経験したこともない。その意味では、精神障害と発達障害は全然違うものだと私は思っている。

でも、そういう文脈で語っているつもりで、聞き手の先入観を計算に入れずに、どこでもここでも不用意に「ちがうんだからちがう」「ちがうものはちがう」と言ってしまいそうだという怖さは自分に対して持っている。それはつまり、自分の不器用さが人に迷惑をかけないだろうかという怖さだ。

私は子どものとき、いつか自分は精神障害になるのではないかと思って、怯えて暮らしていた。怯えていた根拠は、「こだわり」の激しさだった。アスペルガーと診断されたときに、「そうか、あれはアスペルガーなら当然の性質だったんだ」「アスペルガーとしては正常の行動だったんだ」と納得がいって嬉しかった(でもそれは、症状のつらさそのものを経験しなくてすむかもしれないから、「喪失」を経験しなくてすむかもしれないから、「進行」の恐怖を経験しなくてすむかもしれないからであって、「精神障害」という名前がイヤだったわけではない)。そして、本当の精神障害の人たちのことを、私は何となく、「出会いそこねてすれ違った人たち」と感じている。

また、先に鑑別診断の大切さのところで書いたとおり、私の自閉仲間たちの中には、かつて分裂病との誤診を受けて、施設に入れられていた人たちがいるが、彼ら・彼女らにとって、施設で出会った本当の精神障害者たちは、かつての同僚だったわけだし、施設の中でより良い対応を求めて闘っていた人にとっては、同志だったことになるのだ。

ところで、厳密なこと言っちゃえば、幼い私が精神障害の兆候かと怯えた性質が自閉によるものだったからといって、それとは全く何の関係もなく精神障害になる可能性までなくなったわけじゃない。私はアスペルガーと双極性障害の重複している人を知っているし、有病率を考えたら、精神分裂病なんて、common desease だもの。

12月25日〜28日。
めんどくさいのでひたすら仕事に専念していた。

とにかく、地道に仕事をして、地道に生活するのに精いっぱいだ。

12月29日。
何がどうめんどくさいか、なぜめんどくさいか、私にはうまく説明できない。だけどとにかく、忙しく仕事をしているか、抹茶かたくりの話やふきこぼれの話を読むか、している方がずっとマシだ。

ところで。

人の不幸につけこんで儲けるっていうのはね。最初から凶ばっかりのおみくじを引かせておいて、印鑑を売りつけたり、そういう仕事のことを言うんじゃないのかしらね。私はもう少しまともな商売しているつもりだ。

というような今日このごろだが、忙しく働いていたはずだったのにbk1から本が届いてしまった。一気に読んでしまう。頼藤和寛『賢い利己主義のすすめ』(人文書院)。

おいーー。助かったよー、危ないとこだったよー。ちょうどいいところに届いたよー。私みたいなバカでも、バカなりに生きのびられるかもしれない、そんな気になったね。だってさ。「私にもわかる本」が世の中に少なすぎるのだ。これならわかるんだよ、私にだって。というより、私には「こう言ってもらえないと、わからない」んだ。私にも分かる本を書ける人は、きっと、すごく頭のいい人なんだろうと思うよ。

おかげで今年の読書運は「終わり良ければすべて良し」にしといてやるよ(えっ、あと2日は読まないつもりかって? うん、正月にヨメしないといけないから仕事できない分、あと2日は仕事するよ)。

現状を何も知らずに、印象だけで非行や少年犯罪を語ってしまう人たち。せめて先にこれを読んでくれ。

(現在の私、かなり調子が悪いので、文体がけったいなのは見逃してね。)

12月30日。
なんでこう、おとなしくしていられないんだ! なんでこう、思いつきで暴れてしまうんだ?! 不安や恐怖は強いくせに、不安を整理整頓ツールとして利用してるだろー>自分

唯一の味方は、加齢かもしれない。年のおかげで、さすがに人間が丸くなったとか、体力がなくなったとか。

12月31日。
29日に届いた本(頼藤和寛『賢い利己主義のすすめ』人文書院)は、「一部の人はなぜ犯罪を犯すか」ではなく、「残りの人はなぜ犯罪を犯さないか」という視点から少年犯罪や非行を考える本。で、犯罪はだいたい(いろんな理由から)引き合わなくて、犯罪を犯さない「残りの子どもたち」ってのは、「引き会わないぞ」ってわかる(わかったら止められる)人たち。「残りの子どもたち」だって一枚岩じゃなく、均質ではないわけで、それぞれの子どもたちのタイプによって、歯止めになっている要因が違う。引き合わないってことがわからなくて、犯罪に走る子だって、歯止めがかかりそこねるステップは人によりさまざま。

私、これまで、薄い和書で、これほど私にもわかるように書いてある本は、他に見たことがなかったよ。この著者がどんな人か知らないが、会えばきっとつき合いたくないと思うだろう。この著者の他の本も、きっと嫌いだろうと思う。つまり、芸風は嫌いなのに、純粋に内容だけで私を楽しませてくれたってわけ。

さて、(青年期に多少の触法行為はあったものの)(今に至るも、立件されない家庭内での暴力は多少あるものの)何とか自分が無事にやってこられた理由を考えてみると、

「ワシ、もんのすげーーー損なパターンじゃん!!!」ってことに気がついてしまったのですよ。自分の中の、矛盾する性質の組み合わせが、こんなにムダなエネルギーを吸いとっていたかと思うと。ナニ障害でもいいから(最悪の場合、健常者でもいいから)、どれか一つの方針に絞ってほしいよ! って思っちまった。

ルールに関して言えば、本質的な意味を理解せずに杓子定規に守ろうとしすぎちゃう子(罪は犯さないだろうが本人はしんどい)だし、人の善悪を読みとれないので誰でも信用するアホ(お人好し)ではある。罰に対する恐怖は、一応強い方だろうとは思う。ただしそれは、全般的に不安、恐怖が激しいおかげで何とかまかなってもらっているだけであって、特に罰に対する恐怖だけが際立っているわけではない。覚えているかぎり小さな時から、私はずっとおくびょう者だったから、たぶん、脳のどっかの部分が過覚醒なんだろう。紙袋がかさかさいうだけで、心臓がばふばふするってやつだ。

ところが。一方で私には、すぐ退屈して刺激を求めるという、やっかいな性質もある。私は退屈が怖いのだ。私の中のその部分にとっては、「不安」は救いであり、整理整頓ツールでもある。危険なときだけ目が冴えて、「ああ助かった、自分はまだ死んでない」とわかるのだ。珍しいものが大好きで、目新しいことが大好き。働きすぎ、忙しすぎの「どうしよう!」という気分がないと仕事ができない。もしかして、いつも締め切りまぎわにあわてるのは、「間に合わないかも!」という刺激を求めてしまうせいなのだろうか。「すみませんが、ちょっと事情がありまして、急いでいただけませんでしょうか」と頼まれて恍惚としているんだから困ったもんである。

この辺はどうも、脳のどこかの覚醒レベルが低い人たちにそっくりである。これだけの聴覚過敏がありながら、私はやかましいやかましい音楽が大好きだし、派手な服装も大好き、スピード(速さのことだよ。シャブじゃない)も好き、夜更かし・早起きの寝不足が好きで、飢餓感(糖質不足の状態)が好き、コーヒーやコカコーラが大好きなのだ。今はやめたけど、若いときは煙草もキツいのが好きだった。

さて、この、ちょっとの刺激にもびくつく臆病者と、刺激を求めて走り回る不安中毒患者と、このふたつの性質は、交互に現れるわけじゃない。私はいつも両方かかえている。そして、いつも両方が満たされない。どうもロクなもんじゃない。

さて、例の本には、覚醒レベルの低い人は痛みにも鈍感なのかもしれないって話が載ってたが、「痛み」って何だよ、痛みって! 私は、切り傷や刺し傷、トゲ、平手打ちなどの痛みには非常に敏感だ。その一方、打ち身やくじき、圧迫などによる鈍痛にはやたらと鈍感で、おかげで身体を守る能力に不自由をきたしている。寝相が悪くて、耳たぶが二つ折りになったまま寝ていても寝返りをうたないおかげで、しょっちゅう耳たぶを腫らしている。全身はいつも、身に覚えのない青あざでいっぱいだ。あちこちぶつかるのは、衝動的な上に不注意で、さらに不器用なのだから当然ではあるが、気がつかない、気がついても覚えていないってのは、痛くないからだろう。私はいったいどっちなんじゃ!

さて、私は生理的に臆病者に生まれついているので、罰の可能性を怖れる気持ちは人並み以上にあると思う。不安体質だもんね。ところが、ナニを怖れていいか、対象はさっぱりわかってないらしい。せっかくの恐怖なのに、頭がアホなおかげで、ムダづかいされてるってわけだ。私の頭の中では、罪と罰とはなかなか結びつかない。ちっとも対応してない。だから、罰に対する恐怖心は、罪を防ぐのに直接には役に立ってない。そりゃ、あまりにも恐怖に縛られていたら活動レベル自体が低くなるから、結果的に、罪を犯す機会は減るだろうが、ちょっと間接的すぎて、非効率的すぎ。

そして、罰を怖れていた割には、罰の効果は長続きしない。怒られてもわかってないというのか、なんというのか。子どものときは、「ちっとも覚えずに同じことをくり返す」と言われていた。懲りない子なのだ。いや、単に、何をしたから叱られたのか、理解できてなかっただけかもしれないけど。

「懲りない」といえば。

私はときたま、「あーもう心臓止まるんじゃないか、このまま死ぬのかな」という状態になることがある。そのときは非常に恐ろしい体験でもあるのだが、まったくなんの脈絡もなく起きるので、忙しいときや、予定のきっちり決まっているときに起きたら、まことに不便でもあり、迷惑な話である。だいたい十数分から数十分で終るし、数時間の間に数回くり返されて終る。終ったら現金なもので、けろっとしている(まあ、体力使うから、ぐったりとはしているけど)。

さて、どうやらこの現象はパニック発作とよばれているらしい。そして、この発作のために、生活に支障が出ていると、パニック障害とかパニックディスオーダーとかいうものになるんだそうだ。

まあ、私だって「このまま死んじゃうのかな」っていう思いをするのはものすごくイヤなものだし、病院に行って薬で止められるものなら止められた方が絶対に得だと思ったので、いい病院を探そうかなと思ってウェブで患者の集まるページなんかを検索したことがある。掲示板なんかもちょびっとのぞいてみた。

でも、なんかちがう。なにがちがうって、言ってることが。発作そのものの記述は、私が書いてるのかと思うほどそっくりなのだが、その前後がちがう。発作の起きてないときの、発作に対する考えかたが決定的にちがう。だからもう、その手の掲示板に行くのはやめてしまった。常連の人たちだって、ただでさえ病気と闘っているのに、自分たちの掲示板がイタズラされていると思うのはつらいだろうから。そして、私が悩みを相談しようとすると、どんなに真剣に書いても、たいていイタズラに見えるようだから(経験の内容が違っていただけではなく、私の言語表現が冷静すぎて、他人事のように聞こえるせいもあるようだが)。

私の経験の何がちがっていたか。私には、「また発作が起きたらどうしよう」という不安が、ちっともないのだ。ないっていうより、あれほど恐ろしい思いをしたというのに、終わったとたん、「済んだ済んだ、助かった」と思って、たちまち忘れてしまうのだ。そしてふだんは、自分がそんな発作をたまに起こすんだってことなど、ほとんど思い出しもしない。というより、それが普通だと思っていた。本を読んだり、ウェブサイトを見たりするまでは。他の人たちは、また発作が起きたらどうしようと思って外出しにくなくなったり(私の場合、元から出不精なのだから区別がつかないが)、ふだんの生活をびくびくしながら送ったりしているらしいのだが、それも知らなかった。前に発作を起こした場所だって平気のへーざである(この点、自閉のパニックを起こした場所や、恐怖刺激にさらされた場所は、そのときのパニックとみごとに結びつくので、決して、私に「連想を結びつける能力」がないわけではない)。

さらに情けないことに。

私は発作のたびに、「えっ、ナニこれ?!」と、毎度毎度、新鮮にあわてふためいてしまう。「そうだ、前にもあったじゃん」と思うのは、終わりかけのころ。そのたびに、自分の記憶力のなさが、めちゃくちゃ情けなくなる。もうイヤだ、こんな頭! と思う。心臓が止まって死ぬかという思いをしている最中に、よくもこんな雑念の入る余地があるもんだ。「発作が終ったら痴呆の検査をしてもらおう」という考えが、毎回かならず、発作の後半には頭をよぎる(もちろん、初めてのときにはなかった)。そして、「前にこんなことがあったのを忘れて、またしても新鮮にあわてふためいてしまったこと」に対する情けなさ、恥ずかしさの苦痛が、発作そのものの恐怖と釣り合うくらい、へたしたらしのぎかねないくらいになってしまっている。

まあ、もしかしたら、私の経験しているのは、パニック発作とは別のものなのかもしれない。あるいは、単に自閉風味が重なっているだけなのかもしれない。あるいは、自閉以外の何か別の性質や特徴や体質の影響なのかもしれない。でもまあとにかく、終ったとたんにけろっとして忘れていること、しかも、毎回新鮮にあわてふためくこと、前に発作を起こした場所が気にならないこと、どうもこれが、日ごろの「おくびょう者」のキャラクターとそぐわない。やっぱり私は、おくびょう者のくせに、同時に「懲りないやつ」でもあるのだ。これでは悪いとこどりではないか。まったく、頼むからどっちかに統一してもらいたいものである。

くだんの本には、非行群には、言語能力の低い者が多いという話も載っていた。そりゃそうだろう、気持ちを言葉で表せないというのは、フラストレーションのたまるものである。暴れたくもなるというもんだ。それに、言語を使って考えないと、先を読むのも難しい。言語能力の低い苦しさは、私には良ーくわかる

「へー? ニキさんが言語能力低いってー?!」って思われる方もあるだろうか? でもね。言語能力だって単一の単位ではない。私は言語能力の一部分が肥大していて、一部分が立ち後れていると思ってる。私は理屈をこねる力はあるけれども、自分の胸の内を言葉で表すことはできない。しょうがないから暴れるしかできない。私にとっては、言語の能力は言語の世界の中だけで完結してしまっている。言語と自分を結ぶ線が弱いのだ。

そうそう、私は言語能力が肥大していると思われるかもしれないが、そうでもない。2年ほど前にウェクスラーも受けたけど、確か、言語性IQも動作性IQも全IQも、みんな普通だったような気がする。そりゃ、それぞれの下位項目ごとの差は、ほどほどにあった。でも、「理解」が極端に落ちこんでいたことを除けば、シロウト目にはけっこう平凡で印象に残らないプロフィールでった(専門家が見ればどう言うか、わからないけどね)。

ただ、言語能力というより、聴覚が良いのだろうっていう気はする。音韻の弁別能力がよく、聴覚記憶も優れていれば、コミュニケーションのレディネスや思考の能力はイマイチでも、それを補ってとりあえず見かけの言語能力はつくんじゃないだろうか。私の「見かけの言語能力」は、かなりの部分、聴覚と聴覚記憶で底上げされていると思うし、それにくらべれば低いであろうけれどもさほどひどくもない「真の言語能力」だって、聴覚と聴覚記憶があったから獲得できたものなのだろうと思っている。

でも、一応、真の言語能力も(アンバランスとはいえ)そこそこあり、見かけの言語能力はかなり突出している(一応、文章を書くことで金をいただいている)私だが、思考は言語で行なってるわけではない。モノを考え、理解するには、相当、視覚に頼っている。私の頭の中にあるのは、x軸とy軸で区切られた四つの象限であったり、正規分布のラインであったり、ベン図であったり。

私だって、絵や図で考えている。そして、何でも図で確かめないと不安になる。指示はとにかく文字で与えてくれないと困る。

ただ問題なのは、私の視覚・空間認知の力が劣っているっていう点だ。人の顔が覚えられず、景色が覚えられず、地図が読めず、ヘタしたら自分の家の中で迷子になりかねない私が、なぜよりによってこうまで視覚に頼ろうとするのか。

人間は、放っておけば自分の得意な力で勝負しようとするようになるものだ、ってのは迷信だと思う。

私は、目で見たものを正しく把握するのが苦手だ。それにもかかわらず、目で見ないと安心できない。目で見た物はよく忘れるし、頭の中で変形していく。耳で聞いたものは比較的よく残る。それでも目で見ようとする。目で見える形にして持ち歩いていると安心する。耳で聞いた物は信用しない。消えていきそうで不安なのだ。こんな不安と闘ってまで、得意な聴覚を使う気にはなれない。

そして、耳の仕事は、覚えること、たくわえることだけなのだ。耳で聞いたことを理解するのは負担だし、言葉で考えるのは負担だ。私だってやはり、絵で考えているのだ。

最後に残ってしまうのは、感覚。身体のニーズや調子、それに感情。これは、そもそも特定する方も鈍いが、言語で名前をつけるのはなおさら難しい。感情は言葉で表すわけにいかないので、身体のレベルにいつまでもとどまり、身体の言葉で表現されることになる。つまり、暴れるくらいしかできないのだ。

12月31日。
何だか、自分語りがえんえんと続いてしまった。理由は、考えるネタがあったから。そして、題材として、考えておもしろかったからだ。「自分語りが長い」というのは、世間一般では恥ずかしいこととされているらしい。それは知識としては知っているが、私にはその理由がもう一つピンとこない。

これが、忙しいときに電話をかけてきてこんな話を聞かされたのであれば、短ければ短いほど迷惑が軽いということになるだろう(それ以前に、電話してくるだけで迷惑だと思うけど)。

メールでむりやり送りつけられて、返事を求められたのであっても、短ければ短いほど迷惑は軽いかもしれない(それ以前に、返事を要求するのが非常識だと思うけど)。

でも、読んでも読まなくてもいいという条件で、ただここに「置いてある」だけである以上、少々、自分語りが長かろうと、他者に具体的にどういう迷惑がかかるのかが、私にはよくわからない。そして、「迷惑」と「恥ずかしい」の関連も、一応、頭では知っているのだけれども、実感としてはつながってくれないのだ。

ここが医院の診察室で、待合室にはおおぜい病人が並んで順番を待っているという状況なら、症状をちゃんと説明できなくて(あるいはカッコワルイので説明する気がなくて)、さっさと帰ってしまう患者さんは「おくゆかしい」ことになるのだろう。だが、医者にとっては、情報を出し惜しみされるわけだから、実はかえって迷惑かもしれない。根掘り葉掘りきかなくてはならないので、かえって時間がかかるかもしれない。もっと「おくゆかしい」人は、我慢してこじらせてから運び込まれるから、もっと迷惑をかけるだろう。しかし、そこを越て、さらにおくゆかしい人は、手遅れになって亡くなるから、まったく迷惑をかけずにすむだろう。つまり、「迷惑」と「恥ずかしい」とは、必ずしも単純に相関しないのはないだろうか。

迷惑はある程度客観的なものであり、恥ずかしさは主観的なものだとしたら、相関しなくてもおかしくない。また、迷惑は、直接に迷惑をこうむる人だけが感じるものだが、恥ずかしさは、迷惑をこうむらない野次馬までが感じるのだから、ますます、相関しなさそうな気がしてきたぞ。

私には、「自分語りの所要時間が長いこと」が、なぜ恥ずかしいのかが、よくわかっていない。ただ、約束ごととして暗記したにすぎない。でも、私の場合、自分の心身の機能について検討することは、娯楽でもあり、同時に必要悪でもある。だって、一般向けの使用説明書は、これまで役に立たないことが多すぎたのだ。私はきっと、生産台数の少ない機種なんだろう。少ないからといって、即、貴重品といばるつもりもないし、異端だとすねるつもりもない。ただ、少ないと、取扱い説明書が手に入りにくいのは確かだ。だから私は、自分の取扱い説明書を自作する。生き延びるために。それをハズいとかダサいとかイタいとか言うのは言う人の勝手だが、こっちはそれに合わせていたんじゃ生活が成りたたない。自分のことをときどきこうしてまとめて考えるのは、それ以外のときに、自分の心身のことなど考えずに、普通に生活したり、普通に仕事をしたりするために、まとめて支払っておく必要のあるコストなのだ。


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