館長私的記録(Chief Librarian's Personal Log)館長はただ自閉連邦市民として生きているだけではありません。体内にADHD共生体を共生させている「ホスト生物」でもあり、二重国籍者として地球に生きる地球市民でもあり、地球人の男性と結婚生活を送る猫妻でもあります。また、連邦市民としては当館の館長を務めるかたわら、生まれ育った地球に恩返しをしながら地球での滞在費を稼ぐため、おもしろそうな原書を発掘しては日本の出版社に紹介し、翻訳することを生業としています。そして、おいしい食べ物とコーヒー、花と香水、レトロな建物、軌道のある乗り物(特にモノレールとトラム)が大好きです。この記録は、そんな館長の地球生活の記録です。一人の自閉者としてだけでなく、ADHD的特性をかかえて生きる者として、出版業界に生きる者として、一読書人として、ただの食いしん坊として、贅沢者としての毎日を記録していきます。

前の館長私的記録へ 次の館長私的記録へ 館長私室へ トップへ 仕事一覧へ 実用リンクと参考図書


4月10日それ以外
教育大の相談日。竹田先生を相手に日常会話の練習(笑)。そうそう、今月の21日にハウステンボスに行きたいと言っていた件だが、夫の仕事の都合で、どうやらこの日は無理らしいということになった。夫は「代わりに今週の土日は?」と言ってくれたが、そんな急に〜。

4月11日
受診日。最近は少し生活が安定しているし、中枢神経刺激剤の回数も3回に増やしたこともあるので、SSRIの増量を試みるなら、スケジュール的に言って今がチャンスかなあという気はしているのだが、なにしろ、最初に試して多すぎて大騒ぎになった用量は、発売されている製剤の最低単位らしい。今はそれを薬局で半分に切ってもらって飲んでいるのだが、この量では本来の効力が不十分なのだ。「4つに切ることが可能なら、4分の3個を試してみたいんですけどどうでしょう?」なんて提案をしてみて、先生が薬局に交渉してくれたが、さすがに4つに切るのは無理と言われたそうな。結局、1個出してもらい、自分で4つに切って、残りは毎日自分の責任で廃棄処分って形に落ちついた。

帰り、例によってスーパーで買い物。賞味期限迫った食品の割引ワゴンで紫キャベツが安かったので買い込んでしまった。もちろん新鮮さには欠けるけど、それでも紫キャベツが大量に食べられるのは嬉しい。

途中、花も買って帰る。「お買い得セット」というお仕着せのアレンジメントを3種類。重複しているものがないのでずいぶんバラエティー豊かになったぞ。

夕食は麻婆丼、三色ピーマンのサラダ、胡麻豆腐。

4月12日
夫は仕事疲れでシンドそう。土日にハウステンボスなど行くより、家でゴロゴロして消化の良い物でも食べながら、マッサージ椅子三昧でもしたら? と返事した。昼はネギトロ丼と、昨夜の麻婆豆腐の残り、お湯をかけるだけのシジミ汁。

4月13日
春はだるいーなーしんどーいーなー♪(歌うな!)。それでも、朝からマスカルポーネのココアがけなんか食べて幸せかも。

最近は家のあちこちに花を飾っている。花なんて植物の生殖器なのにねえ。動物のお股を逆さに切って花瓶に挿そうなんて思わないのに、なんで植物だとやるんだろう。「花なんかどこがいいのかわからない」とスパッと言えちゃう人って立派だなと思うけど、私は俗物なのか、子どものときから何かのイメージで洗脳されてきたのか、疑う心が足りないのか、何だか知らないが花が好きで、花を活けてあると少し救われる。花が好きなんて、ダメ人間の証拠だ、情けないと思うが、しかたがない。しんどい季節を生き延びるためなら、使える物は何でも使わせてもらう。ごめんなさい。花があると自分が少し元気になることを経験則として知っているので、これは使う価値があると思っているのだ。ハウステンボスに行かないことにしたので、そのせいかもしれない。

もうじき、またテレビの取材に協力することになっている。こうやって、一部の人に取材が集中するのが良いことなのかどうか、私にはわからない。でも、そもそも診断のついている人が少なく、メディアに出られる条件・状態にある人が少ないとなれば、それも仕方のないことなんだろう。何で私になるのかな、というのは、私にはよくわからない。症状が重い割には状態が良いので、話がわかりやすいのかもしれない。状態が悪い人はそもそも取材という状況に耐えることができないし、症状の軽い人は、見た目や話の内容が微妙すぎて、わかりづらいのかもしれない。

だけど、状態の良い人がメディアに登場することで、この障害全体が「たいしたことのないもの」と受けとられ、もっと大変なことになっている人たちが必要なフォローを受けられないことにならないだろうか(これに類した記述は、風野先生のここの11日にあった)。あるいは、症状の重い人が登場することで、より症状の目立たない、軽い人が、「本物じゃない」という扱いを受けることにならないだろうか。考えると切りがない。まあ、私が責任を感じなければならないことではないはずなのだが。私は一人しかいないんだし、別の人になることはできないのだから。この障害自体、幅のあるものだとわかってもらうためには、なるべく、条件や芸風のかぶらない人とカップリングされるといいなあーと祈るばっかりだが、先方も薄い層の中から選んでいる、いや、選んでいるどころか、たまたま都合のつく人を片っ端から頼んで初めて数が揃うか揃わないかという所なんだろうけれど。

懸案事項は山ほど。

それも細かい話ばかり。3年前に買って箱のまま放置してある化粧合板の安い収納棚って、まだ組み立てられるんだろうか。反りまくってべこべこになってて、ネジを締めようにも届かないなんてことになってないだろうか。ああ、開けるのが怖い。

食器の数を絞るってのもあったな、そういえば。本当は、食器棚だってもっと奥行きの薄い物に買い替えたいし、こげ茶色の本棚も、白に買い替えたいんだがなー。

4月13日午後〜夕方
千趣会の荷物が届く。銀ピカの眼鏡ケース、ビルケンシュトックの靴2足(黒と茶)。ゴールドの財布はまだ来ない。

4月14日
ここしばらく、反応が遅いので気になってたセシールの荷物が一部届いた。リビング・ダイニング兼用ソファーと一緒に注文したやつ。これで、そのうちソファーも来るってことだな。片づけなきゃ。

夫のぱんつ、私の靴下などと一緒に、こんにゃく麺「子ブタ注意報」も届く。私は別に減量を試みているわけではなく(それでなくても暮れ以来の鬱で痩せてしまったのに)、澱粉食べた後での落ち込みと苛立ちと不注意と眠気がひどいから。だから澱粉は寝しなに食べることにしている。どうせ寝るんだから眠くなってちょうどいいし、寝てしまえば落ちこんでいてもわからないものなあ。だから、昼間はほとんどアトキンスダイエットのような食生活になっている。深夜に朝食用シリアルを食べ、コーヒーを飲んで寝るワシ。何となく間抜けな光景だなあ。

届いた物はもう一つ、パイルのパッドシーツ。マットレスパッドとパイルシーツの兼用みたいなシロモノで、四隅に太いゴムがついている。このゴムを和式布団の四隅にひっかけて固定するというわけ。

うちでは結婚したときからずっと和式の布団だったけど、毎朝たたんで押し入れにしまうなんてことが当然できるはずもなく、4年前にベッドを買うまでの6年間で布団を上げたのはいったい何回あっただろう? ベッドを買った動機は、「合法的に万年床にできるから」。そして、和式の布団があったので、マットレスタイプのベッドではなく、和式布団を乗せて使うタイプの、箱型収納ベッドを選んだのだった。

だから、シーツは和式。ずっとフラッとシーツを使っていたけど、端っこを巻きこむのが面倒で。はみ出すと何かだらしないし。というわけで、パッドシーツ。

ところで、うちには夫婦の布団の他に客用布団(やはり和式)が2組あるけれど、収納場所がもったいないので、敷布団は私たちの布団の下に収納している。つまり、私たちは敷布団を2枚重ねて寝ているというわけ。お客といっても夫の両親だけ、それも数年に1回しか来ないんだけど、いざという時には、二枚重ねになっている敷布団を1枚ずつに分ければすむ、というわけ。

今回、セシールのパッドシーツは4枚買ったので、4枚ともそれぞれの敷布団にセットしてしまった。これで、しまい場所もいらない。洗濯するときは、その日のうちに乾燥させてセットしてしまう。これで、洗い上がって乾燥も済んだシーツがそこらに放置されることはなくなるだろう(シーツなしでじかに布団に寝ることはあるかもしれないが)。

4月14日夕方〜夜
ADHD仲間からメール、例のソニーのビデオの件、ジャパンタイムズにも載ってたとのこと。さっそく、世界の自閉ニュースリンク集「InterAUT」の管理人、マルタイン君に送る。「世界の」といっても、やはり英文ニュースに限られるだけに、北米・西欧のニュースが中心になりがちなので、東洋のニュースには希少価値があるのだ。それに、虐待や冤罪のニュースにくらべたら、こういうおマヌケな話は、コミック・リリーフとしても貴重だと思うから。

日本国内では、豊川事件の余波という意味合いがあるし、ソニーがどうとかビデオがどうとかいうことより、「あの報道は(不注意な人、忙しい人、興味のない人には)こういうふうに受けとられたのか」というサンプルとして見すごせない話ではあったが、ジャパンタイムズのニュース本文では豊川事件のことは触れられていないし、日本に住んでいない人は事件のことを知らない人がほとんどだろうから、「新聞で見て、ゴロがいい言葉だと思ったので、意味を調べずに採用した」とだけ読めば、単なるドジニュースになってしまうので。

ソニーの件そのものについては、やっぱり基本的にはドジニュースなんだ。どっちかというと、「雑な仕事するなよぉ」という感じ(いや、だからこそ、タチが悪いんだと思う。悪質な相手なら、数が限られると思えるけど、考えずにやってるってことは、いくらでも予備軍がいるってことだし)。アスペルガーなんて最近まで知られていなかったんだから、知らないのはしかたない。知らない言葉を使うなら調べりゃいいのだ。今回、金がかかったのに懲りて、調べものの手間を惜しまない癖をつけてくれ。

ただ、どんな会社にも、ドジな人、横着な人はいるものだろうとは思うが、もともとそれほど横着でない人でも、環境が極端に悪ければ横着になるだろうし、横着になればドジが頻発しやすくなるだろう。それに第一、誰も途中でチェックしないで上まで通ってしまうってのは、会社も変だ。社長が一人でやっている一人会社なら別だけど。頼むからしっかりしてください。

夜は、またアマゾンであれこれ探しもの。懲りないやつめ。

ディノスのカタログが届いたのでぱらぱら見ていたら、セシールで頼んでしまったソファーよりいいのが載ってた。こーゆー時に限って全く。でももういいや。

4月15日
やば。夜になって日記を書こうと思ったら、朝になにをしたか、もう忘れているぞ。これだからなあー。後書きを書いたりいろいろしていたはずなんだけど。

ベルメゾンから、残りの品が来た。リバーシブルの帽子と、金色の財布。

夫と二人、一駅だけ電車に乗って、隣町のスーパーへ。クリームチーズを15箱買ってきた。

4月16日
一日、地道にだらだらと仕事。たぶん5月ごろに出る、アスペルガーの女性の手記の後書きを書いていたのだが、差別用語関係の問題で頭を悩ませるうち、ぐったりと疲れてしまった。しかも、送ろうと思ったら送れないし。まったく。もう一回推敲しろとの天のお告げだろうか。

一年のこの時期は、体温調節が難しくて、やたらのぼせたと思ったら、いきなり冷えたりと大変。身体がほてるからといって、キャベツの酢漬けやセロリチーズなど、生ものをいっぱい食べてたら、いきなりお腹が冷えてしまったり、少しコーヒー飲みすぎただけで頻脈になったりと、体温以外にも苦労が多い。

4月17日
お告げに従って(笑)後書きに手を入れる。

あたたかい昼間、身体がほてってしょうがないので、どうしても生野菜を食べ過ぎてしまう。それでお腹が冷えるんだよなー。何やってるんだか。

4月18日
昨日は久々に早く寝ることができた。えらいぞ、ワシ。眠気ってやつも便意と同じで、タイミングを逃すとダメなんですよね。睡眠不足のときは、メチルフェニデートが効かないので、こいつをうまく使いたかったら睡眠時間をきちんと管理しなくてはいけない(パロクセチンは睡眠と関係なく効いている)。

今日は教育大と病院とハシゴの日だった。出かける前、これから暑くなるので散髪しようと思ったのはいいのだが、とちゅうまで切ったところで飽きてきて、コーヒーなんか入れて飲んでいるうちに、散髪の最中だったことを忘れて遊び始めてしまった。タイマーの音で出かける時間なのに気づき、あわててシャワーを浴びて、トラ刈りのままコットンニットのベレーをかぶって出かける。何かおかしいと思ったら、メチルフェニデート飲み忘れてましたよ、はい。せっかくきちんと睡眠とったというのに、何やってんだか。だいたい私の場合、コーヒーが飲みたくなるっていう段階で、メチルフェニデートが効いてない証拠だもの。

そんなわけで、教育大にはシャワーの所要時間分だけ遅刻。竹田先生と、毎日放送の方をお待たせしてしまった。毎日放送の方にご挨拶するとき、名刺の代わりに訳書を差し上げた。もう、カバンは椅子の上に下ろしていたので、本は、置いてあるカバンからとり出した。

今回は、私は絵に映るだけで、しゃべんなくていいらしいので、少し気楽。私は一方的に機関銃のようにしゃべることはできるけれど、会話のキャッチボールだかドッジボールだかはまだまだ無理。だから、去年の「にんげんゆうゆう」のときは、しょうがないからパソコンで筆談させてもらったのだが(筆談だと格段に楽なので)、あれを見て、私は口がきけないんだと思った人が多かったらしい。ちゃんと、同じ番組の中で、竹田先生は「流暢だけど多弁過ぎる」と言ってくれてたのにー。放送の後で生の私を見て、「何だ、しゃべれるんじゃないですか!」とまるで仮病でも見破ったみたいに怒る人もいたりして。そんなー、勝手に聞き逃しておいて怒らないでくださいよぉ。

打ち合わせでは、竹田先生が私のことをあれこれ説明してくださったのだが(私は茶々を入れるだけ。私にやらせたら永久に要点はまとまらないので)、やはり、「困っていること」の説明が中心だけに、紹介されるエピソードはなかなかナサケナイものが多い。まあ、それくらいでないと、普通に仕事をこなせている所だけを注目されても困るんでね。基本的な生活動作や行動の計画に難があるのは確かなので、見栄を張ったってしょうがないし。

撮影は病院で行われることになっていたので、先生と一緒に病院へ移動することになったのだが、どうも調子がおかしい。なんか変。危険な感じ。やな感じ。撮影のことで緊張してるのならわかるのだけれど、何か違う。あれこれ近過去のセンサーログを解析してみたところ、持ち上げたカバンが予想外に軽かったショックが原因らしいとわかった。さっき、本を差し上げたので、来たときよりもカバンが軽くなっていたのだ。持ったままのカバンからとり出していたら、軽くなったことにすぐ気づいていたのだろうが、置いたままのカバンからとり出してお渡ししたので、そのときに、「この分カバンが軽くなっているはずだ」という計算をするのを忘れていたらしい。早めに原因をつきとめ、気分回復の努力を始めたので、なんとかパニックには至らずにすんだ。そのときは。

今日も、眠気のタイミングを逃さずに寝るので、続きはまた明日。

4月18日続き
病院で、主治医との面接風景を撮影。撮影は(たぶん)無事にすみ、撮影班はとちゅうでいずこかへ失せた。後に残ったのは主治医と私で、ふだん通りの面接を続けることになったのだが。が。が。

この日の私は、大学へ行くことと、撮影にご協力することのふたつまでで頭がいっぱいで、その後に「ふだん通りの面接」が続くことまで考えてなかった。そこまでは台本ができてなかった。「先生、私なにしゃべったらいいのー?」状態。しかたなくモタモタとアドリブを続けたけど、いつもより名詞の想起が遅かったり、動詞や形容詞も「〜っぽい」とか「〜めく」とか「〜らしく」とかいったアレンジ(?)ができず、基本の活用形のままでしか使えなくなってしまった。ボカシ表現が使えないのである。だんだん、オリジナルの文を作文する力がヘタってきたらしい。そんなわけで、面接は消化不良のままオシマイ。

さらに困ったことに、私はこの後、もう一度大学に戻るのか、このまままっすぐ帰るのか、聞いとくのをすっかり忘れてたのだ! 主治医も、自分が撮影されることには同意したものの、その後の私のスケジュールなど知ってるはずもない(医者は万能じゃないのですよ)。支払いと投薬の順番を待つ間に、主治医が竹田先生に電話して、このまま帰ってよろしいとの返事を聞いてくれたのだが、その間、待合室で「次がわからなあい、次がわからなあい」と泣いてしまった。情けない。まあ、知らない人に挨拶したり、テレビカメラを意識したり、いろいろと慣れないことがあったし、あの「カバン持ち上げたらカルカッタ・ショック」で体力を消耗していたせいもあるのだろうけど。

納得して泣きやんでおとなしく病院を離れ、例のごとく乗換駅で買い物などしながら、電車3本乗り継いで帰る。受診日の翌日の木曜日は花屋の定休日なので、花を少しまとめて買うと、おまけをつけてくれることが多い。その代わり、種類が豊富とはいえない日も多く、この日はフリージアが1本もなかったのだけれど。

夕食はいんげんとヒヨコ豆と三色パプリカのサラダ、一風堂のギョウザ、ポテトのエメンタールチーズ焼き。あっ、ヤリイカ食べるの忘れた!

4月18日考察
病院でのパニック(?)だけど、ああいう追いつめられた状況(まあ、スケールはちいさいけれど、「次のスケジュールを聞くのを忘れてた」なんてのも、私にとっては大ピンチに含まれる)に陥ったとき、暴れる・怒る系の人と、固まる・泣く・過剰に謝る系の人がいて、私は確実に後者に属する(暴れることもあるけれど、乱暴の対象は、モノか自分の身体)。これがどっちに出やすいかっていうのは、本人が選択していることではなく、体質的なものだという気がする。手に右利き左利きがあるように、怒る系と泣く系があるんじゃないだろうか。

私はあまり人を攻撃しない方ではあるが、それは、攻撃したいのを意志の力で抑えることができたからではない。私の抑制力など、メチルフェニデートが効いているときを除いては、実におそまつなもので、私はまさに衝動性のカタマリといっていい。ただ、その衝動の中身として「攻撃」があんまり入っていないだけなのだ(全然ないわけじゃない。時々は夫に乱暴したりもする。でも、これだけ衝動性がひどいことを計算に入れたら、攻撃性がこの程度というのは相当に少ない方だと思う)。だから、人を攻撃しないからといってほめられるのは、なんか違うと感じる。攻撃しないことをほめられるのは、攻撃したい欲求を上手に抑制できましたね、上手上手という意味だろうから。

一方、自分で闘わない卑怯者とけなされても、やはり「何か違う」と感じる。だって、「卑怯」という形容動詞(「ダ」形容詞、名詞類)は、あくまでもその人の意識的な「選択」に向けられるものだろう。でも私は、単に追いつめられた時に闘う方向の発想が思い浮かばないだけなのだから。闘うこともできるのに闘わない選択をしているわけではないのだから。(追いつめられていないときは、結構のんびりと闘いを挑んだりしてるのだし)。思うに、闘う代わりに固まる・泣く・逃げる・過剰に謝る系統の反応が「卑怯」と叩かれるのは、それが、第三者を操作して味方につけよう、相手より更に強い味方にかばわせることで形勢を逆転しようという戦略だという解釈に基づくのだろう。でも私には第三者など見えちゃいないのだし、ギャラリーを操作するなんて高等なことはできそうにない。私は卑屈になりやすく、過剰に謝る傾向があるが、それは単にそういう体質だからにすぎない。

結局のところ、怒る・暴れる系の人も、泣く・固まる・過剰に謝る系の人も、その人の体質で出やすい反応をしているだけなんだと思うよ。物をとろうとしたときに、とっさに利き手が出るように。そこに「価値」を混ぜちゃあいけない。怒る・暴れる系の反応傾向も、泣く・固まる・過剰に謝る系の反応傾向も、「善」でも「悪」でもない。ただ、それぞれに、場面によって有利な場合と不利な場合があるだけだ。そして、他の要因、他の性質との組み合わせにも、それぞれ有利・不利があるだろう(たとえば、ケンカが非常に弱く、かつ、状況判断の力も弱い人や、さびしがりで人懐こいタイプの人が怒る・暴れる系だった場合、気の毒なことが多いとは思う)。

今回また取材されることになったのも、豊川事件の余波をキャンセルするためらしいから、よけいに気になるのだった。凶暴な人ばかりじゃないということを強調したいがために、温厚な人ばかりを強調されるのは許せない。でも私は温厚タイプに生まれついてしまってるのでそればかりはどうすることもできない。私には、私のできることしかできんのだ。

ところで、私は卑屈になりやすく自罰的だが、同時に非常に楽天的で横着でもある(このあいだは珍しく鬱になって騒いだが、騒いだのは驚いたからであって、驚いたのは珍しかったからだ。つまり、ふだんの私は、本当に鬱とはなじみがないんである)。さらに私は、顔の認知が悪く、表情の解釈が悪く、ことばの育ちは早かった。

攻撃性が薄く、自罰的で、それなのに楽天的で横着で、表情の認知が悪く、ことばが達者。ほら、どっかで聞いたような組み合わせだとは思いませんか? これながめてたら、「右の側頭葉」ってキーワードが浮かんじゃきませんか? 体質なんだからほめられるのもけなされるのもお門違いだってのは、そういうこと。私はただ、右の側頭葉がそういうふうにできているだけなんだと思うよ。

あーあ。自分の脳のスペクト画像見てみたいよ。メチルフェニデートの効いてるときと効いてないとき、パロキセチンの効いてるときと効いてないとき、4通りの組み合わせでさ(パロキセチンが抜けきるまでには、日数がかかるけれども)。ついでに、私の両親の脳のスペクト画像も見てみたいね。たぶん薬が効いてないときの私は、前頭葉と基底核が母に似てて、帯状回は父に似てるだろうと思う。右の側頭葉はオリジナルじゃないかって思うんだが。

4月18日補足
そういや、昨日撮影された映像が放送されたら、私の通ってる病院の名前も、主治医の顔も名前も流れるんだろうか。それならそれで、日記の中で隠しとく必要はなくなるなあ。

前の館長私的記録へ 次の館長私的記録へ 館長私室へ トップへ 仕事一覧へ 実用リンクと参考図書へ。