最終更新時刻:2008年7月1日(火) 1時09分

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新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか

公開日時:
2007/02/24 10:41
著者:
佐々木俊尚

新聞の<われわれ>とはいったい誰か

 ジャーナリストの玉木明氏は、オウム真理教事件の直後に刊行された「ニュース報道の言語論」という本で、新聞記事の主語は、実は文面にはいっさい出てこない「われわれ」であると書いている。たとえば、次のような記事の文例を見てみよう。「強引とも言える捜査は、小さな山村の集落の住民を相互不信に陥らせ、人のつながりを壊した。警察への憤りも広がっている」(二月二十三日、鹿児島県議選買収無罪判決の記事から)。この記事で警察に憤っているのは、誰なのか。ここで憤っているのは、実は書いた記者個人という「わたし」なのだが、しかし記事の文脈では「私が憤った」とは書かれていない。あくまでも社会全体の「われわれ」であるというスタンスを取って書かれているのだ。玉木氏は前掲の書籍で、以下のように書いている。

ある特定の観点を<われわれ>の観点とみなすこと、特定の主張を<われわれ>の名において主張すること、<われわれ>の意識をある特定の意識の中に囲い込もうとすることを意味している以外ではないだろう。私たちがそこから何ほどかのアジテーション的なうっとうしさ、押しつけがましさ、あるいはイデオロギー的な臭気を感じとるのもそのためだと言っていい。その文脈において仮構されている<われわれ>の意識と受け手の側の<われわれ>の意識とのズレが大きければ大きいほど、私たちが甘受するそのうっとうしさ、押しつけがましさの度合いもまた、それだけ高くなるはずである。

 かつての平和な戦後の風景の中では、<われわれ>とリアル社会の間には、さほど大きな隔たりはなかったのかもしれない。年収五百万円、専業主婦の妻と子供二人の家族、社宅に住んでいる。夜はたいてい会社の近くの焼鳥屋で、課長の悪口と会社の将来の可能性をさかなに同僚と一杯。週末は接待ゴルフか、そうでなければ家族サービス。趣味は野球観戦――というような標準的な人が世の中の大半を占めていて、みんな将来にたいして不安は感じていなかった。そういう時代であれば、新聞が<われわれ>に仮託して、「大企業は消費者を大切にしていない、けしからん><政治家は信用できない>とステレオタイプなことを書いていても、違和感を感じる人はさほどは多くなかったのである。

 だが一九九〇年代後半以降、戦後社会は崩壊した。かつての平和な風景は消失し、社会の一体感もなくなった。正規雇用−非正規雇用、富裕層−下層、団塊世代−団塊ジュニア、ネットを使いこなす人たち−ネットに拒否感を抱く人たち、といたるところで社会は分断していて、双方の意見をともにすくい上げ、双方が納得するような記事を書くのは非常に難しくなった。意見が単に対立しているだけならどこかで折り合えるかもしれないが、いま起きている分断は、単なる意見の対立ではないように思われる。おそらく、意見が拠って立つ基盤そのものが異なってしまっているのだ。

いまや社会には無数の<われわれ>が存在する

 そういう時代状況の中では、新聞がいったいどのような<われわれ>に仮託して、記事を書くのかという問題が生まれてくる。

 今回のインタビューで、毎日新聞の池田昭編集局次長は、何度も「見解の相違」ということを言った。もちろん、見解の相違はあったのだろう。それが何に対する見解の相違なのかをインタビューでは明らかにしてもらえなかった(果たして取材班の取材意図についての見解なのか、それとも「さくらちゃん」事件に対する見解の相違なのか)が、取材されたがんだるふ氏の見解と、取材班の見解が異なっていたのは間違いない。

 当たり前のことではあるけれども、どちらが正義でどちらが悪かなどということは、そう簡単に結論づけられるものではない。結論づけるどころか、永久に歩み寄りができない可能性だってある。「ネット君臨」にはネット君臨なりの正義があり、そしてがんだるふ氏にもがんだるふ氏なりの正義がある。そこで検証すべきは、その言論の内容そのものなのであって、媒体の権威ではない。「新聞が書いているから正義」「ミクシィの一個人会員が書いているから信用できない」ということではないのだ。当たり前のことだが、新聞の主張が間違っていることもあれば、ネットユーザー個人の言っていることの方が正しいケースもある。いや、いまやそういうケースが激増していることは、ネットの秀逸な言論を見ていれば明らかではないか。

 だがこの「見解の相違」に対し、新聞ジャーナリズムとして<われわれ>に仮託してきた取材班は、「<われわれ>を背負う取材班こそが、社会の総意にもとづいた正義なのである」ということを主張しているように思われる。だからこそがんだるふ氏に対して取材後、あるいは連載掲載後にまともな対応をしなかったのだ。社会全体の総意を背負っている取材班に対して、誹謗中傷を繰り返しているような「輩」が何を言ってきているのか……ということだ。

 取材班に決定的に欠如しているのは、その相対性に対する認識なのだ。先にも書いたように、いまや<われわれ>の統一性は社会から失われてしまっていて、どこにも存在しない<われわれ>を主語にして記事を書くこと自体が、不可能になってきている。そのような状況の中では、新聞は<われわれ>に仮託して記事を書くのではなく、(1)自分自身がどのような立場でどう思っているのかという立ち位置によって記事を書くこと、(2)そしてその立場で記事を書けば、当然、意見の異なる他者が出現して自分自身が批判されうること、を前提としなければならなくなってくるように思う。

なぜがんだるふ氏に依拠したのか

 私が前々回のエントリーで、中立の立場を取らず、あえてがんだるふの立場に依拠して記事を書いたのは、そういう新聞に対する批判者の存在があり得ること、いまや新聞言論は相対化しつつあることを、明確なかたちで表出させたかったからだった。しかしそのような私の主張は理解してもらえず(私の手法が稚拙だったのかもしれないが)、インタビューでも池田局次長に「どうしてあのような一方的な記事を書くのですか」と言われてしまったのだった。

 付け加えておくとすれば、池田局次長の「第三者に取材内容を教えることはできない」というコメントは、新聞編集局としてはごく当然の対応だとは思う。だから本当のところ、私のような第三者が口を挟んで可視化、可視化と叫ぶのではなく、取材された当事者本人が徹底的に取材側に向き合っていくしかないのだと思う。そうやって向き合っていく無数の言論の総体こそが、マスメディアを変えうるパワーとなるとも思うのだ。

「弱者のための新聞」?

 しばらく前、知人の毎日新聞幹部が、「都市型新聞を目指したって朝日、日経に勝てるわけがない。だったらうちは徹底的に『弱者のための新聞』を目指すしかないんだ」と言っていたことがあった。

 たしかに最近の毎日の紙面を見ていると、このような方向性に進みつつあるのかと思うこともある。世間の潮流からこぼれ落ちてしまった部分に、とにかくこだわっていこうという姿勢であり、弱者に光を当てていこうという視点の持ち方だ。その姿勢、視点はジャーナリズムとして正しいあり方のひとつだろうと、私は個人的には受け止めている。

 しかしここで気になってくるのは、そのような視点を持った場合、記者という個人もしくは毎日新聞編集局という組織が、どのような立場でそれらの記事を書くのかという立ち位置の問題だ。毎日記者は、決して弱者ではない。新聞業界の中だけで見れば「他社より給料が安い」「人手不足で仕事がきつい」と弱者的立場に自分を仮託している毎日社員も少なくないようだが、しかし社会全体の中で見れば、当たり前の話だが、決して弱者ではない。年収で言えば、おそらくサラリーマンの平均年収ははるかに超えているはずだ。そういうエリート的な立場にいる毎日記者という個人としての存在、あるいは全国紙の一角を担っている毎日という新聞組織は、どのようにして弱者の視点に立とうとしているのか。そこの問題が問われているように思える。

 毎日の記者は、おそらく弱者に自分自身を仮託して記事を書いているのだろう。しかしもし、今後も毎日が<われわれ>を背負っていくのだとすれば、その「仮託」そのものが、真正なのかどうか――つまり記者が勝手に想像した架空の弱者ではなく、本当の弱者に常に近づける作業をできているかどうか――という検証を、つねに行っていかなければならない。そうしなければ毎日は「弱者のための新聞」ではなく、「弱者のふりをした新聞」になってしまう。

毎日記者の中にも危機感は強い

 今回の事件は、新聞が仮託している<われわれ>は、いったいどこに存在する視点なのかという問題を、顕在化させたように思われる。格差社会化、ネット社会化の中で、マスメディアのこの問題は今後ますます重要になってくるように思われる。これからますます人々の立ち位置は分断され、クラスター化し、言論そのものもマイクロコンテンツ化していくであろう中で、毎日新聞はどの「われわれ」に依拠しようとしているのだろうか?

 実のところ、毎日新聞社内でも若手記者を中心に、そうした状況に対する危機感は広がっている。今回の一連のエントリーを公開した後、何人かの記者からメールをもらった。たとえば、次のような内容。

驚いたのは、(ネット君臨の)社内でのネット企画の評価が高いことです。1月4日付「開かれた新聞委員会」でもベタボメしていましたが、いつも辛口の「紙面審」でも高く評価されていることです。最初は売るため、毎日インタラクティブにアクセスさせるための「釣り」ではないかとすら思いましたが、社の幹部や一線記者が真剣に取材して、あのレベルしかできなかったという現状は慄然とします。新聞は中学生にも分かる内容にしろと言われており、難しい技術用語をのせるのはなかなか困難です。しかし、それとこれとは別問題でしょう。

 また、次のような内容のメールを送ってくれた人もいた。

もう今までの高慢な姿勢とやり方では我々はもたない、そう感じています。
それでもやっぱり、読者と対等な視線に立つのは怖いし、そんな付き合い方を読者としたら体力が持たぬから、こちらのルールと土俵に引き込んで「リアルな世界で責任取るべし」と浴びせ倒しの技をかけるしかないのかしらね。庶民をミスリードしないように、ちゃんと『リード』して俺たちが歴史をデッサンするんだ、という裸の王様になり始めているのにね。
そもそもリアルって何でしょうね。読者からクレームが来てもかわしたり、すかしたり、回したり、あきらめさせるように疲れさせたり、とどのつまりは最終兵器の組織力やエスタブリッシュなお友達のネットワークを駆使して組織防衛を図る我々のリアルな嘘も、そろそろ限界かもしれません。

 こういう見方をしている毎日記者も少なくないことを、お伝えしておきたいと思う。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。

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