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書評「倒錯の偶像」 -「電波男」と反復する歴史-

世界の歴史ですべての大事件や大人物は、いわば二度現れるものだ。
ヘーゲルはどこかでこういっているが、かれはただし一度目は悲劇として、
二度めは喜劇としてである。と付け加えるのを忘れている。

(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)

復刊ドットコムを見ていたら、吃驚したことが…。

かの名著、男と女のエロスの文化史を語る上で絶対に外せない
最も優れた古典著作ブラム・ダイクストラの「倒錯の偶像」が
いつのまにか絶版になっている…。


この本、男女の性愛文化と社会の関係性を語る上では
絶対に外せない、力の入った非常な良作なのですが…。

日本の出版界って一体どうなっているんだ…こんな名著が絶版…orz

この本はですね、簡単に云えば西欧で何度も発生した「電波男」の
ようなムーブメントが、いつの時代、どのように発生し、どのような影響
があり、どのように廃れ、もしくはメイン文化として力を得ていったか
ということを巨大な西欧の歴史の中で徹底的に分析した恐るべき力作、
日本語版だと1万円の本ですが、私は10万円でも買って良かったと感じますよ。

ジョルジュ・バタイユのエロスの涙を、領域を西欧近代にして
密度を一千倍にして、徹底的に、性愛文化の変遷を分析した本です。

特にこの本が優れているのは、エロスの涙と同じ手法、大衆に
受け入れられた美術芸術の分析を、文化史的分析、社会史的分析
と組み合わせ、性愛文化の流れを徹底的に抉り出しているところで…。

凄まじい史書ですよ。知的興奮と認識の拡大と云うことで云えば、
ニーチェやフーコーに匹敵する、本当に凄まじい恐るべき研究史。

特にこの本は、昨今の「電波男ムーブメント」(私も応援しています)
の流れが、実は西欧近代史において必然的に繰り返されている、
反復の必然として起こったことを示している。

電波男の読者なら、目を通して損はないと思います。

本の内容を物凄く乱暴かつ単純化した要約をしますと、西欧文化は、
神-王-貴族-領民の封建的システムで秩序を固定していた
のですが、時代とともにこのシステムがどんどんぶっ壊れてくる。

教会は腐敗し、王は殺され、植民地に対する対応の揺れ、
そして最大の極めつけは、産業革命、自由資本主義の勃興。

自由資本主義は自由資本主義前の秩序を完全に破壊した。
どういうことかというと、丸山真男の「であることとすること」
みたいなものですが、”であること”な社会が滅びて訪れた
資本主義社会というのは、”すること”な社会、流動的な社会、
金のある者が勝利者で、そしてその金がどう動くかは誰も分からない。
金を手に入れることのみが最大の目的(「すること」)となり、その為なら
今までの全ての関係性(「であること」)を破壊することも辞さない訳です。

そうすると、ただ金だけが全てになり、今までの社会にあった関係性や
倫理による安定が全部崩れてしまって、人間は物凄く不安になる訳です。

そこで、金で揺らがない関係性と倫理を再び構築しよう、
神的に倫理的な理想の関係性を構築してこの不安から
逃れよう、ということで、西欧の男性は、まず、女性を聖母マリア化
する計画に手を染めるのです!!

働き手である男性は、自由資本主義の熾烈な競争のなかで、神に背くこと、
反倫理的なことを沢山行う訳です。金が全ての自由資本主義社会
において生き残り、成功する為には行為が必然的に反倫理性を
必要とする。例えば、植民地で奴隷を非人間的に働かせて搾取する等。

男性は、でも金の為にそんな残酷なことばかりしている自分のことが
だんだん耐えられなくなってしまう。故に、奥さんを神化(マリア化)
して、奥さんに聖性を集中させ、その奥さんと結びつくことで
自分の残虐な罪深さを洗い清めようとするのです。

でも、別に女性は神でもマリアでもない、普通の人間な
訳です。普通の人間だから生臭い欲望を一杯持っている訳です。

そして…女性達は、資本主義社会が進展するにつれて、
すっかりそれに染まってしまっていく。つまり金が全てに染まった。

つまり、男性の金を稼ぐことによる悪の負荷から助けを求めるべく
聖なる女性としての概念を創り上げたのに、女性の方が勝手に
金を求める、聖なる女性とは対極の立場、即ち悪魔になってしまった!!

うああああああ!!助けてくれ助けてくれ助けてくれ!!

という訳で、この男性の女性への錯乱と恐怖と嫌悪
(本当は男性自身の自己嫌悪なのだが、それがひっくり返り
女性嫌悪になっている)が、西欧近代の男女性愛文化
の始まりを告げる一九世紀の汽笛の音なのですよ〜!!

まず、男性達は女性を従わせ教育して創りかえることを目論みます。
聖なる女性がいないなら、自分たちが聖なる女性を作るんだ!と。

この企みには生物学者・心理学者達が強力な推進者・協力者となります。
彼らは女性は男性よりも生物学的・心理学的に劣った生物であり、
男性の管理と教育を必要とするという概念を学問的権威を使って
徹底的にプロパガンダしました。ロンブローゾ、クラフト・エピング、
時代は遅れてかのフロイトなどがこの手の行動の有名な代表者です。

この方法はある程度までは実行されましたが、結局は上手く行きませんでした。

つまり、女性を男性に従わせ教育させるというところまでは
上手く行ったのですが、教育しても男性が望むような女性に
はならなかった。どんなに教育しても駄目でした。考えてみれば
当たり前で、人間に、「お前は俺達を救う神になれ!!」と
申し渡しても、そんなの、どう考えても上手くいきっこありません。

男性達は動揺しました。うあああああ、どうすればいいんだ!?と叫びました。

そして、男性達は閃いたのです。そうだ、子供に行こう!!
子供なら金金金!!なんて大人の女みたいに云わないし、
大人の女性のように、自らの性欲を持って
男性を顔でえり好みすることもない!!

子供へ!!子供なら倦み疲れた男性の魂を救ってくれる!!

と云う訳で、一九世紀後半はロリロリ大ブーム。ロリロリ絵画は
あらゆる絵画を席巻し、ロリロリ絵専門の画家達は大人気。
それはもう今のエロゲ界そのものですよ。ロリ人気画家の
ポール・シャバスの「はじめての水浴」「海藻」とか、カール・ラーション
の「幼い少女たちの部屋」とか、ブルーノ・ピッヒルハインの
「クリスマスの朝」とか、W・ケンダルの「反射像」とか、それらは
どこからどう見てもロリロリなエロゲCGそのものなんですが(笑)
彼らロリロリ画家のロリ絵画は芸術として今も高い評価を受けています。
今買うと何百万何千万しますから、私じゃとても一枚買うことすらできません、
…安かったら買いたいのに…。
ここであげた画家と作品はほんの一握り。ロリロリ画家とロリロリ絵画は、
近代西欧における巨大な芸術、メインなる文化と化したのです。

もちろん、絵画だけではなく、我らが炉の神祖たる御大ルイス・キャロル
をはじめとして、エミール・ゾラやバルザックの小説などもロリロリワールド♪

どんな小さな幼児の世界も、画家たちのエロス化した想像力を免れること
はできなかった。彼らは最も権威ある科学者達(生物・心理学者達)から、
女は(男と違って)生涯、(成熟することのない)子供のままであると
教えられた為、必然的にあらゆる成長段階の子供のうちに
(パートナーとしての)女の痕跡を見つけるようになったのだ。………
オランダの画家マテイス・マリスは髪に花を飾って横になっている幼女を
描いた。その上には二頭の蝶が宙を舞っており、(これは子供の性質を
寓喩している)眼差しには極度に訳知り顔の色が浮かんでいる。
もしルイス・キャロルがこの絵を見たら、讃嘆の念に恍惚と
なったろうことはまず間違いがない。

(ブラム・ダイクストラ「倒錯の偶像」)

この絵はマテイス・マリスの「横になった子供」です。
私はこの絵を見ましたけど――恍惚となったよ――あふう。
なんつーか…こんな娘の下僕になりたいという感じで、
物凄く幼さとコケティシュが強く現れていて、素晴らしい。

でも、私が一番好きなのは、やっぱり無垢の香りのするポール・シャバスの絵。
まさに絵画界のはじめてシリーズとでもいうべき作品を多く作った
素晴らしい画家であり、タイトルも「はじめての〜」なのが最高(笑)

まあ、考えてみれば、はじるすシリーズの方が、後のものであり、
オリジナルはシャバスの絵の方になるんですけどね(笑)

私は西欧一九世紀後半の仕事と女性関係に疲れ果てた男性達が
ロリロリ絵画を見て心慰めていたことを思うと、物凄くシンパシー
が沸き上がるし、それはとても良いことだと思いますが…。
「倒錯の偶像」ではこういう書き方がされてしまいますね…。

強く独立した女たち、厚顔にも様々な欲求を(男性に)突きつけてくる
女たちと関わり合いになることを恐れた一九世紀後半の男性たちは、
子供を、自分の手で操ることのできる女性のイメージへとこねあげた。
もはや(大人の)女の中には見出すことのできない頼りなさ、弱さ、
無知ゆえの受動的柔順さといった性質を、子供に投影し始めたのだ。

(ブラム・ダイクストラ「倒錯の偶像」)

うあああああああああああ!!ダイクストラもこんなことを云う!!
なんでみんなこういうことばっかり云うんだ!

理想を抱けない世界で、理想を抱いて何が悪いとしか云いようがない。

資本主義は世界を征して、もはや誰も資本主義を止めることは
できないし、資本主義社会においては大人の男も女もみんな
金と俗的欲望だけに生き、罪と悪に塗れるならば、理想を抱ける人、
即ち愛する人は幼くいといけな子供だけになるのは当然ではないか。

私は、心から一九世紀西欧の男性達の気持ちが分かるよ。
日本の文化進度というのは、西欧の文化進度をだいたい
一世紀遅れてなぞっているので、逆に云えば、
今の日本は一九世紀西欧的なんだ…。

それと、このロリロリ大ブームには続きがあるのですよ…。
女性と男性の溝が時代とともに深まると、ロリロリっ子であっても
「女性」というだけで愛が結べなくなり、ロリロリブームは終焉します…。
(うああああああ…女性でもロリは素晴らしいのに/ToT\)
大人の男性同士の同性愛は強く禁じられていたので、
そして今度は大人×少年のショタショタ大ブームが発生です。
生物学・心理学だけではなく、哲学が今度はブームを後押しです。
女性を心底から忌み嫌った大哲学者ショーペンハウアー
の哲学的女性観が女性は愛に値しない、愛に値するのは少年だけ!!
の風潮を掻き立てて、そしてプラトンが、ギリシア哲学が少年愛の
論理的土台として再び蘇り、ショタっ子画家、ショタ絵画は大流行。

(西暦)一九〇〇年前後には、ヴァーノン・リーの描いた
ヴァルデマール(美少年、可愛い!)のような男がますます
増え、その流行にのって女性の容姿に対する男性の容姿の
優位が唱え始められた。これを促進したのがショーペンハウアー
であった。「男性は、性的衝動によって(美的)知性を曇らされる
ことなければ、ちんちくりんで肩幅の狭い、尻ばかり大きな
短足の種族如きに、”美しき”性という名を献上することなど
できなかった筈である」(ショーペンハウアー「女について」)
男性の美しさへの新しい特別な驚嘆の念が発展した。
いまやプラトンからのおびただしい引用句をそえて………

(ブラム・ダイクストラ「倒錯の偶像」)

えっと、端折ってこの後の展開をご説明しますと、
最初は純粋に可愛い美少年好み、女性的属性を持った
美少年好みだったのが、だんだん男性的部分のみの嗜好へ変化する。
完璧な白人男性幻想、超人幻想(男性オンリー)へ変化してゆきます。
ナチスが理想として掲げた金髪の野獣って奴ですね。
性愛が退化し、健康が掲げられ、エロスはファシズムに変化し、
総統への愛や国家への愛へ変貌して大戦争が起きてカタストロフィ。

纏めると歴史の流れはこのように起きています。

@
自由資本主義勃興。封建秩序崩壊。


A
自由資本主義の急速発展により倫理と関係性含む全的秩序が完全崩壊。
一寸先も見えぬ弱肉強食社会の中で働く男性の精神が極度に不安定に。


B
男性は女性をマリア(神)化して救いを求めようとする。女性のマリア化
教育の為に男女差別構造作成、差別の生物学的、心理学的正当化。
最終的には失敗。女性は男性に大人しく従うタマではなかった。
女性が資本主義化する。金・金・金。男の金と見てくれだけが女に重視される。


C
資本主義化した女性に恐れをなした男性達がロリに走る。
ロリロリ大ブーム勃興。
男性は無垢なロリっ子のなかにパートナーたるマリア(神)を見る。


D
女性の社会進出が進み、女性の持つ権限が強化されてゆく。
男性は男性の偏見や既得権益をおびやかす女性を憎み恐れて、
ますます男性の女性嫌悪傾向が強まる。


E
ロリっ子であっても、例え子供であっても女性は女性…。
男性の女性嫌悪が最大限に高まり、子供であっても女性という
点だけで男性と愛を交わす資格がないということに。
女性嫌悪の煽りを受けてロリロリブームが終焉へ…。
女性の代わりになるものとして少年愛が浮上。
ショタショタ大ブーム勃興。男×ショタな世界に。
ショタっ子のなかには女性の美も含まれている。


F
ショタショタブームが、女性的なものを廃し
男性的な特質を強調するものに変化。
ショタブームが衰退しマッチョイズム勃興。
大人の男性的特質である、マッチョ的健康(筋肉=力)が
至上命題価値として掲げられてゆく。
男女間だけでなくロリショタも含めたエロス全般(性愛全て)
が健康的な行為でない(女性的=頽廃的)としてコントロールされ抑圧される。


G
抑圧されたエロスの欲望を美学化した政治が吸収。
美学政治の担い手としてマッチョ的健康の権化であるファシズムが台頭。


H
独裁。自己破滅的大戦争。全的大崩壊。皆殺しワールド。そして誰もいなくなった。


とこのように西欧の歴史は進んできたのです。
そして、日本もこの歴史を後追いしている。

日本は現状ではDぐらいにいると思うんですね。
私としてはロリロリブームとショタショタブームが平和に
並列に起きた状態でそのまま歴史が止まって欲しいのですが…。

こればっかりは…歴史の流れは、恐るべき絶対的な
力を持って流れてゆくだけだから、なんとも…。

推察では、多分、日本はこれから段階をE、F、Gと
進んで行くのだろうなと思いますね。

ただ、唯一救いがあるとすれば、本田透さんの
電波男は、歴史の流れをCあたりで押し止めることが
できるのではないか、そうすればその行いは、
まさに日本の救世主であると、私は真実思いますよ。

ロリっ子絵画を萌えだと見れば、まさに電波男は
C段階で歴史を安定させようとする行いな訳です。
それは最終的なカタストロフィを防ぐことができるかも知れない。

電波男の力の発展を、ゆえにこれからも
心から願い、応援しております(^^)/

参考作品(amazon)
本田透「電波男」

丸山真男「日本の思想」(であることとすること)

ショーペンハウアー「随感録」(女について)

マルクス「マルクスコレクション3」(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)

ロバート・N・プロクター「健康帝国ナチス」

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」

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サンダー・L・ギルマン「性の表象」

ZERO「はじめてのおるすばん」

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