平野啓一郎さんの長編小説『決壊』(上・下巻、新潮社)が刊行された。デビューして10年。初めての現代を舞台にした長編は、ネット社会で壊れていく人々の心を見据えた挑戦的な力作だ。作品は時代の混迷を映すように、バラバラ殺人から、錯乱と自滅へと突き進む。平野さんに執筆への思いを語ってもらった。【重里徹也】
『決壊』で描かれているのは2002年の夏から、03年の梅雨前までの日々。大きく二つの物語が進行し、やがて一つに合流する。
一つの物語の主人公は国立国会図書館の調査員をしているエリートサラリーマンだ。30代の彼は、知力に恵まれ、経済的にも困っておらず、女性にもてて、さまざまな楽しみを享受している。優しく、如才のない性格だが、自分が何のために生きているのかよくわからず、心の底に虚無を抱えている。
彼の30歳の弟が何者かに殺され、遺体がバラバラにされて見つかったことから、ストーリーが大きく動き始める。弟はブログ(インターネットで公開する日記風の手記)を連載していて、そこに書き込みをしていた人物と殺される直前に会っていたらしい。主人公が疑われ、警察の強引な捜査によって逮捕される。
もう一つの物語の主人公は鳥取市に住む中学2年生の少年。ひどいいじめに遭い、他人とうまくコミュニケーションが取れず、孤独に過ごしている。彼は「悪魔」と名乗る人物にそそのかされ、犯罪に加担する。
「『日蝕(にっしょく)』のころから、過去を舞台にしても、ずっと今という時代を意識して書いてきました。今回、テーマにしたかったのは殺人と赦(ゆる)しです。人が人を殺すというのはどういうことなのか。現代は、あの世とこの世があり、天国と地獄があると信じられていた時代とは違う。今の時代に、人は人を赦すことができるのか。それを考えてみたかったのです」
「『日蝕』では中世末期、『葬送』では(パリの)二月革命のころと、いつも変換期を書いてきました。冷戦構造が終わり、米国が暫定の世界チャンピオンになって、世界中が資本主義のルールに収まったような気がしました。ところが、2001年の9・11テロで絶対的な他者が存在していることがわかった。一方で、2003年以降、日本でブログが盛んになるんです。そこでは個人の内面の圧倒的な多様さが露出されている。この二つの狭間(はざま)であるということで、2002年を舞台に選びました」
北九州市、山口県宇部市、鳥取市。地方都市の現実も寸描される。老人のうつ病、兄弟のあつれき、生きがいを感じられない仕事、妻への疑い。息子を溺愛(できあい)する母親、残酷な少年たち、子供の心に理解が届かない無力な教師。警察のズサンな捜査、マスコミの軽薄な態度、倫理を失った芸術家。現代日本のさまざまな人生が多視点で克明に描かれる。
そんな中で、前面に出てくるのがインターネットというものの持っている底なし沼の危険さだ。ネット社会において、人の心はどうなっていくのか。
「これまでは、何かを発言するとそれは言った人にはねかえってきた。ところが匿名の書き込みができるネットでは、こっそりと何でも書ける」
「悪魔」が登場するのは、こんな状況でだ。
「悪魔というのは、意外に無力で、何でもできるわけではないんですね。荒野でイエスを誘惑したように、そそのかす存在なんです。人間の心に付け入って、負の部分を刺激したり、拡大したりする存在。だから誰でもなれるのです」
ネットの進化によって、人間の一人一人は単なる情報として処理されるようになってしまう。そこでは、こんな環境だから、こんな犯罪を起こした、といった決定論が跋扈(ばっこ)する。救いのない重苦しい筋は、現代という時代を反映しているのだろうか。衝撃的な結末が読者を待っている。
「これまでの小説では最後まで想定して書き進めたのですが、今回は結末を決めずに書きました。希望を残す終わり方にするか、絶望に直面する結末にするか、ギリギリまで迷ったのですが……」
「人間の忍耐力には限度があります。過労でも、いじめでも、限度を超えたら耐えられない。容量以上の水をためたダムのように、決壊してしまう。今回は暴力もテーマにしました。子供同士のけんかから、アメリカのイラク攻撃まで、現代のさまざまな暴力をきちんと考えたかった。そして、問いたかった。決壊させないための想像力とは、どんなものなのか」
結末はさまざまな議論を呼びそうだ。平野さんもそれを自覚している。
「神なき現代における救済はいかにして可能なのか。作家として、今後に重い課題を背負ったのだと思っています」
インタビューの間、繰り返し言及された作家は、ドストエフスキーと三島由紀夫だった。
『決壊』の主人公は、ドストエフスキーの小説でいえば、『悪霊』のスタヴローギンに少し似ている。もて男のニヒリスト。一見、非の打ちどころのない人物に見えるが、人生に退屈している。ドストエフスキー作品では、犯罪に対置するものとして信仰が描かれるが、平野作品には、それがない。現代の荒涼が容赦なく暴かれる。
独特な比ゆも今作の魅力だ。<空虚の含み笑いめいた静けさ>とか、<子供染みた疑念が、意識の腋(わき)をくすぐっているような奇妙な感覚>とか。三島の影響は、こんなところにもうかがわせる。=次回は7月21日掲載です。
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■人物略歴
1975年、愛知県生まれ。北九州市で育った。京都大法学部在学中の98年に『日蝕』でデビュー。翌年、同作品で芥川賞受賞。作品に『葬送』『高瀬川』など。
毎日新聞 2008年6月30日 東京朝刊