ハンセン病の国立療養所長島愛生園(瀬戸内市邑久町虫明)の入所者が受けた差別や偏見、公権力による家族との別れを語った映像集が制作され、さまざまな資料を展示する園内の歴史館で一般公開が始まりました。
証言者は二十一人。「十一歳のとき、家族旅行と言われ長島に来たが、気付いたとき家族は島を離れていた」と回想する女性。子孫を残さないために断種をした男性は「子どもをつくるのは罪悪だと思っていた。子どもも病気になると信じていたから」と淡々と語っています。
証言は一人約十五分で、全部で五時間余り。さまざまな証言が澱(おり)のように心に沈み込んでいきます。
国の隔離政策の過ちが認められたのはつい最近。二〇〇一年の国家賠償訴訟の熊本地裁判決です。
判決が「遅くとも六〇年以降は隔離政策が必要な疾患ではなかった」と断じているように、長年不当な扱いを受けながら、その感情を押し殺し、冷静に辛苦の日々を振り返る証言者の懐の深さ、強じんな精神力には感心するばかりです。
証言のなかには「一食の配給はサツマイモ一個だけ」「敵機の襲来に備え見張りをした。高松や姫路の空襲が島からよく見えた」など、戦時中の生活に触れたものもあります。
戦争や差別・偏見という人間が犯した愚かな過ちを繰り返さないため、歴史に盲目であってはならないという当たり前のことを胸に刻み、瀬戸に浮かぶ風光明(めい)媚(び)な島を後にしました。
(備前支局・二羽俊次)